キリスト教の多様性、国民国家、「世俗化」、中規模戦争の継続

キリスト教の多様性、国民国家、「世俗化」、中規模戦争の継続

2023年2月24日
はじめに

 本稿では、近代西洋における「戦争」の意味の重要な変化の様子を確認する。
 近代において西洋は、きわめて強大になり、西洋文明のさまざまな側面が地球規模で大きな支配力ないし拘束力をもつようになった。西洋における「戦争」の位置づけの変動について、しっかりした洞察をもち、適切な理解を得ておくことは、世界について、西洋ついて、そして西洋以外の諸文明について考察する上で必要不可欠である。

「戦争」と「平和」

 「戦争」について考えることは、「平和」について考えることでもある。
 「平和」は文句なく望ましく、「戦争」は忌避されて当然である、とすべき雰囲気が優勢であるのかもしれない。こうした単純素朴な平和主義は、誰もがまずは、然るべき立場だと思いつくだろう。「戦争」は残酷であり破壊である。「平和」は称揚されるべきである。「平和」は「安全」と表裏一体であり、「安全」を確保するために戦いがやむを得ないこともある。
 「戦争」は、否定されてきただけではない。また「やむを得ない」とされてきただけではない。「戦争」を行うこと、「戦争」に参加することは、勝利に帰結した場合、そしてそうでなくても、多くの場合、「栄(は)えある」こととされてきた。「栄えある」とは、平和な状態で秩序だった生活を行う人間の普通のあり方、日常的なあり方を越えて、人間がいわば「超人間的」なあり方を実践するという意味である。「超人間的」であるとは「(普通の)人間以上」ということなので、人間が「神的」「神々的」になるということである。
 「戦争」の活動において際立った手柄を実現した者は、「ヒーロー」「英雄」とされる。「ヒーロー」は古代ギリシア語の「ヘーロース」を語源とする表現で、「半分神」「半神」「(普通の)人間以上の者」という意味である。「ヒーロー」「英雄」になることは望ましい。「若者」(子供時代を脱した者)は、「異性との関係をもつこと」と「戦うこと」を人生の行為として実践すべきである。「若い男女の愛の場面」「戦う若者の場面(兵士・軍人の姿)」が諸文明において望ましいものとして示されてきた。王であるべき者は、戦いにおいて手柄をたてることが必須の条件のように考えられることが多かった。たまたま脳裏に浮かんだところでは、フランスのフランソワ一世(在位1515-47)の「マリニャンの戦い Bataille de Marignan」(1515)の勝利は、こうした「必須の軍功」の具体例である。フランソワ一世がいかに偉大な支配者であるかということを示すために、「マリニャンの戦い」の軍功がしばしば引き合いに出される。戦うことは、最終的な目的は平板な「平和」と「安全」の確保かもしれないが、戦いの行為は栄光に満ちたものになり得る。

近代の「戦争」

 「戦争」を肯定する古代以来のこうした位置づけは、単純でなくなってきた。「戦争は<栄えあるもの>」であり続けているだろうか。
 「平和は望ましく、戦争は忌避されるべき」であるとする立場、「戦争」を否定的なものとする立場、こうした立場は、見方によれば浅薄かもしれないが、多くの者に共有されていて、社会的に大きな圧力になっている。それに加えて、「戦争は<栄えあるもの>」としにくくする事情が生じてきた。
 近代においても、絶えずどこかで戦争が、行われてきた。二十世紀前半の二つの「世界大戦」は大規模な戦争になった。「世界大戦」は、第一次(1914-18)、第二次(1939-45)と、続いて生じた。それ以降、「第三次」の世界大戦はない。
 兵器の破壊力が強大になり過ぎて(特に、核兵器)、あらゆる手段を用いた戦争になってしまうと、人類や地球全体が破壊されてしまう。強大すぎる兵器の出現が「抑止力」になって、世界戦争ができなくなった、と説明されるのが多いようである。しかし、第二次世界大戦以降、中小の戦争はずっと行われている。
 身近な東アジアでは、朝鮮戦争(1950-53)、ベトナム戦争(1955-75)が目立っていると言えるだろう。中東やアフリカ、その他の地域で、いつも中小の戦争がある。「人類全体の破滅は避けねばならないが、戦争の継続は必要だ」というメッセージが示されているように思えてしまう。
 それから、今の世界に存在する巨大で奇妙な事態をもう一つ指摘する。世界規模での経済制度のあり方である。たとえば為替相場の変動は、奇妙である。日本円と米ドルの交換レートは、つい最近(2022年10月)、1ドルが140円代になった。1ドルが80円代のこともあった。(確認したところ、1995年春)。レートの変動はかなり大きいと思われる。経済活動を実践する個々のプレーヤーにとっては、大きな利益を得る場合もあるだろうが、大きな損失を被る場合もある。しかしこの「変動相場制」が当然のことであるかのように、皆がそれぞれの経済活動に黙々といそしんでいる。
 「戦争」のテーマと、「変動相場制」のテーマが、どのように関連するのか、いぶかしく思う向きもあるかもしれない。
 短い説明では、この関連のあり方をうまく示せない。順を追って議論を進めることにする。

