中東の平和に向けた日本の役割 ―欧州の視点から―

中東の平和に向けた日本の役割 ―欧州の視点から―

2015年3月24日

中東における日本の平和努力

 最初に、日本政府が行ってきた中東支援の努力に対し、感謝の言葉を述べたい。日本は長年にわたり、パレスチナの人々に約14億ドルを支援してきた。これは政治対話、信頼醸成、経済援助の3つの柱を基本とする日本の中東支援政策に沿ったものである。
 日本政府は、パレスチナ問題で一方の主張を他方に押し付けることなく「二国家方式」を通じて問題解決が図られるべきだと認識し、(第3次中東戦争前の)1967年の国境線を基礎として、イスラエルの入植活動を国際法違反と認め、難民が故郷に帰る権利を擁護している。「アラブ和平イニシアチブ」 ※1 も支持している。
 こうした取り組みは国際的にも支持されている。英国議会も圧倒的多数でパレスチナ国家を承認する決議を採択しており、欧州諸国で同様の動きが広がっている。

複雑化する現在の中東情勢

 パレスチナ問題の解決を目指す取り組みの一方で、2010年12月18日にチュニジアで「アラブの春」が始まり、その後、リビア、エジプト、イエメンへと拡大した。さらにシリア、バーレーン、イラクで内戦状態になり、混乱が広がった。
 多くの問題を議論する必要があるが、今は誰もがISISについて知りたがっているだろう。彼らはどこから来て、どのように若者を勧誘し、資金や物資などの支援はどこから得ているのか? 誰が武器や弾薬を提供しているのか? さらに、ISISが化学兵器、生物兵器、核兵器を手に入れる可能性はあるのか?
 アフガニスタンとイラクの問題に関しては、国際社会の国連安全保障理事会に対する期待が高かったが、率直に言って、安保理はほとんど役割を果たさなかった。世界42カ国で構成されるISAF(国際治安支援部隊)の強大な軍事力をもってしてもタリバンを倒すことはできず、現在も彼らがこの地域で活動している。米国やNATOの最新鋭の兵器も問題を終結させることができなかった。
 アフガニスタンの場合、少なくとも政府が最低限の機能を果たし、多様なグループで構成される国民の支持も得ている。大統領選挙には政治的な影響力が行使されたものの、ガニー大統領とアブドラ・アブドラ氏は一定の合意に達することができた。

