はじめに
ロシアに中国、イラン、それに北朝鮮が互いに連係し、結束を強めている。各国の頭文字をとってCRINKとも呼ばれるこの権威主義諸国からなるグループは、さらにG20やBRICS、上海協力機構などの枠組みを通してグローバルサウスと呼ばれるアフリカなどの途上国や新興国に接近し、その影響力を急速に強めている。自らの存在感を高めるとともに、世界の多極化を促すことで、米国を軸とする世界秩序に挑戦しようとしているのである。
一方、自由と民主主義を基調とする欧米世界においても、経済の格差拡大や雇用の悪化、移民問題への不満などから各国で相次ぎ右寄り保守の政権が誕生し、あるいは伝統的な穏健保守の政権を脅かす状況が生まれている。米国では昨年の大統領選挙に勝利し政権復帰を果たしたトランプ大統領による政治手法が、強権的でリベラルを敵視するものと批判を浴びており、欧州各国では反移民をスローガンに掲げ躍進した政党がメディから極右と警戒されている。
かように世界はいま強権的な権威主義が力を得て、民主主義が危機に瀕しているのではないかとの懸念の声が強まっている。そこで、権威主義が台頭するようになった背景や各国の現状などを眺めてみたい。
1.冷戦後世界と民主主義の危機
冷戦が終わりを告げた頃、「歴史の終焉論」が流行し、21世紀には民主主義が遍く世界の隅々にまでに普及すると信じられた。しかし現実には21世紀を迎えた頃から逆に「民主主義の危機」が少しずつ忍び寄ることになった。権威主義が力を得るようになったからだ。
政治体制は日本や米国に代表される「民主主義」と、中国やロシアに代表される「権威主義」に大別できる。民主主義とは、自由、公平、かつ競争的な選挙によって国の代表が選ばれる政治体制だ。一方、権威主義とは、自由、公平、かつ競争的な選挙が担保されていなかったり、世襲制や独裁制の下、選挙が行われず民意を無視した形で国の代表が選ばれる政治体制を言う。
民主主義や政治的自由、人権の擁護や監視活動を行っている米国の非営利組織であるフリーダム・ハウスは毎年、各国の自由度を①自由(Free)②一部自由(Partly Free)、③非自由(Not Free)の三段階に分け、評価している。それによれば、ソ連の崩壊以降、「自由」の国の数は増加する傾向にあったが、2005年の89か国が頂点で、2020年には82か国に減少。逆に「非自由」の国は 同期間に45か国から54か国に増加したという。またフリーダム・ハウスが2024年に発表した報告書では、世界の自由度が18年連続で低下しているという。これは、民主主義の規範と制度が持続的かつ体系的な浸食を受けていること示すものである。今や世界は民主主義が凋落し、権威主義が支配的になりつつあるということだ。
同様に、政府や民主主義の質を分析、研究しているスウェーデンの独立調査機関V—Dem研究所が2023年春に発表した年次報告書でも、世界の人々が享受できる民主主義の水準が、2023年は冷戦期の1985年以来の最低水準に逆戻りし、世界の人口の約72%が専制政治の下で生活しているという(図表1参照)。
ミシガン大学のダン・スレーター教授は、独裁や専制の統治スタイルを採る伝統的な権威主義だけでなく、新たな権威主義の類型として、形ばかりの選挙は行うが自由と公正さは担保されない「選挙権威主義」や、選挙で選ばれた指導者や政党が選挙後に法を無視し、思うままの行動をとる「非自由主義的民主主義」が増えているという。そして「選挙権威主義」の代表にロシアやカンボジア、「非自由主義的民主主義」にはフィリピンのドテルテ前政権を挙げ、米トランプ政権もこのタイプに近いとスレーター教授は指摘する。
「選挙権威主義」や「非自由主義的民主主義」は民主的プロセスを装いながら、法の支配、市民的自由、独立したメディアといった民主主義の自由主義的要素を体系的に弱体化させる。また権威主義と民主主義が混在するこのような「ハイブリッド体制」は、民主主義と専制主義の境界線を曖昧にし、脅威の特定と抵抗をより複雑にしている。
スイス公共放送協会の顧問でジャーナリストのブルーノ・カウフマン氏によると、最近の動きは「強権化の第3の波」とも呼ぶべきもので、軍事クーデターなど力による権力の奪取という従前型の手法ではなく、「やんわりと段階的に、ときに法改正によって進められる」点に特徴があるという。
権威主義が増加した背景には、中国が深く関わっている。冷戦期には経済の資本主義と政治の民主主義がセットとして理解されていた。だが中国が国家資本主義を採り、経済的に成功を収めた結果、政治を民主化させずとも資本主義を享受できると考える国が増えた。旧社会主義国やグローバルサウスに名を連ねるアフリカの軍事政権などがそうだ。民主的な手順を踏まない中国の迅速な政策決定が評価されたり、人権を無視した強圧的な隔離政策がコロナ災禍の対応で威力を発揮したことも影響していよう。
一方、民主国家においても権威主義的な政治の風潮が出始めている。冷戦後におけるグローバリズムの進展に伴い、①富者と貧者が二極分化し、それまでの中間層が崩壊し経済格差が急速に拡大したこと②国境障壁が低下し外国からの移民が急増したことにより、治安の悪化や失業した本国の労働者と移民の間で職の奪い合いが起き、移民の排除排斥を求める動きが急速に強まったこと、さらに③価値観の多様化によって世論の分裂や対立が激しくなったにもかかわらず、それを纏め国内の融和を促すだけの力が既成政党や既存の政権に無いことからなどが要因となり、国民の政治への不満が強まり、それを解消してくれる新たな、そして強い政治力を発揮する政党や指導者を待望するようになったのだ。
