グローバルヒストリーから見た現代世界

グローバルヒストリーから見た現代世界

1.新しい世界史とグローバルヒストリーの手法

 本稿では、グローバルヒストリーを通して現代世界をみることにより、今後の平和政策を新たな視点で考えていきたい。まず、このグローバルヒストリーという言葉自体が必ずしもすべての歴史学者の合意を得られておらず、日本でも広く使われているわけではないため、その意味や手法について説明しておきたい。なお、本稿の前半部分は、拙著『新しい世界史へ—地球市民のための構想』(岩波新書、2011年)および『グローバル化と世界史』(東京大学出版会、2018年)に基づく内容であるので、詳細はこれらを参照されたい。

グローバルヒストリーとは何か?

 歴史学とは、過去を振り返り解釈することであるが、その手法は様々である。その一つが時間軸を重視した過去の見方であり、これを「縦の歴史」と呼んでいる。つまり、「縦の歴史」とは時間に沿って物事が移り変わっていく様を解釈していくことだ。日本という国、あるいはヨーロッパの地域といった空間を検討の単位として設定し、その中で時代によってどのような変化が起こったかを考察していく手法である。
 これに対し、「横の歴史」は空間を重視し、その中における関係性などに注目してその時代の解釈を試みる方法である。「縦の歴史」でもちいる国や地域といった単位以外にも、海の世界や気候帯による分類など、様々な空間の設定の仕方をして、その空間内の関係や共通点、あるいは逆に関係性の欠如や相違点について考察していく。縦の時間軸と比べ、一つの時代における横の空間により注目する考え方だ。
 そして、「横の歴史」の中でも、空間の単位を世界全体に設定し、ある時期におけるつながり、あるいは無関係さを解釈していくことを、私はグローバルヒストリーの手法と呼んでいる。スナップショットと言われるように、特定の時期の世界全体をモーションレスの状態で描き、地域間や人間集団の間の横のつながりを意識しながら、歴史の解釈を試みるものである。
 グローバルヒストリーの手法で世界の歴史を再度見直してみることで、これまでの歴史解釈を変更したり、あるいは新しい歴史解釈を提案できる可能性がある。例えば、新型コロナのパンデミックに関連してよく引き合いに出される十四世紀の黒死病(ペスト)はヨーロッパでの流行しか言及されないことが多いが、元々は中央アジアで感染が広がり始め、それが中東を経て最終的にヨーロッパへと広い範囲に伝播した。にもかかわらず、このパンデミックの波が日本にも到来したのかという点については、ほとんど言及されることはない。私が専門家に聞いた限りでは、黒死病は当時の日本には来ていないようだ。グローバルヒストリーの手法で考えると疑問が沸いてくる。十四世紀前半は日本でいうと鎌倉時代から南北朝の時代に入る時期であり、元寇の印象が強く、日本列島と中国大陸の間に交渉はなかったように理解されがちだが、実は商船や人の行き来はずっと継続していた。それでも黒死病が日本に来なかったとしたら、その要因は何か。あるいは実際は来ていたかもしれないので、もう一回資料を見直してみるといったことになる。このように横に歴史の世界を見直すこと、すなわちグローバルヒストリーの手法をもちいることで、新たに何かが明らかになるかもしれない。