二種類の「神学者」

 前提として二点だけ、確認する。
 第一点。
 私は「神学者 théologien」としてトレーニングを受けた。フランス語で言うなら「je suis de la formation théologienne」となる。
 「神学者」とされている者は、「神について考える者」「神について想う者」であるべきである。しかし実際には、二種類いる。
 1)「神について考える思索者」。この場合「神」とは何か、がまずは問題になる。「神」とは何かを示すのは、難しい。しかし、「<神>以外のものを<神>にする」という誤りを避けねばならない。この誤りは、さまざまな姿で頻繁にいたるところに立ち現れ、実は<神>の否定の上に成り立っているので致命的である。誤りに気づいたら、それまでの不明を認めて、態度を改めねばならない。よくある誤りは、自分や自分が属する集団が<神>としているもの(自分たちが<信じている>神のイメージ)を、ホントの<神>と考えてしまうタイプである。自分や自分たちの考えや、自分たちが属する集団(また、その指導者)のことがよく話題にされるが、「神」そのものが話題にされないのが特徴である。「神についての人間の考えが、神そのものに優先する」という立場は、退けられねばならない。
 2)二番目の種類は、「神」(そのイメージや、権威)を、社会の中で(人々の間で)いかに巧妙に利用するかを工夫する者。「神を利用する者」。「神のことを考えず、人のことを考える者」。「神学者」と称している者のほとんどが、こちら。私のこれまでの経験では、若干の「判断留保」の場合を除いて、大多数がこの「神を利用する者」である。

 第二。「神について考える」のだが、神はすべてに関与しているかもしれない、ので、すべての事象に関心をもつ。
 「すべての事象」についての、これが私の基本的な立場である。「あらゆることが神の働きの姿である」としているのではない。また、「あらゆることについて、神の介入だとする見方は全面的に拒む」のでもない。
 個々の事例について、そこに神の働きがあるのか、ないのか、判別することは困難である。
 しかし、「あらゆることについて、理解を深めておくことは、その背後の動きをより適切に了解する上で役にたちそうである」というのが、私の姿勢だと言えるだろう。
 私が神学部の学生だったころ、「実践神学 théologie pratique」と称した授業で、「第二次世界大戦はなぜ生じたか」というレポートを書かせられた。神学の視界の広さを具体的に示してくれた例として、かなり感心したのを覚えている。
 その結果、上に述べたように、<「神について考える」のだが、神はすべてに関与しているかもしれない、ので、すべての事象に関心をもつ>ということになる。これが、戦争や、世界経済についての私の関心の出発点である。

 以下に示す議論は、戦争、世界経済、といった、巨大な現実についての意義ある見方を提示する。わたし個人としては、これまでのところこの見方はかなり適切だと思われる。だからこそ、ここで議論を試みる。しかし、何か大きな欠陥があったり、より優れた見方があれば、ご教示くだされば幸いである。

1. キリスト教の多様性

キリスト教とは何か

 「キリスト教」なるものは、何なのか、についての議論からスタートする。
 「キリスト教とは何か」を把握するのに、二つの方向性があると思われる。
 a)宗教として社会に存在し展開している「キリスト教」に注目する。信奉者(「キリスト教徒」)、思想、組織(多くの場合「教会」と呼ばれる)、など、である。
 b)もう一つは、歴史的アプローチとでも言うべき方向性。キリスト教は紀元1世紀半ばのイエスの活動が発端。それ以前は、「キリスト教」は存在しない。「キリスト教」成立前後の様子にまずは注目する態度である。

