国家管轄権外区域の生物多様性の保全と持続可能な利用に関する国連海洋法条約の下での協定(通称BBNJ協定)の意義と今後の課題

国家管轄権外区域の生物多様性の保全と持続可能な利用に関する国連海洋法条約の下での協定(通称BBNJ協定)の意義と今後の課題

2024年10月3日
1. BBNJ新協定採択に至る経緯

本稿でお話ししたい3つのこと

 2023年6月に、国家管轄権外区域(公海及び深海底)の海洋生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する新協定(BBNJ協定)が正式に採択された。国家管轄権外区域(公海)1の海洋生物多様性の保全と海洋生物の持続可能な利用に関する新しい協定ができたことになる。ただし、BBNJ新協定は採択されたが、まだ発効には至っていない。
 本稿では、BBNJ新協定が採択されたが発効に至っていない今の状況で、海洋生物学者として、BBNJ新協定成立過程にどのように関わって来たか、新協定が今後どのようになってほしいか、個人的な思いも含めて、BBNJ協定の背景や意義についてお話ししたい。
 BBNJ協定は、1992年に採択された生物多様性条約(Convention on Biological Diversity: CBD)との関係が特に深い。CBDには、生物多様性の保全と生物多様性から生じる便益の衡平な配分という二つのミッションがある。その2つのミッションをどのように調整してバランスを取るかはBBNJ協定が採択に至る過程でも主要な論点だった。まずこの点について触れたい。
 2つ目の話題は、海洋生物学者が、なぜ国連の条約締結に首を突っ込んだのかである。その理由は国連海洋法条約(United Nations Convention on the Law of the Sea: UNCLOS)が海洋科学に与えた大きなインパクトがある。そのことをご紹介した上で、BBNJ協定に対して関連する事項に大きな関心があったので、それについてのお話もさせていただきたい。
 3番目に、BBNJ協定が現在置かれた状況についてお話しし、多くの課題が残された中で、どのような議論の進展を今後期待しているかについて述べたい。

 まず、海は、大きく三つのエリアに分けられる(図1)。国連海洋法条約(UNCLOS)で、各国には、領海と排他的経済水域(Exclusive Economic Zone; EEZ)が定められている。領海は、基準となる海岸線(基線)から、海側12海里(約22 km)の線までの海域である。ニュースでよく聞く領海侵犯という言葉は、他国の船舶がこの領海に正当な根拠なく侵入することである。排他的経済水域(EEZ)は、基準となる海岸線(基線)から、海側200海里(約370 km)の線までの海域である。
 排他的経済水域に関して、沿岸部の国土を持つ国には主権的権利が認められている。権利があれば義務もあるので、管理をする権利および義務があるエリアが海岸線から200海里までということになる。
 わかりにくいのは、海の部分と海底の部分は取り扱いが違うことである。陸から繋がって大陸棚が連続すると認められた場合に申請を行えば、大陸棚の延長が認められる。日本にもいくつかの延長大陸棚が認められている。したがって、海底については、さらに広い範囲がEEZ相当の場所として存在しうる。
 EEZの外側が、国家管轄権外区域(Areas beyond National Jurisdiction: ABNJ)と呼ばれる海域だ。ABNJに関しては、「公海自由の原則」があり、国連海洋法条約では、何も定められていない。つまり、この区域は、国連海洋法条約上は、誰も管理しないし、誰も規制しないことになる。
 ただし、国家管轄権外区域(ABNJ)の海底鉱物資源は例外である。これに関しては、人類共通の財産(Common Heritage of Mankind: CHM)と位置づけられていて、これを開発して利益が出た場合は、衡平な分配をすることになっている。実際、海底鉱物資源の開発に関する管理権限は国際海底機構(International Seabed Authority: ISA)にある。「公海自由の原則」の下では、公海においては、何を行っても自由であったが、新協定が成立して、「公海自由の原則」に一定の制限が加えられたことになる。

