国際開発援助における中国の台頭と日本の活路 ―今こそ日本型モデルの積極的提示を―

国際開発援助における中国の台頭と日本の活路 ―今こそ日本型モデルの積極的提示を―

2016年12月13日

1.開発援助世界の変容

 1989年からの10年余り、日本は世界一のODA(政府開発援助)供与国としての地位を誇った。しかし、2000年の9.11同時多発テロ以降、西欧諸国が途上国の安定した発展と自国の安全保障を結び付け援助額を増やしたこと、2000年代に入り金融のグローバル化が浸透し世界市場を自由にめぐるカネが国際開発援助にも流れ込むようになったこと、さらには経済発展を遂げた新興国が援助供与国として台頭してきたことで、開発援助の世界は日本が世界一のドナーであった時代とは異なる様相を呈してきた。
 世界経済に台頭してきたBRICSなどの新興国が援助供与国(以下、新興ドナー)となることで、開発援助の在り方が多様化している。もはや、開発援助は「裕福な先進国が貧しい途上国の発展を助ける」というような単純な構図ではなくなっている。
 1980年代には米国務省、IMF、世界銀行の合議によるワシントン・コンセンサスによって新自由主義を基にする政治的条件(コンディショナリティ)が開発援助とともに途上国に課せられ、市場経済化と民主化が被援助国の命題となっていた。1980年代の構造調整融資が失敗に終わったことで、ワシントン・コンセンサスも修正を迫られていたが、コンディショナリティは看板を掛け変えて存在し続けている。他方で、新興ドナーは概して被援助国側の政治や経済の改革を強制して推し進めることには関心を持っていない。つまり、自国の政治・経済への介入を避けたい被援助国にとって、新興ドナーは都合の良い連携相手ということである。
 援助供与国の多様化によって、開発援助の潮流を作ってきた西欧諸国は自らの援助アプローチを再検討するとともに、新興ドナーの援助アプローチについての検討を行っている。被援助国にとっては、新興ドナーによって援助受け入れの選択肢が広がり、自律性の回復が促されるという見方もある(高橋2011:176)。このように、南北の力関係に大きな変化が生じている現在、日本はどの様に振る舞い、行動していくべきだろうか。

2.「援助供与国」中国の台頭

 中でも、開発援助の世界に大きな構造変化を引き起こしているのは中国である。中国が対外援助を開始したのは最近のことではなく、建国以来継続して南の国々に対外援助を行ってきた。つまり、援助を始めたばかりの新興ドナーではないが、近年経済力が強力になるに従い、その対外援助政策が世界各地の開発に与える影響も大きくなっている。2000年からの10年間で、中国の無償援助額は5倍以上となっており、特に2006年以降の拡大は目覚ましい(稲田2012:36)。中国の援助拡大は、カンボジアやミャンマーといったアジアの近隣国と、石油産出国であるスーダンやアンゴラをはじめとするアフリカの資源国において顕著である。
 中国の対外援助の形態や哲学は、西欧諸国とはかなり異なっている。まず、資源の確保や政治的影響力の確保といった目的を明確にしており、当該国に影響力を発揮する最も直截な手段をとっている(鷲尾2014:221)。また、内政不干渉の原則のもと、政治的条件を付けずに大量の援助を供与し、欧米の改革要求に辟易している途上国側の要請に応えることを明確に打ち出している(高橋2011:176)。支援の主たる対象事業は、産業、経済インフラ、社会サービスに関する整備事業であり、自国の労働者や資機材調達とのタイド化を積極的に行っているのも中国の対外援助の特徴である。
 西欧諸国は自分たちのルールに全く沿わない中国の対外援助を警戒しているが、被援助国から見れば、必ずしも悪いことばかりではない。90年代末から2000年代初期にかけての国際開発潮流は、国連ミレニアム開発目標(MDGs)や貧困削減戦略(PRS)のもとで、貧困削減を中心としてきた。その結果、西欧諸国の援助は貧困削減に直接寄与する保健分野や教育分野を重視する一方で、インフラや生産セクターへのODA配分率は激減した。このような状況の中、そのギャップを埋めるかのように、中国はアフリカ諸国をはじめとして途上国に対してインフラ支援や経済協力を積極的に行ってきた。この中国の行動は、PRS策定を踏まえて国際援助社会から債務削減が認められ、2000年代前半ごろからようやく自国の持続的成長を考える余裕が出てきたアフリカ諸国のニーズと合致した(大野2012:9)。
 西欧諸国を中心に構成される国際援助コミュニティが中国に着目したのは、「中国は西欧諸国が決めてきたルールを逸脱し、途上国開発に悪影響を及ぼすのではないか」という懸念からである(大野2012:29)。そのため、過大に批判されているという指摘もなされており、客観的な評価が必要とされている。