 第一の「宗教としてのキリスト教」の大きな特徴は何か。それは、「キリスト教」がきわめて多様だ、ということである。多くの大小の分派に分かれている。それらの分派は、場合によっては厳しく対立し、大規模な戦争になったりする。
 キリスト教は多様である。「キリスト教」のこの多種多様な分派のそれぞれの立場を網羅的に調査し、それを総和すれば、「キリスト教」が分かるのかもしれない。しかしこのアプローチは、実行不可能である。分派が生じるのは、立場が異なり、相容れないからである。他と違うから、相容れないから、分派になる。それぞれの分派で何が主張され、他の分派と何が違うのか、を適格に把握しなければならない。それらを並べて、矛盾対立している様子をどう扱うか、を考えねばならない。こうした作業は、この上なく複雑・膨大で、部分的に実行するだけでも困難である。「キリスト教」全体についてこうした作業を行うのは、事実上、実行不可能である。
 自分は「キリスト教」が分かっている、と思い込み、そのように主張する者たちがいる。自分や、自分が属する組織の「キリスト教」理解が「キリスト教」そのものと主張するのは、過ちであり、やめるべきである。「キリスト教」のどの分派も、自分たちの「キリスト教」が、「正しいキリスト教」「真のキリスト教」と主張し、メンバーがそう思い込むように指導している。それを信じ込むのが「よき信者」である。しかし、そうした「キリスト教」とは、別の「キリスト教」が存在する。<別の「キリスト教」>は、無数に存在する。よくある議論は、自分たちの立場の「キリスト教」以外の「キリスト教」は「無神論」だと、決めつけるやり方である。ところが、こうした独善的な「キリスト教」が、別の「キリスト教」では、「無神論」だ、とされていたりする。
 しかし、「キリスト教」を首尾よく理解するアプローチが、存在する。それが、上に挙げた第二のアプローチ、「歴史的アプローチ」である。<「キリスト教」成立前後>の「キリスト教」は、規模が小さい。理解の対象をこのように限定しても、成立前後の「キリスト教」も、複雑な様子になっている。しかし、二千年の間に展開した「キリスト教」の全体を理解しようとするよりは、ずっと取り組み易い。そして、「キリスト教」なるものが、なぜ無数の分派に分かれるのかについても、理解ができる。
 成立前後の「キリスト教」についての理解は、他の機会に検討することにして、ここでは、多様きわまりない「宗教としてのキリスト教」の様子を、さらに検討する。

三十年戦争は「最後の宗教戦争」

 キリスト教内部の無数の分派のなかで、大規模で、厳しい対立となったものとして、代表的なのは、1517年の宗教改革の開始の後、16〜17世紀にヨーロッパ各地で起こったキリスト教の新旧両派間の対立である。さまざまな動き、事件が生じ、戦争が生じた。そして「三十年戦争」1618-1648が、戦われる。この「三十年戦争」は、「最後で最大の<宗教戦争>」と言われている。
 宗教の対立による戦争は、特殊な戦争である。普通の戦争は、領土、支配、富などの獲得が目的になっている。それらの目的が実現すれば、戦争は終結する。
 しかし<宗教戦争>は、イデオロギーの戦争である。相容れない立場が双方にあって、その対立が、戦争における対立を生じさせている。イデオロギーでは、善悪が問題になっている。自分たちは「正義」である。自分たちが「正義」であれば、その「正義」を認めない者は、「悪」である。「悪」は存在すべきでなく、滅ぼされねばならない。
 戦争においては、「悪」は「敵」として姿を現わしている。こうした敵は、全滅させるしかない。

 <宗教戦争>は、敵が全滅するまで終わらない。
 「三十年戦争」で、当面の敵を全滅させても、たとえば、プロテスタントの援軍が北欧から来たりして、戦争が終わらない。
 「三十年戦争」が終わった後、住民がいなくなり、農地を耕したりする者もいなくなったので、スイスの山奥から人間を移住させた、などといったことになった。
 ところで、「三十年戦争」は<宗教戦争>であって、<宗教戦争>は終わらない、と述べた。
 しかし、「三十年戦争」は、長く続いたけれど、終わった。「三十年戦争」は、「最後の<宗教戦争>」である。
 終わらないはずの戦争が、終わったのである。「この謎は深い」ということになる。

2. 国民国家、あるいは「nation」

「ウェストファリア条約」の意味
 「三十年戦争」は、1648年の ヴェストファーレン条約(ウェストフェリア条約)で終結した。
 熾烈をきわめた<宗教戦争>、終わらないはずの<宗教戦争>、がなぜ終わったのか。
 さまざまな部分的理由が、説明として示されているようだが、納得できない。
 決定な理由は、一言でいうなら、日本語で「国民国家」とされているあり方が基礎づけられたからである。「国民国家」は、英: Nation-state、仏: État-nation、独: Nationalstaat の日本語訳である。
 state、état、Staatは、通常の組織、制度としての「国家」である。領土があり、国民、政府、軍、学校、などのさまざまな組織、制度があって、ひとつのまとまり(国、国家)になっている。
 (多くの人にとって)分からないのが、nationである。日本語訳では、このnationを「国民」と訳しているようだが、混乱をますます招く訳になっている。
 私が子供のころ、この「国民国家」という表現を聞いて、首をかしげてしまった。「国家」があれば「国民」がいて当たり前ではないか。それなのに、「国民国家」となぜ言うのか。周りの大人に尋ねても分からない。百科事典などを見ても、理解できない(当時の百科事典の説明は、今から見ると、不備だと言える)。
 「nation」とは何なのか。なぜ、それが、 終わらないはずの<宗教戦争>を終結させる鍵になったのか。
 たとえば、「Peace of Westphalia」(Wikipedia 英語版)の頁を見ると、次のようなテキストがある。

 While the treaties do not contain the basis for the modern laws of nations themselves, they do symbolize the end of a long period of religious conflict in Europe.

