進む日本と北大西洋条約機構(NATO)の安全保障協力 ―その背景と戦略的な意義―

進む日本と北大西洋条約機構(NATO)の安全保障協力 ―その背景と戦略的な意義―

2024年10月27日
はじめに

 近年、日本と北大西洋条約機構(NATO)が急速に接近している。その名の通り、大西洋を挟んで北米大陸のアメリカとカナダ、それに英国やフランス、ドイツといった欧州の国々が結束する集団防衛機構がNATOである。冷戦後は、旧ソ連圏の東欧諸国が加わり、さらにはウクライナやジョージアといったコーカサス地域の国々にまで拡大する動きを見せている。もはや大西洋周辺諸国間の同盟とは呼びづらくなっている。
 とはいえ、日本はロシアや中国を挟みユーラシア大陸の反対側に位置する国だ。拡大を続けてはいるが、NATOが遠く離れた日本と接触を強めるようになったのは一体なぜか。また日本はなぜNATOとの関係強化に動くのか。それを明らかにするため、国際情勢の推移やそれに伴っての双方の政策、立場の変化を振り返りつつ、これまでの日本とNATOの関係進展の経緯を眺めてみたい。そのうえで日・NATOの接近と関係強化が持つ意義や問題点、今後の動向にも触れることとする。
 その際、NATOのこれまでの政策変化や加盟国及び同盟機能の拡大変容などを知るにあたっては、本研究所24年8月のマンスリーレポート「創設75周年を迎えた北大西洋条約機構(NATO):その変容と拡大・高まる対露脅威への対応」を参照していただきたい。

1.中距離核ミサイル問題で見せた日米欧の連携

 20世紀の冷戦の時代、ともにソ連の脅威への対処を安全保障政策の中心に据えていた日本とNATOではあるが、そのソ連を挟み両者が戦略的に接近するという動きは少なかった。
 日本とNATOが接近の動きを見せるのは専ら冷戦後のことであり、第一段階は1990年代から2000年代にかけて、国際地域の安定や平和協力のための活動を通して、続く第二段階は2010年代以降現在に至る期間で、中国やロシア、北朝鮮などの権威主義諸国の脅威の高まりが接近を加速させる契機となった。
 ただ冷戦期においても、日本と欧州諸国やNATOが中距離核ミサイルの配備を巡って戦略的に関わり合い、一体化する動きを見せたことがある。ソ連は1977年から欧州に向けて中距離核ミサイルSS-20の配備を始めた。このSS—20の脅威に対抗すべく、NATOは米国の巡航ミサイルやパーシング2ミサイルを欧州に配備するとともに、米ソに軍縮交渉の開始を促す二重決定を行った(1979年)。その後、アメリカのレーガン政権は、米ソ双方が欧州から中距離核ミサイルを撤去するというゼロオプションを提案した(1981年)。
 その際、欧州でSS-20が撤去されても、それが極東に移されれば日本に対する脅威が高まることになってしまう。そうならぬよう当時の中曽根首相は1983年のウィリアムバーグサミットで、米ソの中距離核戦力(INF)削減交渉に当たっては、極東に配備されるSS-20も廃棄すべき交渉の対象に含めるべきだと主張した。この立場が容れられたことによって、1987年12月に米ソ間で調印された中距離核戦力全廃条約では、米ソ双方の中距離ミサイルはすべて撤去し、SS-20は 1991年6月までに地球規模で全廃するものとされた。これにより日本に対するSS—20の脅威も解消され、ソ連による日欧米の離反を防ぐことにも成功したのである。ユーラシアの東西に離れていても、中央に位置するロシアからの脅威は日欧不可分であることを物語る史例となった。

