はじめに
長かったアメリカの大統領選挙戦も残り一月余になった。大統領候補であるトランプ前大統領とハリス副大統領の両者は激しく競り合っており、どちらが第47代の大統領職を手にするのか予想は難しい。バイデン大統領の出馬撤退を受け、ハリス副大統領が後継の民主党大統領候補に指名されて以降、彼女の人気は急上昇し、Z世代や女性などから高い支持を集めるようになった。9月10日に実施された討論会でも、米主要メディアはハリス氏の優位を報じている。だが思い返せば、副大統領に就任する以前から、ハリス氏には政治家としての見識と指導力に疑念が呈されていた。実際、副大統領在職期間中もさほど目だった活躍や功績が無く、果たしてハリス氏が大統領に相応しい人物なのか不安が募る。
人気先行のハリス候補に対し、トランプ前大統領は自国中心主義、あるいは自身中心主義ともいわれて久しい。ラストベルトの白人中下層やキリスト教福音派等保守からの支持は強力だが、共和党を超えて広くアメリカ市民全体の視点に立てば、トランプ嫌いは多数を占める。「トランプだけは二度と大統領にしてはならない」とのネガティブキャンペーンも活発だ。またアメリカのNATOからの離脱を主張したり、同盟諸国に防衛費の負担増を強く求めるような言動から、欧米諸国もトランプ氏の復帰に警戒感を隠そうとしていない。
ハリス、トランプのどちらが次のアメリカ大統領になっても、アメリカおよび世界には前途多難な途が控えているように思える。同様に、アメリカ国内の深刻な分断と対立を次期大統領の下で解決することも決して容易ではない。内戦の勃発や南北戦争再来の事態も懸念されるなど、アメリカ国内の分断や対立は極めて深刻なレベルに至っている。大統領選投票を前に、その厳しい現状を見つめておきたい。
1.拡大する政治の分極化
アメリカのシンクタンク「ピュ—リサーチセンター」が示す資料によると、冷戦が終焉した直後の1994年当時、アメリカの二大政党である民主党と共和党の立ち位置にはそれほどの開きが無かった。しかし2017年になると、リベラル(民主党)とコンサーバティブ(共和党)の間の開きが大きくなったことが資料から伺える(図表1参照)。二大政党間の乖離拡大は、政党支持層の主張や意見の隔たりの拡大が背景にあり、冷戦後、米国世論の分裂が急速に進んでいる状況を示している。その背景には、様々な要因が関わっており、しかもそれらが複合重層的に作用し影響しあっている。一つ一つその実態を眺めていこう。
2.アメリカンドリームの消滅
貧富の格差拡大
貧しい者が一代で成功者になるというアメリカンドリーム。がってのジョン・モルガン、アンドリュー・カーネギー、ジョン・ロックフェラーなどはアメリカンドリームの象徴的存在であった。現代ではマイクロソフト社のビル・ゲイツもそのような一人だ。最近では経済的な成功に限らず、スポーツ界や芸能界においてもアメリカンドリ−ムが語られるようになってきた。映画『ロッキー』の主人公ロッキーや、それを演じハリウッドスターの座を射止めたシルベスター・スタローン自身もアメリカンドリームの体現者といえる。タイガー・ウッズやマイケル・ジョーダンも同様だ。英国のような階級社会とは異なり、流動性の高いアメリカ社会では階級や身分は固定したものではなく、個人の努力次第で上の階層に移ることが容易であった。そのため上昇志向の価値観は肯定的に受け止められ、「社会のはしご(social ladder)を登った人は大いに賞賛された。歴代大統領の中でエイブラハム・リンカーンが常に偉大な大統領として最高位の評価を受け続けているのも、彼が丸太小屋からホワイトハウスへと上り詰めた自助努力の人(self made man)であったからだ。
しかし、現実のアメリカ社会では、アメリカンドリームはまさに文字通りの「夢」でしかなくなりつつある。CNN等が2014年に米国内で実施した調査によれば、「アメリカンドリームは実現できない」と答えた人は全体の59%、若年層(18〜34歳)では63%に上った。こうした結果になるのは、個人の才覚や努力だけでは乗り越えられない程の経済的な障壁や格差が生まれたからだ。アメリカでは1980年代から所得が一部の富裕層に集中する傾向が強まり、人口の僅か1%が国富全体の半分を保有している。またこの国の貧困率は14.5%(4530万人)と先進国の中では飛び抜けて高い(2013年総人口比)。その原因は1980年代、当時のレーガン大統領がサプライサイド経済学(レーガノミックス)の考えの下で、富裕層に対する減税措置を実施したことに端を発している。レーガン政権以後の歴代政権も富裕層向け減税や規制緩和、市場原理至上主義の施策を進めたことで、一握りの富裕層への富の集中が一層顕著になった(図表2参照)。
その一方、米国経済の衰退に加え、労働法、破産法、年金制度等が労働者よりも企業に有利な内容へと改正され人員削減が容易になったこと(不安定な雇用と労働条件の切り下げ)、グローバル化に伴い賃金が割安な海外に工場が移転したこと(産業空洞化)に伴う雇用機会の喪失、さらには不動産バブルの崩壊(2007年)やリーマンショック(2008年)によって、アメリカの中間層が急速に崩壊していった。アメリカの中低所得層は、所得が伸び悩んでいたにも拘わらず、2000年代に入り返済能力を大きく超えた借り入れや消費を重ねるようになった。そうした不健全な借金の累積がアメリカの経済システムを脆弱にし、金融危機を招く一因ともなった。そして2007年の住宅バブル崩壊で、低中所得層は返しきれない膨大な借金のために持ち家や職を瞬時に失い、大量のホームレスや失業者が生まれた。さらに2008年のリーマンショックがそれに追い打ちをかけた。2010年にはフードスタンプ(ジョンソン政権が創設した生活困窮者の食糧購入補助制度)の受給者が4100万人に達し、過去最高を記録した。こうした結果、白人を主とする一部の富裕層は益々豊かに、反対に多くの中流層は没落し、アメリカでは富裕層と貧困層の二極分化が急速に進んだのである。