イラクの党派政治とシリアの状況

 それに対してイラクの状況はもっと複雑である。北部にはクルド人自治区があり、大統領が彼らの利益を代弁している。国民の過半数を占めるイスラム教シーア派は首相の支持母体となっている。これまで首相を務めたマリキ氏が退陣した後も、同じシーア派のアバディ氏が首相に就任した。スンニ派を代表するのは国会議長である。
 このように国家の指導層がスンニ派、シーア派、クルド人の勢力に分かれていることが、今日のイラクの混乱の原因となっている。シリアも同じような問題を抱えている。
 中東地域には主に3つの問題がある。第一に、アフガニスタン、パキスタンからレバノン、シリア、イラク、イラン、イエメンに至る国々で見られるシーア派とスンニ派の対立である。貧困と若者の失業問題は深刻で、30歳以下の失業率は50%を超えている。首長国であれ王国であれ、この問題を克服できない独裁的政権の失敗のゆえに変化を求めて反乱が起きるのだ。
 第二に、資源問題である。資源とは、もちろん石油のことだ。産油国は数十億ドル、数百億ドルの現金を保有しているが、それを雇用につなげることができていない。リビアではカダフィ大佐が15年前に200億ドルを費やし、砂漠地帯からトリポリ、ミスラタ、その他の地域に水を引き込む史上最大級の運河事業を行った。それでも最終的に雇用を増やして繁栄をもたらすことができず、国民の間に怒りと不満が広がった。
 第三に、国境をめぐる地域紛争である。それらの国境線は自然に形成されたものもあれば、オスマン帝国の遺産あるいは植民地時代に西洋列強が引いたものもある。いずれにせよ、いくつかの地域区分は強制的に作り上げられたものであり、国境線が十分に機能していないのが今日の現実である。
 この地域でISISの勢力が拡大する状況をよく見れば、民主化を支持する側にも一貫性が欠けていることがわかる。私の宗教はイスラム教スンニ派だが、民主化を支持する立場であり、政治的駆け引きをするつもりはない。シリアではアサド大統領でなくシリア国民を支持し、バーレーンではスンニ派の統治者ではなく、バーレーン国民を支持している。
 バーレーンの民主化を支持しながらシリアの民主化を支持しないイスラム教徒もいるし、その逆もいるが、これはシーア派とスンニ派の宗派対立による偏見があるためである。純粋に変革を支持しているのか、シーア派とスンニ派の対立が理由でそうしているのか、一貫性がなければならない。
 こうした問題の大きな原因のひとつは、混乱が始まった当初の状況にも現れている。西欧諸国の多くの人々は、ヌスラ戦線や自由シリア軍などの反政府勢力を支援さえすれば、アサド政権が容易に崩壊すると考えていた。
 残念ながら、国際社会の主要国家が政治的利益を優先したため、事態はそのようにならなかった。例えば、ロシアはこの地域に重要な海軍基地を持っており、シリアの現政権が崩壊すれば艦隊を運用できなくなる。中国も政治的利益を考えている。
 安保理が何らかの形で一つにまとまれっていれば、事態は違っていただろう。しかし安保理は弱体化し、うまく機能していない。イラクとアフガニスタンの問題が起きて以降、実際の意思決定が安保理の外でなされてきたためだ。

国連改革が急務

 いずれにせよ、「P5」、すなわち英国を含む5カ国で構成される安保理常任理事国の体制を改革する必要がある。核を保有しているという60年前からの基準のみで今日の安保理のあり方を決めるべきではない。その基準にこだわるならば、核保有国であるインドやパキスタンも「核クラブ」に加わるべきであり、さらにイランや南アフリカなどが含まれる可能性も出てくる。
 日本は核保有国ではないが、原子力技術はもっている。だとすれば、世界第3位の経済大国が安保理に入れないのはなぜか。このように、安保理改革についてはさまざまな論点から議論の余地がある。残酷な紛争を監視するため、国連総会も含め国連自体の役割を改革することが重要である。
 私の母国に関連して言えば、カシミール問題も未解決だ。国連はインド・パキスタンの停戦ラインに最も古い停戦監視団を置いているが、問題解決には至っていない。
 国連は他にも数多くの紛争地域で当事者間の対話や議論を促すことができる。私自身、ハイレベルの対話に関わったことがある。最近も国連副事務総長が英国議会を訪れた際に公開フォーラムで議論する機会があった。彼は対立する双方を議論のテーブルに着かせるために、まず両者の間で何らかの合意が必要だと述べた。
 いずれにせよ、安保理が強い権限を持ち、例えばパレスチナ問題やシリア問題で自国の利益を優先して拒否権発動の如何を決めたりしなければ、より公平で公正な対処によって事態を改善できるだろう。これらの問題で安保理が解決策を見出だせなかったことは、当事国の崩壊の大きな要因となっている。

