韓国からみた南北関係と韓国が抱えている課題と展望

韓国からみた南北関係と韓国が抱えている課題と展望

2018年11月26日

はじめに

 韓国に在住して30数年になる。日本人にとって、韓国は他国と違い、特殊な国である。19世紀末からの近代史のなかで、日韓には複雑な関係があった。日本人と韓国人は人種的に近い関係にあり、文化的にとても似ているところがある一方で、似ても似つかない面もある。“異同感”の面白さだ。特殊な関係を持った両国であるため、日本メディアに携わるものとして、韓国はとても刺激的な国である。
 先日、8月15日の終戦記念日、韓国でいう光復節を迎えたばかりだ。その前後の話を中心に、日本人が韓国について考えるときのヒントになるような話をしたい。

 

1.慰安婦問題の現状

「慰安婦問題を外交問題にしない」と文大統領

 日本と同じように韓国でも、8月15日前後のイベントは政府行事を始め注目が集まる。日本でいう終戦記念日は、韓国では日本の支配から解放された祝日として「光復節」と言われる。国家的な記念日として、必ず大統領の演説がある。
 ただし、今年は前日にも記念イベントがあった。韓国政府が8月14日を、慰安婦記念日に設定したからだ。日本人から見れば、14日と15日が連日の気になるイベントというわけだ。
 慰安婦問題に関する14日の大統領スピーチは、日本人の立場からすると決して悪いものではなかった。大統領は「慰安婦問題は外交によって解決される問題ではない」と話した。「文政権は基本的に2015年の日韓政府間合意は維持する。この問題で政府間交渉を要求しない」と捉えられるものだった。現政権はこの方向性だと考えていい。
 一方では、「日本は責任を持って、本当の真心ある謝罪と反省の気持ちをいろんな形で示すべき。それは日本自身が考えることであり、韓国が要求するものではない」という趣旨のことも話している。この意味では、日本に対してずっと課題を背負わせたとも解釈できるだろう。

元慰安婦は愛国のシンボル

 そもそも「慰安婦記念日」とは、すごい記念日を制定したものだと日本人の立場から思う。韓国語ではこの記念日に「キリム」という言葉を使っている。「キリム」とは韓国語で「褒め称え、顕彰する」という意味で、元慰安婦である被害者を褒め称えるということだ。
 慰安婦少女像が韓国内外で立ち始めた約10年前に、「キリヌン碑」という名前がつけられたことがあった。当時、これに対して、韓国の国立国語研究院が「慰安婦問題に使う言葉として適当ではない。誤用に等しい」という意見を述べた。私も違和感をもっていたが、今回政府が公式名称にキリムを使った。
 慰安婦少女像は韓国のあちらこちらに立っている。最近では、なにか行事があれば元慰安婦のおばあちゃんたちを国家や市民の代表として登場させる。昨年の夏にはプロ野球の始球式にも登場した。今や彼女たちは、民族的な愛国の英雄なのだ。だからこそ、政府も公式的にキリムを使用した。
 日本からみればおかしな話だが、韓国政府は慰安婦を外交問題にしないといっているので、これはあくまで韓国内の話ということになる。元慰安婦を国内における愛国のシンボルとして、自分たちの世界で讃えるということだ。これが韓国内における慰安婦問題の現状である。

総領事館前の慰安婦像

 元慰安婦の愛国シンボル化は韓国内の問題なので日本としてはどうするわけにもいかない。しかし、ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像に対しては、日本としては黙認し難い。これは2015年日韓慰安婦合意でも韓国側が「撤去を努力する」と約束した。日本政府の立場から言えば、あれは日本を侮辱する行為であり、国際法違反である。国際法では、外国公館の安寧、秩序維持というのが国家間の約束だ。韓国の民間団体が韓国内であちこちに設置することには口出しできないが、外国公館前は場所としては許されないし、国際的にはあり得ないことだ。韓国政府は責任を持って像を撤去すべきである。ただし、愛国シンボルになっているので、政府も簡単には手を出せない状況だ。法治が弱い韓国社会のいわゆる“反日無罪”の代表例である。

 