2.冷戦後の地域安定化ミッション:日本とNATOを結び付けた契機

国際平和協力と地域安定化の取り組み

 ほどなくしてソ連は崩壊し、欧州での冷戦は終焉を迎えた。これに対しアジアでは、朝鮮半島の南北分断や中国と台湾の対立状況が続くなど欧州と国際情勢は相違した。だが、ソ連の崩壊によって緊張のレベルが低下したことはユーラシアの東西で共通であり、ここにNATOも日本も、ともにポスト冷戦期における安全保障政策の構築に取り組むことになった。そして1990年代から日本とNATOの対話と協力の関係が芽生えていくことになる。
 NATOにおいては、対ソ脅威への対処に代わり、ユーゴスラビア内戦やタリバン政権崩壊後のアフガニスタンの治安回復など地域の安定に寄与する動きが加速した。一方、日本でも平和貢献への取り組みが冷戦後の外交政策の重要課題と認識され、具体的な活動へと繋がっていった。
 まず湾岸戦争終了後の1991年、ペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊が派遣され、戦争で投じられた機雷の除去作業を担った。中東でのこの活動は欧州のみならず世界の注目を集めた。1992年には国際平和協力法に基づき国連の平和維持活動として、紛争が沈静化したカンボジアに自衛隊を派遣し、初のPKO活動を行うようになった。その際、現地部隊の安全確保や選挙実施業務の遂行にあたり、旧宗主国であるフランスとの調整が重ねられた。
 その後、自衛隊はアフリカのザイールや中東のゴラン高原でも平和維持活動に参加し、欧州諸国に自衛隊の存在を示す機会が増えた。さらに2001年にアメリカで同時多発テロ事件が起きた。これを受けアメリカのブッシュ・ジュニア政権は首謀者であるオサマ・ビン・ラディン及び彼が組織するイスラム過激派組織アルカイダの殲滅を目的に対テロ戦争の開始を宣言し、同年秋、オサマ・ビン・ラディンを庇護しその身柄引き渡しを拒否したアフガニスタンのタリバン政権への攻撃に踏み切った(アフガニスタン戦争)。
 この対テロ戦争への支援は、国連が主導する平和維持活動の範疇では行えないため、当時の小泉政権は個別立法として対テロ支援特別措置法を制定し、アフガニスタンでの対テロ作戦に参加する英米の艦艇にインド洋で海上自衛隊が燃料補給を行うなどの支援活動を行った。一方、NATOも同時多発テロ事件に際し、NATO条約第5条を創設以来初めて発動し集団的自衛権の行使を宣言し、アメリカを支援する姿勢を強めた。英国はアメリカと共に対テロ作戦に参加している。またNATOはタリバン政権の崩壊後、それまで有志連合が2003年から担っていた国際治安支援部隊(ISAF)の業務を引き継ぎ、アフガニスタンの治安回復のための活動に従事した。
 日本はアフガニスタンに自衛隊を派遣しなかったが、タリバン政権崩壊後、平和構築の観点から、国連アフガニスタン支援ミッションの支援を受け2003年10月から2006年6月末の約3年間、アフガニスタンにおけるDDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration:武装解除・動員解除・社会復帰)活動の主導国となり、その戦後復興に積極的に関与した。
 こうして遠く離れた日本とNATOは、双方の中間に位置するアフガニスタンにおいて、戦闘や治安回復、後方支援、さらに戦後復興など互いに担当する分野に相違はあったものの、ともに協力しつつテロ対策とアフガニスタンの復興に深く関与した。これが、日本とNATOが以後交流を深めていく大きな契機となった。
 その後も日本は、イラク戦争の終了後、イラク特別措置法に基づき2003年から08年まで長期間にわたり自衛隊をイラクに派遣し、イラクの復興支援業務にあたった。陸上自衛隊は比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワの宿営地を中心に、給水や医療支援、学校など公共施設の復旧・整備を担当した。その際、テロなどの脅威に対処するため、やはりイラクに派遣されていたオランダなど欧州NATO諸国の支援を受けた。航空自衛隊は陸上自衛隊が使用する物資・隊員などの輸送に留まらず、多国籍軍や国連の物資、人員の輸送にも携わった。かようにそれまでの対ソ脅威ではなく、冷戦後、重要となった平和維持活動や紛争地域の安定確保という新たな任務の実施を通して、日本とNATOは関係を強めていった。

3.日本とNATOの接近

麻生外相による日本初のNATO演説

 こうした流れの下、2006年5月、麻生外相がベルギー・ブラッセルでの北大西洋理事会(NAC)において、新たな安全保障環境における日本とNATOの協力について演説を行った。日本の外務大臣がNATOで行った初の演説であった。その中で麻生外相は、冷戦後の日本のグローバルな活動ぶりを紹介した。
 「15年前、湾岸戦争のすぐ後に、海上自衛隊はペルシャ湾海域に掃海艇を派遣しました。活動の中心を担った4隻の掃海艇は約500トンと小さいものでしたが、母港から6800マイルも離れたところでの活動でした。500名の乗員は99日間にわたり活動を行い、掃海活動が困難な海域で残存していた34個の機雷を処分しました。」
 次いでインド洋における「不朽の自由作戦—海上阻止活動」への貢献に触れた。
 「2001年11月以来、日本の海上自衛隊は、ローテーションを組んで、継続的にインド洋とアラビア海への派遣を行っています。ある士官は、これを“アラビアの騎士作戦”と名付けました。彼らはコアリションの海軍に燃料と水を供給して支援しています。彼らの海上における能力は、国際的に評価されており、私は彼らをとても誇りに思います。」
 またインド洋上での活動に留まらず、アフガニスタンにおけるDDR活動にも触れ、アフガニスタン戦後復興活動でNATOと日本が連携協力した実績を強調した。
 「アフガニスタンでは、日本の主たる貢献の一つはDDR活動であり、旧国軍兵士の武装・動員解除を行い、彼らを市民社会に再統合しています。この努力は、アフガニスタンの社会が、旧タリバン政権から新たなより平和で民主的な体制へと移行するのを促進するために、とても重要な役割を果たしてきました。ここで、DDR活動の成功は、国際治安支援部隊(ISAF)の活動に大きく負うものであることを強調しなければなりません。各地のISAFの存在は、例えば地方の軍閥を説得し、各個人から武器を回収する等、現場でDDR活動を進めていく上で極めて重要な役割を果たしてきました。・・・日本のDDRとNATOのISAFとは、治安を維持する上で非常に大きな相乗効果があり、それなしにはアフガニスタンの人々は現状を達成できなかったでしょう。」
 さらに麻生外相はイラク戦争後のイラク復興にも自衛隊が協力した事実に触れ、
 「イラクにおいても、数千人の自衛隊の男女が地方自治体のために活動しています。彼らは、そこで人道復興支援、道路の補修、医療サービスの提供を、最初はオランダと、その後は英国及びオーストラリアとの密接な協力のもと行ってきています。さらに西のゴラン高原では、日本の自衛隊がPKO活動に従事しており、彼らもカナダ、ポーランド、スロバキアといったNATO加盟国と緊密な協力を行っています。」
とゴラン高原でのPKO活動にも加わるなど中東和平に日本が貢献している実績を披露した。
 かように日本を遠く離れた地域での自衛隊の国際平和活動を紹介したうえで、麻生外相は、日本とNATOは「民主主義、人権等の価値観」や「国際社会の平和と安定に貢献する意思」をともに共有していること、また日本の自衛隊は憲法上の制約を受けつつも、インド洋や中東で「日本とNATOとの協力は既に始まっており、ここ数年、その接点を強化してきた」と日・NATO協力関係の進展を強調し、対話・交流の活発化により相互理解の一層の深化を期待したいと表明した。

