政策オピニオン

2018年6月21日

日英同盟再考 ―近現代史からの遺訓―

元防衛大学校教授 平間洋一
1957年防衛大学校卒。海上自衛隊幹部候補生学校卒。その後、護衛艦「ちとせ」艦長、第31護衛隊司令、呉地方総監部防衛部長、防衛庁戦史部首席研究員等を経て 89年防衛大学校教授。元海将補。法学博士(慶應義塾大学)。専門は軍事史。現在、軍事史学会顧問、太平洋学会会長、呉市海事歴史科学館諮問委員長。主な著書に、『第一次世界大戦と日本海軍』『日露戦争が変えた世界史』『日英同盟―同盟の選択と国家の盛衰』、編著に『軍事学入門』『日英交流史1600-2000』他。

1.歴史の遺訓:長期的・歴史的視点の必要性

 われわれは、トランプ大統領が当選したときに、彼の主張する内向きの姿勢である「アメリカ第一主義」について、(リベラルな国際秩序を重視してきた)それまでの大統領の考え方とは違い異質のように感じたが、実は歴史を振り返ってみれば、決してそんなことはなかった。すなわち、百年前のウィルソン大統領の唱えた「民族自決宣言」と国際連盟の創設と議会(世論)の反対で加入しなかった「自国中心主義」に類似していることに気づくのである。プリンストン大学のホロルド・A・リンストン(Horold A.Linstone)教授は『新時代の脅威』において、ロシアの社会学者チェルネンコの学説を下敷きにアメリカでは世代が変わる25年を周期として外向きと内向きのベクトルが変化し、朝鮮戦争を除けば25年周期で戦争(対外介入)を繰り返してきたという。朝鮮戦争後に湾岸戦争やソマリア・アフガン、イラク戦争やトランプ大統領の出現を加えると、米国では100年周期で大変動が生起していると言えないだろうか。すなわち、ウィルソン大統領は1917年11月にレーニンが唱えた(民族自決の主張を含む)「平和に関する布告」に衝撃を受け、翌18年1月に米連邦議会演説で「平和十四カ条の原則」を打ち出した。この内容は第一次世界大戦後の「パリ講和会議」に提案され、その後、アメリカが主導し国際平和機構=国際連盟が創設されたが議会(世論)の反対で加盟しなかった。
 米外交史を概観すると、その特徴は非常にプラグマティックであり、国際主義と孤立主義(あるいは関与縮小論)、覇権主義とパートナーシップ論、欧州重視とアジア重視などで揺れてきた。1世紀のスパンでみると、自由主義と保守主義を政治信条とする共和党の時代には積極的な軍事拡張を行い紛争を繰り返したが、リベラリズムと国際主義を掲げる民主党の時代には、対話路線を歩んできたといえる。しかし太平洋戦争を仕掛けたのは民主党のルーズベルトであり、ソ連との降伏交渉を知りながら原爆投下をしたのも民主党のトルーマンであった。この歴史が示す遺訓は米国の二大政党は政治信条や思想にもかかわらず、ドラスティックな国益に沿った選択、プラグマティズムが外交の特徴であり、それは政治システムの強さにあるといえよう。
 一方、日本の政権サイクルは12年といわれるが、最大の問題は危機が迫っても内紛を繰り返し危機を無視する特徴があることで、丸山真男『現代政治の思想と行動』によると1931年の満州事変から1945年8月の敗戦までに13人の首相、30人の外相、19人の陸相、13人の海相が任命され統治者不在となったが、安倍政権登場前も同様に短期間に内閣がころころ変わっていた。このように指導者不在で政策が180度変わる日本に諸外国は対応のしようがなく、うわべだけの交流となっていたが、これを変えたのが安倍政権の誕生であったと言えよう。