2.反日の原因と実態

韓国解放に関する国際的理解と反日の原因

 1945年に朝鮮半島・韓国が日本の支配から解放されたのは、日本が先の大戦で連合国に敗戦したからである。その結果、降伏条件の一つとして、朝鮮半島支配の放棄が約束された。これが国際的な歴史的事実である。
 ところが韓国人からみると、この事実が昔から一番癪に障ることでもあった。民族の独立、日本支配からの解放を、自力で成し遂げられなかったからだ。当時、大国に支配された植民地のような地域はアジア含めて世界のいたるところで見られた。多くの地域は独立戦争のような抵抗運動があり、その結果として解放・独立に至るという歴史がある。ところが、韓国にはその歴史がない。抵抗運動はあったが、結果的に自らの手で解放・独立を達成できなかったということが韓国人にとってやるせない。その“恨(ハン)”や鬱憤が、今日まで続く反日感情の根っこになっているのではないか。
 その結果、70年以上経った今でも、心理的にはまだ独立抵抗運動をやっているということだ。そうでなければ、心が落ち着かない。韓国で目撃される反日現象の原因は1945年8月15日の解放のされ方にある、というのが私の解釈である。

反日の実態は愛国

 日本からみると、韓国人は事ある度に反日活動をやっているような印象を受けるだろう。彼らが本当に日本嫌いかといえば、私はそう思わない。韓国人の訪日数は爆発的に多く、昨年は700万人、今年は800万人をこえるほどだ。一方で日本からの訪韓数は230万人程度である。人口5000万の韓国からこれほどの数が日本を訪れ、ほとんどが「日本はすばらしい、先進国だ」と好印象を持っている。この現実とメディアや政治・外交でよく目にする反日現象はどのようにつながっているのだろうか、不思議で仕方がない。日常的には反日や歴史問題などほとんど感じることはないのだから。
 最近のいわゆる反日現象は愛国者としての自己確認であり、共感することによる正義への満足感といった感じで必ずしも日本憎しというわけではない。日本から見ると、反日現象一色に見えたとしても、内向きの愛国パフォーマンスという印象だ。だから、日本がいちいち気にする必要はないと思うこともあるくらいだ。
 率直に言えば、韓国人は日本人に親近感を持っている。韓国人は原理主義的な発想をすることが多いので、総論としては「日本人にはまず謝罪や反省を言ってほしい」と思っている。それがクリアできれば、日本人に対してとても友好的だ。アンケート調査やテレビインタビューをはじめ、表向きは反日というダブルスタンダードは今でも根強い。日本を旅行して感じた好印象が早くメディアや政治に反映されることを願っている。

日韓関係を考える基礎的文献として

 韓国通で有名な女優・黒田福美が2018年8月に『それでも、私はあきらめない』という本を出版した。この本は一年前に出版された本の新装版だ。彼女は韓国通で『ソウルの達人』などガイド本もたくさん書いている。今回出た本は彼女のある韓国体験を書いたもので、私は日韓関係を考える上で基礎的文献だと思っているので、少し紹介したい。
 ある時、彼女の夢枕に朝鮮出身の特攻隊員が現れた。彼女はこの人物の慰霊碑を故郷に立ててあげたい、と20数年努力した。特攻隊員の家族もいいことだと後押ししてくれた。いよいよ、その慰霊碑の除幕式を迎えたが、そこに地元の民族団体が押しかけてきて、除幕式が流れてしまう。慰霊碑は故郷に立てられず、ソウル近郊の尼寺に安置されている。この本には、彼女の20数年にわたる朝鮮人特攻隊員慰霊碑の建立を巡る体験談が綴られている。
 彼女は韓国語もほぼ完璧で、韓国のドラマにも出演した。韓国政府から勲章ももらっている親韓派・知韓派だ。地元の市長をはじめ韓国人のほとんどが彼女の取り組みに協力してくれた。にもかかわらず、最後の瞬間に壊れた。これはなぜなのか。最後に現れた市民団体と称する活動家らは、日本時代の特攻隊員を美化するものだ、許せないと言い張った。
 この本では、こうなった経緯・原因を彼女なりに分析している。実体験に基づいており、日韓関係を考えるにおいて、非常に参考になる本なので、おすすめしたい。
 韓国の出版社からこの本を翻訳したいという相談が私にきたので、友人の翻訳者を紹介した。実はもっと以前に、この本を絶賛し、出版社に翻訳の話を持ちかけた韓国の大学教授がいた。出版社はもちろんその教授が翻訳してくれるだろうと期待していたが、しばらくして「私は手を引きたい」と言ってきたそうだ。民族団体を批判した日本の本を翻訳したとなれば、彼らは大学にも圧力を掛けるだろう。そうなれば、大学でのポストが危うくなるかもしれない。慰霊碑が妨害されたのと同じ脈絡である。
 日本に関する議論は、韓国内では自由ではないというか、極めて制限されている。この教授のように自分で翻訳したいと思っても、それは研究者生命にも関わる問題なのだ。知日派の韓国人は世論の動向によく気を遣わないと、社会的に生きていけないのが韓国の現状である。