ISISの起源

 イラクでは、かつてサダム・フセイン政権下で訓練を受け武器を所有していた何千名もの兵士が出身地の村々に追われて行った。国家の主流から疎外され、富も権力も奪われてしまった。スンニ派の人々は徐々に不満を抱き、彼らの部族も孤立して疎外感を持つようになった。
 それに対してイラク国会は、マリキ首相の偏ったリーダーシップのために機能不全に陥ってしまった。2年前にイラクを訪問した時に国会議長と話す機会があったが、彼はマリキ首相が国会で質問に答えるのを拒否したと語っていた。事実、マリキ首相は何らかの声明を発表する際は国会でなく、いつもメディアの前で発表するのを好んでいた。
 このように、指導者が国会での議論をないがしろにして、ナジャフ(注:イスラム教シーア派の聖地)から来るインスピレーションを頼りに物事を判断するようになれば、国民が疑問を抱き始めるのは当然のことだ。残念ながら、このようなことが積み重なった結果、暴力的で過激な行為を正当化する雰囲気が醸成されてしまった。
 シリアで誕生したISISは徐々に勝利を重ね、一定の地域や部族を配下に収めるようになった。彼らのような無慈悲な人間たちはイスラム教やイスラム教徒とは何の関係もない。15億人を超えるイスラム教徒の圧倒的多数はISISの行為を支持していない。
 預言者マホメットは戦時の決まりとして、戦士が女性や子供に触れたり、無実の人を殺したりすることを禁じている。それどころか、木々を切ることも許していない。
 それでもISISなどのテロリストたちは人々を殺戮している。パキスタンのペシャワールでは何の武器も持たない143人の子供たちがパキスタン・ターリバーン運動(TTP)の攻撃を受けた。TTPは国境近くの部族地帯から来たとも言われているが、いずれにせよ、彼らは罪のない子供たちを殺害した。

宗教原理主義

 先週もペシャワールのモスクで祈祷を捧げていたシーア派イスラム教徒が殺された。犯人たちは自分たちがイスラム教徒だと主張するが、モスクで祈祷している人々を冷酷に射殺し爆破するなど、宗教者として到底考えられない行為だ。
 リビアでもエジプトから職を求めてやって来た罪のないコプト教徒が殺害された。リビアはISISの支配下ではないが、このことは彼らが倒錯した精神状態で、宗教を抑圧と支配の口実に利用していることを示している。エジプトから来た貧しい少数派の人々を捕らえて冷酷に殺害した様子は、ネット上のビデオ映像で公開された。彼らは邪悪な人々である。日本の人々にはイスラム教がこのような残酷なテロ行為も、いかなるテロ行為も、決して容認していないことを理解して頂きたい。
 この点についてコーランは「宗教に強制があってはならない」(コーラン2:256)と明確に述べている。他の節では「あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教がある」(同109:6)と述べている。つまり、仏教徒であれ、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒であれ、私はあなたを尊重するという意味だ。どのような宗教も尊重しなければならない。
 知識がないために問題が生じることもある。二人の罪なき日本人がISISに殺害された時、日本の人々は、イスラム教という宗教のせいで彼らのような邪悪な人間が殺人を犯したと考えたかもしれない。
 そこで別の視点を提供したい。一般に、仏教は平和な宗教とみなされている。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という「アブラハムの宗教」が何世紀にもわたって闘争を繰り返してきたと考えられているのとは対照的である。しかし、ミャンマーでは「ロヒンギャ」と呼ばれる何十万人ものイスラム教徒が母国を追われて難民となり、数千人が家屋を焼かれたり殺害されたりした。
 同様に、スリランカでは仏教の僧侶がイスラム教徒に対する「聖戦」を率い、住居や商店を襲撃して焼き払った。中央アフリカ共和国ではフランス軍が手をこまねいて見ている中、イスラム教徒の住民が地元のキリスト教徒の襲撃を受けた。
 キリスト教は素晴らしい宗教であり、非難するつもりはない。ユダヤ教、仏教、イスラム教も同じく素晴らしい宗教だ。これらの行為は、人々を力と暴力で支配しようとする一部の異常な人間が犯していることなのだ。
 タリバン、TTP、アルカイダ、ISISなどさまざまな過激派組織があるが、彼らは真のイスラム教徒ではない。ウクライナの首相に聞けばウクライナ東部で戦いを挑んでいる者たちも「テロリスト」だと言うだろうが、果たして「キリスト教徒のテロリスト」と言うだろうか。彼らは政治的な動機で戦っているのではないか。