 これらの条約(「ウェストフェリア条約」のこと、具体的には二つの条約で構成されている)には、「nation」そのものの近代的な取り決め(laws)の基礎は含まれていないが、これらの条約は、ヨーロッパにおける長期間の宗教的対立の終焉を象徴するものになっている。

 つまり、「ウェストフェリア条約」には、<宗教戦争>終結の肝心な鍵(「nation」)については何も記されていないが、「ウェストフェリア条約」は<宗教戦争>終結を象徴するものになっている、このような意味である。
 だから、「ウェストフェリア条約」で「三十年戦争」は終わった、「ウェストフェリア条約」で<宗教戦争>は終わったと言えるけど、戦争・対立終結の鍵である「nation」のことは記されてない、と確認されている。肝心のことがあるのだが、それが何なのかは言われていない。あなたがたには、近代の国際政治については「乳飲み子である人々に対するように」語っているのだよ、とされているようなものである。
 この「nation」とは何か、が知りたいのである。『「nation」とは何か』といった類の書物や論文は、数多く公表されている。私が見た限り、どうも感心しない。著者本人も分かっていないのではないのか、と思われるような場合も少なくない。また、一般の人々を煙りに巻こうとしているのか、と思われる場合もある。
 「nation」は、近代の(「ウェストフェリア条約」以降の)国際政治における重要な原則のひとつである。自然科学の難しい法則が素人には全然分からない、というような具合に難解なのでは、実際の使用ができない。

「nation」とは何か

 では、「nation」とは何なのか、ここで簡明で十分な説明を行う。
 議論での説明では、不必要に煩瑣になって、結局、理解しにくくなってしまう。
 実例で示せば、簡単で、明快である。「nation」は、実践的な概念である。
 <宗教的にわざとまぜまぜの寄せ集めで、国のまとまりを作る>、という原則である。
 私は、フランスに長くいたので、フランスという国を例にする。
 「三十年戦争」以降も、さまざまな戦争が行われた。しかし、それらの戦争は、<宗教戦争>ではない。
 たとえば「フランス」は、宗教的には、カトリックが基本的に優勢である。しかし、「フランス軍」には、必ずプロテスタントの兵士がいる。将軍など高位の者にもプロテスタントの者を配置する。「フランスのために戦う」ことが「カトリックのために戦う」ことにならない。敵軍にも、宗教的には、さまざまな宗派・分派の者がいる。したがって、この戦争は、宗教的立場の善悪を争う<宗教戦争>にならない。
 文化(言語など)もまぜまぜだと、さらに効果がある。フランスはフランス語の国だが、フランス以外にも「フランス語圏」がある。近隣では、ベルギーやスイスなど。ひとつの国で二つ以上の言語が用いられているような場合も、あり得る。
 フランス革命以降は、「ユダヤ人」も考慮に入れる。
 たとえば、英国首相に、ベンジャミン・ディズレーリ Benjamin Disraeli という人がいる。ヴィクトリア女王時代のユダヤ人首相である。首相職、1868年、1874-1880年。
 名字の中に、「イスラエル」という名称があり、「自分はユダヤ人です」とおおっぴらに宣言しているようなものである。
 また、フランスでの「ドレフュス事件」1894年。フランス軍のユダヤ系軍人が、スパイとして告発された事件。この事件の重要性を否定するつもりはない。しかし、似たような事件はいろいろとあったと思われるのに、この事件ばかりが、異様に重大視され、大きな社会的出来事として異様に大々的に扱われた。この事件は、ユダヤ人がユダヤ人だからというので差別されるという様相になっていた。こうした差別を容認することは、「nation」の原則を退けることを意味するので、この機会に大きなセンセーションを起こして、「nation」の原則の徹底を図ったと考えれば、大げさとも思われるさまざまな経緯の意義が了解できる。ちなみに、裁判が行われて、「背後の軍部・教会の反ユダヤ主義が批判され」、ドレフュスは結局、1906年に無罪となった、とのこと。
 フランスにおけるカトリックとプロテスタントの対立を抑え込む役割を果たした事件としては、18世紀の「カラス事件」1761-65年が有名。ヴォルテールが関与した。
 単一の宗教(宗派・分派)でまとまった国を作らない。厳しい対立がありそうな宗教的流れをわざと国内に併存させる。これが「nation」である。この原則は、宗教戦争を避ける上できわめて有用だった。

