「少子化対策とは」が明示されなかった30年
私は社会学の観点から約30年、少子化と高齢化が同時進行する人口変容社会について、実証的に研究してきた。
今回は、その経験を活かして、本年1月に岸田首相が発表した「異次元の少子化対策」について、「通常次元」の見直しを軸とした有効な枠組みとは何かを考えてみたい。
まず、昨年の少子化と高齢化の基本動態を確認しておく。昨年も多くの“日本新記録”が出た。一つは単年度出生数が1899年以降では最少の77万人まで減少したことがあげられる。合計特殊出生率も1.26で過去最低であった(この数値は2005年と同じだが、小数点第3位以下を見ると昨年は1.2566、2005年が1.2601)。
それから死亡数は156万人で過去最多、自然減数も約80万人で過去最大である。つまり、日本人が1年で約80万人も自然に減少したことになり、いずれわれわれ団塊世代も含まれるため、今後10年から15年の間に約1000万人が亡くなる可能性がある。長い目で見ると、20年から30年で2000万〜2500万人が亡くなるだろう。
ここに至るまでの政府の少子化対策はどのようなものだったか。私が「少子化する高齢社会」について研究してきた経験から言えば、過去30年間の少子化対策では、肝心の「少子化対策とは何か」が明示されてこなかった。さらに「少子化対策とは何をどうすることなのか」という議論もなされないまま、ひたすら細かなメニューが並べられてきたと言わざるを得ない。
その結果、少子化関連事業は栄えたが、合計特殊出生率は低下の一途をたどってしまった。
そこで新しい論点としては、失敗した「通常次元」を見直した上で「異次元」を考えることを提唱する。
日本新記録を記録した項目は、高齢化関連ではさらに多くなる。例えば高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)は日本が29.1%と世界で最も高い。また、総人口の減少は14年連続である。とりわけ厳しいのが年少人口で、年少人口数は42年連続、年少人口率は49年連続で減少している。これらの項目では短期長期の両方の目標として反転させる努力が必要ではないか。
このように、人口項目によっては短期目標だけではなく、人口変容に対応する社会を構築していく長期的な計画がリンクしなければ、どちらも効果があがらない場合がある。
少子化対策関係予算の事業に疑問
次に、2022年度の少子化対策予算を取り上げる。この費目は①結婚子育て世代が将来にわたる展望を描ける環境をつくる(1兆737億2500万円)。②多様化する子育て家庭の様々なニーズに応える(4兆1356億6800万円)。③地域の実情に応じたきめ細かな取り組みを進める(1兆6735億7400万円)。④結婚、妊娠・出産、子供・子育てに温かい社会をつくる(9300万円)に分けられる。
合計すると約6兆8830億円になるが、事業の重複があるため、実際は約6兆円の予算である(内閣府『令和4年版 少子化社会対策白書』)。
一般論として言えば、必要な事業のために予算を増やすことはいい。ただ、それがどのように使われているのかも合わせて検証しておきたい。
歴年の『少子化社会対策白書』には、各省がどのような名目で予算化しているのかが一覧表で具体的に掲載されている。一例として令和元年版の白書を見ると、各省による諸事業が少子化対策関係予算とされている。
厚生労働省「ジョブカード制度」厚労省・国土交通省「テレワーク普及促進対策事業」厚労省「たばこ対策促進事業」文科省「国立女性教育会館運営交付金」文科省「学習指導要領等の編集改訂等」農林水産省「都市農村共生・対流及び地域活性化対策」国土交通省「官庁施設のバリアフリー化の推進」「鉄道駅におけるバリアフリー化の推進」厚労省「シルバー人材センター事業」等も含まれる。
国としてこうした事業の意義はもちろんあり、国民としても納得できるが、はたしてこれらは「人口反転」に寄与できる事業なのか。各省庁から出された予算案を承認した財務省、国会審議で予算を可決した与野党ともに、「通常次元」の少子化対策の認識に甘さがあったと指摘できよう。この感覚で防衛費とほぼ同額(令和元年度予算は5兆円)を使ってきたのであるから、30年間の少子化対策の失敗が語られるのもやむを得まい。
「私たちの知識の大部分は、単なる事実ではなく、因果関係による説明からなっている」(パール&マッケンジー)という指摘がある。上記事業についても、担当省庁ごとに「少子化対策」との因果関係を具体的に示してほしい。
