メディア環境の変化と政治のファッション化 ―トランプ旋風とシールズ現象―

メディア環境の変化と政治のファッション化 ―トランプ旋風とシールズ現象―

2016年6月10日

はじめに

 今秋の米大統領選挙に向けて、共和党・民主党の候補者指名争いが山場を迎えようとしているが(2016年4月現在)、そこで注目を集めているのが共和党のドナルド・トランプ氏の躍進だ。繰り返される過激な発言によっていずれは指名者争いから脱落すると思われていた彼は、大方の予想を覆しつつ依然として共和党大統領候補のトップを走っている。また民主党においても、本命と目されていたヒラリー・クリントン氏への支持が今一つ盛り上がらず、対抗馬であるバーニー・サンダース氏が執拗に食い下がっている状況にある。そこで、こうした現象の背景にある米国社会の変容をどう理解すれば良いのか、また、その日本への影響について読み解いていきたいと思う。

1.なぜトランプ氏は支持されるのか?

 ところで、トランプ氏やサンダース氏のような反主流派の人々が本命候補を脅かすようになっている背景には、米国社会の本質的な変容があると考えられる。そこには、まず社会の状況的要素として、既成の政治家や政策に対する信頼を喪失した人々が、新しい政治変動の主体として行動し始めたという要素が存在する。近年、日本においても安保法制に反対するデモを行った大学生グループ「シールズ(SEALs=自由と民主主義のための学生緊急行動)」や高校生グループの「ティーンズ・ソウル(T-ns SOWL)」などが出現し、少数ながらこれまで沈黙していた若者たちが政治に参加する傾向が見られるようになった。したがって、米国社会の政治変動がいずれ日本にも波及してくる可能性は大きいと考えられる。 ところで、去る4月19日に大票田であるニューヨーク州の予備選挙が行われ、共和党ではトランプ氏が2位のケーシック氏に倍以上の大差をつけて圧勝した。彼はこれに先立つ2つの地区選挙で負けて勢いが止まったかに思われたが、今回の結果によっていよいよ7月の党大会で候補者指名を勝ち取る可能性が現実化してきたと言える。これに対して、11月の本選挙でトランプ氏の対抗馬になるだろう民主党のヒラリー・クリントン氏への支持は依然として固まっておらず、ライバルであるサンダース氏の追随を振り切れない状態にある。 トランプ氏が有する候補者としての強みは複数あると考えられる。例えば、彼は若いころから常に過激な発言をしてきたために、メディアがいくらそれを危険視する指摘をしてもあまり効果がない。人々は、またいつもの「トランプ節」だと許してしまう意識があるからだ。また、彼にはスキャンダルというものがほとんどない。たとえば、彼は裕福な有名人であるから、離婚した複数の妻たちをはじめとする女性関係の経済的な対応についても恨まれることがないようにしっかりと対処しており、また、子どもたちにもきちんとした教育を受けさせている。さらに、彼の選挙活動の費用はほぼ自前で、公費や寄付金でまかなう他の候補者たちとは異なる。選挙前は普通の暮らしをしていたのに選挙活動を始めると急に贅沢になればやっかみの対象となるが、トランプ氏にはそれがない。要するに、彼は汚職の疑いをかける必要のない稀少な候補者なのだ。公費を巧みに使って上手に立ち回る既存の政治家(政治屋?)たちに対する鬱積した大衆の不満を一刀両断してくれるのがトランプ氏であるというわけだ。 ちなみに、トランプ氏は各所の集会で「これまでの政治家は問題を誤魔化し、先送りし、自分たちだけがよい思いをしてきた。そんな連中は信用できない。そんなやつらを大統領に選んでどうするのか。私こそ、底辺から這い上がり、富を築いてきた。もう一度米国を稼げる国家にしなければならない」と叫んでいる。確かに過激な表現ではあるが、彼が言うと聴衆を納得させる効果があるだろう。 それに比べてクリントン氏の言う「アメリカは一つ、アメリカ万歳」は空虚に聞こえてしまうわけだ。また、サンダース氏も「私は社会共産主義者だ」と明言している。彼は具体的な政策公約としては公立大学の無償化などを主張しているが、それらはいずれもこれまでの政治家では言えなかったことであり、トランプ氏と同様に既成の政治家への信頼を喪失した特に若年層世代の人気を獲得している。 なお、日本のメディアではトランプ氏は不動産王と紹介される場合が多いが、実のところ、彼はかつてテレビタレントや番組プロデューサーとして活躍した人物であり、人心をつかむ高度なスキルを有する人物だ。経済政策や格差社会の問題など、人々が不満に思っている事柄を的確に取り上げて論じていくその演説は、聴衆を自己の熱狂的な支持者に仕立て上げていくのに有効だ。その点はサンダース氏も同様であり、彼のホンネを語る演説の技量もまた、クリントン氏のお体裁を並べ立てる演説を超える聴衆の反響を引き出している。