中流層の崩壊
ピューリサーチセンターの調査(2012年)によれば、「10年前に比べ生活水準を維持するのが難しい」と応えたのは、自分を中流層と認識している人の85%に上った。またアメリカ社会における中流層の割合は61%(1971年)から51%に縮小している。貧困層といえば、これまでは黒人やヒスパニックに代表されるマイノリティがその代表だったが、今日では中流から滑り落ちた白人が貧困層に数多く含まれ、貧富の関係が人種・移民における多数派・少数派の関係とは一致しなくなった。
健全な中流階層が崩壊したことで、冨の分布はさらに不均衡なものとなっている。2012年には、アメリカにおける全所得の約半分が上位10%の富裕層の手に渡り、格差の水準は大恐慌時代を上回った。国民の1%にあたる富裕層の収入がアメリカ全世帯の収入の20%を占め、逆に貧困層が全人口の15%と過去最大を記録。そして低所得層の下位20%の家庭に生まれた子供の約4割は成人しても同じ所得階層のままで、逆に上位20%の富裕層の家庭に生まれた子供のやはり約4割が同じ富裕層に留まっている。格差の拡大だけでなく、拡大した格差の固定化が進みつつあるのだ。「次の世代の暮らしは、自分たちよりも良くなると思うか」との設問に対して、「自信が無い」と答えるアメリカ人が増えている。2014年の調査では、自信ありと答えたのが2割程度に落ち込んでいる。アメリカンドリームが失われているのだ。こうした生活水準における国民の二極分化は、先に示したように、それぞれの支持政党の立ち位置の二極分化をも引き起こした。社会福祉を重視する民主党はより大きな政府を、自由競争を重視し富裕層の利益を代弁する共和党はより小さい政府を主張して自らの立場を先鋭明確化させ、互いの距離が広がっていった。
オバマケアが抱える問題:平等よりも自由を重視する国民性
アメリカ社会が一部の富豪と多くの貧困層に分裂する中、オバマ政権は2010年に医療保険制度改革法(オバマケア)を成立させた。アメリカでは、65歳以上の高齢者に対しては「メディケア」、貧困層向けには「メディケイド」という政府所管の公的保険制度があり、その加入条件にあてはまるのは国民の3割程度。どちらにも該当しない人は、民間企業が販売している健康保険を購入することになるが、この国の医療費は高く、健康保険加入費用も平均1世帯年間8000ドルと極めて高額な買い物になっている。当然貧困層は保険に加入できず、病気になるとその治療費負担で借金が嵩んで破産に追い込まれたり、治療を断念せざるを得ないケースが後を絶たない。
こうした状況を改め、日本と同様の国民皆保険制度の導入をオバマ政権は目指したが、共和党や保険会社などの強い抵抗を受け、当初めざしていた公的医療保険制度の導入は実現できなかった。成立したオバマケアは、保険会社に拒否された人々の保険料を政府が肩代わりするなど既存の民間保険会社の健康保険を購入しやすくして全国民に保険加入を義務づける制度に落ち着いた。しかし、これによって2020年までに新たに3200万人の保険加入者を増やし、国民の加入率を95%に引き上げることをめざしたのである。だがオバマケア成立の直後から、同制度は国民の自由を侵害する違憲の措置だとして各州などで訴訟が相次いで提起された。2012年6月、連邦最高裁はオバマケアを合憲と判断したが、その時期の世論調査ではオバマケアへの支持率は44%に留まり、共和党支持者の77%が反対する等不満は燻っている。アメリカは、個人主義的な国であるとともに、「平等」よりも「自由(結果の平等よりも機会の平等)」を重視する傾向がもともと強い。
全ての国民に保険加入を義務づけるのは、国家権力で特定商品(保険)の購入を強制するものであり、個人の白由への侵害行為になる(医療保険未加入者には約700ドルの罰金が課せられる)。自分の入りたい健康保険は自らの意志で決められるのが筋だ。豊かな者は、自ら稼いだ金で手厚いサービスのついた高額保険に入りたい、その自由を奪うなという論理だ。また国民皆保険制度で恩恵を受けるのは無保険状態にある約20%の低所得層だが、彼等を救うために中流層の膨大な税金が使われる(試算では、低所得者層の保険料負担への支援等のため10年間で約1兆5千億ドルの財政負担増)。無保険者の多くは貧困層だから、税金を払うのはすでに保険に加入している中流以上の人たちになる。保守派の目から見れば、国民皆保険制度とは、中流以上の国民の所得を国家が奪い取って貧困層に再分配する「大きな政府」の典型的な政策と映る。自分の税金が貧者救済のためだけに使われ、しかも自らは入る保険が制約され、受けられる医療サービスの低下を強いられる。これでは社会主義国と同じではないかという不満や批判が中流層以上には根強くある。オバマケアを巡る対立の激しさは、「大きな政府」を支持する派と「小さな政府」支持派の亀裂が如何に大きくなっているかを物語っている。さらにそうした対立の背後にある「平等よりも自由を重視する」アメリカの国民性が、結果的に格差の是正を妨げる要因となる現実にも注意を払う必要があろう。