人口変容が危機的状況の下で「異次元」の少子化対策を目指すという岸田首相の姿勢は評価できるが、例示した「通常次元」の一部の事業、すなわち「風が吹けば桶屋が儲かる」式の省庁間のロジックで今まで実施されてきた事業を、どこまで首相が抑えられるのか。財源論の前に、このような「通常次元」の「異質性」を点検しなければ、30年間続けてきた失敗が繰り返されるだろう。
世代会計論
そこで、一つの方法として「世代会計」という考え方を紹介する。これ自体は少子化対策に焦点を当てたものではないが、30年ほど前に注目された理論である。
これを提唱したコトリコフは「世代会計はだれが助けられ、だれが傷つくのかを明らかにする。世代会計では、ある世代が少ない支払いで済むような政策は他の世代にそれに比例したより大きな負担を課すものである」と述べている。ある特定の時代に共存・共生する数世代の中で、何らかの理由で得する世代があれば、必ず損をする世代も生まれる会計方式と当初は考えられたように思われる。
世代会計論は「政府の請求書をどの世代が払うかを明らかにするために開発された」(コトリコフとバーンズ)という。公式は
A=C+D+V—T
で表現される。A:将来世代の負担、C:政府支出の現在価値、D:公的債務、V:潜在的債務、T:現在世代の支払う税収の現在価値となる。まだ生まれていない将来世代の負担総額(A)は、政府が毎年予算として歳出する金額(C)、国債など国の借金としての公的債務(D)、各種年金など社会保障費関連費用などの潜在的債務(V)があるが、これらの合計から現在世代が支払う税負担や社会保障関連費用(T)などを差し引いて計算される。
将来世代の負担を増やすのか減らすのか。あるいは毎年の予算を増やすのか減らすのか。国債など公的債務、年金など各種社会保障関連の潜在的な債務を増やすのか減らすのか。つまり、C+D+V—Tのどこを増やし、どこを減らすのかという議論が従来の財源論にはなかったのである。「異次元」を目指すのなら、この「世代会計」にも本気で取り組みたい。
少子化研究の5原則
次に、私が心がけてきた少子化研究の5原則について説明しておこう。
私は、人口を軸とした現在の社会と将来の社会づくりについて数冊の著書でも発信してきたが、その際に考えておきたい原則を少しずつまとめてきた。それは、①少子化を社会変動として原因と対策を考慮する、②原因の特定化に対応し世代間協力による克服策を志向する、③必要十分条件として「子育て共同参画社会」を重視する、④社会全体による「老若男女共生社会」が最終目標になる、⑤学問的成果と民衆の常識が整合する政策提言の実践を含む、となる。
このうち①の社会変動としての少子化対策は単なる子育て支援ではなく、社会が変わる大きな原動力でもあるので、その原因と対策を同時に考えておきたい。②は、子育てにしても社会変動にしても、世代という観点を踏まえて行うことを意味する。一世代が30年であるとすれば、三世代が常時協力できるような社会づくりへの展望をもちたい。そこでは「少子化」というより「低出生率」の克服になる。
③の「子育て共同参画社会」は、男女共同参画社会から派生させた私の造語だが、皆で子育てに参加するという意味である。出産した人だけでなく、産まない選択をした人、あるいはシングルの人も含めて国民全体で共同して子育てに参画する社会を目指す。そして最終的には④の「老若男女共生社会」が新しい時代の社会目標として位置づけられると提案してきた。
もちろん「異次元の少子化対策」を考える場合でも、個別特殊なライフスタイルの事例がある。出生数の減少や未婚率の上昇、また子どもを産まない選択をする場合なども含めた多様な生き方にもなるが、それ自体の善悪の判断はできない。
「通常次元」の二大政策
日本の少子化対策の歴史を見ると、子どもの位置づけが国民意識の点でも変化して、出生数の減少をもたらし、ライフスタイルの多様化が未婚率を増加させて、子供を産み育てない選択をする国民が増えたと考えられる。
それに合わせてこの30年間は、待機児童ゼロとワークライフバランスを二つの軸として基本対策が進められてきた。
待機児童ゼロは出生数の減少によりほぼ解消した。すなわち保育園、認定こども園など施設が増えたし、その一方で子供の数自体も減少したため、結果的に待機児童が減少した。だから、これが政策的に成功したかは疑問である。むしろ待機児童ゼロが、40年間に渡って日本の少子化対策の第一の施策だったことが驚きでもある。
ワークライフバランス(最初20年は両立ライフ)については、「ワーク」は職場、「ライフ」は家族であるが、当初から「コミュニティ」(地域)がなかった。例えば子供が犯罪に巻き込まれた時など地域で何か問題が起きる度に、その重要性が指摘されてはきた。しかし、ワークライフバランスの中にコミュニティが入らない状態が40年続いてきた。これでは「地方創生」もうまくいかないだろう。
