1.2024年は選挙イヤー
来年は、世界の今後の行方を大きく左右する重大な選挙が数多く控えている。まさに選挙イヤーだ。まず1月には台湾で総統選挙が実施される。米国の大統領選挙も、1月15日のアイオワ州の党員集会から共和党の候補者選びが本格化する。予備選や党員集会が集中する3月5日の「スーパーチューズデー」が山場となり、その後、夏場に行われる各党の全国党大会で候補が正式に指名され、11月5日の本選挙まで長い選挙戦が展開される。
アジアでは、インドネシアの大統領選挙が2月に予定されている。3月に入ると、ロシアの大統領選挙、同じ月、ウクライナでも大統領選挙が行われ、現職のプーチン、ゼレンスキー両大統領がともに出馬に意欲を示している。そのほか、欧州ではリスボン条約に基づいて欧州議会議員の選挙が予定されている。そこで今回は来月早々(1月13日)実施される台湾の総統選挙について、その動向や展望について眺めてみたい。
2.8年ごとに政権交代を繰り返す台湾
台湾の総統任期(1期4年)は憲法の規定で連続2期までと定められており、現在2期目に入っている蔡英文総統は出馬できない。そこで新たな総統を選ぶ必要があり、来年1月13日に総統選挙が行われる。立法委員(国会議員)の選挙も同日に実施される。
かつて台湾では、独裁体制を敷いた国民党が長年政権を握ってきた。その後、1996年に初の民主的な総統選が実施され、2000年の選挙では民進党が勝利し、初めて政権を獲得、陳水扁氏が総統に就任した。その後は2期8年ごとに、国民党、民進党の2大政党による政権交代が続いている。
2000年の選挙で台湾進出以来、初めて下野することになった国民党の連戦主席は2005年、中国共産党の胡錦濤総書記との会談で和解を果たす。両党の和解の基礎となったのが「92年コンセンサス(九二共識)」だ(1)。これは中台の交流窓口機関が1992年の協議で達したとされる合意で、中国大陸と台湾は不可分で「一つの中国」に属することを口頭で認め合ったとされる。ただ中国側は「双方が原則の堅持を確認した」としているが、台湾側は「原則を堅持するが、その意味は双方が各自の解釈を表明する」としており、両者の認識に隔たりがある。民進党は92年コンセンサスを認めておらず、中国は同党を「台湾独立勢力」と批判している。
今回の総統選挙でも、中国への姿勢が最大の争点になっている。台湾統一を掲げる中国が圧力を強めるなか、2016年から政権を担い、「一つの中国」原則を認めないが現状維持を掲げる民進党と、「一つの中国」を前提に対中融和路線の国民党が激しく競り合っている。中国の習近平指導部が「台湾独立勢力」と批判する民進党が政権を維持するのか。あるいは対中融和路線を取る国民党が8年ぶりに政権を奪還するのか、1月の選挙結果は台湾海峡の情勢や東アジアの安全保障に大きな影響を及ぼすことは必至である。
3.蔡英文政権の8年間
これまで中国は一貫して「中国は一つ」で、「台湾は中国の一部である」と主張し、台湾の武力統一を否定したことがない。2022年に台湾の中央研究院が実施した世論調査では、この中国の主張に「反対」「大いに反対」と答えた人が計8割に上り、台湾を中国の一部と考えている人はほとんどいない。しかしまた、台湾の中国からの独立を主張する声も強くない。「中台統一」でも「台湾独立」でもなく「現状の維持」を求める有権者が多数である。