2016年の米大統領選挙期間中、米国民の不満に正面から向き合い「アメリカ・ファースト」(米国第一主義)を叫び、政治の世界をめざしたドナルド・トランプ氏の登場は、そうした傾向を示す典型的なケースと言える。2020年の大統領選挙戦では一敗地に塗れたが、トランプ氏は昨年の大統領選に勝利し、政権復活を果たした。ドイツやフランスなど欧州各国でも移民排斥をうたう極右勢力が伸長しており、我が国においても「日本人ファースト」を掲げる参政党が先の参議院選挙で一挙に支持を増やしたことは記憶に新しい。
こうした政治現象の強まりの背景には、メディアの多チャンネル化や報道における公平原則の撤廃、さらにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の急速な発達普及が関わっている。人々は自らの価値観や思考と合致したメディアのみを利用しがちとなり、その立場や考え方が社会の主流を形成し、世の中の人も皆自分と同じ意見の持ち主であるかのような錯覚に陥り易い。そして同じ意見を持つ者ばかりが集まり、逆に思考の異なる人間を排除、さらには敵視する傾向が生まれている。メディアの変化や新たな情報伝達媒体の登場が、意見の対立を加速助長しているのだ。
このような社会状況の下、既存の政治家にとって代わろうとする新たな政治指導者は、民主的な多数決原理を尊重するよりもポピュリズムの政治手法やナショナリズムを利用し、シンプルかつ過激な主張で大衆を煽り、あるいはその支持を得て自らの陣営に取り込んでいく。国内の分断を一つに纏め挙げようと努力するよりも、対立する一方の側に立ち、他方を厳しく糾弾し、意見の分断と対立のエネルギーを自らへの支持獲得の源にするのだ。
その結果、政治が自国中心主義に傾き、反移民・排外・反グローバリズムの傾向が強まるようになる。そして国際秩序よりも国家の利益や論理が優先される。古代ギリシャの哲学者プラトンは「民主政は僭主政に行き着く」と予言したが、民主政を採る国においても、社会や政治に対する人々の憤りの感情が極右政党やナショナリズムの台頭、さらに権威主義政治に途を開く危険があるといえる。
2.欧州における極右政党の台頭と中道政党の右傾化
2015年にシリアの内戦激化などで欧州に多くの難民が逃れてきた「難民危機」から10年が経過した。当初、難民の受け入れを選択した欧州諸国だが、膨大な流入者がもたらす不満から反移民・難民を掲げる保守や極右政党が各国で台頭し、いまや欧州統合の理念すらも揺らぎ出している。
難民危機に際し、当時のメルケル政権がシリア難民を90万人も受け容れるなどドイツは欧州において「寛容な受け入れ」を主導した国であった。ドイツは少子化時代の労働力の担い手として大量移民に期待を寄せてもいた。だが移民の急増に伴い治安が悪化、犯罪が多発するなど社会の不安が広がり、移民排除の世論が強まるようになった(図表2参照)。それをバックに、厳格な移民政策を掲げる「ドイツのための選択肢(AfD)」が高い支持を集めており、今年2月の総選挙では第2党に躍進している。

ドイツと同様、フランスでも世論調査では「これ以上移民を受け入れるべきではない」との回答が半分近くを占めており、そうした声に押される形でマリーヌ・ルペン氏やジョルダン・バルデラ氏が率いる極右の「国民連合(RN)」が伸長を見せ、政権を狙うまでに力を得ている。
冷戦後、東欧では民主化が進んだが、近年は権威主義勢力の台頭が目立っている。オーストリアでは、元ナチス党員らが創設し「極右」と称される自由党が昨年9月の総選挙で第1党になり、ポーランドでは今年6月、右派野党「法と正義(PiS)」が推す欧州連合(EU)懐疑派のナブロツキ氏が新大統領に選ばれ、親EUのトゥスク首相率いる政権との対立が懸念されている。自国最優先を掲げ、EUに批判的なハンガリーのオルバン首相はナブロツキ氏への支持を表明。自国第一主義を訴える欧州の右派勢力が勢いづけば、EUの運営やウクライナ支援にも影を落とす恐れがある。
さらにイタリア(メローニ首相率いる「イタリアの同胞」)やオランダ(ヘルト・ウィルダース氏を党首とする「自由党」)では反移民を掲げる右派政党が国会で第一党となり、インド、パキスタン、ネパールなどからの移民流入に直面しているポルトガルでも、保守右派とポピュリスト右派勢力を吸収した新興右翼ポピュリスト政党「シェーガ」が25年5月の議会選挙で躍進、野党第一党の座を獲得している(図表3参照)。

右派や極右政党の躍進に警戒感を強める中道政党においても、政策を右寄りにする動きが出ている。英国では欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)を主導した大衆迎合政治家、ナイジェル・ファラージ氏が率いる極右ポピュリスト政党「リフォームUK」(かつては英国独立党)の支持率が急伸。25年9月に行われた世論調査では、反グローバリズムを訴える右派の「リフォームUK」 の支持率(33%)が、労働党と保守党を合算した支持率(32%)を上回り、伝統的な保守党と労働党による2大政党制が終焉に向かう可能性も出てきた。
危機感をもった保守党は昨年11月の党首選で強硬保守派のケミ・ベーデノック氏を選出したほか、労働党のスターマー政権はこれまで原則として英国に5年間居住・就労すれば永住権を申請できたものを、10年間に延長するなど移民の永住権取得を困難にする制度改革を発表した。
ドイツでも、移民規制を強化する動きが進んでいる。今年5月、ドイツでは中道右派「キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)」と中道左派「社会民主党(SPD)」の連立政権が発足。2月の総選挙で首位になったCDU・CSUからフリードリヒ・メルツ氏が首相に就いた。メルツ政権は、国境検問の再開や難民申請者の入国を国境で拒否できる措置を導入するなど移民政策を厳格化させた。家族の呼び寄せを停止することで流入する難民の人数を抑制し、移民排斥を掲げて台頭する右派政党の躍進を食い止めることが狙いだ。
