創設から80年:“冬の時代”を迎え苦悩する国際連合 ­—機能不全の現状とその背景、課題を考える­—

創設から80年:“冬の時代”を迎え苦悩する国際連合 ­—機能不全の現状とその背景、課題を考える­—

2025年8月31日
はじめに

 秋は世界の目が国連に向けられる季節だ。毎年9月中旬に国連総会がニューヨークの国連本部で開かれ(会期は翌年9月まで一年間)、その約2週間後に一般討論が開始される。国連事務総長と総会議長に続いて、国連加盟国等の代表が当該総会会期に重視する課題等について問題提起する。
 国際的な諸課題に対する自国の取組を世界にアピールする絶好の機会であることから、例年各国の首脳らが参加し、話題性の高い演説を行うのが通例だ。今年は国連が創設されてから80年を迎える節目の年でもある。例年以上に国際社会の国連に対する関心が高まることが予想される。
 だが、国連を取り巻く環境は昨今の国際情勢と同様、非常に厳しいものがある。創設されて以来、最も苦しい立場に置かれているといっても過言ではない。そこで国連総会の開催を前に、最近の世界の動きを中心に、またこれまでの国連の変遷も回顧しつつ、「国際の平和と安全を維持する」(国連憲章第1条)という国連本来の機能が発揮し得ていない状況やその原因、取るべき対策などを眺めてみたい。

1.国際連合の誕生

 第2次世界大戦後、国際連盟に代わる集団安全保障機構として国際連合が誕生した。新たな国際平和維持のための機関を創設する考えは大戦中より米英を中心に連合国側で検討作業が進められた。1941年8月、ルーズベルトとチャーチルの米英両首脳は大西洋上に会談し、戦後国際秩序に関する大西洋憲章(英米共同宣言)を結び、その第8項で国際平和機構の設立が提起された。
 次いで日米参戦後の42年1月、連合国共同宣言が発表され、米英ソ中を含む連合国26か国が大西洋憲章の原則を受入れた。The United Nations(連合国、国連)の名称はこの宣言の中で用いられたのが起源で、反枢軸諸国を指し示すためにルーズベルト大統領が発案したものといわれる。
 そして米国ではハル国務長官を長とする戦後外交政策諮問委員会が設置され、戦後における国際平和機構設立に向けた研究が進められた。ルーズベルト大統領は、米英に加え欧州戦線でドイツを圧倒しつつあったソ連とアジアで抗日戦線を展開していた中国が「4人の警察官(Four Policemen)」 となって戦後国際秩序の維持に担たるべきと考えていた。そのため、新機構は彼の構想を具体化させる事業と位置づけられた。
 連合国有利の戦況を背景に43年10月、米英ソ三国外相がモスクワに集い、米国の考えをベースに新国際平和機構設立に関する基本原則(一般安全保障に関する4か国宣言:モスクワ宣言)を策定(注:4か国となったのは最終日に駐ソ中国大使が加わったため)、米英ソ中は、枢軸国に対し戦争遂行を誓った共同行動を平和と安全の組織化と維持のために続行することを約すとともに、できるだけ早い時期に平和愛好国の主権平等を基礎とした一般的国際機構を樹立する必要性について承認した。
 1944年8〜10月、米英ソ中代表がワシントン郊外ダンバートンオークス邸に集い、米草案を中心に新機構設立の具体案作成にとりかかった(ダンバートンオークス会議)。その結果、世界の平和と安全の維持のため米英仏ソ中の5大国を常任メンバーとする安全保障理事会を新機構の中心に据え、この理事会に強大な権限を付与することで合意が成立する等基本的枠組みが定まり、国連憲章の骨子が固められた。新たにフランスが付け加えられたのは、英国チャーチル首相の意向に拠るものであった。
 但し、安全保障理事会の票決方法に関し大国の拒否権を全面的に主張するソ連と、これを否認する米英の主張が対立する等若干の問題は解決できなかった。その後、ヤルタ会談(45年2月) における米英ソ3首脳の話合いの結果、妥協が成立した。手続き事項と非手続き事項を区別し、手続き事項を除く一切の事項(非手続き事項)に関わる決定には5常任理事国全部の賛成を必要とするとの米提案をソ連が受け容れたためである。
 1945年4月25日からサンフランシスコで国際連合創設のための国際会議が開催され、ヤルタ合意で補完されたダンバートンオークス草案が国連憲章の原案として討議に付された。その結果、集団的自衛権の規定(憲章第51条)等一部追加、修正がなされた後、会議最終日の6月26日に参加50か国代表が憲章草案に採択(ポーランドは出席しなかったが後に調印)、同年10月24日に国連憲章が発効し、加盟51か国をもって国際連合が正式に発足した。こうした経緯から窺えるように、国際連合は米国の主導の下で誕生したのである(図表1参照)。

