児童虐待解決の補助線

児童虐待解決の補助線

2019年8月6日

1.児童虐待死の無念さと無策を超える視点

続く児童虐待死に心が痛む

 社会学の立場から長らく「少子化する高齢社会」の研究に従事してきた。学問なのでその現状解明が主な仕事であったが、10年ほど前から少子化なのに生まれてきた幼児がこともあろうにその親から殺されるという児童虐待死に心を痛めて、その対策についても考えてきた(金子、2014;2016;2018a;2018b)。虐待死の専門家などはどこにもいないが、それに近い複数の専門分野からならある程度の有益な情報発信は可能である。全体としては素人談議になる危険性を承知したうえで、少子化研究の観点から児童虐待死にどう立ち向かうかを具体的に論じれば、他の分野での研究にも役立ててもらえるかもしれない。
 この分野における最終的な大目標は児童虐待死がなくなる「少子化する高齢社会」の探求であるが、この大問題の一部にある小さな課題だけでも切り取って、その問題点と解決策を具体的に示しておきたい。以下はそのような立場からの試論である。
 さて、日本には限らないが、幼気な子どもがその親により一方的に虐殺される現状が続いている(ヘルファーほか、1997=2003;ミラー=ペリンほか、1999=2003)。日本で統計が完備した2004年から厚生労働省や警察の統計でも、毎年100人前後の児童(多くは幼児)の虐待死が伝えられている。ただし日本小児科学会有志による2011年の5000人の死亡カルテの精査からは、実にその7%に当たる350人の虐待死が推計された(溝口ほか、2016:668)。
 2018年3月に亡くなり、そのあまりの凄惨さで6月に警察が公表した目黒の5歳の結愛ちゃん虐待死(義父は傷害容疑で逮捕、実母は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕)、2019年1月に発生した野田市10歳の心愛ちゃんの言語に絶する虐待死(実父は傷害致死容疑、実母は障害ほう助容疑で逮捕)、そして2019年6月に札幌市で発生したわずか2歳の詩梨(ことり)ちゃんへの極めて残忍な虐待死(実母は傷害容疑で逮捕、交際相手の男も傷害容疑で逮捕)など、マスコミがその続報に熱心な事案もある。
 全国的にみればほぼ同時期の6月12日にも2つの虐待死が起きている。一つは静岡県富士市の父親による1歳女児への暴行死(傷害致死容疑で逮捕)、もう一つは新潟県長岡市の母親によるわずか3か月の女児の殺人(殺人罪容疑で逮捕)であり、これら目を覆いたくなる事件も同時に発生した。
 さらに7月1日には仙台市で2歳11か月の長女を自宅に3日間放置して殺害した実母が保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕された。3歳前の幼児に3日間食事も水も与えず、おむつの取り換えもしないのなら、命の危険性があることは誰でもが予想できる。

児童相談所と警察の連携だけでは不十分

 このような連日の虐待死の連鎖を受けても、司法関係者を始め政治家もマスコミもその視聴者も研究者も異口同音に「アセスメントが不十分」、「警察と児童相談所との連携不足」、「48時間ルールを守っていない」、「組織間の情報共有が課題」などを連発して、少子化のなかでせっかく誕生した幼子の命がその親によって奪われた不幸な事実に正対していないように見える。なかでも警察と司法関係者は、全く無力な児童への虐待死は相変わらず「殺人」ではないというスタンスで、「傷害致死」や「傷害ほう助」や「保護責任者遺棄致死」に止めたいかのような動きを示しているように思われる。
 児童虐待死に正対しなかった象徴の一つに、目黒の結愛ちゃん虐待死を受けて2018年7月に政府が発表した「緊急総合対策」の一つ、すなわち2022年の児童福祉司2000人増員が挙げられる。これはまったく「緊急」の体を為していないために、5年後の政策効果も疑わしいとその発表直後に私は疑問を呈した(金子、2018c)。結果として、政府により打ち出されたその「緊急総合対策」が無力なまま、それから1年で多くの幼子が同じような酷すぎる虐待により命を落としてきた。これを「致死」で済ませてよいか。

「児童虐待防止法の改正案」

 その後、2019年3月末に児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議「児童虐待防止対策の抜本的強化について」が発表され、6月の国会でこれに沿った「児童虐待防止法の改正案」が可決成立した。そこでは、わが子を虐待死させた保護者に対し、児相が再発防止に向けた医学的または心理的な指導をすることを努力義務とした。また、子どもが管轄外に引っ越しても切れ目なく支援できるよう、移転先の児相に必要な情報を提供することも盛り込まれた。このための増員はどうするのか。
 児童福祉法については、虐待相談件数や人口などに応じた児童福祉司の数を増やすよう修正して、さらに政府は5年をめどに、施行状況を踏まえて児童虐待の予防や、保護者支援などの在り方について検討を加えるとされた。表1は、「改正案」の主な付帯決議をまとめたものである。たとえば、一人当たり児童福祉司の対応上限が40件は、後述するように現在の三割程度にまで減少する案なので、この「付帯決議」には期待が高まる。しかし、一定以上のレベルの専門家の養成はやはり5年先になるであろうし、現段階での予算的な裏付けも十分とは言えない。この5年間はどのように「緊急対応」するのだろうか。
 いずれにしても今後の行方を見ておきたいが、見るだけでは不十分なので、ここではやや迂遠ながら児童虐待防止にとっての数本の補助線(cofactors)を引きながら、問題の根底を見つめ直す。いわば「急がば回れ」の発想で、虐待問題とその解決へのアプローチを模索してみたい。