メルツ首相は、政府による移民取り締まりは「公共の安全を守る」ために不可欠だと強調した。7月には国内に滞在する一部の難民について、家族の呼び寄せを2年間停止する法案も成立させた。対象となるのは、国連難民条約上は保護の対象ではないが、人道上の理由で滞在が認められた難民で、シリア出身者ら約38万人に上るとされる。対象者は未成年者や健康上の理由など特別な事情がない限り家族を呼び寄せられなくなる。
移民の排斥や政権政党の政策右傾化の傾向に対し、多くのメディアは危険な兆候と警鐘を鳴らしている。しかし、急激な移民の流入で治安や経済が悪化したことに市民が耐えかね、不満を抱くのはいわば当然のことであり、単に右派や極右政党の躍進とレッテルを張り、警戒視したり批判するだけでは何ら問題の解決にはつながらない。権威主義的な政治手法が横行し、民主手続きがないがしろにされるようなことがあれば、それは重大な問題であり無視することはできないが、右寄り保守の政党が政治的実権を握ったことだけを以て、民主主義の危険と結び付けることは短絡に過ぎよう。移民を一挙に大量に受け入れるという極端な政策を採ってきた中道政権の政治判断の適否も改めて検討する必要があるのではないか。
3.トランプ氏のポピュリズム政治
米国ではトランプ氏が、グローバリズムの影響で職を失った人々や、貧富の格差拡大が進む米社会において中間層から下層へと没落していった白人労働者、さらに不法移民の増大に苛立ちを募らせる一般市民など現状に強い不満を抱く人たちに寄り添う姿勢を示し、彼らの支持を訴えるポピュリズム(大衆迎合主義)的な手法をとっている。
こういった人たちの多くは、これまではリベラルで弱者支援を掲げていた民主党の支持者であった。しかし、没落した白人層の救済に民主党が十分な手を差し伸べなかったこと、また民主党が高学歴高所得の一部特権階級が支配する政党に変質していったことから、白人低所得者層の民主党離れが進みつつあった。トランプ氏はその隙を巧みに利用し、自らもワシントンDCの中央政界に長く君臨する政治エスタブリッシュメントや高学歴のエリートなどを常に批判し、さらに彼らが米国を支配し牛耳っているとの陰謀論を用いて、米国社会の現状に不満を抱く人々との波長を合わせ、その支持獲得に成功したのである。
また民主党政権の下では、「Diversity」「Equity」「Inclusion」の頭文字をとった「DEI」と呼ばれる「多様性目標」が重視、強調された。年齢や性別、セクシャリティ(性的指向)、人種、国籍、民族、宗教などの違いにかかわらず、すべての人は最適な環境で生活する権利を持っているとして、等しく公平な扱いを為すべきとの政策が推し進められ、メディアもそれを強く支持し、後押しした。
しかし、行き過ぎた多様性肯定の政策になっているとしてこれに反感を覚える米国民も決して少なくない。トランプ氏は福音派に代表されるキリスト教保守の立場に立ち、DEIの是正を政策目標に掲げた。このアプローチも保守層の支持獲得に繋がったといえる。
元CIA職員のグレン・カール氏は次のような体験談を語っている。
「私はアイスクリーム店で「ジミーズ」を注文した。地元ボストンでは、チョコレートのトッピングを意味する言葉だ。ところが、人種差別だと非難された。この言葉には、白人にこびへつらう黒人の青年という意味もあるらしい。私はアイスクリームを買おうとしただけで人種差別主義者扱いされたわけだ。『こういうことがあるからトランプが選挙に勝つんだ』と、私は憤慨した。」
しかし、有力なメディアも終始DEI推進の立場を示し、それが社会進歩のあるべき姿の如くに報じてきたため、国民一人一人が行き過ぎたDEI批判を表立って批判することは難しい状況にある。SNSにその主張を書き込めばたちまち炎上し、リベラル派の人たちから激しいバッシングを受けるからだ。しかし、そのような人々は米社会における「サイレントマジョリティー」であり、彼等彼女等に代わってトランプ氏がDEI批判の言論を重ねたことによって、大方のメディアの予想を覆し、2016年の大統領選挙ではトランプ氏がヒラリー氏に勝利した。
つまり、民主党政権から見捨てられたと感じている人たちや、民主党のリベラルに傾斜し過ぎた政策に内心不満を持つ人たちを取り込むことによって、トランプ氏は大統領の座を勝ち取ったのだ。
2024年の大統領選挙でも、移民の大量流入で外国生まれの居住者の割合が1910年以降で最も高くなった米社会の現状やリベラル派によって声高に主張されるトランスジェンダーの権利擁護に批判的な市民、さらにサービス経済への移行や貿易のグローバル化によって没落した白人労働者層の反発がトランプ氏のまさかの大統領復帰を後押しした。それはまさに、国民の不平不満に根差したポピュリズム政治の勝利を意味するものといえよう。
そして政権復帰を果たしたトランプ氏は西欧諸国で台頭している右派や極右主義政権の指導者と同様に、ナショナリズムを前面に押し出し、偉大な米国の復活(MAGA:Make America Great Again)をスローガンに米一国主義を唱え、同盟国との関係よりも米国の利益や国益の実現を最優先課題に据えている。米国産業の復活、活性化のため貿易相手国に高関税政策を打ち出し、また同盟国に防衛費の増額を求め、要求を満たさない場合には、米軍の撤退やコミットメントの削減なども公言しては憚らない。
もっとも、このようなトランプ流のポピュリズム政治は、米国が誇る民主主義の伝統に反し、またこれまで米国が築き上げてきた開放的な自由貿易体制や国際秩序を破壊し、さらに米国と同盟国の関係を不安定にするとの強い批判が呈されている。
4.トランプ政治と行政権限の拡大
では第二期トランプ政権の発足後、どのような政治が行われてきたのか具体的に見ていこう。トランプ氏は大統領選での公約の早期実現を目指し、精力的に活動している。なかでも広範な行政権を主張し、強大な権力を行使している。その典型的な例が大統領令の乱発である。
