序:日本を取り巻く安全保障環境の悪化
今年1月に発足したジョー・バイデン政権の安全保障政策を分析する前に、日本を取り巻く安全保障環境の現状を見ておきたい。
まず北朝鮮のミサイル脅威の深刻化である。2017年は「北朝鮮危機」の年といわれたが、この年、北朝鮮は各種ミサイルの開発と発射実験を進めた。これらのミサイルが日本に対する深刻な脅威となっているうえに、グアムや米本土までをも射程に収め始めている。
対日攻撃能力を見ると、北朝鮮の中距離ミサイルには、日本を攻撃するには十分すぎる射程を有しているものも出てきており、それらはロフテッド軌道やディプレスド軌道で撃ち込まれる可能性もある。2019年には変則軌道を描く短距離ミサイルの実験も行われており、飽和攻撃のための精確性や連続発射能力・運用能力の向上も図られてきた。その結果、日本の迎撃能力では対処が難しくなりつつある。
中国のミサイル脅威はさらに深刻な状況にある。1990年代半ばの台湾海峡危機後、まず短距離ミサイルの量的増強が行われた。2000年代に入ると、中距離・長距離ミサイルの開発に重点が移行し、量的な面のみならず、残存性や即応性の向上など、質的な能力向上も図られた。
最近では、極超音速滑空器(HGV)を搭載可能な最大射程2500キロのDF-17中距離弾道ミサイルの運用が開始され、2014年以降、HGVの飛翔実験も実施されてきた。日本の迎撃能力では単体でも対処が難しくなりつつある。さらに、「空母キラー」と呼ばれるDF-21D対艦弾道ミサイルや「グアム・キラー」と呼ばれる射程4000キロのDF-26中距離弾道ミサイルなどの発射実験も行われ、JL-2潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や可動式の個別誘導多弾頭(MIRV)化大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるDF-41も運用可能になるなど1)、米国にとっても脅威が高まっている。
通常戦力全般についても、今(2021)年3月、米国のインド太平洋軍のフィリップ・デービッドソン司令官が、米国および同盟国側がますます劣勢になっており、2026年までにはインド太平洋地域において中国軍が強制的に現状変更を図りかねないほどの優位を達成しうると述べている2)。その裏付けとなるインド太平洋軍の予測によると、2025年時点の西太平洋における米中の戦力比は、空母1:3、強襲揚陸艦4:12、多機能戦闘艦12:108などとなっており、ミサイルのみならず通常戦力全般で中国の軍事的脅威はますます深刻化すると見られている。
またドナルド・トランプ政権は、米中貿易摩擦から始まり、軍事・情報などさまざまな側面で強硬な対中政策を推し進めてきた。しかし、中国の海洋活動は止むところがなかった。今年2月には、バイデン新政権を試す意味もあってか、海洋活動がさらに活発化している。
このように米中の「大国間競争」が顕在化しており、米国はトランプ政権下ですでにこの現実を前提にした安全保障戦略を打ち出してきた。大国間競争の顕在化は、パワーの面で中国が米国に追いついてきていることを意味し、そのような「パワー移行期は危険だ」とも言われるものの、「勢力均衡(balance of power)」状況に至る過渡期とみることもできる。勢力均衡によって、大国間における高烈度の武力紛争が起こりにくい状況となるならば、それをいかに安定的な状態に保っていけるかが、中長期的な国際社会の重要課題となるだろう。
現在、米中間には不均衡な相互抑止状況があるが、それを中国と米国(および自由主義諸国群)との非軍事的な相互依存関係(経済関係など)が補完して、高烈度の次元ではかなりの安定性が維持されやすくなっているといえる。相互抑止関係がより均衡化すれば、高次の安定性はより高まり得る。
しかし、その結果、高烈度が安定化すると低烈度が不安定しやすくなるという「安定—不安定パラドクス(stability-instability paradox)」が作用する可能性は増すこととなる。すなわち、グレーゾーン事態を含めた低烈度の秩序攪乱行為や、既成事実化戦略(fait accompli strategy)による現状変更の試みなどが発生しやすくなるのである。それらは本来的に抑止が困難な事態であるが、サイバー、宇宙、電磁波という新作戦領域の出現と、ドローン等の新手段により、低烈度以下の事態を抑止することもますます複雑な課題になっている。
そのため、低烈度の事態が高烈度の戦争に至らないためのエスカレーションの抑制(緊急抑止+危機コミュニケーション)メカニズムを整備することが重視されてきたのである。
概ね以上のような安全保障環境の変化によって、安価な非対称手段への対応など、依然として共通する部分もある一方で、ミサイル防衛など、北朝鮮脅威に備えることを名分にした抑止態勢の強化が、中国に対する備えとしても通用する度合いが低下してきている。ジョージ・W.ブッシュ政権以降、「全天候型抑止」(“one size fits all” deterrence)からテーラーメイド型の地域抑止への転換が追求されてきたが、北東アジアにおいては、地域内においても、国ごと、あるいは主体ごとに差異化する必要性が高まっているのである。
こうした状況に対し、トランプ政権とは大きくスタイルの異なるバイデン政権の誕生はいかなる影響を及ぼすのであろうか。本稿では、バイデン政権の対外戦略を展望し、日本の対応について考えてみることとしたい。
1.バイデン政権の安全保障政策の基調
(1)厳しい制約下の安全保障政策
まず全体的な安全保障政策の基調について見てみよう。
バイデン陣営は、選挙戦の時から「科学」と「グローバルな関与」を強調していた。最優先の外交課題に、コロナ対策、対中国政策、気候変動を掲げ、前政権が軽視してきた科学的視点を取り入れ、各国との協調を通じて取り組んでいくという姿勢を顕著に示しているのである。国家安全保障会議(NSC)の構成メンバーも拡大・多様化させており、安全保障問題を広く捉えた上で、幅広い手段を用いるなど、複眼的に臨もうという意図が読み取れる。
また、公式文書に明記されているわけではないが、政権関係者の発言から分かる特徴に、「卓越」(primacy)追求の否定がある。これまで米国は、世界各地における「卓越」を追求してきた結果、余計な紛争に巻き込まれてきたという批判に与した考えである。卓越戦略の弊害として、中東地域の紛争など、巻き込まれた「終わりのない戦争」から脱却し、将来的な予防を図るべきという方向性である。