2.冷戦による国連の機能不全

 「国際の平和と安全を維持すること」を主たる目的として設立された国連は、平和的手段による国際紛争の解決を加盟国に義務づけるとともに、「戦争」に限らず広く「武力による威嚇または行使」を原則として禁じた。そして紛争の平和的解決義務の履行を実効あらしめるため、5大国で構成される安全保障理事会に広範な権能を与えた。
 ところが国連発足から間もなくして米ソの対立が表面化、さらに冷戦が激化するにつれて5大国の協調は得られず、安全保障機構としての国連の機能は大きく制約されてしまった。安全保障理事会の常任理事国、なかでも米ソが鋭く対立し互いの提案に拒否権を発動しあい、安保理は何も決定できない時期が長く続いた。
 苦肉の策として、安保理の権限を総会に移す方法が編み出された。その代表が「平和のための結集(Uniting for peace)」決議(総会決議377A)である。1950年11月3日に総会で採択されたこの決議は、安保理が拒否権のために行動を妨げられたときは、総会に審議の場を移し、総会の3分の2の多数で集団的措置を勧告できるなど安保理が国際の平和および安全の維持のために果たすべき機能を総会が代行し得るようにするものである。
 また5大国の一致が得られず集団安全保障措置、即ち国連憲章第7章に定める軍事的強制措置の発動(=国連軍の編成)が困難な状態を是正し国際紛争の鎮静化を図るため、国連は強制措置に代わり停戦の実現や停戦状況の監視をめざす平和維持活動(PKO)に注力するようになっていく。

3.冷戦の終焉と国連の機能発揮

 その後、冷戦が終焉を迎えた1980年代後半から90年台初頭にかけて、東西の対立が影を潜めるのと歩調を合わせ、国連の活躍する場面も増えるようになった。冷戦期には3百回近く行使された安保理における拒否権の発動も急激に減少し、漸くにして5大国の協調が望めるようになったからである。安保理の活動状況を見ても、例えば1991年には53回安保理が招集され42の決議が採択されたものが、93年には171回の招集で93の決議が採択される等その活発な活動ぶりが窺える。
 国連の安全保障機能が活性化したのは、ゴルバチョフ書記長の登場でソ連の国連政策が協調的なものに変化したことに拠るところが大きかった。国連憲章が定める国連軍の創設には至らなかったが、それに代わる措置として湾岸戦争では米ソの協調により、加盟国で編成された多国籍軍がイラクに対し武力を行使することも可能になった(武力行使容認決議の採択)。
 以後、米国は安保理決議という「お墨付き」を得て軍事行動を展開させ、一方で自前の兵力をもたない国連は米軍と連携することが多くなった。それは冷戦終結直後の米国が、中露を含む他の常任理事国に対し絶大な影響力をもっていたから可能であった。その創設以来、初めて国連が本来の機能を発揮できる環境が整い、国連に対する期待感が最も高まった時期であった。
 冷戦期に編み出された国連の平和維持活動も活発化した。1988年初頭には僅か5か所だったものが、以後の5年間で14もの新しいPKO 活動が世界各地で組織された。これは、1948年に最初の国連平和維持活動であるUNTSO (国連パレスチナ休戦監視機構)が組織されてから1987年までに組織された全てのPKO の13件を上回った。1948年から2003年末までの間に合計56件のPKO が設立されたが、そのうちの43件が1988年以降に設立されたものである。
 数の増加だけではなく、冷戦終焉後はPKOの規模や内容も変化した。従来のPKOは大国の代理戦争の色彩が強い地域紛争に対し、各国から派遣された軍人からなる平和維持部隊や監視団が停戦の実現や停戦状況の監視に当たるものであった。しかし東西冷戦の終焉に伴い、大国が地域紛争への関与を止めるようになった。それまで長期間続いた紛争で国土は疲弊し、そのうえ大国が引き上げたことで紛争当事国の統治能力は低下し、国家崩壊の状態に陥るケースが生まれた。
 そのため冷戦後のPKOは紛争の停止だけでなく、紛争地域の武装解除や治安の回復、崩壊した国家の再建など幅広い任務を手掛けるようになった。それに伴い軍事部門に加えて多数の文民が加わり、警察、選挙監視、行政、人権監視、教育などの業務に従事する任務も規模も拡大した複合多機能型のPKOが登場したのだ。その典型例として、統一政府を選出し得ない状態にある地域に派遣された国連ナミビア独立支援グル−プ(UNTAG)や国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)等が挙げられる。

