北方領土交渉の展望

北方領土交渉の展望

2015年12月25日

前途多難を窺わせる日露交渉

 安全保障法制の整備が進み、懸案の日韓首脳会談実現も果たした安倍政権だが、今後取り組むべき最大の外交案件は、北方領土問題であろう。2013年4月、日本のトップとして10年ぶりにロシアを公式訪問した安倍総理は、北方領土交渉の再スタートでプーチン大統領と合意した。安倍総理はオバマ大統領よりもプーチン大統領の方が馬が合うといわれるが、2人の関係が近づいたのは、翌2014年2月のソチ冬季五輪開会式。 ロシアの反同性愛法などを批判して欧米首脳が出席を見合わせる中、安倍総理は敢えて出席した。喜んだプーチン大統領はソチ郊外の公邸で、日本から贈られた秋田犬を連れて安倍を出迎える気配りを見せた。首脳間の個人的な信頼関係を深め、北方領土問題を前進させたい安倍総理の強い決意が感じられた。 以後、日露の首脳会談は頻繁に行われている(表1参照)が、ウクライナ問題、特にロシアの一方的なクリミア併合でロシアと欧米の関係が急速に悪化した。日本も対露経済制裁への同調を求められ、これを機に日露関係も冷え込み、領土交渉に向けた動きは停滞する。西方との関係行き詰りを受けてロシアは東に発展の軸足を移し、対中傾斜を一層強めるとともに、シベリア・極東開発の動きを加速させている。北方四島も開発の対象とされ、今年に入るとメドヴェージェフ首相以下、副首相や農相等主要閣僚が相次いで北方領土を訪れ自国領であることを誇示、またラブロフ外相やモルグロフ外務次官らは領土問題の存在を否定する発言を重ねている(表2参照)。

引き分けと二島先行返還論

 このようなロシア側の厳しいスタンスから、プーチン大統領の訪日や交渉の進展はもはや絶望的との受けとめ方が日本では強まっている。しかし、果たしてそうであろうか。ロシア側の動きはあまりに露骨で、これ見よがし、交渉拒否の硬い姿勢を必要以上に喧伝しているようにも窺える。閣僚等の発言や行動、軍事演習の実施は全てプーチン大統領の指示によるシグナルに他ならない。では誰に向けられた信号か。それは日本だけでなく、ロシア国内の世論も強く意識してのものである。 大統領選挙前の2012年3月、日本人記者との懇談の席上、プーチン大統領は「日本との領土問題を最終決着させたいと強く臨む」と切り出した。「我々はゴルバチョフソ連大統領が遂行を拒否した56年宣言(日ソ共同宣言)に戻る用意をしたが、日本側が四島を言い出して全てが最初の地点に戻った」と述べたプーチン大統領は、「柔道家は勝つためではなく、負けないために勇気ある一歩を踏み出さなければならない。我々は勝利ではなく、受け入れ可能な妥協に至らなければなら」ず、それは(柔道にいう)「引き分け」のようなものだと説明した。 冷戦後の1998年、当時の橋本政権はロシアのエリツィン政権に、即時返還に拘らず国境の線引きを改める川奈提案を投じた。しかし、エリツィンの健康が急速に悪化したため合意には持ち込めず、交渉は挫折した。その後、日本の外交関係者の中から二島先行返還を目指す動きが出た。二島返還決着論に立つと言われるプーチン大統領もこれに関心を示したが、日本国内の政争(いわゆる鈴木宗男事件)でこの流れも頓挫した。ただ、当時官房副長官だった安倍氏の次の発言(02年4月)は、注目されてよい。 「日露平和条約は四島の帰属が解決して初めて締結される。56年の共同宣言で、当時のソ連は歯舞、色丹(島)を返すと言っているので返してもらい、日本が、残る国後、択捉島の帰属が決まってから条約を結ぼうと言うのは問題ない。二島返還決着論なら問題だが、当時の鈴木(宗男)氏や東郷和彦(欧亜)局長の対露交渉の考え方自体は決して間違えていなかった。」 プーチン大統領も安倍総理も、まずは二島返還で話を進めることで考えが一致している可能性が高いのだ。

対日強硬姿勢の裏を読む

 ウクライナ問題以後、対中接近を強めるプーチン大統領だが、欧米牽制にはなっても、苦しいロシア経済を救う程の果実は中国から得ていない。プーチン大統領としては、①日欧米の一枚岩を切り崩すとともに、②中国を牽制し、そして何よりも③シベリア極東開発を推進するために、対日関係の改善を望んでいるはずだ。東の開発には日本の経済、技術協力が不可欠なことを、彼は正しく認識している。しかし、国民の強いロシアナショナリズムを自身の政治権力の基盤に据えるプーチン大統領としては、領土問題で安易に日本に譲歩する姿勢は見せられない。そこで日本を強く叩き続け、今後の交渉で首尾良く大きな経済的果実を日本から引き出した暁には、安易な妥協をせず最小限の譲歩(二島)で最大限の国益(経済開発)を勝ち取ったとアピールし、国民を納得させるというシナリオを描いているのではなかろうか。 一方、これまで四島一括返還論を堅持してきた日本の側も、二島だけの返還には世論が反発、軟弱外交との批判も予想される。しかし、「日露の妥結は無理、領土返還実現は不可能」の印象が支配的な中での二島先行返還実現となれば、安倍政権への打撃、批判も違ったものになろう。「厳しい中でよくぞ頑張った」が国民の声ではなかろうか。つまり、仮に日露両政府が二島返還を軸に話し合いを纏めあげる腹づもりとすれば、“ロシアに北方領土返還の意志は一切無し”の心証を日露双方の国民に植え付けておくことは、両政府ともに好都合なのである。最近のロシアの対日強硬姿勢が両首脳暗黙の合意の下でのパフォーマンスかどうか、それは判じかねるが、交渉の環境作りとして阿吽の呼吸の下で演じられているようにも筆者には感じ取れる。果たして如何なものであろうか。

サミット・G8復活・領土問題前進・そして参議院選挙へ

 いずれにせよ、来年(2016年)、日本はサミットの議長国となる。安倍政権は、ウクライナ問題の沈静化を見定めてロシアのG8復帰を促し、ロシアからポイントを稼ぐとともに、出来ればサミットの前後にプーチン大統領との首脳会談を企画し、領土問題の解決を図る。戦後日本外交の最大懸案として残る北方領土問題を前進させ、日露の関係改善で中露に楔を打ち、さらにシベリア開発による日本企業のビジネスチャンス拡大も狙う。こうした輝かしい外交成果を掲げて参議院選挙に臨みたいところだ。 ちなみに、これまで二島論が交渉のテーブルに乗せられると、日露の接近を警戒するアメリカが強く反発してきた。しかし、2016年は4年に一度の大統領選挙の年で大統領はレイムダックだ。また2016年を過ぎれば、日露両国とも政権の基盤が流動化し始める可能性も高い。日本はエリツィンの権勢が低落する前に川奈提案を出すべきであった。タイミングを失した同じ轍を繰り返してはならない。リーダーの指導力が絶頂の時でないと、領土問題のようなノンゼロサムになり易い案件の解決は難しいものだ。まず歯舞、色丹の二島返還を勝ち取り、次いで国後、択捉を巡る交渉の位置づけを明確にさせることが出来るか否か、2016年は日本外交のまさに正念場の年になるのではなかろうか。

政策オピニオン
西川 吉光 平和政策研究所客員研究員

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