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政策オピニオン

日本の国連外交における三大課題

-PKO、安保理改革、北朝鮮-前国連大使、国際基督教大学特別招聘教授 吉川 元偉

2018.05.14

1.はじめに

 私は外務省で42年間勤務したが、国連関係に従事した期間が長かった。私が外務省で初めて国連を担当した1993年当時、日本は政治的に大きな転機を迎えていた。1993年夏、自民党は衆議院議員総選挙で過半数を獲得できず下野した。日本新党を含む8党派による連立政権が誕生し、細川護煕氏が首相に就任した。私は外務省国連政策課長として、2年間にわたり日本が直面していた三つの重要な政策課題に取り組んだ。
 第一は日本の国連平和維持活動(PKO)への参加であった。1992年9月、日本は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に自衛隊施設部隊、文民警察官、選挙要員を派遣した。初のPKO参加に至る過程においては日本国内で非常に大きな論議が巻き起こった。また我々はカンボジアの次の派遣先についても検討を進めていて、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)にも要員・部隊を派遣することになった。
 第二の課題は国連安保理改革であった。1992年12月、国連総会で「安保理議席の衡平配分と拡大」に関する決議(A/RES/47/62)が採択された。この決議に基づき、ブトロス・ガリ事務総長は安保理改革に関する意見書の提出を加盟各国に求め、翌年には国連総会に安保理改革作業部会が設置された。私は1993年にニューヨークに行ってこの作業部会の準備会合に出席した。
 第三の課題は北朝鮮の核開発問題であった。1993年に北朝鮮が秘密裏に核開発を進めていたことが明らかになったのち、我々は米国、韓国、国連安保理と協力して対応に当たった。そして1994年、カーター元大統領が訪朝し、「米朝枠組み合意」が結ばれることによって危機は回避された。この合意では、北朝鮮が核開発プログラムを凍結する代わりに国際社会、すなわち米国、日本、韓国が発電用の2基の軽水炉建設と重油の供給をすることになった。しかしながら、後に北朝鮮がこの合意を守っていなかったことが明らかとなる。
 それからちょうど20年後、2013年夏に私は国連大使としてニューヨークに赴任した。ところがニューヨークに戻ってみると、上記の三つの課題は依然政策課題として残されたままだった。日本は国連PKOにどのような形で参加するのか。国連安保理改革もほとんど進展が見られない。北朝鮮の核開発問題に至っては、当時より一層深刻化していた。一体この20年間は何だったのかと思わざるを得ない状況であった。2016年に帰国したが、2018年を迎えた現在も三つの課題は残念ながら解決の見通しが立っていない。

2.日本と国連

 今年は1956年に実現した日本の国連加盟から62年目となる。日本は敗戦後6年たった1951年に独立を回復したが、翌1952年には当時の岡崎勝男外務大臣が国連に加盟申請書を提出した(岡崎氏はその後、国連大使も務めた)。岡崎大臣はトリグブ・リー国連事務総長に宛てた申請書の中で、「日本国政府は、国際連合への加盟を熱意をもつて申請するものであり、また、国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもつて、履行することを約束するものであります」と述べている。
 しかし、加盟申請から日本の国連加盟が承認されるまでに4年もの月日がかかった。当時は冷戦の最中であり、ソ連が拒否権を発動して日本の加盟に反対したのが主な理由である。結局、1956年12月18日に国連総会で日本の加盟決議が採択され、重光葵外務大臣が受諾演説を行った。くしくも重光氏は、1945年9月2日に日本が連合国との間で交わした降伏文書に日本の代表として署名した外務大臣でもあった。
 日本の戦後史において国連への加盟は重要な出来事である。国連憲章第4条に言う「平和愛好国」(peace-loving state)として国際社会に受け入れてもらうため、早期の国連加盟は日本全体の悲願であった。国連加盟後の日本の歩みは、まさに重光大臣が加盟演説で岡崎書簡を引用して述べた「国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもつて、履行する」との約束を果たすためのものであったといえる。そして実際に国連の三大活動分野―すなわち平和・安全保障、開発、人権―において、日本は長年にわたり努力を続けてきたのであるが、先に述べた三大課題については、どうだったのだろうか。