グローバルパートナーシップ計画

 麻生演説から約半年後の06年11月、ブッシュ米大統領はラトビアの首都リガで行われた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、日本、韓国などの5カ国をNATOの「グローバルパートナー」として関係を強化することを提案した。日本、韓国以外の3カ国は、オーストラリア、スウェーデン、フィンランドで、バーンズ米国務次官は「既にこの5カ国は米国やNATOと軍事演習を行っており、グローバルパートナーとなることで関係がより緊密になる」と提案の背景を説明した。
 冷戦後、NATOは従来の欧米諸国の対ソ脅威に備える安全保障のための軍事組織から、地球規模の安全保障組織、さらには安保協議の場としての役割を模索しており、日本のような国々との関係強化はそれに資するというのがアメリカの立場であった。NATOと非加盟国のパートナーシップには、加盟候補国とのものやアフリカ北部のアラブ諸国及びイスラエルなどとのパートナーシップの二つが既にあり、提案が採択されれば三つ目のパートナーシップとなるが、これはNATOへの加盟を提案するものではない。
 このリガでの首脳会議では、アフガン情勢への対応が最大の焦点となった。当時、アフガニスタンではNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)が苦戦を強いられていた。勢力を回復したタリバンの執拗な抵抗が続き、治安改善が進まず、復興計画も進捗していなかったからだ。ISAFはアフガニスタン全土に3万2800人の兵力を展開させていたが、派遣国ごとに担当地域が固定されており、兵士の移動などの点で柔軟性や機動性を欠いていた。首脳会議では、こうした状況を改善することで合意したが、どこまで実効性が上がるかは不透明だった。
 NATOは歴史上、最も成功を収めた軍事同盟とされた。冷戦終結や旧ソ連の崩壊にも、強力な軍事力を持つNATOの存在が大きな役割を果たした。冷戦後は、地域周辺の紛争やテロ対策などのため、アフガニスタンなど域外へと活動を拡大させた。世界の安全保障環境の変化が背景にあった。
 しかし、そのアフガニスタンでいまNATOは苦しい立場に追い込まれている。連携を強化すべき域外国として候補に挙げられた豪州はISAFに参加していた。日本は集団的自衛権を行使出来ないという政府の憲法解釈の下で、NATOとの協力には限界がある。だが、インド洋上で海上自衛隊艦船による給油活動を実施、またISAFに財政支援している。コソボやイラクなどでも海外任務を担っているNATOの負担を、日本や豪州などと分かち合い、苦しい状況を改善したいというのがアフガン戦争を主導したアメリカの本音であった。
 欧州諸国、特にフランスやドイツはアメリカの提案に慎重な姿勢を示したが、NATOのデホープスヘッフェル事務総長は「NATOの扉は開かれている」と強調。加盟交渉中のクロアチアなどバルカン三国や、加盟交渉の前段階の対話が続く旧ソ連圏のグルジア、ウクライナなどに好意的な姿勢を示すとともに、非加盟国との関係構築にも柔軟な姿勢を見せ、アフガン復興に貢献する日本や豪州などを「パートナー」として対話を深める意向を示した。
 その結果、首脳会議で採択された共同声明(リガ宣言)では、アフガニスタンなど域外での活動を念頭に、域外の「利害関係国(非NATO加盟国)」や国際機関との関係を強化する方針が明記された。ただアメリカの提案になる「グローバルパートナーシップ計画」を反映させつつも、欧州を中心にNATOの世界展開を危惧する声にも考慮し、対象国を「グローバルパートナー」と呼ばず「利害関係国」と曖昧な呼称にすることで欧米双方の妥協が図られた。