新しい世界史とグローバルヒストリーの関係

 これまでの世界史は、一つの国や地域の歴史をそれぞれ独立して展開された「縦の歴史」として捉え、それをいくつか集めて紐で縛ったようなものだった。横の関係をまったく無視しているわけではないが、このような縦のみを重視した世界史の理解を変えたい。そのためには、「横の歴史」をもちいて世界の過去を再検討し、「縦の歴史」に「横の歴史」をうまく組み込む、あるいは「横の歴史」に「縦の歴史」を編み込むような形で解釈し直してみる必要がある。私はこれを「新しい世界史」として提唱している。したがって、グローバルヒストリーはそれ自体が歴史ではなく、目標である世界史の新しい版を作るための手段である。
 ただし、一つ注意しておかなければならないことは、世界の歴史解釈はそれを行う人によって異なるという点だ。解釈を行う人がどのような立場にあるか、どういう言語でそれを述べるかによって、歴史解釈は変わってしまう。どちらか一方が正しく、どちらか一方が間違っているということではなく、それぞれの置かれている立場、あるいは言語の背景にある知の体系の違いによって世界の過去の見え方が変わってくるのだ。このことを意識せず自分の世界の見方だけで相手と話すと、うまく話しが通じなかったりする。それゆえ、お互いの立場や見方を理解し合うことを重要視し、自身の歴史の解釈と、そのように解釈した理由について丁寧に説明しつつ、相手の意見を聞きながら討論することが大切である。

「世界」「地球」という枠組みの重要性

 このように「新しい世界史」は、グローバルヒストリーの手法をもちいて世界の見取り図を描くものであるが、これはある意味、世界あるいは地球を一つの単位として捉えることでもある。グローバル化の進展により世界全体が緊密に絡み合って動いているため、現代世界を理解しようとすれば、一部を理解しようとしても全体のことが分かっていなければ不十分である。また、現代の世界全体を理解しようとすれば、過去についても世界の一部ではなく全体を理解する必要がある。したがって、世界あるいは地球という一つの単位で過去の世界のスナップショットを考えてみることが大事だ。
 同時に、日本史が日本国民の形成に寄与してきたように、世界の過去を統合的に「新しい世界史」として描くことができれば、それを読む人が地球の住民だという意識を強く持てるはずである。そのような意識を多くの人が共有していくことは、現代世界が直面している様々な地球規模の問題を解決する際、人々が協力する手助けになるのではないか。逆に言えば、人々の地球への帰属意識、あるいは世界への帰属意識を強めていくために、世界や地球という枠組みの「新しい世界史」をうまく使っていくことが重要だ。

2.過去の世界:4枚の見取り図

 現代の世界をより理解するために、グローバルヒストリーの手法をもちいて、4つの時代の過去を活用していきたい。今回は、象徴的な意味で世紀の変わり目である1700年、1800年、1900年と、アフリカの独立と言われる1960年の4つの時代の世界の見取り図を作ってみようと思う。
 見取り図と言っても、世界各地で様々な出来事が起こり、それらが複雑に絡み合っているので、それらすべてを描きだすことはできない。また、何に着目して見取り図を描くかによっても見え方が違ってくるため、今回は歴史学の蓄積が豊富な政治体制(政体)、つまり統治するときの理念および社会の秩序に注目し、この4つの時代の世界をみてみたい。

