今、なぜ、家族政策なのか
戦後、民主主義の名のもとに、統治機構の改正と同時に行われたのが、家(イエ)制度の廃止である。明治時代、イエは制度化され、戸主を長とする家族は社会の秩序に組み込まれた単位であり、女性の婚姻の自由や財産権は守られていなかった。戦後の憲法・民法改正により、両性の合意のみで婚姻し、築かれる民主的な家族は、イエ制度たる家父長制の名残、つまり、父系主義国籍法、婚外子の不平等扱い、男女の婚姻年齢の相違、女性の再婚禁止期間等を改正しつつ、今日まで発展してきた。
民主的な家族が陥る問題には、貧困、離死別、ひとり親、子供の非行等がある。これに対し、児童扶養手当、保育所をはじめとする児童福祉施設などの社会政策が施されてきた。日本の経済が豊かになる60年代からは、一般の児童を対象にした健全育成政策にも力が入れられるようになり、児童手当、児童館の国庫補助等が創設された。これらの政策は主に厚労省児童家庭局が担ってきた。
バブルが崩壊し、90年代に始まるグローバリズムを意識した改革が貧富の差を拡大し、日本の社会を二極化に導いた。その結果、7家族に一つとされる児童の貧困が社会問題となり、増加する虐待、いじめも、家族の置かれた二極化社会との関連が指摘され、新たな家族政策による対応が迫られている。
しかし、家族の問題は、今、それだけではない。少子化が深刻な問題となり、マクロ的な解決を探る一方で、少子化の原因を求めて家族の在り方が問われているのである。人口学によれば、栄養、衛生、医療の向上が平均寿命の伸長と乳児死亡率低下を招き、超高齢少子の人口構造がもたらされた。経済学によれば、若者の非正規雇用の拡大が低賃金をもたらし、結婚を阻害している。社会学によれば、結婚の必然性が低下した。これらは既に少子化の「常識」になっている。
この常識を前提に、視点が弱いと思われるのが家族社会学からのアプローチとその政策化である。戦前のイエ制度と軍国主義を否定するあまり、家族に関しては、公的介入が最も嫌われる。しかし、山田昌弘中央大教授が指摘するように(『少子社会日本』岩波新書)、日本の少子化の原因のひとつは、戦後の民主的家族の在り方にある。これを明らかにして、政策化しないと、人口減少の歯止めはかからないのである。
家族社会学から見た少子化と政策の方向
山田教授の論旨は、日本では、若者は結婚するまで「子供」として位置づけられ、親の元に「パラサイト」する。親世代は若者世代よりも日本経済の良好な時代の恩恵を受け、相対的に豊かな生活を提供してきたし、子供がパラサイトとなっても豊かさを提供し続ける。非正規雇用の息子は親元を離れれば生活水準が落ち、まして結婚は難しく、娘は親元より生活水準の落ちる男性と結婚するつもりはない。これが、現代の民主的家族のもたらす少子化の原因である。70年代、故小此木啓吾慶大教授が「モラトリアム人間」と名付け、流行語にまでなった若者集団が、今は、「パラサイト」と名を変え、親が年金をもらうようになればさらに「年金パラサイト」となるため、未婚者が増える。
確かに、結婚するまで「子供」でいられるような、親子関係の密な文化はアジア共通であり、欧州では、イタリアやスペインなど南欧にみられ、これらの国々はみな少子化問題を抱えている。結婚拒否ではなく、親元の居心地の良さが結婚に踏み切れない状況を作り出すという分析がされている。これに対しては、結婚にインセンティブを与える支援政策が作られなければならない。若者夫婦の市営住宅優先入居、結婚資金の援助と新婚者税制優遇などを行う必要があろう。もっと基本的には、若者の正規雇用化を推進し、結婚を促す政策を採ることであろう。マクロの政策に加え、家族形成という視点から、新たな少子化政策が必要である。
女性の在り方と家族
戦後の民主的家族に対する施策は、上述したように、貧困政策を核に、児童の健全育成政策、最近の少子化政策に及んできた。もう一つ、家族政策とは名乗らないが、家族の在り方に政策として踏み込んできたのは、女性政策である。
1947年、憲法によって与えられた(勝ち取ったのではない)男女平等は、1986年の雇用機会均等法(均等は結果の平等を意味しない)、1999年の男女共同参画社会基本法(ものごとの決定の場に女性を含める)を経て、2015年、女性活躍推進法へと変遷した。平等、均等、参画は、女性の在り方の理想を掲げてきたのに対し、女性活躍推進は、現実的な経済政策として成立した。
その背景には、少子化で労働力不足の社会となり、女性が労働市場に参加することが望まれる事実がある。平等、均等、参画で求めた、リードする女性を作るよりも、子育てを始め男女の固定的役割分担から脱することができない日本の社会を前提としつつ、家族支援、少子化政策で補っていこうとするのが女性活躍という考え方の中心である。ジェンダーギャップ指数では国際的に著しく低迷する日本が、新たな家族政策を駆使して新たな国づくりができるのか、今、その入り口にある。