いずれにしても、ワークライフバランスが筆頭の少子化対策とされてきたことも、私には理解できない。
「異次元」対策を模索するならば、この両者をどうするかという議論がほしいが、残念ながら全く行われていない。
「子育て共同参画社会」
以上とは別に私が提案してきた「子育て共同参画社会」は、持続可能な子育て支援を前提にした「安定の中の変動」を軸とする。「安定」条件の筆頭は、若い世代の業績達成能力を得意な分野で開花させる社会的条件の提供にある。「こども真ん中」を支えにして、若い世代の夢と生きがいをいかに国全体でかなえる方向に動いていくか。そのためには幅広い分野で正規雇用が拡大して、その目標達成こそが未婚率の増大や出生数減少や出生率の低下を止めると見る。
「生活安定」と「未来展望」
次に、少子化対策の因果ダイヤグラムについてお話ししたい(図1)。今年6月、少子化対策の財源に関する議論が起こったが、それは児童手当を増やして結婚を促し、結婚したカップルの出生行動に結びつけるというものであった。しかし、毎月3〜4万円の手当があったとして、それにより結婚して子どもを産み、社会全体で育てるという流れにはならないだろう。
そこで補助線として、一つは「生活安定」、そして最大の課題として「未来展望」を示しておきたい。若い世代の「生活安定」のための方策は現在も議論されているが、未来にどのような展望が開けるのかという議論まではなかなか進まない。「世代会計」論を土台にして、その上で財源をどうするかといった発想を共有する。そうしなければ、どこからか捻出して単純にバラまくということになりかねない。これは短期計画も長期計画ともそぐわない。
毎年子どもの日に合わせて発表される年齢3歳別のこども数と割合を見ると、幼いほど数が少なくなってきた。具体的には今年5月発表の数値で12〜14歳が321万人、総人口に占める割合は2.6%だが、年齢が下がるほど人数、割合とも減少し、0〜2歳は243万人で2.0%であった。単に子どもが減っていること以上に、乳幼児期の子どもが少なくなるというインパクトは大きい。20年後は若年労働者がますます減ることが数字として明確になっているのだから。
もはや子育て支援の次元を超えて、社会全体で働き方や子育ての道筋を考えていかなければ、乗り越えることができないのではないか。
社会変動とりわけ小家族化が着実に日本社会を覆い始めている。基本的な世帯人員は1人か2人であり、3人さらに4人世帯は珍しくなってきた。
こうした小家族化の流れの中で、少子化と高齢化、さらに子育て支援と介護、そして子育て支援とは真逆の児童虐待の問題など、様々な面で家族の力が低下していることを理解した上で、課題に取り組む必然性をデータは示している。
ところが、財源論争にからめた少子化対策論ではこのような観点が薄い。
時代の動きを押さえて、小学生から25歳くらいまでの若い人が生活安定と未来展望を実感できるような社会づくりを目指したい。児童手当や奨学金はその手段のひとつである。高度成長期で証明されたように、未来展望が鮮明であれば、おのずから結婚する人々が増えて、子どもも生まれる。
人口変容時代の論点
この40年間の少子化対策の歴史では様々な取り組みがあり、政府の努力も評価されるところがある。
ただ人口変容の新しい時代なのだから、次のような論点が重要になると考える。
①子育て間接支援としての行政の保育環境の整備とともに、すべての子育て家庭への直接支援も欠かせない。
②政策によって利益が得られる際には、可能な限り多くの住民が等しく受益者になることが望ましい。
③政府予算の基盤は個人や法人からの租税収入と国債であるが、それ以外の国民負担の方式についても議論は不可欠である。
④子育ての有無に関わらず、国民の利益も負担も公平性が鉄則である。
⑤利益のみは獲得するが、負担は回避するという「フリーライダー」の発生をなくす方式と組み合わせて、初めて少子化対策は効果が生まれる。
⑥個人の利益は社会全体の不利益になり、逆に個人の不利益が社会の利益になることもあるという「社会的ジレンマ」を防止する。
財源の提案
そして、かねてから少子化対策財源について、私は「子育て基金」を提案してきた。今回は、新しい財源として「再エネ賦課金」の転用を提案したい。これは2011年の東日本大震災の後から、太陽光発電や風力発電を支援するためすべての世帯で月に1000円程度負担しているもので、合計約6000億円が再エネの予算として使われている。電気を使用している世帯が例外なく支払っているお金を少子化対策に転用するという案が一つである。