3.中国の対外援助の評価

 中国は自国の援助を途上国間の平等・互恵および内政不干渉を是とした南南協力と位置付けている。つまり、自らも発展途上国であるため自国の利益追求も是として認められると解釈している。このアプローチに対しては西欧諸国から様々な批判がなされている。
 まず、中国は自国の利益至上主義で、途上国の人々の長期的な生活改善には全く関心を持っていないという批判がある。確かに、中国型援助モデルは経済性が顕著に卓越しており、特に、天然資源に恵まれているアフリカ諸国ではその傾向が強く見られる。中国輸出入銀行を通じた借款を用いて労働者や資機材などを中国から調達し、資源掘削技術の供与、道路や港湾などの運輸インフラの整備までをパッケージで支援し、その資源の一部を中国に輸出していると言われている(近藤ら2012:92)。このように、中国の援助は被援助国の発展を目的としているというよりは、自国のエネルギー需要や市場拡大の要請に応える国益誘導型の援助という側面が強い。それでも、被援助国側も裨益しているのであれば互恵関係ということになるのかもしれないが、中国の関与によって繊維産業等において失業者が増大するという事態が生み出されており、Win-Winという約束とは程遠いという批判もなされている(Tull 2006:471-473)。他方で、マクロな視点から見れば、中国との協力関係を築いている途上国の中には順調な経済成長の軌道に乗っている国もあるという(Woods 2008:1208)。資源開発への協力も、眠っている資源を活用可能な形にする術を持っていなかった途上国にとっては有効な支援であると考えることもできる。援助による功罪が生じているのは西欧諸国も同じであり、中国型援助についてもその効果を丁寧に評価する必要があるだろう。
 次に、中国の援助は紐付きのタイド援助であるため、現地の雇用拡大などに寄与しないという批判がある。タイド援助は、現地での雇用促進や技術移転を伴わず、現地への波及効果も限定される懸念がある。他方で、海外から流入する労働者が技術移転のチャンネルになるという分析もなされている(Mohan and Tan-Mullins 2009)。タイド援助であるがゆえに、中国の援助は、工事が早く、資機材の金額や建設費も相対的に安いので、即効的な開発を進める上では評価されている面もある(稲田2012:45)。現地の技術能力や人材不足を考えると事業を短期間に進めるうえでは効率的な援助方法であるが、長期的なスパンで考えた場合の開発効果は明らかではない。
 また、援助が有償中心で譲許性が低いという批判がある。西欧ドナーは無償援助中心であるため、日本も過去に同様の批判を受けてきた。しかし、有償援助によって大規模なインフラ開発プロジェクトが可能となる。そしてインフラ開発プロジェクトによる開発への正の効果はアジアにおける日本の援助で実証済みである(下村2011)。Moyo(2009)は、援助の受け手の立場から、譲許性の高い援助はむしろ「援助依存」を引き起こすため、譲許性の低い商業ベースの融資の必要性を説いている。つまり、譲許性の低い有償援助が、被援助国にとって都合の悪いものであるということではないのである。
 最も深刻な懸念点として、中国の政治的条件なしの援助は、政治的腐敗の温床となり腐敗した政治エリートの延命に寄与するといった批判がある(Tull 2006:473-475)。中国政府は2011年4月に発表した『中国的対外援助』の中で、改めて1964年に周恩来が提唱した『中国の対外経済技術援助に関する8原則』を確認し、「いかなる政治的条件も付けない」ことを明言し「決して援助を他国の内政に干渉し政治的特権を図る手段にしない」姿勢を強調した(下村2012:133)。Saidi and Wolf(2011:27-28)によると、政治的条件を付けない援助が、アフリカ諸国のガバナンス指標を悪化させているという仮説は反証された。むしろ、インドや中国の援助が活発なナイジェリアでガバナンス指標の大幅な向上が見られた。また、市民への公共財や公共サービスのデリバリーの指標については、中国との間で資源とインフラの取引が活発なアンゴラとコンゴ民主共和国を含む5か国で2001年から2008年までの間に大きな改善が見られたという。つまり、政治的条件を付けない援助が必ずしも悪影響を及ぼすわけではないといえる。ただし、相手国政府・支配層との間で不透明な形で支援が決定され、それが腐敗を温存ないし助長する側面があることは否めず、これは中国のとっている内政不干渉の方針の負の側面である(稲田2012:53)。
 上記の通り、中国の対外援助は様々な問題を抱えてはいるが、西欧諸国の援助と比べて被援助国に悪影響がある、もしくは、益していないとはいえず、その効果については今後さらに検証を重ねる必要がある。