2.行政改革は定員削減ではない

児相職員の業務を「働き方改革」に整合させられるか

 根底にある仮説の一つは、30年近い日本的「行政改革」の付けが全国210カ所余りの児童相談所の職員数にも影響してきたのではないかという命題であり、同時にこれが解決のための1本の補助線になる。
 2019年4月から児童相談所を管轄する厚生労働省は、「働き方改革」(work style reform)の一環として新しい「働き方改革関連法」の趣旨を国民各層に作為的に説き始めた。働く立場での一般論からすれば、この改革内容は支持できるところが多い。なぜなら、「労働時間法制の見直し」として、健康管理の観点から、「働き過ぎ」を防ぎながら、「ワーク・ライフ・バランス」と「多様で柔軟な働き方」を実現しようとしているからである。
 そのために、①残業時間の上限を規制して、原則月45時間、年360時間を上限とする。②「勤務時間インターバル」制度を導入する。③年5日の年次有給休暇の取得を、職場に義務付ける。④月60時間を超える残業は、割増賃金を引き上げる。⑤労働時間の状況を客観的に把握するよう、職場に義務づける。⑥フレックスタイム制を拡充するなど、盛り沢山な課題が並ぶ。すなわち「改革」(reform)として、休みを増やす、残業時間を減らす、年次有給休暇の取得率を上げるなど、「増減」を使いこなした正しい判断が組み込まれている。
 これはもちろん外勤だけではなく、内勤も行う児相職員である児童福祉司にも当てはまるが、この観点は「働き方改革」を推進する厚生労働省に十分にあるのだろうか。一般論では作為的な「働き方改革」を主張しながら、救急病院や児相など人の命に直結する職場では例外扱いするようなことがあってはならない。「働き方改革」を行いつつ本来の業務をきちんとこなすように、財源を伴う「改革」を実行することが厚生労働省にも期待される。それを放置したまま、人手不足により現場で働く個人の過労を横目でみたままの無作為による負のコストを、救急病院の医師や看護師、あるいは児相職員に押し付けるだけでは普遍的な「改革」などは不可能であり、国民もこれを支持しない。

行政改革は定員削減だけではない

 その成否は、現代日本における長年の通弊であった「行政改革=定員削減」という勘違いの克服ができるかどうかにかかっている。確かに現段階で見ると上記の①から⑥はいずれももっともな改革案だが、勘違いしたままの発想では、厚生労働省を始めとする政府官庁、都道府県庁、市役所の部局、そして県庁や市役所の児童相談所、さらに民間企業ですら、すべての実行が絶望的に困難になる。
 なぜなら、「行政改革」と称する「公務員減らし」の成果として、必要な部局にはあまりにも人手が少なくなったからである。これは過去30年にわたり行われてきた「行政改革=定員削減」の負の成果といえるであろう。たとえば、1990年代からの「定員削減」は依然として現在も進行形のようである。
 表2は、行政改革が言われ始めた時代の政令指定都市における「人口1万人当たりの職員数」の推移である。データベースには各年度『都市データパック』(東洋経済新報社)を使い、そこに掲載してある「一般行政職員総数」を住民基本台帳記載の全人口数で割り、私が算出して、指標を「人口1万人当たりの職員数」とした。そのために、表2では小・中学校教育職、高等学校教育職、技能労務職、警察職などは含まれていない。また、表3でも最近の政令指定都市の動向を押さえているため、表2当時まだ政令指定都市ではなかった都市には★を付けている。
 表2の詳細については(注)を参照していただき、内容をまとめておこう。1999年度から2002年度を経由して2005年度までの「人口1万人当たりの職員数」の推移を見ると、札幌市から福岡市までの当時12の政令指定都市すべてで、着実な減少が起きていることが分かる。たとえば札幌市では、38.6人から35.2人になり、34.4人に減った。川崎市は57.8人から43.5人を経て40.9人まで落ち込んでいる。大阪市は1999年度の63.3人が2005年度には50.7人にまで極端に低下した。その他の都市もまた同様であり、政府主導による総定員抑制が自治体でも効果を示し始めた時期であったことがうかがえる。もちろん児童相談所職員もこのなかに含まれていたはずである。
 表2を図1の折れ線グラフにまとめ直すと、「一般行政職員数」の削減はもっと鮮明に読み取れると思われる。

