家庭と園・学校、二つの世界に生きる子供の発達 —アタッチメントと非認知的な心の発達̶—

家庭と園・学校、二つの世界に生きる子供の発達 —アタッチメントと非認知的な心の発達̶—

2023年1月17日
自己と社会性の力の育成

 現代の世界は目まぐるしく変化しており、情勢の見通しがきかない非常に不安定な状況になっている。そういう世界で、未来を生き抜かねばならない子供たちは、自分の頭で考え、物事の善し悪しを自分で判断し、目標設定できるようになることが重要である。自分自身で前進し、自分の行動に責任を持てる力のことをエージェンシー(主体性、agency)と呼ぶ。同時に、独りよがりであってはならず、他者と対話を重ねて協力し合いながら物事をすすめる力であるコ・エージェンシー(共同主体性、co-agency)も重要である。
 エージェンシーとコ・エージェンシーは、言い換えれば、自己と社会性の力である。自己の力とは、自己肯定感や自律性など、自分を律して高めようとする力である。社会性の力とは、共感や協調性、決まりを守る規範意識など、集団の中に溶け込んで人間関係を構築・維持する力である。
 自己と社会性の力の育成には、子供と親をはじめとする大人との間におけるアタッチメメントが大きな役割を果たす。アタッチメントとは、子供が恐怖や不安を感じた時に、親などの信頼できる大人にくっついて「大丈夫だ」という安心感を得ようとする傾向のことである。アタッチメント欲求が満たされることを通して、子供は「自分は助けてもらえる価値がある」「人は助けてくれる存在である」という自己観と他者観を持つことができる。自己と社会性の力は「非認知能力」の代表的なものであり、幼い頃にこれらの力を身につけておくことが、人生の幸福を支える力となると言われている。
 従来、このような子供の教育機能は、主として家庭が果たしていると認識されてきた。そのため、国や自治体は家庭の養育・教育機能の回復や維持を目的とした「子育て支援」を重視してきた。しかし、核家族化が進んだ現在の日本の状況を考えると、家庭を介した間接的な「子育て支援」だけでは、子供たちに十分な自己と社会性の力の形成を保障することは難しいように思われる。子供の発達を直接支援する「子育ち支援」の観点が必要であろう。

集団共同型による子育て

 そもそも、人間の元来の子育ては血縁を超えた集団共同型だったと考えられる。なぜなら、人という生物種の赤子は、「生理的早産」と表現されるほど非常に脆弱で、子育てに多くの労力を必要とするからである。誕生直後の赤子は、栄養をとる能力が乏しく、授乳も口元まで乳首を運んであげる必要がある。運動能力もなく、手足をばたつかせるくらいで自分では移動できない。体温を維持する力も乏しい。それほど未熟で絶対的な依存状態にあるにも関わらず、非常に分厚い体脂肪をまとっており、他の生物種の赤子よりも重い。たとえば、ゴリラの赤子は平均で1900グラム程度だが、人間の赤子は日本の子供でも平均で3000グラム前後はある。
 加えて、乳児期の後の子供期にも手がかかる。母乳を卒業しても食料を与えてもらう必要があるし、安全も確保してもらわなければならない。そのような子供期が10年以上にわたって続くのである。つまり、人間における養育の負担は非常に長きに亘って重たい状態がずっと続くといえる。
 そういう中で、母親一人で子育てするということは土台無理なことで、必ずヘルパー、サポーターが必要になる。では、誰がヘルパー、サポーターの役割を果たしてきたのか。当然、父親という存在は、非常に重要な子育ての担い手であった。そして、父親以上に祖母が重要な役割を果たしてきた。人間の女性は閉経後も生存する期間が長い。子育てを終えた祖母がヘルパー、サポーターとして最も重要な役割を果たしてきた可能性が高い。他に、一家族にたくさんの兄弟姉妹がいる場合は、年長の子供もまた、重要なヘルパーであった。
 しかし、父親や祖母、年長の子供がヘルパー、サポーターとして機能しても、幼い子供の成長発達を保障するには十分ではない。生物学者・人類学者であるサラ・ハーディは、人間の子育ては非血縁者も含めた集団共同型子育てだったという学説を提唱した。集団共同型子育てとは、言い換えればアロペアレンティング、すなわち親以外の他者による養育である。子供は親だけでなく、色々な人のケアを受けるように適応し、進化してきたことが最近の生物学や心理学では指摘されている。セーフティーネットを何重にも張り巡らせ、か弱く手のかかる子供たちの発達を支えていた。このような集団共同型子育てがあまねく存在していたのが、元々人間が生きてきた環境だというのである。