 

3.韓国人の歴史観

大統領スピーチは歴史歪曲?

 8月15日は日本の支配から解放された記念日として、毎年大統領が演説する。日本のことは14日のスピーチで触られたこともあり、15日にはほとんど出てこなかったが、一方で15日には、今まで聞いたことのない内容が語られた。韓国でも日本メディアでも話題になっていないので、紹介しておきたい。
 上述のように1945年韓国解放がもたらされたのは「日本が連合国に敗戦した」というのが歴史的事実である。しかし今回、大統領は以下のように語った。「わが国民の独立運動は世界のどの国よりも熾烈でした。光復(解放)は決して外から与えられたものではありません。先烈たちが死を恐れず共に闘い勝ち取った結果でした。すべての国民が等しく力を合わせて成し遂げた光復でした」。
 私は8・15の大統領演説をこれまで30回くらい聞いているが、このような話は初めて聞いた。「解放は外から与えられたものではなく、我々の手で勝ち取ったものだ」という大統領の発言を聞いて、歴史歪曲ではないかと思った。これはこれまでの韓国の公式的な歴史認識でもない。日本支配から脱したのは、連合国の対日戦勝、日本を敗戦に追いやった結果というのが事実なので、韓国の教科書もそのような記述になっている。しかし、それだけでは落ち着かないので、「8・15の解放は連合国の対日戦勝によってもたらされたものであるが、同時に我々の粘り強い抵抗と独立の戦いによってもたらされた」という両論併記になっている。日本統治時代に上海や満州を含めて、日本支配に抵抗する韓国人の運動がまったくなかったわけではない。それが解放につながったという解釈があってもおかしくはない。しかし、基本的には日本の敗戦によってもたらされた解放である。「日本の敗戦」と「韓国の独立運動」を一緒に言及しなければ、歴史認識としては客観的ではない。
 にもかかわらず、今回、大統領は前者に触れず、「自らの手で勝ち取った。与えられたものではない」とだけ語った。これはある意味で時流の変化を表している。韓国内では近年、若い世代をはじめ、いわば“対日戦勝史観”のような歴史認識が広がりつつあるのだ。

事実とは違う歴史認識が主流に

 ドラマや映画、ミュージカルでは、過去の歴史を描いた作品が数多く上映されているが、その中で、日本と戦って“勝った!” “勝った!”という威勢のいいアクションドラマが少なくない。内容は、日本と武力で衝突して最後は悪者日本をやっつけるというもので、エンターテイメントとしても受けがいい。2017年8月に上映され、日本でも話題になった「軍艦島」という映画などその典型だ。
 長崎市の沖合に小さな島と海底炭鉱がいくつかあり、その一つが軍艦島と呼ばれた端島だった。島には、日本の炭鉱労働者とその家族も移住し町が作られた。小学校から商店街、映画館もあった。コンクリート製共同住宅では日本の先駆けと言われるものが今も“歴史遺産”としてたくさん残っている。これらの概観が島の外から見ると軍艦のように見えるので軍艦島と言われたが、明治から1970年代まで84年間続いた炭鉱で、2015年にユネスコの世界文化遺産に登録された
 戦争末期になると、日本の成人男子がますます戦場へ赴くことになり、人手不足のため当時の支配地域から労働者が日本へ連れてこられた。彼らは通称、徴用労働者と呼ばれる。その一部が長崎の軍艦島で働いた。その数は千人くらいで、中国人捕虜も動員されていた。
 世界文化遺産への登録にあたり、韓国は「世界遺産に登録するなら、徴用労働者のことも明記すべきだ」と主張し、日韓で一悶着あった。最終的には日本が韓国の要求を受け入れて、「forced labour」と記述することになった。この一件は韓国内でも話題になり、映画化につながった。
 映画は終戦直前、日本当局が様々な悪事を隠蔽するために、島にいる韓国人を皆殺しにするという噂が流れたという設定で、韓国人労働者が抵抗して暴動を起こすというもの。端島に軍隊はいなかったのに、映画では日本の兵隊も登場し、彼らから武器を奪って銃撃戦を繰り広げるなど、派手なアクションになっている。最後は島からの脱出し、暴動は成功する。乗っ取った船で陸地へ向かう際、遥か向こうに原爆のきのこ雲が見える。

