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はじめに:分断の時代に問い直される歴史和解の意義
現代世界は、深刻化する紛争と分断に直面している。国と国の間、民族と民族の間、そして時として一つの社会の中にさえ、憎しみの連鎖が生まれ、平和への道を閉ざしている。私たちは、この困難な状況をいかにして乗り越え、真の和解と共存を実現できるのだろうか。本稿は、この根源的な問いに対し、西アフリカのベナン共和国が歩んできた苦難と希望の道のりから、一つの力強い答えを提示することを目的としている。
ベナン共和国は、人類史上最も暗い記憶の一つである大西洋奴隷貿易の中心地という負の遺産を背負いながら、その過去と正面から向き合い、国際的な和解運動を主導してきた。このベナンの経験は、単にアフリカと欧米の関係史にとどまるものではない。歴史の事実を認め、過ちを謝罪し、そして赦し合うことによって未来を創造するというそのプロセスは、現代の日本やアジア地域が抱える様々な対立や歴史問題の解決にも、極めて貴重な教訓と洞察を与えてくれるであろう。
1.歴史の傷跡:大西洋奴隷貿易の構造とベナンの位置づけ
大西洋奴隷貿易という悲劇を理解せずして、現代の和解を語ることはできない。それは何世紀にもわたり、数えきれない人々の命と尊厳を奪い、大陸間の関係に癒しがたい傷を残した。この歴史を直視することこそが、ベナンが和解への一歩を踏み出す上で不可欠な出発点であった。
16世紀から19世紀にかけて、現在のベナン共和国の領土に存在したダホメ王国などの諸王国は、大西洋奴隷貿易の中心地、通称「奴隷海岸」として知られていた。ヨーロッパ人が沿岸部で人々を暴力的に拉致した事例に加え、一部のアフリカの王たちが、部族間の紛争で生じた捕虜などを奴隷としてヨーロッパ人に引き渡していたという、複雑で痛ましい事実が存在した。この地域からは、推計で1,000万から1,200万人の人々が奴隷として新大陸へと連れ去られた。ヨーロッパ人が実行した「動産奴隷制(chattel slavery)」は、人間を人格のない完全な「商品」「家畜」として扱うものであり、結婚し家族を持つことも可能であったアフリカの奴隷とは位置づけが大きく異なった。
現在のベナン共和国南部に位置するウィダ港は、大西洋奴隷貿易における西アフリカ最大の拠点であった。ウィダ港は水深が非常に深く、重く荷を積んだ大型の奴隷船を長期間にわたって収容することができた。他の港が数週間しか船を留め置けなかったのに対し、ウィダではより長く滞在できたため、奴隷貿易の効率的なハブとして機能したのである。
ここで極めて重要なのは、奴隷貿易の時代には、現在の「ベナン共和国」という国家は存在しなかったという事実である。この地域には、ダホメ王国やベナン帝国をはじめとする、複数の王国や帝国が乱立していた。これらの王国の領土は、今日の国境線をまたいで広がっていた。したがって、奴隷貿易の責任を現在のベナン一国に帰することは歴史的に正しくなく、だからこそ、後に続く謝罪と和解の取り組みは、ベナン一国にとどまらない、西アフリカ地域全体を巻き込んだ運動となる必要があった。
2.植民地支配・社会主義・混乱:政治的転換が和解への土壌を形成
19世紀に奴隷貿易が廃止されると、ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化が本格化し、ダホメ王国はフランスの植民地となった。1960年に「ダホメ共和国」として独立を果たすも、その後12年間にわたり軍事クーデターが頻発し、国家は深刻な政治的混乱に陥った。
1975年、国名は「ベナン人民共和国」へと改称された。「ダホメ」は奴隷貿易を積極的に推進した王国の名に由来する。マチュー・ケレク大統領は、この負の歴史と決別し、より広範な地域の文化的影響を反映させるため、国名を「ベナン人民共和国」へと改称した。これは、国家のアイデンティティを再定義しようとする強い意志の表れであった。
ベナン人民共和国では社会主義・マルクス・レーニン主義路線が採用された。しかし、その後の15年間は経済政策の完全な失敗により国民を極度の貧困へと追い込み、後に「悪夢の時代」と記憶されることとなる。この長期にわたる国内の疲弊と混乱こそが、国民の意識を変革させ、国家の再生に向けた和解への第一歩を踏み出す土壌を形成したのである。