国家管轄権外区域(公海)の重要性

 国家管轄権外区域(公海)はなぜ重要なのか。2015年6月、国連総会はこの海域の海洋生物多様性(Marine Biological Diversity of Areas beyond National Jurisdiction: BBNJ)の保全及び持続可能な利用に関し、UNCLOSの下の新たな国際約束を作成することを決定した。新たな国際約束には法的拘束力があることは初期の段階で決定していた。2016年、2017年の2年間、年2回ずつ合計4回の準備委員会を開催し、下記(①〜④)の4つの要素を新協定の中に入れることを決定した。2018年からは政府間会合が計5回開催され、2023年3月の第5回再開政府間会合で新協定の文書が大筋合意した。最終的に2023年6月19日に文書が正式に採択された。
 BBNJ新協定は国家管轄権外(公海)における海洋生物多様性の保全及び持続可能な利用を目的とし、主に以下の4分野を取り扱っている。

①海洋遺伝資源(利益配分を含む):公海及び深海底の海洋遺伝資源(製薬等への利用等潜在的な有用性が期待されている海洋生物の遺伝子)から得られる利益の配分について、先進国と途上国との間で特別基金への拠出及び商業利益が出た段階で締約国会議において利益配分方法を決定することで合意する。

②海洋保護区を含む区域型管理ツール等の措置:海域を特定し、その中で海洋生物多様性の保全と持続可能な利用のために必要な措置をとる「区域型管理ツール」を公海及び深海底へ導入する。既存の国際的枠組みを損なうものではなく、また、実施困難な場合には選択的離脱が可能である。

③環境影響評価:公海や深海底の海洋環境に影響を与え得る活動に関する環境影響評価の手続きを規定する。

④能力構築及び海洋技術移転:開発途上国が本条約を実施するために必要な能力構築や海洋技術の移転方法を規定する。

 新協定には、法的拘束力がある。新協定のタイトルには、海洋生物多様性の保全という言葉が謳われているのに、①〜④の新協定の内容を見ると、海洋生物多様性の保全という言葉は見られない。むしろ利益配分や持続可能な利用などの言葉が目立ち、海洋生物の利用が意識された協定だという印象を受ける。
 ①は、海洋生物の遺伝資源について細かいルールを決めようとしたものだ。②は、海洋保護区をどのように設定するかに関するものだ。③は、環境影響評価に関するもので、何かアクティビティを起こす場合、環境影響評価が必要になる。公海や深海底でどのように環境影響評価をすべきかが議題となる。④は、国連が種々の規定を設けると必ず出て来る能力構築や技術移転の話である。
 新協定への期待は高く、EUや途上国等は、新協定の早期発効を目指すものと考えている。署名開放期間は、2023年9月20日〜2025年9月20日で、60か国が批准してから120日後に発効する。発効後1年以内に1回目の締約国会議が開催される。
 日本はまだ署名をしていない。関係省庁会議が開かれて、検討することとされており、現在、署名すべきかどうかを議論している段階である。
 2023年3月の第5回政府間会合で、新協定の文書が大筋合意するまでに、すったもんだがあったが、大筋合意に至るために貢献した立役者は新協定に関する第5回政府間会合議長のレナ・リー氏である(図2)。レナ・リー氏は、当時も現在も、シンガポールの海洋法問題担当大使及び外務大臣特使である。新協定が大筋合意した時、レナ・リー氏は「船は岸に到着した」と述べ、会場の万雷の拍手を受けた。

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 シンガポールは、新協定の締結に大きな役割を果たした。議長は、途上国と先進国との間の橋渡しを様々な局面でしなければならなかったが、卒なくその職責を果たした。国連には、1964年に発足した中南米やアフリカの新興国などによる枠組み「77か国グループ(G77)プラス中国」というものが存在する。シンガポールは「G77プラス中国」のメンバーだが、購買力平価による1人当たり国内総生産(GDP)が世界で2番目に高く、事実上、先進国である。要するに、シンガポールは、かつての途上国であるが、現在は先進国で、途上国と先進国の橋渡しをする国として相応しいのである。

2. 地球サミット以後の国際的取り決め

生物多様性条約(CBD)

