人口減少による縮小社会の展望
人口減少・少子高齢化により、日本社会は様々な面で縮小していく。まず量的な変化とその影響を見ておきたい。2023年に国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が出した予測では、日本の人口は、今後100年で明治期と同程度の3千万〜4千万人程度にまで減少することが示されている。
全ての自治体で人口が減少するが、減少幅はそれぞれ異なる。関東地方では比較的減少の割合は小さい。一方、東北や四国などでは現在の6、7割まで人口が減る自治体もある。地方の自治体では人手や税収が減り、地域の担い手が減少することでサービス提供の領域も縮小することが見込まれる。
そのように人口が減少する中で、高齢化率は4割を超える。国は外国人の増加による人口の社会増を期待してきたが、現状は国内の年間死亡数が出生数を上回る自然減のほうが、社会増よりも多くなる基調にある。
人口減少に関連し、社会には様々な現象が起こる。まず、高齢化率が著しく上昇する。高齢化率の上昇は多死社会の到来をも意味し、2040年には年間約168万人が亡くなると見込まれている。また、都市部を中心に身寄りのない独居高齢者が増える。社人研の推計データでは、2040年の65歳以上世帯における単独世帯割合は、東京で45.8%となっている。逆に島根県で35.9%となるなど、人口減少の先進県では落ち着くようになる。後期高齢者についても、独居率が東京で約3割、島根県や鳥取県のような人口が少ない県では2割を切るようになる。そして、増加する高齢者を減少する現役世代で支えなければならず、社会保障にも大きな影響を与える。
同時に、従来の支える側と支えられる側の関係が変化する。現代において、支えられる必要があるのは高齢者だけではない。現役世代の中にも雇用形態などの事情から支援を必要とする人は増えている。加えて、外国人の中にも生活支援のニーズを抱えている人がおり、支援を検討する必要がある。国は全世代型社会保障を構築しようとしており、高齢者も支え手に回る必要が出てくる。
さらに、既に問題となっているが、世帯の多様化への対応も必要である。多様化の形態の一つが8050問題である。中年期の子供が無職やひきこもりであり、高齢の親が年金で家計を支えているという構図である。そうした世帯では、親の介護や医療が必要になった場合、子供が対応することが難しい。その場合、高齢者虐待が発生する可能性もある。また、世帯が人間関係や地域からも孤立している場合も多い。親が亡くなった後、残された中高年の子供が経済的に困窮する可能性もある。
人口減少に伴う質的変化
人口減少・少子高齢化によって発生する諸問題の根本には、社会の質的変化がある。主な質的変化には、「家族機能の縮小」「地域における互助機能の縮小」「社会的連帯の低下」「コミュニティ意識の薄弱化」が挙げられる。これらは社会保障にとっても危惧すべき側面である。
現代日本では、家族の構成人数が小さくなっており、それに伴って家族機能が縮小している。市場経済領域の拡大に伴い、従来家族内で提供されてきた家事やケアなどの無償労働が減少してきている。そのため、自立できない家族メンバーが出てしまうと、家族生活は途端に困難に陥る。子供でさえ介護や経済的な補填を行わねばならない世帯が多数を占める社会が間近に来ている。
さらに、ライフコースのリスク化がこれに拍車をかける。有配偶率が低下し、生涯未婚の人も増えている。これは将来の単独世帯増加につながる。現在では介護離職やヤングケアラー問題など、家族と介護の関係が問題となっているが、介護を担う家族すらいない世帯が増えることも懸念されるのである。
このような家族機能の縮小、および無償労働の減少を考えるとき、どのように家族機能に代わる助け合いを創出していくかという、家族機能の社会化が大きな課題になる。
一方、地域社会における連帯やコミュニティ意識も弱体化している。農村部・中山間部では人口減少が特に進んでおり、すでに縮小社会の縮図となっている。都市部でも社会生活がプライベート化し、隣人に対する関心は減少している。孤立・孤独化が進展し、より一層助け合い意識の衰退が深刻になりつつある。