2.日英同盟の歴史的変遷と教訓

(1)日英同盟の顛末
 日英同盟は、1902年に結ばれ1923年に失効となったが、この20年余りの間に何度か改訂された。その歴史的変遷を簡単に見ておこう。
 1902年1月に日英同盟が締結された。この時には有効期間を5年と定め、ロシアの満洲への南下阻止を念頭におき、その目的は「中国の独立領土保全と商工業上の機会均等」であった。その後、日露戦争の第2年目の1905年8月に第一次改訂がなされ、この改訂によって条約の適用範囲が清国と朝鮮からインドにまで拡大され、さらに清国の独立と領土権および清国おける商工業の機会均等が加えられた。
 この改訂で両国の領土または特殊権益が、いずれかの地域で侵された場合は、「締盟国ハ直ニ来リテ同盟国ニ援助ヲ与ヘ、協同戦闘ニ当リ講和モ亦双方合意ノ上ニ之ヲ為スベシ」(第二条)と攻守同盟に改訂された。また期間も5年から10年に延長された。この改訂は、満洲への進出を阻止されたロシアがインドに向うことを恐れた英国が、同盟の適用範囲をインドまで拡大したものであり、日本にはロシアの復讐戦を抑止するという狙いがあった。
 1911年7月第二次改訂が行われ、ロシアという共通の敵が消滅し、日露協約、日仏協約、英露協商の締結、米国や自治領カナダ、オーストラリアの人種問題をめぐる対立もあり、日英同盟は存続の危機を迎えていた。
 さらにこの改訂では、日英海軍に挟撃されるのではという米国の疑念を解消するために、「両締盟国ノ一方カ第三国ト総括的仲裁裁判条約ヲ締結シタ場合ニハ、・・・第三国ト交戦スル義務ヲ負ハシムルコトナカルベシ」(第4条)と、米国を日英同盟の対象外とした。この時点で日本が同盟の継続を希望したのは、中国の安定であり国際的孤立の回避であった。
 一方、英国が継続を希望した背景には、中国問題に加えて、ドイツ海軍力の増大があった。英国は同盟の継続が合意されると、極東の海軍力バランスを日本海軍に期待し、アジアから海軍兵力を欧州に回航するなど、この改訂では同盟の対象がロシアからドイツに変わり、日英同盟は英国に得るところの多い片務的な条約に変質し、共通の敵を失い商業的利益の対立と、英米の接近という情勢の変化で前途に暗雲が漂っていた。このようなときに第一次世界大戦が勃発したのであった。

(2)第一次世界大戦中の日本の対英協力
 第一次世界大戦において日本は、日英同盟に基づきどれほど対英協力をしたのか、具体的に見てみよう。主なものを列挙すれば、次のとおりだ。
①ドイツの東洋の拠点(青島・南洋諸島)の占領
②ドイツの東洋艦隊の捜索・追跡・撃滅に協力
③太平洋・インド洋の制海権の確立
 ケープタウン・ハワイ・オーストラリア・シンガポール・マラッカ海峡に艦艇を派遣
④地中海へ巡洋艦1隻、駆逐艦12隻を派遣し船団の護衛
 護衛回数:384回、護衛船舶数:788隻、輸送兵員:約70万人、救助人員:7075人
⑤同盟国、とくにロシアへの武器弾薬の供給
⑥英国・フランスの国債購入
⑦ウラジオストク銀行の金塊をカナダへ輸送(4回)

(3)英国の対日不信と不満
 (1)に述べた項目にもう少し付け加えれば、日本海軍は、ハワイ、マニラ、シンガポール、アデン、地中海にまで艦艇を派遣し、太平洋、インド洋、地中海における英国海軍の海上交通の安全維持活動に当たったのである。日本がこれほど同盟国英国のために貢献したものの、英国内では対日不信・不満の声が漏れ出ていた。それらをいくつか紹介する。

①駐日海軍武官ライマー大佐の報告「今次戦争と日本」(1918年3月)
 「日本の政治家は日英同盟が日本外交の“Keystone”などと常に公言しているが、この戦争に対する日本の原則は、第1に最大の経済的利益を追求することであり、次いでドイツに強い反日感情が起こらないよう連合国への援助を最も控え目にすることである。日本人に日本が東洋の未開な国ではなく西欧の一国として、多くの責任があることを示しても日本人は興味を示さない。また、イギリスが過去にいかに日本を援助したか。同盟国として何をなすべきかを明確に説明し、その義務に耐えるべきであると強く示唆すると日本人はわれわれから離れてしまう。日本が船舶の提供に応じないのは船舶を提供すれば貿易が損なわれ、利益を最大限に追及するという第一の目標に反するからである。日本は金に酔い太平洋のリーダーという夢に目が眩んでいる」。
 ⇒この駐日英国海軍武官の報告を、現代に敷衍して駐日米国武官のワシントンへの報告書と置き換えて読んでみると、現在の日本に対する見方と瓜二つという感じがする。

