はじめに
2021年の(アフガニスタンからの米軍撤退後の)タリバン復権以降、世界の大きな変化を背景に、日本の外交姿勢や国際秩序の変遷を論じる、まず、ウクライナ戦争やガザ戦争を通じて露呈した欧米の二重基準や、国際秩序の偽善的側面を指摘し、ロシアとグローバルサウスが欧米と対立する構図の形成を考察する。次に、日本がアメリカに従属する現状を振り返り、その長期的な課題について議論する。さらに、アフガニスタンにおけるタリバンの復権がアメリカの凋落の象徴であると同時に、人類の未来への希望を示す光明として捉えられていることを示す。最後にシン・ムガル主義をキーワードに、現代の文明再編と帝国の復興を展望しつつ、日本の未来の選択肢についての提言を行う。
1.ウクライナ戦争、ガザ戦争における国際秩序の偽善とグローバルサウスの台頭
2021年のアフガニスタンにおけるタリバンの復権から既に3年余りが経とうとしている。その間に世界はすっかり様変わりしてしまった。2022年2月に始まったウクライナ戦争は、ロシアに対して欧米(+日本)がウクライナを舞台として代理戦争を戦う一方で、世界のほとんどの国々がロシアに加勢しないまでもロシアに対する欧米の「経済制裁」にも加わらず両陣営から距離を取るという世界の現状を浮き彫りにした。欧米にもロシアにも与しないこの勢力が「グローバルサウス」としてあらためて存在感を示すようになった。
さらに2023年10月に始まったガザ戦争はイスラエル国防軍の報復によって1万人を超える子供を含む4万人以上の民間人、190人以上の国連職員が殺戮される異常事態に至っている。しかしガザで殺戮されるパレスチナ人たちの姿を世界中の人々がSNSやメディアを通じてリアルタイムで目にするなかで、アメリカがイスラエルを無条件に支持しているためにいかなる「制裁」もできず、「国際社会」がなんら有効な手を打てないことが白日の下に晒されたのである。
ロシアのウクライナ侵攻においてはロシアによる民間人の殺害を戦時国際法違反として口を極めて非難した欧米であったが、ガザ戦争ではアメリカとそれに追随するヨーロッパ諸国は、ロシアの戦時国際法に反する民間人の殺害を質量共に遥かに上回り「人道に対する罪」「ジェノサイド(民族浄化)」にも該当するとまで言われるイスラエルの残虐行為を自衛権の名によって頑なに免責している。
欧米のこの露骨なダブルスタンダードは、ヨーロッパにおけるユダヤ人のホロコーストの贖罪を無関係な中東のパレスチナに押し付けることで自分たちの責任を有耶無耶にしたままイスラエルと和解した欧米が語る「人権」や「国際秩序」の偽善を暴きだした。ウクライナ戦争によって、ロシアと欧米とグローバルサウスに三分されたかに見えた世界の構図は、エマニュエル・トッドが「西洋対世界」と呼ぶ、ロシアと中国を含めたグローバルサウスと欧米(+日本)の対立に置き換わりつつある。
2.日本の二つの敗戦と対米従属
日本は黒船来航のアメリカによる砲艦外交に屈し開国を強いられ不平等条約を結ばされて以来、脱亜入欧、富国強兵政策により日清・日露戦争、第一次世界大戦に勝利して西欧帝国主義列強の仲間入りを果たしたが、第二次世界大戦で欧米を敵に回して敗北し海外領土の全てを失った。そしてその後アメリカの占領下で思想改造を施されて忠実な属国となり、1968年には敗戦後20年ほどの間にGDPでアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になった。しかしそれによって1970年代になると日米経済摩擦が生じ、遂にはアメリカの逆鱗に触れ、日米経済戦争とまで呼ばれる事態に陥る。更にソビエト連邦の崩壊により冷戦が消息すると、アメリカは中国と融和し日本を安全保障上の最大の脅威とみなす政策を取ったため、1990年代になると日本経済は急速に弱体化した。
