はじめに
冷戦が終焉し、時代が21世紀に入った頃から、世界ではCRINKと呼ばれる中露やイラン、北朝鮮といった権威主義国家が影響力を強めるようになり、さらにグローバルサウスと呼ばれる新興国の中でもCRNKと同様の権威主義的な政権が増えている。
また民主政を採る国家にあっても、ポピュリズムをバックに排外的な極右政党や権威主義的な政治手法を採る政治指導者が登場するようになった。米国では行政権限を著しく拡大、突出せるトランプ大統領の政治手法が権力のチェック・アンド・バランスを旨とする三権分立の制度を歪めている、あるいは彼の発言や振る舞いそのものが権威主義的であるといった批判が呈されている。
さらには合意の形成プロセスを重視する民主的手続や官僚制度の存在を非効率として否定し、政策決定の速さや効率性を重視する観点から、独裁者や企業経営者のようなトップダウンで物事を決めていく政治スタイルを理想とする思想が力を得つつある。
前回、近年のこうした政治における権威主義化の潮流を取り上げた。権威主義台頭の動きは民主主義にとっての重大な脅威であり、民主的な政治のシステムが危機に晒されることが懸念される。では、そのような危険を回避し、民主主義を守るためにはどう対処すればいいのだろうか。
1.民主国家米国に潜む独裁の危険性:トクヴィルの主張
ミシガン大学のダン・スレーター教授は、権威主義の新たな類型として、選挙で選ばれた指導者や政党が選挙後に法を無視し思うままの行動をとる「非自由主義的民主主義」のスタイルを指摘し、米国のトランプ大統領にも「非自由主義的民主主義」の傾向があるとしている。
世界における民主主義国家の象徴ともいえる米国であるが、古代ギリシャの哲学者プラトンは2400年も前に「民主政は僭主政に行き着く」と予言している。また建国以来民主政を貫いてきた米国でさえ、独裁の政治に陥ってしまう危険が常に潜んでいることを指摘し、警鐘を鳴らした人物がいる。19世紀半ば、米国を視察したフランスの政治家アレクシス・ド・トクヴィルである(図表1参照)。
トクヴィルは、民主主義の基本的な価値観を「平等」とみる。各人の諸条件が平等になれば、社会の固定的な障壁は取り払われ、人間関係は流動的になる。人々は孤独に耐えられず、自分を導いてくれるものを探し求める。そこで拠り所となり易いのは多数者の声、つまり「世論」であり、人は世論に同調することで自身の存在証明を手にする。トクヴィルは、このような同調圧力による多数派支配の民主政治を「多数者の専制」と呼んだ。世論に左右される政治が、「多数者の専制」である(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』)。
世論が正しいかどうかは関係ない。世論が間違っていると異を唱える少数派は、意見を聞いてもらえず、多数者から排除され、社会から孤立する。それが怖いため人は多数者の声である世論に従う。民主主義の根本的なリスクとして、「多数派が少数派を抑圧する危険性」を指摘したトクヴィルは、「多数決は正義とは限らない」とし、以下のように警告している。
「民主主義の最大の問題は、多数派の意見が絶対視され、異なる意見が封殺されることである」
民主政治における「多数者の専制」は、物理的な暴力を行使するのではなく、少数派を精神的に追い込むことで、黙らせるのだ。
では、民主政が専制や独裁に陥らぬようにするにはどうすればよいのか。この問題について、トクヴィルは一つのヒントを示している。彼は、多数者への同調圧力によって民主主義が独裁へと転じる危険のあることを指摘したが、その一方で、現実の米国社会ではなお民主政が堅持されているとした。