地域の縮小には、人口面や経済面、行財政面がある。人口面では、人口減少の他に全般的な高齢化、少子化、労働力人口の減少となって表れる。経済面では、地域産業の衰退、公共交通の維持、商店街の衰退などがある。また、いわゆる買い物難民の問題も出ている。行財政的には、社会保障財政の問題、財政収入の伸び悩みや財政負担の問題も大きくなってくる。加えて、今後自治体職員の減少、地域組織の弱体化も起こってくる。
縮小する地域では、民間事業者の撤退も生じる。事業の維持にはある程度のサービスの需要密度が必要であり、国土交通省の試算では、有料老人ホームは4万2500人、訪問介護事業は8500人、一般病院は5500人を切ると存在確率が50%を下回る。小売店や飲食店、一般診療所や介護老人福祉施設は500人が目安とされている。
このように、縮小社会では公共私それぞれの力が低下する。既にここまで述べた諸問題が発生し、社会システムを維持できない地域も出始めている。そのような状況で、どのように暮らしを守る仕組みをつくるかが、社会保障上の大きな課題になる。
介護を担う家族支援
こうした量的・質的な人口減少の中で、介護の担い手不足も問題になっている。今なお介護離職者が年間10万人を切らない状況で、ヤングケアラーやビジネスケアラーの問題が大きくなっている。
ヤングケアラー問題は児童福祉の問題ではない。家族の人数が減っている中で起こっており、人口減少社会の構造の問題であるといえる。ヤングケアラーは、学業や精神面に不安を感じていても、誰にも相談できないことが問題になっている。安心して相談できる環境をつくることも大事である。
また、ヤングケアラーは経済的合理性によって生まれてしまうということも言える。親が介護離職をしてしまうと経済的に成り立たなくなるため、子供が祖父母のケアをする。ひとり親世帯では、親が仕事をしないと生活できないので、年長の子供が兄弟の世話をするということがある。
仕事をしながら介護をしているビジネスケアラーも問題になっている。ビジネスケアラーは所得上の貧困と時間貧困という二つの貧困に直面する。介護を重視して離職した人は所得貧困に陥る。一方、介護と仕事の両方を担う人は可処分時間がとても少なくなる傾向がある。社会生活基礎調査の経年データを用いて、ビジネスケアラーの時間貧困に関する二次分析を行った結果、ビジネスケアラーは国民としての最低限度の生活を維持するための食事・睡眠などの時間が非常に少なく、介護負担が重いことが分かった。
時間はお金と同様、有効かつ有限な資源であり、一定の生活水準を維持するために最低限必要な量を確保しなければならない。そういう意味で、ビジネスケアラーは時間貧困に陥りやすい。介護者833万人のうち318万人がビジネスケアラーであり、今後一層増えていくといわれる。そのウェルビーイングを推進するためには、介護休業だけでなく、余暇や休息のための時間の保障を含んだワーク・ライフ・バランス政策が必要になる。
ドイツの家族支援策
介護や家族ケアに関する制度については、ドイツの家族支援策が非常に参考になる。ドイツの介護保険制度は、介護負担軽減だけではなく、社会政策としての役割があることが大きな特徴である。
ドイツの介護保険は、事業者、特に施設による介護に対し、在宅での家族介護を優先することを明確な方針としている。居宅介護については、現物給付と現金給付(介護手当)が用意されており、現物給付と現金給付を併用することもできる。日本の制度と違い事業者だけでなく家族も介護サービスの提供者と位置づけている。
現金給付の報酬上の特徴は、報酬単価が現物給付のおよそ半額程度と、かなり低く抑えられていることである。居宅介護では現金給付を受給している人が多い。現金給付を受給する人が増えれば増えるほど、介護給付費の膨張を抑制できる仕組みがビルトインされている。
給付は要介護者本人に対して行われるが、現金給付は家族や身近な友人など、介護を担ってくれる人に利用してもらうことができる。被保険者が家族の介護と外部サービスと、どちらも選択できる道を開いている。
併せて、介護者支援のために年金保険、失業保険、労災保険の社会保障法上での評価もある。例えば、家族の介護中に腰痛になった場合、これは労災として認められ、保険が給付される。また、家族介護が社会的に責任ある仕事として評価され、介護のために離職したり無職であったりしても、将来無保険になることはない。
すなわち、ドイツの介護保険制度は家族介護を法的、社会的に評価し、社会参加の機会を保障している。この点で、社会政策としての役割を併せ持っているといえる。
