はじめに
無差別なテロや残虐な方法で人々を殺戮し、世界中を恐怖に陥れたイスラム過激派勢力だが、2011年にはアルカイダの首謀者ウサマ・ビン・ラディンが米軍特殊部隊によって殺害され、2019年にはイスラム国(IS)に対する掃討作戦の終結も宣言された。一方、中国の脅威の増大やロシアのウクライナ侵略、さらに中東ガザでの紛争に世界の耳目が集中するようになり、イスラム過激派の動きに注意が払われなくなっている。
しかし、その脅威がなくなったわけでは決してない。一時、力を無くしたかに見られていたイスラム国などイスラム過激派勢力が、近年再び影響力を拡大させつつあるのだ。今年8月、テロ攻撃の計画が確認されたとして、オーストリアのウィーンで予定されていた米人気歌手テイラー・スウィフトさんのコンサートが中止に追い込まれた。逮捕された二人のオーストリア人容疑者は過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓っており、自宅からは化学物質が見つかっている。
なぜイスラム過激派は力を取り戻したのか、その原因や背景、現状、そして再来するテロの脅威にどのように対処すべきかを考える。まずイスラム過激派勢力が生まれた経緯とその思想的特徴、そしてアルカイダを経て最も恐れられたイスラム国が誕生するまでの経緯を眺めてみたい。
1.イスラム原理主義と過激派勢力の台頭
東西の冷戦が西側の勝利で終わろうとしていた1980年代後半、ソ連など社会主義勢力に代わる次の脅威として経済大国の名を馳せていた日本がその候補に挙がりかけていた。だが、バブルの崩壊で日本が落ち逝き、それに替わり新たな世界の脅威として強く警戒されるようになったのが、国際テロを繰り返すイスラム過激派勢力であった。敬虔なイスラム教徒であると同時に大量殺戮を重ねるイスラム過激派勢力の精神的思想的な基盤であり、行動の原理ともなっているのがイスラム原理主義である。
中世から近世初頭まで、中東のイスラム世界はキリスト教世界よりも遥かに進んだ文明を誇っていた。だがイスラム世界のキリスト教世界に対する優越も18世紀には逆転し、西欧諸国の植民地拡大政策によってオスマントルコは圧迫を受けるようになった。異教徒であるヨーロッパ人の攻勢に対抗する手段として、イスラム世界には二つの動きが生まれた。
一つは、オスマントルコの崩壊後、トルコ共和国のムスタファ・ケマル・アタチュルクが進めた西欧化路線であった。いま一つは、それとは対照的に、イスラム教本来の教えに立ち戻り、イスラムの教えに忠実な社会や国家運営を復活させることでイスラム世界の再生をめざすものであった(イスラム復興運動)。イスラム復興運動は18世紀、聖地メッカを擁するアラビア半島でムハンマド・ブン・アブドゥル・ワッハブによって主導された。ワッハブのイスラム復興運動はイスラム世界を純化し、一つに纏め上げてキリスト教諸国の侵略に対抗する運動である。一時オスマントルコに弾圧されたが、19世紀に入るとワッハブの弟子の子孫アブドル・アジズがアラビア半島で勢力を拡張し、サウジアラビアを建国する。オスマントルコからの独立後、英国の植民地になったエジプトでは、イスラム復興運動は反英・反植民地運動となり、イスラム同胞団が結成された(1928年)。
第2次世界大戦後、中東のイスラム世界では反イスラエル・反米闘争が展開された。パレスチナに帰還したユダヤ人がアメリカの支援を受けつつ、イスラム教徒であるアラブ民族(パレスチナ人)の犠牲の上にイスラエルを建国したと考えるからである。アラブ諸国はアラブナショナリズムを発揮、イスラエルと交戦を重ねるが(中東戦争)、イスラエルに勝利することはできなかった。しかも第3次中東戦争で石油戦略を発動させた結果、アラブ世界の階層化(産油国の富裕化と非産油国の貧困)を招き、さらにサウジアラビアなど富裕国の親米化も進んだ(アラブ民族主義の敗北)。
このような絶望的状況の中で、イスラム法(シャリーア)や聖典に基づいた国家、社会の建設を目指す先鋭的攻撃的色彩の強いイスラム原理主義の思想や政治運動が頭をもたげてくる。1960年代、エジプトの「ムスリム同胞団」の理論家であったサイイド・クトゥブは、世俗化・西洋化し腐敗堕落した“自称イスラム教徒たる”統治者や無神論に立つ共産主義国家の不正抑圧に対し、イスラム世界は武力(暴力)を用いてもジハード(聖戦)によって真のイスラム国家の建設を目指さなければならない、ジハードこそ新しいイスラム秩序を構築する方法であり、ジハードは真のムスリムの義務であるとするジハード論を説いた。
彼の影響を受け、エジプトでは60〜70年代にかけてジハード団やイスラム集団等の過激派組織が結成された。エジプト国軍の青年将校らによるサダト大統領暗殺事件(1981年)もクトゥブのジハード論に刺激されたものだ。クトゥブの思想は後にウサマ・ビン・ラディンにも強い影響を与えることになる。イスラム原理主義はイスラム親米政権に対する民衆の反政府・反欧米運動を主導し、強大な力を持つ世俗政権を倒し世界を驚愕させた。それが、イランにおけるホメイニ革命であった(1979年)。
ジハード論と並んで、目指すべきイスラム国家の目標として7世紀のイスラム草創期のイスラム共同体(正統カリフ時代)を範とし、それに回帰すべきとするイスラムスンニ派の復古主義的思想(サラフィ主義)もイスラム原理主義において力を得るようになる。かくて初期イスラム世界への回帰を説くサラフィ主義と、暴力の行使をジハードとして重視するジハード論が結合して、サラフィ・ジハード主義が形成される。このサラフィ・ジハード主義を信奉するイスラム過激派勢力が冷戦後の世界を大きく揺るがすことになった。
2.アルカイダと9.11事件・対テロ戦争