トランプ氏は大統領就任から僅か3カ月間で130本の大統領令に署名している。これは戦後最多だったバイデン前政権の3倍を超える。さらに政権発足から半年の間に署名した大統領令は171本に上り、バイデン前大統領が4年間に署名した162を既に上回っている。その一方、連邦議会で成立した法律の数は最少で、政策を決める権限がホワイトハウスに集中する構図が鮮明になっている。
トランプ氏は大統領令を多用し、議会との調整を経ることなく次々とバイデン政権の政策を破棄し、あるいは覆すような措置を打ち出している。例えばバイデン政権は移民の流入には寛容であったが、トランプ氏は不法移民に対する大規模かつ強権的な摘発を行い、国外への排除追放措置を打ち出し、合法移民の要件も厳格化させている。
今年3月、トランプ政権は敵性外国人法の発動を布告し、「外国テロ組織」に指定するベネズエラの犯罪組織「トレン・デ・アラグア(TdA)」の構成員数百人を中米エルサルバドルの収容施設に移送した。首都ワシントンの連邦地裁はこれに先立ち、同法発動の適否について十分な検討が行われていないとして移送機に米国へ引き返すよう命じたが、政権側は移送を強行した。1798年制定の同法は、米国が外国と「戦争」状態にあるか、外国政府から「侵略」や「略奪的襲撃」を受けた場合、米国に在留する相手国の人間を令状なしで拘束したり強制退去させたりする権限を大統領に認めた法律で、戦時下の防諜態勢強化が立法の目的とされる。これまでに1812年の米英戦争、第一次大戦、第二次大戦で発動されたが、平時に適用された例はない。
連邦地裁のジェームズ・ボースバーグ判事は、ホワイトハウスが自身の差し止め命令を意図的に無視したと指摘。トランプ政権下の司法省に対し、ベネズエラ移民の送還を決行した理由を説明するよう厳しく命じた。だがトランプ政権は、行き過ぎているのは大統領ではなく司法だと反駁、それどころかトランプ大統領は最高裁に対し、連邦判事らが政権による全国的な措置に差し止め命令を出す権限を制限するよう求めた。
トランプ氏は国籍についての出生地主義も見直し、不法移民の子供などには国籍を与えないことを決めた大統領令を発出した。しかし出生地主義は合衆国憲法修正第14条第1節で定められたものであり、ニュージャージー州、マサチューセッツ州など22の州とサンフランシスコ市、ワシントンDCはトランプ政権の決定を憲法違反であり無効だとして訴訟を提起している。
またトランプ大統領はリベラルな風潮を強く批判し、今年1月20日の就任演説では「米政府の公式方針として、今日から性別は男女の二つのみとする」と宣言し、直ちに「生物学的な男女」のみを性別として認め、また大統領令や職場に多様な人材を登用する「DEI(多様性、公平性、包摂性)」政策を撤回する大統領令に署名した。
翌日には、米軍制服組トップで黒人のチャールズ・ブラウン統合参謀本部議長を突如解任、次いで女性初の海軍制服組トップに就いたリサ・フランチェッティ作戦部長の解任も発表された。異例の人事である。米国防総省は翌月、心と体の性が異なるトランスジェンダーの兵士らを原則除隊とする方針を示した。
さらに報道内容がリベラルに偏っているとして公共放送PBSや公共ラジオNPRへの資金拠出を打ち切り、事業の閉鎖に追い込んだ。リベラル化の流れのなかで米国の歴史がイデオロギーによって歪曲されてきたとして、スミソニアン博物館や国立公園に展示内容や掲示の見直しを求めたほか、学校教育の内容がリベラルに傾斜し過ぎているとして教育省の廃止を目指す大統領令にも署名した。
DEIの排除は官僚機構だけに留まらなかった。トランプ政権は、大学がリベラル勢力の巣窟になっていると批判、政権と同様に反DEI政策を採るよう圧力をかけ、選考過程で黒人など人種的マイノリティー(少数派)を優遇する「アファーマティブ・アクション」(差別是正措置)を採っていないか監視を強めている。また「反ユダヤ主義」対策を強化する大統領令に署名し、親パレスチナデモに対する規制の強化を各大学に求めている。
ハーバード大学には留学生の受け入れ認可を停止し、22億ドルの助成金や契約を凍結、また学生や教員の「反ユダヤ主義的な活動」の取り締まり強化などを大学当局に求めた。コロンビア大学に対しても4億ドルの助成金を取り消したほか、大学としての認定資格の基準を満たしていないとして、教育省が所管する委員会に通知したと発表した。同時にカリキュラムなどの見直しも大学に求めている。
そのほかにも、トランプ政権は大統領令を根拠に「政府効率化省(DOGE)」を立ち上げ、公務員の大量解雇や行政官庁の廃止、国際機関への援助停止などバイデン前政権とは逆の極端な政策を次々に打ち出している。公務員の大量解雇などは行政サービスの停滞を招いている。また米国が対外援助の大幅削減に踏み切ったことを奇貨として、中国がグローバルサウスなどへの支援を打ち出し国際的な影響力の拡大に動いていることも懸念材料だ。
裁判所は一連の措置についてその実行を阻む命令を下しているが、トランプ政権はそれに従わず、それどころか逆に反訴して司法と戦う姿勢を鮮明にしている(図表4参照)。強力な行政権限を行使することによって、民主党政権がもたらしたリベラルに傾斜し過ぎた米国社会の秩序を再構築したいとのトランプ氏の強い思いを窺うことができるが、議会や司法を無視した行動には強い批判が出ている。
5.歯止め役としての議会や司法の不活発
米国は、議会と行政部が連係協調する日本や英国のような議院内閣制とは異なり、徹底した三権分立システムを採っている。各州の権限が脅かされたり、独立を戦った英本国の国王のような強大な権限を持つ指導者が国家に君臨する事態を避けようとしたのだ。それゆえ議会と大統領は互いに独立した存在である。