イランとサウジアラビアの「代理戦争」

 中東あるいはイスラム世界全体の平和構築に関して現在もっとも重要なことは、イランとサウジアラビアの両者がより積極的な役割を果たすことだ。
 率直に言って、この地域では地域大国の代理戦争が行われている。イラン政府とサウジアラビア政府がこれまでのような政治的レトリックを自重しなければ、問題解決は期待できない。両国がより強い影響力を行使しない限り、イエメン、シリア、バーレーンを始めとするこの地域の国々の平和は実現しないだろう。
 私は今後、さらに多くの意見の相違や対立が表面化するのではないかと危惧している。ヨーロッパ人として、カトリックとプロテスタントが戦った1618年~48年の30年戦争を思い起こさざるを得ない。同じイスラム教徒の心情を知る者として、私はこの争いがこれから何十年も続くのではないかと懸念している。そうならないことを願うが、ISISの問題を今後10数年以内にどう解決できるのか、見通すことができないというのが正直な気持ちだ。
 当初、アルカイダは世界中から若者を「聖戦士」として勧誘し、アフガニスタンでソ連軍と戦わせた。その後、兵士たちはアフガニスタンにとどまり、やがて結婚して定着した。そしてパキスタンの部族地帯に移住し、アルカイダからTTPやタリバンへと思想的な変化を遂げて新興勢力となった。
 同様に、ISISは思想的にも物理的にも容易に消滅しないだろう。ISISを壊滅するために地上軍の派遣を求める声もあるが、それが結果的に彼らの待ち望む「聖戦」に、より多くの愚か者たちを参加させるきっかけとなるかもしれない。そうなれば中東の他の不安定地域にもより多くの過激派組織が生まれる可能性がある。

平和構築における日本の役割

 ISISの犠牲となった二人の日本人のご家族に深い哀悼の意を表したい。しかし今回のような殺害事件によって国の政策を変更すべきではない。このような犯罪を行った容疑者たちは罰せられるべきであり、実際にいつか必ず罰せられると信じている。
 私は日本を実際に訪問するのは今回が初めてだが、アフリカであれアジアであれ、世界各地を訪れるたびに品質の良い車やテレビ、電子機器などの日本製品を目にしてきた。日本は美しい国であり、鉄道の駅でさえ病院や学校より綺麗なところもあった。清潔さや秩序を重んじる日本人の美徳は、私の宗教であるイスラム教とも通じるものだ。
 日本は中東を含む世界各地で平和構築の重要な役割を担っている。日本は世界から信頼されている国だ。私は米国人が好きだが、残念ながら米国政府の平和構築の取り組みを心から信頼できる人は、それほど多くないのかもしれない。いかなる平和構築の努力においても信頼関係を築くことが中心的な要素となる。人は平和をつくり出すために働く者を信頼する。

※1 2002年にサウジアラビアが提唱し、アラブ連盟の首脳会議(ベイルート・サミット)で採択された包括的な中東和平案。

(2015年2月16日開催の「日欧有識者フォーラム」より。日本語訳・文責は事務局)

政策オピニオン
ナズィール・アーメッド 英国上院議員
著者プロフィール
1957年、パキスタン・カシミール生まれ。11歳の時、家族と共に英国に移住。英国シェフィールド・ハラム大学卒業(行政学)。1990年に労働党の地方議員となり、1993年、サウス・ヨークシャー労働党議長に就任(2000年まで)。1992年に「英国イスラム議員フォーラム」を設立、同年、治安判事に就任(2000年まで)。1998年、サウス・ヨークシャー・ロザラムの男爵として上院議員に任命された。イスラム教徒として英国初の上院議員となる。英国政府の第1次イスラム聖地巡礼代表団団長を務める。人種、宗教、性の平等などに関して幅広く発言。宗教差別や強制結婚を撤廃する法制化を促進している。

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