②参謀本部情報報告「中国とインドにおける日本の活動」
 「日本は開戦後に青島を占領し山東半島に進出、対華21カ条の要求を中国に承認させて利権を確保し、さらに袁世凱の帝政運動を妨害してイギリスの立場を失わせた。また日本では多量のインド人に対する扇動的文書が印刷され日本船によってインドに運ばれ、日本の援助だけで近い将来にインドで決定的な反乱が生起すると伝えられている。また日本はインド独立派の「巨悪な人物(中村屋のビバリー・チャンドラ・ボース)」を友好的に受け入れ、イギリスの抗議や国外追放要求に対し日本政府の対応は消極的で非協力的である。日本政府の臨検は不十分でドイツ工作員やインド革命党員が日本船に乗船することを拒否せず、在日ドイツ人やインド人に行動の自由を認めるなど日本は疑いもなくドイツのインド工作の中心地である。これら同盟国としてあるまじき行為に外務省は強力な抗議を日本政府に発すべきである」。
 ⇒これは、日本のアジア主義者のインド独立運動支援に対する反発からであった。

③大英帝国会議配布資料「日英関係に関する覚書」(1917年3月)
 「日本は本質的に侵略的な国家であり、日本は自分の将来に偉大な政治的未来があると信じている。日本の教育や商業はドイツ式で、日本の組織や規律もドイツ式であり、このため日本人の性格も自然にドイツ式になっている。日本が東洋のプロシャになるというのは決して誇張ではない。狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性を持ち偽りに満ち、さらに日本は近隣諸国に日本独自の文化を押し付けることを道義的義務と考えている。日本の侵略的な野望とイギリスの適正な要求とを調和する余地はあるであろうか。道義的に日英はあまりにも掛け離れている。このようにイギリスの理想と日本の野望が異なる以上、両国の間に共通の基盤を確立することは不可能である。この日本の野望をわれわれが容認できないとすれば、日本の野望を武力で阻止する時がくることを決意しなければならないであろう。日英間に努力すべき共通の目的は存在しない。日英同盟は虚無の基盤の上に存在しているに過ぎず、この同盟は人種的にも文化的にも異なる二つの国がもろい紙の上に書いた条項を綴じたものに過ぎない」。
 ⇒ここには日本国内において、陸軍の親独傾向、アジア主義者の反英感情と海軍の親英傾向が対立し国策が分裂していたという背景があった。
 この英国外務省の文書こそ、第一次世界大戦における英国の日本に対する不満の総論であり、ここから日英同盟解消に繋がっていく。とくに「この同盟は人種的にも文化的にも異なる二つの国がもろい紙の上に書いた条項を綴じたものに過ぎない」という部分に、英国の日本に対する根強い不信感が如実に表れているが、この文書を日米同盟に置き換えて考えてみた場合、米国側の根底には日本に対する同じような不信があるように思うのは私だけか。

(4)日本の不満と対応
 英国の根強い不信・不満の一方で、日本側にも同様の不満があったことも事実である。

①鈴木真「欧州出兵の暴論」(雑誌『太陽』第23巻第12号、1917年10月)
 「日本が他人の為に欧州下り迄出兵する義務はだれに負わされた。必要はどこにある。もし又自己の為にとならば遥々欧州迄出兵して何の利益があると問いたい」。「日英同盟の義務は無限に拡大されると見えて、やがて経済大会の申合わせがあった。しかし、これは単に一時的の申し合わせに過ぎず、さしたる約束を未来に及ぼしもせんから我慢も出来る。それで又単独講和の加入となった。加入は拘束を意味する。どちらでもいい事に我から好んで拘束を受けるのは鼻面を人に提供して綱を牽き通される牛的気分としか見られない。現在の如くあれも対同盟、これも対同盟で義務の無限過重では奴隷の任務其儘である」。
 雑誌『太陽』は9月号に「欧州出兵の愚論」、「新東洋の暴論」、「日英同盟」などの反英特集を組み、赤門学人は「日英同盟に就いてー『新東洋』主幹スコット氏に質す」との題で、 「此戦争に就て内々独逸に対する英国のソノ如何にも腑甲斐なきに驚き入って居るのである。….日英同盟の将来が如何にも不安に憂慮に堪えないように思われる。吾人は日英同盟を命綱と頼み得ることは出来ないのである」と書き、鈴木真は「欧州出兵の暴論」で「日本が他人の為に欧州下り迄出兵する義務はだれに負わされた、必要はどこにある。もし又自己の為にとならば、日本は遥々欧州迄出兵して何等の利益があると問いたい」。「現在の如くあれも対同盟、これも対同盟で義務の無限過重では奴隷の任務其儘である」と書いていた。