こうした台湾の世論を踏まえ、2016年の発足以降、蔡英文政権は中国が掲げる「一つの中国」原則を認めず、他方、台湾独立論を封印し、現状維持の路線を堅持するとともに、日米欧など自由と民主主義の価値観を共有する国との連携を深めることで、中国による統一リスクを回避する外交戦略を一貫して展開してきた。中でも米国との関係強化に注力しており、米国も台湾への軍事支援を強化するなど、台湾支援の動きを加速させている。台湾が戦略物資である半導体供給の中心地であることも、米国や欧州、日本が台湾を重視し、結びつきを強めている一因となっている。
近年、中国の台湾に対する軍事的威嚇行動が強まっており、また台湾侵攻能力も急速に強化されつつある。そのため蔡政権は米国からの武器供与など軍事支援の獲得に努めると同時に、台湾の防衛力強化にも力を入れており、独自の潜水艦や無人機などの開発を推進、また兵士の給与増や兵舎の改築といった待遇改善にも熱心だ。台湾の防衛予算は蔡政権の下で増加を続けており、2016年度の約3600億台湾ドル(約1兆6千億円、国内総生産の約2%)が2024度は6068億台湾ドル(約2兆8千億円、同約2・5%)と倍増に近い伸びを見せている。また米国がウクライナ戦争への米軍派遣を見送った際、「台湾を守るのは台湾人だ」と強調し、歴代政権が避けてきた兵役の延長も実現させている。
その一方、台湾を国際社会から孤立させることを狙って中国が激しい外交攻勢を仕掛けている。そのため台湾と外交関係を持つ国は2016年当時22カ国あったものが、サントメ・プリンシペ(2016年12月)、パナマ(17年6月)、ドミニカ共和国(18年5月)、ブルキナファソ(18年5月)、エルサルバドル(18年8月)、ソロモン諸島(19年9月)、キリバス(19年9月)、ニカラグア(21年12月)、ホンジュラス(23年3月)と次々と台湾との外交関係を断ち切る国が現れ、現在では13か国にまで減少している。
また内政面では、22年11月の統一地方選で、民進党は22県市の首長ポストを7から5に減らした。予想外の歴史的大敗を喫し、蔡英文総統は党主席の辞任に追い込まれた。敗北の要因は様々あるが、端的に言えば「長期政権の驕り」が出たことにある。地方選挙と外交や安全保障政策を問う国政選挙では有権者の投票行動に自ずから差異があるとはいえ、党関係者は来年の総統選についても、これまでになく厳しい戦いになると危機感を募らせている。
4.野党国民党の動き
一方、国民党の動きを見ると、23年3〜4月にかけて馬英九前総統が中国を訪問した。蔡英文総統の訪米と同じ時期の訪中で、共産党との内戦に敗れた国民党が1949年に台湾に移って以降、総統経験者が中国へ渡るのはこれが初であった。中国で台湾政策を主管する国務院台湾事務弁公室トップの宋濤主任との会談で馬氏は「両岸の同胞は同じ中華民族に属する。手を携えて両岸関係の平和的発展を促進し、中国人に幸福をもたらし、中華の振興を図るべきだ」と述べた。また江蘇省南京市の南京大虐殺記念館を参観した際には、報道陣に「われわれ中国人は大虐殺から教訓をくみ取り、外国からの侮辱に対して勇敢に抵抗しなければならない」と述べ、「同じ中華民族」や「われわれ中国人」という表現を用いて中台の融和一体化を強調した。
これに対し、台湾で対中政策を担当する大陸委員会は同日、馬氏が唱える「一つの中国」の主張は完全に台湾の人々の認知に反しているとし、「深い遺憾」を表明した。ちなみに台湾の国立政治大学が台湾住民を対象に実施した世論調査では、自分を「台湾人」と答えた人は63.3%、「中国人」とする回答は2.7%に留まっており、馬氏の「われわれ中国人」との発言は今日の台湾世論とのずれが浮き彫りになった。また国民党を「親中勢力」と批判する民進党の主張を勢いづけることにもなった。
5.各党候補者のプフィールと主張