「nation」の原則の核心

 この「nation」原則を逆手にとることもできる。
 単一の宗教でまとまった国を作れば、宗教的戦争の火種になる。
 私が子供だった時、第二次世界大戦後、「民族自決」の原則によって、さまざまな「植民地」が次々と独立した、と教えられた。
 その枠内で、インド世界については、宗教による区分が優勢なものとして扱われた。
 インドはヒンズー教、パキスタン(当時は、東西パキスタンの二つの地域からなっていた)はイスラム教、そしてセイロン(今のスリランカ)は仏教。
 宗教の区分ごとで、国の区分を設けた。現地の人々は、宗教的に同じ者たちで国というまとまりを作るというので、歓迎したのではないだろうか。
 しかし、加藤少年が手を挙げて、「この区分は、<nation>原則に従っていないのではないですか。それぞれの国が、宗教的違いにも煽られて、互いに厳しい戦争になるように仕組まれているのではないでしょうか」と質問出来たら、意義があったかと思われる。
 しかし、加藤少年には、「nation」原則についてしっかりした理解が、まだできていなかった。
 実際には、インド世界では、いくらかの国境紛争はあっても、大規模な戦争は生じていない。細かい議論は、ここではできない。この相対的安定のもっとも重要と思われる要因は、ヒンズー教が、そもそも巨大な多様性のまとまりだから、という点である。
 また、長く続いていた「北アイルランド問題 Northern Ireland Conflict」は、終わったのだろうか。
 この紛争には、カトリックとプロテスタントの対立も絡んでいたとされている。
 「nation」原則の適用がはずされていた、あるいは緩いものにされていた、という解釈の余地がある(あった)かと思われる。
 単一宗教による国家のまとまりと宗教戦争との関係を考える上では、最近報道されることの多い「イスラム国」(英: Islamic State 仏: État islamique 独: Islamischer Staat)が「nation」とされていないことは、示唆に富むと思われる。
 日本について。日本は文明時代の当初から、宗教的に多様で、単一の宗教ないし宗派が国全体で支配的になることは、厳しく避けてきた。宗教なる現象が全面的に無視・排除されるのではないが、人々の大多数は、宗教的事柄におおむね無関心である。「nation」が「宗教的にまぜまぜの寄せ集めでの国のまとまり」ならば、日本は、おのずから「nation」になっていると言える。さまざまな理解が西洋的枠組みでしかできない者には、<日本は、「nation」のようだ>と、比喩的な方便として使うことができる。
 中国文明は、宗教的現実を無視したところに成立している。文明時代の当初から、きわめて世俗的なまとまりだけが措定されている。文明のこの形が本格的に変化しない限り、「nation」という概念における工夫は、無用であり無縁である。
 「nation」という概念には、指摘しておかねばならない大問題がある。
 Nation は「まぜまぜ」であること、そのような状態で「まとまり」を作っていること、この2点が核心である。
 ところが、「まぜまぜ」であること、内部が多様であること、が忘れられて、「まとまり」の面ばかりが強調されて用いられる概念になってしまっている場合が少なくない。
 「ナショナリズム」は、「まぜまぜ」原則を容認することが必須であるはずである。しかし、この用語を一面的に用いる者がいて、多くの場合、彼らが純粋だと考える要素を備えない者を排除する原則になってしまっている。国のメンバー全員を単純同一の人間観に統一する、当てはまらない者を排除する、そのような原則のように理解されてしまう場合が多い。もっとも端的なのは20世紀前半ドイツの「ナチ」Nationalsozialismusかと思われる。フランスでも、「右翼」ないし「極右」の政党があった。たとえば Front National なる政党があった。ジャン=マリー・ル・ペン Jean-Marie Le Pen が党首だった時代(1972-2011年)には、反ユダヤ主義、排外主義、人種主義といった原則を公然と主張していた。これが「nation」的(National)なあり方とされていて、「まぜまぜ」原則からかなり乖離していたと思われる。
 nation, national という用語は、あまりに幅広い意味で用いられていて、人々を混乱させる余地がかなり大きい。ましてや、これを、ある時は「国民」、ある時には「国家」と訳したりすると、混乱が大きくなるばかりである。できるだけこの用語や訳語は避けて、現実がどうなっているかを見極める観察や議論を行うべきである。
 また、nationという用語を用いた議論に出会ったら、誤解を招く可能性が大きいことを承知の上で、人々を混乱させるためにわざとこの用語を使用しているかもしれないと警戒すべきである。