 BBNJ新協定について理解するためには、まず生物多様性条約の構造を理解する必要がある。生物多様性条約(CBD)は、生物多様性の保全と、生物多様性がもたらす便益の衡平な配分を目的として、1992年の地球サミット後に採択された。地球サミット後に採択されたものは、他にも「国連気候変動枠組条約(UNFCCC)」がある。生物多様性条約と気候変動枠組条約は双子と見做すことができる。
 生物多様性条約(CBD)の成立においては、生物多様性の保全と生物多様性がもたらす便益の衡平な配分をどのように折り合いをつけて、ルールを策定するかが議論のポイントになった。生物多様性がもたらす便益の衡平な配分があるがために、発展途上国も条約に対して積極的に関わった。衡平な便益の配分に関するルールが策定されたのは、2010年に名古屋で開催されたCOP10においてである。衡平な便益の配分(Access and Benefit Sharing: ABS)に関するルールは名古屋議定書と呼ばれている。地球には遺伝資源として非常に多様な生物の多様性が存在する。例えば、ある国またはその企業が、熱帯雨林(多くの場合途上国である)に生息する生物の遺伝子を製薬のために利用して利益を上げた場合、熱帯雨林を領土の一部とする国が一定のロイヤリティの支払いを求めるという話である。
 植民地時代の負の遺産を解消するために、名古屋議定書ができたと言っていい。名古屋議定書で問題となるのは、生物多様性を利用して得られる金銭的利益の側面だが、CBDの使命としてもっと重要なのが生物多様性の保全である。

愛知目標と海洋保護区の設定

 生物多様性の保全に関しては、2010年に開催されたCOP10で愛知目標が採択された。愛知目標は、2020年を達成期限とした国際的な目標であった。その中で海洋関連で特筆すべきなのが、生物多様性保全のために、管轄海域の10%を海洋保護区に指定して管理すると決定したことである。
 我が国もEEZを含めて、その10%を海洋保護区に指定して管理することになった。日本の国土は約37万㎢で、EEZを含めた海域は、約442万㎢ある。国土の約11、12倍の海を管轄している。領海だけならば大きな負担ではないが、より広い海域を海洋保護区に指定しないといけないことになる。環境省は海洋保護区指定に奔走した。
 海洋保護区の指定にあたり、我が国では、そもそも海洋保護区の定義が定められていなかったが、2011年3月に次のように定められた。「海洋保護区とは、海洋生態系の健全な構造と機能を支える生物多様性の保全および生態系サービスの持続可能な利用を目的として、利用形態を考慮し、法律又はその他の効果的な手法により管理される明確に特定された区域である。」
 この海洋保護区の定義は、日本的海洋保護区の定義と言われている。海外では、人が立ち入らないあるいは何もしない海域を海洋保護区にすることが多いが、日本はそうではないからだ。日本では、海洋を利用しながら、生態系サービスを享受しながらも、生物多様性を保全できるという仕組みを考えている。
 海洋保護区の定義は定められたが、次にどこを海洋保護区にするかを決めなければならない。COP10では、海洋保護区の策定に関するガイドラインが決定され、生物多様性の保全上重要な海域(Ecologically or Biologically Significant marine Areas: EBSA)を選定することが前提条件となった。海洋保護区を指定すれば管理しなければならない。管理ができるか否かはさておき、その前にその海域が生物多様性保全の観点から価値がある海域か否かを評価しなければならない。その際は社会経済的な側面は排除した上で評価する必要がある。
 2015年、わが国のEEZ内の生物多様性の保全上重要な海域(EBSA)が選定され、公表された。そしてこのEBSAの中から海洋保護区を決めることになった。その際に、沿岸域のEBSAは、すでにほとんどが海洋保護区となっていたため、愛知目標達成ためには、沖合域に海洋保護区を指定する必要が出てきた。ここで言う沿岸域は、水深が200m以浅のいわゆる大陸棚と言われる海域で、漁業などの人間活動が活発な場所である。
 わが国には、領海より外側に海洋保護区を指定する法規定がなかった。それで、重要海域のうち、沖合域を海洋保護区に指定することを可能とする「沖合域における海洋保護区の設定のための自然環境保全法改正法」が2020年4月に成立した。これに基づいて、2020年12月に小笠原海溝周辺海域等の本州南側海域が新たに海洋保護区に指定された。その結果、海洋保護区が管轄海域の10.3%になり、わが国はぎりぎりで期限内に愛知目標を達成することができた。