バイデン大統領は、政権発足後、トランプ政権の後始末ともいうべき、移民政策の転換、WHO・パリ協定への復帰など、行政府の判断でできることを立て続けに進めた。また新戦略兵器削減条約(新START)延長合意、日米駐留経費特別協定の暫定延長合意も早期に実現した。対中政策については強硬姿勢の継続をアピールし、トランプ大統領が強力に推進した在外米軍削減については一旦停止したうえで、いずれも具体的な対応は検討中である。このように、難しい問題については、まず時間を稼いで、検討するという傾向が見られる。
以上のような政策基調は、バイデン政権に課された、いくつかの厳しい制約の結果でもある。まず、当然のことながら、大国間競争の顕在化に象徴される厳しい安全保障環境によって制約される。
次に、国内政治による強力な制約もある。その表れの一つが、「中間層のための外交政策」である。これは、従来のエスタブリッシュメントや民主党によって見捨てられたと感じた人々がトランプ現象の主要な原動力になっていたことを受け、そういう人々への配慮を示すものでもある。このように米国の分断、あるいは根強いトランプ支持勢力の存在による制約は、かなり大きなものになろう。また大統領選挙で民主党左派の協力も得たため、彼らの存在・主張による制約も免れない。
そして、バイデンがバラク・オバマ政権の副大統領であったこと、およびトランプ政権が1期で終わったこともあって、その政権人事の構成はどうしてもオバマ政権の顔ぶれと似通ってこざるを得ず、「第3期オバマ政権」「オバマ2.0」などと揶揄されている。そのため、バイデン政権には、オバマ政権との差異化を図る必要もあり、実際、違いをアピールするかのような場面も散見される。
(2)「国家安全保障戦略暫定指針」の発表
今年3月3日米政府は、「国家安全保障戦略暫定指針」を発表した。発表自体は異例のことではあったが、内容的には、これまでに打ち出された方針をまとめただけという印象が強い。要点は概ね次の通りである。
・中国を国際秩序に挑戦可能な潜在力を持つ「唯一の競争相手」と位置づける3)。
・武力行使はあくまでも最終手段であって、外交・開発・経済的手法を優先する4)。
・NATOおよび豪日韓との同盟を明記した上で、他の同盟やパートナーシップとともに、「米国の最重要の戦略的アセット」と位置づける5)。
・国家安全保障戦略における核兵器の役割を低減する6)。
・国防への資源の効率的活用という文脈で、グレーゾーン事態を抑止し、これに優位するための能力開発にも言及している7)。
最後の部分では、「対外政策と国内政策との、そして国家安全保障、経済的安全保障、ヘルス・セキュリティ、環境的安全保障の間の伝統的な区別が、これまでにないほどに意味を失っている」と述べられており、「安全保障」概念を広く捉える傾向を改めて確認できる。これは多分に民主党的な安全保障観といえるものである。しかしながら、ここでは伝統的な安全保障の領域を中心に、個別の政策ごとにバイデン政権の安全保障政策・課題を検討していくこととしたい。
2.対テロ政策と「終わりなき戦争」からの脱却
(1)国内のヘイト・クライム対策
まず、対テロ政策である。ここでの最大の課題は「テロとの戦い」からの脱却であるが、国内のヘイト・クライム対策もにわかに重要な課題となってきている。白人至上主義は国際的にも「脱国家的脅威」として重視されるようになっており8)、顕在化著しい米国としてもますます放置しておくわけにはいかなくなっている。ただこの問題は、政府が立ち向かえば向かうほど、分断が助長されかねない問題でもある。
(2)海外駐留米軍の撤退
トランプ政権は、「対テロ戦争」から「大国間競争」へと国防戦略の転換を図ってきたが、トランプ大統領は、時に政権内また共和党内からの反対にあいながらも、中東における「終わりのない戦争」を終結させるという公約を、2020年の大統領選挙に向けて、かなり強引に実行しようと努めてきた。「終わりなき戦争」の終結は、総論的には、超党派的に支持される目標ではあるが、達成は容易ではない。しかしトランプ大統領は、11月の一般投票が終わったあとにも、急激な米軍の撤退を実行してきた。
アフガニスタンでは、2020年2月にタリバンと結んだ和平合意に基づき、十分に治安が改善されないまま、急速に米軍撤退を進めてきた。大統領選挙後の11月17日にも、トランプ政権は、アフガニスタン駐留米軍を約4500人から2500人に、イラク駐留米軍を約3000人から2500人に削減することを発表し、翌12月4日には、ソマリアからの700人の撤収も発表した。これに反対したとされるマーク・エスパー国防長官は更迭されたが、そこまでして、次期政権が誕生する直前にこのような措置を打ち出すというのは、異例中の異例であった。
議会は、大統領拒否権により2021年1月1日まで成立が遅れた国防権限法で、アフガニスタン、ドイツの兵力削減に歯止めをかけるなど、抵抗を試みたが、結局1月15日までに削減は強行された。
1月6日の議会襲撃事件を受けて、大統領就任式の際にはワシントンDCに25000人の兵力が展開されたが、これがアフガニスタンとイラクの駐留米軍各2500人の合計の5倍に当たるという皮肉を指摘する向きも見られた9)。
1)中東地域
このような状況でバイデン政権は、まずイラクについては、2月半ば、NATO国防相会議においてNATOからの派遣部隊を500人から4000人に増員する合意を実現した。
2月25日には、シリアによるロケット弾攻撃(2月15日)に対する報復と再発防止を名目に、米軍は、「カタイブ・ヒスボラ」「カタイブ・サイード・アル・シュハダ」など、イランを後ろ盾とする民兵組織の拠点を標的にシリア空爆を実行した。
それについてはいくつかの動機が推測されている。イラン核合意および再交渉をめぐるイラン側との駆け引きの一環、イラン核合意批判を意識した米国内向けメッセージ、名目通り、進行中の軍事作戦における自国部隊の安全を守る作戦、などである。この空爆は、武力行使より外交優先というバイデン政権の「外交ファースト」への疑念を惹起することにもなった。
他方、イエメン戦争に関しては、バイデン政権が、大方の予想通りにサウジアラビアへの支援を凍結するなど厳しい対応をすれば、フーシ(イスラーム・シーア派の武装組織)の背後にあるイランの影響力を放置することになりかねないとの懸念もあった。しかし、バイデン大統領は2月4日の外交方針演説で、軍事的支援の停止と同時にイエメン担当特使のティム・レンダーキングを派遣して、外交による戦争終結を目指す姿勢を打ち出していた10)。
バイデン政権としては、「外交ファースト」には軍事力の裏付けがあるということを、2月25日のシリア空爆によって示すことにもなったと考えられる。
2)アフガニスタン
アフガニスタンについては、5月1日の期限を過ぎることになったとしても極力早期の米軍撤退を可能にするため、タリバンに和平合意を履行するよう圧力をかけるという方針で対応している。