韓国人の歴史観

 「日本と戦って勝った」 こんなドラマや映画が最近、非常に多い。客観的な事実ではなく、「こうしたかった。本来はこうあるべきだった」という願望のドラマ化で歴史的鬱憤を晴らすというわけだ。日本に搾取されて惨めだったのではない。「悪い日本と戦って、最後は自らの手で解放を勝ち取った」という歴史認識が若い世代を中心に広がっているのだ。
 これが上述の慰安婦問題の根本にもある。元慰安婦たちは日本支配の被害者である。しかし、被害を乗り越えて日本を糾弾し、今や国連など世界で韓国の立場をアピールしている。今や元慰安婦は惨めな被害者ではなく讃えられるべき存在なのだ。
 一昔前の韓国はこうではなかった。韓国メディアでさえこんな社説がみられた。「慰安婦問題では、日本が批判されなければならないが、慰安婦を許したことは我々韓国人にとっては恥ずかしいことである。我々にとっても必ずしも愉快な問題ではない。こうした恥ずべき過去には、そろそろ蓋を閉じてもいいんじゃないか」。こんな論調は韓国内から完全に姿を消してしまった。
 韓国人にとっては、事実がどうだったかよりも、本来はこうあるべきだったという「べき論」「あるべき歴史」が重要なのだ。一方、日本人は客観的事実の細部にまでこだわる。過去、日韓両政府の合意で“歴史共同研究”が行われてきたが、謝罪と反省を前提とする韓国側の議論に日本の学者はいつも悩まされていた。このような日韓の間で歴史認識を合わせるのは並大抵のことではない。

 

4.第二次世界大戦前後の考察

戦後謝罪に関して、日本とドイツは比較対象にならない

 第二次世界大戦前後の歴史に関して、日本とドイツを比べる論調があり、日韓両国内でしばしば耳にする。西ドイツのヴィリー・ブラント首相がユダヤ人犠牲者追悼碑の前で跪いて献花し、ナチスのユダヤ人虐殺について謝罪した。韓国人はよくこれを引き合いに出す。「ドイツの戦後謝罪は立派だった」「ドイツは反省と謝罪をしっかりした上で、ヨーロッパ社会に受け入れられている。それに比べて日本はまともに謝罪もしていない」。この種の意見には、2つの疑問がある。
 まず、日本は謝罪を何度も表明している。加えて、日韓国交正常化の際には韓国に多額の経済支援をし、中国にも経済協力という形でそれなりの戦後補償に取り組んできた。不十分だと言われれば仕方がないが、日本は日本なりに、謝罪や反省に努めてきた。
 次に、戦後謝罪に関して「ドイツに学べ」と韓国人はいうが、そもそもナチスドイツと当時の日本は比較対象になりえるのだろうか?
 日本は1910年韓国併合以来、朝鮮半島を支配していた。最後は韓国人を日本人にしようとした。では、東アジアにおける朝鮮半島のように、ナチスに植民地のような立場で統治されていた国・地域はどこに当たるのだろうか。ポーランドなのか? それともフランスか? 大虐殺されたユダヤ人は国家を持っていなかった。朝鮮半島に相当するような存在がヨーロッパにあったとは言い難い。
 また、日本と朝鮮半島の関係は19世紀末からの関係だ。朝鮮半島が近代化していく過程で日本が支配し、影響力を与えた。その最後の段階で、東アジア全体が戦争に突入した。それが日本と韓国における客観的歴史だ。韓国人は日本人とともに連合国と戦争した。ヒトラーがドイツ国首相に就任した1933年以降のナチスの歴史と比べられるとは到底考えにくい。
 さらに、ナチスの政策はユダヤ人の抹殺だった。一方日本は朝鮮半島を支配しながら、朝鮮人の抹殺を試みたことはない。「ユダヤ人はドイツ人と血筋が違うから抹殺せよ」というナチスの政策に対して、日本は「日本人と朝鮮人はルーツが同じだから、朝鮮人は日本人になれ」という皇民化政策だった。一種の同化論である日本の政策とナチスの政策は全く相容れない。もちろん、これが朝鮮人にとって大変迷惑だったことは承知している。
 以上の三点から、第二次世界大戦における日本とドイツは背景や政策が全く違う。戦後ドイツがユダヤ人に対して行った謝罪と、日本が韓国に行った謝罪が、比較対象になりえるとは考えにくい。