3.人種問題
アメリカは多民族国家であり、移民によって形成された国である。しかし、その移民問題がこの国を揺るがす大問題を引き起こしている。
建国初期の移民:WASPの形成
北米大陸に最初に移住した西欧人はスペイン人で、1565年にフロリダのセントオーガスティンに植民地を建設した。次いでフランス人が1604年アカーディアにロイヤル港を建設している。イギリス人は1607年にジェームズタウン、1620年にプリマスで、さらに1630〜41年からはピューリタンがマサチューセッツ(セイラム、ボストン)植民地の経営を開始している。その後、17〜18世紀にかけてオランダ人(ニューヨーク)、スウェーデン人(デラウェア)、ドイツ人(ペンシルバニア)、フランス人(サウスカロライナ、カナダ、ミシシッピ河口)等の入植が進んだ。クリスマスツリーやイースターの卵ころがし、フランクフルトソーセージ、ライ麦パン等今日ではアメリカを代表する文化や食生活はドイツ人によって全米に広められたものである。その後19世紀には多くのアイルランド人が流入した。次いでアメリカが工業国家へと発展を遂げる19世紀末〜20世紀初頭には、南欧や東欧・ロシア(カソリック・ラテン・スラブ系)の移民が急増、東欧・ロシアには迫害を逃れたユダヤ系が多かった。
しかし、移民の主流となったのは英国系(イングランドのほかウェールズ、スコットランドを含む)の移住者であった。独立後の1790年に行った第1回の国勢調査では、当時の総人口約400万人のうち白人が80%で、その75%が英国系で占められていた。イギリス系の移住者は、総括してアングロサクソンと呼ばれ(本来、アングロサクソンとは、ドイツ北西部のサクソン地方からイングランドに移住した人々を指す概念)、西欧北部からの移住者も次第にアングロサクソン的文化に同化していった(アングロコンフォーミティ)。彼等の多くはプロテスタントであり、かくてWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)がアメリカ社会の主流を形成することになる。
戦後アメリカと移民動向 アジア系とヒスパニック
第2次世界大戦で一時移民は途絶えたが、大戦後、アメリカへの移民は再び増加に転じた。大戦の被害をほとんど受けず、西側陣営の盟主となったアメリカが、戦後未曾有の経済成長を遂げたためである。 1948年に難民法が制定され、アジア系難民や亡命者を積極的に受け入れる外交政策がとられた。その結果、1960年代になるとベトナム、韓国、中国、台湾などアジアからの移民が急増した。メキシコその他のラテンアメリカ諸国からの移民(ヒスパニック)も増えたが、ラテンアメリカ諸国からの移民数に初めて明確な上限が設定されたため,「非合法入国者」が急激加することにもなった。そのため 1970年代後半以降、アメリカの移民政策は,大量に流入する不法移民(非合法入国者)への対処が大きな課題となる。
ヒスパニック系移民増大
ヒスパニックとは、スペイン語を母国語とする集団の総称である。ヒスパニック系の中で最大の集団はメキシコ系(ヒスパニック全体の6割)で、プエルトリコ系(1割)、キューバ系(4%)、その他に中央・南アメリカ系(エルサルバドル、ジャマイカ、ドミニカ共和国等)の出身者(3割弱)などが含まれる。メキシコ系ヒスパニックがニューメキシコ、テキサス、アリゾナ、カリフォルニアなどアメリカ南西部に集中して居住しているのに対し、マイアミなどフロリダにはキューバ系が多い。カストロのキューバ革命を嫌いアメリカに亡命した者が中心で、知識階層や実業家、技術者なども多い。1960年代には公民権運動の影響を受け、自分たちの言語・文化に対する誇りと自覚を表現する呼称として「チカノ」(Chicano)が用いられたが、最近ではヒスパニック(Hispanic)あるいはラティーノ(Latino)と呼ぶのが一般だ。ラティーノとはラテン系という意味のスペイン語である。
近年、ヒスパニック系の人口は急増を続けている。2010年度の国勢調査ではヒスパニック系の人口は5048万人でアメリカの全人口の16%を占めている。1970年度のヒスパニック系人口が907万人だったので、その著しい増加ぶりがわかろう。既に2000年の時点でヒスパニック(全人口の13%)は黒人(12%)を抜いて全米最大の集団となっている。1965年の移民法改正がヒスパニック系移民が増加する契機となった。しかも正規の移住者は家族の呼び寄せなどに限られるため、メキシコなどからの不法入国者が大量に生まれた。現在、米国内には1100万人(全人口の約3.5%)の不法移民がおり、うち600万人近くがヒスパニック系とされる。アメリカとメキシコの経済格差が大きいため、職を求めてリオグランデ川を渡り不法入国する者が後を絶たないのである。人口構成が若く、出生率の高さや大家族制を採っていることもヒスパニック系人口が急増する一因である。
データを見ると、1960年には白人(非ヒスパニック)85%、黒人11%、ヒスパニック3.5%、アジア系0.6%だったが、2011年には白人63%、ヒスパニック17%、黒人12%、アジア系6%と変化した。これが2050年になると白人が47%と半数を割り込み、ヒスパニック29%、黒人13%、アジア系9%になると推測されている。ヒスパニック系の平均年齢は25.8歳で、非ヒスパニック系白人(38.6歳)よりもかなり若い(2000年国勢調査)。(図表3参照)。
