ペアレンティング・プログラムの検討 —子どもと日常的に関わる努力を—

ペアレンティング・プログラムの検討 —子どもと日常的に関わる努力を—

欧米発のペアレンティング・プログラム

 子どもたちは生活環境において異年齢層との接触に欠くことがしばしば指摘される。筆者は拙著にて、子どもが異年齢の人と接することの利点として、ソーシャルスキルや生活満足度等が高められる可能性を論じた(『子どもを伸ばす世代間交流』2010年、勉誠出版)。また他者を大切にする気質が、いわゆる養護性という側面で育まれうることも指摘した。
 子どもの成長に関して何らかの取り組みをしようとする努力は、他国にも存在する。
 欧米とりわけアングロサクソン系の社会(米国・英国・豪州等)では、プログラム(program)という実践が試みられてきた。親たちを対象にしたプログラムでは、子に対してどのような言動・心構え・生活習慣等を実践するのがよいか、一回もしくは複数回の開催機会を通して、指導者のもとで学ぶ。ときに、参加前後の成長を可視化するため、親としての養育スキル等が得点化される。

我が国におけるプログラムのとらえ方

 また世代間交流を図るプログラムも実践されてきた。典型的には子どもと高齢者の人工的な交流機会である。例えば、保育施設と高齢者施設が共に企画し、両世代間の一定の接触機会を設ける。その上で、参加前後の子どもの養護性等が得点化され、プログラム参加による伸びが測定されることもある。
 ここで、わが国でもこうした取り組みを真似るのが得策である、と主張したいのではない。特に得点化に関して、人々に一定の懐疑が存在するのは事実である。筆者が耳にしたことのある懐疑的言説を例にすれば、「数字で単純にわかるものではない」「一度や数度の開催で得点が伸びるとは思えない」「参加直後に得点が伸びたとしても、効果がいつまで続くのかが疑問」等がある。
 わが国ではプログラムの効果よりも、機会そのものが一つの意義と捉えられる節がある。「ひとまずやった」という実施者の満足や、自治体であれば「取り組みをおこなった」という既成事実が重視される。あるいは、その時だけでも息抜きや楽しみの場になった、知り合いができたなどの副次効果が、主催者と参加者の双方に有意義にみえる。筆者はこれらを否定するつもりはない。むしろ得点化によって明確な効果を可視化し、そこに判断を委ねることを予算や助成金の判断基準にすることばかりが、よいプログラムの淘汰につながるとは言い切れない。

企画・運営上の論点

 もう一つ指摘しうる、わが国のプログラムを考える論点として、参加者集めがある。機会が設けられようとも、広く人々に知られないのでは意味がない。実施側にしてみれば(広報やホームページ等で)十分に周知したと言いぶんはあろうが、情報を目に留め実際に申し込むのは、関心の高い人に偏るだろう——関心の低い人ほど本来こうした機会を利用すべきかもしれないのに。強制力のないプログラムである以上、仕方のない事実である(この点、例えば社会的困難を抱える人が対象として絞られ、金銭助成あるいはサービス等受給と併せてプログラム参加が募られることのあるアングロサクソン社会でのプログラムとは、様相が異なる)。
 さらにもう一つ、プログラムを企画・運営するには人的資源の確保が不可欠である。特に問題となるのは、誰が企画・運営するかである。アングロサクソン社会ほどに専門職化していないがゆえ、どこの自治体でも可能であるとはいえない。既存のプログラムに関しても、偶然その地に動ける人材や情熱のある人がいた、というケースが目立つ。

大人からの世代間交流の努力も重要

 こんな我が国ではプログラムから頭を解放し、私たちにできることは何か、これを考えてみたい。日々一人ひとりができる、小さな努力があるのではないか。
 子どものソーシャルスキル・生活満足度・養護性等を高めるのは、何もプログラムだけではない。
 私たち大人が、近くの子どもにもっと声をかけることである。「今の子たちは挨拶ができない」こんな印象を持たないだろうか。だがそれは大人たちに責任がある。
 大人たちは近所で子どもとすれ違うとき、目を合わせているだろうか、明るく挨拶しているだろうか。
 目を合わせること、挨拶すること。これらは世の大人であれば、職場で当然できているはずの行為、ママ友・パパ友同士では自然にできているはずの行為である。これを近くにいるよその子たちにも実践すべきである。
 そしてもう一つ、私たちにできる小さな努力がある。
 何でもよいので、一言、通りすがる子どもに声をかけることである。「今日は暑いね」「雨が降りそうだね」「気をつけてね」「暗くなってきたね」一見意味がなさそうで、しかし重要な声がけである。
 犯罪に巻き込まれることを防ぐためか、とかくわが国の子どもたちは、知らない大人に反応しないよう注意を促されてきた。しかし、子どもの安全な環境はむしろ、一人ひとりの地域の大人たちの、小さな日々の努力から育まれていくのではないか。いつも声をかけてくれる大人の存在は、他の何にも代えがたい防犯の土壌になりえる。
 誰にでもできる世代間交流の小さな努力を、まず大人が率先してやってみてはいかがだろうか。

(『EN-ICHI FORUM』2023年8月号より)

政策コラム
斎藤 嘉孝 法政大学教授
著者プロフィール
1972 年群馬県桐生市生まれ。慶應義塾大学卒。同大学院社会学研究科修士課程修了。米ペンシルベニア州立大学大学院博士課程修了。社会学博士。専門関心は、親子関係やコミュニケーションに関する調査研究、それに関連した福祉・教育制度・施策の実証的検討および政策提言など。著書に『社会福祉を学ぶ』『親になれない親たち』『社会福祉調査』『子どもを伸ばす世代間交流』他。

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