 次に表3では、政令指定都市の2010年と2015年の国勢調査による人口数、人口千人当たりの市役所職員数(2009年と2016年)の二時点比較を行った。データの質が表2と表3では異なるから注意が肝要である。この理由は今回データベースとした『都市データパック』の計算方法が違ったからである。表3の「人口千人当たり職員数」は一般行政職、教育職、警察職、公営企業関係等を含む全職種の合計であり、この数を住民基本台帳人口で除して算出した。表2と表3ではこのようにデータの質は違うが、その示す傾向は一貫している。
 二時点間の7年だけの地方公務員数の推移を比較しても、「行政改革=定員削減」という公式は今日までまだ健在のように思われる。表3を図2の棒グラフとして示せば、2010年度と2015年度の「人口千人当たりの職員数」減少もまた容易に理解可能になる。


 まず、2回の国勢調査で人口減少を示した政令指定都市は、新潟市、静岡市、堺市、神戸市、北九州市の5市のみであり、残り15市は日本社会全体が人口減少する中で、周辺地域からの人口吸収により増加を示した。
 しかし注目したいことは、「人口千人当たりの職員数」では、相模原市の6.59人が6.64人に微増した以外の19政令指定都市では、軒並みそれが低下したという事実である。人口増加が認められた15の政令指定都市すべても、「人口千人当たりの職員数」が7年間で減少したことは、それだけ定員削減による行政サービスもまた低下したことの傍証にはなるであろう。児童相談所職員もまたこの例外には含まれてこなかった。ただし、派遣や任期付きなどの「非正規雇用」の人数は現状のデータでは不明であり、表3ではその考慮はできない。

 以上の2つの簡単なデータによる三時点と二時点における比較研究でも、自治体レベルでも住民当たりの職員数の実質的削減がみごとに進んできた事実が浮かび上がった。2004年以降の児童虐待死の統計の背後に、事案に直接向き合い担当できる児童福祉司など専門職員の連続的削減が存在するという仮説を改めて提示しておきたい。

「行政改革」をめぐる国語辞典の差異が鮮明

 何しろ『広辞苑』(岩波書店)ですら「行政改革は主として合理化・簡素化や定員削減を行い、行政の効率化と行政費用の抑制を図ること」(第五版1998年 第六版 2008年)と解説するくらいに、「公務員減らし」は日本語のなかにも定着してきたのだから。
 ちなみに手元にある『広辞苑』の初版(1955年)、第二版(1969年)、第四版(1991年)ではいずれも「行政改革」は項目として存在せずに、見出しにもない。この点では、日本の英和辞典も同じようであり、総収録項目26万を超える『新英和大辞典』(研究社,第6版2002年)では取り上げられてはいない。「社会改革」(social reform)、「税制改革」(tax reform)、「教育改革」(educational reform)は掲載されているが、「行政改革」(administrative reform)はない。また、総収録項目36万を収めた『グランドコンサイス英和辞典』(三省堂、初版2004年)でも同様に、「行政改革」(administrative reform)は収録されてはいなかった。
 『広辞苑』が「行政改革」を項目として独立させたのは第五版からだが、「行政改革」なのだから「定員削減」だけではなく、「定員増」もあり得ることへの配慮が絶無であった。これは『広辞苑』辞書編集者の単なる不注意による結果か、政府やマスコミによる「行革」の狙いが「定員減らし」にあったので、それをそのまま無批判に使ったのか。
 なぜなら、「行政改革」の項目がない『広辞苑』(第四版1991年)と同じころに出た大型辞書『日本語大辞典』(初版、講談社1989年)では、「行政改革」がすでに独立しており、そこでの説明は、「膨張した行政の組織と機能を再調整し、組織と権限の統廃合による簡素化・効率化をはかること」とされていたからである。通常の理解でも、「改革」は「定員削減」だけを意味するのではなく、「再調整」された機能次第では組織の「定員増」もまた同時にあり得るであろう。この増減を視野に含んでこそ現代国語辞典になる。
 その他たとえば『大辞泉』(第二版、小学館2012年)では「組織の簡素合理化、事務の効率化、職員数や給与の適正化」とされていて、現在でも「定員削減」は使われていない。また、小型の国語辞典でも取り上げ方にばらつきがあり、『新明解国語辞典』(三省堂 第七版2017年)では「行政改革」が独立していないが、『学研現代新国語辞典』(改訂第三版第三刷2004年)では、「時代の流れにそって能率よく働けるように、行政制度や運用を改めること」という中庸の解説になっている。「改革」なのだから、「効率化」「適正化」「改めること」は正しいが、その手段には「定員削減」もあれば「定員増」もまたありえる。