第二次世界大戦と日米経済戦争によるこの「二つの敗戦」の教訓/トラウマによって、現在の日本の支配層は対米従属を国是としている。確かに今もなおアメリカは軍事、政治、経済、科学において世界最強の国家である。しかし長期的にみると第二次世界大戦終了時を頂点としてアメリカの漸進的凋落傾向は不可逆である。先行きの不透明な激動の時代にあって、日本がこれまでの脱亜入欧路線を貫きアメリカの忠実な属国であり続けるのが最善の選択肢であるかどうかは決して自明ではない。
私見では、軸足をアジアに置いてかつての中華秩序の周縁の立ち位置に還っていくのが最も「現実的」な未来に映るが、シン・中華帝国、シン・ロシア帝国、シン・大英帝国(アングロスフィア)のせめぎあいの渦中で微妙なバランスを取りつつ諸文明の交流圏として新たな国体を模索するという選択肢も考えられよう。日本は近い将来、自らの存亡をかけた選択を迫られることになるかもしれない。その時に選択を誤らないためには、まず国際情勢の「客観的」な現状認識を持たねばならない。ところが私見では現状認識の最大の妨げになっているのが、二度にわたる敗戦のトラウマに基づくアメリカ従属志向、属国的心性である。
3.アフガニスタンにおけるタリバン復権とアメリカの凋落
アメリカの長期的凋落は不可逆であるが、その象徴的出来事が「20年に及ぶ米史上最長の戦争となったが、米軍撤収期限直前の21年8月15日にタリバンがアフガンほぼ全土を掌握して、事実上、米国の敗北で終わった」 アフガニスタンにおける対タリバン戦争であった。
西欧帝国主義列強の自滅によって一強の超大国となったアメリカの覇権の最初の陰りが見えたのは1975年の南ベトナム撤兵であった。しかしベトナム戦争での米軍の撤退による事実上の敗北は、東西冷戦の文脈で、ベトナムの背後には国連安保理常任理事国で拒否権を有する東側陣営の地域大国中国とソ連による政治、軍事、経済的支援が存在していた。
しかし冷戦終結後のユニポール時代の国連による公式なテロ支援組織認定のお墨付きを得て多国籍軍を率いて行った20年にわたる占領行政の末に、孤立無援の反政府武装勢力に過ぎないタリバンによる攻勢を前にしての米軍の完全撤退は、もはやアメリカには国連の傘の下にあってさえも独力では自分が作り上げた傀儡政権を守る力さえも残されていない事実を露呈させた歴史的転機であったのである。
2023年に勃発したガザ戦争は第一次世界大戦以来「国際秩序」の政治、軍事、経済、科学のみならず思想・言論空間をも主導してきたアメリカの覇権の決定的凋落と共にアメリカが築いたその「国際秩序」自体の道義的権威の矛盾と偽善をも暴き出した。しかしその始まりはタリバンの復権であった。
それだけではない。タリバンの復権は、ただアメリカと西欧の凋落の原因を分析し、近代西欧文明の問題を見直す契機となるばかりではない。私見によると、それはこの混沌の時代において偽善、妄執、物欲、増上慢の闇の中に仄かに垣間見える人類の未来への希望の灯台であり、狭く険しい迷路を照らす一条の光なのである。
ウクライナ戦争は世界を滅亡させるに足るだけの核兵器を有する軍事大国ロシアが自国の勢力拡大の為に軍事力によって周辺国を侵略し支配しようとした覇道に過ぎず、どのような理屈をならべようとも、直ぐに鍍金の剥げるジンゴイズム(排外的愛国主義、盲目的主戦論)の偽装でしかない。
ガザ戦争もまた然り。可視化されたジェノサイドがあまりにも人倫に悖るものであったため、パレスチナ人への同情と共感がイデオロギーや文明の違いを超えて広まった。そしてその副産物として一部の覚醒した知識人たちがイスラエルの建国のイデオロギーであるシオニズムとそれを支えるアメリカの裏の顔であるクリスチャン・シオニズムの呉越同舟の異様な凶悪さに気付いたことが世界を動かすことになったのであり、ハマス(イスラーム抵抗運動)も「イスラエルによるジェノサイドを止めて助けてくれ」という以外には世界に発信すべきポジティブなメッセージは何も持っていない。ハマスだけでなくアラブ諸国にしても、イスラエルを非難するのもパレスチナの独立を支持するのもアラブの同胞の連帯によるものなどではなく、逆にアラブの分裂の現状の固定化のためであり、パレスチナ難民の受け入れの断固たる拒否宣言以上のものではない。仮にもしパレスチナ国家が樹立されたとしても、腐敗堕落したアラブ国家がもう一つ増えるだけでしかない。