4.「アジア型援助」の共通点

 日本の開発援助政策もまた、西欧型援助のルールに沿ってないことが原因で今の中国のように批判されてきた過去がある。中国の資源確保などの経済的利益の重視や、多国間の枠組みよりも二国間援助による国益の追求を重視する点、あるいは、被援助国の政治体制や内政に関して口を出さない内政不干渉原則などは、日本のかつての援助に非常に類似している。
 実際、中国の認識に重要な示唆を与えたのが日本の対中国、ASEAN援助であるという点も注目に値する。中国では1990年代後半から日本の援助に関する研究が急速に拡大しており、その中で、中国の経済発展に対する日本の対中援助の貢献に高い評価が与えられ、また、ASEAN諸国の輸出主導型発展を可能にした日本の援助の効果が高く評価された。日本の通産省が1980年代半ばに提示した「三位一体協力アプローチ」概念が、現在の中国対外援助政策の基礎となっているという(下村2012:134)。
 下村(2012:132)によれば、中国・インド・日本の三ヵ国の援助アプローチは国際援助コミュニティに支配的な援助アプローチとは異なる二つの基本的な特徴を共有している。一つ目が、「内政不干渉」原則あるいは内政に対する慎重姿勢であり、二つ目は、「援助・投資・貿易の相乗効果」の重視である。これらの特徴は、韓国、台湾、タイなど他のアジアドナーにもある程度認められ、「アジア型援助モデル」形成の要素となるという。
 開発援助研究においても、中国の援助アプローチは、西欧型援助に対して「アジア型援助」と認識されており、日本を含む他のアジアドナーとの共通点が着目されている。そのような観点から、中国の援助供与国としての台頭は、長らく主流であった「西欧型援助」に対して「アジア型援助」への注目を集める役割を果たしているといえる。

5.中国の対外援助の「脅威」

 しかしながら、中国の対外援助を手放しで歓迎するわけにもいかない。なぜなら、中国の対外援助政策は、その他の対外経済政策と密に関連付けられており、覇権主義的な対外戦略の一環として重要な役割を担っているからである。
 習近平主席が重視している「一帯一路戦略」では、中国を起点に中央アジア、ロシア、西アジア、東南アジア、南アジア、ヨーロッパを陸路で結ぶシルクロード経済ベルト(一帯)と、中国の沿海部から南シナ海、インド洋を経てヨーロッパまでを海路で結ぶ海上シルクロード(一路)の構築を提唱している。
 2015年10月に五中全会で採択された第13次5か年計画(2016~2020年)の原案では、一帯一路を対外経済戦略の中心に掲げ、インフラ建設の推進や金融面における国際協力の推進などが明記されている。それを実行するためにシルクロード基金、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が創設された。AIIBは西欧諸国及び日本が主導してきた国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行(ADB)に対抗するものと考えられ、中国は国際金融の側面からも既存の秩序に挑戦をしている。AIIB設立の大儀として、新興国のインフラ整備支援が強調されているが、実際は中国の経済的覇権拡大と中国国有企業の救済に重きが置かれている。南シナ海における中国の強硬な海洋進出に対して周辺諸国に懸念が広がっているが、こうした動きも一路を構築するための行動であると考えられる。
 前節で記したように、中国の対外援助自体は決して頭ごなしに批判されるべきではない。実際に途上国のニーズと一致している側面もあるし、その存在は西欧諸国に対してアジア型援助の存在感を示す重要な役割を担っている。中国政府は対外援助を自国のイメージの向上につなげようと試みており、援助の質向上にも積極的である(渡辺 2012:120)。しかし、中国の国家戦略の一環としての対外援助政策の評価には、より総合的な視点が必要であろう。
 このような覇権主義的な性格が滲む中国の対外援助と日本の援助は根が大きく異なるが、内政不干渉原則や経済的自立を見据えた援助アプローチなど、葉だけ見ればアジア型援助として共通点をもつ。アジア型援助が注目を集めている今、その源流を作り出した日本が自ら旗振り役となって「アジア型援助モデル」を発信していくべきである。日本が積極的にその役目を果たさなければ、中国が中国型援助モデルを打ち立てることによって、開発援助世界においても益々影響力を拡大していくだろう。