1月27日、アントニー・ブリンケン国務長官が、タリバンとの和平合意の交渉に当たったアフガニスタン和平担当特別代表ザルメイ・ハリルザド(2018年9月〜)の留任を発表し11)、2月3日には、超党派の「アフガニスタン研究グループ」報告書が議会に提出され、5月1日の撤退期限の延長が提言された12)。国務省は、和平合意の履行状況を検証するとの意向を表明し、2月半ばのNATO国防省会議では、約1万人の同盟・提携国の兵力を期限までに撤退させるか否かの判断が先送りされた。
バイデン政権は、撤退期限の延長をタリバンと交渉するものと予想されていたが、3月初め、ブリンケン国務長官がアフガニスタン大統領アシュラフ・ガニに書簡を送り、タリバンとの和平交渉を強く迫った。書簡の主な内容は、次のようなものであった。
・米中露印パおよびイランによる多国間協議の開催。
・タリバンを含む体制作り。
・アフガニスタン政府とタリバンとがトルコで和平交渉を行う。
・90日間の暴力削減期間を設置。
・5月までの撤退可能性を排除しない一方で、撤退後のタリバンによる春季攻勢を警告。
このようなバイデン政権の姿勢に関して、無責任な「アフガニスタン化」を進め、拙速な撤退を強行しているとの見方もあり、アフガニスタン政府内からも批判が出た。他方、多国間協議体による包囲網を形成して、タリバンに和平合意の遵守(暴力行為の停止)を迫るものでもあるとの肯定的な見方もあった。
トランプ政権との差異化を図り、国際社会における指導性を回復するには、条件が整わないままでの撤退は難しいと考えられ、バイデン政権としては、交渉によって撤退できる環境が整えば撤退するというスタンスなのではないかと思われる13)。
以上のように、イラク、アフガニスタン、そしてシリアについても、米軍は簡単に「足抜き」できないという現実がある。そして、足抜きできない場合には、中東を中心とする「テロとの戦い」からインド太平洋における「大国間競争」への「リバランス2.0」もまた厳しい制約にさらされることとなろう。
3.同盟関係の再構築
(1)NATOとの関係修復に向けて
トランプ大統領が悪化させた同盟関係の再活性化は、バイデン政権が重視する課題の一つであり、とくにNATO同盟国との関係修復は急務であった。
バイデン大統領が、国務次官(政務担当)にNATO大使(05〜08年)、欧州ユーラシア担当国務次官補(13〜17年)などを務めたビクトリア・ヌーランドを指名したことは、ロシアへの警戒感およびNATO重視の表れと評された。ただし、ヌーランドは、2014年のウクライナ危機では、ロシア側から危機を扇動したと目された人物で、欧州連合(EU)にも対露強硬路線を要求し、EU側の不評を買ったこともあるため、この人事は逆効果になる恐れもある。
いずれにしても、NATOにとっての喫緊の課題はアフガニスタン撤退問題である。同国における「確固たる支援任務(RSM)」に9600人(うちNATO加盟国からは8000人)が参加しているが、前述したように、2020年2月の和平合意に基づく21年5月までの撤退を既定路線にするかのようにトランプ政権が米軍の撤退を加速させるなか、NATOとしての派遣兵力撤退も現実味を増してきた。しかし、2月17日から18日のNATO国防相会議で撤退に関する決定は先送りされ、ロイド・オースティン国防長官からは米国が同盟国との間で密接に協議していくとの意向が表明された14)。
また、この国防相会議では、イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長から、「既存および出現しつつある挑戦に対処し、我々の価値に再びコミットし、欧州と北米の結びつきを強化する」ためにNATOの「戦略概念」を改定するという意向も示された15)。現行の2010年版戦略概念は、オバマ政権期に出されたものであり、中東、特にイランに向けたミサイル防衛をNATOの任務と位置づける一方で、対露戦略的パートナーシップの追求を謳っていたが、今回の改定では、より「大国間競争」に備えたものになる可能性が高いとみられる。
(2)同盟国との負担共有問題
NATO同盟国との間では、トランプ政権時代に防衛費負担問題が大きな争点となっていたが、この問題はトランプ政権期に始まったものではない。国内総生産(GDP)の2%以上を国防費に充てるという目標も、G.W.ブッシュ政権期の2006年6月のNATO国防相会議などで、国防費の20%を装備開発・調達に充当するという目標とともに打ち出されたものである。その後、オバマ政権時の2014年のNATOウェールズ首脳会合で、これらの目標を2024年までに達成する旨が「ウェールズ宣言」に明記された16)。
トランプは、その達成努力が不十分であるという現実をことさらに問題視し、政権発足以前から従前以上に強烈に国防費の増額を要求した。その結果、2017年にはNATO同盟国の国防費の伸び率が上昇し、トランプ大統領がそれを自らの政治的成果として誇る場面もあった。しかし、目標達成には程遠く、その後も米国の高圧的な要求が継続した。
特にドイツに対する不満は強く、2020年6月にはトランプ大統領が、在独米軍9500人の撤退を突然打ち出した。しかし、議会や軍部の抵抗を受け、翌月には在独米軍を12000人削減しつつ、そのうち5600人を米国本土ではなくベルギー、イタリアに移動させるという「再配置案」が提示された。在独米軍の削減を、対露抑止効果を高めるためのより大きな部隊配置見直しの一環と位置づけることによって、大統領の唐突な言動による損害の限定を試みたといえるが、欧州側にも米国内にも懸念・不満は残った。
そして同年9月、エスパー国防長官が、中露との大国間競争に備えるためと称し、世界中の同盟国に対してGDP比2%以上の国防費を要求する演説を行った17)。その後、トランプ政権では、2%目標が全同盟国に適用される「ゴールド・スタンダード」になっていると言われ始めた18)。日本でも、在日米軍駐留経費に関する特別協定の更新期日を目前に控え、こうした動きに懸念が広がっていた。
ところが、バイデン政権になって、変調が見られ始めた。バイデンは、大統領選挙期間中の昨年春、『フォーリン・アフェアーズ』誌に発表した論文で、「米国のコミットメントは、金銭取引の対象ではない」と述べていた19)。そして、今年2月4日の大統領による外交方針演説では、欧州の再配置案の実行停止を発表し、国防省による世界的な米軍展開の見直しを先行させるとされ、同日、オースティン国防長官により、「グローバル戦力態勢の見直し」(GFPR)の開始が発表された。NATO国防相会議では、オースティンが同盟国の国防費増加に対して謝辞を述べるなど、米国の姿勢は明らかに変化した。
とはいえ、変更されたのは3政権にわたる2%目標ではなく、その目標達成を促す「脅し」の実行であって、全同盟国への2%目標の適用も否定されたわけではない。大国間競争が激化しつつある中で、負担増への圧力は続く可能性が高い。ただし、その程度や評価方法は変わる可能性が高い。