1700年の見取り図:多様な政体と政府のない空間

 まず、1700年時点の世界の見取り図をみると、多様な政体を確認することができる(図1)。

 その一つがいわゆる帝国という政体である。当時は、現在の中国に清帝国、インドにムガル帝国、トルコにオスマン帝国、そしてイランとアフガニスタンにサファヴィー帝国が存在していた。そして、北方にはロシア帝国があり、ヨーロッパにはハプスブルクの帝国があった。このように、帝国と呼ばれるような政治形態が存在していた点がこの時代の一つの特徴である。
 帝国は広大な領域を支配し、その領域には文化的な環境(エスニシティ)の異なる人々が共存していた。帝国によって違いはあるが、帝国が多様な人々を統治できたのは、宗教が重要な役割を果たしていたためだと考えられる。宗教が皇帝の統治の正当性を保証する上で大きな影響を与えていたのだ。ただ、帝国は広大な領域を一律に支配していたわけではない。直轄都市があったり、間接的統治をする地域があったり、あるいはほぼ放置している場所があったりというように、支配の方法は一律ではなかった。支配者の集団についても、特定の民族が他の民族を支配するような構造ではなかった。王家といえども混血していて、単純にどの民族とはいえない人たちが支配者になっている。例えばロシアの場合、ドイツ出身の皇帝が多く、配下の役人も三分の一から四分の一くらいは外国出身者という状況であった。一つの民族あるいは一つのグループの人たちだけが非常に強力で、残りの人々が支配されているという形態には必ずしもなっていなかった。
 一方、日本や朝鮮半島、西ヨーロッパ、東南アジアの一部では、いわゆる王国という政体が存在していた。遊牧民の政権もある意味で王国といえるだろう。このような王国では、一つの国王の治世下に一つのエスニシティの人達だけが住んでいたわけではないが、領域が小さい分、多様さの程度は帝国に比べると低かったと思われる。むしろ、フランスとイングランド、日本のような一部の王国においては、その領域の中で政治的、宗教的、文化的統一を目指す動きが顕著にみられた。ヨーロッパの場合はカトリックや英国国教による宗教的な統一もあり、政治的には絶対王政のような権力の一点集中がみられた。そして、この時期の王国にはアカデミー・フランセーズに見られるような言語や文化の統一も見られる。
 また、帝国や王国の領域以外の地域では、特定のテリトリーを持たない小規模な自立集団があちらこちらに住んでおり、その人々は特定の政体には属さず生活をしていた。1700年の南北アメリカは、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルの植民地となっているが、同時に原住民も生活していた。アフリカとオーストラリアも同様であり、強力な政治権力が存在しない空間が非常にたくさんあった。また、ロシアのシベリア辺りも帝国の領土といいながら、現地の人は帝国の統治機構のもとではなく、ほぼ自立的に生活していたと考えられる。
 このように、1700年時点の世界をみると、帝国や王国、そして小規模な自立集団など様々な政体が入り混じっていたことが分かる。

1800年の見取り図:激動の予兆

 1800年になっても世界の見取り図に大きな変化はない。
 清がチベットや新疆に領土を拡大し、ロシアも中央アジアの遊牧政権を支配下に置いているし、オスマン帝国やハプスブルクにしても領地・領土の空間的な増減はある。しかし、帝国としての統治の仕方は大きくは変わらずに続いている。ムガル帝国とサファヴィー帝国の二つの帝国はなくなっているが、それ以外の東アジアやヨーロッパにおいても、政体的な意味で大きな変化はみられない。
 しかし、この時期から始まった変化が、主権国民国家の誕生である。この主権国民国家体制が1800年から1900年にかけて、西ヨーロッパの空間を強く規定していくことになる。またこの時期にもう一つ注目すべきは、アメリカ合衆国という、帝国でもなく王国でもない、これまでの歴史になかった政体を持つ国家が誕生したことだ。ただし、1800年当時の北アメリカにはスペイン、フランスなどの植民地になっていた地域もあり、1700年の世界からそれほど大きく変わってないといえる。
 一方、政体を持たない自立集団が居住している空間が狭まってきた。アフリカや、オーストラリア、カナダ周辺の北米などがその例で、主権国民国家、あるいは帝国が力を伸ばしてきた。
 このように、1800年は基本的に1700年と比べて大きな差異はないが、主権国民国家の誕生とアメリカ合衆国の登場が次の1900年に非常に大きな意味を持ってくる。その激動の予兆がこの時期にみられる。

