土壌から見た地球環境と人の健康

土壌から見た地球環境と人の健康

2023年6月14日
1. 地球生命圏ガイア

 1969年、川面に写された自分の姿を見るように、われわれは宇宙船アポロが撮影した青い地球の写真の中に初めてわれわれ自身を見た。そのときから、われわれは自分自身を地球全体から切り離すことができないという自覚をもった。どうやら全体としての地球は生き物かもしれないと。
 また1969年は、英国の科学者ジェームズ・ラブロックが「ガイア理論」を提唱し、地球は太陽系の中で最大の生き物、つまり「地球生命圏ガイア」であると思考した創造的な年でもあった。ラブロックは100歳を超えて、『ノヴァセン:NOVACENE』を上梓し、その中で、アントロポセン(人新生Anthropocene)からノヴァセンの時代が来るとした。また21世紀は、人間の知能を凌駕する超知能が出現すると予測し、地球は人類を頂点とする時代から超知能と人類が共存する時代へと移行するとしている。ラブロックの話から、21世紀は、「生き物」と「AI:人工知能」と「ウイルス」と「地球」が共存する時代になるのは確実である。
 地球が生きている証拠は様々あるが、その一つが酸素濃度だ。地球ができたのは46億年前だが、そのころ大気中には酸素はほとんど無かった。その後、4億5千万年前〜4億3千年前に酸素濃度は21%になり、現在まで21%で維持されている。22%や23%でもよいはずだが、そうならない。仮に22%になると、山火事があちこちで発生する。また19%になると、人は走れなくなるし、鳥も飛ぶことができない。酸素濃度を21%で安定しているのは、ガイアがコントロールしているからだ(ガイア仮説)。したがって地球は生きている。
 もう一つの根拠は、海水の塩分濃度が6億年前から3.4%で一定になっていることだ。なぜ海の水が塩辛いのか。川の上流から塩分が下流に流されて海に出る。水分が蒸発すると塩分がたまる。海の塩分は増えてもよさそうなのに、死海を除いて、3.4%付近を超えない。海水の塩分濃度もガイアがコントロールしている。だから地球は生きている。
 ガイア仮説の話はさらに発展する。その後、地球は脳(グローバル・ブレイン)を持っていて、さらに地球は心(アースマインド)を持っているという仮説が提唱されるようになる。
 生き物の定義には、20の項目がある。この20の項目を全部証明したら、ものが生きていることになる。Millerの説である。20の項目のなかで重要な項目は、「境界」すなわち、Boundaryがどこにあるかということだ。次に重要なことは、次の世代に子孫を残すということだ。要するに、子供を産めれば、生きている証拠となる。地球には境界Boundaryはある。地球の境界Boundaryは、例えば対流圏や成層圏などである。さらにラブロックは、地球は生成される過程で月を生んだと説く。
 地球は脳(グローバル・ブレイン)を持っているという話に関連して、次のような興味深い実証例がある。タスマニア近辺を飛んでいるイソシギという鳥がいるが、この鳥は5キロにも及ぶ群れをなして飛ぶ。先頭が向きを変えてから、最後尾が向きを変えるのに何秒かかるかということを計測した。なんと60分の1秒ぐらいしかかからなかった。先頭が向きを変えれば、最後尾も瞬時に向きを変えている。それは磁場を通していると、説明される。
 地球が心(アースマインド)を持っているということに関連して、次のようなエピソードがある。昔、インディアンは、石と話すことができたと言われている。今でもアボリジニは土と話すと言われている。フランスの画家ユトリロは木と会話できたと言われている。それらのことを踏まえて、地球は心を持っているという仮説が立てられている。
 太陽を中心として水星、金星、地球、火星、木星といった惑星が回っている。その中で、金星と地球と火星は隣同士で、兄弟のような位置にある。今から46億年前に、太陽系から地球ができた時、金星の大気は二酸化炭素が98%、地球の大気は98%が二酸化炭素、火星の大気は95%が二酸化炭素。ところが46億年経った今は、金星は二酸化炭素がそのまま98%、火星も二酸化炭素がそのままで95%、ところが地球の二酸化炭素は400ppmで、0.04%だ。46億年前には、地球の酸素は、ほとんど無かったが、現在では21%である。元々は微量な酸素しかなかった地球は、生き物、すなわち微生物が大気のCO2のCを固定して、O2を放出し、これを繰り返して、徐々に酸素量が増えて、4億年前に21%になり、現在まで21%で留まっている。地球に98%あった二酸化炭素が、現在では0.04%になり、酸素が21%になっていることを、宇宙の物理の法則で考えると、ほとんどあり得ない確率でしか起こらない。こんな例えができる。新宿駅のプラットフォームで、夕方5時頃、目隠しをして、さらに酒に酔った状態で走っても誰にも衝突しないぐらいの確率だ。このような途方もない確率で、地球は存在している。奇跡と言うほかない。このことが地球はまさに生命体だという証明の一つになっている。
 人間が誕生するために地球がそのように変化したという説や、人間を誕生させるために地球ができたという説まである。地球が生きているということは、地球は意志をもっているということだ。何か意図がなければ、自然現象ではこのように地球は生まれないということだ。キリスト教は、それを神の意図と言うわけである。しかし、他の宗教、神道や道教などは、エコロジー、生態系がつくったという考え方だ。
 キリスト教はユダヤ教から派生しているが、ユダヤ教もキリスト教もその原点には、人間は土からつくられたと説かれている。旧約聖書には、神は土から人間をつくったとあるのだ。英語でhumusという単語があるが、これは土の腐植を意味する。それがhumanになり、humanityになり、humilityになる。humilityは謙虚という意味だ。humanがhumanityになり、最後はhumilityという謙虚さにつながっていくというのは興味深い。