例えば、韓国は、今年3月、2021年度の在韓米軍駐留経費に関して13.9%増の10億3000万ドルで米国政府と合意した。この増額幅は過去20年で最高とされるが、トランプ政権が求めていた50億ドルを大きく下回っていた。
4.核戦略、軍備管理・不拡散政策
(1)核軍縮志向とその限界
核政策について、バイデン政権は、まず期限切れ寸前だった新STARTの延長を実現して、見直しのための時間的余裕を確保した。バイデンの考えも反映して、先制不使用(NFU)政策の検討など、核軍縮志向が強まると目されている。
バイデンは前出の『フォーリン・アフェアーズ』論文で、トランプ政権が、核拡散、核軍拡競争、核使用の危険を高めてきたと批判し、イランの遵守を条件とする核合意への復帰、新START延長、北朝鮮非核化を目標に掲げていた。また、「米国の核戦力の唯一の目的は、核攻撃の抑止——そして必要な場合には核攻撃に対する報復——である。この考えを実践するために米軍及び同盟諸国と緊密に協議していく」と述べ、いわゆる「唯一目的論」も展開していた20)。
ただし、「国家安全保障戦略暫定指針」では、戦略抑止力を維持し、拡大抑止の信頼性を維持しながら、費用のかかる軍拡に歯止めをかけ、軍備管理の先導者となるために、国家安全保障戦略における核兵器の役割を低減させる、とより慎重な表現が用いられた。また、核兵器がつきつける危険を低減するため不拡散を主導すること、および「世界中の核分裂性・放射性物質をロックダウンする努力を再活性化する」ことを謳っている。後者は、核セキュリティの強化に加え、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)にも前向きであることを示唆している。
(2)核軍備管理と核態勢見直し
核軍備管理の分野では、新STARTを超える米露核戦力削減、核軍備管理合意の多国間化などが課題になる。防御兵器の扱い、戦力不均衡、中国の存在と姿勢など、さまざまな理由で実現は困難である。新STARTの延長のみで、バイデン政権1期目が終わる可能性も否定できない。
トランプ政権下で脱退した中距離核戦力(INF)全廃条約への復帰は、バイデン政権でも考え難く、むしろ中距離ミサイル配備進展によって助長されうる多角的な軍拡競争をどう抑制するかがより実質的な課題になる可能性が高い。
オバマ政権初期に議論された「大幅削減(deep cuts)」の可能性は低い。軍部、同盟国と緊密な協議を経れば、NFUの採用はなくなるはずだとの見方もあるが、実際採用のハードルは相当に高いものと考えられる。実現可能なのは、おそらく、特定の核兵器開発等、核近代化計画の一部を見直す程度なのではないか。これに関連して、22年度予算要求に大きな影響を及ぼす案件に絞る形で、兵器調達計画の見直しが、カスリーン・ヒックス国防副長官の指示で進められている。国防省では対中戦略を包括的に検討する「中国タスクフォース」が稼働し始めたが、このような地域抑止態勢の見直しの結果も合わせて、戦略・態勢が決まっていくものと考えられる。
オースティン国防長官は、退役後7年未満での就任であることや、就任前にレイセオン社の役員を務めていたことで、特に民主党左派から批判されていたこともあり、レイセオン社が関係する兵器開発等については決定への不関与を明言しているため、新型ICBMの地上配備戦略抑止力(GBSD)や新型巡航ミサイル(LRSO)に関しては、ヒックス国防副長官が最終決定権を持つと言われている21)。
実務レベルを国防省内で主導していくのは、核・ミサイル防衛担当国防次官補代理に任命されたレオノア・トメロになるとみられる。下院軍事委員会スタッフとして国防権限法の核・ミサイル防衛などの関連条項の検討に長年関与し、戦略戦力小委員会の作業を支援してきたトメロは、「核態勢見直し」(NPR)や「ミサイル防衛見直し」(BMDR)を実質的に主導していくこととなろう。
(3)イラン核問題
核不拡散の領域では、イラン核問題が喫緊の課題の一つである。バイデン政権になり、外交による解決を志向して交渉を進めているが、イラン側の硬化、米国内の強硬派やサウジアラビア、イスラエルなど周辺国の反対もあり、もはや2015年の核合意に復帰できる状況ではなくなっている。バイデン政権は、「復帰」ではなく「作り直し」と称しているが、イラン側は「作り直す必要などない」と主張しているため、交渉の入口に立つことも難しかった22)。
このイラン核問題に対応する国務省イラン担当特別代表に任命されたのが、ロバート・マリーである。彼は、オバマ政権下でイラン・イラク・シリア・湾岸諸国担当のNSC上級部長や、中東・北アフリカ・湾岸地域担当の大統領特別補佐官などを歴任し、イラン核合意の交渉では主担当者を務めた。しかし彼については、イランに甘すぎて、イスラエルに敵対的であるなどの批判もある23)。
一方、イラン担当副代表に任命されたリチャード・ネフューは、NSCイラン部長(11〜12年)、国務省制裁担当副調整官(13〜15年)など、対イラン制裁に深く関与した経歴を持つ。核合意に反対する国内の勢力にも配慮を示しながら、単なる合意への「復帰」ではなく、実質的な再交渉を進めていくものと推察される。無論、今年6月のイラン大統領選後には合意はより難しくなると予想されており、もとより困難な再交渉がさらに厄介な課題になっていることは否めない。
なお、NSCでイラン問題への対応も含めた中東政策を統括する中東・アフリカ調整官に任命されたのは、ブレット・マクガークである。彼は、ブッシュ政権期にはNSCイラク担当部長として早くから増派を主張し、オバマ政権期にはイラク・イラン担当国務次官補代理としてイラン核合意の交渉に関与した。その後、就任したイスラム国対策担当大統領特使をトランプ政権になっても続けていたが、18年末にトランプが表明したシリア撤退を批判して辞任した。拙速ではない形で、中東への特に軍事的な関与をどこまで縮小していけるのか、力量が問われるといえよう。
(4)北朝鮮の非核化
他方、北朝鮮の核・ミサイル問題については、目下戦略の見直しが進められており、あと2カ月ほどかかると見込まれている24)。米国は、水面下で北朝鮮との交渉の可能性を探っているが、反応がないと報じられている。韓国・日本担当国務次官補代理としてマーク・ナッパーが留任した以外では、直接の政策担当者が早期に任命されることもなく、現時点では緊要性の低い案件と位置づけられているように思われる。
5.インド太平洋地域における安全保障戦略
(1)キャンベル・インド太平洋調整官の対中姿勢