今回の総統選挙では、与党・民主進歩党(民進党)から頼清徳・副総統、最大野党・国民党から侯友宜・新北市長、また第三政党の民衆党から柯文哲・前台北市長が出馬、さらに国民党の公認を得られなかった鴻海精密工業創業者の郭台銘氏も無所属で出馬し、この4人の候補者の争いとなっている。以下、各候補者のプロフィールや主張を眺めてみたい。
●民進党: 頼清徳候補 蔡総統の「現状維持」路線継承し独立色を封印
与党・民進(民主進歩)党の候補者頼清徳氏(64歳)は、1959年生まれで台北市郊外の新北市の出身。鉱山労働者の父親が頼氏2歳の時、鉱山事故で死亡。母親が働きながら6人の子供を育てた。成績優秀な頼氏は、台湾大学医学部に入学。卒業後、米ハーバード大学に留学し公共衛生学の修士号を取得。帰国後は、台南市で医業に就いていたが、1996年の第三次台湾海峡危機を契機に内科医から政界へ転身。立法委員(国会議員)を4期務め、専門の衛生環境や社会福祉分野で実績を上げた。
その後、2010年に台南市長に就任。2014年に再選されたが、2017年9月、蔡英文総統に請われて行政院長(首相)に就任した。連続2期目の蔡英文総統は24年の総統選に出馬できないため、民進党は1月に主席(党首)選挙を行い、唯一立候補を届け出ていた 頼副総統が新主席に選出されている。
党の総統候補者に選ばれた頼氏だが、過去のいきさつから祭英文総統との人間関係は必ずしも緊密とは言えない。2018年11月の統一地方選挙で民進党は大敗を喫した。蔡英文総統は党主席を引責辞任したが、再起を期す考えであった。この時蔡総統最側近の一人だった頼清徳行政院長は「蔡英文時代はもう終わった」として辞表を提出し、自ら次期総統候補に出馬表明した。ところが頼氏への支持は高まらず党内の公認候補争いで蔡総統に敗れてしまう。蔡総統は党内融和から頼氏を副総統候補に就けたが、以後両者の間には感情面で溝が出来たと伝えられている。
今年1月、頼副総統が民進党主席に就任した後、蔡英文総統は盟友の蘇貞昌行政院長を辞めさせ、意中の陳建仁前副総統を後任の行政院長に据えた。蔡総統としては、一番信頼を置く陳建仁前副総統を自分の後継者にしたかったのだが、党内選考の過程で力及ばず、頼清徳副総統が総統選候補者に選出された。こうした経緯から、総統選挙に臨むにあたり民進党は頼候補の下一枚岩で結束しているかといえばそうとは言い難く、総統選挙にいまひとつ力が入らない状況にある。
また独立色の強い頼氏の政治的スタンスも選挙戦での懸念材料と言われてきた。頼氏は行政院長在任中、「自分は現実的な台湾独立工作者だ」、あるいは「台湾独立のために働く政治家」などと公言し物議を醸したことがある。台湾独立志向が強い「独立派」に属す政治家と見做され、総統に就任したら独立色の濃い政策を打ち出すのではないかと中国側も強く警戒している。
こうしたイメージを払拭するため、副総統就任後、頼氏は独立志向の発言を控えており、昨年11月、訪問先のパラオで記者団に、「独立」でも「統一」でもない「現状維持」の路線を取ってきた蔡氏のこれまでの政策を踏襲する考えであることを強調した。頼氏は会見で、蔡総統が唱えた「中台は互いに隷属しない。台湾の未来は台湾人の考えを尊重して決める」との方針を踏襲すると表明した。また4月に民進党の総統選の党公認候補に選出された際、党本部で談話を発表し、「この総統選は戦争か平和かではなく、民主主義か独裁政治かの選択だ」と訴え、台湾統一を目指す中国との関係について、中台が「一つの中国」に属するという中国の主張を拒む姿勢を示す一方で、「台湾は事実上すでに独立した主権国家であり、独立を宣言する必要はない」と語り、大多数の有権者が「現状維持」を望んでいる状況を踏まえ、独立志向を封印している。