2. 土壌とは何か

 地球が生きているもう一つ重要な根拠として、土壌、水、大気、オゾン層の存在を挙げることができる。地球上の土壌を平均すると、わずか18cmしかない。われわれが使える水は、その18㎝の土壌に水田のように水を満たしたとすれば、わずか11cmしかない。海の水は使えない、氷は使えない。したがって、我々が使える水は、土壌18cmに満たしたたかだか11cmの水しかないのだ。我々が呼吸する酸素は、15km上空までの対流圏にしかない。15kmを超えて行くと成層圏に入り、酸素は無い。40km上部の成層圏にオゾンが集積しているオゾン層がある。このオゾン層を地球上に0度、1気圧で圧縮してくると厚さはわずか3mmだ。この3mmのオゾン層が太陽からの紫外線を防いでくれるので、我々は生きることができる。
 さらにもう一つは、生物が我々を作っているということだ。生態系の中には500万種の生物が存在する。我々は生きているのではなく、生かされている。18cmの土壌と、11cmの水と、15kmの大気の酸素と、3mmのオゾン層と、500万種以上と言われる生き物によって我々は生かされている。
 我々は生きている地球によって生かされているということを述べて来た。これらの一つでもダメになったら、我々は生きることができない。例えば18cmの土壌が急速な勢いで侵食によって失われている。また、化学物質が土壌に添加されたために、様々な問題が起こっている。食べ物によって脳が悪影響を受けているという学者も大勢いる。土壌が汚染されている。水が汚されている。0km〜15kmの対流圏の大気中の温室効果ガスが増加して地球温暖化問題が起きている。これらの問題を引き起こしたのが人間である。


 私の専門の土壌学に関連して、私の最大の関心事は、土と文明、土と宗教、土と芸術などで、土壌とあらゆるものが繋がっているという現実だ。我々は土壌によって生かされているということだ。そして、もっとも関心が高いのは、土壌と健康だ。土壌を健全に保つことで、人々の健康は維持されているのだ。
 筆者は図3のような概念を持っている。地球の土台を形成しているのが、土壌圏、大気圏、水圏、地殻圏、生物圏で、土壌圏がその中央に位置する。大気圏と土壌圏は繋がっている。土壌が呼吸して、土壌から排出されたガスが大気に出ている。また、大気を吸っているのが土壌だ。さらに、生物圏と土壌圏も繋がっている。土壌から作物ができる。植物ができる。そして地殻圏と土壌圏も繋がっている。地殻圏が風化して土壌圏ができる。


 そして水圏と土壌圏も繋がっている。必ず土を通して水が海に流れて行く。したがって、土壌が中心になって、我々は大気、水、地殻、生物と関係している。人類が出現する前までは、これらの圏が調和していた。調和していたところに、人間圏が入り込んだために、人間を取り巻く環境圏は大変な状況になりつつある。人間圏が大気を汚染し、水圏である海洋や河川を汚染してきた。
 図3に人智圏というのがあるが、人智圏が環境圏に入り込むことが今後問題となろう。人智圏の元となる人智学は、オーストリアの思想家ルドルフ・シュタイナーによって新しい人間学として創唱された。シュタイナーは非常に研究熱心な人物として知られ、有機農業や人の健康についても研究したが、科学的・神秘体験を通じた精神世界の研究に力を注いだ。人智圏の科学的解明は容易ではなく、あまり進んでいない。それが言うなれば、新しく健康を表現するスピリチュアリティという言葉につながる。世界保健機関(WHO)設立時に世界保健機関憲章が制定された(1946年採択、1948年発効)。世界保健機関憲章に「健康」が定義されている。健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的(physical)にも、精神的(mental)にも、そして社会的(social)にも、すべてが満たされた状態にあることをいう。そして、20年位前から、新たにスピリチュアリティという言葉を入れて健康を定義しようとしたが、世界中にはさまざまな宗教が混在するので、スピリチュアリティという言葉は宗教によって定義が異なり、宗教間で同意する視点が見つからない。したがって、相変わらず健康の定義はフィジカルとソーシャルビーイングとそれからメンタルが組み合わされたままで、スピリチュアリティという言葉は、健康の定義に組み込まれていない。
 話を戻すと、図3のような状況にあるのが地球だということで、土壌圏が様々なものに関係している。しかし、土壌についてほとんどの人が目を向けないということが問題なのである。土壌が乱れると健康にまで影響するということが、世の中でなかなか認識されていないのが現状だ。
 地球にとって、人間の存在が必要か、そうでないのかは分からないが、人間が存在することで、地球が汚染されてきたことは事実である。先に述べたように、人間が生まれるために地球が生まれたとすれば、地球圏の最後の作品は人間なのかもしれない。