4.ガリ構想と強制型PKOの誕生

 平和維持活動が活発化する中、1992年1月31日、国連本部で開催された安全保障理事会の第3046回会議では、冷戦後の世界における国連の安全保障上の役割が議論された。これは安保理構成国15か国の首脳クラスが参集した史上初の会合で、安保理サミットとも呼ばれた。
 議長役のメージャー英国首相は会議冒頭、「安全保障理事会は1年前、イラクによるクウェート侵略という挑戦に成功裡に対処したが、今日新たな課題に直面しており、この時期に首脳レベルによる会合を持つのは適切なことである」と述べ、「国連を通じた集団的安全保障の手段を改めて考慮し、またそれを如何に発展させて行くか考えるべき」であり、「今こそ使用可能な全ての手段について見直しを行うべきだ」との問題提起を行った。
 メージャー演説の後、参加各国の討議が行われ、会議終了時には「国連の予防外交、平和創造及び平和維持に関する能力を国連憲章の枠組みと規定の範囲内で強化し、より有効に行う方法についての分析と勧告を作成する」旨事務総長に対する要請を盛り込んだ議長声明が出された。
 その回答として、92年6月にブトロス・ブトロス・ガリ事務総長から安保理事会に提出されたのが、全10章からなる「平和への課題(An Agenda for Peace)」と題する国連改革案であった。このガリ報告では、これまでの平和維持(peace keeping)活動の強化に加え、予防展開型のPKOや平和強制型PKOの創設が提言された。
 なかでも注目を集めたのが平和強制型のPKOであった。これは従来の平和維持軍とは別個に、停戦合意が破られた場合に平和維持部隊が軍事力を行使し実力で停戦を確保するもので、その性格は停戦強制部隊と呼ぶべきものである。従来のPKO部隊は自衛のための武器使用しか認められておらず、ピストル、自動小銃、機関銃、迫撃砲、装甲兵員輸送車、輸送機、補給用ヘリなどしか装備できなかったが、平和強制部隊はさらに戦車や攻撃用ヘリ、攻撃機等破壊力の高い武器も装備が可能とされた。

5.内戦型紛争の多発とPKOの限界

 だが、国連に対する期待感や高揚感も決して長くは続かなかった。まず平和維持活動の限界が表面化した。紛争が発生する前に平和維持部隊を送り込み、紛争の未然防止に努める予防展開型のPKOはマケドニアで一定の成果を収めることが出来た。しかし平和強制型PKOはソマリアやボスニアでの紛争に投入されたものの、結果的にいずれも失敗に終わった。ある程度の装備を強化しただけでは停戦の実現は困難であり、逆に紛争当事者から平和維持部隊が大規模な反撃を受けたり、隊員が拘束される事態に陥ったのである。
 さらに冷戦後、平和維持活動そのものの継続が難しくなる事態が持ち上がった。大国が引き上げた後のアフリカでは、国家対国家の紛争よりも中央政府の統治が行きわたらない内戦型の紛争が多発するようになった。紛争には多くの部族や氏族が絡みあい、さらに麻薬取引やテロに関係する暴力集団や盗賊のグループも加わり、無法無秩序な状況の下で平和維持部隊が襲われたり、人道援助活動が妨害されるなど国連の権威が無視される事態が相次いだ。一般の市民も攻撃の対象とされ、それを平和維持部隊が守ることが困難なケースも多発した。
 そのため、アナン事務総長は平和維持活動全般を再検討するため「国連平和活動検討パネル」を設置(2000年)し、平和維持部隊の自衛力を強化する必要があるとして、PKO 活動に対する妨害や敵対行為を断固排除するため、反撃力の付与(武力行使権限の拡大強化)やPKO 部隊の規模拡大、装備増強等を勧告する報告書が提出された(ブラヒミ報告)。 
 これを踏まえ主要な当事者の合意があれば、平和維持部隊の任務妨害の抑止や一般市民の保護等限定明記された特定の目的を遂行するため、PKO部隊に(自衛の範囲を超えて)限定的な武器使用を認める「積極的PKO(強化されたPKO)」が編成されるようになった。
 紛争当事者の特定や当事者間の明確な停戦合意の確認が容易であった(代理戦争型)国家間紛争から、冷戦後、紛争当事者の特定が困難でPKO活動への支持協力を得にくい内戦型紛争へと地域紛争の性格が変化し、PKOに求められる役割や態様も変化を求められたのである。積極的PKOはそうした要請に応えるための試みであった。しかし、平和維持部隊に派遣された軍人が襲われたり犠牲になることを恐れ、あるいは平和維持活動経費の増大に耐えかねて国連加盟各国がPKOへの参加や要員の拠出を厭うようになり、国連の平和維持活動は勢いを失っていく。