2.メガメディアの凋落とネット社会の発達

 しかし、彼らが人気を博している理由は単にこうした演説の技量にとどまるものではない。むしろその最大の理由は、メガメディアの凋落とネット社会の発達という状況変化の要素だろう。米国では、今やメガメディアがいくら反トランプのキャンペーンを打ち出しても大衆の反応がすこぶる鈍い。その理由は、米国の大衆がメガメディアを「所詮はエリートや金持ちの代弁者」と捉えているからです。これまでメガメディアが連呼してきた環境、人権、平和などの理想主義的な概念では、もはやさまざまな階層の利害が対立している社会の統合をはかることができなくなってきており、それよりも目の前の生活をしっかりすることが大事だと考えるリアリストが増えているのは米国も日本も同様です。その証拠に、最近の日本でも若者たちが大手の新聞やテレビの論調を信用しなくなってきている。 たとえば、政治学の「エリート理論」によれば、「いかなる社会においても少数のエリートが多数の大衆を支配する」という原則が提示されている。なぜなら、エリートは少数であるがゆえに相互のコミュニケーションや団結行動が取り易いからであり、大衆は多数であるがゆえにその迅速性と結束力に対抗できないからだ。しかし近年、その劣勢にあったはずの多数の大衆をまとめる手法として、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などネット社会の発達が実現した。こうした状況の変化によって、多数の大衆が少数のエリートに対抗できる社会が作られ始めている。トランプ氏やサンダース氏はそうした社会の状況変化を迅速にとらえ、大衆のホンネに響くような政策を訴えている。そこでは、既成の政治家たちに対する大衆の鬱積した不満をくすぐり、それを打ち壊す改革者を標榜する自己への支持を獲得することが目指されている。いわばネット社会の発達が彼らの人気を高め、躍進する状態をもたらしていると考えられる。

3.中流層の崩壊と二層分解

 以上のような社会の状況変化に加えて、いわゆる中流層の崩壊と二層分解という社会の構造変化の要素もまた、トランプ氏やサンダース氏を躍進させる根底的な地盤となっていると考えられる。いわゆる「リーマン・ショック」後の長引く景気の低迷は、米国社会における中流層を崩壊させ、裕福な上層階級と逼迫した生活に不満を有する下層階級とに社会を分断させる結果を招きつつある。日本の社会でたとえれば、いわゆる「失われた20年」に相当する。かつて中流層という分厚い中間階級を構成していた人々は政治的な世論のスタンスにおいても共有する部分を多く有していたが、今や分断された各階層の人々が自己の階層の利害関係をめぐって他の階層と激しく対立する時代を到来させているわけだ。 このような分断社会の要素としては、①高齢者と若年者、②高所得者と低所得者、③持てる者と持たざる者、④高学歴(高学校歴)者と低学歴(低学校歴)者、⑤経済的動物と政治的動物、⑥現実主義者と理想主義者、⑦ホンネとタテマエ、⑧右派と左派、⑨穏健派と過激派、⑩統合社会と分断社会など、多岐にわたる対立構造の存在が確認できる。 言うまでもなく、こうした対立の構造はずっと以前の時代から存在していたものではあるが、長引く景気の低迷によってそれがますます過激に露呈化する状況を生み出しているのだ。そして、このような分断社会の緊張を緩和するためには、各階層の国民を統合するためのより一般的に共有できるコンセプトが必要なのだが、そうしたビジョンを現職の政治家、官僚、学者などのオピニオンリーダーたちが出せなくなっている。それがまさしく現実主義的なホンネで勝負するトランプ氏やサンダース氏を活躍させる舞台を作っていると考えられる。

4.現行の政治経済システムの瓦解

 トランプ氏やサンダース氏の躍進を促した中流層の崩壊と二層分解の根底には、現行の政治経済システムの瓦解という現代社会における根源的な要素も存在していると考えられる。 まず、米国であれ日本であれ、世代間の人口格差とそれにともなう社会保障システムの破綻によって、現行の民主主義制度の限界が露呈されている事実が想定できる。人口の多い高齢者の票数が他の世代よりも多いために、それら特定の世代の意見や利益が多数決主義の下で優先されてしまうからだ。より具体的には、たとえば日本の人口は団塊世代と団塊ジュニア世代が多く、他の世代に比してこうした世代の人口が膨らんだ構造になっている。民主主義は多数決であるため、これら団塊世代と団塊ジュニア世代の意見がまかり通り、それ以外の世代の意見はたとえ良識ある意見であろうとも潰されてしまうわけだ。また、効率主義と公正主義の葛藤、能力主義と平等主義のアンバランスは、現行の資本主義の限界も露呈させることになっている。所得や資産の多い人々の負担が増大し、それが少ない人々の負担を軽減すれば、前者の勤労意欲を減退させて経済全体の成長を阻害する。したがって、これらの現行の民主主義や資本主義は何らかの形で修正していく必要に迫られていると言える。 ところで、このように考えてくると、現在の日本が国家として最優先に取り組むべき課題は、今や破綻し始めている社会保障システムの再編であることが分かる。そして、この社会保障システムを再編する作業を遂行するためには、景気を回復して経済を発展させる必要がある。しかし、現在の政権はいかにしてより多くの税金を徴収するかに気を取られており、それをいかに使うべきかの議論を決定的に不足させている。その証拠に、近年の選挙では税金を納めている人たちが幸福になるための政策を公約に掲げる候補者がほとんど見当たらない。政治家たちは税金を納める人たちのために税金を使わず、税金を納めていない人たちにその恩恵を過分にバラ撒いてきた。そのようなまさに不平等であり、不公平であり、不条理である政治を続けることができたのは、国民経済全体が右肩上がりの状況だったからに他ならない。しかし、今や低迷し続ける景気は勤勉に働いてきた人たちにふさわしい待遇を提供することができず、その勤労意欲を喪失させつつあるわけだ。

