激変する北極海と日本の展望 ―北極域研究船への期待―

激変する北極海と日本の展望 ―北極域研究船への期待―

グローバルイシュー・平和構築
1.北極の温暖化

 北極も南極も雪氷で覆われる極地であるが、北極は中心が海で、南極は中心が大陸である。この違いが両者の自然環境の違いを生み、地球温暖化の影響も両極で異なってくる。地球表面の氷の9割は南極大陸上に存在する。残りの1割のうちの9割、つまり、9%はグリーランド上に存在する。これらは陸上の氷であり、過去の雪が降り積もって自重で圧縮されたものである。つまり、海氷の体積は陸氷のそれの1%にも満たないが、表面積は陸氷のものとほぼ同じになる。すなわち、海氷は陸氷よりも桁違いに薄く、地球温暖化の影響を強く受ける。加えて、海に浮かぶ海氷は動くことができる。海氷が密接している場合はお互いが邪魔をしあって動けないが、温暖化が進み融解が始まると、隙間のできた海氷は風や海流の力を受けて動き出す。そして海氷の無い海上に運ばれた海氷は、海水からの熱を受け、急速に融解する。その結果、北極の海氷は減少を続け、現在の北極海の夏の海氷面積は、1980年代のものの半分近くにまで減少している。また、北極域の地上気温は、1950年代以降、地球全体の平均の3倍程度の速度で温暖化している。
 北極の温暖化は、海氷減少をもたらしているのみではない。永久凍土の融解が進み、地中に閉じ込められていたメタンが大気中に放出されており、それがまた温暖化を加速している可能性が心配されている。海氷が退いた海は太陽からの放射熱を1桁以上大きく吸収して温められ、それによる上昇気流がこれまでの層雲系の穏やかな雲の代わりに積雲系の雲を発生し、北極の天気を乱している。このところ北極海では大型台風並みの巨大低気圧が毎年のように発生し、それによりまた海氷融解が進んでいる。海氷の減少した海では代わりに波浪が発達し、温暖化で緩くなった土壌との相乗効果で海岸侵食が進んでいる。一晩で海岸沿いの生活道路が海岸侵食により無くなってしまった村もある。また、海洋生態系の変化も観測されている。更に、北極海中央部の公海の漁業については、科学的な調査が済むまで禁漁するという国際条約が結ばれた。北極の温暖化に伴う気候・環境の変動のメカニズムを科学的に解明し、それを予測し、対応策をとることが急務になっている。

2.日本への影響

 日本は非北極圏国であり、北極の問題は一見無関係のように感じるかも知れない。しかし、北極の変化の影響は様々な形で日本にも及んでいる。温暖化による陸氷の融解は海面上昇をもたらすだけでなく、異種の水の流入による海洋循環の変化をもたらし、気候や生態系を大きく変えてしまう可能性がある。また、バレンツ海付近の海氷減少が上昇気流を生み、低気圧性の大気渦が生じる。この渦が偏西風の蛇行を引き起こし、ユーラシア大陸の西側では中緯度域の暖気が北極に流れ込み、東側では北極域の冷気が南下して、日本をはじめとする東アジアに厳冬と豪雪をもたらしている。同様の現象は、北アメリカ大陸でも起こっている。ある気象学者が「北極は今、冷蔵庫の蓋が開いた状態」と表現したが、言い得て妙である。また、北極での観測データを導入することにより、日本に襲来する台風の進路予測精度が上がるという研究成果もある。これらは、北極域の観測を強化し、北極の気象・海象のメカニズムを解明することにより、我が国の自然災害への対策を講じることができ、人命保全と経済損失軽減が達成できる例である。
 北極海航路と北極圏の資源開発も盛んになってきている。特にロシア北極海沿岸は、ロシアの政策もあり、油ガス田開発の巨大プロジェクトが走っている。ヤマル半島の天然ガス田開発プロジェクトでは日揮がプラント建設を担当し、商船三井が大型砕氷LNG(液化天然ガス)船による輸送に参画している。本年7月にはそのうちの一隻が東京地区の川崎市のLNGターミナルに入港し、新聞報道もされた。北極海航路はこれまでのスエズ運河経由に比べてヨーロッパと日本の間の距離・日数とも3〜4割減となり、新たな貿易経路として大きな経済効果が期待されている。世界に先駆け、日本の民間気象予報会社のウェザーニューズ社が、北極海航路の航行支援サービスを開始している。一方、研究面でも航行支援のための海氷予測について、我が国は世界トップレベルにあり、これらの研究を実用レベルに高めるためにも、実航行データの蓄積が必要である。