現代日本の母親中心主義

 一方で、現代日本の子育ては誰が担っているのか。日本では、現在でも母子関係中心主義が根強く残っている。男女共同参画やイクメンなどの概念が広がり、保育の拡充も声高に叫ばれているが、育児といえば母親の役割・責任であり、子供が何か問題を呈しているなら全て母親の責任であると考える人も未だに少なからずいる。
 人間の子育てが元来、集団共同型であることを考えると、母子関係中心主義は不自然である。歴史的に見れば、日本の母子関係中心主義は戦後の高度経済成長期に強まったもので、古いものではないという見方がある。高度経済成長期、産業構造の変化により男性は仕事、女性は家庭といういわゆる性別役割分業が急速に社会に浸透した。男性は家庭外で長時間労働・通勤をしなければならなくなり、家庭は女性が守るということで分厚い専業主婦層が形成された。
 一方、歴史を遡れば、日本でも父親による養育や集団共同型子育てがそれなりに機能していたという研究もある。教育学者である太田素子氏は、江戸時代の親子関係に関する資料を精密に分析し、江戸時代は基本的に父親が子供を育てたと言ってもよいのではないかと述べている。また、民俗学者の江馬三枝子氏は、大正から昭和初期の飛騨白川における集団共同型子育てについて研究し、集落の女性たちが自分の子供でなくても授乳し合う様子を記述している。
 それに、子供の発達にとって深刻なダメージとなるのは、母親一人の機能不全ではなく、子育てネットワーク全体の機能不全である。仮に母親が上手く子育てできなくても、子供たちはどこかで自分の発達を支える人を見つけるため、発達は補完・保障してもらえる部分が多いとも言われている。母親の子育てがうまくいかないことだけによる発達へのダメージは、相対的に少ないと見るべきではないか。

父親の育児参加の重要性

 家庭の外を含めて子育てのヘルパー、サポーターを増やしていくことは重要であるが、現代日本の社会状況を考えると、やはり父親が母親と共に主たる養育者になっていく必要がある。一部の自給自足社会など、社会文化によっては父親がほとんど関わらなくとも子供がしっかり成長できる社会もある。しかし、日本では、西欧と同様、急速に核家族化が進み、子育てのヘルパー、サポーターが非常に少なくなっている。このような社会では、父親の役割は際立って大きく、直接的な育児の担い手として機能していくことが求められる。
 それにも関わらず、日本では父親の家事・育児は少ない。私が所属する東京大学発達保育実践政策学センター(CEDEP)では、母親・父親の家事・育児負担に関して調査を行った。この調査で母親と父親の家事・子育て負担を調査して比較したところ、大半の母親は本当に負担が大きいと答えている。一方、父親は負担が大きいと感じている人が非常に少ない。共働き家庭の場合でも、その中の40%ほどの家庭で、母親が家事・育児の8〜9割を担っている。6〜7割を母親が担っている家庭も含めれば、共働き家庭のほとんどがそれらだけで埋まってしまい、父親が母親と同程度に家事・育児を担っているケースは際立って少ない。これは日本と西欧の大きな違いである。
 それでは、父親の育児参加を促すためには何が必要なのか。まず、子供が誕生してからではなく、妊娠期から子育ての準備をしていくことが重要である。妊娠期から夫婦で子育てに関して話し合いをしておくと同時に、父親が授乳や排せつの世話などに関して、具体的なスキル獲得の準備をしておくことが大切である。これらの準備により、子供の誕生後、スムーズに育児に参加できる態勢を整えることに繋がっていく。
 また、母親によるゲート・キーピング(maternal gate keeping)を防ぐことも重要である。ゲート・キーピングとは、父親の家事・育児参加への門を、母親が閉じてしまうという現象を指す。父親にモチベーションがあっても、実際にやってみると上手くいかないことがある。この時、母親側からすると、気持ちはありがたいが、下手な手伝いをされるくらいなら自分がやった方がましだ、という反応になることがある。これが結果的に父親の家事・育児を阻むことがある。
 ゲート・キーピングは、ある意味悲劇である。現代では、特に若い父親の子育てや家事に対するモチベーションは高まっている。しかし、それが実際の貢献に繋がっていかない。ゲート・キーピングを防ぐためにも、妊娠期からの話し合いと具体的育児・家事スキルの獲得が非常に重要になる。
 最後に、父親の育児休業を取りやすくすることが挙げられる。やはり会社・職場の意識改革が必要で、イクボス(育ボス)と呼ばれるような、育児に理解ある上司が増えることが重要である。