安倍首相のNATO演説

 2007年1月、安倍首相はベルギー・ブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)本部を訪れ、最高意思決定機関である北大西洋理事会(NAC)で日本の首相として初めて演説した。演説の中で安部首相は、同年1月9日の防衛省発足に伴い自衛隊の国際平和協力活動が本来任務になったことを説明し、「国際平和協力の最適なあり方を議論している。憲法の諸原則を順守しつつ、今や日本人は国際的な平和と安定のためなら、自衛隊の海外での活動をためらわない」と強調したうえで、日本とNATOは「平和の定着をめざし、これまで以上にお互いの能力を発揮して共に行動すべきだ」と日本とNATOとの連携強化を訴えた。
 そのうえで安倍首相は、NATOが国際治安支援部隊(ISAF)を展開しているアフガニスタンで400人以上の死者を出している一方、NATOが展開する軍民共同型の「地方復興支援チーム(PRT)」に対する日本政府の援助が財政支援に留まっている現状に鑑み、人的な貢献を進める考えを示した。安倍首相はアフガニスタンで「NATOの地方復興支援チーム(PRT)が実施する人道活動との協力を強化します。我が国政府はPRTがアフガニスタンの奥地で果たしている重要な役割を高く評価しており、ついては、初等教育、医療、衛生等の分野を中心とする分野で、どのようにすれば日本の支援活動とPRTの支援活動がより深い相乗効果を持つようになるかをさらに追求していきます」と述べ、地域復興チーム(PRT)に人的貢献する意向を示唆し、麻生外相の演説を一歩進めた。また外相、防衛相とNATO事務総長らとの定期協議を行う考えも示した。
 こうした流れを受け、2009年に日本はアフガニスタン中部チャグチャランの地方復興チーム(PRT)に文民支援チームとして外務省職員4人を派遣することを決定し、NATO加盟国のリトアニア軍の護衛を受けて活動を開始した。また日本政府はアフガニスタンの民生支援を重視する観点から前年には5年間で最大50億ドル(約4500億円)の支援を決定しており、国際協力機構(JICA)の専門家ら援助関係者がアフガンで活動する機会が増えることが予想された。そのためアフガン復興支援に携わる邦人が安全に活動できる地域を見極める治安情報の収集などが課題となった。
 そこで2010年6月、日本政府は、北大西洋条約機構(NATO)と「日・NATO情報保護協定」を締結し、相互の軍事上の連携を強化することで合意した。NATO軍が国際治安支援部隊(ISAF)として展開するアフガニスタンの治安情報などを入手しやすくする狙いがある。日本が同様の協定を結ぶのは、アメリカとの「日米軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」に次いで2番目である(図表1参照)。

ISAF撤退後の日・NATO協力を確認

 北大西洋条約機構(NATO)は2012年5月に米シカゴで首脳会議を開催した。会議後採択された共同宣言で、国際治安支援部隊(ISAF」のアフガニスタンにおける活動を、2013年半ばまでに戦闘主体からアフガン治安部隊や警察の訓練等、支援主体に切り替え、さらに2014年末までにISAFは戦闘任務を終了、アフガニスタン政府に治安権限を移譲して撤退する方針が確認された。そのためNATOはISAF撤退後のアフガニスタン治安部隊の活動を支えるための資金拠出を日本に期待した。
 この会議に参加した玄葉外相は、「2015年以降もアフガニスタンが持続的に安定し、発展可能であることを国際社会に示すことが重要だ」と強調し、日本も支援を継続する方針を表明した。そのうえで、アフガニスタンの安定と発展を支えるのは開発だとして、7月に東京で、アフガニスタンの復興と開発について話し合う閣僚級の会合を開催することを明らかにし、この国際会議で各国が資金面での支援表明を行うよう求めた。

4.厳しさ増す東西の安保環境が日本とNATOの接近を加速

日本・NATO政治宣言を発出

 政権が自民党に戻った2013年1月、安倍首相はNATOに特使を派遣し、ラスムセン事務総長に対して、日本とNATOの連携強化を呼びかける親書を送った。親書では「近年、東アジアの安全保障環境は、中国の海洋進出の活発化や北朝鮮の動向などによって厳しさを増しており、日本は地域の安定と繁栄の確保に積極的な役割を果たしていく」としたうえで、「日本とNATOは基本的な価値観を共有するパートナーであり、戦略的な環境が変化したという認識を共有したい」とし、日本とNATOの安全保障面での連携強化を呼びかけた。日米同盟の強化に加えてNATOとの連携を強化することで、中国や北朝鮮をけん制する狙いが込められていた。
 4月にはNATOのラスムセン事務総長が来日、安倍首相との会談で、挑発行為を続ける北朝鮮や海洋進出を強める中国を念頭に、日本とNATOの安全保障協力を強化することで合意。そのための具体的な方策や課題を盛り込んだ初の「共同政治宣言」に署名した。
 取り纏められた「共同政治宣言」では、アフガニスタンでのNATOの取り組みに対する日本の財政的貢献が重要であること、またアフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)に対する日本の役割を高く評価したうえで、欧州大西洋地域とアジア太平洋地域の安全保障環境は異なり、日本とNATO加盟国は地理的に離れているが、国境を超えた政治・安保上の動向の影響を受けることから、新たに出現しつつある安保上の課題に対処するための協力の必要性を認識していること、またサイバー防衛、テロ対策、大量破壊兵器とその運搬手段の不拡散、海賊対策等の海上安保などの課題がさらなる対話と協力が可能な分野に含まれるとの認識を共有した。さらに日本とNATOが安全保障上の共通課題に関する定期的なハイレベル政治対話を継続することも確認された。