なお不法移民対策の厳格化で、近年ではアジア系移民の流入数がヒスパニックを上回っている。2010年にアメリカに移り住んだ人のうち、アジア系が占める割合は36%(43万人)でヒスパニックは31%(37万人)。2000年の統計では、アジア系は19%でヒスパニックが59%を占めていた。アジア系移民人口の内訳(2010年)は、最多が中国系(401万人:23%)で、フィリピン系(342万人:20%)、インド系(318万人:18%)の順。1960年まで最多だった日系は8%(130万人)で、ベトナム系(173万人、10%)、韓国系(170万人、10%)に次ぎ6番目。ヒスパニックやアジア系(フィリピン)移民の増加で、アメリカにおけるカソリック信徒の比率が年々増大しつつある。宗教だけでなく、タコスなどヒスパニックメニューの増加等アメリカの食生活にも影響を与えている。さらにヒスパニック系不法移民の増大で、治安の悪化や他の移民の就労機会の剥奪といった問題も表面化している。アジア系やヒスパニックの増加で、WASP主流の伝統が揺らぎ、今やアメリカは白人の国からカラードの国へと変化しているのだ。これがWASP層の危機感を生み、人種対立を煽る要因となっている。
進む黒人の階層分化と変わらぬ人種差別
1619年8月20日、一隻のオランダ船がバージニア州のジェームズタウンに入港し、ポルトガル商人が運んでいた20人のアフリカ黒人を陸上げして水、薪、その他の物資と交換に売り渡した。これが、英国のアメリカ植民地における黒人奴隷の起源といわれている。以後、南部における綿花栽培の拡大に伴い、使い勝手の不自由な白人の年季奉公人に代わり安価な労働力として黒人奴隷が大量に導入される。
ケネディの死によって大統領に昇格したジョンソンは、南部民主党や共和党の抵抗を排し、1964年7月に公民権法を成立させた。人種や性、出身国による雇用差別の禁止を規定した。同法の第7編に基づき、雇用面での人種差別や性差別を撤廃するために調査,勧告,告発などを行う雇用機会平等委員会(EEOC)が設置され、EEOCが雇用面での平等を実現するために導入した施策が積極的優遇措置(affirmative action)である。優遇措置の具体策として最も広く用いられたのが、採用や昇進の際,黒人や女性に一定の比率を割り当てる割当制(quota system)であった。また公民権法には黒人の参政権を保障する条項が明記されたが、深南部では法成立後も白人の妨害で投票登録が阻止され続けた。そのためジョンソン政権は投票権法を成立させ(1965年)、連邦政府の監視下に投票登録を進めた結果、黒人有権者の投票登録率は一気に高まった。
アファーマティブアクションの導入によって、1960年代以降、黒人の地位や大学進学率、雇用状況には改善が見られた。4年制大学の学位を持つ黒人の割合は、過去50年間で4%から21%に上がった。黒人家庭の年収(中央値)も2.9万ドルから4.1万ドルに増えている。アファーマティブアクションの結果、中産階級を構成する黒人層が増えたことは確かだ(図表4参照)。黒人の全世帯に占める中流層の割合は、1960年代後半以降27%から37%へ増大しており年収10万ドル以上の黒人の富裕世帯も3%から17%にまで増加している。
しかし、そのような機会に恵まれず、アンダークラスと呼ばれる社会の最下層に留まったままの黒人も数多い。米国勢調査局の調査(2012年)では、連邦政府が定めた貧困ライン(4人家族の場合、年収約2万3500ドル)未満の人口割合(貧困率)は全米で15%で、2000年以降上昇傾向が続くが、なかでも黒人の貧困率は27.2%と白人の12.7%を大きく上回る。黒人社会の階層分化が進み、中流保守化した黒人とアンダークラスの黒人の分離断絶が強まることで、差別撤廃に対する黒人の社会運動には盛り上がりが欠けるようになった。実力ある黒人指導者も現れ難く、下層に固定されたままの黒人のアメリカ社会における隔絶孤独化が強まり、彼等の不満や鬱屈が高まっているが、彼等に対する差別的な扱いは一向に改まらない。
その典型が、犯罪捜査における人種差別問題である。「人種や皮膚の色を基準として特定の人に職務質問や取り調べをすること」をレイシャルプロファイリングと呼ぶ。警察官による交通検問や事件捜査の場合、黒人やヒスパニック等マイノリティだけを検問したり、容疑者扱いするとの批判が絶えない。クリントン政権は警官によるマイノリティ運転者に対する停止捜査の実態調査を命じたが(99年)、ミネアポリスでは検問を受けた運転者のうち逮捕された割合は、黒人・ヒスパニック・先住民が白人の2倍以上に上ることが判明した。ニュージャージー州の調査では、交通検問を受けた運転者のほぼ半分がマイノリティで、特に高速道路料金所では、検問や車両捜査をされる運転者の4人に3人が黒人かヒスパニックだった。ミズーリ州司法当局によれば、車の運転者に対する警官の職務質問は約88%が黒人に集中。黒人運転者が車内捜索を受けるケースも白人の12倍に上るという。