また国民党の対中融和・和解路線を強く批判、頼氏は9月の高雄市での演説で、中台関係を巡り一部の候補が中国との平和協定締結を主張している問題を取り上げた。チベットと中国は1951年、「チベット平和解放に関する協定」に署名している。しかし頼氏は「平和協定が役に立つなら、チベットがあのように悲惨な目に会うはずがない」と対中融和を一蹴した。
政治家としての実績に加え、清廉なイメージの持ち主ではあるが、大衆の人気はいま一つで、例えば民間団体の台湾民意基金会が22年12月に行った世論調査では、次期総統に頼氏を望んだ人は29%にとどまり、国民党の 侯友宜・新北市長の38.7%を下回っている。ただ今年に入り中国の台湾に対する軍事的威嚇が強まりを見せており、それに比例して頼氏の支持率は上昇傾向にある。
●国民党:侯友宜候補 親中色薄いが国政経験なし
最大野党の国民党は、今回は予備選挙を実施せず、世論調査などをもとに警察出身の侯友宜氏を公認の候補に指名した。主席の朱立倫氏は出馬を見送った。侯友宜氏(66歳)は1957年6月生まれで台湾南部の嘉義県出身。父親は元国民党軍の軍人で、国共内戦を経て台湾に渡り、嘉義県で豚肉販売業を営んだ。侯氏は嘉義高級中学校を卒業後、中央警察学校に進学、警察官僚の道を歩んだ。多くの事件で実績を上げ、2006年、49歳の時に史上最年少の警政署署長(警察庁長官に相当)に就任した。
だが2008年に発足した国民党の馬英九政権では冷遇され、警察大学校長に左遷させられている。不遇にある侯氏を救ったのが朱立倫新北市長だった。朱立氏に請われて侯友宜は2010年に同市副市長に就任。以後、副市長を7年以上務め2018年に市長に当選している。
国民党は「親米、友日、和陸(対中融和)」の対外政策を掲げ、中国との対話を唱えている。今年3月訪中した元国民党総裁の馬英九氏は、中国共産党との融和ムードを演出。「友情が深まるほど衝突の可能性は低くなる」、「一つの中国」原則を認め中国との対話を回復することが「最も台湾民衆の利益になる」などと主張し、蔡氏の民進党政権を「台湾を危険な状況に追い込んでいる」と批判した。侯氏も「一つの中国」原則に立ち、対中融和を模索する路線を踏襲し、これまでの国民党の政策と変わるところはない。ただ中国と関係が深い党内保守派に比べ、侯氏は親中色が薄く穏健な立場にある。国民党の候補として中国寄りの政治家と見られることを避けるため、「私は台湾の子だ」と発言することも多い。それが中国寄りという国民党のイメージを和らげる効果をもたらしているが、他面、党内親中派から不満の声が上がっているのも事実だ。
また堅持な行政手腕には定評があるものの、侯氏は中央政府での勤務や国政の経験が全くない。防衛費の削減を訴え、蔡政権が4カ月から1年に延ばした兵役期間を「両岸(中台)関係が安定したら4カ月に戻す」と公約しているが、外交や安全保障政策の手腕も未知数だ。さらに党務の経験に乏しく、党を纏め切れるかどうかも大きな課題といえる。
対中姿勢が中庸で、中央政治での実績も欠くため、侯友宜氏は全般的に存在感が薄く、総統候補としてのアピールや魅力に欠ける嫌いがあり、それが支持率の低さに表れている。台湾民意基金会の調査では23年2月に32.4%と頼氏の27.7%を上回ったが、翌3月に逆転を許す。6月には20.4%に落ち、頼氏の36.5%だけでなく、第三勢力の台湾民衆党が公認した前台北市長の柯文哲主席の29.1%も下回った。そのため党内には候補者の交代論もくすぶっている。侯氏の支持低迷の背景には、中国寄りの姿勢を明確にする郭氏の出馬も影響している。