3.和解プロセスの段階的構築:政治和解から歴史和解へ
ベナンによる和解は、まず国内の政治的対立を解消し、次いで奴隷貿易という国家の最も深いトラウマを清算するという、長年にわたる意図的な多段階戦略であった。国内の政治的断絶を修復し、国民的合意形成の土台を築くというこの段階的アプローチこそが、より困難な歴史問題に取り組むための必須条件であり、和解を確固たるものにした鍵であった。
(1)1990年国民会議:国内政治の癒合
1980年代末、社会主義体制下での経済的破綻と国民の強い働きかけを受け、政府は1989年12月にマルクス・レーニン主義の放棄を宣言した。これを機に、1990年に国民の各界代表者を集めた国民会議が開催された。この会議は、後の歴史的和解への道を開くための重要な布石となった。会議において、マチュー・ケレク大統領と宗教者代表であるドゥ・スーザ大司教との10日間にわたる対話が、歴史的な転換点となった。ケレク大統領は自らの社会主義政策の過ちを率直に認め、国民に赦しを請うた。それに対し、スーザ大司教は国民にその赦しを受け入れるよう説得した。この指導者間の対話と相互の赦しによって国内の政治的和解が成立した。これは、ベナンにおける「和解と発展の始まり」を告げる画期的な出来事であった。
(2)ユネスコ「奴隷の道」プロジェクト:史実の究明
国内の政治的和解に続き、国家は歴史的トラウマへと向き合い始める。1991年に就任した民主化後初のニセフォール・ソグロ大統領の提唱により、1994年、ユネスコの国際プロジェクト「奴隷の道(The Slave Route)」が開始された。このプロジェクトの目的は、専門家や研究者の協力を得て「奴隷貿易の真実を客観的に明らかにすること」であった。これは、奴隷貿易の真実を国際社会と共に検証し、その記憶を風化させないための画期的な一歩であった。この取り組みの一環として、かつての奴隷貿易の拠点であったウィダの奴隷海岸に、二度と故郷の土を踏むことのできなかった奴隷たちの悲劇を象徴する「帰らざる門(Gate of No Return)」が建設された。
(3)ケレク政権の国家的謝罪:精神性に基づく和解理念
1996年の選挙で大統領に再選されたケレクは、和解の動きをさらに力強く推し進めた。彼は、国の停滞の根源を単なる経済問題としてではなく、より深い次元の問題、すなわち「精神的な未発達(spiritual underdevelopment)」にあると深く洞察していた。彼にとって「精神的な未発達」とは、自らの過ちを認めることができない状態を指し、これこそが資本の欠如よりも国家の発展を妨げる最大の障壁であると捉えた。真の発展とは経済指標の向上だけでなく、国民の「喜び」と内なる平和を伴うものであり、歴史的責任を国家として果たすことこそが、その達成に不可欠であると確信していたのである。
ケレクのこの信念は、国民の精神性を変革すべく設計された、一連の戦略的な象徴的・外交的行動となって表れた。
ケレク大統領は、1998年に「全国謝罪記念日」を設け、この国民的な謝罪の日に合わせ、「帰らざる門」を「帰還の門(Gate of Return)」へと改名した。この象徴的国事行為(symbolic statecraft)は、過去の悲劇を記憶しつつも、未来に向けて離散した同胞の精神的な帰還を歓迎するという、極めて力強いメッセージであった。
そして1999年には、西アフリカ諸国の指導者や伝統的王たちの支持を取り付け、地域を代表して米国を訪問した。奴隷として連れてこられた人々の末裔であるアフリカ系アメリカ人に対し、自らの祖先が奴隷貿易に関与したという「集団的な罪」を認め、公式に謝罪した。これは、アフリカの指導者が奴隷貿易における自らの側の責任を認めた歴史的な瞬間であり、国際社会に大きな衝撃と感動を与えた。
当時のビル・クリントン米国大統領はこの謝罪を高く評価し、ホワイトハウスに「民族和解のためのワン・アメリカ」事務局を設置するに至った。さらに、この動きに呼応した米国の連邦議会議員団が、1999年のコトヌー国際会議に参加するなど、この一連の動きは、ベナンの和解プロセスが国際的な共感を呼び、より普遍的な和解のフレームワーク構築へと繋がる重要な布石となった。