3.第一の課題:国連平和維持活動(PKO)

国連憲章における武力行使の条件
 日本が国連に加盟した当時から、我が国は果たして憲法9条の規定のもとで国連の軍事活動に参加できるのか否かが議論となっていた。国連憲章はすべての加盟国に対して武力行使が認められる三つの場合を定めている。第一が個別的自衛権の行使、第二が集団的自衛権の行使である。このうち集団的自衛権は憲章第51条で初めて明文化された新しい概念であった。そして集団的自衛権を根拠として、NATO(北大西洋条約機構)やワルシャワ条約機構が設立され、日米同盟も成り立っている。武力行使の第三の場合は、加盟国が国連軍に参加して武力行使をする場合である。
 では日本がこれらの条件のもとで武力を行使することは可能なのか。現在、日本国内では憲法改正をめぐって議論が行われており、自民党の憲法改正推進本部は先ごろ、現行の憲法9条1項、2項を維持しつつ、新たに「9条の2」を設けて自衛隊を明記する改正案を示した。しかしながら、集団的自衛権の行使や国連軍への参加の是非については議論が及んでいないのが実情だ。

国連平和維持活動と日本
 この問題は長年にわたり議論されてきた。日本は国連加盟からわずか2年後の1958年、国連安保理の非常任理事国に初めて選出され、その後まもなく松平康東・国連大使が安保理議長に就任している。当時、安保理ではレバノン危機をめぐって国連レバノン監視団(UNOGIL)の派遣が検討されていた。そこで日本はこの非武装監視団に自衛隊員を派遣して平和維持活動に参加するよう求められた。
 この時、松平大使は自衛隊員の派遣に積極的だったが、日本の政府・与党は自衛隊海外派兵に道を開くとの批判が出ることを懸念し、国連の要請を断るよう松平大使に指示した。松平大使は、一時帰国した際、個人的意見としてレバノンに自衛隊員を送るのがよいと思うと述べたことが国内で問題になり、野党は、松平大使の考え方が平和国家としての日本の立場に反するとして彼の解任を求めた。最終的に、松平大使は自衛隊員のレバノン派遣に関する自らの発言を撤回せざるを得なかった。
 それ以来、1990年にイラク軍がクウェート侵攻し湾岸戦争が勃発するまで、国連PKOをめぐる基本的な状況には何ら変化がなかった。この年、安保理はイラクにクウェートからの即時撤退を求めるとともに、武力行使を容認する決議678を採択し、米国を中心とする多国籍軍が構成された。日本は多国籍軍には参加しなかったが、100億ドルの資金協力を行った。

国際平和協力法の成立
 その後、湾岸戦争が終結するとクウェート政府はワシントンポスト紙に参戦国への感謝広告を掲載した。ところが、そこに日本の名前は含まれておらず、日本政府は大きなショックを受けた。これがきっかけとなり、1992年には自衛隊が海外で国連平和維持活動に参加することを可能にする国際平和協力法(PKO協力法)が野党の強い反対の中、成立した。当時の日本の世論はこの法案に反対する意見が多かったが、現在では、様々な世論調査で自衛隊のPKO参加を支持する意見が大半を占めるようになっている。
 いずれにしても、PKO協力法が成立したことは重要な意義を持っていた。同法に基づき、1992年9月には国連カンボジア暫定機構(UNTAC)に自衛隊施設部隊が派遣され、大きな成果を収めた。にもかかわらず、私がニューヨークに赴任した2013年になっても92年当時の課題が解決されないままだったのはなぜか。