●民衆党:柯文哲候補 若者・無党派が支持
台湾の第3政党である台湾民衆党の柯文哲・党主席も総統選への出馬を表明している。
柯文哲氏(64歳)は1959年8月生まれで新竹市の出身。新竹高級中学を卒業後、台湾大学医学部に入学した。卒業後は外科医として臓器移植などに取り組んだ。2014年の台北市長選挙に出馬して当選、22年12月まで台北市長を2期8年務めた。2019年には「民進、国民両党以外の選択肢が必要だ」として中道政党台湾民衆党を設立し、自らその初代党首に就任している。民衆党は現在、立法院(国会)で全113議席中5議席を獲得している。
柯氏は、民進党の台湾独立志向も、中台統一志向の国民党もどちらも非現実的と指摘し、「現状維持こそ台湾唯一の選択肢だ」との考えを持つ。柯氏は選挙のスローガンで「独立」ではなく「自主」という言葉を使い、「台湾自主、両岸和平」を強調する。台湾の民主主義と自由を守りつつ、中国と対話し戦争を避けることを意味する。台湾の有権者は「現状維持」を希望しており、現状を如何に守るかが政治家の仕事であり中国を刺激する必要はない。これまで台湾の政治を担ってきた二大政党のうち、中国国民党は中国の言うことを聞きすぎて台湾の独自性が失われかねない。一方、与党の民進党は中国と対抗することに力点を置くので戦争のリスクが高くなる。だから台湾民衆党が主導する「中間路線」が必要だと説く。
経歴から伺えるように柯氏は政治の玄人ではないが、逆にそれが魅力となっており、既成政党に批判的な若者や無党派層を中心に熱心な支持者を持っている。早々と次期総統選への立候補を表明し、4月に訪米して対外政策をアピールしている。ただ「92年コンセンサス」の受け入れには明言を避けるなど対中政策が曖昧で、民進党との政策の差異が不明瞭との批判もある。
●無所属:郭台銘候補 中台経済協力推進を説く親中派
2023年8月、台湾の大手企業、鴻海精密工業の創業者、郭台銘氏(73歳)が総統選に無所属で出馬することを正式に表明した。当初、中国国民党の公認候補を目指したが、侯友宜氏に公認候補争いに敗れ無所属での出馬となった。郭氏が無所属で立候補するには、有権者の1.5%に相当する約29万人分の署名を集める必要があったが、それを大幅に上回る103万人分の署名を11月2日選挙委員会に提出した。
郭台銘氏は1950年10月生まれで新北市の出身。両親は前年に山西省から台湾に移民している。中国海事専科学校を卒業し、兵役を終えた後、復興航運に入社するが1年で退職し、鴻海プラスチック企業有限公司を設立し、プラスチック製品の製造・加工を始めた。1988年には改革開放を進める中国に進出、鴻海科技や鴻海精密工業を創業し、世界的メーカーに育て上げ台湾一の富豪となった。2016年にはシャープを買収した。鴻海の会長を19年に退いた後も取締役に名を連ねている。その後、前回2020年の総統選挙への出馬を決意、国民党に入党し政界進出を図るが、党内の予備選挙で韓国瑜に敗れている。郭氏の立候補は政権批判票の分散に繋がり、大きな痛手となった国民党は「郭氏の立候補表明は極めて遺憾」との声明を出した。逆に民進党の頼清徳候補には有利な展開になる。
郭氏は、4人の候補者の中で最も中国寄りである。台湾と中国の経済関係は緊密だ。台湾の昨年の輸出額は中国と香港が全体の約4割を占めており、台湾企業の多くが中国に拠点を設けている。こうした現状を基に、自らも対中ビジネスを手がけてきた郭氏は、中台の経済協力の促進を主張しているため、対中関係の強化を望む親中派有権者から人気がある。中国は台湾に「平和協定」の締結に向けた協議を呼び掛けている。侯氏は協定への言及を避けているが、郭氏は8月に金門島の議会で演説。「両岸は戦争の危機にある」とし、「中国と平和協定を結ぶ」と公約している。