これらの行動は、単なる政治的ジェスチャーではなかった。それは、自らの歴史の最も暗い部分を直視し、その責任を受け入れ、赦しを請うことを通じて、国家のアイデンティティそのものを再構築しようとする、痛みを伴う誠実な試みであった。
4. 「ベナン・モデル」:和解の三原則と国際的発展
マチュー・ケレク大統領の和解への動機は、極めてユニークなものであった。彼のキリスト教的信念に基づけば、過去の過ちを認めず、謝罪できない精神的な状態こそが、国家の発展を妨げる「呪縛」となっている。したがって、奴隷貿易という「集団的な罪」に対して誠実に謝罪し、赦しを得ることこそが、その呪縛を解き放ち、国に真の発展と祝福をもたらす唯一の道であると考えた。これは一国の元首として、経済政策よりも精神的な癒しを優先するという、まさに革命的な信念であった。
この信念は、1999年12月にベナンの首都コトヌーで開催された「和解と発展のための国際指導者会議」で結実し、後に「ベナン・モデル」と呼ばれる、独自の和解の原理を生み出すこととなったのである。
1999年コトヌー国際指導者会議
ケレク大統領の主導のもと、1999年12月に首都コトヌーで「和解と発展のための国際指導者会議」が開催された。この会議はベナン一国のものではなかった。ガーナのジェリー・ローリングス大統領をはじめとする西アフリカ諸国の指導者たち、伝統的な王たちが参加し、大陸規模の連帯を示した。さらに驚くべきことに、アメリカから共和党と民主党の超党派の国会議員団約100名が、政府の支援を受けず自費で参加した。彼らは「我々が自国政府に何度も求めてきたことを、アフリカの国が実行しようとしている。我々も参加する。」と語った。これは、ベナンが獲得した道徳的権威の何よりの証拠であった。
この歴史的なコトヌー会議における5日間にわたる指導者と専門家の議論を経て、その後のベナンの和解活動の礎となる三つの原理が確立された。これらは単なるスローガンではなく、和解を実践するための行動指針そのものであった。
過去(歴史)の事実の確認:歴史の事実を隠蔽したり、歪曲したりすることは、将来の紛争の火種となる。和解の第一歩は、客観的かつ公正に歴史の真実を究明し、共有することである。
誤りを認める:自らの共同体が犯した過ちから目を背けることは、ケレク大統領が指摘した「精神的な未発達」の表れである。国家や民族として、過去の過ちを率直に認める勇気こそが、この未発達な状態から脱却し、尊厳を回復して未来へ進むための出発点となる。
赦し合い、憎しみの連鎖を断つ:事実を確認し、過ちを認めた上で、被害者は加害者を、そして加害者としての側面を持つ者は自らを赦す。この相互の赦しによってのみ、何世代にもわたって続いてきた怒りと憎しみのプロセスを逆転させ、その連鎖を断ち切ることができる。
これらの原則は、感情的な対立を乗り越え、紛争解決のための具体的かつ実践的な手順を明確に示した。この三原則に基づき、奴隷貿易に関わった全ての当事者が、それぞれの責任を認め、赦しを表明する画期的な決議が採択され、以下の4つの要点が合意された。
・アフリカ大陸のアフリカ人: 我々の祖先がかつて奴隷貿易に参加したことを認める。
・ヨーロッパ人: この奴隷貿易に関して全責任があることを認める。
・ヨーロッパ系アメリカ人: 奴隷貿易を拡大、発展させたという重大な過失があったことを告白する。
・離散したアフリカ人(犠牲者の子孫): それらの謝罪を受け入れる。そして、ヨーロッパ人の売買人と、この取引の共犯者であったアフリカ人を赦す。
ベナンのアプローチは、歴史問題の解決において、政治的交渉や金銭的補償の前に、まず精神的な癒し、すなわち「告白」と「赦し」を中核に据えることの決定的な重要性を示した。かつてベナンの博物館には「西アフリカの王たちは奴隷貿易に責任がなく、責任はヨーロッパ人にある」という趣旨の掲示があったが、この1999年の会議の後、そうした掲示は直ちに取り除かれた。国家の物語が「言い訳から真実へ」と転換したのである。
5. ベナン・モデルの国際的影響:分断克服への普遍的教訓
ベナンが確立した和解のフレームワークは、一過性のイベントで終わることなく、継続的な行動と国際的な高い評価へと結実した。その軌跡は、世界中の紛争や対立に苦しむ地域にとって、貴重な教訓を提供している。