3. 「世俗化」secularization、sécularisation、Säkularisation 

宗教(キリスト教)の権威の相対化

 「nation」原則が採用されることによって<宗教戦争>ができなくなったことは、宗教上の立場の区分が社会において最優先することができなくなったことを意味する。社会における「宗教」の権威が、相対化されていることを意味する。近代の西洋において権威ある「宗教」とは、「キリスト教」である。
 近代西洋における歴史の流れにおいては、「キリスト教」の権威が徐々に相対化される動き、「キリスト教離れ」の動き、が認められる。遅々としているが、巨大で確実な動きである。
 この動きは、「世俗化」secularization、sécularisation、Säkularisation と呼ばれている。
 「世俗化」は、キリスト教の権威を縮小し、徐々に退ける動きだが、「キリスト教の否定」ではない。「社会における排他的、絶対的なキリスト教支配の相対化」と言うべきである。
 この動きが顕著になるのは、「ルネサンス」と呼ばれる文化運動が活発になって、(キリスト教以前の)ギリシャ・ローマの文化が再評価されるようになり、また、科学と技術が結合して「科学技術」が成立し、その大きな有用性が認められるようになった頃からである。
 近代社会が本格的に成立する上で大きなきっかけとなったのは、やはり「フランス革命」の事件である(1789年)。フランス革命の騒動の中で、キリスト教を全面的に廃止しようとする動きもあった。しかし、これは性急すぎて、キリスト教は間もなく復元される。
 キリスト教が支配的であるとは、人々の生活が教会の権威によって根本的なところから拘束されていた、ということである。町や村などで、キリスト教に従順でなければ、社会生活も難しかった。具体的には、たとえば、ミサ、礼拝に出席することなどが重視されていた。ミサ、礼拝に意味もなく長く出席しないと、社会生活の枠から排除される(日本的に言うなら「村八分」の扱いを受ける)。
 「世俗化」が本格的になるのは、19世紀の半ば、1850年ころから、というのがひとつの目安になる。パリのような大都市だけでなく、地方の町村でも、教会活動に参加しなくても、社会生活ができるようになる。
 そうすると、日曜日に暇を持て余す者たちが多数生じるようになる。このために、スポーツが奨励されるようになる。スポーツの奨励は、日曜日に庶民が余計なことを考えないようにするための政策のひとつであり、「世俗化」の進展が生んだ新しい社会風景である。町村では、古くからの教会聖職者と、町長・村長および小学校教師とが権威を二分して、さまざまなドラマが生じた。
 フランスで「政教分離法 Loi de séparation des Églises et de l’État」が成立したのは、1905年である。こうした動きの背景となっている原則は、「政教分離原則 laïcité ライシテ」と呼ばれている。

日本文明と「世俗化」

 「世俗化」というトピックとの関連において、日本文明について考えると、日本文明は最初から「世俗的」であるというべきである。
 日本についてあまり予備知識のない外国からの観察者が日本を訪れると、神社、寺院、その他の宗教的施設がたくさんあることに気づくだろう。すると、「日本はたいへんに宗教的な国だ」と考えるかもしれない。しかし、前節ですでに指摘したように、「宗教」なるものについての大多数の人々の理解や関心はきわめて薄い。
 「宗教」なるものは、さまざまな宗派や分派に分かれていて、神について自分たちこそが正しい認識を有していると主張する人間組織である。互いに食い違い、相容れない、さまざまな「確信」が、それぞれに「これこそが真実だ」と主張されている様子を見ただけでも、それらのうちのどれもが、適切な認識を示すものでないことは明らかである。だからと言って、人々が、不適切ではあってもそれなりに関心を抱いている「うまく知ることができない現実」があるらしいことも否定できない。「うまく認識できないが、<世俗的でしかない認識の枠内>ではとらえきれない現実」、「未知だけど、存在しないとも言えない現実」を無視しきってしまうのも不適切である。「宗教」は、真実でないものを真実だと主張するので、退けられるべきだが、「未知だけど、存在しないとも言えない現実」を無視しきらないという立場を、日本文明はうまく選んでいるということができる。
 中国文明は、すでに述べたように、その当初からまったく「世俗的」である。「未知だけど、存在しないとも言えない現実」を無視しきってしまうという立場の上にすべてが成り立っている。

4. 第三次世界大戦はなぜ生じないのか

ケインズの理論

 「戦争」についての検討を、さらに続けねばならない。
 「nation」原則の導入によって、本格的な「宗教戦争」は避けられることになった。「世俗化」のプロセスの進行によって、「宗教」のそれぞれに独善的な流れの立場からの権威が猛威を振るうことも相対化してきた。 
 しかし「戦争」そのものは、続けて行われている。
 20世紀の前半に、「世界大戦」とされる大規模な戦争が、二度生じた(第一次 1914-18年、第二次 1939-45年)。「第三次世界大戦」は生じていない。
 しかし、中小の戦争が、いつもどこかで行われている。
 この奇妙な事態を理解する上では、ケインズ(John Maynard Keynes 1883-1946)による、第二次世界大戦の経緯についての説明、また、ケインズなどが中心になって設立された「再び世界大戦を生じさせないための仕組み」が、きわめて参考になる。
 以下は、私がフランス語で書いた論文の趣旨からあまり変化のない議論である。(Takashi Kato, “La crise de 1930 expliquée par John Maynard Keynes”, 1984)。
 ケインズの著作で重要なのは、やはり『雇用・利子および貨幣の一般理論』(The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936)である。(今は、インターネットで無料でダウンロードできる)。
 第二次世界大戦が生じるまで、世界経済は「自由放任主義  laissez faire」の原則に基づいていた。ところが、1929年に「世界恐慌」が生じるなど、危機的状況におちいる。
 こうした動きが生じるのは、人々の「Love of Money」が強すぎるからだと、ケインズは説明した。「Love of Money」は翻訳すれば「金銭欲」だが、経済的価値一般への単純な愛着のことではない。「Money」は「貨幣」のことである。「貨幣」は、富の形態として流動性が高い。いろいろな価値(商品、サービスなど)とすぐに交換できる。貴金属や不動産だと、それらを貨幣に交換してからでないと、他の価値と交換できない。不便である。そこで、貨幣という形で経済的価値を保有しようとする傾向が高くなる。このために貨幣の蓄積が過剰になり、不景気が生じて、ついには大戦争になる。
 「自由放任 Laissez-faire」の原則では、これが避けられない。
 そこで、場合によっては、思い切った金融政策・財政政策を実行して、景気が決定的に落ち込むことを防ぐことを許容することが提案された。為替のレートの激しい変動を許容して、調整する。不平等な課税を実施する、などである。具体的には、新しく設立された二つの組織(国際通貨基金 IMF International Monetary Fund 1944-、世界銀行 World Bank (国際復興開発銀行(IBRD)と国際開発協会(IDA)の総称)1944-)が、こうした施策を具体的に運営する代表的な役割を担うことになった。
 この稿の冒頭近くで述べたように、人々が、為替レートのかなり大きな変動を受け入れて経済活動を行っているのは、このためである。
 この方法は、かなり有効であり、基本的にいまも継続している。しかし、大戦争を回避するには、金融政策・財政政策の操作だけでは「不十分である」、とされている。
 金融政策・財政政策の操作だけでなく、どうしても、無駄な需要をかなり作り出さねばならない。
 「無駄な需要の創出」を実現する有効な手段は、「戦争」である
 こうした事態であるために、「世界大戦は避けねばならない。中小の戦争を継続させねばならない」ということになっているのである。