1900年の見取り図:主権国民国家の成長と二つの異なる帝国

 1900年は帝国主義の時代となり、非常に大きな海外領土を持つ国々が増えてくる。イギリスはカナダやオーストラリア、インドといった地域に植民地を広げ、フランスも同様にアフリカなどに勢力を拡大した。日本もそれほど大きくはないが、樺太や台湾、朝鮮半島に領土を広げている。このような列強諸国が非常に目立つ様相となっている。
 これまでの2つの見取り図の時代から変化したこの時期の特徴は、主権国民国家が大きな力を持つようになったことだ。例えば、ヨーロッパではフランスが成長し、また主権国民国家としてドイツやイタリアが興っている。日本も明治維新で主権国民国家のスタイルを取り入れ、大きく変わった政体を持つようになる。
 一方、それまで大きな力を持っていたロシア、中国の清朝、ハプスブルグ、オスマン帝国といった帝国が苦境に陥っている。その理由の一つは、多様なエスニシティの集団がナショナリズムの高まりによって独立を志向し始めたことだ。さらに国民国家は内部に「国民」を抱えることにより、政治的にまとまって求心力が強まり、軍事的にも強い力を持つようになった。そのため、帝国が苦境に立たされるようになったのだ。帝国側もこの状況を打開しようとして国民国家型に体制変更しようとするが、広大な帝国の領土を一つの統治理念あるいは一つの民族でまとめていくことはできなかった。また帝国の衰退には、帝国の秩序維持の役割を果たしていた宗教の権威が失墜したことも影響している。上述したとおり、科学が発展する以前は宗教が人間、世界、地球、宇宙の成り立ちを説明してきた。しかし、物事が科学によって説明されるようになったことで、宗教の社会的な意味が変化した。
 かつての帝国が凋落する一方、主権国民国家は単なる国民国家ではなく、実は「新しい帝国」になったとも考えられる。イギリスやフランスに代表されるような主権国民国家は植民地を持っており、例えるならば、本国が目玉焼きの黄身で、植民地がその外側にある白身でなっている「目玉焼き型」であった。清朝やロシア帝国といった「古い帝国」は、支配する側と支配される側が明確には分かれていない「スクランブルド・エッグ型」であったのに対し、この目玉焼き型の「新しい帝国」が出てきて、両者が列強として争っていた時期がこの1900年頃といえるだろう。
 アメリカもフィリピンやカリブ海諸国の一部に植民地を持つ、いわば「新しい帝国」であるが、他とは少し異なっていた。目玉焼き型の主権国民国家の特徴は、黄身である本国が非常に凝集されていることだが、アメリカの場合、この黄身の部分である本国が他の国民国家のように固まっていたわけではない。むしろ、この国は新しい理念で一つのまとまりを保ってきたと思われる。多くの移民が入ってきた時期であり、言語にしても文化にしても、様々な部分で「サラダボール型」の状態だった。それでもアメリカという枠組みはしっかりとしており、その意味で他の英・仏・独・日といった国々とは異なる「新しい帝国」であった。
 それ以外の、植民地を持たない主権国民国家や王国は、西アジア、東南アジアの一部とラテンアメリカに限られ、多くの部分が「古い帝国」と「新しい帝国」の勢力に巻き込まれていく状況だった。
 なお、4つの「古い帝国」(ロシア帝国、清朝、オスマン帝国、ハプスブルク)は、すべてこの後20年経たないうちに崩壊することになる。ロシア革命、辛亥革命、あるいはオスマン帝国やハプスブルク帝国は第一次世界大戦で敗れて崩壊してしまう。これによって「古い帝国」は一旦退場することになった。

1960年の見取り図

 次に、1900年から第1次世界大戦と第2次世界大戦を経て、1960年の世界にはどのような変化が起こっていたのだろろうか。当時の世界の見取り図(図2)で一目瞭然なのは、それまで存在していた独立の小さな人間集団、あるいはどこにも属さない空間がなくなっていることだ。西ヨーロッパの一部で出来上がってきたモデルが、受け入れたのか押し付けられたかは別として、世界中に広がった。特定の政体の支配に属さずに生活している人々の住む空間がなくなり、世界中が基本的に独立した主権国民国家で覆われるようになった。