二つ目は、年金から2%転用する。このような少子化の状況では、個人的に年金が減少するというだけでは済まない。年金を受け取る世代も少子化対策のために負担しようという提案である。確かに批判も受けるが、年金から2%、65歳以上の3626万人が負担すれば、1.11兆円が拠出できる。
三つ目が「子育て基金」である。40歳以上が負担する介護保険がお手本になるが、子育て基金は30歳〜64歳の5600万人余り2550万世帯が年収の1%を負担すれば1.28兆円が拠出できる。
また、四つ目が消費税1%分で、これは2.5兆円になる。
こうした工夫で現役世代あるいは年金世代だけでもなく、全ての世帯から約5.5兆円を拠出する。ここまでは税金とは別に、社会全体で負担できるのではないかというのが、子育て共同参画社会の提案である。
「子育て基金」について研究し、発言していた頃、当時の古川康佐賀県知事(現在は衆議院議員)が関心を持って下さった。佐賀県が提示した「育児保険」の理念は、「誰もが老齢に達したときは、子どもの有無に関わらず、誰かが育ててくれた子ども達が支える社会から給付を受けることとなることから、子どもの有無に関わらず、次代を担う子ども達を社会全体で育んでいくことは、今の世代を生きる者として連帯して果たすべき務めである」というものであった(図2)。
そこで野田聖子衆議院議員を交えて『読売ウイークリー』で「少子化を真面目に考える」鼎談をしたことがある。
要は、高齢者となった現役世代も、若い世代や育児の世代、あるいは子供のために少しお金を出す。
これは佐賀県独自のプランだったが、この考え方は今でも役立つので、紹介した次第である。
少子化対策の10原則
最後に、少子化について社会学の立場から、少子化対策の10原則をまとめることにする。
原則1 「社会全体」が徐々に消滅する危機を回避し、システムの機能不全を防止する。
原則2 子どもは公共財との認識を共有し、「社会全体」で子育て支援を行う。
原則3 社会構成員を男女ではなく、老若男女であるという出発点を確定する。
原則4 「社会全体」の平等性と世代内・世代間の公平性を確保する。
原則5 少子化現象は「個人が得すると社会は損する」という社会的ジレンマの代表例と理解する。
原則6 個人レベルの「勝ち犬・負け犬」の議論に止まらず、社会的視点を堅持する。
原則7 少子化対策は長期的視点と短期的視点に分け、連動させながら行う。これまで短期的視点は、せいぜい5年間の計画であった。子どもが減り高齢者が増えていく社会づくりの議論はほとんどなされてこなかった。
原則8 少子化対策の必要条件と十分条件を区別する。現金給付も必要ではあるが、それだけでは十分ではない。
原則9 少子化対策の手段と目的を区別する。例えば、バリアフリー、たばこ対策といったものを少子化対策の予算に含むのは、手段と目的を勘違いしている。それを放置していては、異次元は見えてこない。
原則10 負担と受益の両方の視点から少子化対策を「社会全体」で考える。
終わりに
フランスのアンリ・ベルグソンの有名な著作『道徳と宗教の二つの源泉』の末尾に「必要な努力を惜しまぬ意志があるのかどうか」という言葉がある。何をするにしても、必要な努力を惜しまぬ意志のもとでやるというのがベルグソンの結論である。「少子化」は日本と日本人の将来を左右するが、そのためにわれわれは必要な努力を惜しまぬ意志があるのかどうかが問われる時代なのだと言えよう。
(本稿は2023年10月4日に行われたIPP政策研究会の発題内容を整理してまとめたものである。)
【参考文献】
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金子勇,2003,『都市の少子社会』東京大学出版会
金子勇,2016,『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
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Kotlikoff,L.J.,1992,Generational Accounting,The Free Press.(=1993 香西泰監訳 『世代の経済学』日本経済新聞社).
Kotlikoff. and Burns,S.,2004,The Coming Generational Storm, The MIT Press.(=2005 中川治子訳 『破産する未来』日本経済新聞社).
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