6.日本の開発援助の独自性 

 日本の開発援助の特徴として、被援助国の経済的自立を最終目標としてきた姿勢があげられる。1990年代以降、開発援助の潮流の中では貧困削減が重視され、経済的自立について明示的に言及されることが少なくなった。しかし、日本は戦後国際社会から支援を受けながら復興を遂げた経験から、最終的に経済的自立を達成することの重要性を痛感しており、特に東アジア・東南アジア諸国においてそれを達成してきた。

図1.アジアの援助・開発モデル(出所)下村(2011:161)

 韓国、台湾、香港、シンガポールの東アジアNIESやタイ、マレーシア、インドネシアといったASEAN3国では、図1のように農村開発と経済インフラ建設が並行して実施され、その二つが連携して投資環境の改善に結び付いた(下村2011:159)。投資環境が改善されれば直接投資を呼び込むことができ、国際競争力が強化され、外貨獲得能力が向上する。その結果、生活条件改善のためのファイナンス能力も強化されて、政治的・経済的自立が達成され、援助から卒業することができるのである。この過程で、インフラ整備を支えたのが日本のODAであった。タイの「東部臨海地区」とベトナムの「ハノイ・ハイフォン回路」の産業集積は、日本のODAが直接投資と輸出に繋がり、援助・投資・貿易の相乗効果をもたらした典型的な例である。
 貧困削減はもちろん重要だが、経済的自立を見据えずに貧困削減を目的化し援助への依存状態が高まってしまうと、被援助国の経済的自立はますます遠のいてしまう(Moyo 2009)。援助への過剰な依存は政策運営に関する外部の介入にも繋がりやすい。援助への依存状態が常態化することで、被援助国政府が自国民よりもドナーの顔色をうかがうことにもなりかねない。援助依存状態では政治的自立もままならない。政治的自立を確立するためにも経済的自立が重要なのである。
 また、途上国の主体性を最大限尊重しようとする点も日本の援助の特徴である。日本の援助は伝統的にその「非政治性」を特色とし、援助に政治的条件を付けることを内政不干渉の見地より差し控えてきた。これは、日本の発展過程で欧米的な外来のものに自らを適合せざるを得なかった苦労、その苦労を超えて主体性を持つことの難しさ、そしてその難しさの果てに得られた主体性の重みを理解していたからである(高橋2011:177)。主体性の尊重は、日本の開発援助が重視する「自助努力」の理念とも深く結びついている。
 「自助努力支援」は、日本のODAの基本方針のであり、かねてから日本が重視してきた理念である。外務省(2007)はODA白書に以下の文章を記載している。

 「自助努力」とは、開発途上国自身が主体的に自国の将来に責任を負い、また、開発途上国の国民が自らの手により自国の発展に努めることです。日本の政府開発援助は、この途上国自身の自助努力に対する支援が、持続的な経済成長を実現するために不可欠であるとの考えに立ち、個々の援助案件(プロジェクト)の実施に際し、支援終了後も開発途上国の国民が自らの手により、事業を持続・発展的に実施していくことが可能な協力を行っています。
~略~
 また、開発途上国の一国を全体として見たときに、日本の支援終了後も、途上国自らが、国際経済の中で貿易・投資の利益を獲得しながら、経済成長を持続することが可能である支援を行うことが重要です。
 こうした自助努力を支える要素として、人づくり、法制度整備、経済社会基盤の整備(教育、保健・衛生などの社会インフラや運輸・通信、エネルギーなどの経済インフラの整備)が重要です。人づくりは、途上国が国家建設と経済開発を行っていく上で欠くことのできない自国の人材を育てるものであり、法制度整備および経済社会基盤(インフラ)の整備は開発途上国の発展の基礎であり、日本はそれらへの支援を重視しています。

 このように、自助努力を重視する日本の支援がまさにアジア型援助モデルの基礎であるといえる。援助の最終目標は「途上国の自立」であるという認識は、1990年代以降に貧困削減が援助の目標とされる中で西欧諸国には欠けていた点であるが、日本は貧困削減のための援助を実施しながらも、自立実現のカギとなる投資・貿易・援助の相乗効果も求めてきた。東アジアやASEAN諸国の経済発展は日本の開発援助が牽引したといっても過言ではなく、日本型援助が世界に示してきた成果であるといえる。