4.シン・ムガル主義と未来の文明再編
筆者はシン・ムガル主義を知ることで、先の見えないポスト・プライマシー時代に、帝国の復興と文明の再編の時代を生き抜くための一筋の光明を見出すことが出来ると信じている。
シン・ムガル主義の第一の特徴は現在の文明の再編、帝国の復興の原型となる18世紀の世界における帝国の多極並立状況における一つの極であることである。つまり西欧(神聖ローマ帝国)、オスマン帝国、サファヴィー朝ペルシャ帝国、ムガル帝国、ロマノフ朝ロシア帝国、大清帝国(日本帝国もそれらの帝国の中に数えてもよいかもしれない)の一つである。
第二はその融合性である。それはイスラーム文明の下位文明のインド・イスラーム文明と呼ぶべき独自の世界帝国を作り上げた。それはイスラーム帝国としてスンナ派とシーア派のそれぞれの系譜と、アラブ、ペルシャ、トルコ、そしてパシュトゥーン(アフガン)のエスニシティ集団の混交、そしてティムール帝国の継承国家としてチンギス統治原理のような世界観をも取り込み融合した多元的重層性を意味する。
第三はムガル帝国滅亡後の帝国の継承国家をドゥッラーニー朝アフガニスタンとみなすことである。実はアフガニスタンは1931年に日本と国交を樹立しているが、これは欧米諸国を除いて国交を結んだ順位としては1924年のトルコ共和国、1929年のパフレヴィー朝イランにつぐ三番目の国であった。というのもこの時点で西欧列強の植民地化を免れて独立の外交権を持つムスリム国はこの三国しか存在しなかったからである。特筆すべきは、1919年にアマーヌッラー・ハーンがイギリスとの戦争(第三次アフガン戦争)に勝ってアフガニスタン首長国として完全独立を勝ち取り、1926年には国名をアフガニスタン帝国(Pādishāhi-yi Afğānistān)(通常はアフガニスタン王国と訳される)と改称していることである。
アフガニスタンは当時の世界覇権国であった大英帝国から戦争で独立を勝ち取った唯一のムスリム国家であった。アフガニスタン帝国の国号は、ムガル帝国の継承国家であり、オスマン帝国滅亡後のスンナ派イスラーム世界の盟主であるとの自負を表しているのである。そして第二次世界大戦後に至ってさえなお、自力で独立を勝ち取ることさえできず宗主国イギリスから独立を恵んでもらったインドでもパキスタンでもなく、アフガニスタンこそがインドを支配するムガル帝国の継承国家であるとの意味がシン・ムガル主義の意味の重要な意味の一つなのである。
そして現代史に話を繋げるなら、10年にわたる戦いでソ連軍を撤退させた後、20年にわたる戦いでアメリカ軍を撤退させ実力で独立を勝ち取り、「帝国の墓場」であることを実証したアフガニスタンの不羈独立、尚武の「強さ」もまたシン・ムガル主義の特質である。
但しここまでに述べたシン・ムガル主義の特徴は全てアフガニスタンがムガル帝国の継承国家であることの説明であって、タリバン政権に特有なものではなく「人類の未来への希望の灯台」となるようなものは何も見出すことはできない。
イスラームのジハードを掲げてソ連軍とその残忍な共産主義者の傀儡政権を追い出したムジャーヒディーンの軍閥は盗賊化し権力と利権を奪い合って内戦を引き起こして盗賊化し、国家建設に失敗した。
タリバン政権の特徴は、デオバンディー学派というスンナ派ハナフィー法学派の近代改革主義者の学徒集団の世直し運動を母体にしていることである。そしてデオバンディー学派は南アジアを中心に中央アジアからイギリスまで広がる広大なデオバンド学院のマドラサの分校のネットワークを通じて、イスラーム学者として世界各地で尊敬される学校教師、導師、説教師として自由に行き来することができる。