6.強まるロシアと欧米の対立

 国連の平和維持活動が低迷状態に陥っただけではない。冷戦後、ソ連の後継として安保理常任理事国となったロシアと欧米の関係が次第に悪化し、安保理事会の機能発揮も難しくなっていった。先述したように強制措置による平和確保のアプローチについては、米国と国連の連携の下で多国籍軍システムが打ち出されたが、その方式が踏襲されるにつれて、欧米諸国が他国の内戦に介入するケースが目立つようになる。
 1999年、セルビアのコソボ自治州で民族紛争が激化。これを受け米国などは「アルバニア人がセルビア人民兵に虐殺されている」と軍事介入を主張したが、ロシアや中国、なかでもセルビアと近いロシアは「セルビアの主権を侵害する」と強く介入に反対。結局、安保理の決議が得らぬまま、NATO(北大西洋条約機構)はコソボに軍事介入した。その後、イラク(2003)でも安保理決議なしの軍事介入が行われ、ロシアや中国は欧米に対する警戒感を強めた。
 ロシアでプーチン政権が誕生すると、ロシアと欧米の対立はさらに強まっていく。ソ連崩壊後、混乱の時期が続いた新生ロシアを立て直したのが、エリティンから大統領職を引き継いだプーチン氏である。原油価格が高騰する中、プーチン大統領はロシア産石油・天然ガスの輸出を軸にロシア経済を回復基調に戻すとともに、米国と渡り合ったソ連時代への回帰の思いを基に“強いロシア”の再興に注力、また中国との連携を強め、世界の多極化を促すことで米国の世界支配に挑戦するようになった。
 プーチン大統領は中東ではシリアのアサド独裁政権やイスラエルと対立するイランを支援、また軍事力を以てチェチェン紛争やジョージア紛争をロシア優位に解決したあと、西側への接近を目指すウクライナへの干渉を強めていった。こうしたロシアの覇権主義的な行動は当然ながら欧米との軋轢を生む。常任理事国(P5)間の意見の一致を得ることは日増しに難しくなり、2022年にロシアがウクライナ侵略を開始したことで対立は決定的となり、P5は麻痺状態に陥った。その経緯を簡単に振り返っておこう。 2010年12月、チュニジアで警察による暴力を受けた青果行商の青年が抗議の焼身自殺をした。これを機に民衆の大規模な反政府デモが発生し、翌年1月には23年間続いたベンアリ独裁政権があっけなく崩壊した。以後、中東各国では独裁政権の打倒と民主化を求める民衆の大規模な抗議運動が多発する。
 この“アラブの春”が波及し、2011年3月シリアでも民主化を求める反政府デモが起こった。これに対しアサド政権は治安部隊だけでなく軍隊も動員し反体制派の弾圧を強めたため、民主化を目指す国内外の反体制派はシリア国民連合を結成し、その軍事組織である自由シリア軍とアサド政府軍との間で戦闘が激化した。さらに反体制派内部の足並みが乱れるや、イスラム過激派もアサド政権との戦闘に加わるなど情勢は混迷化していった。
 この事態を受け、国連安保理ではシリア政府に暴力の停止を求める決議案が審議されたが、アサド政権を支持するロシアと中国が拒否権を行使し、決議案は二度も否決された。そのため欧米諸国や日本はそれぞれ独自に資産凍結や取引禁止等の対シリア経済制裁を実施。2012年4月には、アナン前国連事務総長が仲介する停戦案をアサド政権が受け容れたことで国連が監視団を送ったが、民衆や反体制派に対する政権側の攻撃は止まず、監視団は活動停止に追い込まれてしまう。
 中東への影響力拡大に動くと同時に、旧ソ連諸国への影響力拡大を目指すプーチン大統領はウクライナへの干渉を強める。ウクライナは旧ソ連圏の中で最もロシアと強いライバル関係にあるが、一方でエネルギーの大半をロシアに依存している。そこでプーチン大統領はウクライナへの天然ガスの供給を停止させたり、その価格を大幅に引き上げることで圧力をかけていった。
 その後ウクライナでは2014年2月に親露派のヤヌコビッチ大統領の政権が民衆の蜂起で崩壊。ロシアは新政権を認めず、露軍の支援を受けたウクライナの親露派勢力がクリミ半島を占領、住民投票でロシアへの編入を決める。国連安保理では米国が主導して住民投票を無効とする決議案を提出したが、ロシアの拒否権で葬られ、プーチン大統領は3月、クリミアのロシアへの編入を宣言する。
 これと並行して、ロシアに接するウクライナ東部のルガンスク、ドネツク両州(ドンバス地域)でも、露軍の支援を受けた親露派武装勢力が2州のロシアへの併合を求め政府軍と衝突(ウクライナ東部紛争)。「ドネツク・ルガンスク両人民共和国」を自称し、実効支配地域を拡大した。2014年9月、ウクライナ政府と親露派勢力はベラルーシの首都ミンスクの会合で停戦合意に漕ぎつけた。しかし合意は履行されず、15年2月ミンスクでウクライナと独仏露4カ国の首脳会談が行われ、再度の停戦合意(ミンスク2)が成立。これで一旦は停戦したものの、その履行をめぐる双方の隔たりは大きく、以後も断続的に戦闘が続いた。

7.ロシアのウクライナ侵略で露呈した国連安保理の限界

 2022年2月22日、露軍がウクライナへの侵略を開始。欧米とロシアの対立は決定的となる。ロシアがウクライナへの侵攻を開始した直後の2月25日、国連安保理に米国とアルバニアが共同提案したロシアの武力行使を非難し、即時撤退を求める決議案が提出された。しかしロシアが拒否権を行使し決議案は否決された。
 安保理での決議案否決を受け、国連総会は3月2日、緊急特別会合を開催し、ロシアに対し軍事行動の即時停止とウクライナ領土からの即時・完全・無条件撤退を求める決議案を採択した。この決議には日本を含む141カ国が賛成し、圧倒的な支持を得た。この総会決議は世界の多くの国がロシアの行動を非難し、平和的解決を強く求める意思を明確に示すものとして大きな意味を持ったものであり、以後、総会は幾つかの決議を採択したが、いずれも法的な拘束力はなく、ロシアの侵略を阻止することは出来なかった(図表2参照)。

