不安定化するユーラシア・中東情勢

不安定化するユーラシア・中東情勢

2023年3月7日
ウクライナ戦争がもたらすコーカサス・中央アジアの流動化

 欧州ではロシアによるウクライナ侵略が長期化し、アジアでは中国による台湾侵攻の懸念が強まっている。しかしウクライナや台湾に関心が集中する中、それ以外の場所でも軍事紛争や衝突は起きており地域情勢が不安定している。
 その一つが、コーカサスから中央アジアに至るユーラシア内陸部だ。ロシアはウクライナ戦争で苦戦しその影響力を低下させており、それに伴いロシア周辺諸地域で地域紛争が多発している。例えば中央アジアでは、2022年9月タジキスタンとキルギスの間で国境を巡り戦闘が発生し、タジキスタンでは41人、キルギスでは59人が死亡した。
 またコーカサスでは、係争地のナゴルノカラバフ自治州を巡りアルメニアとアゼルバイジャンの争いが再燃している。2020年には無人機を使った紛争が勃発。この時はロシア軍が間に入り停戦に持ち込んだ。しかし22年9月、互いに相手から攻撃されたとして戦争が再開。アルメニアでは死者行方不明207人、アゼルバイジャン側は80人が戦死している。
 ロシアが主導するCSTO(集団安全保障条約機構)には、ロシアはじめアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの6カ国が参加している。CSTOは軍事的侵攻から加盟国を守るために創設され、いずれかの加盟国が攻撃を受けた場合、他の加盟国が軍を派遣するなど支援するという集団防衛同盟である。だが昨年、ともにCSTO加盟国であるタジキスタンとキルギスが武力衝突した際、ロシアは紛争を放置した。またアゼルバイジャンの攻撃を受けたアルメニアがロシアに助けを求めた際もロシアは要請を拒否した。
 ウクライナ戦争の影響で、いずれのケースも関与、派兵するだけの余裕をロシア軍が失ってしまったからだ。戦争の長期化でロシアがさらに国力を疲弊させれば、紛争の鎮静化や解決は期待できず、地域の不安定さはさらに高まる恐れが強い。

変化した中東の構図

 中央アジアやコーカサスに加え、中東情勢も流動化の様相を深めている。冷戦当時、中東紛争の基軸はアラブとイスラエルの対立だった。しかし最近ではイランの脅威が高まり、敵対していたサウジアラビアなどアラブ諸国とイスラエルが連携してイランに対峙する構図へと変化している。
 2018年にトランプ大統領がイラン核合意から離脱し、これに反発したイランが核開発のペースを加速させている。イスラエルはイランの動きを強く警戒、またこの地域の大国サウジアラビアや穏健派アラブ諸国は、イエメンのフーシ派を支援するなど覇権主義的な動きを強めるイランに対抗するため、イスラエルとアラブ双方が接近し連携を強めているのだ。
 サウジもイスラエルも元来米国との関係が深い国だが、サウジはジャマル・カショギ記者殺害事件を巡りバイデン政権と対立、いまも関係は冷え込んだままだ。一方イスラエルでは昨年総選挙で勝利したネタニヤフ新政権が入植地拡大や対パレスチナ政策で強硬な姿勢を強めている。だがウクライナや中国問題に追われ、米国は関与の余裕を失っている。イラン核合意再建のめども立っておらず、中東は流動的な状態が続くであろう。
 さらに今年に入り、中東地域を一層不安定化させる事件が起きた。トルコ・シリアで発生した大地震である。この地震でトルコは甚大な被害を蒙り、長きにわたり政治を司ってきたエルドアン政権に赤信号が灯っている。しかもそれに伴い、少数民族クルド人勢力によるテロや過激な反政府活動が活発化する危険があるからだ。