その理由としてトクヴィルは、米国社会の特徴をなしている住民が参加運営する地方自治の制度や、豊かなローカルコミュニティが存在しているからだと分析し、そうした制度がこの国の独裁化を防いでいるとして、それらを高く評価する。地方自治やコミュニティは、国と個人の間に位置するいわば「中間集団」である。ではなぜ中間集団の存在が独裁を防ぐうえで効果的なのだろうか。
2.大衆社会における孤立と同調圧力
18〜19世紀の西欧諸国では、財産と教養を備えた特権的ブルジョワジ−が政治の主体であった (近代市民社会)。しかし20世紀に入ると普通選挙制度が導入され、過去に政治参加の機会が与えられなかった一般大衆も政治過程に組み込まれ、大きな影響力を及ぼすようになった(「市民社会」から「大衆社会」への変化)。
「市民」と「大衆」は、全く異なる概念である。近代市民社会における「市民」とは、自律性を備え公共の問題に積極的に関わる自由で平等な人々を指す。これに対し「大衆」とは、他律的で公共の問題に無関心で受動的な人々を意味する。構成員の大多数を大衆が占める社会が、「大衆社会」である。
ディビッド・リースマンによれば、産業革命後、人々は職を求めて都市に移り住むようになった。しかし都市での生活は孤独であり、農村に見られた共同体としての強い絆が失われ、人間関係が疎遠化し、人はバラバラな原子となる。そのうえ経済状況は不安定で、人々の不安や孤独感は一層深まる。このような状況を彼は「人間の原子化」と呼ぶ(図表2参照)。
そして大衆社会では、自分自身の中に絶対的な羅針盤を持ち独立独歩で生きる「内部指向型」の人間は姿を消し、周囲の平均的な人々を手本とし、自らの行動をそれにあわせることで精神的な安定を得ようとする「他人指向型」の人間が増えると指摘した。リースマンは、個性と主体性を失い、都市の中で何の繋がりもなく孤立しながら群れ集まって生きる現代の人々を「孤独な群衆」と呼んだ。
都市で暮らす人々は一見自由で開放的な生活を満喫しているように見えるが、その内面では寂しさや孤独感に苛まれていることが多い。群衆と喧騒に取り囲まれているがゆえに、その巨大な大衆の中における自身の位置が定まらず、また自身と群衆との間に謂い難い断絶や隔絶があるのだ。つまり大衆社会において人々は孤独に陥り、あるいは孤立化しやすいものなのだ。
そのため人々はそのような境遇から逃れようと、社会との繋がりを求め、社会の動きや潮流と自らを同調させることによって、社会における自らの位置を確認しようとする。その際、声の大きい側、勇ましいことを主張する側、そして何よりも多数者の側につき、その動きに繋がることで安心感を得ようとする。
第一次世界大戦後、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法を立ち上げたドイツが、やがてナチスの独裁を許すようになっていく。なぜそのような矛盾が生じたのか。それは、孤立し孤独化する大衆が多数者への同調圧力に屈し、挙ってナチスに傾倒することで自らの精神的安定を得たからだといわれる。
ナチスを支持したドイツ国民を分析したエーリッヒ・フロムによれば、近代人は中世社会の封建的拘束から解放され自由を獲得したが、孤独感や無力感に晒されることにもなった。彼らはこれに耐えきれず「自由からの逃走」を開始し、サド・マゾ的な傾向を持つ権威主義的パーソナリティを形成すると指摘した(図表3参照)。ファシズムの信奉者たちが、ヒトラーという権威に盲従する一方、自分より劣った者と捉えるユダヤ人を虐待し、自らの劣等感を解消しようとする心理状態は、このパーソナリティの現れと解釈する(エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』))。
3.多元的社会の構築
それゆえ、権威主義や独裁の政治を防ぐには、大衆を構成する一人一人が社会の中で孤立、孤独に陥ることを防ぎ、同調圧力に屈し多数者に従属する事態を生まぬようにすることが必要だ。