海洋生態系の危機は世界の共通認識

 世界経済フォーラム(いわゆるダボス会議)は2014年と2018年に海洋に次の5つの危機が迫っているとするレポートを発表した。1. 魚介類の乱獲、2. 沿岸環境の汚染、3. 生息地の破壊、4. 地球温暖化、5. 海洋酸性化である。2.の沿岸環境の汚染としては、プラスチックごみの問題がある。3.の生息地の破壊には、様々なものがあるが、例えばダイナマイト漁業は生息地の破壊につながる。また、埋め立てや干拓は、広大な干潟を陸地にかえてしまうので、生息地の破壊につながる。4.の地球温暖化は明らかに進んでいる。この影響は海域にも及んでいて、海洋生物の多様性が損なわれている。5.の海洋酸性化とは、大気中の二酸化炭素が海水に溶け込むと、海水のpHが下がる現象である。海洋が酸性化すると、貝類や甲殻類など殻をもつ生物は大きな生態上の負の影響を受ける。
 さらに最近では、従来比較的影響を受けにくいとされていた魚類にも海洋酸性化の影響があることがわかって来た。「ファインディング・ニモ」という映画で有名になったクマノミという魚類は、イソギンチャクの中に隠れる性質をもち、捕食者が来ると、その中に逃げ込むのだが、海洋酸性化が進んだ海水で育った稚魚は、捕食者が来ると、逆に捕食者に向かって泳ぎだしてしまう。稚魚の脳の発育に海洋酸性化が悪影響をもたらしているらしい。このように海洋酸性化は非常に大きな問題である。先進国では、地球温暖化と海洋酸性化が海洋生態系を劣化させているという認識が定着している。その結果として、海洋の生物多様性もどんどん失われているという共通認識がある。
 G7が海洋環境の危機を最初に取り上げたのは、2015年にドイツで開かれたG7科学技術大臣会合の時である。緊急の課題として「海洋の保護」に言及し、プラスチックごみ急増による人の健康への影響について国際的に協力していくことなどがコミュニケに盛り込まれた。
 7年後の2022年に再びドイツで開かれたG7科学技術大臣会合で、再び海洋の問題が取り上げられた。翌2023年日本で開催されたG7科学技術大臣会合でも、海洋の問題が取り上げられた。2021年には、議長国であった英国が、今後G7は、海洋保全に取り組むという力強いメッセージを発信した。

 現在、世界中がSDGsをキーワードに動いているが、SDGsの目標14は「海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する」と定められている。
 目標14の内容を細かく見ていくと下記のようになっている。

14.1 海洋ゴミなどの海洋汚染を防止・削減(2025年)
14.2 海洋及び沿岸の生態系の回復(2020年)
14.3 海洋酸性化の影響を最小限化
14.4 過剰漁業やIUU※漁業の撲滅(2020年)
14.5 沿岸域及び海域の10%を保全(2020年)
14.6 過剰漁業やIUU漁業につながる漁業補助金を禁止(2020年)
14.7 SIDS・LDCs※の海洋資源利用による経済的便益の増大(2030年)
14.a 科学的知識の増進、研究能力の向上、海洋技術の移転
14.b 小規模・沿岸漁業者に対し、海洋資源・市場へのアクセスを提供
14.c 国際法の施行による海洋とその資源の保全と持続可能な利用

 SDGsは2030年までの目標なのだが、目標14を細かく見ていくと、2020年までに達成する目標が多いことがわかる。海洋環境に関しては、2030年まででは間に合わないという危機感がある。プラスチックごみの問題は、14.1「海洋ゴミなどの海洋汚染を防止・削減」に含まれるが、2025年までに目標を達成することになっている。
 2019年6月に開催されたG20大阪サミットにおいて、日本は2050年までに海洋プラスチックごみによる追加的な汚染をゼロにまで削減することを目指す「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」を提案し、首脳間で共有された。期限が2050年までとなっていたが、SDGs目標14.1が2025年までとなっていること、この問題の緊急性が大変高いことなどのため、2030年までに期限が前倒しされた。

3. BBNJ新協定の意義

生物多様性条約(CBD)とBBNJ新協定—特にMGRとの関係—

 海洋環境の危機に関しては、世界的な共通認識がある。しかし、UNCLOSでは「公海自由の原則」が定められており、公海においては何も管理しないことが基本である。生物多様性条約は、国家管轄権のある海域だけが管理の対象なので、公海は対象となっていない。したがって、公海は、誰も生物多様性の保全はしないというのが国連全体としての枠組みであった。公海、つまり国家管轄権外の海域がわずかであれば大きな問題はないが、実際には、公海の面積は、各国の排他的経済水域を合わせた面積とほぼ同じである。それだけ広大な海域の生物多様性の保全をしないのは、妥当ではないというのがBBNJ新協定交渉の発端としてある。