3. 人間活動と地球温暖化とIPCC報告書

 図5のように、地球平均気温は年々上昇し、世界平均海面水位は上昇し、北半球の積雪量は減少している。一方、図6および図7を見てお分かりのように、0km〜15kmの対流圏におけるCO2、CH4、N2Oの大気中濃度は、1万年前から1900年頃までほぼ一定であったのが、1900年を過ぎて上昇し始め、2000年以降急上昇している。

 急激な人間活動の拡大は、地球規模での物質循環に大きな影響を与え、大気組成をも変化させている。その結果、二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)、亜酸化窒素(N2O:一酸化二窒素)などの大気中の温室効果ガス濃度は、人類がこれまで経験したことのない急激な割合で増加し、地球の温暖化を促進させている。さらにN2Oは、太陽からの紫外線を遮蔽する成層圏のオゾン層破壊にも関わっている。農業活動にともなって、農業生態系は条件によっては大気中のCO2、CH4およびN2Oを吸収するが、全体としてはこれらのガスの発生源になっている。とくにCH4とN2Oの発生量は、世界的な水田耕作面積の拡大と窒素施肥量の増加、さらには反すう家畜の増産により、この半世紀にわたって急激に増加してきた。
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)の評価報告書によると、1990年前後を対象とした見積もり値では、世界の水田からの年間CH4発生量は約60Tg(6,000万トン)で、人為発生源からの発生量の16%に相当する。過去70年間で世界の水田耕作面積は2倍近く増加している。この面積拡大により、メタン発生量は大きく増加したと考えられる。加えて、稲の増収により土壌中のメタン生成が活性化し、水田単位面積あたりの発生量も増加している。
 一方、N2Oについても農業活動が関係する発生源である畑地、草地、畜産廃棄物、およびバイオマス燃焼からの発生量は全発生量の約43%を占める。これら農業活動によるN2O発生のほとんどは、直接または間接的に農耕地、施用された窒素肥料に由来する。したがって、第二次大戦後以降急激に増加した窒素肥料使用量の増加が、大気N2Oの濃度増加にきわめて重大な影響を与えてきたと考えられる。
 温室効果気体であると同時にオゾン層破壊の原因物質であるN2Oは、現在最も注目されている気体の一つである。N2Oは大気圏での滞留時間が約150年もあるきわめて安定した気体であるため、対流圏から成層圏に流れ込む。成層圏に移動したN2Oは、一部は酸素原子(O)との反応によりNOに変わる。NOはまずオゾンから酸素原子を一個奪って、みずからはNO2になる。ついで、周囲にある酸素原子がこのNO2と反応して、NOと酸素分子を形成する。つまり、NOがNO2を経てリサイクルする間にオゾンが失われることになる。N2Oの発生量については、約半分が海洋、森林、サバンナといった自然発生源から、残りの約半分が農耕地、畜産廃棄物、バイオマス燃焼、その他の産業活動といった人為発生源である。これら人為発生源のそれぞれが、大気N2Oの濃度増加に関わっていると考えられるが、最も重要な発生源は農業セクターである。特に、第二次大戦後以降における世界的な水田耕作面積の拡大、窒素肥料使用量の増加、および家畜飼養頭数の増加など、農業活動の拡大が、これらの気体の大気中濃度の増加と地球温暖化に大きく影響して来たことは明らかである。要は、われわれが生きるための食料生産に由来している。2007年に公表されたIPCC第4次評価報告書(AR4)によれば、2004年について計算された地球温暖化への寄与率は、CO2が全体の約77%と最大であるが、CH4とN2Oもそれぞれ全体の約14%および8%を占めている。1959年以降、大気のN2O濃度が急激に増加しているところから、人為起源に由来する発生源にはとくに注目する必要がある。オゾン層の破壊は他の環境、すなわち太陽からの紫外日射量の増加のみならず、地球の気候変動や水循環にも影響が及ぶ恐れがある。
 世界の窒素肥料の生産量は増加し続けている。窒素肥料の使用量の増加や、耕地面積の増大なくして、食料の世界的な需要は満たされないから、世界の窒素肥料の生産量は今後も増大しつづけるであろう。今後、ますます窒素肥料から発生するN2Oが温暖化やオゾン層破壊に関連するガスとして注目されることはまちがいない(図8)。