介護保険の受給者は、高齢者だけではなく、子供、障害者など介護(ケア)を必要とする全ての人が対象となる。0歳の乳幼児も介護保険の受給者に、若い親も介護者になりうる。このように家族介護者の対象範囲が広く、家族支援策としても機能している点は、これからの日本の社会保障を構築する上で非常に参考になる。
ここまで見てきたように、日本では縮小社会の諸問題に対応するためには福祉供給をより充実させる必要がある。
社会保障制度の新たな局面
しかし、財政制約から、社会保障費の大幅な拡大は難しい。社会保障の相対的な規模縮小を進めつつ、福祉ニーズを充たす必要があるという新たな局面に入ってくる。
日本は高齢化率に比べると、社会支出の割合が非常に低く抑えられている。一般的に、社会保障支出と国民の負担の大きさは均衡がとられる。ところが、日本の社会保障支出は高齢化の影響で年々増大しているにもかかわらず、国民の社会保険料負担を増やすという話にはなかなかならない。
そして、日本は世界でも財政赤字が最も大きい国の一つである。税負担と社会保障費(社会保険料)を合わせた国民負担率、それに国民所得に対する財政赤字の割合を合わせて算出する潜在的国民負担率は、ドイツやスウェーデンなどと遜色ない水準になっている。また、歳入面では、1990年にはほぼ税収で賄われていたものが、現在では赤字国債の割合が増えている。社会保障費も1990年には歳出の11.8%だったが、現在では3割を超え、国債費と合わせて歳出の半分を占めるようになっている。
そのような財政状況だが、国民意識の大勢は負担増を最小限に抑えつつ、給付の充実を希望している。令和4年度に実施された「社会保障に関する意識調査」(令和6年8月27日公表)では、現在介護保険外サービスとして行われている掃除や洗濯などの生活援助も公的介護保険に含めるべきとした人が6割に上った。一方、社会保障の給付水準を維持するために、少子高齢化による負担増はやむを得ないと考える人も3割以上となっている。こうした国民意識を踏まえ、今後の給付と負担のバランスを踏まえた制度改正が必要になる。
社会保障のジレンマ
その時考慮すべきことの一つが、社会保障と家族やインフォーマルな私的扶養の間にあるトレードオフである。社会保障を減らすということは、福祉ニーズに対応するためには家族などの私的扶養を増やす必要があることを意味する。逆に、家族・私的扶養の負担を減らそうとすれば社会保障を拡充する必要がある。
また、社会保障は少子化のハードルになっている面がある。社会保障、介護保険や年金が充実・安定すればするほど、老後に家族や子供に頼る必要は減る。その結果、家族・子供が絶対必要だという意識は低減し、生涯未婚率の上昇や少子化を促進し得る。生涯未婚率の上昇や少子化の進行は老後に身寄りのない人を増加させ、将来の社会保障を一層充実させる必要が生れる。そして、一層充実した社会保障は、家族や子供を絶対必要だと思う意識をさらに弱めうる。単純化すれば、社会保障と少子化にはこのような循環的なジレンマが想定できる。
同時に、少子化は働き手、即ち社会保障の支え手も減少させるため、社会保障の拡充は結果として社会保障の持続可能性を弱める可能性もある。この意味で、現行の少子化対策に効果があるのかは疑問が残る。
縮小社会への対抗手段
今後、縮小社会において福祉を安定して供給するためには、「自助」「互助」「共助」「公助(社会保障)」の四つを、時代背景や個人の条件に合わせて組合せられるようにしていく必要がある。
時代や地域によって、自助や互助の概念や求められる役割は異なっている。都市部においては、互助の構築は容易ではない。代わりに市場サービスの選択肢が多く、サービス購入による自助は比較的容易である。ただし、年金額の低い高齢者や無年金者、生活困窮世帯にはサービス購入による自助だけでは困難であることに留意する必要はある。一方、地方では民間市場が限定的で、互助の役割が大きい。今後、公助すなわち社会保障の大幅な拡充が難しいことを考えれば、都市部では自助、地方では互助の果たす役割が大きくなる。
福祉の供給主体別に考えれば、家族・地域・民間部門・公的部門のそれぞれが得意なところをどのように活かして代替補完していくか、国がどこまで支えるのかも検討を要する。
地域共生社会構想:「互助」型強化社会の構築
社会保障は財源確保が難しく、家族機能は縮小する。そこで、今政府が期待しているのが、地域・サードセクターによる「互助」型強化社会、すなわち地域共生社会の構築である。