 一方で、広大な公海を管理することの必要性とそれにかかる労力やコストを比較考量して、また技術的な問題も考慮すると、管理しなくても良いのではという議論も当然ある。そのため、多くの国連加盟国に参画してもらうためには、何らかの仕掛けが必要である。それが、先述した公海及び深海底の海洋遺伝資源(Marine Genetic Resource: MGR)から得られる利益の衡平な配分である。
 生物多様性条約(CBD)には、生物多様性から生じる便益の衡平な配分が規定されている。すなわち、EEZについては、生物資源から生じる便益について、沿岸国と利用国との間で、ABSの枠組みが適用される。また、PICとMATとを交わすことにより、便益の一部を配分する。しかし、ABNJでは、沿岸国がないので、その生物多様性から生じる便益をどう取り扱うか、ルールが決まっていない。
 例えばある製薬会社が、ある国のEEZに生息する生物の遺伝資源を自国に持ち帰り、ある病気に効く薬を開発したという事例を考えてみよう。その製薬会社は、ABSに基づいて、その生物が生息していた国にロイヤリティを支払わなければならない。一方、海は連続しているので、その生物は、EEZの外にも、生息している蓋然性は非常に高い。したがって、仮にABNJから採取したサンプルに対して、便益の配分というルールが何も定められていなければ、製薬会社はABNJからサンプルを採取して、薬を開発してしまう。すると、沿岸国には自国のEEZにも同じ種が生息しているにもかかわらず経済的便益は得られない。それでは特に発展途上国にとっては衡平ではない。そのような問題を解決するために、次のような見解が提案された。ABNJにいる生物の遺伝資源も海底鉱物資源と同様に、独占的権利を認める人類共通の財産(CHM)の特例と見做し、そこから生じる便益は締約国に衡平に配分すべきであるという見解である。
 しかし、BBNJ協定は海洋法条約(UNCLOS)の実施協定であり、海洋法条約(UNCLOS)で人類共通の財産(CHM)の中で、独占的な権利を得ることができるのは海底鉱物資源に限ると明確に定められている。日本は、海洋法条約(UNCLOS)のこの規定を根拠に、ABNJに存在する海洋遺伝資源を所有権を主張できる人類共通の財産(CHM)であると見做すことに難色を示した。しかし、最終的にBBNJ新協定では、ABNJに存在するMGRは、海底鉱物資源ではないが、海底鉱物資源と同様の扱いが可能な人類共通の財産(CHM)であると定められた。BBNJ新協定の文案作りでは、このMGRから得られる便益をどのように各国に配分するかが一番議論が難航した部分だ。
 ある企業が他国の領海又はEEZに生息する生物を利用して、薬の開発をする場合、生物多様性条約(CBD)が適用され、利用するものは提供国からその生物を持ち出してよいという同意(Prior Informed Consent: PIC)を得なければならない。また、生物を持ち出して何らかの利益が生じた時には、これだけの配分をするという相互合意事項(Mutual Agreement Terms: MAT)を締結しなければならない。そのような前提の上で、利用者は提供国から生物資源を享受し、利益が生じたら、MATに基づいて利益を配分する仕組みになっている。これと同様な仕組みを公海にも作りたいが、そこには提供国がない。にもかかわらず、事前情報に基づく同意とMATを作成する仕組みを作るべきというのが途上国の主張である。しかし、公海は国家管轄権外だから、そもそもPICやMATを締結する権限が誰にあるのか不明である。