ただし、インド太平洋地域はバイデン政権が最も重視している地域であり、NSC内でもインド太平洋地域担当が最大の勢力になっている。これを統括する「インド太平洋調整官」には、カート・キャンベル元国務次官補(東アジア・太平洋担当)が任命されたが、この人選は対中強硬姿勢の維持を示すものとして共和党側からの支持も見られる。また知日派として日本でも概ね歓迎されている。
その政策の手がかりは、キャンベルがNSC中国部長に任命されたラッシュ・ドシと共同執筆した『フォーリン・アフェアーズ』のウェブサイト論文に見い出せよう25)。同論文では、インド太平洋地域における勢力均衡と正当性の回復、およびその双方に挑戦する中国に対処する同盟・友好国との連携により、地域秩序を立て直すという方向性が示されている。
まず、対中パワー・バランスの回復については、相対的に安価で非対称な能力(通常弾頭を搭載した長射程巡航・弾道ミサイル、無人攻撃機、高速攻撃兵器など)を通じて、中国の冒険主義的行動を抑止することを優先するとし、同盟・友好国にも非対称能力を補強させると論じている。前方展開戦力は維持するものの、東南アジアやインド洋に米軍を分散させるべく他国と協力するとして、分散配置の方向性を明示している。
正当性の回復に関しては、同盟国への揺さぶり、地域的な首脳会合の欠席、経済的関与の回避、脱国家的協力の否定など、トランプ政権のやり方を改めることに力点が置かれている。
そして、同盟・友好国との連携に関しては、英国の提案する「D10」(G7+豪韓印)を、貿易、技術、サプライチェーン、規格などの問題で活用し、クアッドを、軍事的な対中抑止、インフラ投資、新疆ウイグル・香港などの人権問題などで活用するとして、枠組みの使い分けが論じられている。
(2)「米国のアジア太平洋戦略枠組み」のしばり
トランプ政権は21年1月12日に、18年2月にNSCアジア上級部長マット・ポッティンジャーが作成したとされる「米国のアジア太平洋戦略枠組み」を公開した。これは通常30年非公開とされている外交文書をその期限を待たずに公開するという異例のことで、明らかにバイデン政権の外交をしばる目的だったとみられている。
同文書は、「地域における卓越(primacy)の維持」を明確な目標とし、日豪印など同盟国・友好国との協力を重視するとしている26)。中国に対しては、①第1列島線内で中国の持続的な制海権・制空権を許さない、②第1列島線上の台湾を含む諸国を防衛する、③同列島線の外側では全領域で支配的優位を維持する、と厳しい姿勢を示している。北朝鮮に対しては「最大限の圧力」をかけて「完全かつ検証可能で不可逆的な朝鮮半島の非核化」に向けた交渉の基盤を整備すると論じている27)。なお、日本については、地域安全保障構造の「地域的に統合され、技術的に進んだ柱」になれるよう促し、「自衛隊の近代化を支援する」ことなどが謳われている28)。
同盟重視など、トランプ政権の「大人たち」らしい判断も見られる一方で、かなり野心的な目標や強硬手段が想定されている。はたして、トランプ政権がどこまで実践したといえるのか不明なところもあるが、バイデン政権では、「卓越」の追求を否定する向きがみられるとともに29)、費用面での制約も強まることから、この方針を引き継ぐとしても、相当に修正されることになるだろう。
(3)中国タスクフォース
実際の政策には、バイデンの指示で国防省に設置された「中国タスクフォース」の作業結果が重要な影響を及ぼしうる。同タスクフォースは、最大15人のメンバーで構成され、戦略、作戦概念、技術、戦力構成、中国との防衛関係の見直しを行う。今年3月1日に始動し、4カ月間の作業を予定しており、その成果は進行中のGFPR(グローバル戦力態勢の見直し)に組み込まれるものとされている。
同タスクフォースを主導するのは、中国担当の国防長官特別補佐官に就任したエリー・ラトナーである。ラトナーは副大統領時代にバイデンの国家安全保障問題担当副補佐官を務めた「側近」の一人である。他には、中国担当国防次官補代理に任命された中国核戦略の専門家であるマイケル・チェイスらが加わる。一方、GFPRの方は、本来、政策担当国防次官に指名されたコリン・カールが主導するはずのところ、議会承認が得られておらず30)、政権移行期の政策担当国防次官代行に就任していたアマンダ・ドリーが当面主導していくものと見られる。
(4)海軍・海兵隊の役割
なお、インド太平洋地域における米軍の分散配置という方向性は従前から見られてきた。海兵隊は、20年3月に「2030年の戦力設計(Force Design 2030)」を発表して、対中戦略を念頭に置いた具体的な政策を提言した。これは、中東の過激主義から、とくにインド太平洋での大国間競争へと重点を移した2018年の「国家防衛戦略(NDS)」を受けて策定されたものである。
それによると、長期化する対テロ戦争で増大してきた地上軍としての役割を縮小し、海軍との一体化を促進するとともに、戦車・航空戦力・地上戦闘部隊を縮小し、兵力総数を1万2000人減の約17万人にする)を縮小する。そして、海軍の作戦構想「分散型海洋作戦(Distributed Maritime Operation: DMO)」、海兵隊・海軍の作戦構想「競争環境下の沿岸作戦(Littoral Operation in a Contested Environment: LOCE)」、「遠征前進基地作戦(Expeditionary Advanced Base Operation: EABO)」を遂行できる戦力への転換を図る。そのために、無人偵察機、ロケット砲部隊の増強、対艦ミサイル運用部隊の新設などを進める、とされる31)。
こうした方向性は、バイデン政権でも維持される可能性が大きく、中国タスクフォースにも重要なインプットになると思われる。
また、2021年度国防権限法に関する半年以上にわたる議論の中で、インド太平洋軍司令官が「太平洋抑止イニシアチブ」(PDI)を打ち出し、21年度国防権限法により約22億ドルの予算で開始されることになった。PDIはバイデン政権下でも既定路線となっており、21年3月には、インド太平洋軍が22年度予算で46億ドルを要望するとともに、22年からの6年間で273億ドルの拠出も提起されている32)。
これらインド太平洋地域に展開する米軍の態勢に大きく関わる問題の行方は、自衛隊の態勢を含めた日本の安全保障政策にも多大な影響を及ぼすこととなろう。
6.日本の安全保障政策にとっての意味合い
(1)防衛費、米軍駐留経費負担の増加要請
安全保障戦略そのものとは異なる話であるが、米国の政権交代によりどのような影響を受けるか注目を集めてきたのが、防衛費および在日米軍駐留経費負担の増額問題である。前述のようにトランプ政権がGDP比2%目標の全同盟国への適用を言い始めるなか、在日米軍駐留経費に関する特別協定の期限(2021年3月末)が迫っていたことも大きい。結局、2月半ばに現協定の1年間暫定延長が合意されたものの、新協定についてはかなり厳しい交渉が予想される。いっとき主張されたように日本の防衛費がNATO基準で「1.1〜1.3%」だとしても33)、現状ではNATO下位5位以内という水準に留まる。