また白人警官が黒人を射殺し、裁判では正当防衛として無罪になるケースが全米で相次いでいる。1999年4月、ニューヨーク市で若いアフリカからの移民男性が職務質問で警官の制止を聞かなかったという理由で4人の白人警官に射殺された。警官は全員無罪とされ、これに抗議する黒人のデモが発生した。2014年8月にはミズーリ州ファーガソンで、丸腰の黒人少年マイケル・ブラウンが警官に射殺され、発砲した警官は大陪審で不起訴処分となり、地元だけでなく全米で激しい抗議デモが起きた。人口2万1000人のファーガソン市は人口の3分の2が黒人だが、市長や警察署長らは白人が占める。地元警官53人の大半が白人で、黒人は3人だけだった。白人警官の黒人に対する偏見や差別意識に加え、黒人の不審な行動に恐怖心を抱いた白人警官が、状況をよく確認せずに自らの身体を守るためと安易に発砲することも同種事案多発の一因と考えられる。検察幹部を選挙で選ぶ検察官公選制を採っている地域では、検察当局が支持母体の警察票をあてにするため大陪審の審理で中立的な態度を期待することが難しい問題もある。白人と黒人の相互不信や互いの警戒心が不幸な事件の根底に横たわっており、心の通った接触の乏しさがその背景にある。
都市部と郊外の分離 二つの国に分裂
アメリカでは仕事を求めて多くの黒人が農村部から都市に移住するようになった。しかし低賃金や雇用の不安定さから生活水準は低いままで、彼等の住む街はやがてスラム化し、犯罪や暴動が多発する。治安の悪化に伴い、中流階層の白人は都市を捨て郊外に住居を移していった。彼等は都心にある職場に郊外から通勤、仕事が終われば郊外に戻り週末の買い物も郊外に進出したショッピングモールで済ませ、都心部には寄りつこうとしなくなる。
所得の低い黒人のみが都市部に集中する一方、中流以上の白人の生活拠点は大都市の周辺にドーナツ状に拡散し、白人と黒人が混住する生活環境が失われていった。高所得の白人が流出し低所得の黒人が多数住む都市部では、税収入の減少によって財政赤字に襲われ、黒人に対する教育や社会福祉予算の確保がままならず、益々黒人の生活環境が悪化する悪循環が生まれてしまった。公立の小中学校では白人と黒人の比率を等しくするよう努めているが、郊外に住む白人はその子供が都市部の黒人と同じ学校に通学させられことに強く反発。白人は金をかけても子供を私立学校に通わせる。
こうして現在のアメリカでは、同じ州、同じ都市でも、白人と黒人の棲み分け・分離が進んでおり、互いに交わり、交流することを拒絶している。黒人に対する有形無形の差別が隠然と残り続けるだけでなく、一つの国であるアメリカは、いまや黒人と白人の二つの国に分かれてしまった。
「神は私が山に登ることを許され、私は頂から約束の地を見た。・・・私は皆さんと一緒にその地に行くことは出来ないかもしれない。だが今夜、皆さんに分かって欲しい。我々は一つの民として、約束の地に辿り着くということを。」
暗殺される前日、キング牧師はメンフィスでの演説でこう語った。それから60年近い歳月が経過した。オバマ大統領はキングの夢の体現者であり、さらなる高見をめざす後継者でもあった。だがそのオバマ氏も、任期中に「約束の地」を踏むことは出来なかった。
4.宗教対立
宗教国家アメリカ
アメリカはヨーロッパで宗教的・政治的な差別・迫害を受けた人々が移民して築いた国である。植民地時代には、ニューイングランド地方などでピューリタンたちが、新大陸にキリスト教国家を建設するため政教一致の政治(神政政治)を行い、政治と宗教が一体となっていた。例えばマサチューセッツ湾岸植民地では、教会の会衆を前にして、自分が如何に救済されたかという恩寵の経験を告白し、認められた教会員だけが選挙権など公民資格を与えられた。同植民地における教会設立には議会の承認が必要とされ、植民地政府の枠組みの中に教会が組み込まれていた。
このような建国の経緯からも窺えるように、アメリカは、宗教が政治や日常生活に深く関わっている宗教国家である。他の先進諸国と比べて「神を信じる」あるいは「生活にとって神を非常に重要」と考える人が多く、週末などに教会に行く等宗教活動に参加する人の比率も高い。逆にこの国ではイスラム教や仏教などキリスト教以外の宗教を信じる者よりも、無神論者(神や霊魂の存在を否定し、宗教を非科学的で現実逃避の手段と否定する立場)が最も警戒、忌避される傾向にある。合衆国憲法修正第1条は「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止する法律・・・を制定することはできない」と定め、政教分離の原則を明確に規定している。しかし合衆国憲法が禁じるのは、政府が特定の宗教教団に便宜を図ったり、逆に特定の宗教教団の活動を禁止することであり、各宗派の自由な布教活動を妨げないことに眼目が置かれており、政治と宗教の関係が密接であることを否定する趣旨ではない。つまり(英国国教会の如く)中央政府が特定の宗派を国教となし、その受容を各州や国民に強制したり他の教派に圧力をかけることを防ぐための規定であって、国家と特定の宗教教団(教会)との分離は求めても、フランスのように政治の領域から宗教を排除・分離することを意味するものではない。これは、宗教が政治に、また政治が宗教に関与してはいけないという日本的な政教分離原則の理解とかなり異なっていることに留意する必要がある。