 最終的に、BBNJでは、生物多様性条約(CBD)が定めていた利益配分の規定と比較して相当緩やかなルールが決められた。詳細は後述する。
 2023年6月19日にBBNJ新協定の文書が正式に採択された時、海洋遺伝資源については、当分の間利益が出ないため、利益が出るまで先進国は途上国に向けて拠出金を出すことになった。
 仮に公海の遺伝資源由来の便益に対して、ロイヤリティを支払わなければならないとなると、今度は逆で、開発者は同様の種類の生物資源がABNJでなくてもEEZにも存在する蓋然性が高いので、アクセスが容易なEEZばかりで事業を行い、公海のサンプルは使わなくなる可能性が高い。
 それでは途上国は、経済的に潤わなくなるので、基金を作って拠出金を出してほしいと主張した。EUはBBNJ協定を早期に採択したいために、途上国側の要望を呑んだ形となった。先進国は、実際の利益が出るまでの間は、先進国が負担する拠出金の50%を上限に、特別基金に金銭を拠出することで途上国との間で合意した。実際の利益が出た時の分担については、COPで改めて議論して決めることになった。
 海洋保護区に関して、BBNJ新協定には次のように定められている。「海洋保護区を含む区域型管理ツール等の措置:海域を特定し、その中で海洋生物多様性の保全と持続可能な利用のために必要な措置をとる「区域型管理ツール」の公海及び深海底への導入。既存の国際的枠組みを損なうものではなく、また、実施困難な場合には選択的離脱が可能である。」
 ABNJにおける海洋保護区には、大事なポイントが2つある。海洋保護区の設定に関して、他の国際機関が深海底の開発を行う際、誰も口を挟まないことを明示的に定めている。また、他の機関が漁業資源の管理を行う場合も、それに対して口を挟まないことと定めている。
 さらに、このような海洋保護区の設定にある国が合意できない場合に、その国は当該部分だけBBNJ協定の法的拘束力が適用されないよう申請できる。これをオプトアウトと言う。
 ABNJにおける環境影響評価に関しては、BBNJ以外の環境影響評価の枠組みとの整合性をきちんと図る必要がある。
 能力構築及び海洋技術移転に関しては、開発途上国が本条約を実施するために必要な能力構築や海洋技術の移転方法が明示的に定められた。本条約を実施するために必要な能力構築や海洋技術の移転がBBNJ協定に書かれているが、例えばマリンバイオテクノロジー、船舶工学、潜水艦などの軍事的な海洋技術、漁業に関する管理技術、統計等、様々なことが挙げられる。