国別パートナーシップ協力計画の制定

 アジア太平洋で中国、北朝鮮の脅威が高まる一方、2014年にはロシアがウクライナのクリミア半島を武力で併合し、欧州では俄かにロシアの脅威が強まった。東西ともに厳しさを増す戦略環境の中、日本とNATOの接近はさらに進んだ。
 2014年5月、安倍首相はブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)本部を訪問。NATO加盟28カ国の大使を前に講演した後、ラスムセン事務総長と会談し、海賊対処を含む海上安全保障やサイバー防衛、人道支援など幅広い分野での連携強化を確認。両氏は会談後、日本とNATOが重点的に協力する分野を纏めた「国別パートナーシップ協力計画」(IPCP)に署名し、以後、実効的な協力を推進する作業が進められるようになった(図表1参照)。
 会談後の共同記者会見で、安倍首相は「アジアと欧州の安全保障は密接に関連している。法の支配など価値観を共有する日本とNATOの協力は非常に重要だ」と強調した。またウクライナ情勢を引き合いに出し、脅しや強要による現状の変更は容認しないと述べ、こうした姿勢は欧州とウクライナだけでなく、東アジアを含めた世界全体に適用できるとの考えを示した。ラスムセン氏は、緊迫するウクライナ情勢を踏まえ「欧州は冷戦後、最大の危機を迎えている。志を同じくする日本との対話は重要だ」と述べた。
 この年の9月には自衛隊とNATOがソマリア沖のアデン湾で共同訓練を実施、11月には、防衛省がベルギーにあるNATO本部に女性自衛官を派遣することを発表した。NATOへの自衛官派遣はこれが初めてである。2015,16年にはNATOサイバー防衛協力センター(CCDCOE)が毎年行っている世界最大のサイバー防衛演習「ロックト・シールズ」に自衛隊がオブザーバーとして加わり、19年には正式に参加している。
 その間、2017年にも安倍首相はNATO本部を訪問し、ストルテンベルグ事務総長と会談、両首脳は海上安全保障分野での協力を強化することで一致。安倍首相は英国のNATO海上司令部に連絡官を派遣する意向を伝えた。会談では北朝鮮の核・ミサイル開発についても取り上げられ、ストルテンベルグ氏は北朝鮮の弾道ミサイル発射は国連決議に明確に違反しているとし、北朝鮮にミサイル開発を放棄するよう求めた。
 また2018年と20年の二回にわたり日本・NATO国別パートナーシップ協力計画(IPCP)が改定された。18年の改定では、日本がインド太平洋地域で行う演習にNATOの参加を検討することが盛り込まれた。それまで日本とNATOが行った協力活動のうち、最東端はアフリカ東部のソマリア沖・アデン湾での海賊対処共同訓練であり、インド太平洋地域での共同演習が実現すれば、日本とNATOの活動範囲はさらに東へ広がり、安倍首相が提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」を補強することになる。続く20年の改定では、協力の優先分野に「人間の安全保障」が追加された。この間、日本は2019年には英国のNATO海上司令部に海上自衛隊の連絡官を派遣したほか、初のNATO大使を任命している。

日本とNATO対中脅威認識を共有

 日本の主たる脅威は中国と北朝鮮、それにロシアである。一方NATOの主な警戒対象は冷戦当時は旧ソ連、冷戦後はロシアだった。だが共産党支配の中国が軍事的、経済的に台頭し、南シナ海などで国際法無視の行動を重ねたことから、中国もNATOの警戒対象となった。2019年のNATO首脳会議では中国の「脅威」が初めて議論され、2020年12月に公表された報告書では、中国をロシアと並ぶ「巨大な脅威」と位置づけた。ここに日本とNATOは対中国脅威の認識で一致することになった。
 21年3月、NATOのストルテンベルグ事務総長がドイツ・ミュンヘンで開かれた安全保障会議で演説し、台頭する中国について「我々の安保、繁栄、生活様式に大きな影響を与えかねない決定的な問題だ」と懸念を表明した。さらにストルテンベルグ氏は中露両国を「自分たちの利益のために(国際社会の)ルールを書き換えようとしている」と批判、NATOと日本・オーストラリア両国が「協力しなければルールに従うよう促せない」と述べ、日豪とNATO連携の重要性を訴えた。

ウクライナ戦争と中露脅威の一体化:加速する日本・NATO協力関係

 2022年2月、ロシアがウクライナに攻め込んだ。当初、ロシアは短期間でウクライナの東部地域やキエフ周辺を制圧する目論見であったが、ウクライナの激しい抵抗に遭い侵攻の速度は落ち、戦況は一進一退の膠着状況に陥った。そのため中国がロシアを間接的に支援するようになり、欧州とインド太平洋の安全保障を切り離して考えられないことが改めて示された。それに伴い、日本とNATOの連携の重要性が飛躍的に高まる年となった。
 22年4月、ブリュッセルで開催されたNATO外相理事会に、林外務大臣が招待を受け日本の外務大臣として初めて出席し、力による一方的な現状変更はどの地域においても許されず、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の実現に向けて、NATOとの連携を強化していきたいと述べ、NATO加盟国から強い賛同を得た。
 次いで6月にスペインのマドリードで開かれたNATO首脳会議に岸田首相が日本の総理大臣として初めて出席した。岸田首相は力による一方的な現状変更の試みに対して、国際社会が結束することや地理的に離れている日本とNATOがさらに結束を強めることの重要性を指摘したうえで、NATOのインド太平洋地域への関与拡大やサイバー、新興技術、海洋安全保障といった分野での協力を進展させていきたいと発言した(図表2参照)。