イスラム原理主義に拠る危険勢力としてまず注目を集めたのが、ウサマ・ビン・ラディンが立ち上げ、指揮を執っていた国際テロ集団のアルカイダである。特に2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロ事件を契機に、ブッシュジュニア政権は対テロ戦争を宣言し、同盟国のみならずロシアなどの協力も得て世界的な規模でアルカイダの殲滅に乗り出した。2011年11月、オバマ政権はパキスタンに潜伏していたウサマ・ビン・ラディンの殺害に成功、以後、アルカイダの勢力は下火になるが、それにとってかわるように急速に台頭し始めたのが、アルカイダの分派として生まれたイスラム国(IS)である。一般市民を拘束し次々と斬首するイスラム国の残酷な行動スタイルは世界を戦慄させた。2015年11月には、フランスのパリ及びその近郊でコンサートホールなどを相次いで襲撃し130人が死亡した。またこの年には日本人のフリージャーナリスト後藤健二さんと湯川遥菜さんの2人が拘束されたうえ殺害されている。
3.イスラム国:その出現と跳梁、衰退
イスラム国の起原
イスラム国は、2011年にオバマ政権がイラクから米軍の実戦部隊を完全撤収させたことで生じた力の空白を突いて勢力を拡大させたイスラム過激派勢力である。つまりイスラム国は、オバマ政権が育てた鬼子といえる。それがアラブの春の混迷でさらに力を増していった。ここでは、イスラム国が勢力を拡大させた経緯と現状を概観する。
2003年のイラク戦争終結後、米占領軍に対するテロがイラク国内で頻発した。その中心勢力が、ヨルダン出身のアル・ムサブ・ザルカウィが率いるイスラム過激派組織「タウヒードジハード団」(スンニ派)であった。ザルカウィは80〜90年代にアフガニスタンに渡り、ビンラディンの組織するアルカイダとも関係を深めていた。そして9.11事件後の04年10月、組織名を「イラクの(聖戦)アルカイダ」(二大河の国のアルカイダ)(AQI)に改める。イラクで日本人旅行者を拉致、処刑したのもこのイラクアルカイダである。06年6月、米軍の爆撃でザルカウィは殺害されるが、彼が組織したイラクムジャヒディン諮問評議会傘下の諸組織が合体し、同年10月に「イラク・イスラム国」(ISI)を結成する。ISIの指導者にはイラク人のアブ・アブドラ・ラシード・バグダディ(アブ・オマル・アル・バグダディ)が就任する。
ISIは06年から翌07年にかけて、イラク国内での対米テロや対シーア派テロで中心的な役割を果たし、07年には数千人の兵力に拡大する。しかし、イラク国内でのテロがあまりに暴虐的なため、地元スンニ派部族勢力と対立するようになった。米軍もそれまでの方針を転換し、スンニ派部族勢力の懐柔に乗り出す。過激なテロ組織に対抗して地元スンニ派部族が2005年に創設した「覚醒評議会」に資金や武器を供与するようになったのだ。米軍の支援を得た覚醒評議会は、ISI等過激派の追放に動き、08年にはスンニ派三角地帯と呼ばれる主要都市部から追い出すことに成功した。
スンニ過激派による対米テロや対シーア派テロも激減し、04年から07年当時最悪の状態に陥っていたイラクの治安も08年には劇的に改善した。ISIは大きな打撃を蒙り、構成員も09年には千人以下に激減する。2010年に最高指導者アブ・アブドラ・ラシード・バグダディが死去し、その後をアブ・バクル・バグダディが引き継いだ(図表1参照)。
シリア内戦と米軍のイラク撤退で増殖
イラクで力を落としたISIはシリアに活動拠点を移し、内戦に参入する。国外からのアクセスが容易なトルコ国境に近いシリア北部を拠点とし、多数の外国人義勇兵獲得に成功したISIは現地の様々なイスラム過激派勢力を配下に治め、シリアの北部から東部に広い支配地域を獲得、2013年4月には(ヌスラ戦線の一部を統合して)「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)と名称を変更、イラクとシリアの両国に跨がる“国家”を自称する。「シャーム」とは、シリアとその周辺地域(ヨルダン、レバノン、パレスチナ)の昔からの呼称。シャームの訳し方によって、「イラクシリアイスラム国」、あるいは「イラクレバントイスラム国」(ISIL)とも呼ばれるようになる。
ISIS(ISIL)はアサド政権の打倒よりも支配地域の拡大(イスラム国の建設)を優先させ、シリア政府軍のみならず自由シリア軍などの反政府イスラム勢力とも戦うため、アサド政権は敢えてイスラム国への攻撃を手控え、自由シリア軍など反政府勢力に攻撃を集中させた。そのためISISはアサド政権の攻撃で撤退した反政府軍の地域を支配下に収めていった。
一方、イラクでは11年12月に米運が撤退を完了。シーア派主体のマリキ政権は、米軍なき後、スンニ派への弾圧を強めた。イラク国内スンニ派のシーア派への反発の高まりを見たISISは、2013年暮れ頃よりイラク西部に戻り、政府に不満を持つスンニ派主要部族との関係を復活させた。旧フセイン政権バース党の関係者もイスラム国に参入した。2014年1月、ISISはバグダッド西方アンバル県などで一斉攻勢に出てイラク政府軍を打ち破り、ラマディやファルージャを制圧、3月にはサマラを、さらに6月の大攻勢では北部にあるイラク第二の都市モスルを制圧し、バグダッド近郊に迫る勢いを見せた。宗派対立を利用しイラク国内でも勢力を伸ばしたイスラム国はイラク政府軍の近代武器を略奪し、さらに戦力を高めた。