5.「7人の神様」の退場と日本社会への波及効果

 なお、先に見てきたような米国社会の動向が日本社会にも波及しつつあることは、環境、人権、平和、ジェンダー、子ども、国連、憲法第9条など、これまで異なる社会階層間の利害関係を越えて国民統合のための共通目的としての象徴力を発揮してきた概念の力が減退してきた事実に表れている。従来の米国や日本の社会では、環境、人権、平和などのためだと言われると誰もが反論できない風潮があった。しかし、今やこうした概念はそれぞれの社会階層間の抗争を鎮静化させる神通力を完全に喪失しつつある。いわばこれらの「7人の神様」が表舞台から退場し始めている状況にあると言えるのだ。むしろ人々の関心は、より身近な現実の生活に直結する具体的な課題に移行しており、景気回復、税制改革、社会保障、格差是正などの問題が各階層間の抗争を助長する傾向にある。たとえば、もはや野党がいくら安保法制や憲法改正に反対しても、それが大きな大衆運動や巨大な世論動向の変化を生み出すことはなくなった。言うまでもなく、当初は難民の全面的な受け入れという理想主義的な政策を標榜していたEU諸国が、「人権は大切だが難民と心中するのは困る」という諸国民のホンネによって難民受け入れの規制へと政策転換した事情も同様の事例として理解することができる。 ところで、こうした「7人の神様」たる国民統合のための包括的な概念の喪失は、利益集団間の抗争を表面化させることになる。そうであれば、その抗争を調停できるコンセプトが結果的にリアリズムにしか見出せないことは明白だ。要するに、景気を回復させ、経済を再建することを通じて社会保障制度の再編を遂行することが、日本にとっての最優先の課題となる。ここで検討してきたように、次期米大統領がトランプ氏になるのかクリントン氏になるのかは予断を許さない状況にある。しかし大切なことは、果たしていずれの人物が当選するにせよ、日本が今後も米国にとってパートナーとしての大きな価値を有する国であり続けることが肝要である。日米同盟こそが日本の安全保障を確保する基礎だからである。そのために必要であるのは、何と言っても景気の回復に他ならない。したがって、安倍政権は現行の金融政策に頼り過ぎている経済政策を修正し、金融政策とのバランスを取る意味でのもう少し大規模な財政出動をするべきであり、こうした点について政治家や経済官僚の今後の勇気ある英断を期待している。 というのは、景気回復のために国家がおこなう経済政策にとって最も大切なことは、金融緩和政策と財政拡大政策をバランス良く併行して遂行することだ。しかし、現行の政権は金融政策にばかり頼り過ぎて、財政政策がなおざりになっている。したがって、いくら金融緩和をしても効果が上がらないためにさらに金利を下げ続ける負のスパイラルに陥っている。このような状況を打開して景気を回復するためには、金融緩和と併行してバランスの取れた大規模な財政投融資を遂行することが必要だ。安倍首相をはじめとする政治家や黒田日銀総裁、財務省をはじめとする経済官僚がこうした政策を実施する勇気を持って頂くことを期待したいと思う。 さらに、これに加えて重要なことは、メガメディアをはじめとする日本のメディア主体が、これまでのような環境、人権、平和などといった理想主義に彩られたお体裁のコンセプトではなく、より現実的かつ具体的なリアリズムのコンセプトを提示する努力を遂行し、いずれ訪れるであろう分断社会の抗争がこれ以上過激化しないように鎮静化させ、国民統合をはかるための社会的な役割をしっかりと果たすことが必要だろう。

(2016年3月11日に開催した政策研究会における発題を整理してまとめた)

政策オピニオン
石井 貫太郎 目白大学教授
著者プロフィール
1961年生東京まれ。84年青山学院大学経済学部卒業。90年慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了(法学博士)。現在、目白大学社会学部教授。専攻は政治学、政治経済学、国際関係論。主な著書に、『現代国際政治理論』『リーダーシップの政治学』『21世紀の国際政治理論』ほか、政治学・国際関係論に関する著書・論文多数。

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