孤立・孤独化を防ぐ手っ取り早い方法は、職場と家庭、学校と家庭を往復するだけの生活を改め、多くの友達や信頼できる知人、先輩等を持つこと、そしてその人たちと交わる時間を長くとり、日々の会話や意見交換を重ねたり、趣味のサークルや同好会、クラブなどに積極的に参加することだ。様々な人々が集う社会活動の場に身を投じ、多様な社会の風に触れることで、モノの見方が複眼的となり、多数者への安易な同調、追随を防げることが可能になる。
政治学の視点からこのアプローチの効用を説いたのがウィリアム・コーンハウザーである。コーンハウザーは『大衆社会と政治』のなかで、大衆社会では大衆がエリートに影響を及ぼしやすく、また一部にせよ大衆の中からエリートが出てくる(エリートへの接近可能性)こと、それと同時に、大衆がエリートによって操作される可能性(非エリートの操作可能性)も高いことに着目した。そして「エリートへの接近可能性」と「非エリートの操作可能性」という二つの基準から、「共同体社会」「大衆社会」「全体主義社会」「多元的社会」という四つの社会類型を設定した。
前近代の「共同体社会」では、エリートの地位は世襲で決まるため接近可能性は低く、また地縁血縁の人間関係が濃密で外部からの影響を受けにくく、操作可能性も低くなる。しかし、近代化に伴い「共同体社会」が崩壊すると、以下の三つのタイプの社会が登場する。まず接近可能性も操作可能性もともに高いのが「大衆社会」である。大衆社会では、原子化された個々人は剥き出しの状態で社会に晒され、孤立感と疎外感に襲われ精神的に不安定となるため、エリートの操作を受け入れやすくなる。
このような状況から、ファシズムや社会主義勢力が台頭する「全体主義社会」が生まれる。全体主義が確立した社会では、エリートの地位が独占固定化されるので、接近可能性は低くなる。ナチスドイツや旧ソ連・中国のような社会主義国家や権威主義国家がこれに該当する。
さらにコーンハウザーは、民主社会が安定する「多元的社会」を設定した。企業、労組、教会等自律的で限定的(非包括的)な社会集団(中間集団)が多元的に存在し、個々人がそうした集団に複数所属している社会においては、中間集団がなく個々人が原子化される大衆社会とは異なり、人々は中間集団と結びついていることによってエリートに操作されにくくなると論じた。コーンハウザーの考えは、民主社会における多元的集団の意義を強調したもので、社会的多元的主義とも呼ばれる。
大衆が多数に押し流されたり、同調圧力に屈して独裁者に洗脳、操作される危険を防ぐには、ボランティア活動やNPO、町内サークル等々様々な社会集団(中間集団)に積極的に加わり、多様な意見のやり取りを重ねることが出来る多元的な社会作りが重要になる。
4.米国社会の変質
トクヴィルは、米社会における豊かな中間集団の存在が多数派への同調の圧力を減殺し、政治の独裁化を防いでいるとした。それから二百年が経過した現在の米国について、スレーター教授は権威主義が芽生えていると指摘している。米国の中間集団あるいは中間集団を取り巻く環境に何か変化や変質が起きたのだろうか。
ハーバード大学のロバート・D・パットナム教授が著した『孤独なボウリング』は、今日の米国の中間集団の現状を描き出している(図表4参照)。パットナムは中間集団を学問的に「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル)と定義し、米国における「社会関係資本」が衰退していることに警鐘を発した。

「社会関係資本」とは、市民が自発的にコミュニティを形成、あるいは参加し、金銭的・物質的な見返りを求めることなく活動する社会的絆を指す。経済行為に関わる「物的資本」や主に高等教育に関わる「人的資本」とともに、「社会関係資本」は豊かな社会づくりには不可欠の財であり、宗教団体や労働関連組織からPTAや社交クラブといったものまで社会の隅々に根を張り巡らし、地域コミュニティを支えてきた。
