北方領土問題再考

北方領土問題再考

2018年12月19日
はじめに

 安倍政権になってから日露平和条約交渉が「加速化」し、20191月には安倍首相の訪露が予定されている一方、トランプ大統領の米露中距離ミサイル条約(INF)廃止の表明や米中「灰色戦争」の開始もあるので、本誌が発行される時点では状況が様変わりしている可能性もあるが、外務省を離れて日露間の北方領土問題について振り返り、議論を深めるための論点を提供して国民的合意形成の一助としたい。

平和条約締結交渉の経緯

 冷戦時代には米ソ大国の狭間にあった日本外交は、同盟国である米国に制約された面もあり、北方4島の帰属問題でも、4島即時一括返還論、面積等分論、3島返還論、2島先行返還論など種々意見が錯綜してゴールポストが動き、ロシア側に本格的交渉継続の意欲を失わせた。1
 安倍首相はプーチン大統領との親密化を図り201612月のプーチン大統領との山口県長門での会談(16回目)で交渉を本格化する決意を固め、極東開発及び双方の法的立場を損なわない特別な枠組みでの北方4島に対する経済協力を進めることとなったが、大統領はその実績には不満であった。
 20189月ウラジオストクでの東方経済フォーラムの公開の席上でプーチン大統領は習近平中国主席を挟んで安倍首相に対し、たった今思いついたと前置きの上、「何らの前提条件なしに平和条約締結交渉を始める」ことを提案した。1114日シンガポールでのAPEC会議の際の両首脳会談(23回目)で、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和交渉を加速化(注:露語では活性化)させることが合意された。これにより60年以上紆余曲折した交渉は振出しに戻った。
 1130日ブエノスアイレスにおけるG20会議の際の首脳会談(第24回目)において、河野及びラブロフ両外相を交渉責任者とした新たな枠組みを作り、日ソ共同宣言を基礎として平和条約協議を開始することになり、191月に予定されている安倍首相訪露前に両外相会談を開くことで調整し、同年6月のG20大阪会議にプーチン大統領訪日の際には両首脳間で平和条約の大筋合意を目指すこととなった。

交渉の論点

 戦後73年間平和条約がない「異常な状態」に終止符を打つためには、次のような諸点について長期的大局的な観点から冷静に議論を深め、覆ることのない合意形成に努める一方、外交交渉中は秘密が伴うので双方共に冷静に交渉できる環境を整える必要がある。
 1)北方領土は腐るものではない。戦後73年間平和条約がなくとも両国関係は特に支障がなかった。中途半端な妥協で将来に禍根を残すべきではない。
 24島一括返還論は百年河清を待つようなものである。米中露という3大国に囲まれている日本は、3国間のバランスを巧妙に図る必要がある。安倍首相がプーチン大統領及びトランプ大統領と良好な関係にあるうちに日露間の平和条約を妥結し、露の経済発展を支援して膨張する中国に対する立場を強化する必要がある。
 3)北方4島の旧島民は十数人と減り、その平均年齢は83歳となっている。今更移住したい人は僅少であろうから、自由に墓参できるようにすれば十分であろう。
 4)韓国、中国その他第三国が北方領土で漁業や観光事業を始めた場合の対処方法如何。
 5)北方領土上のロシア人及び軍事基地の取り扱い如何(沖縄の例は参考にならない)。
 6)ロシアが自己の「内海」であるオホーツク海の対米・対中安全保障上重要である国後島及び択捉島(海空軍事基地あり)を手放すことはあり得ない。
 7)中国の言う「氷のシルクロード」(北極海航路)が今後更に重要となってくるので、日本への「領土割譲」は低迷している大統領の支持率低下につながる(クリミア半島併合直後80%以上あった支持率は、石油価格の下落による経済の低迷や年金年齢の引き上げ等により現在は70%以下)。
 8)大統領は膨張する中国に対抗すべく日本の技術や経済協力によりGDPでは世界11位(17年)に落ちた経済の活性化を図り(197080年代には日本財界が一丸となって石油や森林開発、港湾建設等大型プロジェクトでシベリア、極東開発に協力した実績あり)、また、経済成長が大統領支持率向上にも資することを期待している。
 9)大統領としても安倍首相より掌握力のある後継者の出現は不確実であるので、対中・対米外交の観点からも安倍首相在任中に平和条約をまとめ両国関係を安定したものにしておきたいだろう。
 10)ロシア側は12月に入ってから、領土の引渡しと主権は別物であるとの高官の発言やサハリン住民の北方領土引渡し反対集会などの揺さぶりをかけて交渉のハードルを高めている。日本は何もしなくてよいのか。

 

11956年の日ソ共同宣言第9項には、ソ連は「日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本に引渡す(注:返還するではない)ことに同意する。ただし、これらの諸島は両国間の平和条約が締結された後に現実に引渡されるものとする」と記されているが、国後島及び択捉島については何らの言及もない。

2)北方領土関係データ
4島の面積(平方キロ)と全4島に対する比率(%)及び人口(1945815日時点)は、歯舞群島952%)、5281人、色丹島2515%)、1038人、国後島149030%)、7364人、択捉島316863%)、3608人で、合計面積5003平方キロ(ほぼ福岡県の広さに相当)、総人口17291人であった。現在の歯舞群島及び色丹島の人口は約3千人、4島全体では約1万7千人、また国後島及び択捉島にはロシア軍約3500人が駐留している。

政策オピニオン
松井 啓 元駐カザフスタン大使
著者プロフィール
新潟県生まれ。1965年一橋大学法学部卒。外務省に入省し、在ソ連大使館、在フィリピン大使館、国連代表部、在ユーゴスラヴィア大使館勤務などを経て、在インド大使館および在イタリア大使館公使を務め、在カザフスタン初代大使、在ブルガリア大使、在ナイジェリア大使、杏林大学客員教授などを歴任。専門は、国際関係論。主な著書に、『初代大使が見たカザフスタン』(めるくまーる、2007年5月)他。

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