PKO活動の変化
 日本にとって、あるいは他の国にとっても同様かもしれないが、問題はPKOの性格が1992年当時から大きく変化してしまったという点である。現在のPKOはかつてのような「伝統的」PKOではなく、「ロバストな」(より強力な権限をもった)PKOとなっている。PKOミッションには「文民保護」のマンデートが含まれるようになった。PKO部隊はもはや紛争の「傍観者」でいることはできず、場合によっては、住民を保護することで紛争の「当事者」と見られかねないのである。その意味では、PKOはより困難なものになり、参加国は十分な準備が必要となっている。
 日本ではこの問題に関して長らく進展がなかったが、2015年に国会で安全保障関連法が成立した。これによりPKOに参加する自衛隊が、離れた場所にいる国連職員や民間人が武装勢力などに襲撃された場合にいわゆる「駆けつけ警護」を行い、武器を使用することが可能になった。
 ただし、憲法9条によって自衛隊員の行動が制限されていることに変わりはない。もちろん自己の防衛のために武器を使用することは認められているが、自衛隊が他国の指揮下、例えば国連PKO部隊の司令官の指示に従って武力を行使することは認められていない。自衛隊をPKOに派遣する場合、「PKO5原則」を満たしていることが前提条件とされている。
 こうした状況のもと、日本は国連PKOにどのように貢献することが可能であろうか。第一に、日本は途上国のPKO要員に対する訓練の支援を行ってきた。特にアフリカでは、国連PKO局との協力のもと、ケニアを始めとするアフリカ諸国の施設部隊の技術レベル向上のために能力構築支援を続けている。第二に、国連PKO局の職員や現場の非軍事分野の要員として、もっと多くの日本人が積極的に参加することも日本としての貢献につながるだろう。

4.第二の課題:国連安保理改革

冷戦終結と安保理改革
 日本の国連外交における第二の課題は、国連安保理改革である。前述のように、1992年12月に国連総会で「安保理議席の衡平配分と拡大」に関する決議が採択されたが、これは冷戦の終結を反映した出来事だったといえる。冷戦時代においては、国連安保理には実質的に何の役割も期待されていなかった。国際的な紛争が起きると米国とソ連が二国間で問題を処理してきたためである。国連はこの二つの超大国が関心を持たない問題に関してのみ、関与することができたのである。
 冷戦が終結すると、国連安保理は徐々に重要な役割を担うようになった。カンボジア内戦や旧ユーゴスラビア紛争の処理などがその例である。そして1990年代初め頃から、国連安保理改革が重要なアジェンダとしてとり上げられるようになった。

「G4案」の提出
 日本は以前から国連で安保理の議席数および常任理事国数を増やして安保理の正統性と実効性を高めるよう提案してきた。2005年、日本はドイツ、ブラジル、インドと連携して各国に積極的な働きかけを行い、国連総会に「G4改革案」を提出した。G4案は、常任6議席、非常任4議席を新たに追加し、新常任理事国は当面は拒否権を行使しないという内容であった。
 G4案をめぐって総会では激しい議論が交わされた。常任理事国の数を増やすのか、あるいは非常任理事国の数だけ増やすのか、拒否権はどうするのかなどが争点となった。結局、全体的な合意形成には至らず、G4案は採決されることなく廃案となってしまった。この時に採決が行われていたならば果たして憲章改正に必要な国連加盟国の3分の2以上の賛成を得られたのか、今となっては知る由もない。
 それから10年以上が経過した現在、日本政府はこの問題を再び前進させる新たな機会が訪れることを期待している。米国のトランプ政権がどこまでこの問題に関心を持っているかわからないが、安保理改革はすべての加盟国にとって重要な課題として残されたままである。安保理は1945年に第二次大戦の戦勝国によってデザインされたものであり、その構成は現在の国際社会の現実を反映していない。例えば国連が出来た時にアフリカとアジアの多くの国々は植民地だった。改革に関する議論は今も必要とされている。

