日韓関係改善に向けて想うこと

日韓関係改善に向けて想うこと

2019年3月16日

 ここ数年、明るい話題のない鬱陶しい日が続いている。日韓関係のことである。両国関係は1965年の正常化後も山あり谷あり、目まぐるしい変化を遂げてきた。1987年から3年間のソウル勤務の際には、日本文化院が学生デモによる火炎瓶の洗礼を受けたが、毎晩のように韓国の記者と会食しながら口角泡を飛ばして怒鳴り合いの議論をし、その後は決まってカラオケ店に行って「爆弾酒」をあおりながら一緒に流行歌を歌ったりもした。そんな経験から私は、韓国人とは必ず意志が通じ合えるとの信念を得た。
 しかるに、である。文在寅大統領の言動、特に対日政策に関しては掴みどころがなくもどかしさを感じる。「もどかしさ」と言ったのは控えめな表現であり、「合意は拘束する」(pacta sunt servanda)という国際法の根本原則を無視するような大統領の態度には「もはや相手に出来ない」という憤りとあきらめさえ感じる。日本のネットでは韓国批判の書き込みが満ちあふれ、本屋には嫌韓本が並ぶ。それらを目にして同調する自分と、「いや、このままではマズイ。早急に何か手を打つべきだ」と考えるもう一人の自分がいる。今の私は後者が前者を説得している状態だ。外交とは、利害を異にする相手国との話し合いによって合意点を見いだす技術だ。その外交努力を放棄すれば、取り返しのつかない事態になりかねない。
 いま日韓関係は負のスパイラルに陥っている。官房長官の発言や総理大臣の答弁が韓国には誇張されて伝わり新たな対日批判を誘引している。日本海で海上自衛隊の哨戒機が韓国の艦船からレーダー照射を受けた事件は、真実(truth)は一つであるのに双方の事実認識がまるで異なっている。他方、三・一独立運動百周年記念式典での大統領演説は反日的なトーンを極力抑え、負のスパイラルに歯止めをかける大統領の意志を感じさせた。しかし楽観はできない。従軍慰安婦にせよ徴用工にせよ、いまだボールは韓国コートにある。「慎重に検討している」と言いつつ何の動きもなければ、負のスパイラルのスイッチが入る。その行き着く先は、外交関係の縮小、各種交流の中止、査証免除協定の撤廃、輸入品に対する関税の導入、渡航制限など。また海上での漁業操業トラブルや巡視船同士の不慮の衝突もありうる。これは最悪のシナリオであり歯止めを掛ける必要がある。
 両国の閉塞感を払拭し事態を改善させるにはどうすれば良いか。
 まず、直ちにやるべきことは、安倍総理と文在寅大統領の一対一の首脳会談を開くことだ。安倍総理は金正恩委員長とのトップ会談に意欲を燃やしているという。それなら尚更のこと、日韓のデッドロックを打ち破るため文大統領とのトップ会談を提案すべきだ。ハワイのマウイ島かビッグアイランドのリトリートに籠って、本音ベースの話しを行うべきだ。日韓の対立を回避したい米国は全面的に支持するだろう。
 次に、韓国の対日世論について述べたい。韓国では世論の動向が政治・外交に強い影響を与えている。特に対日政策は、世論の動向を抜きにしては考えられない。韓国のマスメディアは世論形成に強い影響力を持つが、日本に好意的な報道を行えばライバル社から批判されるのでブレーキがかかってしまう。また、日本の政治家のわずかな苦言も韓国では「妄言」として大きく報道される。そしてマスメディアと同等かそれ以上に影響力を持ってきたのは、SNSTwitterなどの電子媒体である。
 他方、日韓間には言論人の長い交流の歴史がある。両国の特派員は相手国の最大の理解者であり、言葉のハンディを乗り越えて愛情を持ち、建設的な批判を交えた報道を行っている。また国内政治にも影響力を持っている。多くの日韓メディアは取材に関する協力協定を結んでいる。両国の言論人が一堂に会して、関係回復への道を議論し、内外に提言することを期待したい。
 長期的観点から日韓関係を考えるとき、日本が行わなければならないことがある。それは学校教育の中で日韓の歴史をしっかりと教えることだ。
 修学旅行を引率して韓国を訪問した高校の教師は、私に次のような感想を述べた。
 「初めて韓国を旅行した生徒達は、韓国内の史跡を回って日本による侵略や植民地支配の傷跡が多いことにショックを受けました。しかし同時に、韓国のホームステイ先では大いに歓待され心が通じ合う経験もしました。修学旅行の結果、生徒達の韓国に対する見方は大きく変わりましたね。正に、百聞は一見に如かずです」。
 もう一つ。1987年に東京からある政府高官がソウルを訪問した。同氏は戦前、父親が朝鮮総督府に勤務していた関係で京城に住み、終戦時には日本人小学校に通っていた。同氏のセンチメンタル・ジャーニーにお付き合いして市内を案内した際、氏はしみじみと次のように語った。
 「昭和20813日のことでした。朝から市内がざわついており、満員の市電に乗って小学校に着いたけれど授業は中止となり、子供達は家に帰って待機するように言われました。帰りにまた市電に乗ろうとすると、朝鮮人の車掌から『日本人は乗せない』と言われたのです。そんなことは初めてでした。仕方なく徒歩で自宅に帰りましたが、途中、大勢の朝鮮人が道路に出て騒いでいるのを見ました。翌14日は休校となり、日本人は外に出ないようにとの連絡がありましたので、家でじっとしていました。玉音放送で日本の敗戦を知ったのは15日のことです。その数日後、家族は荷物をまとめて汽車に乗り釜山へ向いました。汽車は暴徒に襲われないように昼はトンネル内に停車し、夜になるとゆっくり移動するので、釜山までかなりの時間を要しました。今でも思い出しますが、何の問題もなく一緒に住んでいた朝鮮人が、一夜にして暴徒化したことはショックでした。それまでの日本の統治は何だったのでしょうかね」。
 この問いに、私は今でも納得の行く答えを見出せないでいる。

政策オピニオン
天江 喜七郞 元在韓日本大使館文化広報院長
著者プロフィール
1967年一橋大学法学部卒後、外務省入省。駐イラン、在韓日本大使館文化広報院長、ソ連大使館などの勤務を経て外務省大臣官房審議官、中近東アフリカ局長、在シリア大使、在ウクライナ兼モルドバ大使、国立京都国際会館館長、同志社大学客員教授等を歴任。

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