7.「開発協力大綱」に見られる日本の姿勢

 2015年2月10日、安倍内閣は「政府開発援助(ODA)大綱」に代わる「開発協力大綱」を閣議決定した。長年使ってきた「政府開発援助」を「開発協力」と置き換えたことには、開発協力を「狭義の開発のみならず、平和構築やガバナンス、基本的人権の推進、人道支援などを含め、開発を広くとらえることとする。」との狙いがある。そのうえで、OOFやPKOなど「開発を目的とする又は開発に資する民間の資金・活動(企業や地方自治体、NGOをはじめとする多様な主体による資金・活動)との連携を強化し、開発のための相乗効果を高めることが求められる。」と謳う。
 「開発協力」という表現は南北の構図が変化する中で、「北から南への援助」という関係に捕らわれず、被援助国とも対等な立場で協力をしていくというメッセージも含みうる。現在の開発援助はまさに、「援助」から「協力」へのパラダイムシフトを経験している時期であり、筆者は適切な変更であったと考える。また、開発協力大綱ではODAを「開発に資する様々な活動の中核」、「国際社会の平和と安定及び繁栄に資する様々な取り組みを推進するための原動力」と位置付けているところから、援助のみではなく、投資・貿易などの民間による経済活動、さらにはNGOによる活動との相乗効果を生み出そうとする姿勢が鮮明である。
 さらに、開発協力大綱にはアジア型援助モデルの推進と符合する点が明記されている。三つある「基本方針」の一つが「自助努力支援と日本の経験と知見を踏まえた対話・協働による自律的発展に向けた協力」であり、ここに日本の援助の伝統的理念が現れている。被援助国の自発性と自助努力を重視し、自律的発展に向けた協力を実施し、相手国との対話・協働を重視する日本の姿勢はアジア型援助の核となるべきである。
 また、「重点課題」の一点目に挙げられている「『質の高い成長』とそれを通じた貧困撲滅」は、西欧型援助とアジア型援助に橋を架けるものであると考えられる。ここでは、「貧困問題の解決には人づくり、インフラ整備、法・制度構築、それらによる民間部門の成長等を通じた経済成長の実現が不可欠である」としている。そして、「質の高い成長」を実現することと、「基礎的生活を支える人間中心の開発の推進」を並行して行うことを明示している。これは、被援助国が自立して援助を卒業するための道筋となりうるものである。
 他方で、開発協力大綱では安全保障面および経済面の国益重視の姿勢が明確となっている。開発協力大綱の「基本方針」にある「非軍事的揚力による平和と繁栄への貢献」については、「国際貢献」のために、「開発協力の軍事的用途や国際紛争助長への使用を回避する原則を順守しつつ、国際社会の平和と安定、繁栄の確保に積極的に貢献する」と明示しており、ODAによる他国軍への支援が解禁されたと解釈できる。大綱のこの点には明らかに安倍政権の「積極的平和主義」の考え方が反映されている(段2016:52)。
 日本の国益重視、中小企業の海外進出支援等の考えも明確なものとなっている。「実施体制」における「連携の強化」では「官民連携、自治体連携」で「民間部門や地方自治体の資源の取り込み、民間部門主導の成長促進により、開発途上国の経済発展を一層力強く、効果的に推進。日本自身の力強い成長にもつなげる」とあり、援助をこれまでより国益に直結したものにする意図が読み取れる。
 こういった点から、国益主義を憂慮する声も聞こえてくるが、ODA政策を国益と紐づけること自体は決して悪いことではない。むしろ、戦略的に互恵性を確保していくことによって、ODAの拠出額を増やし、より効果的な開発協力を行うことができる可能性もある。
 そもそも日本のODAは表向きには戦後賠償として始まったが、実際は戦後の復興のための資源獲得を目的とした活動であった(佐藤2016)。そういった状況下で、日本のODAは経済協力の名のもとに被援助国の経済成長も牽引してきた。対外的な目的と国内的な目的の両方を付与されている時こそしっかりとした戦略が練られ十分な予算が割り当てられるのであり、内外の目的を絶妙なバランスで達成していくことが重要なのである。
 互恵性を確保することは、ODAに対する国民の理解・支援を得ることにもつながる。開発途上国に対するODAをGNI比0.7%にするという目標が、2030アジェンダにおいても確認された。しかし、我が国の実績は0.19%(2014年暫定値)にとどまっており、この目標を達成するにはODA予算の増額が必要である。国民のODAに対する支持・理解は、今後のODA予算の方向性に影響する。実際に、政府全体の一般会計上のODA当初予算が前年度まで16年連続で減額されてきた背景として、国民の理解が十分に得られていないことが指摘されている(松本2016:67)。ODA政策については国際貢献と同時に、自国にも十分に利益があることを示していく必要があるだろう。