コトヌー会議後も、和解の精神を根付かせるための具体的な活動が続けられた。シリル・オギン駐米ベナン大使は、決議の意義を伝えるため米国50州すべてを巡る謝罪の旅を実行した。また、2002年には「ベナン国際ゴスペル&ルーツフェスティバル」が開催され、世界中に離散したアフリカ系の人々が文化と芸術を通じて祖先の地と再び繋がる機会を創出した。
ベナンの和解への真摯な取り組みは、一国の歴史的清算にとどまらず、大西洋を越え、特にアメリカ社会に大きな波紋を広げた。アフリカの指導者が、自らの祖先の過ちを認めて謝罪するという前代未聞の行動は、人種間の深い断絶に苦しむアメリカにおいて、希望の光として受け止められたのだ。
ケレク大統領のこれらの活動は国際社会から高く評価され、特に米国から数々の名誉ある賞が贈られた(表1)。
これらの受賞は、ベナンの和解モデルが、単なるアフリカの問題ではなく、全人類にとって普遍的な価値を持つと認められたことの証である。ベナンの経験は、他の紛争地域にも応用可能な、普遍的かつ強力な教訓を提示している。
リーダーシップの重要性:ベナン・モデルは、このような国家的変革の触媒が、道義的責務のために政治的リスクを厭わない、断固たるリーダーシップであることを示している。ケレク大統領の行動は、指導者の決断がいかにして国民の意識を変え、歴史を動かす力を持つかを証明した。
「精神的発展」と経済発展の連動:歴史的不正義や道徳的問題を未解決のまま放置することが、国家の停滞の根源となりうる。過去の過ちを清算し、国民の尊厳と誇りを回復することこそが、持続可能な国家発展の強固な精神的基盤を構築するという視点が不可欠である。
明確な原則の力:「事実の確認」「過ちの承認」「相互の赦し」という具体的で段階的な原則は、ともすれば感情論に陥りがちな和解のプロセスに、明確な道筋を与える。この論理的なフレームワークが、複雑に絡み合った対立を乗り越え、建設的な対話と真の和解を可能にする。
これらの教訓は、現代世界が直面する民族、宗教、イデオロギーをめぐる様々な分断や対立を乗り越えるための、極めて重要なヒントとなるだろう。
結論:歴史の克服から未来の創造へ
ベナン共和国は、大西洋奴隷貿易の中心地という極めて重い負の遺産を、国家的謝罪と国民和解という真摯なプロセスを通じて、世界の平和構築における輝かしいモデルへと昇華させた。その軌跡は、歴史の最も暗い側面からでも、希望と再生の物語を紡ぎ出すことが可能であることを証明している。
マチュー・ケレク大統領の類稀なリーダーシップと、コトヌー会議で確立された「和解と発展の三原則」は、歴史の真実と正面から向き合い、相互の赦しを通じて憎しみの連鎖を断ち切ることの普遍的な価値を世界に示した。ベナンのケーススタディは、過去の過ちを清算する誠実な努力こそが、対立を乗り越え、より公正で平和な未来を創造するための最も強固な土台となることを、私たちに力強く教えている。
かつて奴隷たちが二度と帰れぬ旅へと送り出された場所に建てられた「帰らざる門」。その門が、国家の意志によって「帰還の門」へと改名された象徴的な出来事は、私たちの心に深く刻まれている。これは、過去の取り返しのつかない悲劇を、未来への希望と癒しへと転換する、人間の精神の偉大な力を示している。絶望の象徴を、希望の象徴へと変えることは可能なのだ。
ベナンの経験が私たちに与えてくれるのは、いかなる深い分断や歴史的な対立も、真実を認め、心から謝罪し、そして赦し合う勇気を持つことで、必ず乗り越えられるという、普遍的な希望のメッセージである。このベナンの遺産を胸に、私たち一人ひとりが、自らの社会、そして世界において、和解の担い手となることを心から願っている。
(本稿は、2025年11月6日にIPPが『ベナン発 和解から平和へ』の著者に行ったインタビューをもとにまとめたものである。同書は2023年1月に国立国会図書館に収蔵され、CiNiiにも登録されている。参照:https://ci.nii.ac.jp/ncid/BD04750234)
参考文献
エマニュエル・ベベニョン(2022)『ベナン発 和解から平和へ―親善大使の軌跡と若い運動発展への記述―』 万代宝書房。