大統領は軍隊の統帥権を持つ最高司令官であるが、宣戦布告と軍の招集権限は議会が持っている。また大統領は国家元首として国を代表する役割を果たすが、大統領の条約締結権威は議会の同意が必要とされる。さらに法律の制定や予算の策定は議会の権限であり、大統領には無い。米国の大統領は世界を牽引する大国のトップではあるが、その憲法上の権限は抑制的なものとされている。
だが、大統領就任後にトランプ氏が見せた行動や政治の手法に対して「憲法や言論に対する危機」、さらには民主国家である米国の大統領がロシア風の「選挙で選ばれた王」(トランプ氏のプーチン化)に変貌しつつあるなどと痛烈な批判の声が上がっている。確かにトランプ氏による米大統領権限の拡大は、米国の憲法秩序を揺るがす恐れがある。そしてそのような危機に対処するのが議会や司法の役割だ。
予算を通す権限を持つのは議会であり、大統領を監視する権限も議会にある。だが、議会上下両院は与党の共和党が支配している。共和党議員の中にも反トランプ派がいるが、トランプ氏の報復を恐れ、大統領に迎合的になっており、ブレーキをかけられずにいるのが実情だ。特に下院では首都ワシントンの地下鉄名を「トランプ・トレイン」にするとか、2026年の建国250周年を機にトランプ氏の肖像を入れた新250ドル札を発行するといったようなトランプ氏礼賛の法案提出の動きまである。今年7月にはフロリダ州議会が法案を可決、地元自治体の承認をへてフロリダ州にある自身の邸宅「マール・ア・ラーゴ」近くの幹線道路が「ドナルド・J・トランプ大統領大通り」に改名されている。こうした議会共和党関係者の節操のない大統領への対応や追従的な姿勢も問題視されて然るべきだろう。
共和党の「トランプ党」化が進む一方、野党・民主党は大統領選敗北のショックから立ち直れず、また中下層所得者の民主党離れも深刻で、早期の態勢挽回は厳しい状況にある。2026年の中間選挙で民主党が連邦議会選挙で勝利して、議会の監視が強化されるかどうかが当面の注目点だ。
一方、司法のチェックはどうか。行政権限の拡大を進めるトランプ氏の姿勢に対して、違法性を指摘する訴訟が頻発している。しかし、下級裁判所がトランプ政権の行政権濫用に歯止めをかけるような判断を下しても、トランプ氏に選ばれた保守派の判事が多数を占める連邦最高裁が大統領権限の拡大を容認する傾向にあるとメディアは批判し、トランプが2020年米大統領選の結果を覆そうとした容疑で起訴されていた裁判で、2024年、大統領在任中の公的な行為について「免責特権」を認める判断を下したのがその一例とする。
ここでも任命権者であるトランプ氏ばかりに非難が集中しているが、誰によって判事が選ばれようとも、選ばれた以上は政治に阿ることなく、司法官としての誇りと責任感を以て訴訟事案に臨む姿勢が連邦最高裁の判事らに求められよう。無論、合衆国憲法の精神を骨抜きにし、議会と司法を軽視して三権の上に立つ「帝王的大統領」のように振る舞うことがないようトランプ大統領の側に自制と自覚が求められることは言うまでもない。
6.トランプ氏に権威主義的指導者との批判
強いリーダーシップを発揮しようとするトランプ氏の政治が、独裁や権力乱用との批判を浴び、行政権の拡大と三権分立に歪を生み出している問題を指摘したが、先述したように、スレーター教授はトランプ米大統領の政治手法に権威主義的な側面があると指摘する。果たしてトランプ氏は権威主義的な政治家なのだろうか。
第一期政権当時、トランプ氏の首席補佐官を務めたジョン・ケリー氏は昨年の大統領選直前、米紙ニューヨーク・タイムズとのインタビューで、トランプ氏が先の大統領在任中、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーに仕えた将官の個人的忠誠心に言及し、羨望の念を繰り返し述べたと証言し、「ファシスト」の定義にトランプ氏が該当すると述べている。またケリー氏は2023年10月にCNNの番組に出演した際、トランプ氏について「米国の理念や米国とは何かについてまるで分かって」おらず「専制君主や残忍な独裁者を賛美し、米国の民主的な制度や憲法、法による統治に対しては軽蔑しか抱いていない人物だ」と酷評している。
トランプ氏と袂を分かった人物の評価であることに考慮が必要だが、ではトランプ氏自身の発言や行動はどうなのか。今年2月15日、 トランプ大統領は自らが設立した新しい交流サイト(SNS)「トゥルース・ソーシャル」に「国を救う者はいかなる法律も犯さない」と投稿した。この言葉は、1804年にナポレオン法典を制定し、その後、皇帝となったフランスのナポレオン・ボナパルトのものとされる。トランプ氏はSNSにナポレオンの絵を載せ、自身になぞらえてみせたのだ。
翌16日付のニューヨーク・タイムズ紙は「法律違反であっても、動機が国を救うことであれば問題ないと示唆する声明だ」と指摘、民主党議員からは「真の独裁者のようだ」と批判の声が上がった。トランプ氏によるナポレオン発言の引用は「大統領権限が立法府や司法府よりも優先されるべき」との考えに立ち、大統領の権限を拡大させていく意向を示したものと受け止められた。次いで2月19日、トランプ大統領はやはり「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、自らを指して「王様万歳」と書き込んだ。同日、ホワイトハウスの公式アカウントもX(旧ツイッター)に、王冠をかぶるトランプ氏のイラストを投稿している(図表5参照)。
合衆国憲法第1条9節は「いかなる貴族の称号も合衆国によって授与されてはならない」と明記している。もっとも国家が誕生して以来、民主主義の経験しかない歴史の浅い国柄であることから、米国民には欧州の各国で君臨していた国王や王室(ロイヤルファミリー)に憧れ敬慕する国民性がある。そのような社会的背景も意識し、強い指導者であることをアピールする狙いから、トランプ氏も軽々に自らの姿を国王に模したのであろうが、これはリベラル派にトランプ批判の口実を与えてしまうことになった。