シリアで獲得したイスラム戦闘員と、イラクで得た大量の近代武器を背景に、シリア、イラク両国で支配地域を広げたISISは14年6月29日、カリフ制イスラム国家の樹立を宣言し、組織名を「イスラム国」(IS)と改称した。自らの支配領域(国)をシリアとイラクに限らずさらに拡大させ、広大なイスラム国家を建設する意思を表したものである(図表2参照)。日本政府や国連、米国などは国家としての承認を拒否しており、現在もISILの表記を用いているが、本稿では便宜上、『イスラム国』(IS)と表記することにする。
イスラム国は、オスマントルコとともに消滅したカリフ制度の復活を唱え、自らをカリフ制国家と主張、最高指導者のアブ・バクル・バグダディ自身がカリフ就任を宣言した。カリフとは、イスラム教の教祖である預言者ムハンマドの後継者のことで、統一されたイスラム共同体のトップを意味する。カリフを名乗ったということは、イスラム法の理念からは、イラク、シリア両国の領域だけでなく、全世界のイスラム教徒の最高政治指導者としての地位を主張したということだ。ジハード主義のグローバル化とも言える。イスラム国は、サイクスピコ協定(1916年に英仏露が結んだオスマントルコの領土分割密約)に基づいて決められたシリア、イラクの国境線を否定している。ウェストファリア体制下の国境概念を認めず、西欧諸国が分割して作り上げた現在の中東国家の枠組みを否定し、イスラム社会はそれを超越して統一すべきと考えているためだ。
イスラム国の特徴
ともにスンニ派の過激派組織だが、アルカイダとイスラム国の決定的な違いは、アルカイダが欧米、特にアメリカに対しジハードを行ない、その結果としてイスラムの復興を果たそうとしているのに対し、イスラム国は組織の名前のとおり、カリフ制に基づく領域国家の建設を行なおうとしている点だ。アルカイダが分散型で非集権的なネットワーク構造で、関連組織の繋がりが緩やであるのに対し、イスラム国は行政機構を整備し、集権的な国作りを目指しており、独自の通貨も発行している。
イスラム国はイラクで攻勢をかけた際、イラク政府軍から多くの武器を鹵獲したが、シリアの反体制派過激派組織からも武器を購入した。欧米が自由シリア軍に供与した武器がイスラム国に流れた例も多い。「最も裕福なテロ組織」と呼ばれるように、イスラム国は他のテロ組織に比べて高い財力を誇った。
資金源は、銀行等からの略奪だ。モスル制圧の際、イラク中央銀行から5億ドル以上と評価される金及び外貨を強奪。2013年にラッカで略奪した金額は2億ドルに上る。制圧した町の住民からの略奪も頻繁に行われた。また税と称して市民から上納金を徴収(市民からの徴税)したり営利目的の誘拐、油田を制圧しての石油の密売、文化財の盗掘密売(古代文明の出土品美術品の闇取引)、海外からの送金(主にアラビア半島産油国からの寄付)等にも頼っていた。
イスラム国は最盛時3万人以上の戦闘員を擁し、シリア、イラク国籍を除く外国人戦闘員は約1万6千人。北アフリカを含む中東アラブ諸国が1万1千人で全体の約70%、欧米諸国が4200人。外国人戦闘員の国籍は80か国以上におよんだ(14年10月時点)。欧米諸国内でのホームグロウンテロ(欧米社会で生まれ育ったイスラム系移民の子弟がテロリスト化したもの)やローンウルフテロ(テロ組織と接触せず単独または少人数で独自にテロを実行)も増えている。
欧米移民ムスリムの第1世代には、移民先の国や社会に自分自身を合せ、慣れ親しもうとするメンタリティがあった。しかし、移民第2世代は生まれたときから西欧諸国の国民でありながら、白人の社会から受容れられず疎外感が生まれ易い。根深い人種差別や偏見もある。親の母国も知らず、国籍国の社会にもなじめず、アイデンティティクライシスに陥る若者の心の間隙を突いて、イスラム国はSNSやインターネットを駆使して戦闘員に取り込んでいくのだ(図表3参照)。
領域支配の終焉
これに対し米軍を中心とした有志連合が14年8月からイラク、9月からシリアで、15年には英仏やロシア、トルコなどもイスラム国に対する空爆を実施、またシリア政府軍やイラク治安部隊、さらにクルド人部隊ペシュメルガがイスラム国と地上戦闘を繰り広げた。イスラム国は重要な施設などを地下化し、トンネルで結ぶシステムを導入して被害の極限化を図るとともに、一般の民家や集落を取り込み市民を楯にして攻撃の封じ込めを図った(図表4参照)。また有志連合はイスラム国の原油密売ルートの遮断などその資金源を抑える作戦を実施、これがイスラム国掃討に効果を発揮した。SNSを活用するイスラム国の逆手をとり、SNSやインターネットで彼等の残虐性や宣伝の嘘を指摘し、洗脳工作を阻止する取り組みもイスラム国の活動を封じ込めるうえで有効な手段であった。
こうした取り組みが徐々に成果を上げ、イスラム国の伸長には歯止めがかかり、17年にはイラクの最大拠点モスル(1月)やイスラム国が首都としたラッカ(10月)が陥落し、急速に弱体化が進んだ。同年12月にはイラク政府がイスラム国掃討完了を宣言。19年3月にはシリア最後の拠点バグズも失い、米軍とクルド人武装組織はシリアでのイスラム国掃討作戦の終結を宣言。さらに10月にはシリア北西部に潜んでいた最高指導者バグダディが米軍特殊部隊の急襲を受け死亡した。
4.イスラム国の復活:脅威の拡散
かように米軍を中心とした掃討作戦によって、イスラム国の戦闘力は急速に低下、その支配地域も縮小し、その脅威は大きく減殺された。そして国際の秩序と平和を脅かす最大の脅威は、イスラム過激派によるテロから中露に北朝鮮、イランを加えた反欧米枢軸へと移り、世界の対立と紛争の構図はこれら権威主義勢力と米国を盟主とする自由主義諸国の覇権闘争を軸に展開するようになった。