 土壌とノーベル賞は関係ないように見えるが、実は土壌でノーベル賞を受賞した学者が何人もいる。最初に受賞したのがドイツの化学者フリッツ・ハーバーで、1918年に窒素肥料を製造したことでノーベル化学賞を受賞している。同じくドイツの化学者で工学者カール・ボッシュも1931年に同じ仕事でノーベル化学賞を受賞している。米国の生化学者セルマン・ワクスマンは1952年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。ワクスマンは土の中にある抗生物質の元となる細菌を見つけて、それを培養して抗生物質の薬にした。
 抗生物質の開発と同様のことをしたのが北里大学の特別栄誉教授である大村智博士だ。大村博士は2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された。大村博士は、土の中の線虫を使って、イベルメクチンという薬を開発してノーベル賞を受賞された。アフリカおよび中南米では、失明に至らせるオンコセルカ症(河川盲目症)とリンパ浮腫や象皮症を引き起こすリンパ系フィラリア症に過去に数億人が感染した。しかし、イベルメクチンの開発により2つの撲滅は着実に進んでいる。2019年には年間4億人余りがイベルメクチンの投与を受けている。
 図8右下に写っているのは、恥ずかしながら筆者だ。化学窒素肥料を投与すると亜酸化窒素が発生し、田んぼを広げるとメタンが発生して、地球温暖化が起こるというデータの収集をして、IPCCに貢献したことから、2007年にIPCCがアル・ゴア氏と共にノーベル平和賞を受賞した際に、IPCCから感謝状をいただいた(図9)。