 この首脳会議で12年ぶりにNATOの戦略概念が更新され、中国については「多岐にわたる政治的、経済的、軍事的な手段を使って、力を誇示しようと」するなど「体制上の挑戦」を突き付けているとし、中国への懸念を初めて明記した。中国への警戒感を強める背景にはロシアと中国の接近がある。NATO諸国にとって、中露の接近は大きな懸念となっているのだ。そしてインド太平洋地域との協力が初めて盛り込まれた。即ちインド太平洋は欧州・大西洋の安全保障に直接影響し得る地域であり、NATOとして地域横断的な挑戦や共通の安全保障上の関心に応えるため対話を強化することが明記されたのである。
 ストルテンベルグ事務総長は、 2023年1月に韓国を訪問した際の演説で、「ヨーロッパで起こることは、インド太平洋にとっても重要だ。 そして、ここアジアで起こることは、NATOにとっても重要」であり、「我々の安全保障は繋がっている。 だからこそ、我々は団結して堅持し、国連憲章の完全な尊重を主張し、抑圧や専制が自由と民主主義に打ち勝つことがないようにしなければならない」と述べ、テロ対策、軍縮、サイバー防衛、法治に基づく国際秩序の維持に関する協力などインド太平洋地域のパートナーシップの重要性を強調した。

国別適合パートナーシップ計画(ITPP)の策定

 ストルテンベルグ事務総長は2023年1月、6年ぶりに日本も訪問し岸田首相と会談した。岸田政権は前年12月に閣議決定した安保関連3文書で、同盟国のアメリカだけでなく、日本と同じ外交・安保上の課題解決をめざす「同志国」との連携を打ち出した。NATOもインド太平洋地域への関与を深める姿勢を明確にしており、両氏は会談で「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)推進のための日・NATO連携強化を打ち出し、NATO理事会会合や参謀長会合への日本の定期的な参加を検討するなど、緊密な意思疎通を推進することも確認した。
 会談後共同声明を発出し、現下の安全保障環境を踏まえて日・NATO協力を「さらなる高みに引き上げていく」こととし、これまでの国別パートナーシップ(IPCP)(2014年策定、2018年5月及び2020年6月に改訂)を新時代に相応しいものにアップグレードした新たな協力文書の早期合意に向け作業を加速することが確認された。また日本側は、在ベルギー大使館が兼務しているNATO日本政府代表部を23年度に独立させると発表した。
 そして23年7月のNATO首脳会議に岸田首相が出席し、日本とNATOの安全保障協力に関する新たな文章である「日・NATO国別適合パートナーシップ計画(ITPP)」に合意した。ITPPは2023〜26年の4年間を対象とした文書で、「新たな安全保障課題」「従来からの安全保障課題」「協力活動の拡大」「基本的価値の促進」の四つを優先課題とし、合計16の具体的な協力分野が定められた。「新たな安全保障課題」の協力分野では、サイバー防衛や偽情報対策を含む戦略的コミュニケーション(NATO演習への日本のオブザーバー参加機会の増加など)やAI、量子技術、宇宙安全保障などが挙げられた。「従来からの安全保障課題」の協力分野は海洋安全保障や軍縮・不拡散、「協力活動の拡大」は危機管理や科学・技術、能力開発、「基本的価値の促進」は人間の安全保障などがそれぞれ協力分野に盛り込まれた。ITPPの策定により、日本とNATO協力は「新たな高みへ」と引き上げられた(図表3参照)。

 首脳会議後に採択されたコミュニケでは、「中国の野心と強圧的な政策は、われわれの利益、安全及び価値に対する挑戦である」と警戒感を示し、この挑戦に対し「同盟国の防衛と安全を保証する能力を確実なものとする」と明記された。同時に域外のパートナー国との関係強化も盛り込まれ、特にインド太平洋の日本、韓国、オーストラリア(豪州)、ニュージーランドとの関係強化が強調された(図表4参照)。

NATO東京事務所開設の動き

 こうした動きが進む状況の下、NATOが東京に連絡事務所を開設する方向で検討していることが明らかになった。NATOの連絡事務所は非加盟国では現在、ウクライナなどに置かれており、実現すればNATOにとってアジアで初の連絡事務所となる。ロシアとウクライナでの戦争が長期化し、欧州の足元で緊張が高まる中、アジアの日本に連絡事務所の設置を検討する動きの背景に、中露脅威の一体化が関わっていることは間違いない。
 中国はウクライナとの戦争で苦戦が続くロシアへの支援を続ける一方、台湾や南シナ海等アジア地域で軍事的な威嚇行動を強めており、また欧米に対し経済的な威圧政策を採る構えも見せている。一方ロシアは中国の台湾統一政策を支持し、また武器弾薬の提供を受けるなど北朝鮮への接近も強めている。ロシアと中国、さらに北朝鮮という権威主義国の脅威が一体化するのに伴い、欧州とインド太平洋の安全保障環境も不可分一体化しているのだ。
 そのような戦略環境において、英仏独など欧州のNATO加盟国はインド太平洋への艦艇や航空機の派遣を年々拡大させており、自衛隊との共同訓練も頻繁に実施するようになっている。個々の加盟国に留まらず、早晩NATOとしてインド太平洋に軍事的な関与を強めていく事態も想起し、NATO及びその欧州加盟国がインド太平洋地域において活動する際の連絡調整や情報交換の窓口ないし受け皿を一本化するうえで日本が最適と考えられているのだ。
 もっとも、日本とNATOの連携強化に関する認識がNATO加盟国で完全に一致しているわけではない。そもそもNATOの在り方や進むべき方向についても、その創設初期からアメリカとフランス等大陸諸国との間には考え方の相違が存在している。東京にNATOの事務所を設置するという案件についても同様で、アメリカが積極的であるのに対し、フランスやドイツは反対あるいは慎重な立場にある。アメリカは、日本とNATOの関係を強化することで、アジア太平洋と欧州・大西洋の結び付気を強め、権威主義勢力の膨張に対処する枠組みをグローバルに一体化させたいと考えているが、フランスやドイツは中国との関係を悪化させることへの懸念が強いためだ。米中の対立に巻き込まれるのを避け距離を置きたいとの思惑もある(図表5参照)。