6.中国関与の影:硬軟併用で揺さぶり
総統選では中国の動向如何も無視出来ない。台湾統一を悲願とする中国にとっては、対中融和路線の国民党が政権を奪還することが望ましい。仮に24年の総統選で民進党候補が勝利すれば民進党政権が初めて3期続くことになり、中国には最悪の結果となる。そのため様々な手段を駆使して選挙戦に影響を及ぼし、国民党優位の状況を作り出そうとしている。
例えば2021年以降、中国は蔡英文政権に圧力をかける目的で台湾産の農産物、水産物や酒類などを対象に相次いで禁輸措置を発動させてきた。ところが22年6月には台湾産の果物「バンレイシ」の輸入を2年ぶりに再開、今年1月には金門県のコーリャン酒メーカーなど63社からの輸入再開を発表するなど秋波を送っている。10月下旬には中国当局が鴻海子会社に税務調査を実施。郭台銘候補に圧力をかけて出馬を思い留まらせ、侯友宜候補に票を集めて国民党政権の誕生を狙っているのではと噂されている。
また9月には台湾の対岸にある福建省の厦門市や福州市と金門島および馬祖島を交通インフラで結び、ライフライン(電気・水道)も共有の「共通生活圏」を形成する「融合・発展モデル地区」計画を発表した。中台間の交通・物流インフラを整備し「福建省を台湾同胞や企業の中国上陸時の最初の家にする」との目標を示し、中台の民衆が高速鉄道に乗り、気軽に台湾海峡を越える夢をアピールし、経済協力で揺さぶりを掛けているのだ。就学・就職を希望する台湾人を、大陸中国人と同等に扱う優遇措置を与えるとも約束する。計画では、金門島と厦門は最短で2キロと近く、橋を建設して道路と鉄道で、また福建省と台湾本島の間は、台湾海峡(幅150〜200キロ)を地下トンネルで結び、北京と台北を新幹線で連結するという。中国は2年前にも北京と台北を結ぶ高速鉄道建設の構想を掲げている。総裁選を控え、中国とのビジネスに携わる台湾の親中派を取り込む狙いは明らかだ。
経済を梃子に中台融和を促す一方、中国は軍事的な威圧、牽制も緩めていない。9月には1日で過去最多となる103機の軍用機が台湾周辺を飛行し、空母「山東」との合同訓練も実施した。また中国福建省の東山大埕湾地域で航空機や艦艇に地上部隊も加わる演習を実施し、台湾侵攻に備える動きを見せている。中国の意に添わない候補者が当選すれば軍事的な強硬措置に出る可能性もあると仄めかす恫喝である。
但し中国の軍事行動は昨年8月のペロシ米下院議長訪台時の演習よりは抑制的だ。2020年の総統選挙の際、香港における中国の民主化抑圧が、「一国二制度」での台湾統一に反対してきた蔡英文候補の支持率を押し上げる結果となった。その反省から、過度の軍事的威圧を加え民進党を勢いづかせぬよう抑制的な行動に留めようとする中国の意図が読み取れる。
むしろ中国が力を入れているのは心理戦や情報工作だ。フェイクニュースの拡散やサイバー攻撃などを仕掛けて選挙に介入し、国民党に有利となる世論作りを画策している。民進党の頼清徳候補も「中国は様々な手段で次期総統選に介入しようとしており、影響を受ければ台湾の民主主義は破壊される」と述べ、警鐘を鳴らしている。
7.選挙戦の展望と総括