しかし、イスラム国の脅威が完全に消滅したわけではなかった。2019年に掃討作戦の終結が宣言され、その脱脅威化が完了したはずのイスラム国だが、早くも翌2020年には再び活動を活発化させるようになった。イスラム国の復活を許したのは、米軍の撤収が早すぎたこと、コロナ禍による治安秩序の乱れ、それに宗教対立や生活苦などに起因する政府・政治に対する民衆の不満が根本的に解消されないままであることが原因といえる。さらに領域支配を断念したイスラム国は地下に潜り、イラクやシリアでの活動を継続すると同時に、アフガニスタンやアフリカ、東南アジアなどに拠点を分散、各地域のテロ組織を系列化し取り込むことによって(テロリストネットワーク)、攻撃の規模は小さくはなったが、テロの脅威は中東から地球規模へと拡散することになった(図表5参照)。
24年1月に発表された国連の報告書によると、イスラム国の戦闘員は3000〜5000人。3万人を超えていた最盛期の10分の1程度に減りはしたが、それでも軍兵士や住民を標的にした攻撃は後を絶たない。イラク、シリア両国では現在もイスラム国掃討の作戦が続き、イラクでは約100万人が避難生活を強いられている。アフガニスタンでも、イスラム国の一派「イスラム国ホラサン州」がテロ活動を活発化させており、またアフガニスタン国内だけでなく今年3月にはモスクワ郊外で140人以上が死亡する大規模テロの犯行声明を出している。さらにアフリカのサハラ砂漠周辺のサヘル地域などでもイスラム国に共鳴する系列の組織がテロ活動を繰り返し、アフリカの治安と秩序を混乱に陥れている。その現状を地域別に見ていこう。
5.イラク・シリアで継続するテロ活動
イラク
米国が主導して結成した連合軍が掃討戦を進め、2017年末にはイラク政府がイスラム国掃討完了を宣言したが、イスラム国は山岳地帯に逃れ、局地的なテロ攻撃に戦略を転換。米軍主導の有志国連合とイラク軍は残党の追跡を続けたが、20年4月から駐留米軍が部隊再編成を名目にイラク国内5カ所の基地から撤収し、残党の掃討が手薄になった。その隙を突き、5月にはイラク各地でイスラム国が治安部隊の拠点などを相次ぎ襲撃、さらに治安部隊が新型コロナウイルス対策に追われたことで山間部が手薄となりイスラム国が息を吹き返す一因となった。
21年1月にはシーア派を標的にした2件の自爆テロで32人以上が死亡、4月中旬にもバクダッドで爆弾テロが起き20人以上が死傷した。いずれもイスラム国が犯行声明を出した。さらに7月にはバグダッド北東部サドルシティーの市場で爆発があり、35人が死亡。サドルシティーはイラクで多数派のシーア派住民が多い地区で、同派を標的としたイスラム国のテロとみられている。また9月にはイラク北部キルクーク近郊で検問所を襲撃し、警察官ら少なくとも10人が死亡している。
米軍はイスラム国拠点への空爆など殲滅作戦を継続しているが、23年10月のガザ戦争生起を機にイラクでは反米感情が高まり、米軍の撤退を求める声が強まっている。イラク政府は24年1月、米軍撤収時期について米国と協議を開始したが、駐留米軍が撤退すれば、イスラム国が再び勢力を拡大させる恐れがある。イラクの軍事評論家アヤド・トファン氏は「米軍の支援がなければ、イラク政府がイスラム国を完全に排除することは不可能であり、早期の米軍撤収は大きな過ちとなる」と警告を発している。
シリア
シリアでも、20年末からイスラム国によるとみられる攻撃が激化している。反体制派の在英NGO「シリア人権監視団」(SOHR)などによると、デリゾール近郊で20年12月アサド政権軍の兵士らを乗せたバスが待ち伏せ攻撃を受け39人が死亡した。イスラム国が領土を失ってから最大規模の攻撃だった。22年1月にはシリア北東部ハサカでクルド勢力が管理する刑務所を襲撃、双方合わせて123人が死亡。翌月米軍特殊部隊がシリア北西部で対テロ作戦を実施し、イスラム国最高指導者のアブ・イブラヒム・ハシミが自爆して死亡した。そのためアブ・アル・ハッサン・アル・ハシミ・アル・クラシが新最高指導者に就任したが、その彼も自由シリア軍の作戦で同年11月に死亡した。だが相次ぐ指導者の喪失にも関わらず、イスラム国のテロや宣伝活動は衰えを見せていない。
内戦下のシリアでは政権軍とクルド人勢力、トルコが支援する反体制派や過激派組織が入り乱れ、治安の空白地帯が生まれやすい状況が続いている。それがイスラム国の活動を許す要因となっているのだ。その後、ロシア及び親イラン民兵の支援を受けてアサド政権が全土の3分の2を支配するようになり、内戦は下火に向かっている。だが深刻な経済難と国内多数派であるスンニ派住民の不満を利用し、イスラム国はいまも北東部の反政府勢力シリア民主軍の支配地域などで活動を活発化させている。民主軍の地域にはイスラム国関係者6万人を収容しているキャンプがあり、そこがイスラム国の人員集めや過激化教育の場になっている模様だ。
米フーバー研究所のコール・バンゼル氏によれば、イスラム国は21年にイラクで自爆テロ、襲撃、待ち伏せ、暗殺、拉致、破壊工作など月平均87件(死傷149人)、シリアで同時期31件(74人)の攻撃を実行している。また米中央軍の発表によれば、イラクとシリアで22年に米軍やイラクの部隊、シリア民兵組織がイスラム国に実施した作戦は計313回に上り686人を殺害し374人を拘束した。イスラム国は依然としてイラク及びシリアの治安当局の活動が及びにくい山間部、 砂漠地帯等に数千人規模の戦闘員を擁しておりクリラ米中央軍司令官は掃討作戦を続ける必要性を訴えている。
米シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ政策研究所(AEI)のキャサリン・ツィマーマン常任研究員は、この地域でイスラム国は壊滅しておらず、勝利宣言は早計であったと指摘する。米軍などが実施した掃討作戦が大きな効果を上げたことは確かにせよ、治安状況の悪さや不安定な政治体制、さらに宗派対立や弾圧、汚職、貧困、失業、コロナ禍など山積する問題は全てイスラム国復活に繋がる要因となる。政治や社会が安定し、国民の政権への不満が解決されない限り、イスラム国の脅威を完全に排除することは困難である。