タリバンは、形而上学、論理学、法理学の洗練されたプログラムを身につけた学徒集団であれば、国境を越えた学問ネットワークによって、国連加盟国の全てを敵に回し世界中で苛酷な弾圧を被りながらも、「国際社会」からの金と地位をちらつかせた懐柔、切り崩しの工作にも動じず分裂することなく20年にわたって粘り強い武装抵抗運動を継続することができることを身をもって実証した。つまりタリバンは領域国民国家システムの鉄の檻を打破する理知に支えられた人間の連帯と共生の在り方が実在することを目に見える形で示し、人類と大地の解放の希望を示したのである。
アフガニスタンに平和と法秩序を回復させた「正統政権」タリバン(アフガニスタン・イスラーム首長国)の排除のためにアメリカが主導する欧米諸国による武力行使を国連が認めたことがそもそも今日のアフガニスタンの惨状を招いた諸悪の根源だったのであり、国連がタリバンに要求できることは何もない。むしろウクライナ戦争、ガザ戦争で無力と無策を露呈した国連が、名誉を挽回しその存在意義を示すことができるのか、それともこのままその歴史的使命を終え、過去の遺物に成り下がるか、鼎の軽重を問われているのはむしろ国連の方なのである。
5.タリバン政権の国際社会への復権
中露をはじめとして周辺国は次々と国家承認にこだわることなく、アフガニスタン大使館をタリバン政権に引き渡し、名目的に大使がいないだけで、タリバン政権から代表を迎え、通常の大使館業務を徐々に再開している。アフガニスタンは古来より、東西交易路、シルクロードの要衝であっただけでなく、1兆ドルにのぼる天然資源を有すると言われており 、中国をはじめ多くの国々が食指を伸ばしている。
そもそも国連(United Nations)自体、自由平等な主権国家が理念に基づいて入念に設計して民主的に設立したものではなく、第二次世界大戦の西欧帝国主義列強の戦勝国側(連合国United Nations)が衣替えしたものでしかない。
ガザ戦争以降、世界の構図はエマニュエル・トッドが「西洋対世界」と呼ぶ ロシアと中国を含めたグローバルサウスと欧米(+日本)の対立に置き換わりつつある。その状況を反映して国連がこの対立の調停機能を失い、西洋帝国主義列強の戦勝国の代弁者として振る舞い続けるなら、グローバルサウスのハートランドであるアジアでは国連に代わって今や世界最大の地域協力機構に成長した上海協力機構が安全保障外交の調整役となり、欧米を排除してのシン・ムガル主義帝国アフガニスタンの封じ込めを最大の「裏アジェンダ」に、それぞれ中華文明、東方正教ロシア文明、スンナ派イスラーム文明、シーア派イスラーム文明、インド文明の文明圏の盟主として帝国の再興をはかるシン・中華帝国(中華人民共和国)、シン・ロシア帝国(ロシア共和国)、シン・オスマン帝国(トルコ共和国)、シン・ペルシャ帝国(イラン・イスラーム共和国)、そしてシン・インド帝国の樹立を夢見るインド共和国の帝国の復興と文明の再編のプラットフォームとして定義し直されるシナリオが現実性を帯びてくる。
2024年6月30日〜7月1日、国連主催の第3回ドーハ会合が開催された。「ドーハ会合」は2023年5月にグテーレス事務総長のイニシアチブで立ち上げられたものであったが、第1回会合にはタリバンの代表は招待されず、第2回会合ではタリバン側が招待を拒否して参加しなかった。第3回会合は初めてタリバンの公式代表が参加した最初の会合であった。
しかし国連は事務総長が欠席したのみならず、参加したカナダ代表のデイビッド・スプロールが、女性擁護団体や人権団体を含むタリバン以外のアフガニスタン人参加者が除外されたことへの失望を表明し、女性の平等な参加が不可欠であるとの、20年にわたって失敗を繰り返してきた手垢のついたイデオロギーの押し付けの内政干渉を飽きもせずに行った。
二重基準の「人権」を振りかざす欧米にグローバルサウスはもはや聞く耳を持たないことは、ムジャーヒド報道官が基調演説で「ガザ情勢を見てわかる通り、虐殺を支持する欧米諸国の側に人権についてレクチャーする権利はない」と明言していた通りである。このような時代錯誤の妄言を徒(いたずら)に吐き散らすばかりの欧米諸国が、タリバン政権と対等に交渉で渡り合えるかどうかは極めて怪しい。