 事後、開戦から3年半以上の時が経過したが、戦闘の縮小や停戦に向けた交渉・協議の促進など国連が主導し紛争の解決に成果を上げた事例は皆無に近い。冷戦当時のように国連安保理が機能し得ない状況に舞い戻ってしまったのだ。
 国連が期待された役割を果たせない最大の理由は、国連安全保障理事会の構造的な問題、特に常任理事国の「拒否権」の存在にある。 国連憲章第27条は、安保理の「実質事項」に関する決定には、常任理事国(米、英、仏、露、中国)全ての賛成票が必要とされている。ロシアがウクライナに侵攻したように、常任理事国が紛争の当事者だったり、紛争に深く関わっている場合、安保理決議案に拒否権を行使しその成立を阻止できるため、安保理が紛争解決のために強制力のある措置を講じることが出来ないのだ(図表3参照)。

 安保理がロシアのウクライナ攻撃を「侵略行為」(国連憲章39条)と認定し、制裁など厳しい対応をとるには安保理決議の採択が必要だが、ロシアが侵略の正当性を繰り返し主張し拒否権を行使するため、法的拘束力のある決議はこれまで一度も成立していない。
 こうした弊害を是正すべく、長年にわたり安保理の改革が議論されてきた。しかし、常任理事国が自らの持つ権限の制限に強く抵抗すること、また国連憲章の改正が困難なことから、改革の実現を阻んできた。2013年にフランスは戦争犯罪や大量虐殺の審議で拒否権行使を控えるよう提案。仏英両国は人道危機問題では自ら拒否権を使わないことを約したが、それ以上の動きには至っていない。国際連合は1945年に51カ国の参加で発足し、現在加盟国は4倍近い193カ国まで増えた。拒否権を持たず、選挙で選ばれる非常任理事国は1965年に6カ国から10カ国に増やす決定がなされたが、常任理事国は当初から変わっていない。
 半世紀以上も構成が変わらないのは、見直しには国連憲章の改正が必要となるためだ。憲章の改正は、常任理事国すべてを含む国連加盟国の3分の2が改正案を採択しそれぞれの国内手続きを経る必要がある。このハードルの高さから、憲章改正は国連創設からこれまで3度しか行われておらず、常任理事国の交代やその権限制約は一度も実現していない。
 ロシアの姿勢は国連加盟国、さらに常任理事国としての適格を欠き、加盟国の資格停止や除名処分が検討されて然るべきだ。だがそれらの措置は安保理の勧告に基づき総会が行うが、安保理常任理事国の同意が必要とされる(憲章5,6条)。そのため常任理事国の排除は、当該常任理事国が自国の除名または資格停止に同意しない限り、現行の国連憲章を改正せずには為し得ない構造になっている。
 要するに、常任理事国の拒否権行使に歯止めを掛けることは事実上不可能であり、ロシアのウクライナ侵略によって、国連がその設立当初から内在させている機能上の限界があらためて表面化することになったのだ。

8.戦火拡大する中東情勢に機能発揮できず

 ウクライナの主権と領土の尊重を無視したロシアによる侵略行為を阻止することが出来ず戦争終結の目処も立たない中、中東ではハマス・イスラエル双方による民間人を巻き込んだ無差別な殺戮行為が生起した。
 2023年10月7日、パレスチナ自治区ガザを拠点とするパレスチナのイスラム組織ハマスの武装メンバーがイスラエル南部で開かれていた音楽イベントを襲撃し、イスラエル人1200人が殺害され、連行された人質は100人から150人と発表された。イスラエルのネタニヤフ首相はハマスへの報復を誓い、ガザ地区への大規模な攻撃に踏み切った。それに伴い、ガザ地区に住む多数の一般パレスチナ人もイスラエル軍の攻撃の犠牲になっている。しかし、国連安全保障理事会では、戦闘停止を求める決議案が各国の対立から繰り返し否決された。
 ハマスは非難されるべきか、またイスラエルの反撃はどこまで認められるのかが争点となるなか、パレスチナ寄りの立場をとり衝突の原因はイスラエルによる占領政策にあるとするロシアは、ハマスを非難せずに即時停戦を求める決議案を提出。しかし、欧米や日本などは「ハマスを非難しないのは許されない」として反対する。
 その後、議長国のブラジルが、ハマスを非難したうえで人道的な戦闘の一時停止を求める決議案を提出。日本やフランスなどが賛成したが、米国は「イスラエルの自衛権への言及がない」として拒否権を行使。そして米国はハマスを厳しく非難したうえで、イスラエルの軍事行動を極力制限しないよう「人道目的の短時間の戦闘の一時停止」だけを求める決議案を出した。だが今度はロシアと中国が「攻撃を容認するものだ」としてそろって拒否権を行使した。安保理が行き詰まったことを受け、すべての加盟国が参加できる国連総会の緊急特別会合が開かれ、ハマスを非難しないまま休戦を求めるヨルダンの決議が採択されたが、米国やイスラエルなど14カ国が反対、日本や欧州などの44カ国は棄権し、国際社会の分断が露わになった。
 しかもこうした決議の応酬の最中、グテーレス事務総長が「ハマスの攻撃は理由もなく起きたわけではない」という趣旨の発言をしたことにイスラエルの国連大使が猛然と抗議し、事務総長の辞任を求める一幕も加わり、国連はロシアが前年2月にウクライナへの侵攻に踏み切った時と同様の混迷ぶりを露呈させた(図表4参照)。