さらに、イスラム国は最近イランでもテロ活動を展開している。24年1月、イランのケルマンで米軍のドローン攻撃で殺害されたイラン革命防衛隊のソレーマン司令官の追悼会が行われた際、イスラム国が自爆テロを敢行し300人以上の死傷者が発生。1979年のイラン・イスラム革命以来、最大の惨事となった。イスラム国はロシアとイランを敵視しており、ガザ紛争を契機にイスラエルとイランの対立が激しさを増す中、イスラム国がイラン攻撃を繰り返すことになれば、中東はさらに混迷の度を深めていく恐れがある。
6.過激派が復権するアフガニスタン
イスラム国ホラサン州(IS-K)の跳梁
もとの拠点であるイラクやシリアで勢力を減衰させたイスラム国は、アフガニスタンやアフリカ、東南アジアなど海外に活動の場を求めた。そして各地域のテロ組織を系列化し、それぞれをイスラム国の領土にあたる「州」と位置付けてテロ活動を活発化させている(図表6参照)。
その代表が、アフガニスタンに拠点を置く「イスラム国ホラサン州」(IS—K)である。「ホラサン」とはアフガンやイランの一部地域などを指す歴史的な呼称。イスラム国ホラサン州は世界に10以上あるIS系組織の一つで、2015年1月に設立を宣言、イスラム主義組織タリバンの元メンバーやパキスタンから逃れてきた同国の反政府勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」の構成員らがイスラム国に忠誠を誓い構成員となった。
その後、シリアやイラクから逃れたイスラム国構成員も加わり、最盛期には、アフガニスタン東部のナンガルハル州に支配地域を持ち、戦闘員は4千人程と言われた。ともにスンニ派であることから、反政府勢力のタリバンと連携して、主にアフガニスタンやパキスタンで活動していた。だがタリバンが2020年に米国と和平合意を結んだことを批判、さらに米軍が撤退しタリバンが政権を掌握するや、「イスラム国ホラサン州」の勢力拡大を警戒するようになったタリバンとは敵対関係になる。
米軍の撤退期限が迫る21年8月末、アフガニスタンの首都カブールにある国際空港付近で米軍兵士や市民ら70人以上が犠牲になる爆破テロ事件が起き、「イスラム国ホラサン州」が犯行声明を出した。22年にはカブールでシーク教寺院襲撃テロを実行した(6月)ほか、ロシア大使館付近で自爆テロを行っている(9月)。また北部・バルフ州、西部・ ヘラート州等各地でシーア派住民等を標的と したテロを繰り返した。さらに同年6月 パキスタンでも「イスラム国ホラサン州」は、北西部・ カイバル・パクトゥンクワ州のシーア派モス ク内で自爆テロを行っている。イスラム国ホラサン州はタリバンやイスラム教シーア派への攻撃を繰り返すだけでなく、敵視するロシアでもテロ活動に出ている。
23年6月に発表された国連の報告書は、21年8月にアフガンから米軍が撤収して以来、約20のテロ組織が勢力を拡大させ、戦闘能力の向上を続けていると警告。なかでもタリバンの対テロ作戦によって壊滅したと見られていたイスラム国ホラサン州がその後勢力を盛り返し、タリバンへの攻撃を激化させていると分析している。
タリバンの政権復帰とアルカイダの復権
イスラム国だけでなく、アフガニスタンではアルカイダも勢力を回復している。アルカイダは1988年、サウジアラビアの富豪の息子であるオサマ・ビンラディンを中心に結成された組織で、9.11事件後の米国による対テロ戦争では、タリバンの庇護を受けてきた。だが、ビンラディン死亡後、日本ではその名前が効かれることは少なくなった。確かにその活動も影響力も低下し、イスラム国の躍進もそれに追い打ちをかけた。
しかし2代目の指導者に就任したアイマン・アル・ザワヒリの下、アルカイダはアフガニスタンとパキスタンの国境地帯でタリバン、パキスタン・タリバン運動(TTP)等現地の武装勢力との関係を維持強化し、組織にとって不可欠な「セーフ・ヘイブン」(安全な逃避地)を確保しつつ活動及び 影響力の回復に取り組んだ。またライバルであるイスラム国の退潮を好機とし、アルカイダは各国に支部を置き、その存在感を再び誇示するようになった。
なかでも最も危険な存在とされるのがイエメンを拠点とする「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)で、2020年2月にトランプ政権はその最高指導者を殺害している。そのほかにもアルジェリアを拠点とする「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」、ソマリアのイスラム過激派組織「アルシャバブ」、イスラム過激派組織「シリア解放機構」(旧ヌスラ戦線などで構成)、「インド亜大陸のアルカイダ」などがよく知られる。またアルカイダはビンラディン容疑者の死後、特に欧米にいる同調者に対しローンウルフテロの実行を呼びかけている。
そうしたなか、2020年2月末、米国政府とアフガニスタンの反政府武装勢力タリバンの和平合意(ドーハ合意)が成立し、タリバンが国際テロ組織アルカイダとの関与を絶ち、アフガンをテロ攻撃の拠点としないことなどを条件に約1万3千人の駐留米軍を段階的に撤退させることになった。タリバンは表面的にはこれを了承したが、同年5月、国連が公開した報告書では、タリバンは引き続きアルカイダと協力関係にあり、アフガニスタンには数百人のアルカイダ戦闘員がおり、タリバン兵とともに軍事活動を続けている実態が明らかにされた。