 その背景には、当時、主権国民国家モデルの秩序が希求される社会事情があったと考えられる。とりわけ、第2次世界大戦後、アフリカ諸国が主権国家となった際、当然、その領域内の人々は国民意識を持ち、多くの国々が新たな国家として独立していった。しかし、アフリカや東ヨーロッパ辺りから中東にかけての多く地域には、エスニシティの異なる人々が重なり合って住んでいた。そのような地域を単純に空間で切り取り、同じ国民として括って国民国家ができるはずはない。一時的に国民国家のようにみえたとしても、当然、後で様々な矛盾が出てくることになる。いずれにしても、1960年時点で世界中が独立した主権国民国家群に覆われたことは事実だ。
 その中にはソビエト連邦や中国といった大国も含まれる。興味深いことは、ソ連も中国も主権国民国家でありながら、「古い帝国」を一応引き継いでいることだ。「古い帝国」のすべてが求心力を失って潰れてしまったと思われがちだが、実はこの2つの国は領域内のエスニシティが違う人々に対して自治区を設けるなど一定の配慮をし、そして何よりも新しい理念として社会主義を取り入れることで一つの枠を作り、大きな古い帝国の領域を継承することに成功したのである。
 このような社会主義陣営の主権国家と、それに対抗する自由主義陣営の国家、そして、その他に中立国が存在していたのが1960年の様相であった。
 これまでみてきた4つの時代の世界の見取り図を重ねると、世界の状況が大きく変化してきたことが理解できる。「縦の歴史」で日本の歴史を捉えるだけでは、このようなダイナミックな世界全体の変化は分からない。世界の見取り図を書くことで、必ずしも同じ空間の人が同じ政体を持ち、同じ意識でまとまって国を作っていたわけではないことが明らかとなる。また世界中の多くの人が当たり前だと考えている主権国民国家体制が昔から存在していたわけではなく、ここ数十年の間に広まった現象であったことも分かる。

3.2021年の世界

グローバル化の進展と世界の一体化

 次に、4枚の見取り図を参考にしながら、現在の世界をどうみるべきか考えてみたい。
 現在の世界の特徴の一つが、グローバル化の進展である。無論、この言葉をどう定義するかによって随分理解が違ってくる。昔からグローバル化していたとも考えられるし、経済が国境を越え、自国だけですべての物を生産しなくなった1970年代頃からグローバル化したとも考えられる。いずれにしても、世界が一つにつながっていくことがグローバル化だとすれば、長期的な視点で見た時に現在はグローバル化が進展する方向に向かっていることは間違いない。この傾向は、今まで説明してきた4枚の見取り図と比べてみたとき、はっきりしてくる。
 とりわけ、情報通信技術によって様々なものが国境を越えて伝わるようになっている。例えば、文化にしても、どこか特定の国あるいは地域の文化という言葉が死語になるほど、様々な場所で様々な文化が生まれ、それが折り重なって世界各地での文化活動につながっている。他にも、経済は当然だが、環境問題や政治に至るまでグローバルに絡み合っているし、国際テロリズムもグローバル化の結果として出てきた問題だ。グローバル化の進展は如何ともし難いほどに進んでいると思われる。

主権国民国家群体制の揺らぎ

 1960年以降に起きたもう一つの大きな変化が、冷戦の終結とソ連の崩壊である。社会主義圏が崩壊したことで、アメリカの一強時代がしばらく続くことになった。その過程で地域統合が、とりわけヨーロッパを中心に試みられるようになった。それまで絶対と考えられてきた主権の一部を地域機構に譲り、国境を少し消すような形で地域統合を目指す動きがまずヨーロッパで起こり、東南アジアやアフリカ、ラテンアメリカにおいて主に経済面を中心として進んできた。地域統合は、国家が完全に独立して主権を持つ体制ではないため、主権国民国家群体制が揺らいでいることは間違いない。しかし、このような流れが不可逆的に進むと思われていたところにBrexitが起き、今後の地域統合の行方があらためて注目されている。
 また、1960年頃に独立して新しい国造りを進めたアフリカや中東などの主権国民国家の中から、破綻する国家や国家の体をなさなくなってしまった国々も出てきた。それが一つの要因となり、移民・難民が発生し、主にアフリカや中東から西ヨーロッパ諸国へ、あるいは中南米から北米へ人が移動する現象が起きている。さらに、移民・難民が別の国民国家に入り込むことで、国民が独立した国家を作るという考え方自体が成り立たなくなっている。結果として、国民国家という凝集型のモデル、つまり国民が同じ価値を共有して同じエスニシティを持つというタイプの国家モデルは、もはや成り立たなくなっている。イギリスやフランス、あるいはドイツにしても、多様な人々が同じ領域の中に住んでおり、これを国民国家として何とか維持しなければならない状況となっている。