②野党(尾崎行雄)の追求
 日英同盟条約の条文や宣戦の詔勅によれば、 交戦区域が「インド洋以東ニ限ラルルノデアル….然ラバ地中海ニ軍艦ヲ出スト云フコトハ、詔勅並ニ同盟条約ノ範囲外ノ働キデアルコトニハ疑ヲ容レヌ(議場騒然)」。「関係当局大臣ガ2-3外国ノ勲章ヲ貰ッタ位デ此ラ忠勇義烈ノ将士ヲ慰メ得ルモノデハナイ」。
 このように国会では野党の尾崎行雄などが日英同盟の適用範囲はインドまでであるのに、「地中海マデ軍艦ヲ出スト言フコトハ、詔勅並ニ同盟条約ノ範囲外ノ働キデアルト言フコトハ疑ヲ容レヌ(議場騒然)」、何時まで、どこまでイギリスを援助するのかと政府を追求していた。このように対外政策が政争に利用される政府としては、同盟国としての責務も消極的にならざるをえず、大戦中の4年間を駐日大使として過ごしたグリーン大使の言葉を借りれば「任期中に加藤高明、本野一郎、後藤新平、石井菊次郎の4人の外務大臣に接したが、 イギリスの協力要請に対する日本の対応は常に同一態度、すなわち、直ちに拒否するか、 後程回答すると述べて拒否するか、未だ考慮中と述べて時間切れを待って拒否するかの何れかであった」のであり、この日本の対応に本国では外務次官ニコルソンの「私は日英同盟を全然信用していない。日本は最小のリスクと負担で最大の利益を引き出そうとしている」との不満となったのであった。

③共同作戦に従事し人種差別を受けた海軍軍人の反英感情が日英同盟解消後に日英を大きく引き裂いた。

(5)日英同盟解消の理由
 日英同盟は1923年に解消されたわけだが、その理由・原因は何であったのか。ここでは世界情勢の変化を中心にみてみる。

①共通の脅威の消滅
 そもそも同盟は、共通の脅威(仮想敵国)を想定して成立するものである。日英同盟の共通の脅威(=ロシア)がはっきりしていたのは、日露戦争までであった。その後は共通の脅威が消滅し、改訂を繰り返しながらヨタヨタと惰性で継続していた。

②米国の危惧
 第一次世界大戦が終了しドイツの脅威が消えると、米国の矛先は日本に向けられたが、その多くは中国に関するものであった。すなわち、国際世論の非難を日本に向け、日本を孤立させ、戦時中に確立した中国大陸の既成事実を覆そうとしたのだった。
 また、当時世界第一の英海軍と第二の日本海軍によって、大西洋と太平洋から挟撃されるという幻想に脅えるとともに、最も熾烈に制海権の争奪戦を演じていた対英戦争の場合に、背後を日本に攻撃される可能性から、米国は日英同盟の解消に動いたのだった。

③自治領(豪・カナダ)の移民問題

④中国市場をめぐる対立
 中国大陸をめぐって列強が勢力の角逐を展開する中、日本と英国も利益獲得をめぐって争奪局面が出てきた。一方、中国はそうした列強の侵略に対して「以夷制夷」という戦略で対応しようとした。さらにコミンテルンの謀略も加わって、複雑に情勢が展開していった。
 例えば、北京大学教授で後に駐米大使も務めた胡適は「日本切腹中国介錯論」を唱えた(1935年)。即ち、「中国は闘い続ける必要がある。日本がどんどん侵略し続ければ、中国は世界の同情を集めることができる上に、日本は軍事費がかさんでいく。ゆえに負けても長期持久戦に持ち込んで戦い続けていけば、そのうちに日本は自滅していく。欧米列強の 租界地が日本によって侵略されれば、彼等も反発して日本は益々追い込まれる。だから戦い続けていれば、やがては大きな戦争に発展して中国は救われる」と。
 日本の武士の伝統には「切腹」があるが、切腹するには介錯人が必要だ。つまりこの戦争で日本が最終的に切腹するときには、中国が介錯してやろうというわけだ。彼はその後、駐米大使として赴任し(1938年)、ルーズベルトなどにも働きかけて、最終的には日本が追い込まれ、開戦へと繋がっていった。