4. 農医連携

 医学の勉強をする場合、その原点として、あるいは方法論として、たいていヒポクラテスを勉強する。ヒポクラテスは、「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」と言っている。この言葉を筆者が解釈すると次のようになる。食べ物は土壌から生産されるので、「土壌について知らない人がどうして人の健康について理解できようか」。また、食べ物は、水と土壌と大気から生産されるので、「水と土壌と大気(環境)を知らない人が、どうして病気について理解できようか」。
 実は、ヒポクラテスと同様のことを、それ以前に孔子が言っている。孔子の言葉はこうである。「人の下なるもの、其はなお土か! これに種を植えれば、すなわち五穀を生じ、掘ればうまい水は湧きいで、禽獣育ち、生ける人は立ち、死せる人は入り、その功多くて言い切れない」。孔子は抽象的なことを言っているようだが、具体的なことを見つけた。すなわち、土が我々人類を生み、我々人類は死んで土に還っていく。これほど貴重なものはないではないかと孔子は言っている。
 日本人の中では、徳冨蘆花が同様のことを言っている。徳冨蘆花は、『みみずのたはこと(上)』という著書で、「土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になる。我等は畢竟土の化物(ばけもの)である。土の化物に一番適当した仕事は、土に働くことであらねばならぬ。あらゆる生活の方法の中、尤もよきものを撰み得た者は農である。また、「乾(けん)を父と稱し、坤(こん)を母と稱す、Mother Earthなぞ云って、一切を包容し、忍受し、生育する土と女性の間には、深い意味の連絡がある。土と女の連絡は、土に働く土の精なる農と女の連絡である」と述べている。
 さらに徳富蘆花は、土に触る人こそ実に幸せで立派な人だということを言っている。土のもつ本質と人間との関係について述べている。英語で土はsoilとかdartと言う。また英語では土のことをMother Earthとも言う。母なる大地だ。
 わが国には「身土不二」という言葉がある。身体と土は分けられないという意味である。同様の意味の言葉として、「医食同源」がある。これは、食べることと医療は同じだという意味だ。だから食は即、医である。また、「地産地消」という言葉がある。住んでいる場所で取れた作物を食べていれば健康だということだ。実際には我々は世界中の食物を食べている。また「四方四里に病なし」という言葉もある。これは、東西南北の約16キロ以内で獲れた食物を食べておけば病はないという意味である。
 有機農業を最初に言い始めた英国の農学者アルバート・ハワードという人がいる。ハワードの考えは、「ハワードの鎖の環」として知られている。ハワードは、次のように述べている。すべての生物は生まれながらにして健康である。ハワードの鎖の環は、土壌、植物、動物、人間に当てはまる。これら四つの健康は、一つの鎖の環で結ばれている。この鎖の最初の部分の環(土壌)の弱点、欠陥は、環をつぎつぎとつたわり最後の環、すなわち人間にまで到達する。近代農業の破滅の原因である広範に広がる植物や動物の害虫や病気は、この鎖の第二環(植物)および第三環(動物)の健康の大きな欠陥を示す証拠である。以上のことが有機農業の原点である。
 実は、有機農業について著したハワードの著書のタイトルは“Soil and Health”であるが、その邦訳タイトルが『有機農業』となっている。科学農業を行わずに有機農業を行えば人々は健康になるというのが、同書の原点になっている。
 筆者は、「農医連携」という言葉を使っている。農医連携は英語で“The Integration between Agriculture and Medicine through the Environment”となる。環境が整備されて初めて、医と農が完成して、それが人の健康を導くという話だ。人智学のルドルフ・シュタイナーは1900年に、「不健康な土壌から取れた食べ物を食べている限り、魂は自らの肉体の牢獄から解放するためのスタミナを欠いたままだろう」と述べた。
 また、1912年にフランスの外科医で解剖学者アレクシス・カレルがノーベル生理学賞を受賞している。カレルは、「生き物はすべて土壌の肥沃度(地力)に応じて健康か不健康になる」と述べている。さらに、ハワードは1930年に「土壌肥沃度の維持が健康の根本である。土壌肥沃度の高い土地で栽培された作物は、病害虫に抵抗性があり、この抵抗力は家畜にも転嫁される」と述べている。
 宗教家で哲学者の岡田茂吉は、「化学物質を用いないで生産された食品を摂取することで、人間は健康へと導かれ、生命は健全に維持されることになる」と述べている。岡田茂吉は、化学肥料と農薬は絶対使うなと警告している。
 今は経済という円の方が科学の円より大きい。経済という大きな円の中に、環境や健康という小さな円がある。環境や健康の円の方が経済の円よりも大きくなるような社会構造でないと、人間は健康になれない。
 残念ながら、あまり読まれていないが、土と健康に関する本はいろいろな人が書いている。主なものを列挙したい。アルバート・ハワード著『ハワードの有機農業(邦訳)』(原書タイトル:“The Soil and Health“)農文協(1947)。渡辺和彦著『人間の健康』農文協(2006)。アンドレ・ワイルズ著『医食同源(邦訳)』(原書タイトル:“Eating Well for Optimum Health”)角川書店(2008)。陽捷行著『農医連携論』養賢堂(2012)。モントゴメリー・ビクレー『土と内臓(邦訳)』(原書タイトル:”The Hidden Half of Nature”)。
 さらに、次の書籍がある。ジョン・アックス著、藤田紘一郎監訳『すべての不調をなくしたければ除菌はやめなさい(邦訳)』(原書タイトル:”Eat Dart”)文響社(2018)。デール・プレデセン著、白澤卓二監訳『アルツハイマー病:真実と終焉(邦訳)』(原書タイトル:“The End of Alzheimer’s”)ソシム(2018)。日本最古の医学全書『医心方』槇佐知子著、藤原書店(2017)。
 上記のうち、モントゴメリー・ビクレー『土と内臓(邦訳)』(原書タイトル:“The Hidden Half of Nature”)は次のように言っている。微生物がつくる世界が我々の健康を保っている。肥満・アレルギー・コメ・ジャガイモなど、すべてのものを微生物が作り出していた。植物の根と、人の内臓は、豊かな微生物生態圏の中で、同じ働き方をしていた。モントゴメリー・ビクレー氏は地理・地質学者で、氏の妻が生物学者だ。夫婦で本書を著した。

5. 土壌・大腸・脳の関連性

 次に、土壌と大腸と脳が関連しているという話をしたい(図10、図11)。土の微生物が腸に影響を与え、人間の健康に影響を与える。腸内環境が悪いと、腸の粘膜の隙間が開いて、異物が血中に漏れ出すことをリーキーガットと言うが、リーキーガットは体内で炎症を起こすことがある。