行政改革は「意図せざる効果」としての非効率化を生みだしてきた

 その意味で、政府主導の「行政改革」は『広辞苑』と同じく「定員削減」の意図が明瞭で作為的であった。たとえば25年かけて行われた「定員削減」により、国立大学をはじめ行政組織でも効率化の行き過ぎによる本来の機能が低下して、各種の機能不全が生み出された。すなわち定員削減による非効率化が各方面で顕著になってきた。これは社会学でいう「意図せざる効果」(unintended effect)の典型例として理解しておきたい。
 国立大学が法人化する前から、教員は教育研究以外の雑多な文書書きや無駄な会議が多く、本来の研究成果が出しにくい状況が30年以上続いている。文科省は大学の世界ランキングの上位に日本の大学が登場するのをよしとするようだが、30年に及ぶ定員削減の結果、大学内もまた効率化とは逆に適正な教育研究機能を発揮できないようになってきた。
 私が1984年から2014年まで勤務した北海道大学文学部・文学研究科の社会学(社会システム科学)関連講座では、当初は教員が6名、助手が3名、講座事務官が1名であったが、20年間で教員5名、助手ゼロ、事務官ゼロになってしまった。さらに学生定員は変わらず、大学院生定員は倍増したのに、教員定数は近々4名に減員されるようである。文部科学省はもとより与野党問わず国会議員の見識を疑うに十分な事実であろう。これは「行政改革=定員削減」の負の断面の一つであるが、国立大学法人のみにそれが顕著になったわけではない。
 先ほどの政令指定都市における「人口千人当たりの職員数」はいわば公務員だけの母集団であったが、行政が委嘱する公的業務に携わる人間もはっきりと少なくなっている。たとえば、『社会生活統計指標』で継続的にデータが掲載されてきた「知的障害者相談員数」(人口10万人当たり)と「身体障害者相談員数」(人口10万人当たり)の動向を見てみよう。ただし管見の限りではこの2種のデータはなぜか2013年版以降の『社会生活統計指標』には見当たらない。以下の解説は2010年度版『社会生活統計指標』の巻末資料による。
 知的障害者相談員数とは、知的障害者福祉法第15条の2に基づく知的障害者相談員をいう。相談員は、知的障害者の家庭における養育、生活等に関する相談に応じ、必要な指導、助言、施設入所、就学、就職等について関係機関への連絡、また知的障害者に対する援護思想の普及に努めるなどの業務を行っている。人格識見、社会的信望、知的障害者の福祉増進に熱意を有する者で、原則として、知的障害者の保護者のうちから適当と認められる者に委嘱される。公務員ではないが、それに準じる公務労働を行う。
 また、身体障害者相談員とは、身体障害者福祉法に基づく身体障害者相談員をいう。相談員は、都道府県知事から身体に障害のある者の福祉の増進を図るため、身体障害者の相談に応じ更生のために必要な援助を行うことを委託された者で、社会的信望があり、身体障害者の更生援護に熱意と識見を有する者とされる。
 どちらも法的には公務員ではないが、行政改革が本格的に始まった1995年あたりから、人口10万当たりの相談員数が漸減し始めている(表4)。ちなみに知的障害者数も身体障害者数も全体としては減少したわけではなく、むしろ増加している。その反面で、人口10万人当たりの相談員数が減少しているという傾向は、「定員削減」の効果でしかない。13年間に人口10万人当たり知的障害者相談員数が3.91人から2.98人へと減少した。しかし、身体障害者相談員数の減り方はもっと激しく、9.3人が6.9人まで急減したのである。


 これは、委託者である都道府県知事が10万人当たり身体障害者相談員を不要と考えたからというよりも、政府主導の総定員の抑制という行政改革に合わせた形で定員削減を進めた結果と見ておきたい。なぜなら、選挙に際しては、国会議員も知事も市町村長でも福祉削減を公約に掲げることは皆無であり、建前だけでは福祉の充実を叫んできたという歴史的事実があるからである。
 しかし結果としては、表2や表3のような「定員削減」は福祉分野でも着実に進められてきたのである。その延長線上に、今日の児童相談所児童福祉司の「定員未満」も位置づけておきたい。


