現代の「十字軍」 —昔の「十字軍」と比較して—

現代の「十字軍」 —昔の「十字軍」と比較して—

2018年6月13日

 11月の中間選挙を控え、ユダヤ・ロビーと自らの出自、福音派キリスト教徒の支持票を固めようとする内政上の動因があったのか、トランプ大統領は20185月、世界3大宗教の聖地エルサレムをイスラエルの首都と認定し、大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた。514日大使館移転を祝う式典はパレスチナ側から激しい抗議デモを招いた。トランプ政権は粗暴にも、これまで歴代の大統領が中東和平交渉を何度も仲介した実績を、双方に最も公平であるべき自らの立場とともに放棄してしまった。この機会に今回の「現代十字軍」ともいうべき事態を往時の十字軍と比較してみたい。

ヨーロッパ側から見た「十字軍」

 11世紀末、欧州のキリスト教諸侯は贖罪を目指し聖地エルサレムをセルジュク・トルコから奪還するため遠征軍を派遣した。衣に赤い十字の印を張り付けた騎士団は度重なる苦闘の末、エルサレム開城を果たした(1099年)。セシル・B.デミル監督の映画『十字軍』をはじめとして、これまで西欧側からは英雄物語として取り扱われることが多かった「十字軍」。わが国でも、明治維新以来の欧化政策の影響下、多くの十字軍関係の歴史書や文学書は西欧側から見たものばかりだった。
 もちろん、これまで西欧側で客観的な真相究明の努力が全くされなかったわけではない。エルサレムでの彼らの振舞いは決して騎士、キリスト教徒に相応しいものではなく、イスラーム教徒に対する虐殺や蛮行を認める歴史書も現れている(注1)。確かにその後 数次にわたって派遣された十字軍はイスラーム側より香料、胡椒などの交易ルートを奪い、領土獲得を図るなど、本来の目的から逸脱していった。
 しかしながら、十字軍の遠征は、騎士自身に望外の副産物をもたらした――キリスト教徒は、優れたアラビア文化、学術、建築、美意識などを知ることとなる。そして最初の十字軍からまだ百年もたたないうちに、アリストテレスの書物は、アラビア語からラテン語に翻訳され、西欧諸国で多くの人に読まれ、熱心に研究されたことも記録されている。

アラブから見た「フランク」

 百年近く続いたフランクの侵略と占領に対してイスラーム側が反撃に出る。
 クルド系指導者サラハッデイーンは各地でフランク軍を撃破、エルサレム領の大部分を回復した。かれは優れた戦略家であるのみならず、バランス感覚と柔軟性をもった交渉者、外交官でもあったという新しいイメージが20世紀後半に、『アラブが見た十字軍』(2)などの歴史書となって現れた。その邦訳出版された表題に係わらず、著者は『十字軍』という語は全く使わず、往時西洋人の代名詞だった「フランク」とか侵略者などと呼んでいる。 同書によれば、サラハッデイーンは1187年エルサレム開城に際し流血を避け、1人当たりの身代金を、男子、女子及び子供それぞれから徴収、フランクの騎士、非戦闘員らを城外に解放し、未亡人・孤児については、身代金免除のみならず、贈り物つきで立ち退かせたといわれる。
 そして、このイスラームの指導者は次の反省の言葉を残している。
 「フランクがなすことをよく見よ。われらムスリムが聖戦を行う熱意をいささかも持ち合わせておらぬのに、彼らフランクはおのが教えのために、かくも激しく戦うのを」と仲間内で目先の領地争いに明け暮れるイスラーム側の内情を嘆いている。イスラーム軍は非アラブ系指導者のもとでのみ結束しえたこと、フランク軍の行政、法制から学ぶところが大きかったとサラハッデイーンは謙虚に認めている。当時のイスラーム指導者はフランク軍と戦うために、ユダヤ系少数民族を内輪の人々として取り扱い、土着キリスト教徒同様、人頭税支払いを条件に信仰の自由を与え、共存をめざしたようだ。

現代の「十字軍」

 しかし第二次世界大戦以降、様相は一変、国連はパレスチナ分割決議採択によって、アラブ側、そしてフランクの代わりに外来勢力として現われたイスラエル側双方に敵意と憎悪の種を撒いてしまった。特に湾岸戦争後、イスラーム過激派、オサーマ・ビンラーデンやIS指導者バグダーデイなどは「米十字軍とその同盟者に対するジハード」を呼び掛けた(注3)。トランプ政権はユダヤ人がかつてナチスから受けた迫害をパレスチナの人々に向けることを黙認し、イスラーム過激派に格好な口実を与えている。 サラハッデイーンの時代にイスラーム軍とフランク軍の間を辛くも繋ぎ止めていた対話、寛容と共生の精神は、現在ほぼ失われてしまった。
 また、本来中東イスラーム世界が一丸となって対処すべきところ、サウジ・イランの対立、イエーメンをめぐる代理戦争によって中東和平問題、そしてその中核的「エルサレム」問題が未解決のまま放置されようとしている。既にガザ地区ハマスのイスラエルに対する抵抗の激化をはじめ、一旦下火になったISテロ活動も各地で復活する不穏な兆候もみられる。
 日本は湾岸危機、自衛隊のイラク派遣、その後の対テロ戦争の過程で、「十字軍の傀儡」として位置づけられがちであり、邦人犠牲者も出ている。中東不安はガソリン価格にも跳ね返り、日常生活への影響も無視できない。
 この機会に「十字軍」の今昔をじっくり回顧し、歴史の教訓を学ばなければならない。

 

<注>

1)エルンスト・H.ゴンブリッチ(1985年)/中山典夫訳『若い読者のための世界史』中央公論美術出版,2004年,pp184-186

2)アミン・マアルーフ(1983年)/牟田口義郎・新川雅子訳『アラブが見た十字軍』リブロボート,1986年。

3)保坂修司「十字軍と現代」,中東学会公開講演会,2018512日。

政策オピニオン
片倉 邦雄 元駐エジプト大使
著者プロフィール
1933東京生まれ。1960年東京大学法学部卒後,外務省に入省し,60-63年アラビア語研修生としてロンドン大学SOAS,英国外務省アラビア語研修センターMECAS,カイロ大学等に留学。その後,国連代表部一等書記官,駐イラン大使館参事官,駐英公使(王立国際問題研究所Chatham House研究員)などを経て,駐アラブ首長国連邦,駐イラク,駐エジプト各大使,東京アフリカ開発会議Ⅱ政府代表を歴任。99年退官後,2000‐04年大東文化大学教授,片倉もとこ記念沙漠文化財団評議会議長,日本アラブ協会副会長を務める。主な著書に,『人質と共に生きて』『アラビスト外交官の中東回想録』『トン考―ヒトとブタをめぐる愛憎の文化史』など。

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