 一方で、腸内細菌はセロトニン・アドレナリン・ノルアドレナリン・ドーパミンなどの様々な神経伝達物質を作ることがわかっている。それらの神経伝達物質は、腸から出て血液中に流れて脳に送られる。セロトニンは幸福感や幸せ、安心感など精神を安定させ、自律神経を整え、ストレスを軽減させる働きがあることがわかっている。
 さて、ドーパミンを出そうという話をしたい(図12)。ドーパミンを出すためには、日光に当たること、人に親切にすることが大切だ。人に親切にするのがなぜ大切かと言えば、これは“ありがとう”と言われる喜びを得るためだ。また苦難を克服するというのも大切だ。何か与えられた仕事や課題を達成すると嬉しい。達成感を得ることができる。まとめると、1)太陽、2)親切、3)苦難克服、4)食物(腸内細菌)がドーパミンを出すのに必要な4本柱となる。他にも、食物、ときめき、運動、笑い、好きな歌、新道の散歩、褒美でドーパミンが出る。


 食物について言えば、食物を食べる時に、いかに善玉菌と言われる腸内細菌を出すかが重要だ。アドレナリンとノルアドレナリンはなるべく出さない方が良い。驚くとノルアドレナリンが、怒るとアドレナリンが出るが、なるべく両方を出さない方が健全な状態を保つことができる。
 美味しいご飯から水田の稲穂を思う人はいる。また、稲穂からイネの根を思う人は少しはいるだろう。また、イネの根から土壌を思う人は僅かにいるだろう。しかし、土壌から微生物を思う人はほとんどいないだろう。また、土壌微生物が人の大腸や脳に関わることに思い至る人は皆無だろう。さらに、健康が土壌微生物と関わっていると思う人は絶無に近いだろう。これまでの知識と情報ではこのような限界がある。
 次に、人間にとっての7大栄養素の話をしたい。土の中には、人間に必要な7大栄養素がある。炭水化物、たんぱく質、脂肪、必須ミネラル、ビタミン、食物繊維、ファイトケミカルの7つだ。必須ミネラルは28種類ある。したがって、植物の必須元素は17種類なので、植物だけ食べていると、ミネラルが欠乏する。だから動物などを通して他のミネラルを摂取しなければいけない。一方、地殻・土壌の元素は77種ある。ということは、人間は土でできたものを食べないと、28ある必須元素を摂取できない。
 土壌1gには、10億の微生物が棲んでいる。小腸には千〜1千万の微生物がいる。大腸には1000億の微生物がいる。植物の根毛にも1000憶の微生物がいて、人の大腸と植物の根毛にいる微生物の数がほぼ同数である。
 筆者は大学の講義で、学生には同じ食物を食べるのではなく、できるだけ多くの種類の食物を食べるのが良いと言ってきた。様々な種類の食物を食べる、そして繊維質をたくさん食べることだ。なぜ様々な種類の食物を摂取すべきと言えば、種類をたくさん食べれば腸内細菌が増えるからだ。
 では、牛は草しか食べていないのにどうして健康でいられるのか。それは、牛の腸の中に膨大な数の菌がいるからだ。その菌が多くの成分を作り、成分が体内を循環しているからだ。
 それから、健康かどうかを知るためにはウンチを見るのが良い。健康なウンチは黄色またはオレンジ色のバナナ状または半練状のものだ。健康なウンチは、80%が水分、7%が食べかす、7%が腸内細菌、7%が腸粘膜だ。