3.児童相談所の定員未満問題

児童相談所職員の業務量の多さ

 全国210カ所あまりの児童相談所職員とりわけ児童福祉司の抱える業務量の多さは、全国の自治体首長はもとより児相関係者でも周知されている。虐待死が発生すると、必ず児相の対応の遅れ、見逃し、非介入などが取りざたされて、多くは批判の対象となる。2019年6月の札幌市児相の対応にも、2018年3月(公表は6月)の目黒の結愛ちゃん事件や2019年1月の野田市の心愛ちゃん事件でも、地区的に該当する児相の対応ミスについては各方面から批判や非難が集まっていて、私も同感するところがある。ただし、「48時間ルール」の不徹底などの批判や非難をするにしても、その仕事量の多さについても比較の方法により正確な認識をしておきたい。
 表5によれば、札幌市の2015年度の養護相談件数だけでも3346件であり、この時点で札幌市の児童福祉司は42人であったから、一人当たりの受け持ち件数は80件になる。なお、2016年度の札幌市では養護相談件数が3451件に増えたが、児童福祉司も43人になったので、一人当たりの受け持ち件数は前年度の80件と変わらなかった。
 政令指定都市の中では、最初からの政令指定都市である約150万人の福岡市の一人当たりの受け持ち件数110件を筆頭に、総人口100万人の北九州市の87.9件や190万人の札幌市の80件が特に際立つ。一方、新しい政令指定都市のうち浜松市の21件や熊本市の28.2件の少なさが鮮明である。どちらも総人口が70万人台であった。
 表5における政令指定都市の児童福祉司総数は752人であり、養護相談件数は44206件であったから、一人当たりの受け持ち件数平均は58.8件となる。全体としてみてもこれはやはり多いと言わざるを得ない。なぜなら月間20日の勤務ならば、毎日3人に面会することになり、不可能に近いからである。したがって、政令指定都市のうちで養護相談件数だけを取り出しても、浜松市と熊本市を除く18の都市の児相では、一人の児童福祉司能力の限界を超えた受け持ち人数であると考えられる。なお、受け持ち件数80件以上は20の政令指定都市のうちで福岡市、北九州市、仙台市、札幌市のみであったので、全体として札幌市の児童福祉司の業務量は特に多く、多忙な日常が想定される。この定員問題解決のために、もっと多くの社会資源の投入は可能か。2015年度札幌市養護相談3346件のなかで虐待相談は1480件(44.2%)が該当し、2016年度では3451件中1798件(52.1%)になり、虐待相談件数は養護相談件数の過半数を占めた(札幌市児童相談所、2018:57)。

児童相談所の4つの相談業務件数

 この傾向は他の政令指定都市でも近似的なのだが、児相の相談業務にはこれ以外にも、障害相談、非行相談、育成相談などがある。これらを合計すれば、2015年度の札幌市「相談種別受理件数」は、実に6574件となる。したがって3346件の「養護相談件数」が全体の相談件数に占める比率は50.9%になり、「児童虐待相談件数」だけを取り出せば全体の22.5%になった。これは多いか少ないか。
 全体としてみると、身体的虐待、ネグレクトなど4種の児童虐待相談件数も増加はしているが、急上昇した正確な理由は別にある。すなわち、2013年度から子どもがいる家庭内DVでは、子どもの数だけの心理的虐待も発生したと数えるという警察の作為的な統計手法の改変が指摘できる。すなわち、家庭内DVが一度あったとして、そこに18歳未満の児童が2人いれば、心理的虐待が2件とされるような統計手法への変更をこれは意味する(金子、2018a;2018b)。
 この結果、2014年度からそれまでは3割程度であった心理的虐待件数が大幅に増加して、全国的にも政令指定都市だけを取り出しても、心理的虐待件数が6割近い比率を示すに至った。札幌市での2006年度から2017年度までの推移は別に指摘したことがある(金子、2018c)。家庭内DV事案に関して警察で調書が作られ、それが文書で児相に送られて、心理的虐待として認定される。この対応もまた、児相の職員の仕事になるが、その分だけ外勤や訪問面談の時間が奪われる。2014年以降の警察担当者は、この事実にどこまで気づいているのだろうか。

家庭内DVを心理的虐待に持ち込んだ功罪

 表6では、札幌市児童相談所で行われてきた通常の集計方法と2014年度からの改変された集計方法を比較した。なお図3は、それを折れ線グラフ化したものである。このうち「(A)児童虐待分」が2013年の警察庁指示により2014年度以降の変化を反映したデータである。すなわち、2014年度からの相談件数が急伸長しているが、これは家庭内DVを心理的虐待に算入させたためである。
 2014年度以降の札幌市では虐待相談件数が毎年増加していて、平均でも20%前後に達している。何も知らなければ札幌市では児童虐待者が増大した印象を受けるが、しかしこれは完全な統計的誤謬である。実際には2013年度までと同じ方式での統計が「(B)児童虐待分」であり、こちらでは毎年の比率は今日までほぼ10%前後で推移してきた。そしてこちらが時系列的な傾向を把握して、札幌独自の対応にも有効なデータになっている。