韓国とオーストリアの比較。なぜ朝鮮半島は二分したのか?

 第二次世界大戦時において、当時の朝鮮半島と境遇が似た国がヨーロッパにあったかどうか、私なりに考えてみた。その結果、オーストリアが韓国と比較的似た境遇だったと思うに至っている。
 オーストリアはハプスブルク家が統治する伝統ある国である。1938年のナチスドイツによる併合はスムーズに行われた。ヒトラーがオーストリア出身だったこともあったが、オーストリア側にナチス党がたくさんいたからだ。
 では戦後、オーストリアはどのような足跡をたどったのだろうか。オーストリアはソ連と西欧の間に位置しており、地政学的には非常に重要な地域である。この点も朝鮮半島に似ている。戦後のオーストリアも連合国による共同管理になった。朝鮮半島は米ソがそれぞれ南北で管理したが、オーストリアは米ソ英仏4カ国が管理した。米ソ冷戦だったため、オーストリアの西側はアメリカの影響下、東側はソ連陣営の様相だった。そのため東西で対立し、場合によっては分断する可能性もあった。
 オーストリアの内部にも右翼と左翼をはじめ、対立要因はあった。しかし最終的に武力衝突ではなく、話し合いで決着した。1955年に四大国の承認のもと、中立国として独立する。終戦から時間はかかったが、オーストリアは分裂せず、平和的に独立を果たすことができた。
 一方の朝鮮半島では、日本が撤収した後、北はソ連、南はアメリカが暫定的に管理した。そこまではオーストリアと似ている。オーストリアは独立に10年かかったが、朝鮮半島では3年後に南北それぞれに分断国家ができ、5年後に南北で戦争が勃発し、分断が固定化してしまった。オーストリアのように、朝鮮半島も分裂ではなく、一国家として独立することはできなかったのだろうか。
 朝鮮戦争は米ソ対立の代理戦争になった。共産陣営にはソ連だけでなく、中国もいた。南北の背後にソ連中国やアメリカがいたとしても、戦争となれば被害をうけるのは韓国・朝鮮人だ。南北間で「戦争だけはなんとしても避けよう、平和を維持しながら南北統一の道を模索しよう」という選択を取れなかったのだろうか?
 ここにはいろいろな解釈がある。米ソの前に、韓国人は為す術がなかったという声も聞く。最大の原因は左右の政治的対立の激しさだが、私は日本にも責任があったと思っている。オーストリアは以前から政党政治があり議会制民主主義の経験もあり、話し合いで解決するということを知っていた。一方、日本支配下の韓国・朝鮮半島では議会制民主主義や自治などを経験させていない。伊藤博文は安重根に暗殺され、悪者になっているが、彼はもともと自治論者だった。自治をさせて、日本と並存させてもいいのでは、という考えを持っていた。福沢諭吉は韓国の改革派に影響を与えたが、その後脱亜論に転じている。日本国内では大正デモクラシーがあった。朝鮮人が自治の一端でも経験できていれば、「話し合いによる解決」という道もあったのかもしれない。

 