軍事ケインズ主義

 こうした立場は、「軍事ケインズ主義 Military Keynesianism」と呼ばれたりしている。直接的な戦争も含め、景気や経済を調整する目的で多大な軍費を投入する政策、である。
 「戦争を頻繁に行うことを公共政策の要とし、武器や軍需品に巨額の支出を行い、巨大な常備軍を持つことによって豊かな資本主義社会を永久に持続させられるとの主張」といった解説がなされている(日本語版、ウィキペディア「軍事ケインズ主義」、 この引用は、チャルマーズ・ジョンソン「軍事ケインズ主義の終焉」(岩波書店『世界』2008年4月号から、とされている)。
 金融政策・財政政策の操作だけでは、世界大戦を防げない。したがって、どこかで、中小の戦争を行わねばならない。
 とするならば、中小の国々としては、「どこかで戦争をしなければならないのなら、我々のところで戦争をするのはやめてくれ(他でやってくれ)」ということが願いになるのではないだろうか。
 ある国の元首が亡くなり、アメリカ大統領だった人がその人について、「(彼は)平和を愛する人だった」と述べたとされているのを目にしたことがある。
 これは、その元首が、単純で純粋な「平和主義者だった」という意味でなく、自分の国で戦争が起こらないように巧みに国際政治を乗り切ってきた、という意味なのではないだろうか。
 とするならば、「中小の戦争」が行われてしまっている地域については、「そこで戦争が行われねばならないのではなかったのだが、結局はそこで戦争が行われた」ということになってしまうのではないだろうか。
 最近生じている、かなり熾烈な戦争について、フランスのテレビでの解説で次のような議論に接した。「世界には支配的な大きな<勢力>(仏語では empire)がある。その<支配的な勢力>の下に、いくつかの<悪の勢力>がある。<支配的な勢力>の力が弱まると、<悪の勢力>が勝手なことをするようになり、戦争を生じさせる」(フランソワ・ラングル François Lenglet, 経済が専門のジャーナリスト、TV5 Monde の時事解説のインタヴュー番組、2022年11月28日、YouTube の footage で視聴)。
 この説明には、すぐに気がつく欠陥がある。単純に戦争を避けたいなら、<支配的な勢力>は、強大であるうちに、<悪の勢力>を排除すべきではないだろうか。それなのに、<支配的な勢力>は、戦争の当事者になるような<勢力>をある程度育てていたように見受けられる。戦争をしなければならないのなら、進んで戦争をしたがる者たちを温存しておくと、無駄な戦争を進んでやってくれる。無駄な需要を作り出す政策を実行しやすい、ということになるのではないだろうか。
 戦争は始まってしまえば、目の前の戦闘に没入しなければならない。伝統的な見方からは、英雄的とされる行為や成果も生じるだろう。しかし戦争自体が、経済的消耗を目的したものでしかないとなると、戦いの行為を栄(は)えあるものとするには、躊躇される面がどうしても残ってしまうと考えられはしないだろうか。