さらにトランプ氏は5月に、自身をローマ教皇に模したような合成画像をソーシャルメディアに投稿した(図表6参照)。カトリックの最高指導者として尊敬を集める教皇を冒涜するものとの批判が出たが、トランプ氏は記者団に「次期教皇になりたいね」と冗談交じりに語っている。
続く6月にもトランプ氏の行動に批判が集まった。自らの79歳の誕生日に合わせて大規模な軍事パレードを首都ワシントン周辺で実施したのだ。当日は、米陸軍の創設250年の記念日でもあったが、首都での軍事パレードは湾岸戦争の勝利を記念してパパ・ブッシュ大統領が開催を決めた1991年以来、実に34年ぶりのこと(図表7参照)。高額な経費を要することなどを理由に、近年実施が見送られてきた経緯がある。今回のパレードで4500万ドル(約65億円)の費用がかかり、メディアや民主党系リベラル派からは公私混同や税金の無駄遣いとの批判が噴出、権力乱用や軍の政治利用だとして「ノー・キングス(王はいらない)」と抗議するデモも全米各地に広がった。同様のデモは10月にも全米50州の2700カ所以上で開かれ700万人近い人が参加し、第二期トランプ政権発足後、最大規模の抗議活動となった。
トランプ氏は既存の政治家のスタイルに囚われない大統領といえる。特にディールを多用するその手法はこれまでの大統領にはない特異なもので、いわば商人的な大統領と位置付けることも出来よう。そしてトランプ氏はビジネスの世界から政治の世界に移ったいまも、政治家らしい立ち居振る舞いや発言に務めようとせず、あくまで商人流のスタイルに固執している。だがスタイルや流儀の域を超えて、他者への誹謗中傷や粗野な行動、発言も目に付く。また中央政界のエスタブリッシュメントを敵視し、激しく攻撃を加えるとともに、民主党が進めてきた多様性重視の政治を全否定しているため、リベラルからは強い反発と反撃を蒙っている。
加えてトランプ氏にはナルシストの面がある。自身を大きな指導者と見せようと自己宣伝も非常に熱心だ。自らの力や政治の実績を誇大にアピールする癖があるのだ。それは中央の政界を牛耳っているベテラン政治家への反発、あるいは彼らに対するコンプレックスの裏返しでもあろう。そうした彼の個性や癖、精神構造が作用し、強く偉大な指導者と思わせるための手法として、自身を独裁者や専制主義者のイメージと重ね合わせようとしたがるのではなかろうか。
理由はどうあれ、政権担当後の彼の言動を振り返れば、大統領という極めて重い立場に就いている者として相応しからず、不適切あるいは許容し難いものが多々あったことは事実で、トランプ氏の発想や行動に権威主義的な側面が伴っていることは否めまい。そうした振る舞いがメディアやリベラル派にトランプ批判の絶好の口実を与えている面もある。
中露朝イランといった権威主義勢力と日米欧の民主主義諸国との対立や覇権争いが激しさを増すなか、世界における自由と民主主義の旗頭を自認してきた米国の大統領やその政治が権威主義に大きく傾くことは、自由や民主主義、人権といった普遍的価値観の擁護をめざす民主主義陣営にとって計り知れない打撃となり、逆に権威主義勢力を勢いづかせてしまう。さらに民主陣営内部の不和や分裂をも引き起こしかねず、まさに民主主義の危機である。
7.諫め役不在のトランプ政治
トランプ氏による権限の拡大濫用や権威主義的な振る舞いへの批判とは別に、自身に権力を集中させた結果、トランプ氏を諫める側近や重鎮が政権内部に不在であることも米国政治にとって大きな問題だ。政権一期目では、自らがワシントンでの政治経験を持たないことから、トランプ氏は政治や外交、軍事に精通した共和党系のベテラン政治家や官僚に頼った。しかし自身の思い通りに政治を進めようとするトランプ氏とその暴走を抑えようとする側近が激しく対立し、次々と幹部が政権を去るという事態に陥った。
だが再選を果たしたトランプ氏には、4年間ホワイトハウスを動かしてきた政治の実績があり、本人もそのことに自負心を抱いていることから、二期目においては自らの命令を忠実に執行するイエスマンばかりで周囲を固めた。そのためトランプ大統領と側近、閣僚の意見が対立する場面は影を潜めた。トランプ氏とイーロン・マスク氏との対立が表面化し、またウォルツ国家安全保障担当大統領補佐官が辞任に追い込まれるなど一部の例外はあったものの、政権一期目に比べれば幹部の変動や辞任は非常に少ない。
ただその反面、トランプ氏を諫める賢人は不在となり、大統領への権限集中が進む一方、ホワイトハウスや各省のトップはイエスマンの集合体となっており、トランプ氏のともすれば行き過ぎた政策に歯止めがかけられない危険が伴っている。それどころかイエスマン揃いの側近たちが互いにトランプ氏に対する忠勤競争を繰り広げている節もある。
第一期トランプ政権で国家安全保障担当の大統領補佐官だったが、途中で辞職したジョン・ボルトン氏は「トランプが二期目で政府高官に求めているのは、言いなりになるイエスマンとイエスウーマンだ。すでに公表されている閣僚指名候補者の面々を見ると、全員に共通するのは、ボスに対して躊躇なく『イエス』と言うことだ。皮肉なことに、それは長い目でみればトランプに良い結果をもたらさないし、米国にも悪い影響をもたらすだろう」と警告している。政府高官に「忠臣」をそろえ、上下両院の多数派を握る共和党や連邦最高裁判事の大半もトランプ氏に融和的。「ブレーキ役」不在の航海は米国政治の行方に危うさを孕んでいることは否定できない。
ちなみに昨年の大統領選で、黒人やヒスパニック系ら民主党の票田だったマイノリティーにも支持を広げたトランプ氏は「新たな多数派を築き上げ」「かつてない権限を付与された」と豪語した。しかるに新政権の顔触れを見ればイエスマンであると同時に、資産家や白人ばかりがずらりと並んでいる。“庶民の味方”というイメージには程遠い陣容なのだが、トランプ支持者はこれをどのように受け止めているのだろうか。