2021年4月、米国は2001 年以降アフガニスタ ンに駐留させていた米軍を、同年9月11日までに 撤退させると発表し、5月から撤退を開始した。それに伴い2001年に政権を追われて以降、反政府武装活動を継続してきたタリバンが攻勢を強め、2021年8月中旬、首都カブールを制圧して20年ぶりに実権を掌握し、翌9月暫定内閣を発表した。
こうした展開のなか、タリバンの庇護下に遭ったアルカイダも力を回復させた。イスラエル防衛・安全保障フォーラム(IDSF)の研究員でテロ専門家のエラン・ラハブ氏は、現在アルカイダはタリバンと緊密な協力体制にあり、アルカイダの工作員はタリバン政権の一員として活動していると指摘する。
タリバンはアルカイダの指揮官や工作員に、武器、住居、パスポート、数十年かけて築いた大規模な麻薬密輸ネットワークへのアクセスなど必要なものを提供している。イエメン、リビア、ソマリア、パレスチナのテロリストが、タリバンが全面支援するアルカイダが運営する施設で軍事訓練を受けているとの情報もある。22年7月末、米軍のドローン攻撃でザワヒリが殺害され、バイデン大統領は「アフガニスタンが今後テロリストの安住の地になることはない」とザワヒリ殺害の意義を強調した。確かに後継者問題を巡り一時その活動が下火にはなったが、アルカイダの脅威が大きく低下してはおらず、またイスラム国と同様、アルカイダの脅威も中東やアフリカの関連組織に拡散しており、引き続き警戒が必要だ。
バイデン大統領は21年8月末、アフガニスタンからの米軍撤退完了についての演説の中で、無人機を用いて遠隔地からアフガニスタン等で活動するテロリストを監視及び攻撃する戦術(「オーバー・ザ・ホライズン」)で対テロ戦を継続していく方針を表明した。しかし、この作戦だけではテロの脅威を排除するには不十分であり、米軍無き現在、アフガニスタンを発生源とするテロの脅威が増大拡散する恐れも高まっている(図表7参照)。
7.アフリカ
イスラム過激派は世界各地で勢力を伸ばしているが、特に進出が顕著で深刻な状況を呈しているのがアフリカだ。米国防総省が管轄するアフリカ戦略研究センターなどによると、アフリカでイスラム過激派組織が起こした事件は2100年に千件弱だったのが20年には5千件近くに増えているのだ(図表8参照)。
アフリカでイスラム武装勢力が台頭した背景には、2010年末から中東・北アフリカで起きた民主化運動「アラブの春」後の混乱が指摘されている。リビアのカダフィ政権が崩壊し、戦闘員や武器が西アフリカのマリなどに拡散。さらにブルキナファソ、ニジェールにまで広がった。イスラム国がテロ組織の系列ネットワーク化を進めたことも影響している。
エジプト北東部シナイ半島では、IS分派組織の「イスラム国シナイ州」が21年4月、キリスト教の一派であるコプト教の信徒男性ら3人を処刑したとする動画を公開した。「イスラム国シナイ州」は、かってルカイダ系だったが、14年にイスラム国の傘下に入った。
アフリカの中でも最もテロ活動が激しいのがサハラ砂漠南縁のサヘル地域や中部アフリカで、アルカイダ系、IS系が入り乱れて抗争を繰り返している。旧宗主国フランスが西アフリカ5カ国で掃討作戦を支援しているが、効果は上がっていない。ナイジェリアでは戒律の厳しいサウジアラビアの国教イスラム教ワッハブ派を信奉するサラフィ・ジハード主義の過激派ボコ・ハラムが反政府活動を展開、2014年には女子生徒200人以上を誘拐し、世界を驚かせた。ところが16年にはイスラム国に忠誠を誓う系列組織「イスラム西アフリカ州」(IS-WAP)が離脱し、ボコ・ハラムを凌ぐ程に勢力を伸張させている。
イスラム国は2019年以降、コンゴ(旧ザイール)を拠点とするイスラム武装集団「民主同盟軍(ADF)」を自らの分派組織「イスラム国中央アフリカ州(IS-CAP)」と見なし、イスラム国中央アフリカ州による犯行をイスラム国によるものと主張するようになった。またブルキナファソ、マリ、ニジェール3国の国境周辺では、15年にイスラム国に忠誠を誓った「大サハラのイスラム国(IS-GS)」が攻勢を強め、20年には「大サハラのイスラム国」関連の事件で2000人以上が死亡。前年から倍以上に増えている。この地域は金やコバルトなどレアアースの産地で採掘事業が進められているが、このレアアースが武装勢力の新たな資金源となり、鉱山などを手中に収めようと武装勢力同士の縄張り争いが激化している。
東アフリカを見ると、2020年以降モザンビーク北部で政府とイスラム国支持を掲げる地元武装組織の戦闘が激化し、4月には住民180人以上の死者を出している。8月には拠点港湾施設を襲撃。11月にも最北部カボ・デルガード州でイスラム過激派が複数の村を襲撃し、少なくとも住民50人を斬首して殺害した。いずれも17年以降、同州でテロを繰り返す「イスラム国中部アフリカ州」の犯行とみられる。
アルカイダ系のイスラム過激派組織アル・シャバブの動きも活発だ。22年10月、東アフリカ・ソマリアの首都モガディシオ中心部の教育省庁舎前で車2台に仕掛けられた爆弾が相次いで爆発し、400以上の死傷者が出た。また23年5月、ソマリアに展開するアフリカ連合(AU)の平和維持部隊に参加するウガンダ軍部隊の駐留基地が襲撃され54人が殺害された。いずれもアル・シャバブの犯行とみられている。
8.ロシア・ヨーロッパ