 児童虐待相談件数の伸びも42人の児童福祉司が吸収しているとすれば、一人当たりの受け持ち件数は157件になり、6月6日以降札幌の2歳児虐待死関連で新聞が連日報じる百数十件は正しい情報といえる。そして、ほとんどの政令指定都市でも似たような状態にあるから、一人当たりの「養護相談件数」の2倍が全体としての受け持ち人数になるとほぼ仮定してよい。したがって、札幌の80人は実際のところは約160人になるという具合である。
 また、社会保障審議会『第14次報告』(2018年)では、「平成28年度に把握した心中以外の虐待死事例が発生した地域における児童相談所の当該事例担当職員の平成28年度の受け持ち事例数は、『101~150件』が14例(28.6%)と最も多く、平均事例数は129.7件であった」(同:115)とまとめられている。そのなかの「虐待相談件数」を取り出せば、受け持ち件数の平均が80.8件であった(同:116)。要するに、多忙さはどこの児相職員でも変わらないということである。
 このような事実はすでに10年前に指摘されていた。「いま児童相談所の児童福祉司一人が抱えているケースは、だいたい100件ぐらいだと言われています」(川崎、2011:162)という現状を、当時からの厚生労働大臣や局長は知っていたか。知っていて何かの策を講じたのか。

児相の現状では働き方改革などできない

 このような状況下で、「働き方改革」に準じて札幌市児相の児童福祉司が土日を休み、仮に毎月20日間働くとして、「養護相談件数」も含むすべての相談業務件数157件の関係者に月に1度面会・面談すれば、毎日8人を相手にすることになる。市内全域に散らばった対象者宅をどのように巡回するのか。徒歩ではなくクルマによる移動でも、157件という数をこなすのはまったく不可能であろう。この数の多さは、自動車販売、保険の勧誘、新聞の勧誘、NHKの受信料契約、デパートの外商、食品や学習教材訪問セールスなど職種を問わず営業担当であれば、たちまち理解されるはずである。
 さらに児童福祉司は、これら外勤とは別に、適宜開かれる内勤の「個別ケース検討会議」への参加と説明が求められる。2018年3月に公刊された『児童虐待防止ハンドブック』(札幌市児童相談所)では、5段階の会議の進め方が紹介されている(同:19)。①導入、②情報の共有、③課題の明確化、④対応と役割分担、⑤今後の支援の確認がそれであり、説明資料を用意して、報告して、課題を明らかにし、リスク軽減の優先順位を決めて、誰が何をするかの役割を確認する作業が短時間で終了するとは思われない。
 ちなみに、社会保障審議会の『第14次報告』では、「要対協」の「進行管理会議」における平均検討事例は110例を超えていて、会議の平均時間は3時間程度なので、1事例につき1.6分の検討時間しかなく、「本来の会議目的を果たしきれていない」(同:105)との反省がある。これもまた、「行政改革=定員削減」の「意図せざる効果」ではないか。
 この流れの中で、「働き方改革」を主導する厚生労働省は、現状の児相職員にどのような「働き方改革」を期待しているのだろうか。もとより長時間労働は避ける方向にあるから、今回の札幌の児童虐待死事案で、一部のマスコミや一般の声として批判が集まる「児相職員は日勤」(札幌市児相所長の説明)を実際のところどう判断すればいいか。
 言い換えれば、現在の児相で厚労省が指導するような作為的な「働き方改革」をするには、何をどうすればいいか。ある意味で、その答えは簡単であり、「日勤」が批判されるなら、児相の職員は土日や夜間の対応が可能なように人数を調整した3交代制にして、全国の児相がそれだけの専門職員を少しずつ増やせば済むことである。これもまた10年前に「三交代でことに当れるよう、単純に計算して職員を現在の三倍する以外に方法はない」(川崎、2011:164)と言われていた。
 この常識を前提にして、20年に及ぶ「行政改革=定員削減=公務員減らし」を先導してきたマスコミや政府与党野党そして国民の大半もまた心から反省したうえで、制度改革を開始することである。すなわち「定員削減」を明記した『広辞苑』とは逆に、「行政改革とは効率化のために必要な定員の増加もある」と決断すればよい。

現状では「48時間ルール」の順守も困難

 このような思考を抜きにして、政治家である厚生労働大臣や子ども家庭局長を始め多くの識者が札幌の虐待死事件で強調した、「48時間以内に安全確認を行い確認できない場合には立ち入り調査を行う」はそれほど簡単ではない。一方で「働き方改革」を主導する厚生労働大臣や局長は、土日の勤務も夜間の残業時間も大幅に増える「臨検」を、「働きかた改革」の観点からどのように把握しているのかを自らまず言明することである。「臨検」(official inspection)とは注意深く念入りに厳密に調べることであるから、時間がかかる。この観点から、どの程度の増員が必要であるかの私案をそれぞれが公表することから打開のための議論が進むであろう。


4.児童相談所への通告の実態

意外と少ない児相への虐待通告件数

 このように現代日本における児童福祉司の絶対数が少ない現況で、実際に児童虐待死に結びつくような通告数はどれくらいあるのだろうか。社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会による過去11年分の613件のデータを見ると、興味深い事実に遭遇する。
 表7から、現実に発生した児童虐待死でさえも「虐待通告なし」が75%を超えていて、死亡に至った事件の発生以前になされた「通告あり」はわずか21%に過ぎないことが分かる。しかも、児童相談所に通告されたのは全体の15%にすぎなかった。