しかし近年、米国では教会に行く人の割合や労働組合の組織率が低下し、選挙の投票率も下がっており、またボランティア活動などが沈滞化する傾向にある。これは、仲間同士の交流、つまり社会関係資本が失われているということを意味する。その象徴として、本来は大勢が集い楽しむスポーツであるボウリング競技がいまや自分一人だけで楽しむ個人の孤独なスポーツ、即ち「孤独なボウリング」へと変質しているとパットナムは指摘する。
なぜ米国は社会関係資本、つまり中間集団を失ったのか。パットナムは①時間的・経済的圧力(共稼ぎ夫婦の増加など)②生活の郊外化(通勤時間や都市の拡大)③電子的娯楽の発達(テレビによる余暇の個人化)、それに④世代交代(市民活動への参加に積極的な世代から消極的な世代への交代)の四つの原因を指摘するが、その中で最も影響が大きいのが世代交代に拠るものと分析している。
後でも触れるように、いまの若い世代はSNS(ソーシャルネットサービス)に傾斜し、人と対面しての対話を厭う傾向が強まっている。そのためあまり教会にも行かず、地域の活動にも参加しないようになり、建国以来の共同体が崩れていることをパットナムは危惧する。米国の社会は現在、格差の拡大や多様性、移民問題などで分断と対立が顕著になっているが、その一方で社会関係資本が衰退に向かっているということだ。
社会関係資本とは、要するに自分たちのコミュニティや個人の環境を改善するために協力し合うことを可能にするような信頼や規範、ネットワーク、簡単にいえばコミュニティ内の人間同士の触れ合いや信頼関係のことで、民主主義にとって極めて重要なものだ。
社会関係資本が衰退するということは、中間集団が衰退するということでもある。人と人の多様な接触機会が低下すれば対話と交流の場が失われ、分断対立の傾向を是正緩和することが期待出来ず、ひいては権威主義の台頭を阻むことも難しくなる。このような現象は米国だけに留まらず、他の民主国家でも同様の傾向が生まれている可能性が高い。
5.分断是正のための政治
グローバル化の進展による経済格差の拡大で、社会のボリュームゾーンを構成していた中間層が崩壊し、没落した労働者らは政治の現状に強い不満を抱く。また勝ち組である富裕層や高学歴なエリート層を敵視し、社会の対立や分断も強まっていく。ポピュリズムに依拠し、こうした底辺層の怒りのエネルギーをくみ取ることで、反グローバリゼーションや反エスタブリッシュメントを標榜する極右や保守新党が政治の実権を握り、権威主義的な政治に途を開くケースが世界に広がっている。冷戦後に勢いを得たグローバル化の進展が、皮肉にも権威主義政治を生み出す温床となっているのだ。
しかも、米国では政治の独裁を防ぐ役割を果たしていたとされる中間集団が衰退している。その結果、権威主義政治が蔓延る危険は益々高まっている。かといって国際交流やグローバル化の流れを簡単に遮断、阻止することも出来ない。ではこうした現状を是正し、政治の権威主義化を防ぐにはどのような政策が求められるのだろうか。
本稿では、①中間集団の再活性化を促すための市民社会の強化②民主制度の強靭化、それに③社会経済的格差の是正による中間層の復活という大きく分けて三つの政策を提示してみたい。
5−1 市民社会の強化:市民参加の促進、 民主的市民教育の推進:
権威主義の脅威から民主主義を守るためには、中間集団(社会関係資本)の復活が不可欠で、そのためには市民の活動を活発化させるなど市民社会を強化する必要がある。それには中間集団、つまり市民が形作る様々な社会組織を支援することや、市民・組織間の連帯と信頼の醸成を図ること、また市民の政治参加を促すこと、さらには市民に対する民主教育の強化などの施策が含まれる。
活発な市民社会は、政府の監視役として機能し、多様な意見を反映する場を提供する。市民の政治参加と民主的価値観へのコミットメントは、権威主義的傾向に対する社会の免疫力を高める上で不可欠である。
