混迷する世界とグローバル・リーダーの育成 —21世紀型リベラル・アーツ—

混迷する世界とグローバル・リーダーの育成 —21世紀型リベラル・アーツ—

2018年6月20日
激変する知の世界

 今後十数年で今われわれが慣れ親しんでいる社会科学と人文科学は20世紀における自然科学分野の生物学と同様の運命をたどるであろう、とアレキサンドリア図書館に集まる世界の知の巨人の間で議論され始めた。すなわち消えていくであろう、ということである。この2世紀ほど、問題設定・方法論・結論という知の追究のプロセスにおける方法論を中心としたアプローチがアカデミア(大学・研究所)を特徴づけてきた。しかし、この方法論の部分はほとんどがスーパー・コンピュータ、さらには異次元スーパー・コンピュータが一般化することによって、コンピュータに取って代わられるであろう、というのである。そうすると知の営為として重要になるのは、問題設定と多くの部分が数式で出てきた結論を社会・人間の世界に読み込むことである。

総合知・人格と視界不良の世界

 今、世界は2世紀にわたるパクス・ブリタニカとそれを引き継いだ米国覇権によるリベラルな国際秩序が中国を中心とするアジアの復権という新たな現実を迎え、おそらく長期にわたる視界不良の時代に突入しつつある。海図なき航海を導き、新たな世界を構想するリーダー層が強く望まれる。とかく安手の経験知や大衆迎合的ポピュリストの跋扈しやすい時代が続くであろう。このような状況こそ幅の広い総合知を備えて優れた俯瞰力を持ち、深い人間の理解力を持ち、抜きんでた人格を持った指導者が、ある程度の数出てこないと、極めて危険である。英雄待望論ではなく、自己の文化に深く根差し、かつグローバルな視野を備えた人物の育成が必要なのである。

新たな時代のリベラル・アーツ教育

 知の世界とグローバルな状況、その両面でのあらたな挑戦に応えられるのは柔軟な総合知とリーダーとしての責任感(陳腐なエリート意識ではなく)を備えた人物を育成するリベラル・アーツ教育以外にないであろう。
 西欧中世に定式化されたリベラル・アーツは自由7科と呼ばれ、文法、論理学、修辞学、代数、幾何、天文学、音楽であり、その先に法学、哲学(これはリベラル・アーツ7科のベースでもあった)、さらに学問の女王としての神学があった。それを学ぶための教材との関係でギリシア語とラテン語の習得はその前提であった。その源流の古代ギリシアでは、主としてホメロスを使って指導者の倫理と志、戦う技術などの教育が重視された。これを現代に移し替えればコミュニケーション能力、数学、自然科学、古典、哲学、芸術という事であろう。言語に関しては母国語と英語。さらに、歴史、特に近現代史が加わらなくてはならないのであろう。21世紀型リベラル・アーツ7科としてコミュニケーション(母国語・英語を含む)、数学、自然科学、古典(ギリシア、さらには中国)、芸術(音楽、美術、美術)、歴史、体育(ギリシア、ローマ時代には極めて重要であった)を考えていいのであろう。このすべての分野で、それらが総合的にとらえられ、問題設定を訓練することが教育の中心にならなくてはならないことは、二千数百年来の伝統そのものである。そのためには議論を通じての学びという形が中心を占めることになる。
 さらにこの幅の広い教育を充実させるための中核には、「志」の発見・強化が無くてはならない。自らの使命、その追究のための学問、人格を磨き上げる努力、これらが一体となった時、学びは深みを増す。問題設定によって導き出された結果を解釈するという作業は多分に人格に依存する。人格を磨き上げる努力は基本中の基本である。

学びの社会:全世代型リベラル・アーツ

 このような21世紀型リベラル・アーツ教育は大学に閉じ込められるものではありえない。中学・高校でもリベラル・アーツ7科の応用が考えられていいはずである。英国のパブリック・スクール、ドイツのギムナジウム、フランスのリセ、日本の戦前の高等学校などの経験から、21世紀の現実を反映した中等教育と社会とのかかわりを含め(ボランテイア活動や地域の社会人の教育への参加)日本風の中等教育リベラル・アーツがあってもよいはずである。また、社会人にとっても2回、3回とリベラル・アーツ教育を受ける機会があってしかるべきである。現存する小規模の「塾」を含め、多様な社会人リベラル・アーツ活動が展開されてもいいであろう。さらには人生経験そのものを豊かに内部化するためのシニア層のリベラル・アーツ教育も重要であろう。それを通してアクティブ・シニアが瑞々しい社会貢献をする社会は豊かな成熟社会のモデルになると思われる。
 リベラル・アーツを中心とした学びの社会を形成することによって、良質なリーダーが育ち、その人たちを見極める国民が形成されることが21世紀のグローバル・リーダー層を形成するためには極めて重要な要件である。その社会はある意味で万人教師、万人学生なのかもしれない。異質で多様な人々がお互いに学び合うことから、自然に多様性に満ちたグローバルな社会の指導者が輩出されてくるに違いない。

政策オピニオン
高橋 一生 リベラルアーツ21 代表幹事
著者プロフィール
国際基督教大学卒(国際関係学科),同大学院行政学研究科修了,米国・コロンビア大学大学院博士課程修了(Ph.D.取得)。その後,経済協力開発機構(OECD),笹川平和財団,国際開発研究センター長を経て,2001年国際基督教大学教授。東京大学,国連大学および政策研究大学院大学客員教授を歴任。国際開発研究者協会前会長。現在,リベラルアーツ21代表,国際連合学会理事,共生科学会副会長,アレキサンドリア図書館顧問。専攻は,国際開発,平和構築論。主な著書に『国際開発の課題』『激動の世界:紛争と開発』,訳書に『地球公共財の政治経済学』他。

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