 一方、中国はNATOの拡大に非常に神経を尖らせている。NATO首脳会談が開かれた23年7月、中国外務省の汪文斌副報道局長は「NATOは国際秩序を守ると言いながら、国際法などを無視し、他国の内政に干渉して、危機を煽っている」と主張、「NATOがアジア太平洋地域に東方進出すれば、新冷戦のような対立を引き起こすだけだ」として断固反対を表明した。石破首相がアジア版NATOの創設を提唱したことにも中国は強い警戒感を示している。
 そのため東京事務所を開設することでNATOが日本を拠点にインド太平洋地域で安全保障活動を広げるようになれば、あるいはそのような行動にNATOが出ると中国側に受け止められることで対中関係を悪化させることをフランスのマクロン大統領は恐れている。ドイツのシュルツ政権も対中関係への考慮から慎重な姿勢を崩していない。東京に事務所を開設するためには、NATOの最高意思決定機関である北大西洋理事会で全加盟国の合意が必要だが、仏独の消極姿勢から、現在東京にNATOの連絡事務所を開設する構想は棚上げ状態になっている。

5.進むNATOと日本の安全保障協力

NATO結成75周年

 24年7月、創立75年を迎えたNATOの首脳会議が米ワシントンで開催された。ウクライナ戦争の長期化と戦線の停滞に伴い、武器弾薬の確保に苦しむロシアを中国が支援する構図が強まっている。カーネギー国際平和財団の報告では、ミサイルやドローン(無人機)、戦車などの部品に転用可能な50品目について、ロシアが中国から輸入する割合は21年の32%から23年には89%に急増したという。
 そのため最終日に纏められた首脳宣言では、中国をロシアの対ウクライナ戦争における「決定的な支援者になっている」と痛烈に非難し、兵器への転用が可能な物資や原材料の輸出などロシアの侵略戦争を支えるすべての物的、政治的支援の停止を求めた。さらにサイバー攻撃や偽情報工作の是正のほか、その急速な核軍拡に関し、核リスクの低減に向けた戦略対話に応じ透明性を高めるよう中国に求めた。
 NATOは2022年の「戦略概念」で中国を初めて「体制上の挑戦」と位置づけ、23年の首脳宣言では「中国の野心と威圧的な政策はNATOの利益や安全、価値観への挑戦」と記したが、ストルテンベルグ事務総長は今回の首脳宣言で「NATOとして中国にこれまでで最も強力なメッセージを送った」と強調した。またロシアに武器・弾薬支援を続けているイランや北朝鮮についても、国連安全保障理事会の決議に違反し弾道ミサイルの供与など「直接の対露軍事支援を行っている」と非難し、露・朝・イランの関係強化に「重大な懸念」を示した。
 このNATO首脳会議に岸田首相は一昨年、昨年に引き続き3年連続して参加し、演説において露朝協力を「深刻に憂慮すべきだ」と警鐘を鳴らすとともに、中国を念頭に「東・南シナ海における力による一方的な現状変更の試みは認められない」と強調した。さらに「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」との強い危機感を表明し、欧州・大西洋とインド太平洋の安全保障は不可分であると述べ、多くの首脳がこの認識を共有し、インド太平洋への関心と関与を高めていることを歓迎した(図表6参照)。

 首脳会議に先立ち岸田首相はストルテンベルグ事務総長と会談。安保協力の一環として、欧州・大西洋地域での共同訓練の実施を検討することや、(1)秘匿情報共有体制の強化(2)NATO主催のサイバー防衛演習への参加(3)ラトビアにあるNATO戦略的コミュニケーション研究センターへの軍事情報分析の専門家派遣などについても言及し、ストルテンベルグ氏は日本とNATOの協力進展を歓迎する旨述べた。両者はさらなる協力の推進でも一致した。さらに日韓豪ニュージーランド4か国の首脳が参加するパートナーセッション(P4)が開かれ、(1)ウクライナ支援(2)サイバー防衛(3)偽情報対策(4)クノロジーの4分野での協力強化をうたう首脳宣言が出された。