市民社会組織の支援
NGOなどの活動の自由を保障し、財政的・法的支援を提供する。中間集団としてのNGOや市民団体は、政府の監視、人権擁護、独立した情報提供など民主主義において重要な役割を果たす。これらの組織が活動できる「スペース」が権威主義体制によって制限される傾向にある中で、その活動を保護支援する必要が高まっている。
市民組織・市民間の連帯と信頼醸成
トクヴィルは、民主主義が進展すると、人々は「自分の利益だけを追求する個人主義に陥る可能性がある」と述べている。彼は、市民同士の連帯や共同体意識を持つことが、健全な民主主義の維持には不可欠だと考えた。そうした連帯や信頼感、共同体意識の醸成が市民社会の纏まりや一体性をもたらし、市民社会を強化することに繋がる。
市民の政治的関与の促進
市民参加型の政策決定プロセスを制度化し、国民の政治への関与を促進する。そのためには市民が自身の憲法上の権利と責任を理解し、民主主義プロセスに積極的に参加するよう促すための啓蒙教育や広報活動、機会の提供が必要になる。
市民に対する民主教育
学校教育において、民主主義の価値、市民の権利と責任、多様な意見を尊重する対話の重要性を体系的に教える。若者を含む国民全体に、批判的思考、市民的参加の重要性、民主的価値観を教える教育は、長期的な民主主義のレジリエンスを築く上で不可欠である。
これは、ポピュリズムや権威主義的プロパガンダに対する社会の免疫力を高める基盤となる。現代の権威主義は、選挙制度を維持しつつも内部から民主主義の質を蝕んでいく「穏やかな権威主義化」の様相を呈しており、市民一人ひとりが民主主義の価値を認識し、その維持のために行動すること、そして民主主義国家間の国際的な連携を深めることがこれまで以上に重要になっている。
民主主義のレジリエンスは、市民自身の政治へのコミットメントと参加に依存する。活発な市民社会は権威主義的傾向に対する最も強力な防波堤となり得る。草の根レベルでの民主主義の擁護と、市民が自らの権利と責任を理解し、行使するための支援が、長期的な民主主義の健全性を支えるのだ。
5−2民主制度の強靭化
ジョンズ・ホプキンス大学の准教授のヤシャ・モンクは「非民主的ポピュリズム」を主要な脅威としている。ポピュリスト指導者は「人民の意志」を代表すると主張し、この委任を利用して自由主義的制度を迂回または解体する。これは、人民主権と自由主義的立憲主義の間に緊張を生み出し、選挙は存続するものの、抑制と均衡、少数者の権利、法の支配が侵食される「民主主義の空洞化」に行きつく。
国民投票 をポピュリストが立法プロセスを迂回するために利用する事例は、このメカニズムの典型的な例である。ポピュリズムは、社会の二極化を利用し、既存の制度に対する不信感を煽ることで勢力を拡大させるのだ。
もっともモンク氏は、「ポピュリズムが民主主義を脅かしている」のではなく、その逆で、「民主主義が信頼を失っているから、ポピュリズムがのさばるのだ」とも語っている。ポピュリズムを抑え、政治の権威主義化を防ぐには民主主義制度を強靭化しその信頼性を高めることが重要であり、そのためには以下のような施策が必要となる。
制度的強化と規範の再確認
立法府の透明性と監視機能の強化: 立法手続きの現代化や、政府の権限濫用・議事妨害を防ぐための改革。
司法の独立性の確保:司法の独立性を法的に明文化することや、裁判官の任命プロセスにおける政治的介入を排除すること
選挙制度の監視と説明責任の強化:不正選挙を防ぎ、公正な選挙を保障するための監視体制の強化