 結局、環境を通した農と医の連携は必要だ。農で言えば、作物・土壌・微生物が繋がり、医で言えば、脳・腸・微生物が繋がる。したがって、健康は、実は健体康心の意味で、体が健やかで、心が康らかであることだ。どんなに体が丈夫でも、心が康らかでないと健康ではない。
 次に、土の健康と人の健康を比較してみたい。両者は非常によく似ている。重金属で汚染された土は深刻な土壌汚染となる。一方、カドミウムが原因のイタイイタイ病や水銀が原因の水俣病は、重金属で汚染された食物を摂取して病気が発症した事例だ。また廃棄物を土に埋めると、土が利用できなくなる。廃棄物を人間と食の関係に置き換えれば、添加物ということになる。人間は一日に約50種類のケミカルズ(化学物質)を摂取していると言われる。種類ごとの値は安全の基準値に比べて非常に低い。しかし、50種類が合わさった時の知識が我々にはない。
 また、過剰農薬も問題だ。病院に行くと、大きな袋に入った薬を持って歩いている高齢者を見かけることがある。これこそ過剰医薬だ。過剰農薬と同様に問題がある。土壌に農薬を過剰に散布すると、土壌中の微生物が死んでしまう。良い微生物も死んでしまうので問題だ。薬にも良い薬と悪い薬がある。過剰医薬で体内の良い微生物まで殺してしまう。
 過剰肥料を行うと、微生物の栄養バランスが崩れてしまう。人間で言えば、過剰栄養と同様だ。人間でも過剰な栄養で肥満になる人が多い。
 成分バランスは、土の中の窒素・リン酸・カリのバランスがおかしくなると問題が起きる。例えば、窒素が多いと作物は倒れる。人間では栄養バランスの問題となり、肥満が問題となる。
 土の健康と人の健康の両方に、健全な呼吸が必要だ。大地が健全な呼吸をしないのがオゾン層の破壊や温暖化だ。温暖化の原因は、土が正常な呼吸をしていないことにある。だから両者は似ている。土の健康では、ダイオキシン類汚染となり、人の健康ではダイオキシン類摂取となる。土の健康には地力増進が必要で、人の健康には健康増進が必要だ。土の健康には休閑が必要で、人の健康には休息が必要だ。土は収穫期を迎えても休みなく、新たな種が植えられて次の作物を栽培して、疲弊してしまうことが多い。土も人間と同じで休ませないといけない。
 G・K・チェスタトンという英国の思想家がいる。この人は、人生の目標はたった一人の友人を見つけること、たった一人の異性を見つけること、たった一冊の本を見つけること、たった一つの思い出を手にすること、だと述べている。友人と異性と本と思い出を手にすることが人生の目標であり、それらを得るために人はどんなに苦労することかと述べている。筆者はそれに「一つの健康法」を付け加えたい。人は一つの健康法を見つけるために苦労しているのではないかと思う。私は健康な土から健康な食品を作るようなシステムを皆が持つことができれば良いと思っている。それは脳にも通じる。残念ながら、人々は健康のために土壌に目を向けることを怠っている。
 アメリカ土壌保全局のTデールと国立野生生物連盟の教育委員会事務局長のV.G.カーターの名著『世界文明の盛衰と土壌: 1957』の冒頭は、次の言葉ではじまる。「文明の進歩とともに、人間は多くの技術を学んだが、自己の食糧の拠りどころを保存することを学んだ者はごく稀であった、逆説的にいえば、文明人のすばらしい偉業は文明没落の最も重要な要素であったのである」。しかし、われわれが倫理観をもち土壌に敬意を払わない限り、最後は文明の崩壊が待っている。

6. 次世代を考えて意識の変革を

倫理観の重要性

 結局のところ、環境研究に求められているものは、生態系の保全と人間の健康に安全な空間と食料を創出するための探求である。そのためには、安全を維持するためのブレーキの役割を果たす制御の研究、さらには、いずれの世代にも安全が永続的に継承されるための研究が必要であるということに他ならない。
 さらにそのとき必要なのは、人間に安全であると同様に、土壌・水・大気・生物など人間を取り巻く生態系の環境要因に対しても持続的に安全でなければならないということだ。環境倫理の心髄もここにある。
 フランスのノーベル賞受賞者のアレクシス・カレルは、彼の著書『人間— この未知なるもの』の中で次のような警告をしている。土壌が人間生活全般の基礎であるから、私たちが近代的な農業経済学のやり方によって崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、健康な世界がやってくる見込みはない。生き物はすべて土壌の地力に応じて健康か不健康になる。すべての食物は、直接的であれ間接的であれ、土壌から生まれているからである。
 今日、土壌は酷使され侵食され、合成化学物質にさいなまれている。そのため食物の質は損なわれ、人の健康に影響を及ぼしつつある。この土壌の不健全さは、大地と大気の呼吸に伴って温暖化やオゾン層破壊に影響が及ぶ。また、大地の水の移動に伴って地下水や河川や湖沼にも影響を及ぼしている。当然のことながら、土壌中のミネラル成分の多くは植物、動物、人間の細胞の代謝を制御する物質である。ここでも大地や大気や生物に対する倫理観の重要性が認識される。
 われわれの行っている環境に関わる研究は、技術知や生態知やそれらを統合する統合知によって、食料と環境の安全を確保・制御し、仮に不健全な状態に陥ればこれを癒し、さらには安全を次世代にも継承することにあるのではなかろうか。このことは、土壌圏・大気圏・水圏など他の圏と人間圏との調和を永続たらしめる役割の一部を担うことにもなるのである。