当初、人気がいま一つ伸びなかった民進党の頼候補だが、今年の夏を境に支持率が高まりを見せ、現時点では優位な戦いを展開している。10月初旬の世論調査でも民進党の頼清徳候補が30.9%で1位を占め、民衆党の柯文哲候補は2位の24.2%、国民党の侯友宜候補が17.8%、郭台銘候補が11.6%という結果が出た。頼氏に支持率で引き離されていることに加え3人の野党候補者の主張には似通った点が多く野党票が割れるのは必至で、このまま四つ巴の総統選が続けば頼候補が有利になる。
2000年の総統選では、当時第三勢力だった無所属の宋楚瑜氏と国民党の連戦氏が票を奪い合い、結果的に民進党の陳水扁氏の当選を許している。国民党は同じ轍を踏みたくないはずだ。そのため互いの公約を擦り合わせ、柯文哲、侯友宜、郭台銘の3候補が野党共闘の態勢を取れるか否かが一つのポイントとなる。仮に3人のうち2人が出馬を取り止め統一候補を擁立した場合は、接戦が予想される。但し、誰よりも候補者の一本化を強く呼び掛けてはいるが、過去の国民党とのしこりや対中融和の姿勢が候補者の中で最も強いことなどから、郭候補で一本化する可能性はほとんどなく、郭氏は土壇場で出馬を辞退している。
そうしたなか、11月15日に国民党と台湾民衆党は統一候補を立てる方針で一致、候友宜候補と柯文哲候補の一方が総統候補、もう一方が副総統候補に回ることとし、どちらを総統候補とするかは、各種世論調査の内容を専門家が評価したうえで決定することで合意した。台湾メディアが15日に発表した4候補の支持率は、民進党の頼氏が33%、国民党の侯氏が26%、民衆党の柯氏が17%、無所属の郭台銘氏が5%。単純計算すれば侯、柯両氏の一本化で支持率は頼氏を上回り、一挙に情勢の転換を狙うことが出来る。ネットメディア「美麗島電子報」が9月に実施した世論調査でも、民進党の頼氏に対し、野党が候補者を一本化して総統候補が柯氏、副総統候補が侯氏の組み合わせで争った場合、支持率は民進党が41.5%、野党が43.2%となり、野党が民進党を僅かに上回るとの結果も出ている。
侯、柯両氏の支持率を単純に足しただけでは正確な予測は出来ないが、統一候補と頼氏の得票差が縮まることは明らかであり、それまでの民進党有利から接戦へと情勢が大きく変化することは確かだ。総統選では、3割近い無党派層の動向が勝敗に大きく影響する。二大政党にうんざりした若者や無党派層の受け皿となっている柯氏の票を国民党が取り込めれば、統一候補が勝利する可能性は高い。
総統選挙の主要な争点は、いうまでもなく中台関係だ。有権者の多数は、「中台統一」でも「台湾独立」でもない「現状維持」を求めている。そうした状況の下で、台湾統一を「歴史的任務」に掲げ台湾への圧力を強めてきた習近平政権だが、1年ぶりに開かれた米中首脳会談で、途絶えていた米中軍事交流の再開に同意、米中関係改善の印象を世界に与えた。この動きも国民党有利に働くだろう。
だが結局、国民党と民衆党の候補者一本化は実現に至らなかった。何氏が副総統候補に回ることを拒否したためといわれる。候補者一本化の失敗や調整を巡る両党・両候補間の諍いで野党への失望感が高まる結果に終わった。野党が絶好の機会を逸した一方、民進党は再び優位な戦いを進められることになった。
(2023年11月24日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)
注釈
(1)92年コンセンサス(九二共識あるいは92年合意ともいう)とは、1992年に中台双方の窓口機関の間での事務レベルの折衝過程で形成されたとされる。中国側はこれを「一つの中国原則を口頭で確認した合意」と解釈するが、国民党は「一つの中国の中身についてはそれぞれが(中華民国か中華人民共和国と)表明することで合意した」と解釈している。