5.南北統一はありうるか

南北ともに戦争はできない

 1953年まで続いた朝鮮戦争で南北の分断が固定化してから65年が経つ。近年、韓国の若い世代を中心に「分断のままでもいい。北のようなめんどくさい国と一緒になりたくない」など公然と発言するようになった。少なくとも1980年代までは、建前でも「南北統一を願う」といったものだ。
 もし南北統一が実現するとすれば、「否応なしに統一せざるをえない」という状況なのだろうと想像する。ドイツ統一もそうだった。これは私の感覚での話だが、南北統一について事前に考えすぎる必要はないと思う。
 現実的な話をすれば、南北ともに戦争という選択肢を取れる現状にはもうない。韓国では1980年代まで、ソウルから南北休戦ラインまでを危険地帯と呼んでいた。土地も安く民家も少なかった。しかし、その地帯は今やニュータウンとなり、100万規模の人口を抱えた高層マンション街が立ち並んでいる。また、仁川空港は国際的にトップクラスのハブ空港である。そこを飛び立つ飛行機から北朝鮮の地を見下ろすことができる。一言で言えば、無防備すぎる現状だ。
 一方の北朝鮮も同じだ。北はよく「ソウルが火の海になるぞ」と脅すが、火の海になって困るのはソウル以上に平壌だ。北の人口を2500万人とすれば、権力を支える特権層は人口の10%、約300万が平壌に住んでいる。北はだから平壌を精一杯飾り立てている。したがって、平壌を灰にする覚悟が金正恩にあるとは考えられない。一時期言われた、米軍によるピンポイント攻撃などは将来的にはあるかもしれないが、全面戦争は現実的にはもう考えられない。

文大統領は統一について語らない

 南北統一については、現状は南北とも平和共存を志向しているので、段階論になるだろう。ハードランディング論では、北朝鮮内部での組織的なクーデターは難しいと、一般的にいわれている。金正恩が突然死んだりすれば、北の内部で政変が起こることもあるかもしれない。段階論として現状で最も考えられる統一は、とりあえず結局、国家連合だとか連邦制ということになるのではないか。
 統一のあり方に関して、北と南は異なる主張をしてきた。北の立場は連邦制統一で、金日成の時代から変わらない。韓国の保守派はこの連邦制統一に警戒心をもっている。たとえば連邦のトップを選挙で決めるとなれば、一枚岩の北に負ける可能性が高いからだ。連邦制統一の響きは良かったとしても、その場合は結局、北主導の統一システムになるかもしれない。
 南の文政権は「北の経済力の底上げの先に統一がある」という考えなのだろう。8・15の演説でも、南北経済共同体という言葉を好んで使っていた。ただし、文大統領は統一について多く語らないので、本音はわからない。統一の話をすれば、「統一の仕方はどうなるのか」という議論になる。北の抑圧体制を残したままの統一はありうるのか。それとも、自由民主主義や市場経済を前提とした統一を北に受け入れさせるのか。これは必ず議論になり、韓国内部が割れてしまう。文大統領は国論を二分させたくないと考えているようだ。大統領の口から出てくるのは「非核化を前提とした南北の交流協力を通して、北の経済の底上げを図る。これは韓国にとってもプラスだ」とここまでだ。

南北だけでの統一は難しい

 地政学的にみて、朝鮮半島が置かれている環境はいつも不安定である。隣に中国、北にはロシア、そしてアメリカと日本という四大国に囲まれている。それぞれが色々な形で影響を与え、南北もまたそれぞれ周辺国を引き込もうとする。この四大国の利害が一致しなければ、統一を含めた朝鮮半島の安定化はおそらく難しい。
 北の非核化が本物であれば、四大国の合意が可能かもしれない。地政学及び歴史的経験からして南北だけではうまくいかないというのが彼らの置かれた環境である。

(本稿は、2018年8月18日に開催したIPP-Youth政策研究会における発題内容をまとめたものである)

政策オピニオン
黒田 勝弘 産経新聞ソウル駐在客員論説委員
著者プロフィール
1941年大阪市生まれ。64年京都大学経済部卒業後、共同通信社入社。広島支局、本社社会部を経て、80年ソウル支局長。同通信社退社後、88年産経新聞社に移籍し、同ソウル支局長(2011年まで)を歴任し、現職。コラムニスト。この間、韓国西江大学校兼任教授を務めたほか、ボーン上田記念国際記者賞、日本記者クラブおよび第五十三回菊池寛賞を受賞。主な著書に『韓国人の歴史観』『誰も書けなかった朝鮮半島5つの謎』『韓国は不思議な隣人』『ソウル発これが韓国主義』『韓国 反日感情の正体』『隣国への足跡 ソウル在住35年日本人記者が追った日韓歴史事件簿』ほか多数。

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