立法府の監視機能を強化し、行政府の権力集中を抑制するメカニズムを再活性化することや、司法の独立性を憲法上および実質的に保障し、裁判官の任命プロセスから政治的影響を排除すること、さらに選挙管理機関の独立性を確保し、選挙制度の公正性を厳格に維持することは、三権分立のチェック・アンド・バランスの機能を維持させるために必要である。強固で独立した制度は、ポピュリスト指導者による権力乱用や民主主義の空洞化に対する最も効果的な防波堤となる。
国際協力と法の支配の徹底
権威主義の脅威は国境を越えるため、民主主義国家が連携して行動することが不可欠だ。国際的な規範と圧力は、権威主義的行動を抑止する上で一定の役割を果たす。民主主義国家間の多国間協議(例:民主主義サミットの開催)を継続・強化し、民主主義防衛のための共通戦略を策定することや、普遍的な国際秩序としての人権擁護や法の支配の原則を擁護し、これらを侵害する権威主義体制に対し、協調的な外交的圧力やターゲットを絞った制裁を適用すること、また民主主義への移行を支援する国際機関やNGOへの支援を強化する必要もある。
5−3 社会経済的格差の是正と中間層の復活
ダロン・アセモグルと ジェイムズ A ロビンソンはその著書『国家はなぜ衰退するのか』の中で、政治権力を広範に分散させ、経済参加の機会を創出すれば長期的な繁栄と民主的安定を促進する。対照的に、権力と富を少数の手に集中させれば、停滞としばしば権威主義的支配に通じるとし、経済的な不平等や不満、広範な経済的機会の欠如が、ポピュリズムの温床となり、それが民主的規範の軽視へとつながる可能性を示している(図表5参照)。
即ち、社会経済的な格差を是正し、より包括的な経済システムを構築することは、民主主義の基盤を強化するための重要な施策となる。それは中間層の復活を目指すものでもある。
豊かな中間層が民主主義と社会の安定に果たす役割は大きい。歴史的に見ても、大規模で安定した中間層は、効果的な民主主義国家を構築し維持するための強固な基盤となると考えられている。中間層の衰退は、消費社会の崩壊や政治的不安定化を招き、社会の流動性を低下させるが、反対に強い中間層を持つ社会は、犯罪率が低く、信頼度と生活満足度が高く、政治的安定と良好なガバナンスを享受するとされている 。以下、中間層を強化し社会の分断を是正するための具体的な政策を挙げる。
経済政策
中間所得層向け産業へのインセンティブ付与:経済開発のインセンティブを、高賃金産業やクリエイティブ産業ではなく、中間所得層や労働者階級の産業に重点的に振り向ける。
中小企業(MSMEs)の支援:世界の雇用の70%以上を占める中小企業(MSMEs)に産業政策のツールを向けることで、雇用創出と経済的包摂を促進できる 。生産性の高い潜在力を持つ企業を特定し、成長の制約に対処するためのカスタマイズされた支援を提供することが重要となる。
労働市場政策の強化:低失業率の維持や 労働組合の強化、さらに 職業訓練、求職支援、賃金補助、自営業者支援など、労働者のスキル向上や雇用機会の創出を目的とした積極的労働市場政策(ALMPs)は、中間層の雇用と所得を改善する効果がある。
財政政策
所得再配分(富の再配分)で中間層の復活をめざす。格差を是正し、民衆の資本主義への進化を実現するには、中間層により大きな金融資産の保有を促す税インセンティブを与え、超富裕層の相続税を引き上げ、公教育の質を改善し、選挙キャンペーンを公的資金でカバーできるようにしなければならない。
累進課税の強化:所得税の累進性を高めることは、所得再分配を促進し、中間層や低所得層の税負担を軽減する上で重要だ。高所得者層からより多くの税金を徴収することで、公共サービスや社会保障制度の財源を確保し、中間層の生活水準を向上させることができる。
資産・相続税の強化:資本、財産、相続に対する課税を強化することで、中間層の税負 担を軽減し、富の集中を是正する。
社会保障制度の充実:失業、障害、病気による所得損失から個人を保護する社会保険制度への公的支出を増やすことは、中間層の経済的安定に不可欠だ。