他方、装備費20%目標については、計算方法が難しいところがあるが、割合としてはほぼ達成されていると考えられる。『防衛白書』によれば、2020年度の防衛費全体に占める割合は、装備品等購入費16.6%、研究開発費2.5%、維持費24.9%となっている。英国の国際戦略研究所(IISS)によると、日本の防衛装備費は調達費および研究開発費で22%(19年)となるが34)、無論、防衛費全体の増大がNATO目標の達成には必要となる。日本が、米中大国間競争の最前線に位置していることを考えれば、相当額を負担してしかるべきという議論が米国側で弱まることは考え難い。
このような折、米国の政府監査院(GAO)から、21年3月に『負担共有—日本・韓国における米軍のプレゼンスに伴う便益と費用』という報告書が発表された。これは20年度国防権限法によって、16〜19年の利益・費用の報告が義務付けられたことによるものである。
同報告書は、次の6種の「日韓への米軍駐留から得られる安全保障への利益」を指摘する一方、日本では駐留費用の62%を、韓国では70%を米国が負担していると算定している35)。
1)地域的な安定および安全保障:侵略を抑止し、有利な力の均衡を確保することにより、地域の安定と安全保障を維持するのに役立つ。
2)防衛能力および相互運用性:日本と韓国の防衛能力、また米国の戦力・兵器システムとの相互運用性を強化する。
3)不測事態への対応:地域全体における軍事的、非軍事的な不測事態(自然災害など)への迅速な対応を可能にする。
4)非核化および核不拡散:北朝鮮の非核化達成のための努力を助け、より一般的に核不拡散を促進する。
5)強固な同盟関係:日本・韓国それぞれと米国との同盟関係を強化する。
6)自由で開かれたインド太平洋:グッド・ガバナンスと経済的繁栄を含む広範な戦略的ビジョンとしての自由で開かれたインド太平洋を促進する。
なぜこのような報告書の提出を義務付けたのか。トランプ政権の同盟軽視に対して同盟の意義を訴えているようにも見えるが、むしろ、同盟や米軍の前方展開に本当に多額の費用を費やす意義があるのかという「懐疑論」が契機になっていると見られる。こうした議論には、前方展開には1兵士あたり年間1〜4万ドルの追加費用を要するとした2013年のランド研究所報告書にも依拠しつつ36)、経費負担の重い在外米軍基地の整理縮小によって地域紛争に米国が巻き込まれる危険を低減できるなどと主張する非介入論者の意見も反映している37)。
こうした情報が、政府間交渉を歪曲する可能性は低いと思われるが、外野の議論には悪影響を及ぼす可能性がある。こうした恣意的な数値の利用に対抗するためにも、広く活用されるような通時的なデータを日本自らが準備しておくべきように思われる38)。
(2)地域抑止態勢の強化
日本政府は、バイデン政権の発足以前から尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用範囲に含まれるという言質を米国側から取ることに成功していたが、それによって中国の領海侵入等は減っておらず、むしろ当事者である日本自身が備えを強化する責任はますます大きくなっている。その責任を果たさなければ、米国の協力を得ることは難しくなる。つまり、日本はグレーゾーン事態の抑止という難題に引き続き取り組む必要があるといえる。具体的には、機動性や動態性、迅速な対応を可能にする情報収集・警戒監視・偵察(ISR)能力の向上などである。
バイデン政権が掲げる核兵器の役割低減が進む場合、日米間でも緊密な協議を経ながら進む可能性が高い。核兵器の役割を低減させながら必要な抑止力を維持するためには、当然のことながら、通常戦力と同盟国の役割を増大させる必要性が高くなる。しかも米国は、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)対策として戦力分散と、財政的制約の強まりから非対称能力の強化を進める可能性が高い。そのため、日米間では、役割・任務・能力の分担・共有に関して、これまで以上に複雑で難しい協議が展開されるものと予想される。
具体的な課題の一つとして、対中INFギャップへの通常戦力による対応がある。これまで日米は、ミサイル防衛(迎撃)能力の拡大を追求してきた。日本は、イージス艦8隻体制を実現し、配備プロセスを中止したイージス・アショアの代替分を追加しようとしている。他方、先般、米国側では、インド太平洋軍司令官のデービッドソンが、太平洋抑止イニシアチブ(PDI)の一環として、グアムへのイージス・アショア配備を提言した39)。デービッドソンはまた、地上配備短距離ミサイル網の構築案を打ち出している40)。複数の兵器システムが開発中であるが、最大射程500kmといわれる米陸軍の「精密打撃ミサイル(PrSM)」は2023年に運用開始が予定されている。いまだ不確実ではあるが、これら米国側の構想が西太平洋地域で進展する場合、とくに攻撃能力面で日本がどのように関わっていくのかという難題も含め、日米間で役割・任務・能力の分担等に関する密接な協議が必要となろう。
これらの対応策は、対称的な対応に見えるかもしれないが、実は非対称的な対応の一種である。部分的にせよ、このように、より非対称的な措置の役割が増していく可能性が高い。つまり、相手の戦力・装備に単体でマッチさせようとするのではなく、各兵器の使用やその段階を一連の作戦の中で捉え、全体を止めるのに効果的な点への打撃に集中するといったように、より効率的に抑止効果の向上を図るのである。
やや極端な例を挙げれば、ミサイルを撃ち込むこと自体が目的のすべてであることはないということを踏まえ、飛来するミサイルを迎撃するのではなく、ミサイル発射に続いて当然に行われうる何らかの攻撃を阻止する手段を備えることで、ミサイル発射の意味を喪失させ、発射を思い止まらせるというように考えるのである。このような考え方では、例えばイージス・アショアの代替はミサイル迎撃システムである必要はないということになるため、ある対応策の必要性や意義を国民に納得できるように説明することが非常に難しくなる。高度に技術・専門的な判断に加え、脅威視される特定兵器に直接対処しない選択というものが出てくれば、説明はますます困難になる。しかしながら、イージス・アショアの一件でも顕著に示されたように、国内の支持・協力の確保はますます重要になっており、そのためにも、政策形成・実施プロセスをより包摂的に推進していく必要がある。