 その後、イスラエルはガザでのハマス殲滅作戦と並行して、レバノンに拠点を置く親イランのイスラム過激派勢力ヒズボラへの攻撃も開始、やはり親イランのイスラム過激派であるイエメンのフーシ派とも戦闘を重ねるようになった。各地域の戦闘で優位に立ったイスラエルはさらに25年6月、核施設を破壊するためイランへンの攻撃にも踏み切り、米軍もこれに加わり中東地域の紛争は拡大の一致を辿った。それに伴い民間人の犠牲も増大した。
 しかし、国連は紛争鎮静化のための措置を一向に打ち出せないでいる。最近の例を挙げれば、25年6月に安保理事会で非常任理事国がパレスチナ自治区ガザにおける無条件かつ恒久的な即時停戦を求める決議案を提出したが、米国はトランプ政権が主導する停戦案に固執し、拒否権を行使。同じ6月にはイスラエルのイラン攻撃に対し安保理の緊急会合が開かれた。ロシアや中国などがイスラエルの攻撃を「主権の侵害」などと非難したが、米国はイランが中東の不安定化を招いてきたと指摘し、イスラエルを擁護する姿勢を見せた。
 さらに同月、米国によるイランの核施設攻撃を協議する安保理緊急会合でも、ロシアや中国は米国の行動を国際法違反と非難したが、米国は「イランの核兵器保有は許されない」とし、国連憲章に則った「集団的自衛権の行使」と攻撃を正当化し、双方の激しい応酬に終わった。
 しかも国連の権威や信用を失墜させるような事件が起きた。ハマスとイスラエルの戦闘終結の目処が立たないなか、24年1月にパレスチナ難民の支援に当たっている国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員がハマスによるイスラエル奇襲攻撃に関与した疑いが浮上したのだ。調査の結果、関与していた疑いのある複数の職員が解雇された。この事態を受け、米国はUNRWAへの資金拠出を停止し、日本を含む各国も相次いで資金拠出の一時停止に踏み切った。イスラエル政府はUNRWAの解体を要求、24年10月にはUNRWAの活動を禁止する法案を可決し、UNRWAとの協力や接触を断つとしてUNRWAのイスラエルからの退去を要請した。
 これに対し同年12月、国連総会はUNRWAの活動を全面的に支持し、その活動を禁止したイスラエルを非難するとともに、イスラエル政府に国際的な義務としてあらゆる形の人道支援活動を妨げずに許可するよう求める決議案を採択している。組織としてのUNRWAがハマスの活動に関与、協力したわけではないにせよ、国連の人道支援機関の職員がイスラム過激派勢力の殺害行為に関わっていたことは世界に大きな衝撃となって受け止められた。

9.国連の財政危機:トランプ政権の登場でさらに深刻化

 常任理事国の一致が得難く安保理事会の機能不全が表面化しているだけでなく、国連は深刻な財政危機に陥っており、その活動全般が停滞を余儀なくされている。2025年3月、グテーレス事務総長は、国連設立80周年にあわせた取り組みとして、近年の厳しい財政状況に対処するため、国連組織全体の効率化とコスト削減を目指し構造改革に乗り出す方針を明らかにした。
 「平和と安全保障」「開発」「人道支援」など7項目に整理して構造改革案を策定。そのための作業部会を設置し、①現在の体制における効率化と改善可能な点の洗い出し②加盟国の決定(マンデート)に基づく活動の実施状況の見直し③国連システムの構造改革とプログラムの再編成の3分野について包括的な評価を加盟国に示すとした。グテーレス氏によれば、無駄をなくし限られたリソースをデジタル分野など新たな課題に重点的に振り分けることを目指し、検討内容の一部は秋に提出予定の2026年の修正予算案に盛り込み、詳細な検討が必要なものは27年予算案に反映するという。
 国連では、1960年代から70年代にかけて大量に加盟した途上国のニーズに応えるため関連機関が相次いで新設され、肥大化したシステムには「非効率」との批判が呈されている。冷戦終結後の90年代はじめ、当時のガリ事務総長は米国の要求などを受け、役割が重複する関連機関の整理や管理部門の合理化に着手したが、支援額やポストの減少を危惧する途上国側の反対で十分な成果を上げることはできなかった。
 今回グテーレス氏は、改めて仕事の効率化と任務の重複状況を徹底的に見直す方針を打ち出したが、その際、国連の資金が縮小傾向にあると説明。その理由として「一部の加盟国が分担金を全額払わず、期日を守っていないためだ」と述べた。
 国連は3年に1度、加盟国の経済力や支払い能力などに応じて分担金の額を決定しており、2025年の通常予算は37億2千万ドル(約5506億円)。ただ国連によれば、全額を支払った加盟国は193カ国中75カ国で4割にも満たない。特に国別で最大の分担率が割り当てられている米国(22%)と2位の中国(20%)はともに未納で、なかでも最大の拠出国米国は累積で約15億ドル(約2220億円)を滞納しており、それが国連の資金繰りを悪化させている。2030年までに途上国の貧困問題に終止符を打つことなどを目指す国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)も、支援の資金が慢性的に不足していることを背景に進捗の遅れが危機的な状況にある(図表5参照)。

