日本の研究力の顕著な低下
今世紀に入ってからの我が国の学術(研究)には二つの際立った“事件”がある。一つは、ノーベル賞ラッシュである。現在までに18人が受賞しており、輝かしい科学技術立国を印象づける。多くの国民もそれに酔っているかもしれない。しかしそれに隠れてあまり目立たない“事件”が、研究力の顕著な低下である。海外と比較すると、学術論文にかかわる数値の全てが停滞あるいは低下している。例えば主要7か国(米、中、独、仏、英、韓、日)の中で、日本だけが近年発表論文数を減らしている。人口あたりの論文数は世界の37番目で、おおむね東欧諸国と同じレベルだ。ノーベル賞は通常30-40年前の業績に対して与えられるので、我が国は世界でも類を見ない“研究力急速没落国”と言える。
こうした状況は国の共通認識になっており、様々な行政文書にそこからの脱却の必要性が指摘されている。しかし、どこに原因があるのかについての見方は必ずしも一様ではない。わが国の論文の3/4程度は大学所属の研究者によるため、さる官僚は、大学が極めて封建的、閉鎖的で著しく流動性を欠き、非効率的であるため、としている。この指摘はどこかまでは正しい。東大を含め、大学教員に相応しいだけの仕事をしているのだろうか、と思われる教員はあちこちに見られるし、新しい学問領域になかなか柔軟に対応できないのも確かだ。しかし、そのようないわば“古色蒼然たる組織”が我が国の戦後の急速な発展を支え、今世紀のノーベル賞ラッシュを生んできたのである。
論文数に直結する政府支出研究資金
鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長による『科学立国の危機』(2019)は、豊富なデータと統計的手法を駆使し、我が国の学術の現状を最も的確に分析している書と思われる。図表だけでも200余り、536頁に及ぶこの労作の内容をここにまとめることは不可能に近いが、いくつか挙げれば、
・日本の政府支出研究資金は先進国で最低のレベルに留まっている。
・諸外国の論文数の増加は、政府の大学への研究資金の増加によるとみなせる。
・日本では大学の研究者人件費が停滞し、研究者数が停滞あるいは減少したため、論文数が増えない。
・“選択と集中”により、日本ではわずかな数の大きな大学が多くの論文を生産する傾向が顕著であるが、諸外国では、“中堅大学”の相対的寄与がより大きい。
・各国のGDPは大学研究費の額とよく相関する。
結論としては、政府が大学にどれだけ研究費を支出あるいは増加させるかが論文数、さらにGDPを左右する大きな要素ということになる。統計によっても多少数値は異なるが、今世紀に入り、米、韓、中はそれぞれ大学への研究費を約 2倍、4倍、14倍に増やしている。一方、わが国の国立大学は発表論文の約半数を担っているが、運営費交付金(これは教育、研究等全てを含む)は2004年以来年ほぼ1%ずつ削減され、近年は下げ止まっているが、これまで12%ほど減少している。この減少分の一部は任期付き教員の雇用に回っているものの、大学は教員定数を削減せざるを得ない。残った教員には研究以外の負担も相対的に増えるので、これで論文を増やそうとしてもどうしたって無理だ。
「評価漬け」で忙しい大学研究の現実
さて、私は縁あって2019年4月より琉球大学に移り、一地方国立大学の状況をつぶさに見ることになった。国立大学は2004年に法人化されて以来、国立大学法人評価委員会による6年毎の評価を受けてきた。現在第3期の5年目にあたるが、琉球大学は7月に昨年度までの4年間について、エビデンスを含め1、000頁を超える報告書を提出したところである。この法人評価は国立大学の最も基本的なものにあたるのだが、他にも認証評価(2004年より7年毎)、重点支援評価(2016年より毎年)、成果を中心とする実績状況に基づく配分(2019年より毎年)という三つの評価がある。しかもそれぞれの評価主体は異なる。さらに、今年度に入り、民間で使われてきたガバナンスコードを導入し、大学の諸データの公表を求めていく動きがある。
事前に聞いてはいたが、膨大な作業を伴うこの“評価漬け”には驚かされた。誰が何を考えてこのような異なる評価を導入してきたのだろうか、そもそもそうした評価が結果的に研究力の向上に結び付くという根拠がどこまであるのだろうか、そして、世界に、これだけの数の評価を大学に課している国があるのだろうか。
大学が何もしなくてもよい、などとは言うつもりはない。改革すべきことが山のようにあることを日々感じている。大学を聖域にするな、という声があることも承知している。しかし、もし国が豊田学長による冷徹な分析に向き合うことなく、予算総額はそのままで声高に産学連携を通じた資金獲得の重要性を謳い上げ、“選択と集中”を推し進め、大学を評価漬けで絞り上げるだけでは、我が国の研究力は世界の中で落ち続けるばかりだ。それは近年停滞している産業力をさらに低下させ、我が国をかつての高度成長の日々を懐かしむだけの国へと没落させることになるだろう。
沖縄の明るい陽射しの中で、暗澹たる気分に陥ることの多い今日この頃である。
(本文は木暮の私見であり、琉球大学の公式見解ではない。また、文中の数字は基本的に豊田学長の書による)。