かっては、アメリカの各州にはそれぞれの公式宗教があった。例えばマサチューセツツ州ではピューリタンが公式宗教とされ、その教会員でなければ選挙権さえなかった。合衆国憲法が制定された後も、12の州ではキリスト教徒であることが公職に就く条件とされ、すべての州で公式宗教が廃止されたのは1833年(マサチューセッツ州が最後)、キリスト教徒であることを公職就任条件とする規定がすべての州からなくなったのは1961年のことである。合衆国憲法が国教を禁じたのは、連邦政府の権力を制限することによって宗教各派の活動を保護・強化するためであったのだ。
公民宗教
建国以来、キリスト教徒が多数を占めてきた事実から、キリスト教はアメリカの政治に強い影響を及ぼし、キリスト教と政治の関わりは今日も深いものがある。大統領の就任式では、聖書に左手を置き、右手を掲げて宣誓する光景が必ず見られる。アメリカの公立学校で毎朝行われる「国旗宣誓」で「私は、アメリカ国旗とそれが表す、神の下の一つの国家であるこの共和国に忠誠を誓います」と唱えるのもそうした一例である。アメリカの紙幣には「IN GOD WE TRUST」と印字されている。これは、国民が神を信じ、国家を神に委ねる決意を表したものだ。また軍隊には従軍牧師(特定の宗教教派に限定した活動はしない)が随伴するし、空港には礼拝場が設けられている。
つまりアメリカの政治には、キリスト教各宗派の教義を包含するような緩やかな宗教倫理や価値、理念が常に政治を行うにあたっての指針や目標として作用しており、カリフォルニア大学の宗教社会学者ロバート・ベラ-は、それを「公民(市民)宗教(civil religion)」と呼んだ。ベラ-によれば、公民宗教とは、国家あるいは民族にアイデンティティや存在の意味を与える宗教ないし価値の体系であり、いわば人々の生活や行動の規範、倫理とも呼びうるものである。公民宗教を「見えざる国教」と言い換える学者もいる。
アメリカにおける宗派分布
アメリカの人口に占める各宗教・宗派の比率はどのようになっているだろうか。アメリカは多民族・多文化社会ではあるが、キリスト教徒が全人口の約8割を占めている。その他の宗教(ユダヤ教1.7%、イスラム教0.6%、仏教0.7%、ヒンズー教0.4%等)が約4%、無宗教(特定宗教無し等)が約14%。キリスト教の内訳は、プロテスタントが51‰、カトリックが23%、正教0.6%、モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教)1.7%だが、プロテスタントは諸派に分けるため、一つの宗派としてはカソリックの人口が最大である。
カソリックは植民地時代メリーランドを中心に信徒がいたが、アメリカ独立当時の総人口220 万人のうち約2万5千人と極めて少数だった。しかし19世紀末には623万人に増加。アイルランド、ドイツ、ベルギー、ポーランド等新移民による。さらに最近ではヒスパニック系移民の増大が続いており、今後カソリック信者のさらなる増加が予想される。プロテスタントの内訳を見ると、バプテスト教会(人口比17.2%)が最大勢力で、以下、メソジスト派(6.2%)、ルーテル派(4.6%)、ペンテコステ派(4.4%)、長老(カルビン)派(2.7%)、回復派(2.1%)、聖公会(監督)派(1%)、会衆派(0.8%)と続く。
宗教右派と政治的影響力の増大
プロテスタント諸派は、19世紀にアイルランドやイタリアなど新移民の流入によってカソリックが増加したときには、団結してこれに対抗した。しかし、20世紀に入り近代科学の進歩と信仰の兼ね合いを問われた際、進化論などを受け容れようとする「近代主義者」(穏健リベラルで主流派(Main Line)と呼ばれる)と、聖書や教義に厳格であくまで聖書の記述を真理と認識して進化論などを否定する保守派(福音派:Evangelical)に分裂する。
主流派教会を構成するのは、メソジスト派、ルーテル派、会衆派、聖公会派、長老派、北部バプテスト派など。一方、主流派から離脱して福音派を形成したのは福音主義者(エヴァンジェリカル)と呼ばれるキリスト教徒の集まりで、『新約聖書』の福音書に重きを置き、福音書に書かれていることはすべて真実であると考える。宗派としてはプロテスタントの中のバプティストやペンテコステ派等が含まれるが、中でも中心的な存在となったのが、バイブルベルトと呼ばれるアメリカ南部のバプティスト連盟である。福音派は南部に住む中流以下の貧困層や農民が主体で、ニューディールの恩恵を受けた層であることから政治的には民主党支持者が多数であった。
ところが1950年代後半から60年代にかけて、民主党はヒッピー、ドラッグ、フリーセックスに代表される対抗文化(カウンターカルチャー)の潮流に乗り、人工妊娠中絶は女性の権利であると主張する等リベラルな傾向を強めていった。特に人種差別問題では公民権運動を強く推進したため、70年代に入ると南部の保守層で構成される福音派の民主党離れが進んだ。福音派のラジオ・テレビ伝道師が宗教放送を活発に行うようになったのもこの頃だ。さらに福音派は1980年前半のレーガン政権誕生を機に政治色を強め、多くが共和党支持へと鞍替えするようになった。この傾向はその後も続き、2000年の大統領選挙では共和党のブッシュ・ジュニア候補が獲得した全得票数の三分の一が福音派によるもので、04年の大統領選挙でも宗教保守的な思想を持つブッシュ・ジュニアに福音派の票が大量に流れ、再選を果たす原動力となった。この流れは現在も変わらず、2014年の中間選挙では、白人福音派の78%が共和党に投票している。そのため、いまや共和党はかっての主流派に代わり宗教右派によって占拠されたとも囁かれている。こうしてアメリカにおける宗教(プロテスタント)と政党の関係は、民主党支持=主流派(リベラル)、共和党支持=福音派(保守)・原理主義者の構図を見せ、特定の宗派と政党の政策体系の一体化が進みつつある。