(6)日英同盟解消の誤算
 日英同盟解消の意味を考えてみたい。

①フレドリック・ムーア(在米日本大使館、開戦時の米国人顧問)の所見
 「米国が英国を強要して日本との同盟を廃止させたのは、 米国外交の失策だった。…日本側は同盟廃止によって大衝撃を受けた。英国が大した議論もせずに、 さっさと米国の望み通りにやってしまったので、 この米国に対する日本側の考えが、 それで変わった。これが始まりで、 この日本という国家は起こり得ることのある戦争のために備える独自の行動へと方向を転換した。ドイツが軍事力を回復した時、 それと協力しようとする路が、 そのために気持ちのうえで開けたのである。日本の海軍軍人はこの時まで国民の間に強い勢力を持っていたが、 そのために弱くなってしまって、 陸軍軍人に支配的な威信を譲り渡してしまった。もしも、 この日英同盟がずっと存在していたならば、 日本では文官と海軍との勢力によって陸軍に十分な抑止力を加え続けて、 陸軍が中国へ進出することを防止しただろうということさえあり得たかもしれないと私は考える。…..この同盟が廃止されたことは、 米国の国民と政府の失策であったと確信する」。

②チャーチルの所見(第一次世界大戦時の海軍大臣)
 「ベルサイユ条約のドイツに対する経済条項は有害愚劣なもので、 じつは滅法な賠償金の支払いを宣言された。一方、 日本に対してはアメリカが日本がきちんと守っていた日英同盟の継続が英米関係の障害となることをイギリスにたいして明らかにした。その結果、 この同盟は消滅せざるを得なかった。同盟破棄は日本に深刻な印象を植え付け、 西洋のアジアの国家の排除と見なされた。多くの結び付きがばらばらになったが、 それらは後になって平和に対する決定的価値を発揮するはずであった。さらに、 日本はワシントン条約によって英米の海軍より低い比率に規定されてしまった。かくて、 ヨーロッパでもアジアでも平和の名に於いて戦争再発の道を切り開く条件が戦いに勝った連合国によって急速に作られたのであった」。
 以上からわかることは、日英同盟が機能していれば、第二次世界大戦(太平洋戦争)は起こらなかったであろうということであろうか。

3.同盟国選択の基準

 前述の日英同盟の歴史的反省・教訓を踏まえて、同盟国選択の基準について考えてみたい。

(1)大陸国家と海洋国家
 世界の国は、一般に大陸国家と海洋国家とに区分されるが、それらを簡単に項目ごとに対比したものが別表である。

 大陸国家はフランスやドイツ、ロシアの例を挙げるまでもなく、常に自らを世界の中心と考える傾向がある。特に中国はこの傾向が強く、自国文化への優越感から周囲の民族を「東夷」、「西戒」、「南蛮」、「北狄」と位置付け、周囲の国々と対等の国際関係を維持したことはなかった。中国は周囲の国々を「臣下の礼」をとる半独立国として、「華夷秩序」に基づく自国を中心とするピラミッド型の従属的関係しか認めなかった。このような世界観から中国の平和観はBalance of Powerの平和ではなく、中国の覇権下の「王道文化」に浴する「華夷体制」の平和観であり、貿易は朝貢貿易体制であったが、このような傾向は大陸民族特有のもので、旧ソ連邦時代のロシア人も共産主義を世界随一の政治体制と自負し、世界各地に共産主義国家を建設しようと進出していた。また、中国人は自国文化に対する優越感から、優れた中国の文化を遅れた異民族に浸透させ、文化的に同化し、中国的生活圏を拡大せることが中国人の使命であり、周辺の文化的に劣る異民族もこれを歓迎するはずと考えていたため、近世に至るまで国境の概念がなく、中国が最初に国境を認めたのは1689年に締結されたネルチンクス条約であった。
 さらに、大陸国家にとって国土の広さや資源の有無などは、国土防衛上のみならず、国家の生存発展のためにも不可欠であり、第二次世界大戦前のドイツやソ連は自給自足を求めようと、他国を侵略したが、中国もこの大陸国家特有の領土欲から東トルキスタン人民共和国(新彊)、蒙古人民共和国(内蒙古)やチベットなど、歴史的に中国領土ではなかった地域を併合し、西沙や東沙諸島を武力で占領しただけでなく、現在も台湾の解放や尖閣列島の領有を主張している。
 一方、海洋民族の社会体制や政治姿勢は、海洋が天然の城壁の役割を果たし、他国の侵略を受けることも少なく、さらに第三国の領土を経由することなく比較的自由に外国と交易し、必要な物資や文化を導入してきたためか、国家としての社会システムや思想は開放的で、自由主義的となる傾向が強く、兵制は船を操るには特別の知識と体験を必要とするところから志願兵制度を取り、海軍を重視する国が多い。また、海洋国は海上交通路を維持し制海権を握っていれば貿易によって国家の発展生存に必要な資源を取得することができるため、国際関係は相互に立場を認め平等視する水平的な関係である場合が多い。
 海洋国の利点の一つが安価大量の輸送力であり、海洋の存在する所はどこへでも自由に安価に多量の物資を運びえることから有無相通じる国際貿易や国際分業化を促進し、海洋国家間を相互依存の関係としている。このため、海洋国家は世界的な協調体制や同盟関係を構築する傾向が強く、古来「海洋国は同盟国とともに戦う」と言われてきた。
 これに対して大陸国家は常に国境を挟んで隣国と臨戦態勢を維持し、侵略を受ければ多量の兵員を動員しなければならなかったため、徴兵制度を取る国が多く陸軍が重視されている。このためか国家の性格は概して専制的であり閉鎖的で、その制度は一般に中央集権的で軍国主義的にならざるを得なかった。