国を持たぬクルドの悲劇

 クルド人は独自の言語、文化を持つ民族で、人種的には非アラブで、インドヨーロッパ語族とされるが必ずしも定かではない。アラブ、トルコ、アルメニア、トルクメン等周辺民族との混血も進んでいる。長身で逞しく、毛髪は褐色、眼の色は黒ないし灰色が一般的だが、一部に金髪碧眼も混在している。
 主にトルコ南東部からシリアとイラクの北部、イランの北西部、それにアゼルバイジャン共和国の5カ国と国境を接する山岳地帯に集団居住している。彼らがクルディスタン(クルド人の土地)と呼ぶこの地域は、約50万平方キロとフランスの国土面積とほぼ等しい。
 1916年、英仏露三国はオスマントルコ帝国の領土分割を定めたサイクスピコ協定を締結。その後一部変更が加えられ、クルド人居住地域の真ん中に国境線が引かれることになった。第一次世界大戦後のベルサイユ会議で民族自決主義が謳われ、1920年のサンレモ会議で、アルメニア人と共にクルド人の国家樹立も議題に上った。
 次いでオスマントルコと連合国が中東の戦後処理を規定するため結んだセーブル条約(1920年)で、クルド人とアルメニア人の自治・独立が認められた。「アルメニア・イラク間の回廊地帯をクルディスタンと指定し、まず自治を、次いで国際連盟の承認の下に独立を許す」と定めたクルディスタン条項がそれである。ところがトルコ建国の父ムスタファ・ケマルによるトルコ独立戦争の後、新生トルコが連合国と結んだ1923年のローザンヌ条約で先のクルディスタン条項は削除され、クルド独立の構想はたち消えとなった。
 こうした経緯から自らの国は持っていないが、クルドの人口は約3千万人とアラブ人、トルコ人、イラン(ペルシャ)人に次ぐ中東第四の民族規模を誇る。中でもトルコでは全人口約8400万のうち2割近くをクルド人が占めるといわれる。だが居住する地域が各国に分かれ、民族としての統一行動に出ることが少なく、それぞれの国で少数民族の扱いを受けている。これに不満を抱くクルド人は過去1世紀にわたりイラン、イラク、そしてトルコの各国で中央政府と度々対立してきた。
 中央政府の力が弱まると、クルド人は自治権の拡大やクルド民族国家の独立を求めて激しい武装闘争を展開するが、その都度鎮圧され抑え込まれるというパターンを繰り返してきた。クルド問題は「時の政権の安定度のバロメーター」と言われ、中東地域の大きな不安定要因となっている。そのクルド人勢力が最も強く中央政府と対立するのがトルコだ。

トルコ政府とクルドの対立

 トルコでは、初代大統領ムスタファ・ケマルが創設し、建国期に政権を担当した共和人民党が単一民族主義を掲げ、クルド語の使用が厳しく制限されるなど同化政策が徹底された。これにクルド人の一部が反発、クルド人としてのアイデンティティを覚醒させることになり、1970年代にはクルド人の独立国家建設を目指す武装組織クルド労働者党(PKK)が結成され、政府に対しテロやゲリラ攻撃を繰り返すようになった。過去20年間にトルコでは4万人近い犠牲者が出ている。
 一方、近代化を進めるトルコは長年にわたりEU加盟を希望しており、加盟の条件として、キプロス問題の解決に加え、内政では人権問題の改善や民主自由化の推進がEUから求められている。そのため2002年8月、トルコ国会は民主化促進の14法案を一括可決し、死刑の廃止や少数民族の教育や放送の容認、デモ行為制限の規制緩和、国家批判に対する罰則の撤廃等を決定した。
 死刑廃止に関しては、国家反逆罪で逮捕され、死刑判決を受けていたPKKのオジャラン議長が刑の執行を免れた。この措置に軍部や右派は反発したが、EU加盟を最優先する政府は死刑廃止を盛り込んだ新刑法を成立させた。その一方、EUが注目していたクルド語の教育や放送の解禁は実行に移されず、EUはトルコとの加盟交渉を2年先送りにしている。
 その後、2002年11月の議会選挙でエルドアン率いる公正発展党(AKP)が政権を奪取、現在に至るまでAKPが与党の座を占めている。その間、エルドアンは2014年までは首相、それ以後は大統領としてトルコの政治を掌握している。当初エルドアン首相はクルド問題の解決を目指し、2013年には一旦PKKとの間で停戦が成立、また民主改革も積極的に進めた。
 だが政権の長期化に伴い反政府運動を弾圧するなど民主化路線は後退、それと並行してエルドアンとAKPはイスラム教の価値観を重視するとともに、トルコ民族主義への傾斜を強めた。そしてクルド系政党の人民民主党(HDP)に圧力を加え、また分離離独立を要求し武装闘争を続けるPKKをテロ組織と認定するなどクルド人勢力との対決姿勢を強めるようになった。さらに2016年夏以降、3度にわたりシリアに越境する大規模な軍事作戦を実施し、シリアのクルド人武装勢力人民防衛隊(YPG)の掃討にも乗り出している。
 そのためエルドアン政権への反発から、PKKによる武装闘争が再び活発化している。昨年11月、イスタンブールの繁華街で爆発が起こり6人が死亡、80人以上が負傷する事件が起きた。同じ場所では2016年にも過激派の自爆テロが起きている。トルコ政府はPKKの犯行と認定し、報復としてクルド人勢力が活動するシリア北部やイラク北部への空爆作戦を実施した。それに対しクルド人武装組織がロケット弾によるトルコ南部への攻撃を繰り返し、子供を含む21人が死傷するなど両者の間で激しい応酬が続いた。