国連海洋法条約と海洋科学—特にMSR申請—

 国連海洋法条約(UNCLOS)では、他国のEEZにおいて科学的海洋研究(Marine Scientific Research: MSR)を行うに際して、事前に許可申請をすることを義務付けている。また、この事前許可申請は、科学的海洋研究実施の6か月前に行う必要があり、海洋研究の重大な足かせとなっている。申請内容として、観測項目、日時、場所などを事前に詳細に記載する必要があるが、研究現場では予定通りに行かないことが多い。例えば観測を実施する予定の当日に、当該海域が台風などで悪天候の場合は、その観測をキャンセルする以外選択肢はない。
 一方、現地での観測を実現するまでには、国内の調整などを含めると、準備期間が3年〜5年かかる。仮に、観測がキャンセルになると、それまでの努力が全て水泡に帰してしまう。大学院生の研究にとってその観測が非常に重要である場合などでは、観測中止の影響は計り知れない。
 途上国側は当初、前述のMGRの採取に対してMSR申請と同様のことが必要であると主張した。なぜなら、ABNJで採取したものと同じ種がEEZでも採取できる場合、実際は、ABNJで採取したサンプルに基づいて薬が開発された場合でも、EEZで採取したと主張して、BBNJの要求する便益の一部の提供を逃れることができるかもしれない。そのため、トレーサビリティの必要性が主張されたのである。
 MSR申請が必要な場合、最も早くても6か月後にしか海洋科学研究は実現しない。すると、公海に展開しているブイが壊れたので修理に行きたい場合、修理に行けるのは6か月後になる。観測ブイの中には津波の警報に使われるような、発展途上国にとっても重要なものがあるが、そのようなブイが壊れた場合でも、6か月間放置しなければならない。このような問題点を丁寧に説明した結果、BBNJでは、研究航海の実施については申請ではなく通報でよく、またその時期は「6か月前またはできるだけ早く」という言葉になった。極端なことを言えば1秒前でも良いということである。通報の先は今後設立される「情報交換の仕組み(Clearing House Mechanism: CHM)」となっている。
 「情報交換の仕組み(CHM)」は、通報があれば、通報に基づいてサンプルIDを付与する。生物資源のサンプルには付与されたIDが付いて回る。その後、実際に締約国がABNJにおいて生物資源のサンプル採取した場合、締約国は生物資源のサンプルの保管場所を事後通報する。ある国またはある企業がABNJで秘密裏に生物資源のサンプル採取することは不可能ではないが、そのサンプルにはBBNJのIDがないので、その後の活動には必ず不都合が生じるだろう。
 さらに、生物資源のサンプル採取後、利益が出た時も、締約国は利益が出たという情報を得た時に通報することになる。締約国は、利益が出ているにも関わらず、利益が出た情報を入手できなければ通報しなくても良いことになる。利益が出ているにも関わらず、利益が出たことを通報しない締約国に対して何ら罰則規定はない。それではザル法になってしまう。しかし、その代わり途上国は、利益が出るまでの期間、拠出金50%の分担金を受け取ることができるようになった。
 将来、利益が出た場合には、50%の分担金は受け取れない。分担金の付与は利益が出るまでの間という約束だからである。利益が出た場合の分担金をどうするかについては、今後開かれる第1回の締約国会議(COP)で決めることになる。
 海洋科学者としては、MGRの採取に関わる手続きが「サンプリングの6か月前またはできるだけ早く」「通報」と定められ、ほっと胸を撫でおろしている。ABNJにおける研究船の活動はほぼ従来通りに行うことができるだろう。
 さらにMGRに関して重要なポイントがある。MGRに関する枠組みはABSとほぼ同様なのだが、EEZで他国からサンプルを採取する際は、その国と個別交渉をしなければならない。国によって対応が異なる。一方ABNJに関しては、対応が一本化されるので、個別にPICやMATを取り交わす必要がない。研究者としてはMGR研究をEEZの外側、つまり公海で実施する方が簡便であるということになるだろう。またABNJ由来の生物試料には世界共通のIDが付与されるので、世界共通のID付与がきちんと機能すれば、今後の国際的な海洋科学研究には大きなメリットとなる。
 生物多様性に関する「愛知目標」を引き継ぐ、新たな世界目標である「昆明・モントリオール生物多様性枠組(Kunming-Montreal Global Biodiversity Framework: KMGBF)」が、2022年12月、生物多様性条約第15回締約国会議(CBD COP15)で採択された。「昆明・モントリオール生物多様性枠組」の第1目標として、2030年までに世界の陸と海の30%を保全する「30by30」目標が定められた。具体的には、2030年までに海域の30%を海洋保護区または同等の管理機能を有する区域にすることが求められている。愛知目標では管轄海域の10%を海洋保護区にすることが定められたが、それが一歩進められたことになる。
 ABNJにおいても、30by30に倣って、30%を海洋保護区にする仕組みができたと言えなくもない。その結果、例えば、サンマは現在乱獲が懸念されているが、その状況が改善されるかもしれない。
 環境影響評価に関しては、ある国またはある企業が、沿岸国のEEZで何らかの活動を行う時、それがABNJにインパクトを与える恐れがあるかどうかを、沿岸国が評価しなければならなくなった。以前は、EEZとABNJの境界付近で何らかの活動をするときに、汚染物質はABNJに流してしまうという悪質なこともできたが、今後はできなくなる。これはABNJの環境保全に資するだろう。