カエルの悲劇

 「カエルの悲劇」は、環境研究を行うにあたってきわめて示唆に富むものなので紹介したい。ここに熱いお湯と水を入れた鍋を二つ用意する。熱いお湯にカエルを入れると、その熱さに驚いてカエルは飛び上がり、危機を脱する。しかし、カエルを冷たい水の中に入れた状態で、鍋を徐々に過熱すると、カエルは静かに水に沈んだままでいる。カエルは変温動物であるから、徐々に熱くなっていくお湯の中で、神経感覚を失ったままでいる。カエルは熱くなっていくお湯の中で危機を感じることなく、この状態に適応しようと努力していく。そのうち神経に感覚がなくなり、完全に煮つくされて死んでしまう。
 迫ってくる危険を知らずに、死んでいくカエルを見て、われわれは一つの教訓を得るべきである。しかし、実際に自分たちに迫ってくる危険を感知できている人は少ない。われわれがそれぞれの原風景として記憶しているかつての環境に比べると、今の環境は大きく変化している。豊かな生活を追求するあまり、環境そのものの価値が忘れられていることが多い。その間に、太陽の光と大気と水と土壌はかつての機能を失いつつある。
 太陽の光には、フロンガスや臭化メチルの過度な使用によるオゾン層破壊で紫外線がこれまで以上に含まれ始めた。二酸化炭素やメタンの過剰排出による対流圏の大気の温室効果ガスの濃度増加は、地球を温暖化している。これにともなって、異常気象、干ばつ、洪水などが頻繁に起こっている。食料生産に使用される過剰な窒素や豊かな生活を保障するさまざまな化学物質によって、水と土壌の質は悪化している。その結果、作物は汚染され人間の健康にまで影響が及んでいる。
 さらに重要なことは、これら太陽の光・大気・土壌・水を次世代に健全な姿で継承しなければならない。次世代への倫理観念が欠如している。われわれは無分別な利潤追求と欲望充足のために、徐々に迫ってくる環境資源の破壊の危険に無感覚になってはならない。次世代に環境資源を健全に継承することができなければ、文明の発展や農学や医学の進展が未来の人類のために何の役に立つだろうか。すべての根本に立ち帰って考える必要がある。

スピリチュアリティ

 科学は見えぬものを見(視・観)せる歴史でもあった。アルキメデスは円周率、コペルニクスは地動説、ガリレオは望遠鏡で月面、パスカルは圧力、ニュートンは万有引力、ダーウィンは生物進化、パスツールは嫌気性菌、ハーバーは窒素分子からのアンモニア生成、エジソンは電気、マルコーニは無線電信、ガモフは放射性原子核のアルファ崩壊、ウェゲナーは大陸移動、ワトソンはDNA二重螺旋、アインシュタインは光速度を見せてくれた。われわれは、これらの発見または発明をそれまで見(視・観)たことがない。
 哲学もまた見えぬものを見せる歴史であった。プラトンは普遍的真理、デカルトは二元論、カントは真・善・美、ヘーゲルは観念論、キルケゴールは美的・倫理的・宗教的実存、ニーチェは実存主義とニヒリズム、ハイデッガーは現象学と存在論、サルトルは無神論的実存主義、ウィトゲンシュタインは分析哲学を見せてくれた。
 筆者は、環境を通した農と健康の連携がこれから必要であることを強く主張している。急いでスピルチュアリティの研究を進めなければならないと考えている。
 先述したWHOによる「健康」の定義は、「健康とは完全な肉体的、精神的、spiritualおよび社会的福祉のdynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない:Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity」となっており、目に見えないものを定義づけようとしている。すでにWHOは、緩和医療で目に見えないスピリチュアリティを次のように定義している。緩和医療とは「治療を目的とした治療に反応しなくなった疾患を持つ患者に対して行われる積極的で全体的な医療ケアであり、痛みのコントロール、痛み以外の諸症状のコントロール、心理的な苦痛、社会面の問題、spiritual problemの解決が最も重要な問題となる」とあり、スピリチュアルな問題に取り組むことが重要であると明記している。
 科学は、いつの日かこの見えないスピリチュアリティをわれわれに見せてくれるであろう。これまで、スピリチュアリティという概念は科学的でないと主張してきた学者にも解るような形で。

(本稿は、2023年4月14日に開催したICUS懇談会における発題を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
陽 捷行 北里大学元副学長・同名誉教授
著者プロフィール
山口県生まれ。1971 年東北大学大学院農学研究科博士課程を修了し、同年に農水省入省。その後、アイオワ州立大学客員教授、農水省農業環境技術研究所所長、独法農業環境技術研究所理事長を経て、2005 年に北里大学教授に就任、翌 2006年に北里大学副学長に就任する。2012 年に定年退職し、北里大学名誉教授。また同年、公財農業環境健康研究所農業大学校校長に就任する。その他に、東京農業大学客員教授、東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部諮問会議委員、その他各種財団等の理事・監事を務める。1990 年日本土壌肥料学会賞、1991 年環境庁長官賞優秀賞、1995 年日本地球環境技術賞特別賞、1996 日本農学賞読売農学賞、1998 年 Yuan T. Lee 国際賞、2015 年日本農学研究所賞、2019 年瑞宝中綬章。農学博士。専門は土壌学。
地球は生きており、我々は生かされている。土壌と大腸と脳は繋がっている。人の健康には土壌の健康が欠かせない。母なる大地を後世に残すには倫理観の向上が必要だ。

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