建国以来、アメリカの宗教勢力の中心であったプロテスタントが分裂し、しかも国全体の保守化が進む中で主流派は次第にその数を減らし、逆にキリスト教右派の勢力が拡大しつつある。それを具体的な数字で見ると、全人口に占める主流派の比率は1944年には60%(福音派は9%、カソリックは19%)、と国民の過半数を占めていたが、1960年には37%(福音派20%、カソリック19%)に低下、2008年には16%にまで落ち込んでいる。主流派のリベラル化、言い換えれば教義よりも正義や平等の実現等社会改革運動を優先させた教団の姿勢がプロテスタント信者の反発をかったことが主流派の衰退と福音派の拡大を招いた原因である。今やアメリカ総人口の25〜30%を占めるまでになった福音派のうち、信仰に留まらず積極的に政治活動を展開するグループが原理主義者で、双方を合わせてキリスト教右派と呼ばれる。福音派は伝道に熱心で、テレビを通してその宗教的信念を広めるテレビ伝道師も数多く存在する。
学校教育への影響
主流派と宗教右派は、公教育の在り方、即ち公立学校における宗教教育の是非をめぐっても鋭く対立している。「聖書無謬説」を信奉するキリスト教保守や原理主義の影響が強いアメリカ南部諸州(バイブルベルトと呼ばれる)では、旧約聖書の天地創造物語に反する理論を州内の公立学校で教えることを禁止する州法を制定した。これに対しテネシー州デートンの公立学校生物教師ジョン・T・スコープスが、ダーウィンの進化論を教えたところ、人間は猿から進化したというダーウィンの説は、人も猿も全て神が創造したという聖書の記述に反するとして州法違反で逮捕され、裁判で有罪判決を受け100ドルの罰金刑が言い渡された(1925年:スコープス進化論裁判)。
しかし、時代が下るにつれて近代主義的な考え方が力を持つようになり、1967年にはテネシー州法が廃止された。アーカンソー州では1960年代まで進化論教育禁止法が有効だったが、これも連邦最高裁によって違憲と判断された。こうした動きに反発した宗教右派は、旧約聖書の創造物語を創造論や創造科学の名目を付して学校教育で教えさせる運動を展開している。宗教右派が公立学校の問題を取り上げるのは、それが伝統的なアメリカ的価値観を教育し、伝達する最も重要な機関であるからだ。宗教右派は「家庭と学校がおかしくなって以来、アメリカ自体がおかしくなった」と考えている。プロライフはプロファミリー(家庭擁護派)でもある。中絶を容認するような女性のライフスタイルが、彼等が理想とする伝統的なアメリカの家庭や価値観を危うくすると考えているのだ。
神への祈りを学校教育で行うべきか否かの論争も起きている。ニューヨーク州の教育委員会は、州内の公立学校で生徒たちに唱えさせるため、以下のような短い超教派的な祈祷文を起草・作成した。
「全能の神さま、私たちは、あなたに拠り頼んでいることを感謝します。そして、私たちは、私たちと両親、先生方、私たちの国に対するあなたの祝福をお願い致します」
教育委員会は、この文章は一般的な神への感謝と祝福祈願をするだけで、憲法の政教分離規定に違反せず問題無いと判断した。ところが1962年に連邦最高裁は、こうした公立学校での祈りは明らかに宗教的行為であり憲法の政教分離の原則に違反するとの判決を下した(エンジェル対ヴァイティル事件)。またペンシルバニア州が公立学校で毎日、教員監督の下で生徒に聖書の朗読と「主の祈り」の斉唱を義務づける州法を制定したことが争われ、連邦最高裁は63年にこれも違憲との判断を下した(アビントン町対シェンプ事件)。
この両年における連邦最高裁判決以降、学校が組織的に正課内で特定宗教の様式に則った礼拝を行うことは出来ないというのが共通認識となったが、これを不服とする宗教右派は、議員を動員して憲法の修正や最高裁の判決を動かすためロビー活動を活発化させている。宗教右派(Religious Right)は自分の子供に対する教育は親に選択権があるべきだと訴えている。また家庭と学校はアメリカの伝統的な価値観を教育し継承させるための場であるが、対抗文化の拡散によって家庭と学校がおかしくなっていると認識、それを是正するには宗教教育が必要と主張するのだ。福音派に代表される宗教保守(右派)は中絶を認めないが、彼等が尊重するのは生命や人間の権利、人権だけでなく、「神の意志」でもある。また同性婚に反対するのは、それが基本的な家族観を否定するもので家庭道德を壊すだけでなく、聖書に同性愛が罪とされているからである。保守的なディープサウス(深南部)の中心で福音派信者が多いアラバマ州では、2006年に同性婚を禁止する州法が成立した。その後、連邦地裁が禁止を違憲と判断すると州最高裁が反発、連邦地裁に公然と反旗を翻し、州内に67ある全ての郡に連邦地裁の判断を無視するよう指示して問題となった。法的根拠は弱く、申請を受理する郡が増えているが、郡にこの指示を出したのは州最高裁のロイ・ムーア長官で、彼はかつて裁判所に「モーゼの十戒」の碑を設置し、撤去を求められても応じず03年に長官を解任され、12年に再び長官に選ばれた人物である。