(2)歴史が教える同盟国選択の基準
 基準の第一は、ヘンリー・ジョン・テンプル・パーマーストン英首相の言葉「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益である」との言葉を引用するまでもなく、国益である。
 同盟国選択の第二の基準はパワーバランスである。明らかの脅威(敵)が存在するときに、それに対応するパワーバランスがあるかどうかである。つまり、防衛力の増強であるが、防衛力の基本は人であり、教育には長期10年は必要である。
 自衛隊の現状を言えば、その人的資源は「青息吐息」状態だ。潜水艦や駆逐艦等、ハードの面は相当充実してきているが、それを運用すべき人材がいない。自衛官を募集しても4割程度しか集まらない現実がある。そうなると立派な装備がそろっても、うまく運用できないという悲劇がみえてくる。
 これまで英国は、日本に接近してこなかったが、ここ数年急に接近し始めた。その背景には、安倍政権が不動の信念の元に外交を展開していることへの信頼があったと思う。
 同盟国選択の第三の基準は情報力であり、世界の世論を動かす報道力であるが、日英が緊密化すれば豪州・NZ・インド・マレーシアなどの英連邦が加わり、さらにドイツを警戒するフランスまでが加われば国際政治上だけでなく、貿易などにも有利に作用する。最終的には英国が米国まで動かす可能性も考えられ、混沌とした現状では日英同盟の価値は大きいのではないか。
 とくに一国家一言語のため情報力に欠け、戦略的思考が苦手な日本には、世界の思想や価値観を牛耳る大国を同盟国とすることが望ましいことは、日英同盟を締結し英国とともに歩んできたときの日本の繁栄を見れば明らかであろう。
 海軍は一旦海に出ればその対象は海という自然環境である。自然はときにはしけたり、荒れたりする。この与件は、世界のどの国でも共通で、同じ脅威を共有する特徴がある。そして戦闘行為中に、撃沈されたりして海に投げ出された兵士は、敵味方なく救助する。このように海軍では、国境を超えた同じ海軍同士の連携が見られる。
 例えば、チャールズ王子はヘリパイロットを経験し、後にホークランド紛争に参戦したが、退役後の2018年には英連邦総督に就任した。また長男のウィリアム王子はイラク戦争にも参戦しており、現在は近衛兵である。海軍の場合は戦う戦場が共通の海ということから通じ合えるが、陸軍の場合は白旗を掲げていても小兵力と判断すると背後から攻撃するもあり、戦車部隊が敵を撃滅し占領したと安心しても、壕に潜んでぢた伏兵に襲撃されることもあるので、戦いが終わっても陸軍兵士の場合には、すぐに信頼し合うことは出来ないのである。