 そうしたなか、第二期トランプ政権の発足によって、国連の資金繰りが一層厳しくなっている。米国第一主義を掲げ、多国間協力の枠組みを軽視するトランプ大統領は、2月の大統領令で国際機関への拠出見直しを指示し、国際開発局(USAID)による対外援助事業の凍結や打ち切りを決定した。それに伴い人道支援などに関わる国連関係機関への資金拠出も大幅に削減され、26米会計年度の予算案では、国連の分担金の大部分とすべての任意拠出金合わせて33.3億ドルを停止する方針。それに伴い国連に拠れば、25年の国連及び関連機関を合わせた全体の支出を23年比で7割程度に抑える必要が生じたという。
 影響は既に現れ始めている。米国が最大のドナー国になっている国際移住機関(IOM)は25年3月、米国の資金提供の大幅減少に伴い、スイス西部ジュネーブの本部に勤める職員を250人以上削減すると発表した。この数は本部職員数の約2割に相当する。4月には国連の人道問題調整事務所(OCHA)も、深刻な資金不足を理由に全体の2割にあたる職員約500人を削減すると発表した。また5月にはグテーテレス事務総長が、ニューヨークの本部やスイス・ジュネーブの欧州本部の業務をコスト削減のためケニアのナイロビ事務所に移転するなどの改革案を加盟国に示した。この措置もトランプ政権による対外援助見直しが影響したとみられる。
 さらに国連は6月24日の総会で、事務局職員(約3万9000人)を2割程(7000人)削減する方針を加盟国に示した。人件費の高い国連本部やジュネーブの欧州本部で事務を担当する上級職を中心に段階的に削減する方針だ。140を超える国連の部局や現地事務所、関連機関の統廃合の検討を進めていることも明らかにした。一連の改革で7.4億ドル(約1100億円)程度の経費削減を見込んでいる。合理化は確かに必要だが、大規模な人員削減や組織の縮小化によって国連の活動に支障が出ることが懸念されている。

10.国連未来サミットの開催

 国連創設80年を控えた昨年9月、国連総会の一般討論を前に、地球規模の課題への対応に必要な国際協力を話し合う「未来サミット」が開催された。サミット開催を呼びかけたグテーレス事務総長は、「現在の国際的な課題は、私たちの解決能力を上回るスピードで進行して」いるが、他方「現在の国連を含む多国間協力の枠組みは時流に取り残され制度疲労を起こしている」と警鐘を発し、このサミットを「21世紀に相応しい形で国連を再起動させる機会」と位置づけた。人工知能(AI)の国際的なガバナンス(統治)強化に向けた取り組みや気候変動、そして信頼を失った安保理の改革や軍縮などの課題を共有し、各国が協力して目指すべき方向を示すのが主な狙いだ
 そしてサミットの初日、国際社会の具体的な行動指針を示した成果文書「未来のための協定」が加盟国の総意として採択された。成果文書は、持続可能で平和な世界の実現に向けた56の行動を約束。貧困や飢餓の撲滅を掲げ、気候変動と温暖化対策では「再生可能エネルギーの設備容量を2030年までに世界全体で3倍にする」との目標を掲げ、国際的な協力を通じて富裕層への公平な課税を実現すると表明した。
 AIに関しては、国連内にAIのリスクや利活用などを分析、提言するAI専門家の「国際科学パネル」の設置や途上国への技術支援が盛り込まれた。安全保障分野では「核兵器のない世界に向けて前進する」と決意。紛争下の民間人保護に加え、他国への武力行使や威嚇を控える義務を再確認した。
 さらに安保理改革では、理事国枠の拡大や、常任理事国だけに認められている「拒否権」の使用を巡る議論の必要性などを訴えている。国連はこれまで安保理の「早期の改革が必要」との表現に留めてきたが、成果文書では「緊急の改革が必要」と一歩踏み込んだ。ただ常任理事国の具体的な数には触れず、拒否権についても「改革のカギ」と位置づけたが、行使の抑制を含むあり方については、今後の協議で合意に向けて努力するとの表現に抑えられた。
 多発する国際紛争や人道問題の解決に力を発揮できず、存在感を大きく低下させるなか、「未来サミット」は国連の機能不全を自問し、新たな対策を考えるための場であった。グテーレス事務総長も、「歴史的な合意だ。多国間主義への飛躍的な一歩になる」と協定採択を歓迎した。だが開幕直後、ロシアやベネズエラなどの代表が「協定案は西側諸国の主導で作成された」と不満を唱えて修正協議を求めた。これに対しアフリカ諸国が即時採択を求め、投票の末、修正協議は退けられたが、多国間協調のもろさが露呈した。
 そもそも「未来のための協定」は何ら実効性を伴う文書ではなく、採択された文書の内容を文字通り実現できるのかその信憑性には疑問が残る。改めて国連の意義を強調し、その将来像を世界にアピールすることで自らの名誉挽回を図る、あるいは国連のアリバイ証明のための会合に終わった感は否めない。