NATO国防相会合に日本が初参加

 最近の動きを見ると、24年8月海上自衛隊練習艦隊がナポリに寄港し、NATO常設海上部隊との共同訓練を実施。9月には米ハワイで開かれたインド太平洋参謀総長等会議にNATO軍事委員長や英国防参謀総長も出席。吉田圭秀統合幕僚長が両者と個別に会談し、連携を確認した。
 さらにNATOは24年10月の国防相会合に、インド太平洋地域のパートナー国である日本、韓国、豪州、ニュージーランドの4カ国(IP4)の国防相を初めて招待した。NATOは22年から3年連続して4カ国を首脳会議に招待。今回国防相会合へと枠組みを広げたのは、ロシアが中国や北朝鮮と軍事的連携を深めていることを意識したものだ。会合には日本の防衛相として初めて中谷防衛相が参加した。
 NATO加盟国とIP4の国防相は会合で、中露の連携を念頭に、欧州・大西洋とインド太平洋地域を結ぶ安全保障協力を強化する重要性を確認。またウクライナ支援、防衛産業の強化、サイバー防衛、偽情報対策などの分野で協力を進めることで合意した。中谷国防相は「基本的価値と戦略的利益を共有する同志国との連携を深め、日本とNATO、NATOとIP4で一層協力を進展させることが重要だ」と述べ、中露の力による現状変更の試みに対抗するための連携強化を呼びかけた。また引き続きウクライナ支援を続けるとし、自衛隊車両を追加提供する考えを示した。
 NATO加盟国にとって最大の関心でありかつ脅威はロシアである。日本としては、サイバーや宇宙といった防衛上の共通の課題で連携を深めつつ、中国及び中露脅威の一体化を強調し、中国が軍事的な影響力を強めるインド太平洋への継続的な関与をNATO側から引き出したいところだ。NATOのルッテ事務総長は会合後の記者会見で「協力深化の明らかな証左だ」とインド太平洋地域からの参加を歓迎。中国に関しては「欧州最大の紛争を支援し続ければ、中国の利益や評価に影響が及ぶことは避けられない」と改めてけん制した。

6.日本・NATO協力の今後

 アメリカの影響力が相対的に低下している一方、中露北朝鮮イランの権威主義枢軸が行動を活発化させている。そしてインド太平洋地域と欧州大西洋地域の安全保障が一体不可分となっている現在の国際情勢に鑑みれば、日米同盟や日米合印のクアッド、AUKUS,さらにアメリカが進めている日米韓、日米比といったミニラテラルな安保枠組みと、欧州大西洋地域の集団防衛機構であるNATOを連接連携させることで、自由民主諸国のグローバルな安保協力枠組みを整備する必要性及びその意義は極めて大きいものがある。
 中露の脅威及びアジアと欧州の安保環境の一体化に伴い、欧州NATO諸国のインド太平洋地域への関心と関与は急速に強まっている。そのような情勢の下で、東京にNATOの事務所が設置されれば、ロシアに関する欧州からの最新の情報を日本は入手しやすくなる。
 またNATOとの軍事技術面での連携協力を深めることで、日本の防衛装備品の海外輸出に途を開くことが出来るほか、NATO諸国との二国間あるいは多国間共同開発プロジェクトを立ち上げることによって開発コストの節約や最新技術の習得も可能となる。一方、日本がアジアの情勢や軍事情報をNATOに提供するなど欧州諸国のアジア認識形成に我が国が関与することは、日本とNATOの戦略的な距離を縮め連携を深めるうえで好都合である。
 安倍、岸田両政権の下で日本とNATOの物理的な距離は狭まり、緊密な関係が築かれてきた。アメリカとの連携も図りつつ、その流れを今後もさらに推し進めていく必要がある。独自の外交に拘るフランスや、冷戦後、メルケル政権の下で中国への経済依存度合いを強めてきたドイツは中国との良好な関係を維持しようと努めるだろうが、日本としては引き続きこれら両国に対し、中国の脅威が急速に増大している実態を丁寧に説明し、中国に対する警戒意識を促し続けていくべきである。そのような取り組みが、東京へのNATO連絡事務所開設の開設に繋がることにもなろう。
 その際、NATOのアジア拡大を警戒する中国がそうした動きを主導する国として日本への恫喝や圧力を加えてくる危険性がある。最近、中国軍の情報収集機が長崎県沖の領空を侵犯(8月26日)したほか、中国の測量艦が領海に侵入(8月31日)、また中国空母が我が国の接続水域を始めて航行した(9月18日)。さらに中国はロシアとの軍事的連携を強め、中露合同艦隊がしきりに日本周辺を遊弋するなど既に中国は日本に対する威嚇的な行動を繰り返しているが、今後さらに挑発的な動きを強め事態をエスカレートさせる恐れもある。
 一方、英国と異なり欧州の大陸諸国は中国に対する軍事的脅威よりも経済的な利益に傾く傾向があること、またそれら諸国との安保協力は中国をけん制する政治的な効果は持ち得ても、台湾や東アジア有事での対応など安全保障面での関与や効果は限定的なものに留まることから、中国を刺激することは得策ではないとして日本とNATOの関係強化に反対する立場もある。
 確かに多国間の安保協力を進めるにあたっては、国や地域によって微妙に異なる国際認識や地政的な相違、限界を正しく認識し、政策の実効性や期待可能性、プライオリティの明確化などに留意する必要はある。だが中国が神経を尖らせているということは、裏返せば日本とNATOの接近連携が対中政策において大きな効果を発揮しているということでもある。
 殊更に中国やロシアを刺激するような政策や行動は避けねばならず、また日中間のコミュニケーション回路を維持することは重要だが、その恫喝に臆し、屈服することがあってはならない。東アジアで膨張と威圧を強めている中国に対処するため、抑止力向上を目的に日米同盟の緊密深化と並行してグローバルな枠組みを整備する必要や意義は高く、日本はNATOとの協力関係を進めることに躊躇してはならない。

(2024年10月21日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)

国際情勢マンスリーレポート
近年、日本とNATOが急速に接近しつつあるが、その背景を昨今の激動する国際情勢をもとに、歴史的経緯も含めて考察する。

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