中ロを含むアフガニスタンの周辺国は既に自国内のアフガニスタン大使館をタリバン政権に引き渡し、貿易、観光、治安協力などの通常の外交実務を復活させていたが、2024年1月中国は習近平国家主席が在北京タリバン大使館代表から信任状を受け取り、世界で始めてタリバン政権の事実上の国家承認を果たした。次いでアラブ首長国連邦、9月にはウズベキスタンがそれに続いた。10月にはロシアがタリバンをテロ団体のリストから外すことを発表しており、なし崩し的にタリバンの国際社会への復帰が進みつつある。
6.日本が選ぶべき未来の道
ガザ戦争以降の欧米の動向を見る限り、大きな期待は抱くのは禁物だが、筆者は、国連の今後の対応次第では、アフガニスタンを西洋側に繋ぎとめることも可能であり、それに日本が独自の貢献を果たしうると考えている。
注目に値するのは5月5日付のタリバン政権の『官報』に掲載されたカタルのドーハのアフガニスタン・イスラーム首長国(タリバン政権)政治局事務所長のスハイル・シャーヒン報道官がクアラルンプールでマレーシア外務省のシンクタンク「バイト・アル=アマーナ」で笹川平和財団の角南篤理事長(政策研究大学院大学学長特別補佐・客員教授)と会談し、人道支援、就労支援、学術交流などについて話し合った、との記事である。笹川平和財団がてタリバン政権と学術交流を行い、国連や欧米のメディアの反タリバン・プロパガンダ、フェイクニュースを検証しタリバン政権の実態を明らかにして欧米向けに発信し、それによって国連や西側世論を動かし制裁解除の流れを作り出すことができれば、中村医師とペシャワール会が築いたタリバンの日本への肯定的な評価をフックに、日本は欧米からの不当な仕打ちからグローバルサウス陣営に加わることを余儀なくされようとしているアフガニスタンを「国際社会」に引きとどめ、中華文明、東方正教ロシア文明、スンナ派イスラーム文明、シーア派イスラーム文明、インド文明、そして西欧文明が交差するフォルト・ライン国家という本来の立ち位置に戻すことができる。
更に日本政府の対アフガニスタンの変化の兆候も垣間見られる。2024年10月5日は、『ベストタイムズ』がタリバン政権閣僚との初めての独占インタビューを掲載し(タリバン(アフガニスタン・イスラーム首長国)のカーリー・ディーン・ムハンマド経済大臣に単独インタビュー「アフガンは米国と中国、どちらを選ぶか?」:https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3194349/)、10月8日にはNHKがそれに続いた(「タリバン暫定政権閣僚が単独インタビュー BRICSとの関係強化へ」:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241008/k10014603721000.html)また在カブール日本大使館は10日7日には在カブール日本国大使館が11億円余りを国連に拠出して医療施設などのインフラ整備を進めると発表した。
アフガンには金や鉄鉱石、銅、リチウムなど1兆ドル以上とも言われる豊富な鉱物資源が眠っており、その重要性は無視できない。歴史的に中国文明、東アジア漢字文化圏の周縁の孤立文明でありながら、明治維新の脱亜入欧、西洋化による近代化、殖産興業、富国強兵政策で西洋帝国主義列強の仲間入りを果たしアメリカの属国として近代西欧文明にも片足を突っ込み、また同時にロシアと国境未決の隣国でもある日本は、その独自の文明史的、地政学的立場から、アフガニスタンにおいて西洋と諸文明の架け橋となることができる。それによって我々はやっと先人たちが幻視した大東亜共栄圏の悪夢から覚めることができる。筆者はそう信じている。
(2024年10月23日に開催されたIPP政策研究会において発題された内容を整理)