24年3月22日、ロシア・モスクワ近郊のコンサートホールで迷彩服を着て武装した数人のグループが押し入り、音楽公演が始まるのを待っていた観客らに向かって自動小銃を乱射し、173人が死亡した。この銃撃事件について「イスラム国ホラサン州」が犯行声明を出した。ロシアはシリアでアサド政権と連携し、イスラム国を殲滅する有志連合の主力であった。またロシアは、アフガニスタンでのかつての仇敵タリバンとの関係をほぼ正常化させている。それゆえイスラム国にとってロシアは主敵である。モスクワ銃撃事件実行犯の出身地タジキスタンはアフガニスタンとのつながりが深く、イスラム国の勢力が浸透している。
このようなことからモスクワでの無差別テロの背後にイスラム国がいる可能性は高く、今後も同種のテロが繰り返される危険がある。プーチン政権は正面でウクライナと戦いながら、国内ではイスラム国のテロに備える二正面作戦を強いられることになる。
ヨーロッパでもイスラム過激派によるテロの脅威が深刻さを増している。「イスラム国ホラサン州」は昨年、ドイツやオーストリアなど欧州の9カ国で21件のテロ攻撃を計画し、これは前年の8件を大幅に上回った。ドイツではケルンの大聖堂で、オーストリアでは首都ウィーンの聖シュテファン大聖堂でテロを計画していたが、事前に阻止されている。
現在、ヨーロッパには800人以上のイスラム国の戦闘員が各地に潜んでいるという。シリア難民として入国、難民収容所やシリア人コミュニティに潜り込み、中には市民権を得ている者もいる。ヨーロッパへの密航の手引きをするなどして資金を獲得しつつ、潜伏先の国でテロの機会を伺っているのだ。モスクワ郊外での大規模テロ発生直前の今年3月19日、スウェーデンでテロ攻撃を計画したとして、ドイツ当局にアフガニスタン国籍の2人が逮捕された。1人は「イスラム国ホラサン州(IS—K)」の構成員。2人はIS−Kからテロ実行の指示を受け、スウェーデン議会の周辺で警察官らを殺害するために銃器を入手しようとした疑いがもたれている。スウェーデンで頻発していたイスラム教の聖典コーランを燃やす反イスラムの抗議行動への報復とみられている。ドイツではパリオリンピック前の今年6月にもサッカーの欧州選手権でIS-Kによるテロ攻撃が未然に防がれている。
9.日本に近い東南アジアでも
東南アジアでもIS系の地元組織による自爆テロが起きている。インドネシアでは、ISに忠誠を尽くすインドネシアのテロ組織「ジェマ・アンシャルット・ダウラ(JAD)」が2020年6月、カリマンタン島で警察車両や警官を襲撃、21年3月にはスラウェシ島でジェマ・アンシャルット・ダウラに属する新婚夫婦がキリスト教会前で自爆テロを起こし夫婦は死亡、19人が負傷した(図表9参照)。
またフィリピンでは19年1月にスールー州ホロ島でIS系のアブサヤフがカトリックの大聖堂を爆破し、21人を死亡させた。さらに23年12月にはフィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市の大学で、学生が参加するミサの会場で爆弾テロが発生、4人が死亡し50人が負傷している。イスラム国(IS)が犯行声明を出しており、系列のイスラム過激派がキリスト教徒を狙ったテロと思われる。マラウィ市は2017年にISが関連するアブヤフやマウテグループなどのイスラム過激派によって5カ月にわたり占拠され、奪還を目指す国軍との激しい交戦で千人以上が死亡するなどイスラム過激派勢力の強い地域である。
10.イスラム国の行動様式と対策
現在のイスラム国のテロ活動は、シリアイラクに拠点を設けていた当時と比べて規模は小さくなり、また州と位置付けられる各国の系列組織によるローカルな犯行が中心になっている。シリアイラクのイスラム国と系列組織の関係は、シリアイラクの本部(本国)から各州に指示命令が伝えられ、それに従って動き出すという上命下達の垂直型ピラミッド構造ではなく、相互がフラットで緩やかに繋がるネットワーク型の構造になっている。
本部に強い指導力があるわけではなく、各地域の組織が独自に行動し、それをイスラム国の犯行と呼んでいるケースがほとんどである。しかし、イスラム国による犯行との声明を出すことで、一地域の小組織によるテロ活動が世界的な関心を呼び起こし、また本部もそれによってイスラム国の脅威を世界規模で拡散することができる。ともにイスラム国と名付けることで、本部も州も大きな宣伝効果が期待できるのである。
また、組織の一体性に乏しく各州が個別独紙にテロ活動に出るため、国家と正面から対峙する暴力の大規模集中発揮は出来ないが、他方、各組織が互いに関連なくアトランダムにテロ行動に出るため、行動の拡散と予測可能性を困難にしている点は注意を要する。
さらにイスラム国だけでなくアルカイダなど他のイスラム過激派組織もネットやサイバー空間を積極的に利用している。サイバー空間には国境が無く、 国籍や年齢を問わず世界中の誰にでも簡単に過激派組織の思想を伝えられ、大きな宣伝、洗脳効果が期待できるからだ。サイバー空間を通して世界各地に支持者を増やすとともに、現地情報の提供を受けたり寄付を募り資金集めに動いている。テロ組織の思想に共感し、自律的に宣伝活動等を行うテロ組織支持者らも存在する。その中には個人又はグループで、 SNS 等でイスラム国 やアルカイダの主張を発信したり、自らが支持するテロ組織の思想に沿った独自のオンライン誌等を発行し、テロの手法を紹介するものさえある。 例えばイスラム国の主張を発信するグループ「ア ル・サクリ・ミリタリー・ファウンデーション」は、テロ実行に向けた武器の製造方法に特化したオンライン誌を発行している。またサイバー攻撃を使ったテロ活動が実行される危険性があり、さらに、ビットコインに代表される暗号資産を資金調達に利用する動きも強まっている。