アメリカ、ロシア、中国の動向

 トランプ時代のアメリカは、自国第一主義を前面に出して諸政策を打ち出していった。例えば、関税については二国間でディールを行い、アメリカの製品を買わせるような貿易交渉を行った。普通の主権国民国家であればこのような考え方に従って行動するだろうが、普通の主権国民国家を超越するのがかつてのアメリカでもあった。アメリカ一強の時代には、領土を征服していないにも関わらずアメリカの意向で世界中が動く状況であり、領土を持たないある種の「帝国」であった。バイデン大統領になってその頃のアメリカに少しずつ戻ろうとしているようにもみえるが、果たしてアメリカがどのような方向に行くのか定かではない。
 かつての「古い帝国」を引き継ぐ国家の動向も今後の世界を占う上で重要なテーマだろう。ロシアはソ連が崩壊した時に社会主義の理念で国をまとめることを放棄してしまった。完全になくなったとはいえないが、少なくとも相対化している。同時に、いくつかのソ連を構成していた共和国が独立したため、領域内のロシア人比率はかなり高まった。それでも主権国民国家といえるほどなのかなは分からない。一方、同じく「古い帝国」の生き残りである中国は、統治理念としての社会主義を堅持しており、中国共産党だけが統治し、広い領域をコントロールしようとしている。そのため中国の動向は、外からは理解できないことが多い。しかし、それなりの理屈があるに違いない。かつての「古い帝国」の理念や体制を引き継ぐだけではあれだけ広い空間の秩序を維持できないということは、歴史を見れば明らかである。私たちにはその理屈を探る努力が求められる。この2つの「古い帝国」を引き継ぐ国家がこれからどうなるのかが、今後の世界に大きな影響を与えるだろう。

4.世界の今後を考える際のポイント

多極化

 将来のことを予測するのは難しいが、過去の4枚の見取り図と現在をみた時にはっきりしているのは、世界が多極化しているということだ。2021年6月のG7サミットでバイデン大統領は“America is back”と述べた。確かにアメリカはG7の場に戻ってきたが、よく考えれば、G7参加国はカナダを除けばすべて「新しい帝国」だった国々だ。1900年頃の「新しい帝国」の白身の部分がなくなった黄身部分の国家が集まってG7を構成しているといえる。しかし、経済的な意味でも政治的な意味でもその重要性が低下していることは間違いない。一方、中国やロシアはかつて潰れた「古い帝国」が再生した国だが、近年、存在感を増している。つまり、1900年頃の「新しい帝国」と「古い帝国」が並存する時代と変わらない状況が、現在起きているとみることができる。
 ただ、1900年と圧倒的に違う点は、「新しい帝国」の植民地や植民地を持たなかったラテンアメリカ等の国々が独立し、主権国民国家としてそれなりの力を持つようになったことだ。国家はみな同じ権限を持つという理念は国連を認める限り存在するわけで、その意味で、数的に増えている旧植民地、それから植民地を持たなかった国々がどのように考え、行動するかが重要となる。したがって、この新旧の帝国側がこれらの国々に対してどのような働きかけをしていくのかがポイントの一つとなろう。日本も単にアメリカに追従するだけでなく、旧植民地や植民地を持たなかった国々と独自に良好な関係を築いていくべきではないか。