 この結果は、児相が児童虐待死事件のすべてを事前に把握していたのではないことを教えてくれる。虐待死事件に際して言われる「社会の力で虐待を食い止める」は正しいが、それは幻影にすぎない。なぜなら、虐待に関して「社会の力」を象徴する児相はすべてに関与する力量を持ちえないからである。
 むしろ児童虐待死の予防は、児童相談所の活動だけでは極めて困難な現実を日本国民はどう見るのかが「社会の力」を前に問われることになる。児相とともに、虐待家族を取り巻く親族、地域社会、学校、警察などの事前介入、同時進行介入、事後介入の可能性を模索する必要性がどうしても生じる。そこにも社会学の出番は多い。
 札幌市の場合では、10区の区役所すべてに家庭児童相談担当が2名常駐しているから、かりにそこに通告があったら、速やかに一か所の児相と区役所の児相担当が通告内容を共有できる。そこで児相へは15%ではなく11年間の平均のように21%の通告があったとして、現在の札幌児相における児童福祉司が受け持ちは157人であったから、通告ありがもっと増えれば、受け持ち数も増加する。『第14次報告』を精査するまでは、私も児童虐待死関連の通告数はもっと多いはずだと勘違いをしていた。
 一般論からすれば、児相や地域社会、学校、警察による虐待家庭への事前介入や同時介入にとっては、児童虐待ありという通告こそが前提になる。なぜなら、通常の家庭生活は市役所を始め各種の行政機関や民間機関からは覗けないからである。そしてそれは極めて正常なことである。
 そのために、子どもの泣き声、悲鳴、あざ、けが、マンションベランダへの放置、通園しない、コンビニでの菓子パンの盗み、通学しないさせないというような個別状況を誰かが発見して児相や警察に通報して、それは初めて事案となる。しかし札幌での児相通告比率はわずか21%であり、残りの76%あまりは他者の目線が欠落した状態に置かれており、虐待死が発生することを意味している。この事実の持つ意味は虐待家族だけではなく、それを取り巻く地域社会や社会全体の側にとっても大きい。
 もう一つの心中虐待死のケース(361件)では、児童相談所への通告はさらに減少する。表8から「虐待通告なし」が85%を超えて、「通告あり」をはるかに凌駕していることが分かる。さらに児童相談所への通告はわずか5.5%しかない。これでは児童相談所が心中虐待死防止のために事前介入を行うことは不可能である。警察も含めて、心中しそうな虐待家族を取り巻く親族、地域社会、学校などの事前介入と同時進行介入の可能性を探せるかどうかに、今後の予防活動の柱もあるのではないか。
 表7と表8から、過去の経験を通してみると、児童相談所への虐待通告がない場合が圧倒的に多いことが分かった。通告がなければ、児相も虐待の事実を把握できないから、結局はその家庭における虐待死の阻止に関与することもできない。

虐待死への児相の関与も少なかった歴史

 図4は統計が取られ始めてから685件の「心中以外の虐待死」に、児相による関与の有無をまとめたものである。「関与あり」が24.7%、「関与なし」が73.6%というデータは、表7の「通告あり」21.2%、「通告なし」の76.2%とほぼ整合する。これもまた、蓄積された統計が教えてくれるものであり、過去からの正確なデータの蓄積の重要性を教えてくれる。

 また、図5の「心中による虐待死」でも児相による「関与あり」が16%、「関与なし」が82%であったが、これらも表8の「通告あり」10.2%、「通告なし」85.6%と合致する傾向にある。親が我が子を殺して自らも死を選ぶという親子心中は、決して江戸時代の近松門左衛門の世界だけに完結しているのではない。

 要するに過去14年間の統計のまとめからは、虐待通告があれば児相はその事案にほぼ対処してきたが、なければ対処できない。すなわち「関与なし」にならざるを得なかったことが読み取れる。その意味で、25%程度しか虐待通告がなされない現状で、通告があった2018年3月まで目黒の結愛ちゃん事件での香川県児相と品川区児相、2019年1月まで野田市の心愛ちゃん事件での千葉県児相、2019年6月まで詩梨ちゃん事件での札幌市児相の不十分な対処の数々に批判と非難が集まることは仕方がない。
 76%が通告されない現状で、上記の3件はかなり早い時期から児相への通告があったにもかかわらず、三人の子どもの命を救えなかった。そこには過去20年以上にわたる「行政改革=定員削減」がらみの現場における決定的な人手不足、2014年度から家庭内DVを心理的虐待に強制的に算入させて、児相の業務をわざわざ肥大化させた警察庁の見通しの甘さ、虐待家族に身近な親族の非関与などここでいう「補助線」の共通因子を、未来ある幼子の命を奪った原因の一端として位置づけておきたい。
 一般的にいえば、近隣や学校などからの「虐待通報」のうち、通報者の勘違いや誤報とみられる通報も少なくない。いわば玉石混交の情報なのであるが、石であってもそれにより児童の命が救えるかもしれないところから、積極的な通報が期待されている。ただしここでも、それを精査する仕事も児相にあり、業務のなかでは大きな比重を占めるという難題は変わらない。