11.今後の世界秩序と国連の将来

 国連憲章改正が困難で、常任理事国の拒否権制限が難しい状況が改まらぬ限り、また財政基盤を確立させない限り、現在の国連改革には限界が伴う。しかし、それだけが問題の本質ではない。
 大国の恣意や思惑に左右されることなく公正な立場から、そして国際社会の総意の下で集団安全保障のメカニズムを発揮することによって、国際社会の平和と安全を図る目的で国際連合が設立された。国連に対しそのようなイメージや印象を持つ向きは多い。しかし、設立に至る歴史を振り返ればわかるように、国連は大国の利害の一致を前提に機能することが想定された国際機構であり、米国という覇権国家がその設立を主導したのだ。
 国連の創設時、それに冷戦終焉で国連が活性化した時は、いずれも大国の一致があり、しかも米国が圧倒的な存在感を示していた時期にあたる。逆に言えば、大国の利害の一致が無い時、あるいは米国の影響力が低下している時には安保理を軸とする国連の機能は大きく低下、不活性化する必然性がある。つまり国連は大国との連携の中で初めて存在感を示すことが出来る国際機構であり、大国の単なる代弁者となってはいけないが、同時に大国と協力せねば期待された機能の発揮がかなわないというジレンマを抱えているのだ。 
 よって国連は、大国との程よい接点、程よい距離感を確保することが重要となるが、それと同時に見落としてはならないことは、いま国際社会の秩序やヒエラルキーが動揺を見せているという現実だ。米国の覇権は傾きつつあり、中露両国は世界の多極化を推し進め、米国の国際秩序に挑戦しようとしている。そのうえ米国のトランプ政権は米一国主義を掲げ、グローバル課題へのコミットを避けようとしている。大国支配が揺らぎ、しかも大国間の協調が得づらくなっている今日の状況が続く限り、残念ではあるが国連の活性化や機能の発揮は期待し難いと言わざるを得ない。
 ではどうするか。期待される領域は限られるが、国連には、紛争の予防や人道支援、社会文化教育衛生などの分野で引き続きその機能を発揮する努力が求められよう。国連に代わる新たな国際平和機構の創設を説く声もある。しかし、既存の国連とは別の新たな機構を作り上げることは容易ではない。むしろ現実的かつ即効性ある対応策として考えられるのが、既に機能しているサミット(先進国首脳会議)の活用だろう。
 だが、ウクライナ問題でロシアが排除されG8はG7になり、さらに多国間主義を嫌う第二期トランプ政権の誕生で欧米間の軋みが強まり、G7の結束さえも難しくなっている。サミットの枠組みに国連の代替的な機能発揮を求めることにも無理があろう。
 今後、世界の多極化はさらに進む可能性が高い。それは大国鼎立の時代に向かうということだ。そのような国際秩序にあっては、米国がその覇権秩序の下で構築した国連のような普遍的な国際機構の活躍領域は減殺し、それに代わり、それぞれの地域で影響力を持つ各大国が主導する地域協力機構に紛争解決のイニシアティブを委ねざるを得なくなっていくのではなかろうか。

12.創立80年を迎えて

 厳しい状況が続く中、国連憲章の調印から80年を迎えた2025年6月26日、ニューヨークの国連本部では記念の総会が開かれ、グテーレス事務総長は「私たちは戦争の終結を祝う一方で新たな戦争が始まるのを目撃してきた」などと述べ、中東やウクライナなど各地で続く軍事衝突や人道危機を念頭に、国連憲章が目指した理想からはかけ離れた状況だと指摘した。
 そして「国連憲章の目的と原則への攻撃は過去に例を見ない」と強い危機感を示した上で「国家の主権や国際法、人権など最も基本的な原則が侵害されるのを当たり前にしてはならず、許してはならない」とし、「21世紀に適応した多国間主義の刷新が必要だ」と訴えた(図表6参照)。また国際司法裁判所の岩澤雄司所長も壇上に立ち、「国際の平和と安全の維持のために法の支配を守るという理想は不可欠なものだ」と強調した。

 10年前のこの日、国連憲章の署名地サンフランシスコには当時の潘基文(バンキムン)事務総長ら千人近くが集い、70周年の祝典が盛大に開かれた。だが今年はニューヨークの本部に国連憲章の原本が展示され、百人にも満たない小規模な式典が開かれただけだった。それはいまの国連が置かれた厳しい状況を暗示するかのようであった。
 国際紛争の平和的解決(武力による威嚇や武力の行使を慎む)や自由貿易の原則など第二次世界大戦の悲惨な経験から生まれた普遍的な国際規範がいま大きく揺らいでいる。
 そのなかで、厳しい倹約を強いられ、また安全保障理事会の機能不全で存在意義が問われている国際連合が、如何にして組織の改革と活性化を図るのか、創設80年を迎えた今年、国連はかって無いほどの厳しい試練に晒されている。

(2025年8月31日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)

国際情勢マンスリーレポート
今年は国連が創設されてから80年を迎える節目の年だが、創設以来、最も苦しい立場に置かれているといっても過言ではない。「国際の平和と安全を維持する」(国連憲章第1条)という国連本来の機能が発揮し得ていない状況、その原因、取るべき対策とは何か。

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