主権国民国家の矛盾

 グローバル化が進展した現代において、経済や情報が国境を越え、環境問題のような国の領域を越えた問題も多数出てきている。主権国民国家の中で決めただけでは、まったく問題が解決しない。それにも関わらず、主権国民国家の体制のほかに新しい国際秩序が存在しないという矛盾した状況がある。
 また、国民国家がいわゆる「卵の黄身型」から「サラダボール型」に変わっている。韓国や日本は多少状況が異なるかもしれないが、特にヨーロッパではその傾向が強い。様々なエスニシティを持つ人々が国内に入り込んでくる中で、国家はその人たちも纏めて国民としなければいけない。最近よく使われるダイバーシティという言葉は価値として重要だが、同時にアメリカをみても分かるように、分断が生まれる懸念も非常に強い。フランスやドイツなども同じような問題を抱えており、このサラダボール型の主権国民国家が果たして上手くいくかは、未知数である。
 日本においても多様性が大事だといわれているが、他国の経験をしっかりと学び、日本社会の特徴を十分に検討・把握した上でそれに合わせて工夫しなければ、おそらく簡単には成功しないだろう。他国の先行事例を参考としながら、日本としての新しいモデルを作っていく必要がある。

最後に

 以上のポイントを踏まえれば、人類は皆、地球の住民であるという基本認識を共有した上で、多様な政体、統治の理念、社会秩序を受け入れていくことが重要である。同じ地球の住民であることの重要性は気候変動問題を考えれば一目瞭然だ。この問題が10年以内に解決されなければ、もはや人間の手に負えなくなるといわれている。それぞれが自国の国益ばかり主張していてはまったく対処できない。このような地球規模の問題を共に解決していくため、皆が地球の住民だという意識は絶対に共有されなければならない。
 その際、主権国民国家が唯一の普遍的な解であると考えても上手くいくことはないだろう。これは1960年以降の状況をみてもはっきりしている。それぞれの地域に合わせた政体や社会秩序、統治の理念があり、それぞれの場所で社会が安定する仕組みを作るしかないだろう。
 トランプ前大統領のように、最近、科学が信頼できないという言説が多く聞かれるようになった。しかし、現在の世界秩序の最も根本的な部分を基礎づけているのは、科学的知識である。地球とは何か、あるいは人間とは何かという問いも、科学によって皆が正しいと思う答えが与えられている。かつては、キリスト教や仏教といった宗教がそのような役割を担っていたが、現在では私たちの行動の最も基本的な部分が科学によって律されているはずだ。科学が信用できないとなると、その社会秩序の根本が崩れてしまうことになる。別に信頼できるものがあれば良いが、今のところ科学の論理に従うしかないのではないか。その上で、地球上のそれぞれの集団の特徴を認め合い、相手の考えや価値観を尊重しながら、お互いに徹底的に議論して、共存することが大切だ。

(本稿は、2021年7月29日に開催したIPP政策研究会における発表を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
羽田 正 東京大学国際高等研究所 東京カレッジ長
著者プロフィール
1953年生まれ。1976年京都大学文学部史学科卒業。1978年同大学大学院文学研究科修士課程修了。1980年よりパリ第3大学博士課程へ留学。1983年同大学よりDoctorat de troisième cycle(Etudes iraniennes)取得。1984年京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、京都橘女子大学文学部助教授を経て、1989年より東京大学東洋文化研究所助教授。1997年同研究所教授となり、2004年より同副所長、2009年より同所長を務める。2012年より東京大学副学長・国際本部長、2016年より東京大学理事・副学長を歴任し、2019年2月より現職。東京大学名誉教授。専門は世界史、比較歴史学。著書に、『イスラーム世界の創造』『新しい世界史へ―地球市民のための構想』『グローバル化と世界史』など多数。
グローバルヒストリーは、世界全体を空間としてとらえ、その中における関係性などに注目してその時代の解釈を試みる方法である。この手法で世界の歴史を見直してみることで、これまでの歴史解釈を変更したり、新しい歴史解釈を提案できる可能性がある。

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