4. BBNJ新協定の今後の課題

 新協定の発効後1年以内に開催されるCOP1で決めなければならないことは、ロイヤリティや以下の主だったものを含めて多数ある。
 まず「Science and Technical Body: STB」という科学者の組織ができる。国連の組織では、必ず地域バランスを取って、5つの国連地域(アフリカ・南米・アジア・東欧・その他(西欧・北米・オセアニアなど))からそれぞれ同じ数が参加するのが、基本的な考え方であるが、役割を果たすことができる人材(科学者)を各地域で確保できるかは不明である。
 BBNJ協定の事務局がどこに設置されるのかも重要な議題となるに違いない。どこに設置されるかは、今後のBBNJ協定の実施に多大な影響を及ぼすだろう。
 そもそもBBNI新協定が60か国が批准して発効するのはいつになるのだろうか。SDGsは2030年または2025年までの目標を設定して動いているので、BBNJ協定の発効が大幅に遅れることは避けなければならない。
 現在署名した国が90か国ある。批准した国は3つしかない。ベリーズとチリとパラオである。
 BBNJ協定により、昆明モントリオール枠組みにおける30by30と同様のものを公海にも作る枠組みができたことになる。私個人は海底の鉱物資源開発との兼ね合いで懸念することがある。東太平洋の深海、クラリオン断層帯とクリッパートン断層帯に囲まれたクラリオン・クリッパートン海域というのがある(図8)。この海域には膨大な量のマンガン団塊と呼ばれる鉱物資源があるとされている。その開発の管理運営を行うのは「国際海底機構(International Seabed Authority, ISA)」である。しかし、この開発は妥当ではないと主張する国がある。BBNJ新協定が定める「環境影響評価(環境アセスメント: Environmental Impact Assessment: EIA)」からすれば、国際海底機構が行う海底鉱物資源の開発は、BBNJとの間で何らかの調整が必須である。一方既存の枠組みを毀損しないという原則もはっきりしている。両者の関係が今後どのようになるかは不透明である。
 海洋では環境保全だけでなく、利用も考えることが、今後の人類全体の持続可能性を考えたときに必要不可欠である。例えば、人類が摂取するタンパク質の2割弱が海洋起源である。したがって、海洋の環境保全は非常に重要だが、共に持続可能な利用も行わないと、社会の今後の発展は難しい。
 残念ながら、海洋の科学的な知見は、Aを行えばBになると確実に言える段階にない。Bではなく、B′とB″の間のどこかになることしか現在は言えない。そのような状況で、このBBNJ新協定で物事のルールをどう考えるかは非常に重要だ。もちろん駄目なものは駄目だが、順応的管理が重要だ。順応的管理とは、自然の不確実性により当初の計画では想定していなかった事態に陥ることを予め考慮するとともに、事業の実施後も自然の環境変動や社会的背景の変化に対応し、必要であれば計画の修正を検討することである。事業を行いながら考えるということだ。進む方向が適当でないと認識したら、方向転換する。進む方向が適当か否かはモニタリングしてきちんと理解することが必要だ。
 しかし、モニタリングには、莫大な資金が必要だ。JAMSTECで新しく北極域まで巡航可能な砕氷船「みらいII」(2026年11月完成予定)が就航するが、これまで就航していた「みらい」は、総トン数8,687トンで世界最大級の海洋地球研究船であるがその運用コストは1日でおよそ800万円だ。JAMSTECが所有する地球深部探査船「Chikyu」はさらに高額で、1日約4000万円かかる。1時間あたり200万円弱の計算だ。費用をなるべく抑えて適切な環境モニタリングを行うための技術開発が求められる。
 今日お話したことに関連して、BBNJに関する詳しいことは、図9のウェブサイトを見ていただきたい。様々な情報が掲載されている。特に重要なコンテンツはYouTube動画だ。UNCLOS条約交渉に関わった交渉官が1項目につき約1時間で詳細に内容を説明してくれる。5時間で全項目を学べるので、ぜひご参照ください。

(本稿は、2024年5月10日に開催したICUS懇談会における発題を整理してまとめたものである。)

 

 国家管轄権外区域には、公海と深海底が含まれるが、以後、便宜的に、国家管轄権外区域(公海)とする。

政策オピニオン
白山 義久 京都大学名誉教授、海洋研究開発機構科学アドバイザー
著者プロフィール
昭和30年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科動物学専攻博士課程修了。理学博士。日本学術振興会奨励研究員、東京大学海洋研究所助手・助教授、京都大学理学部教授、京都大学フィールド科学教育研究センター長、海洋研究開発機構理事、同特任参事を経て、現在、京都大学名誉教授、海洋研究開発機構科学アドバイザー。特に小型底生生物(メイオベントス)の生態学、線形・動吻・胴甲動物の系統分類学、深海生物の保全生物学などの研究を主に進めてきた。近年は、海洋酸性化の生物影響などの研究も行っている。海洋生物センサス(CoML)プロジェクトでは、科学推進委員会の委員を務めた。2018年まで生物多様性及び生態系サービスに関する政府間プラットフォーム(IPBES)において、多様な領域の専門家からなるパネル(MEP)のメンバーでもあった。専門は海洋生物学。
2023年6月に採択されたBBNJ新協定は、準備委員会4回と政府間会合5回を経てようやく合意に至った。海洋科学者が新協定に関わった理由を含めて、その意義と課題を述べたい。

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