社会政策
教育への投資と生涯学習の促進:幼稚園から高等教育まで、質の高い教育へのアクセスを改善することは、中間層の成長と経済的流動性を高める上で極めて重要である。特にコミュニティカレッジや業界との連携を通じた職業訓練プログラムは、労働者が迅速にスキルを向上させ、中間層への道を開く有望な手段となる。
なかでも技術の進歩により、中間所得層の労働者に求められるスキルは高度化しており、高スキル職の割合が増加している。これに対応するにはデジタルリテラシーの向上を図り、創造性や批判的思考の育成など労働者がAIや機械化された競争相手と差別化できるスキルを習得できるようにすることが重要だ。
手頃な価格の住宅政策:住宅費の高騰は、中間層の生活を圧迫する大きな要因であり、中間所得層向けの住宅供給を増やすための政策は、中間層の経済的安定に貢献する。
6.情報空間の健全性確保:高まるSNSの重要性と危険性
SNSやインターネットが政治に大きな影響を与えている。2010年から12年に北アフリカ・中東で起きた「アラブの春」はその嚆矢といえる。イエメンやエジプトなどの長期独裁政権が、民衆の大規模な反政府デモで短期間で相次ぎ倒れた事件だ。普及したスマホなどを武器に、多くの市民が権力者の横暴の実態やそれに抗議するデモ開催の情報などを瞬時に拡散させ、巨大な革命のエネルギーを生んだといわれている。
その後、各国の民主化へのプロセスは遅滞し(「アラブの冬」)、SNSは既存秩序を破壊しても新たな体制構築の力に欠けるとも評された。
一方、SNSを大統領選に活用することでトランプ氏は本命のヒラリー候補を倒し(2016年)、昨年は再選復活も果たした。民主的な政治手続きが整った国では、SNSは破壊だけでなく、新たなリーダーの登場を可能にする道具でもあるのだ。
トランプ氏の場合は、大手メディアが民主党寄りのリベラル左派系で占められる中、行き過ぎたポリティカルコレクトネスや、エリート、金満家が蔓延る民主党の内情に嫌気がさした国民がトランプ氏を押し上げた。兵庫県では既存メディアの画一的な斎藤知事批判の報道に反発した市民が、SNSで別の蔡藤像を伝えたことが氏の知事復帰をもたらしたと言える。
SNSは為政者が市民に直接語りかけ、市民と為政者間のやり取りも可能なツールで、両者の間に介在して成り立つ既存メディアの存在感を減殺させた。だがSNSはインターネットと同様、膨大な情報を安価に入手できる半面、虚偽や作為など悪質な情報も多い。ポピュリズム政治の時代、その弊害は無視できない。SNSに我々は如何に対応すればいいのか
6−1デジタル権威主義への対抗:
デジタル技術が情報操作や監視に利用されるのを防ぐため、技術の適切な管理・規制体制の整備が急務だ。民主主義国家間での連携も重要になる。しかも近年のソーシャルメディアと人工知能(AI)の急速な進化は、偽情報の拡散と社会の二極化をさらに加速させる潜在的なリスクを抱えている。権威主義アクターは、これらの技術を悪用して民主的プロセスを妨害し、市民の信頼を損なう新たな方法を常に模索している。これに対する効果的な規制やプラットフォーム側の責任、そして市民のデジタルリテラシーの向上は、依然として大きな課題である。
6−2偽情報・ディスインフォメーションへの対策
民主国家が直面している脅威は多面的であり、国内における民主主義の崩壊(例:二極化、ポピュリズム、制度的浸食)だけでなく、外部からの権威主義的影響(例:偽情報キャンペーン、サイバー攻撃、経済的威圧)にも晒されている。権威主義国家は、偽情報キャンペーンやサイバー攻撃 を通じて民主主義を不安定化させようとしているからだ。