3.我が国の北極政策と北極域研究船

 これまで紹介した必要性を受けて、各国が急ピッチで対応を進めており、非北極圏国でも科学観測を主導的に行っている国がある。ドイツは自国砕氷研究船を2019年夏に海氷の中に意図的に閉じ込めて海氷と共に1年間漂流しつつ観測を継続している。中国・韓国とも自国の砕氷研究船を北極海に送っており、中国は2隻目が本年から就航している。
 我が国も平成27年10月に総合海洋政策本部から「我が国の北極政策」を発表した。そこでは「研究開発」「国際協力」「持続可能な利用」の3つの柱が謳われている。その後、平成28年2月から8月にかけて開催された文部科学省 科学技術・学術審議会 北極研究戦略委員会にて、新たな「北極域研究船」建造の必要性が示された。そして、平成28年11月から平成29年1月にかけて開催された文部科学省 北極域研究船検討会にて「砕氷研究船」の必要性が示され、それを受けて、平成29年度より国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)にて、砕氷型の北極域研究船の検討が進められている。また、平成30年5月に閣議決定・公表された第三期海洋基本計画では、「北極政策の推進」が大きく取り上げられるとともに、「砕氷機能を有する北極域研究船の建造等に向けた検討を進める」と明記されるに至った。アカデミアの活動としては、北極環境研究コンソーシアム(JCAR)が平成30年度の2回の北極域研究計画ワークショップにて砕氷研究船の必要性を強く認識し、本年度JCAR内に設けた北極域研究船利用計画作業部会による検討と広く意見を求めるオープンなワークショップを経て、10年レンジの利用計画と5年レンジの観測計画を纏めるに至った。表1は、利用計画の概要である。

4.新型コロナウィルス問題と北極域研究船

 前節でも少し紹介したが、気候変動問題のキーである北極域の観測・研究を各国が推進している。我が国は海洋研究開発機構の海洋地球研究船「みらい」が毎年夏から秋にかけての1ヶ月ほど北極海で観測を行っており多くの成果をあげているが、「みらい」は砕氷能力がないため海氷域に入れず、地域、期間とも限定される。海氷域の観測については共同研究ベースで他国の砕氷研究船に便乗させてもらえるが、観測計画を主導することはできない。また、今年のように大規模な感染症問題が起きると、海外からの乗船は真っ先に断られることになる。さらに、観測研究は国際協力で分担して実施することが多いが、砕氷研究船を持たない日本は、その計画検討の輪の中に入れてもらうことができず、科学外交上も不利を被っている。冷たいと思われるかも知れないが、研究計画は研究者にとって次の飯の種でもあり、相互利益となる話し合いができないと相手にしてもらえないのは仕方のないことである。南極の昭和基地は各国の南極観測基地の中でも最高レベルに厳しい海氷のところにある。そのため南極観測船「しらせ」は人員と物資の輸送能力を優先した船になっており、南極観測を継続しながら北極観測にも使うことはできない。
 「みらい」はその前身「むつ」から数えると51年、改装して「みらい」になった後でも25年を経ている老朽船である。「みらい」の観測を引き継ぎかつ発展させるためには砕氷機能を有する研究船が必要である。観測船は建造が決まってから竣工まで5年ほど掛かる。平成29年に文部科学省から財務省に砕氷機能を有する北極域研究船の概算要求が提出されたが、必要性が理解されず、認められなかった。速やかに砕氷機能を有する北極域研究船の建造を開始すべきである。
 現在世界的な広がりを見せた感染症により、人々の生活と経済が大打撃を受けている。国の来年度予算も感染症対策と経済復興に多くが使われることになろう。しかし、北極域研究船はいわば国家百年の計に相当するものであり、同じ俎上に乗せてはならない。さらに、欧州の検討では北極海航路の利用関連で年間300億円の経済効果があるという試算があり、国内の評価でも、北極域研究船により得られる経済効果は、建造・運用費を大きく上回ることが示されている。様々な面で多くの効果が見込まれる案件である。

政策オピニオン
山口 一 東京大学大学院教授
著者プロフィール
三重県生まれ。東京大学工学部船舶工学科卒業。東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程修士課程および博士課程修了。工学博士。東京大学工学部船舶工学科専任講師、同助教授、その後名称変更により、東京大学工学部船舶海洋工学科助教授、再度名称変更により、東京大学工学部環境海洋工学専攻助教授、同教授。その後、システム創成学科が誕生して、システム創成学科環境・エネルギーシステムコース コース長、環境海洋工学専攻長等を経て、現在、東京大学大学院新領域創成科学研究科海洋技術環境学専攻教授。他にも、国立極地研究所客員教授、科学技術振興機構(JST) 研究主幹、海洋研究開発機構(JAMSTEC)横須賀本部招聘上席研究員、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)上席研究員を併任する。現在の主たる研究テーマは「極地環境学」。
北極の温暖化は地球上で最も深刻と言って良い。海氷面積は40年で半分近くにまで減少した。北極海航路を含む北極域研究は、日本の災害対策や経済政策に重要な意味を持つ。

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