トランプ政権のいま一つの問題は、米国政治の伝統ともいえる反知性主義の傾向をさらに助長しかねない点だ。トランプ氏はポピュリズムを発揮しで労働者階級のエリート批判のエネルギーを取り込んで大統領再選を果たした。その過程で、ディープステイトとの闘いや陰謀論が幅を利かせるようになった。それもあってトランプ政治は大学やリベラルな価値観を持つエリートを攻撃、敵対する特徴が顕著だ。そしてエリートやエスタブリッシュメント(支配者層)を嫌悪するトランプ支持者も政権のアイビーリーグ叩きを歓迎している。
その結果、学問や研究の自由が脅かされており、トランプ政治は文化大革命のアメリカ版との指摘もある。また大学への攻撃を続けることで、海外から米国への留学を目指す有為な人材を遠ざける結果になっている。米国の国際的な信用や評価、さらには米国の国力そのものの低落を招くことが懸念される。
8.トランプ支持の動向
では、メディアが権威主義的で独裁者の如きと批判を続けるトランプ氏の政治に対し、米国民はどのように評価しているのか。米国の調査会社ギャラップが第二期政権発足から半年後の25年7月24日に発表した世論調査によると、トランプ大統領の支持率は37%で、政権発足直後の1月の47%から10ポイントの下落となり、第二次政権発足後最低となった。
これは第一次政権の最終盤の2021年1月に記録した34%に次ぐ低い値となった。特に無党派層からの支持が1月の46%から29%と大きく落ち込んだが、その一方、トランプ氏は与党・共和党の支持者からはなお89%の高い支持を得ている。
同じ時期、保守系の米FOXニュースが実施した世論調査でのトランプ支持率は46%とギャラップ調査より9ポイント高い。共和党支持層では88%が支持し、これはギャラップと同様の傾向。政治サイト「リアル・クリア・ポリティクス」が集計した支持率の平均は45.3%(7月24日時点)。発足当初の50.5%から低下しているものの、概ね45%超で推移している。ロイター・イプソスの世論調査でも、25年1月の47%より下がっているが、7、8月はともに40%と横ばいで安定している(図表8参照)。
世論が分裂している米国の現状では、トランプ政治に対する評価も大きく割れる。例えば不法移民の大規模な摘発や強制的な国外退去処分について、トランプ氏の支持層では、治安回復のための強い指導力として評価されるが、民主党支持者からは力による弾圧だと批判する。
そのようななかにあって、しかもメディアが連日トランプ氏に批判的な報道を繰り返しているにも拘わらず、支持率の落ち込みは緩やかだ。若干低落の傾向があるとはいえ、国民全体の4割強がトランプ氏を支持し続けているのだ。強権的で権威主義的な政治の手法や振舞を強く批判する勢力は存在するものの、MAGA派や共和党支持者からは高い支持を得ている事実は正しく受け止める必要があろう。トランプ氏は歴代の大統領と比べれば支持率は低いが、何があってもトランプ氏を支持する岩盤支持層が3割程度存在しており、今後も大崩れしづらいと言える。
米国では、トランプ派と反トランプ派に国論が完全に分裂した状態が続いている。無論好ましい状況ではないが、いずれもともに米国民の生の声である。メディアの多くはリベラルな民主党に近く、トランプ政権を鋭く批判する傾向が強いが、今の米国を正しく理解するには、先入観や偏見を持つことなく双方の主張やそのような意見が生まれる背景、社会事情を公平かつ冷静に見つめる必要がある。
9.民主主義を否定するテックライトの思想
トランプ大統領は、ワシントンを拠点とする中央政界を敵視し、また政府効率化省(DOGE)を立ち上げ、省庁の廃止や官僚の大幅削減に踏み切り、さらにリベラル派の牙城になっているとしてハーバード大学など権威ある大学への補助金を削減しているが、そのような彼の政策や政治手法を積極的に肯定-支持し、トランプ政権にも強い影響力を及ぼしている政治思想がいま米国で注目されている。
暗黒啓蒙 (Dark Enlightenment)あるいは新反動(Neoreaction)主義と呼ばれるものがそれだ。歴史は必然的により大きな自由と啓蒙へと進歩するという見解を否定し、従来の民主主義的な政治システムは既成権力層の利益に奉仕するだけで、しかも非効率的であるとしてその導入に真っ向から反対し、政治の効率化を重視する観点から民主主義よりも権威主義的な政府形態を支持する考えだ。
こうした考えを説くのは、シリコンバレーでAI(人工知能)などの開発に従事してきた経歴を持つ技術者や投資家、起業家たちで、テックライト(技術的右派)と総称されている。その中心人物で暗黒啓蒙思想の主たる提唱者とされるのがシリコンバレー出身のソフトウェアエンジニアだったカーティス・ヤーヴィン氏だ。
ヤーヴィン氏は、今日民主主義と呼ばれるものは、「権威ある制度による支配」に過ぎないとし、「民主主義は幻想であり、政府が効率的なガバナンスを行うためには、企業の最高経営責任者(CEO)のような単一の統治者(モナーク)によるトップダウン型の支配が必要だ」と主張する。
従来の民主的手続きに拠る政府よりも権威主義的手法を執る政府の方が現代の社会には相応しいとする彼の指摘には、2016年の大統領選挙でトランプを支持した著名投資家のピーター・ティール氏や起業家マーク・アンドリーセン氏らも共鳴している。
ヤーヴィン氏が理想とするのは、「企業のように国を動かす」政治スタイルだ。そこでは選挙も市民参加も重要視されず、独裁者であるトップの判断がすべてを決める。ヤーヴィン氏には、現代のリベラル・デモクラシーが抱える構造的な非効率さと官僚制への根深い不信がある。ヤーヴィン氏は、「民主主義は弱く、非効率で、大衆に阿るだけの儀式」に堕しており、実質的な意思決定が見えにくく、責任の所在も曖昧だと考える。