5.第三の課題:北朝鮮問題

核・ミサイル開発問題
 最後に北朝鮮問題について述べたい。国連と北朝鮮とのかかわりについては、私は二つの問題があると考えている。一つはもちろん核・ミサイル開発問題であり、現在世界の関心の的となっている南北首脳会談、米朝首脳会談でもこの問題が扱われるだろう。そしてもう一つ強調しておきたいのが、北朝鮮国内の人権問題である。
 まず核・ミサイル開発問題に関しては、日本の安全保障に直結する問題であると同時に、国際社会にとっても重大な大量破壊兵器の拡散問題となっている。1993年から現在に至る経緯を振り返ってみると、これまでにも対話や合意に向けた交渉が度々試みられ、実際にいくつかの重要な合意も結ばれている。残念ながら、いずれも北朝鮮側は合意を履行していないが、それらがどのような内容を含んでいたかを記憶しておくことは重要である。

米朝・日朝間の合意と六カ国協議
 1994年の「米朝枠組み合意」では、北朝鮮が核開発プログラムを凍結する見返りとして2基の軽水炉を提供し、軽水炉が完成するまでの間、米国が重油を供給することで合意していた。しかしながら北朝鮮側が合意を履行しなかったため、日本と韓国が担当した軽水炉の建設は2002年末に中止され、莫大な資金が浪費されてしまった。
 一方、日本と北朝鮮との関係については、2002年に小泉首相が訪朝して金正日国防委員長と首脳会談を行い、両首脳が「日朝平壌宣言」に署名した。この宣言には拉致問題の解決、日朝国交正常化交渉の開始、過去の植民地支配を踏まえた北朝鮮に対する経済協力、そして北朝鮮側の核開発プログラム凍結とミサイル発射のモラトリアム継続などが盛り込まれた。結局、この宣言の内容はいまだに実現していないが、日本の現職首相として初めての訪朝の結果、両国間の合意が出来たことは歴史的な出来事であった。
 2005年には、米、中、韓国、北朝鮮、日本、ロシアからなる六カ国協議において初めての「共同声明」が発表された。この中で北朝鮮はすべての核兵器と既存の核計画を放棄することを約束し、その見返りとして、米国は北朝鮮に攻撃や侵略を行わないことを確認した。また日朝間においても、日朝政府間交渉の再開が合意された。
 結局、北朝鮮は六カ国協議の共同声明の内容も遵守せず、その後は核実験やミサイル発射を繰り返した。2016年になると国連安保理は北朝鮮の核実験を受けて決議2270を採択し、北朝鮮に対する制裁が大きく強化された。

最近の動き
 2017年に誕生したトランプ政権の政策は、「パリ協定」からの脱退、イスラエルの米国大使館のエルサレム移転、TPPからの脱退、最近では通商法301条(スーパー301条)の適用など同意し難いものが多いが、対北朝鮮政策に関しては核・ミサイル開発問題に対して強いスタンスで臨んでおり、その点は評価したい。
 トランプ政権が強硬姿勢をとってきたことで、北朝鮮も最近になって融和的な姿勢を見せ始めたのではないか。ただし、これまで述べてきたような北朝鮮をめぐる1993年以降の歴史を振り返れば、北朝鮮の言うことには十分な注意を払うことが必要である。私が関わってきた限りにおいても、実に多くの欺瞞を見てきた。具体的な結果が示されるまで過大な期待を抱くべきではない。

北朝鮮の人権問題
 核・ミサイル問題に隠されて注目されていないが、北朝鮮の悲惨な人権状況に警鐘を鳴らすべきだ。時間の都合で詳細を省くが、国連北朝鮮人権調査委員会(COI)のマイケル・カービー委員長が2014年に国連人権理事会に提出した報告書を見ても、北朝鮮の人権状況は悲惨である。日本を含む関係国が結束して朝鮮半島の非核化を実現し、近い将来において北朝鮮がその人的・経済的資源を国民生活の向上に費やすことができるよう促さなければならない。拉致問題の解決も重要な課題である。

(本稿は、2018年3月30日に開催した「第32回平和外交フォーラム」における講演(英語)を翻訳・整理してまとめたものである。)

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