シリア情勢の監視を続ける「シリア人権監視団」の代表、ラミ・アブドルラフマン氏はNHKの取材に対し「ISが衰退したなどというのは幻想だ。ISはただのグループではなく“思想”であり、“思想”がある限りISはなくならない。むしろ力を増し再興している」と警鐘を鳴らしている。テロや暴力を容認する思想やそのような考え方を生み出す社会の歪が是正されない限り、過激派集団の脅威はなくなることはない。
シーア派とスンニ派の抗争がイスラム国の勢力を増大させた一因でもあったことから、イスラム過激派の活動を抑制するには、掃討のための軍事作戦だけでなく、両派の融和を促しアラブ諸国の宗派対立を沈静化するとともに、貧困の解消や雇用確保などの社会的施策を強化し、社会と政治の安定を確保することが何よりも重要だ。さらにサイバー空間やSNSなど新たな通信媒体がその活動に悪用されないよう、取り締まる側もサイバー空間を積極的に活用し、国際的なネットワークの下で過激派勢力の動向を監視追跡する体制の強化が必要である。
11.「抵抗の枢軸」と中東紛争拡大の危険性
イスラム過激派組織の中には、特定の国家の支援と指導の下に行動する国家支援型武装組織も存在する。イランの支援を受けるレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派などがその代表だが、イスラエルと交戦するパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスやイスラム聖戦、さらにイラクやシリアの駐留米軍を攻撃するイラクの親イラン勢力「カタイブ・ヒズボラ」などもこれに含めることができる。
イスラム教シーア派系のイランは1979年のホメイニ革命後、中東各地への「革命の輸出」やイスラエル、米国の打倒を目指しており、ヒズボラなどの親イラン勢力はその理念と戦略を共有し武装闘争を繰り返している。イランと軍事、財政面で緊密な関係を持つこれら各地の武装組織を総称して「抵抗の枢軸」と呼んでいる。「抵抗の枢軸」に対しては、イランの革命防衛隊の中でも国外での工作活動などを担うコッズ部隊が支援にあたっている。支援内容は兵器や資金・資材の提供、それに軍事顧問による訓練など多岐にわたる。
「抵抗の枢軸」のうちヒズボラは1982年、レバノンに侵攻したイスラエルに抵抗する民兵組織として発足。イスラエルに対する攻撃を行う一方、1992 年以降、レバノン国内で合法政党として政治活動を行っており、国政に強い影響力を持つほか、戦力は政府の正規軍をしのぐと言われ、推定5万人から10万人の戦闘員を擁している。2006年にはイスラエル兵を拉致して大規模な戦闘に発展、双方併せて1300人以上が死亡している。またシリアでの反政府運動発生(2011 年 3 月)以降、同国のアサド政権をイスラエルと敵対している政権として支持を表明、イランとともにシリアの親政府系民兵組織やイラクのシーア派組織からシリアに派遣された戦闘員の訓練を行ってきた。ヒズボラはイランから資金、物資等の支援を受けており、その額は年間 7 億ドルとの推計もある(図表10参照)。
イエメン北部を拠点に活動するフーシー派(シーア派の分派であるザイド派の武装組織アンサール・アッサーの俗称)は、イエメン内戦に軍事介入した隣国サウジアラビアとの対立を背景に、サウジアラビアと覇権争いで敵対するイランとの関係を深めていった。武力によるイスラエル打倒とイスラム国家樹立を掲げるハマスはスンニ派であり、イランと宗派が異なるが、イスラエルを承認していない共通点からイランと連携、共闘関係にある。フーシ派はおよそ2万人の戦闘員を抱え、イランかの協力で軍備を増強、イラン製の中距離弾道ミサイルを保有している。
昨年10月、パレスチナ自治区ガザでの戦闘開始以降、「抵抗の枢軸」は武力闘争を活発化させている。ヒズボラはハマスと連携し、イスラエル北部への砲撃を繰り返するなどイスラエルに二正面作戦を強いている。また今年4月には、イスラエルによる在シリア・イラン大使館空爆の報復として、イランが初めてイスラエルを直接攻撃。イスラエルがイラン領内へ反撃し、報復の応酬に発展した。
さらにフーシ派は昨年11月から、紅海を航行する商船への攻撃を繰り返している。米英軍などはフーシ派の拠点を繰り返し空爆しているが、空爆後もフーシ派による船舶攻撃はやんでいない。フーシ派はイスラエへの攻撃にも出ており、今年7月にはテルアビブをイラン製のドローン(無人機)で空襲。イスラエルは報復としてフーシ派が支配するイエメン西部の港湾都市ホデイダ港周辺の石油施設や発電所などを空爆した。それに反発してさらにフーシ派がイスラエル南部エイラートに向け複数のミサイルを発射するなど互いの報復合戦が続いている。
イランとイスラエルの対立も先鋭化している。今年4月、シリアのイラン大使館領事部がイスラエルによって空爆されイラン革命防衛隊の精鋭コッズ部隊の司令官らが殺害された。また7月にはハマスのトップだったハニヤ氏がイランの首都テヘランで殺害され、イスラエルに対するイランの報復攻撃が一挙に中東の緊張を高めた。今後、ガザでの戦闘が拡大長期化し、イスラエル政府とハマスの対立がさらにエスカレートしパレスチナ人の犠牲が増大する事態になれば、イスラエルとイラン及び「抵抗の枢軸」が全面衝突に至り、中東全体に戦火が拡大する恐れが出て来る。イランで改革派のペゼシュキアン氏が新しい大統領に就任したが、これまでのイスラエルや米国との敵対路線を大きく変化させることは難しい。事態の悪化を回避するためには、ガザ紛争の早期停戦を実現するとともに、途絶えている欧米諸国とイランとの対話・協議を再開し、対立緊張の緩和に動く必要がある。
(2024年8月21日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)