他方、地域的な軍拡競争を回避・緩和するには、米中間に何らかの「戦略的安定性」が見出され、確保・維持されていくことが不可欠となる。それが、かつての米ソ間におけるように相互確証破壊(MAD)状況の成立を経ずにはたして可能なのかどうか、いまだ答えは示されていない。バイデン政権も、この従前からの課題に取り組んでいくことになるが、その過程において「外交」による何らかの「解決」を図る可能性も否定できず、その場合にはそれが日本にとっても望ましい解決になるよう注視しなければならない。
安定的な戦略環境の構築を進めていくに際し、日本には受容・実行困難な措置が必要になる場合も生じうる。INF条約で米国が保有を禁止されてきた地上配備の中距離ミサイルの配備を受け入れることも、相当困難な課題であろう。その際には、地域抑止態勢の強化が、日本の国家安全保障の強化になるという発想がますます求められることとなろう。
(3)安全保障協力関係の多角化
最後に、安全保障協力関係の多角化に触れておきたい。
まず、米国が切望する日韓関係の改善であるが、これは現状では相当に難しい状況にある。クアッドの重視と「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の追求は、多角的な安全保障協力関係の強化・拡大にも大きく寄与するであろう。ただし、クアッドの多国間「同盟」化はあまりに困難であり、可能な範囲で協力を継続・拡大していくこととなろう。
また、日本政府は「自由で開かれた」にかなりのこだわりを持ってはいるもの、価値観外交をめぐっては米国との間に温度差がある。
例えば、新疆ウイグルの状況をトランプ政権は「ジェノサイド」と非難し、バイデン政権のブリンケン国務長官もその視点を継承して対応しているが、日本は異なる姿勢をとっている。またミャンマーのクーデタ問題にしても、米国は日本に強硬姿勢を期待しているが、日本は「国軍とのパイプ」を用いた役割分担を追求しようとしており、温度差が見られる。
バイデン政権は、予想以上に人権外交を前面に打ち出しており、日本との温度差が表面化しやすくなっている。そうしたときに日本は、役割を分担するだけではなく、分担された役割において結果を出すことが望まれる。まさに課題山積といえよう。
(2021年3月23日に開催されたIPP政策研究会における発題内容を整理して掲載。なお、本稿の内容はすべて著者個人の見解であり、所属機関の見解を示すものではない)
(注)
1)DF-41の開発状況については諸説あり、近く運用が開始されると見る向きもある(Office of the Secretary of Defense、 Annual Report to Congress: Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China 2020、 p. 86)。
2) “A Conversation with US Indo-Pacific Command’s Adm. Philip Davidson”、 American Enterprise Institute、 March 4、 2021 [https://youtu.be/zz_z1r9QN-c]; “Statement of Admiral Philip S. Davidson、 U.S. Navy Commander、 U.S. Indo-Pacific Command before the Senate Armed Services Committee on U.S. Indo-Pacific Command Posture 09 MARCH 2021” [https://www.armed-services.senate.gov/imo/media/doc/Davidson_03-09-21.pdf].
3)The White House、 Interim National Security Strategic Guidance、 March 2020、 pp. 7-8.
4)Ibid.、 p. 14.
5)Ibid.、 p. 10.
6)Ibid.、 p. 13.
7)Ibid.、 p. 14.
8) “Secretary-General Highlights COVID-19 as Pretext for Violations、 in Message for Opening of Human Rights Council’s Forty-Sixth Session”、 SG/SM/20589、 February 22、 2021.
9)Forbes、 January 19、 2021 [https://www.forbes.com/sites/niallmccarthy/2021/01/19/washington-dc-troop-levels-are-five-times-as-high-as-in-iraq–afghanistan-combined-infographic/?sh=18faa22a4cd5].
10) “Remarks by President Biden on America’s Place in the World”、 The White House、 February 4、 2021 [https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2021/02/04/remarks-by-president-biden-on-americas-place-in-the-world/].
11)“Secretary Antony J. Blinken at a Press Availability”、 Department of State、 January 27、 2021 [https://www.state.gov/secretary-antony-j-blinken-at-a-press-availability/].
12)Afghanistan Study Group Final Report、 United States Institute of Peace、 February 2021、 pp. 2、 48.
13)その後、4月14日にバイデン大統領が2021年9月11日までの駐アフガニスタン米軍の撤退方針を掲げた。“Remarks by President Biden on the Way Forward in Afghanistan”、 The White House、 April 14、 2021 [https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2021/04/14/remarks-by-president-biden-on-the-way-forward-in-afghanistan/].