社会的ネットワークを支える仕組み

 家庭内で父親の育児参加を促していくと同時に、現代の事情に合うように集団共同型子育てを再生させていく必要がある。かつてのように隣近所に子供を委ねるということは、現代においては難しいかもしれない。やはり保育園・こども園・幼稚園、学校などを核にして社会的ネットワークを支える仕組みが必要となるだろう。
 冒頭で、幼い頃に自己と社会性の力を身につけておくことが重要であると述べた。かつては、そのような力を身につけていくためには、一人の重要な大人、特に母親との関係がしっかりしていれば支えらえると考えられてきた。そして、それを他の人との関係にも広げていけるという考え方が一般的だった。
 一方、現在では、子供は最初から色々な大人との複数の関係を同時並行的に持っており、それぞれの関係から違った心の要素を獲得しているという学説が有力視されている。現代では、多くの子供が園や学校という、家庭とは別の世界でも社会生活を送っており、保育者や教師が親以外の重要な他者として、アタッチメント対象になりうると考えられる。そして、園や学校で、保育者あるいは教師と緊密な関係性をどれくらい経験できるかということが、親子関係以上に子供のその後の集団生活や社会生活における適応に重要な役割を果たしているという知見も出てきている。
 また、子供を乳児期の早い時期から保育園に預けることが、単純に発達に悪影響を及ぼすわけではないことが分かってきた。アメリカには、NICHDという人間の一生涯にわたる心身の健康に関する総合的な研究をすることを目的とした研究機関がある。このNICHDが、早期からの乳幼児保育に関する大規模な縦断研究を実施し、乳幼児期の早い段階から保育所に子供を預けることは、子供の発達にほとんど差を生み出さないと結論づけた。
 同時にNICHDは、保育園利用の有無より、保育園でどれだけ質の高い保育を受けられるかが発達に影響するとも述べている。子供の感情やシグナルを受けとめて素早く応答できる敏感性、子供の活動にポジティブな関心を向ける態度、子供の認知活動を支え促すこと、子供の主体的な活動には土足で踏み込まず、見守りつつ応援する姿勢など、保育者が高いスキルを持っていることが重要となる。子供の発達にマイナスの影響があるのは、短期間のうちに保育園を転々とさせられたり、質の低い保育や長時間保育を受けたりすることと、家庭内の親子関係の不和が組み合わさることである。
 そして、そのように保育の質を高めた場合、保育園は家庭でのハンディキャップを十分に補償しうるという知見も出てきている。家庭と園や学校の間で相互の連携がうまくいっている状況が理想であるが、実際は養育・教育機能に課題がある家庭ほどコミュニケーションを取りにくい。そのような場合でも、保育園・学校で質の高いケアを提供できれば、子供の発達を促すことができる。具体的には、児童期思春期における認知能力・学力水準の高さや、問題行動の低さなどを予測することが指摘されている。同様のことは学校にも当てはまるだろう。まさに、家庭外における経験が、子供の認知と非認知の両面の発達にポジティブに働く可能性が示唆されている。家庭の外の関係性が、家庭と全く同じような機能を果たす必要があると言われているのではない。あえて家庭とは異なる子供と大人の関係性こそが、子供の育ちを支えていくと言われているのである。