エルドアン政権の揺らぎ

 2014年に大統領に就任したエルドアンは、好調な経済を背景に支持率を高める一方、独裁的傾向を強めるとともに、トルコのイスラム化政策を推し進めた。しかし、政教分離を重視する立場から国軍が政権から距離を置くようになり、2016年7月には軍の一部がクーデターを画策した。この動きは未遂に終わったが、エルドアンは関係者7500人以上を逮捕したほか2万人近い公務員を解任するなど大規模な粛清に出た。そのためトルコ社会全体が抑圧的な状況に覆われることになった。翌年エルドアン政権は大統領権限を強化する憲法改正を行い、2018年の大統領選で勝利したエルドアンはさらに強大な権限を手にする。
 しかし、エルドアンの長期支配とその強権独裁的な政治姿勢に国民の批判が強まっている。2019年3月の統一地方選挙では、イスタンブールと首都アンカラでともに野党第一党・共和人民党(CHP)の候補が市長に当選し、AKP支配の陰りが顕著となった。2020年には首相・外相経験を持つAKP元幹部が新党を結成し、エルドアン政権に痛烈な批判を加えるようになった。エルドアンの政治体質に国内外の批判が高まる中、通貨リラの暴落や高いインフレ率などトルコの経済状況は悪化している。またエルドアンがロシアとの関係を深めたことで欧米との摩擦も強まり、長期政権に揺らぎが出始めている。

トルコ・シリア地震の与える影響

 そうしたなか、本年2月6日にトルコ南部からシリア北部にかけてマグニチュード(M)7.8の大地震が発生。トルコとシリアの死者は5万人を超え、犠牲者や被害の規模はさらに増大する恐れがある。エルドアン政権はウクライナ戦争勃発後、黒海からの穀物輸出再開交渉や停戦交渉でイニシアティブを発揮してきたが、被災者の救援活動や復興事業に追われ、ウクライナ戦争解決に関与する力を失ってしまった。
 また耐震基準が順守されていなかった実態が明らかとなり、エルドアン政権は工事関係者ら200人以上を逮捕し、責任追強の姿勢を見せている。しかし被災地では安全対策を疎かにした杜撰な建築を容認してきた政権への非難が収まらない。エルドアン大統領は「1年以内の住宅再建」を目指すが、復旧・復興事業が遅延すれば政権への不満はさらに強まるであろう。先月末69歳の誕生日を迎えたエルドアンはいま、政権奪取後最大の苦境に立っている。今年5月には前倒しの大統領選挙が予定されているが、震災のため実施が危ぶまれており、エルドアンの再選や政権維持も微妙な情勢だ。
 別の問題もある。両国の被災地はいずれも複雑な懸案を抱えた地域で、トルコではクルド人居住地域と重複、シリア北部も同様にクルド人が居住するほか、アサド政権と対立する反政府武装組織の拠点でもある。そのためトルコ、シリア両政府ともこれら地域への海外からの支援を断る動きに出たため、それが救援や支援活動のさらなる遅れを生んでいる。クルド人が多く住む地域では、支援や復旧作業が他の地域よりも大幅に遅れていることへの不満が募っている。
 震災被害による政情・社会不安の増大だけでなく、救援活動や復興支援で差別的な扱いを受けたとしてクルド人勢力が反発、しかも中央政府の凝集力は弱体化しており、こうした状況が改善されねば、PKKなどによるテロや反政府活動が活発化する恐れが強まろう。
 国際社会は一刻も早い被災地の復旧復興に向け支援と協力を惜しんではならず、また等クルド人武装勢力のテロや暴力の行使を防ぐための関与努力も求められている。トルコは古くからの親日国だ。イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された200人以上の在留邦人を救出するため、戦火の中をトルコ政府が2機の航空機を派遣してくれた逸話を知る人も多いだろう。被災地の復興支援やトルコ、そして中東地域の政治的安定確保のため日本は最大限の協力を為すべきである。

(2023年2月28日、平和政策研究所上席研究員・西川佳秀)

国際情勢マンスリーレポート
長引くウクライナ戦争は、ロシアの勢力図の変更とともに、ユーラシア・中東地域の構図の変化に大きな影響を与えつつある。この地域の最大の民族であるクルド族の動向も踏まえ分析する。

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