14)“Online Press Conference by NATO Secretary General Jens Stoltenberg Following the Second Day of the Meetings of NATO Defence Ministers”、 February 18、 2021 [https://www.nato.int/cps/en/natohq/opinions_181561.htm].
15)“Online Press Conference by NATO Secretary General Jens Stoltenberg Following the First Day of the Meetings of NATO Defence Ministers”、 February 17、 2021 [https://www.nato.int/cps/en/natohq/opinions_181560.htm].
16)“Wales Summit Declaration; Issued by the Heads of State and Government Participating in the Meeting of the North Atlantic Council in Wales”、 September 5、 2014、 para. 14 [https://www.nato.int/cps/en/natohq/official_texts_112964.htm]. NATOの2%問題の起源については以下を参照。Jan Techau、 The Politics of 2 Percent: NATO and the Security Vacuum in Europe、 Carnegie Endowment for International Peace、 September 2015.
17)“Secretary of Defense Speech at RAND”、 September 16、 2020 [https://www.defense.gov/Newsroom/Speeches/Speech/Article/2350362/secretary-of-defense-speech-at-rand-as-delivered/].
18)Defense News、 October 21、 2020 [https://www.defensenews.com/pentagon/2020/10/21/natos-defense-spending-targets-now-gold-standard-all-allies-should-meet-key-trump-officials-say/].
19)Joseph R. Biden、 Jr、 “Why America Must Lead Again: Rescuing U.S. Foreign Policy After Trump”、 Foreign Affairs、 Vol. 99、 No. 2、 March/April 2020、 p. 73.
20)Ibid.、 p. 75.
21)ヒックス国防副長官は、戦略・計画・戦力担当国防副次官(2009年〜)、政策担当筆頭国防副次官(12〜13年)、CSIS上級副所長(13年〜)、バイデン移行期国防省見直しチームリーダーを歴任してきた。オバマ政権期の国防費強制削減への対応や、12年の「国防戦略指針」(DSG)の策定を主導するなどの経歴を持つ。
22)その後、4月に入って、米国とイランはウィーンでの協議にそれぞれ参加することで合意した。
23)New York Times、 February 14、 2021、 p. A17 など。
24)4月30日に、見直しを完了したことが発表された。
25)Kurt M. Campbell and Rush Dosh、 “How America Can Shore Up Asian Order”、 Foreign Affairs、 January 12、 2021 [https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2021-01-12/how-america-can-shore-asian-order].
26)“U.S. Strategic Framework for the Indo-Pacific” [https://trumpwhitehouse.archives.gov/wp-content/uploads/2021/01/IPS-Final-Declass.pdf]、 p. 1.
27)Ibid.、 pp. 7-8.
28)Ibid.、 p. 4.
29)例えば、前出のキャンベルらの論文では、中国の冒険主義を抑止するための意識的な努力として、米国は「卓越への極度の執着と、空母のように、それを維持するための高価で脆弱なプラットフォームから距離をとることができる」と述べられている(Campbell and Dosh、 “How America Can Shore Up Asian Order”)。またヒックス国防副長官は、1年前には、卓越の不必要性を主張し、「最小限露出戦略」を提唱していた。同戦略下では、「米軍の態勢は大きく再構成され、在外兵力は大幅に限定される。米軍は、アフガン、イラク、シリアを含む拡大中東地域から完全に撤退する。西欧とアジアでは、選ばれた海軍および空軍のアセットが残る。アジアでは、それらの戦力はグアムとハワイを拠点として活動する」(Kathleen H. Hicks、 Joseph Federici、 Seamus P. Daniels、 Rhys McCormick、 Lindsey R. Sheppard、 “Getting to Less? The Minimal Exposure Strategy”、 CSIS Briefs、 February 2020、 p. 3)と述べられていたことには留意すべきであろう。
30)トランプ政権への批判やイラン核合意の支持を理由に、共和党側から強い反対を受けていたが、カマラ・ハリス副大統領の1票を含む51対50での「クローチャー」を経て、4月28日にようやく承認された。
31)United States Marine Corps、 “Force Design 2030”、 March 2020.
32)Breaking Defense、 March 1、 2021 [https://breakingdefense.com/2021/03/indo-pacific-commander-delivers-27-billion-plan-to-congress/].
33)2019年4月、岩屋毅防衛相は、NATO基準で算定した場合、2024年までの「今般の中期防の期間中にはおおむね1.1%から1.3%程度になる」と答弁していた(「第198回国会、衆議院、安全保障委員会」第7号、2019年4月9日)。
34)International Institute for Strategic Studies、 “Global Defence Spending: The United States Widens the Gap”、 February 14、 2020 [https://www.iiss.org/blogs/military-balance/2020/02/global-defence-spending].
35)日本に関しては、算出に際し、日米地位協定に基づく間接支援約1900億円を含めず、2019年の日本側負担額を31.63億ドル、米国側負担額を53.39億ドルとしている(U.S. Government Accountability Office、 Burden Sharing: Benefits and Costs Associated with the U.S. Military Presence in Japan and South Korea、 March 17、 2021、 pp. 15、 21)。
36)Michael J. Lostumbo et al.、 Overseas Basing of U.S. Military Forces: An Assessment of Relative Costs and Strategic Benefits、 RAND Corporation、 2013、 p. 175.
37)その働きかけとしては、Overseas Base Realignment and Closure Coalition、 “OBRACC Letter Urging Overseas Bases Reporting Requirement in FY2020 NDAA”、 August 23、 2019 [https://www.overseasbases.net/uploads/5/7/1/7/57170837/overseas_bases_report_in_ndaa_letter_from_obracc_final.pdf] など。
38)在日米軍駐留経費の日本側負担割合は約75%という際にしばしば論拠とされてきた『同盟国の共同防衛への貢献に関する統計概要』は2004年版以降更新されておらず、いまだに2004年版が使われることが多い。
39)Defense News、 March 1、 2021 [https://www.defensenews.com/congress/2021/03/02/eyeing-china-indo-pacific-command-seeks-27-billion-deterrence-fund/].
40)USIN News、 March 2、 2021 [https://news.usni.org/2021/03/02/u-s-indo-pacific-command-wants-4-68b-for-new-pacific-deterrence-initiative].