地域共生社会とは、一言で言うと、住民の福祉を住民自身が作り上げる社会である。地域共生社会構想の中では、今後家族機能が縮小していくことを受け、人々が家族以外の第三者、すなわち頼れる他人をつくれるようにすることが重要な課題となっている。そのために、行政も地域も企業も協力し、年代を問わず相互に支え・支えられる関係の中で暮らしを守れる仕組みの構築が目指されている。
具体的には、社会保障の機能強化と地域社会の再生が施策の方向性となる。社会保障面では、対象者ごとに縦割りになっている制度の狭間をなくし、総合的なセーフティネットを構築することが目指される。地域社会の再生とは、地域ごとに地域福祉活動、プロボノ活動(職業上のスキルや専門知識を活かして取り組むボランティア活動)、民間サービス等、多様な担い手が参画できる社会をつくることを意味する。
この背景には、福祉制度の対象となる人々以外の一般市民でも、様々な生活上の困りごとを抱える人が増えていることがある。それらの人々も、そのままでは孤立して非常に重篤で複合的な課題を抱えてしまう場合がある。こうした人々を支えるためには、公的福祉には限界があるので、互いに支え合おうというのが、「互助」型強化社会の構想である。
公共私の連携見直し
ただ、善意をあてにした「互助」型社会は実現可能なのかという懸念がある。実際、現在はボランティアの担い手が減少している。かつては高齢者、女性、学生が主体だったが、高齢者や女性は多くの人が就労するようになり、学生は人数が減っている。自治会加入率も低下し、民生委員や児童委員も人材確保が困難になっている。
したがって、互助の担い手同士のつながりをどのように強化していくかが課題となる。互助の組織のつながりを強化して、自助・共助と互助が連携しながら、公助をサポートする市民的な基盤を再構築していくことを、地域共生社会構想の取組として行っているところである。
互助的仕組みの事例には、島根県匹見町における買い物難民の支援が挙げられる。匹見町の下匹見地区では、地区と生協が協働し、買い物難民支援と見守り活動を行っている。生協が公民館まで商品を配送し、公民館の職員や住民ボランティアが、大型車が入れない場所に住んでいる人々へ届ける個別サービスを引き受けている。そして、商品を届ける際、見守りも行うという取り組みである。
もう一つは、島根県の「おたがいさま」という有償助け合いシステムである。手伝ってほしい人と手伝える人を丁寧につないで支え合う仕組みであり、誰でも利用できる。手伝ってほしい人は、システム維持の手数料300円を含む依頼料1000円で手伝いを依頼できる。
これまで、自助がだめなら共助、共助がだめなら公助というスローガンがあったかもしれない。しかし、自助・共助・公助は相互補完である。公共私の連携を見直し、「公」が力強く「共」と「私」を支える。行政・企業・サードセクターがつながりながら連携し、解決策を模索する相互補完が重要となる。
縮小社会に対応した社会保障
今後、日本は80代、90代の高齢者が大量にいるという、世界が経験したことのない状況になる。個人は生みたくないが、社会は子供が欲しいというギャップが生じている。少子化対策は約30年間続けられてきたが、いまだ人口減少のトレンドが転換する入口すら見えず、「異次元の少子化対策」の効果は不透明である。
縮小社会に向かう過程において、従来型の社会保障と家族・私的扶養が福祉を供給する力は弱まる。弱者になったら終わりの社会、戻ってこれず、困っている人や若者が見えず、個人と社会・制度を繋ぐものがない社会が、現行の社会の先にある未来ではないか。
今後、社会保障は個人を自立した存在としてではなく、相互依存的な存在としてとらえた設計にしていく必要がある。ドイツのようにケアを社会的に評価することにより、今まで家族が担ってきたケア機能を社会の機能にも組み入れて、これからの社会のあり方を創造していくのである。日本でも、鳥取県伯耆町にて、保育所整備だけでなく、0歳児を養育する保護者を対象とした現金給付を創設したところ、子育て世代が増えたという事例もある。個人・家族と制度が結び合わさった社会を構築していくことにより、社会保障の規模縮小と家族機能の弱体化の両方に対応することが期待できるのではないだろうか。
(本稿は、2024年10月22日に開催したIPP政策研究会における発表を整理してまとめたものである。)