これに対抗するためには、ファクトチェック機関への支援を拡大し、偽情報の拡散メカニズムを解明・公開することや、ソーシャルメディアプラットフォーム事業者に対し、偽情報対策と透明性向上への責任を厳しく求める規制を検討する必要がある。デジタルツールを活用した透明性の向上は、市民が偽情報を見破る能力を高める有効な手段であり、プラットフォーム事業者による小まめなファクトチェック実施とユーザーへの情報提供は不可欠だ。偽情報の検閲・排除が早ければ、社会的混乱は回避できるからだ。
さらに国民のメディアリテラシー教育を義務教育段階から強化し、批判的思考能力を育成することなどが求められる。偽情報は社会の二極化を深め、民主的対話を阻害するため、その拡散を抑制することは、民主主義の健全性を保つ上で極めて重要である。官民一体の取り組み、さらに多国間の連携によって偽情報や謀略戦に立ち向かわねばならない。
6−3 情報ユーザーに問われる資質
情報の取捨選択
この問題を情報の受け手の立場から考えてみよう。人間の脳は膨大な情報を処理しきれずストレスが強まる。店で6種類のジャムと24種類のジャムを販売した場合、6種類だけ販売した方が売れ行きが良いという。選択肢が多過ぎると頭が混乱し、購入の決断が出来なくなるからだ。
それゆえインターネットやSNSなど玉石混交の膨大な情報を伝えるツールに対しては、情報を「集める」努力よりむしろ「捨てる」努力がより重要になっている。情報が希少だった時代には、少しでも多くの情報を集めることが善とされてきたが、情報過多時代の現在では、読み過ぎず、取り込み過ぎないネガティブリテラシーを向上させる必要がある。闇雲に捨てよというのではなく、情報に引き摺られ主体性を喪うなという趣旨だ。多様な情報に目配せしつつも自らの視座-視点を明確にし、収集目的を絞り込み不要な情報をスルーする、即ち「選び取れ」ということだ。
その際、質の高い情報に触れ、正確な知識と基礎学力、そして社会常識を身に着ける努力が求められる。正しい知識があれば偽情報に騙されることはない。紙媒体の図書や新聞など読書を通して質の高い情報に触れることだ。インターネットやSNSを扱うための基礎知識を持つことも大切であり、情報・メディアリテラシーを高めることは極めて重要な対処策だ。
問われる情報発信者の倫理意識
次に情報を発信する際の留意点は何か。アダム・スミスは『国富論』で、市場経済では「見えざる手」で富が平等に分配されると主張した一方、『道徳感情論』で、平等に分配されるためには道徳感情に根差した社会ルールが必要とも説いている。同様に、SNSなどデジタル技術の政治活用が進む中、倫理的な感情や行動が民主主義を守る基本ルールとして必要だ。
それは無責任かつ攻撃的で他者を誹謗中傷する書き込みを慎む克己心や倫理観の高さである。米国の政治学者ダニエル・ジブラットらも『民主主義の死に方』の中で寛容や自制心の重要性を説き、それを「民主主義を支えるガードレール」と名付けている。
また既述したように、SNSの発達で人と人との皮膚感覚の接触が希薄化し、ネットやスマホの情報に煽られ、のめりこむ人が増えている。しかも同じ意見の者としかやり取りせず、思考や立場を異にする人を排除し敵視する傾向が強まっている。そのような社会では対立と分断が進むばかりだ。その危険を回避するため、対面での対話の重要性や様々な人が集う中間集団の存在意義を再認識する必要がある。
宗教と倫理観
なお民主政を守るもう一つの装置として、トクヴィルが重視したのが宗教(キリスト教信仰)の存在だ。宗教は知性に健全な枠をはめ、民主政を道徳化することでその堕落や物質的な享楽を防ぐとトクヴィルは説き、逆に唯物論を敵視している。
偽情報や誹謗中傷が氾濫するSNSの弊害を防ぎ社会の分断対立を抑えるには、情報を発信する者に高い倫理感や克己心が必要だが、そのような健全な精神を支える力となるのも敬虔な宗教心であろう。
(2025年11月30日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)