虐待認識と対応は通告の35%

 図6は過去11年分143件についてのまとめであるが、児相への通報により「虐待認識が得られ、対応が開始される」事案は35%あまりであった。一方で「虐待ではない」とみなされた通報も30%あり、中間の35%が「虐待の可能性を認識していたが、対応は未確定」であった。すなわち、このようにほぼ3等分の実績が積み上げられてきている。したがって、通報者もまた「せっかく通報しても、児相はなにもしない」という感想を7割程度が抱くことになり、「それならもうしない」という態度決定に進むことも予想される。

 虐待通告が21%のなかで、児相でそれを「虐待認知、対応開始」とする比率が35%でも、札幌では一人当たり受け持ち人数が157人に上る児童福祉司の業務は限界を超えてきた。虐待通告が増え、「虐待認知、対応開始」の比率が今よりも上がれば、もっと児童福祉司の業務は膨大になる。そこではとても伝統的な「行政改革=定員削減」の公式が使えるとは思われない。
 この傾向は「心中による虐待死」ではさらに顕著になり、図7に見るように、「虐待認識があり、対応」は20%に止まり、「虐待の認識はない」が66%になっている。心中原因の多くは生活基盤の不安定や将来設計への不安であり、それぞれに異なる事情があることから、家族の外部からはうかがえないところが多い。もちろん児童相談所だけでの積極的対応には限界がある。ここにも心中家族を取り巻く親族、友人、地域社会の協力が望まれるのではないか。

いくつかの見直したい補助線

 以上、今後の児童虐待死を減らすための緊急補助線として、「行政改革=定員削減」の見直し、「働き方改革」に合わせた救急病院の医師や看護師などの増員、あわせて児童相談所の児童福祉司をはじめとする職員の増加、虐待通告数の増加の工夫とその対応の仕方の問題などを概観した。
 社会学の良さは制度の変更、創設への提言が可能なところにある。国民全体で緊急な対応を迫られた今日の児童虐待死問題解決のためには、子育て全般に関わる社会資源すべての活用は当然だが、ここで示したのは本論というよりもその前提となる補助線であり、議論のきっかけになるに過ぎないものである(ジェニー編,2011=2017)。


<参照文献>

Helfer,M.E.,Kempe,R.S., and Krugman,R.D.,1997,The Battered Child,(5th),The University of Chicago Press.(=2003 坂井聖二監訳 『虐待された子ども』 明石書店).
Jenny,C,(ed.),2011,Child Abuse and Neglect: Diagnosis,Treatment,and Evidence, Saunders,an imprint of Elsevier,Inc.(=2017 溝口史剛ほか監訳『子どもの虐待とネグレクト-診断・治療とそのエビデンス』金剛出版).
金子勇,2014,『日本のアクティブエイジング』北海道大学出版会.
金子勇,2016,『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
金子勇,2018a,『社会学の問題解決力』ミネルヴァ書房.
金子勇,2018b,「児童虐待死防止のため何をすべきか」『En-ichi』 no.333 圓一出版):4-10.
金子勇,2018c,「児童虐待死の防止をめざした『子育て共同参画社会』づくり」『政策オピニオン』no.96  平和政策研究所):1-15.
川崎二三彦,2011,「虐待対応の現場から見えてくるもの」『世界』no.813 岩波書店:158-166.
町野朔ほか,2012,『児童虐待と児童保護』上智大学出版.
Miller-Perrin,C.and Perri,R.,1999,Child Maltreatment, Sage Publication.(=2003 伊藤友里訳 『子ども虐待問題の理論と研究』 明石書店).
溝口史剛ほか,2016,「パイロット4地域における、2011年の小児死亡登録検証報告」『日本小児科学会雑誌』120巻3号):662-672.
札幌市児童相談所、2018,『児童虐待防止ハンドブック』同児童相談所.
社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会,2018,『子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について第14次報告』同委員会.

政策オピニオン
金子 勇 神戸学院大学教授・北海道大学名誉教授
著者プロフィール
1949年福岡県生まれ。九州大学文学部卒。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。北海道大学教授等を経て、現職。全国知事会地方自治体先進政策センター専門委員、札幌市子ども子育て会議会長、日本社会学会理事を3期務める。専門は少子高齢社会学、社会変動論。著書に『都市の少子社会』『社会調査から見た少子高齢社会』『少子化する高齢社会』『日本の子育て共同参画社会』『社会学の問題解決力』他多数。

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