(3)中国をどうみるか
 2018年5月22日、米国はリムパック海軍演習から、中国海軍の排除を決定した。それまで米国は、中国海軍も世界の他国の海軍と同様に、いっしょに訓練をしていけば、分かりあえるだろうという信念(希望)の下、海軍演習に中国海軍を加えて共同演習を行ってきた。しかし中国は、発想が根本的に違う。例えば、中国は「国境は国力の変化により変動する」とし、中国の国境は線(Line)ではなく辺疆(Zone)である。
「戦略国境は国家と民族の生存空間である。戦略国境を追求することは国家の安全と発展を保証する上で極めて重要である。総合的国力の変化にともない戦略的国境線の範囲は変動する。中国も実力をつけて来た暁には海洋正面及び宇宙空間、 海底の三正面に地理上の国境を越えて「戦略国境」を拡大する必要がある」(「合理的な戦略国境の追求」(『解放軍報』1988年4月3日)」
 マハン海軍大佐の遺訓に、「いかなる大国も、大海軍と大陸軍を同時に運用できない」という言葉がある。例えば、ロシア帝国(ロマノフ王朝)も大海軍と大陸軍を持ったが、日本海戦で敗れてしまった。そのほか、旧ソ連、第二次世界大戦におけるドイツ、日本などもそうだった。今日、陸軍大国であった中国が、いま海軍大国を目指して軍備増強をしているが、歴史の遺訓から見ると、輝かしい未来は見えないが、どうだろう。

(4)英国の4枚舌外交
 英国がいまだに覇権を維持している理由の一つに、したたかな腹黒(4枚舌)外交がある。
①1枚舌:第一次世界大戦のころ、フセイン・マクマホン書簡によってアラブの独立を承認した(アラビアのローレンスの物語)。
②2枚舌:1916年、英仏露の「サイクス・ピコ協定」によってトルコ領を分割。後にレーニン政権が暴露した。
③3枚舌:1917年:「英外相のバルフォア宣言」。ロスチャイルドに軍資金の調達を期待しイスラエルの独立を承認した。
④4枚舌:1920年:英仏サン・レモ会談で中東分割統治を協議し、国際連盟が承認し英仏の委任統治領となった。
 さらにもう一つの理由として、英国の「しつこさ」(例:情報)や合理的非人道行為(例:ビルマの日本兵を平然と殺害)などもある。

<参考文献>
・鬼丸武士『上海「ヌーラン事件」の闇―戦間期アジアにおける地下活動のネットワークとイギリスの政治情報警察』(書籍工房早山、2014年)。
・会田雄次『アーロン収容所』(中央公論社)。

4.新日英同盟は可能か

 2013年10月、英国はNSCのノウハウを日本に提供し、日英NSC事務局にホットラインが開設され、安全保障分野や緊急事態での情報が共有されることとなった。翌14年3月には、サイモン・ステイリー中佐が自衛艦隊司令部に連絡官として派遣された。そのほか、別表をみれば分かるように、英国が動くと、オーストラリア、ニュージーランドなど英連邦諸国も動き出してくることは次の表から理解できるのではないか。

〈最近の対日接近の動き〉

 もし今後、新日英同盟があり得る場合、それに期待することは何かといえば、米国を動かすには、日本だけでは不十分で英国との共同が必要だからである。もちろん、100年前と情勢が似ているとはいえ、簡単に日英同盟が成立するとも考えられないし、日英同盟を米国は許さないに違いない。
 米国は英国に先導されて二度の世界大戦に介入することになった。そのことに関してチャーチルは、「米国は蒸気ポンプみたいなものでなかなか動かないが、一度蒸気圧力が上がってしまうと止めても止まらない。したがって米国を動かすには、前もって米国をどのように動かすかを定め、方向を明確にして御者に分からないように、徐々に馬の鼻面を自分の望む方向に向け、あとは御者に気づかれないように、思い切り馬の尻に鞭打てば思うように動いてくれる。しかし、途中で方向を変えることは極めて難しい」と述べた。実際、世界大戦では、英国は優秀な参謀を米参謀本部に送り込んで英国の思う方向に米国を動かすことができた。そのノウハウをもつ英国と協力することで、米国をうまく動かすことができるのではないかと思う。
 日英同盟の場合に日英二国間の意義だけを考えてはいけない。同盟的な日英関係を基盤として、英連邦諸国との連携へと拡大すべきであり軍事分野の協力のみならず、経済協力関係も含めて展開していける。そうなると日英に押され米国も動かざるを得なくなるので、これまでの日米同盟に偏重した安全保障体制をより厚みのあるものに深化させていくことができるのではないか。

(本稿は、2018年6月5日に開催した政策研究会における発題内容を整理してまとめたものである。)