8.「アジア型援助モデル」の推進

 第二次世界大戦後に綴られてきた開発援助の歴史の中で、今ほど非西欧諸国による援助、もしくは、経済協力が注目を集めたことはなかった。1970~80年代の日本の援助は西欧諸国にとって「教化されるべき対象」であり「辺境の異端」ではあっても、「学習すべき対象」の「もう一つのアプローチ」ではなかった(下村2012:140)。しかし、中国の台頭あるいはアジアの高成長によって、国際援助コミュニティにおいてアジア型援助モデルについての真剣な検討が始まりつつある。アジア諸国の経済発展を支えてきた最大の援助供与国が日本であることは国際的に広く知られており、自ずと日本の援助経験に対する関心を生む結果となっている。
 下村(2012)が提唱するように、西欧諸国が自らの援助アプローチについて再検討を始めている現在は、被援助国の主体性を尊重し、経済的自立をゴールとして、援助・貿易・投資の相乗効果を求める経済協力を進める「アジア型援助モデル」を推進していく好機である。ただ、アジア型援助の中にも多様性があることに留意が必要である。中国は西欧型援助に対して南南協力としての中国型援助モデルを打ち立てようとしており、それが西欧型援助に対する代替案のロールモデルになる可能性もある。日本もアジア型援助の源流を成す国として、これまでの経験と実績を活かし西欧諸国の援助アプローチに対する代替案を積極的に提示すべきである。
 開発協力大綱に明記されていたように、経済成長と貧困削減は開発協力の目的の両輪であり、「アジア型援助モデル」は、「西欧型援助モデル」と相反するものではない。貧困や不公正を改善しようとする際に、西欧型援助モデルは有意義である。ただ、1日1ドルあるいは2ドルの所得水準を達成することが開発援助の最終的なゴールであってはならない。極度の貧困を克服した国々は、さらなる生活条件の改善を目指して「ポスト貧困削減」の段階に進む。貧困削減に専念する援助モデルから、自立に向けた途上国の自助努力を支援するアジア型援助モデルへバトンを渡すことができれば、異なった発展段階の異なったニーズに対応することができる。二つのアプローチが相互補完的な関係を構成し、互いに補いながら開発効果を高めることが望ましい。
 日本は、アジア型援助モデルの基礎を築いた国であるとともに、非西欧の国としては唯一古くからOECD-DACに参加している国である。つまり、二つの援助モデルの双方に深く関与している唯一の援助供与国である。国際援助コミュニティでは、ドナー間の協調の必要性が認識され、現場でも援助協調が実施されているが、中国は他ドナーとの協調には積極的でない。アジア型援助と西欧型援助の相互補完性を活かし、それらを有機的に結びつけていくのは日本の役目といえるだろう。
 ただし、常に相互補完的な関係が成立するとは限らない。西欧型援助モデルとアジア型援助モデルの間には基本的な違いがあるため、被援助国が直面する特定の課題について、しばしば異なった処方箋が提示されることが考えられる(下村2012:141)。ドナー間に健全な競合関係が存在することは、被援助国に「選ぶ権利」が付与されることを意味する。複数の選択肢があれば、自国の開発戦略や状況を鑑みて、より適切と考える方を選ぶことができる。ここに主体性が生まれる。つまり、異なる複数の選択肢の存在自体が被援助国にとっては有意義なのである。被援助国の主体性を尊重するためには、援助供与側がそういった認識を持っておくことが重要である。

9.終わりに

 開発援助世界の構図が大きく変わろうとしている今、日本は積極的に西欧型援助に対する代替案を提示していくべきである。途上国の主体性や自助努力を尊重する仕組み、経済的自立を最終目標とするプロジェクトの実施など、アジア型援助モデルと言われる援助の在り方を発信し、西欧型援助モデルとの生産的関係を構築していくことで、開発援助世界全体に貢献しうる。そこには、援助国としても大きな影響力を持ちつつある中国が、西欧諸国に対抗する形で代替案のロールモデルとなることを防ぐ役割も含まれる。日本が自国の国益のための戦略を持ちながらも、その次元に留まらず、被援助国のために、そこに住んでいる人々のために、そして世界全体のために国際開発をリードし、日本独自の形で貢献することを期待する。

 

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