しかも、民主政といいながら民主的な手続きを経て大衆から選ばれてもいない高級官僚が政治や行政を牛耳っているとも批判する。ここから、人々を支配する“そうした非民主的なエリートの存在こそ国を影から支配するディープ・ステート(闇の政府)であり、破壊すべき対象になるという論理が導かれる。
ヤーヴィン氏は官僚制度や大学、既存メディアなどを既得権益層として批判、それらを中世の権力になぞらえて「大聖堂」と呼ぶ。そしてマスク氏の率いた政府効率化省(DOGE)を大聖堂に風穴を開ける取り組みと高く評価する。官僚制度や大学、既存メディアを敵視し、その破壊を唱えるのはトランプ大統領と同様であり、彼はトランプ政権を支持している。
一方、企業、特にハイテク企業などでは、トップによる迅速な意思決定と明確な責任体制が組織を前進させ、経営でも成功を収めている。ヤーヴィン氏はこれを「国家にも適用可能なモデル」(CEOモナークモデル)と捉え、選挙や議会による統治ではなく、トップダウンの経営体制を国家運営に持ち込むべきだと論じるのだ。
つまりヤーヴィン氏は「自由」や「平等」といった民主主義の理念ではなく、「効率」や「秩序」といった経営的な観点を国家の運営に持ち込むべきだと主張しているのだ。彼にとって最も重要なのは「誰が意思決定をしているか」ではなく「その意思決定がどれほど迅速かつ整合的に機能しているか」にあるからだ。
そうした観点から、省庁や議会、裁判所などの民主主義システムは不要であり、CEOのようにトップダウンで国家を運営すべきと主張。この国の統治方法を変えるには中央集権的でなければならず、君主制のように国王やCEOのような1人か2人の少数支配が一番うまくいくと説いている。
民主政治への幻滅、エリートへの不信、経済的格差拡大による不公平の増大、それに官僚機構の非効率さなど米国が抱える構造的問題が「民主主義そのものへの疑問・否定」や「既存体制の全面的なリセット」を希求する声がヤーヴィン氏のような急進的思想の伸長を生んだといえる。
しかも単なる発信に留まらず、ヤーヴィン氏は「ポストトランプ政権のキーマンに深刻な思想的影響を及ぼしつつあり」(ガーディアン紙)、現実の政策に彼の影が投射されている。かってベンチャーキャピタルの投資家だったヴァンス副大統領や戦略家スティーブ・バノン氏らトランプ政権の要職にある者に彼の支持者がいるからだ。ヴァンス氏は大統領選挙中、ヤーヴィンが唱える「連邦政府職員を一斉解雇し、自分たちに忠実な支持者に入れ替えよ」という提案を支持し、「トランプが大統領に返り咲いたら是非実行すべき一手」と応じている。政府効率化省を率い連邦政府職員の解雇に踏み切ったマスク氏もヤーヴィン氏と接触している。ヴァンス副大統領やマスクだけでなく、AIと暗号資産に関する政策を統括するデービッド・サックス氏をはじめ、トランプ政権にはテックライト呼ばれるシリコンバレー出身の起業家や投資家が数十人規模で起用されている。
テックライトの中には、民主主義のシステムを否定するヤーヴィン氏とは異なり端にトランプ政権の規制緩和を支持するだけの人もいるが、一方で既存の政治枠組みを抜け出し新たな国を築こうという動きさえある。そのようなプロジェクトを主導するプラクシスネーション代表のドライデン・ブラウン氏は、世界各地の投資家や起業家に呼び掛け、プラクシスネーションと名付けたネットワーク国家を築こうとしている。
広大な土地を購入し、既存の国家の規制や制度に縛られない新たな自治体を設立、CEOがトップとなり官僚の代わりにAIが運営する。こうした自治体を世界中に設立しネットワークで繋がるという構想である。政府主導よりも企業主導のプロジェクトの方がテクノロジーの力をより簡単に具現化できる。官僚機構の多くは簡単に自動化できる。そしてAIがほぼすべての経済機能や政府を含む戦略機能を動かすことになる。既にプラクシスネーションはマスク氏が経営するスペースXの社員やDOGEのメンバーなどテックライトを中心に約1万2000人を市民に選んでいる。ブラウン氏は、世界有数の資産家や技術者を結集し、テクノロジーの力で人類の進歩を加速させるとしている。
驚くべき発想や行動力の持ち主達だが、彼らテックライトの思考には問題が多い。テックライトが評価するトップダウン型ガバナンスが徹底されればされるほど、民主主義の根幹をなす「チェック・アンド・バランス(抑制と均衡)」は機能しなくなる。議会や司法、メディアといった牽制機関が形骸化し、権力が一元的に集中すれば、不正や腐敗が制度内で是正される余地が狭まる。また、異議申し立てや少数派の保護といった民主政治の基本機能が軽視されやすい。
そもそも「国家を企業のように運営する」モデルそのものに無理や誤謬がある。巨大企業が成功しているのは、社内独裁だからではなく、厳しい市場競争があるからだ。企業は消費者の需要を満たさねば淘汰されるという市場原理に縛られているから効率的に動くのであり、経営者の恣意だけで繁栄しているわけではない。また企業の活動も多くの株主の意見によって日々左右されていることを見落としている。さらにテックライトは資産家や自らのビジネスのために民主主義のシステムを破壊しようとしているとの批判もある。
かように理論的に問題の多い思想だが、米国では思支持する者も多く、この考えが強まれば民主政は危殆に瀕するであろう。メディアやリベラルな陣営から権威主義的政治家と批判されることの多いトランプ大統領だが、ドナルド・トランプという一個人の存在よりも、民主主義の意義やプロセスそのものを軽視・否定するこうした思想の隆盛こそが民主社会にとってより危険で問題なのではなかろうか。いずれにせよ、この動きが米国の政府や民主主義をどう変えていくのか注視する必要がある。
(2025年10月30日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)