斜めの関係・横の関係

 もう一つ、家庭外の経験に関して強調したいことがある。それは、子供の発達は、子供と大人の関係だけでなく、子供同士の斜めや横の関係によっても支えられるということである。血縁・非血縁に限らず、大人との関係は縦の関係である。集団生活をおくっていた時代には、子供は年齢が異なる他の子供との斜めの関係性、ほぼ同年齢の子供同士の横の関係性も濃密に経験できていた。
 最近発達心理学で注目されている集団社会化理論によれば、子供は子供同士の濃密な集団生活の中で、「同化」と「差異化」を濃密に経験してきた。「同化」とは、一緒に何か同じことをやったり、連帯意識を高めたりすることで、社会のルール・常識・文化などを習得することである。一方、一緒に遊びながらも一人ひとり得手不得手や好き嫌いが異なる中で、自分の個性を自覚し、時にはその個性に適った役割を取ったりする。言い換えれば、自分自身の独自の発達の可能性を子供一人ひとりが模索する。これが「差異化」である。
 この「同化」と「差異化」が人間の発達には際立って重要な意味を持っていたはずである。しかし、現代の日本では少子化が深刻になっている。家庭の中できょうだいの数が減り、斜めの関係が持ちにくくなっている。また、各家庭が孤立していて、家庭の外で子供同士が自然発生的に公園などで遊ぶことが非常に少なくなっているなど、横の関係も持ちにくい。
 とりわけ、乳幼児期における斜めの関係や横の関係の希薄化が、現代では深刻になっている。かつて、専業主婦が家庭で子育てすることが一般的とされた状況にあっても、一家庭に子供がたくさんいた。また、道端や公園など家庭の外で遊ぶときにも、親がついてきて子供たちの様子を一緒にみており、母親の目という安全管理の中で、斜めの関係・横の関係で自発的に遊ぶことができた。今では、自然発生的に斜めの関係・横の関係を経験できる機会が非常に少ない。斜めの関係、横の関係を経験できる場と機会を、意図して積極的に設けていく必要がある。そこにおいて中心的な役割を果たすのは、やはり園や学校であろう。
 現代では、子供は家庭に加え、園・学校という二つの社会にまたがって生きている。園や学校でも、子供たちが幸福に生きていけるように発達を支えていかなければならない。もちろん家庭の教育機能を高めていくということは、それはそれで必要である。とりわけ、核家族化が進んだ現代においては、父親がどれだけ家庭で子育てに深く貢献できるかを考えなければならない。同時に、集団の中で、自然発生的には生じにくくなっている子供同士の斜めの関係・横の関係をどのように経験できるようにするのか。それらを考えることが今、非常に重要なのである。

(本稿は2022年11月16日に行われた政策研究会の発題内容を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
遠藤 利彦 東京大学大学院教育学研究科教授
著者プロフィール
山形県生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程に学ぶ。博士(心理学)。聖心女子大学専任講師、九州大学助教授、京都大学准教授等を経て、2013年より現職。東京大学発達保育実践政策学センター長。専門は発達心理学、感情心理学。著書に『喜怒哀楽の起源:情動の進化論・文化論』『「情の理」論:情動の合理性をめぐる心理学的考究』『赤ちゃんの発達とアタッチメント:乳児保育で大切にしたいこと』『入門:アタッチメント理論―臨床・実践への架け橋』他。
元来、人間の子育ては血縁だけに限らないネットーワークの中で行われてきた。「子育ち」を直接支えるために、現代の事情に合った形で集団共同型子育てを再生していく必要がある。

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