5. 「宗教」の権威の相対化と「世俗的権威の宗教化」、および「人類の文明世界の諸欠陥」について

世俗的権威の宗教化

 本稿では、「宗教」の「世俗化」の様子を検討し、敵を殲滅しなければ終わらない過酷な戦争(「宗教戦争」)を避ける上で「nation」原則の導入がきわめて有効だったことを確認した。こうしたプロセスも含めて、伝統的な「宗教」の権威は、かなり後退している。
 しかし他方で、世俗的な権威が、かつての宗教のような拘束を強いる強力な支配力を行使する事態があちこちで生じている。「世俗的権威の宗教化」とでもいうべき事態である。
 本稿での分析の文脈で考えるならば、「nation」原則においては、「まぜまぜ」であること、多様性を内部に認めることが重要な要件だったのが忘れられるようになり、もう一つの要件である「まとまり」を作ることばかりが強調されることが、こうした事態出現のメカニズムになっている。「ナショナリズム」が、自国の「高い価値」とされる要素を「正義」「善」の完成であるかのように位置づけて、それを強制する態度のようになってしまっている。「正義と悪」「善悪」の判断基準が有効だとする態度を政治的な場面に持ち込むと、伝統的な用語では、そこに「宗教的エトス」が生じてしまう、ということになる。
 これは、人間や世界の現実を、狭量な理解の枠だけで処理しようとする態度になっていて、人間の生活を根本的に貧しいもの、欠陥を抱えたものにする態度であって、避けるべきである。しかし、国際政治の場面では、こうした「前提からすでに欠陥を抱えたエトス」を部分的に育成するようなことが行われている。
 世界大戦が再び生じるのを回避するためには、経済活動の領域での金融政策・財政政策の操作がかなり有効だが、しかし大戦争回避を完全に確保するに至るものでないことが原因である。
 これは人類の文明世界の、当面のところ顕著なものになっている大きな欠陥である。
 大戦争を回避するために、中小の戦争を継続する、という残念な対策は克服されるべきだが、決定的な方途は見つかっていないと思われる。
 ケインズなどの思索によって、経済の領域でかなり有効な対策が見つけられたのだから、決定的な解決策はやはり経済の領域で探索されるべきだというのも、もしかしたら有効な方向かもしれない。しかし、経済以外の領域の問題にも目を向けて取り組むことも同様に重要で、意外な領域で、大きな解決の実現がなされるかもしれない。

人類の文明世界の諸欠陥

 ここでは、「戦争と平和」というトピックにすぐには関連しないかもしれないが、「人類の文明世界の欠陥」と思われる事態を、二点指摘しておく。

 第一は、「言葉」「言語」の魅惑の問題である。
 古代以来の文明において、「言葉」「言語」が便利な道具として使われてきた。
 日常言語(自然言語)、それから「形式言語 formal language」が二つの大きな流れである。「形式言語」は数字や記号のことである。「形式言語」の使用は、コンピューターの進歩・普及によって、前世紀後半から、人類規模でさまざまな恩恵を享受できるようになった。
 しかし、「言語」にも不得手な面がある。「言語」を使うと、それだけで隠れてしまう、見えなくなる現実があるのではないか。たとえば、「愛」の真剣な場面でおしゃべりすると、「愛」が壊れてしまう、といったことは多くの人が体験している。こうした体験で見え隠れする現実である。
 「表現しきれていない現実」「知られていない現実」をどう把握するのかは、未解決の課題になっている。従来からの「言葉」「言語」の便利さに魅惑されたままでいるのではなく、その枠を超えたところについてのさらなる探求の余地がある。

 第二は、経済的価値の表現の問題である。「経済」は、「家、オイコス」の管理・運営に関わる領域で、文明化を開始した人間が「より良い生活を実現する」ために必要な基本的生存を確保する領域である。この「経済」の領域で、お金の使用、数字による表現(金額)にさまざまな価値を換算して、評価し、思索・操作する、という方法が発明され、きわめて便利な取り組み方なので、主流になっている。無視はできない。しかし、ここでも金額という数値表現を使用すると、<それだけで隠れてしまう、見えなくなる現実>がある。経済的富者になっても、自分の存在や生活が、金額に換算していかに大きな数値に当たるかでしか思考できない例に接すると、せっかくの富が貧しく扱われていると思われる。「守銭奴」の問題である。こうした問題を無視して、相変わらず、従来からの「経済的現実」だけを相手にしていると、巨大な破綻が生じるのではないだろうか。

(本稿は、2022年12月6日に開催した政策研究会における発題を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
加藤 隆 神学博士・千葉大学名誉教授
著者プロフィール
1957年神奈川県生まれ。東京大学文学部仏文科卒。ストラスブール大学プロテスタント神学専攻(博士課程)修了。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。神学博士。千葉大学大学院人文科学研究院教授を経て、現在、千葉大学名誉教授。専門は、聖書学、神学、比較文明論。1998年中村元賞受賞。主な著書に、『新約聖書はなぜギリシア語でかかれたか』『「新約聖書」の誕生』『福音書=四つの物語』『一神教の誕生─ユダヤ教からキリスト教へ』『武器としての社会類型論』『歴史の中の「新約聖書」』『旧約聖書の誕生』『「新約聖書」とその時代』など。
熾烈な「宗教戦争」を避ける上で、多様性を前提とした「国民国家」の形成はきわめて有効であった。他方で、世俗的な権威がかつての宗教のような強力な支配力を行使する「世俗的権威の宗教化」ともいうべき事態も生じている。

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