5.国を二分する社会問題
こうしたプロテスタント内部の分裂は、これまで国を一つに纏める役割を果たしてきた公民宗教の機能が低下したことを意味している。そして主流派と福音派の分裂は、宗教教義から離れ、世俗的な社会全般における伝統主義と近代主義、保守とリベラル、大きな政府と小さな政府の対立軸とオーバーラップしていった。さらに人工中絶や同性婚などアメリカ社会を二分し、その扱いを巡り激しく国内の世論が対立する社会問題にも宗教が関わっている。対立と分裂はたんに所得や階層、人種の違いだけでなく社会倫理感の相克の背後に宗派の対立が深く関わっているため、問題の解決や融和、妥協点の発見は容易ではない。
中絶問題
60年代後半から70年代に入り、アメリカ社会は保守とリベラルの間で価値観の分裂が出始めるが、まず焦点となったのが人工妊娠中絶の可否であった。人権や差別反対運動からウーマンリブ(女性解放運動)が活発化し、男女の同権を強く主張する全米女性機構(NOW)が結成され、「子供を産むかどうかは、女性に選択の権利がある」と主張して人工妊娠中絶の合法自由化を求めたのだ。性革命(ピューリタン的な厳格な性倫理を否定し自由な考え方を重視する現象)の進展も、中絶賛成論の高まりに影響した。
1973年1月、連邦最高裁は、妊娠中絶を合法化する画期的判決を下した(ロー対ウェイド事件)。それ以降中絶は急増し、最近では年間約160万人に達し、女性の三人に一人は中絶経験を持つとの推定もある。しかし、この判決を契機に中絶を巡る対立は逆に激化していった。中絶反対派は、胎児の生命と権利を尊重すべきであることを強調し、「生命尊厳派」(プロライフ)と呼ばれる。カソリックや福音派などのキリスト教右派、正教会がこの立場を支持する。一方、中絶支特派は、中絶の権利が女性の享受すべき選択の自由に含まれることを強調し、「選択自由派」(プロチョイス)と呼ばれる。プロテスタント主流派がこの立場だ。
両派の対立はエスカレートし、1993年にはフロリダ州で、中絶手術をする医師が中絶反対派の人間に射殺された。1998年にはアラバマ州で、中絶手術をするクリニックが爆破され死者が出る事件も起きるなど5年間(93〜98年)に7人の医師が殺害されている。2012年3月にはオバマ大統領が医療保険制度改革の中で避妊薬の無料化を打ち出したために、プロライフ派が反発し大きな論争となった。近年の世論調査を見ても、中絶を巡る賛否は概ね拮抗しており国民的なコンセンサスは得られていない。中絶論争はアメリカ社会の倫理・価値観に関わる問題、そして大きな政治争点となり、今後も論争が続くであろうが、傾向としては制限付き合法化を支持する声が増えつつある。なお、安楽死や尊厳死の扱いについても、自身の生死を自身で決めることを容認するリベラル派に対し、保守派は人間が自らその命を絶つことを認めない。植物状態の患者の延命装置を外すことにも彼等は反対している。
LGBTQ問題
性的に同性を「指向」する者を同性愛者(男性の同性愛はゲイ(gay)、女性はレズビアン(lesbian))と呼ぶ。アメリカでは全人口の1%強が活動的な同性愛者と推定され、カリフォルニアなど太平洋岸地域では6%とずば抜けて多いといわれる。同性愛(homosexuality)は古い時代からあるが、例えば旧約聖書レビ記が「女と寝るように男と寝る者は、・・・必ず死罪に処せられる」と記し、また創世記でソドムの町が天からの硫黄と火で滅ぼされたのは、同性愛の罪悪を犯したためとするなどその行為は犯罪とされてきた。しかしこれを肯定し、さらには男女間の婚姻と同様に同性愛者による同性婚を認めるべきだとリベラル派が主張するようになり、これを否定する保守派との対立が続いている。
エイズとの関係で一時は同性愛を否定する風潮が強まったが、最近では同性愛・同性婚を容認する意見が年々強まっており、国勢調査(2013年)でも同性婚世帯は25万超で2倍近くに増えている(10年は13万)。2013年に任天堂が架空の生活を楽しむゲーム「トモダチライフ」の最新作を発売した際、「同性婚の設定がない」と批判が殺到し謝罪に追い込まれている。全国紙のUSA Todayが2013年に行った世論調査では、同性婚容認派が初めて過半数を超えた。
アメリカでは婚姻関連の法律は原則として州の管轄で、同性婚を認めるかどうかは州によって異なる。2012年の時点で、38の州が同性婚禁止を州憲法や州法で定めている一方、同性婚を合法化したのはマサチューセッツ等8つの州とワシントン特別区に限られていた。しかし2015年6月、連邦最高裁は「法の下の平等」を定めた「アメリカ合衆国憲法修正第14条」を根拠にアメリカの全ての州での同性婚を容認する判決を下した。これにより同性婚のカップルは異性婚のカップルと平等の権利を享受することになった。世界的にも、メキシコやカナダ、英国、フランス、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、スウェーデ、南アフリカ、アルゼンチン等36か国(13億人、世界人口の17%)が同性婚を法律で認めている。しかし、異性間の結び付きが結婚であり、その否定は人倫や神への冒涜と見る宗教保守派等は同性愛・同性婚容認の流れに強く反発しており、同性婚を禁じるため連邦憲法の改正を目指す動きも起きている。中絶や同性愛等一連の社会問題を巡る対立は、個人の人生観や倫理・規範意識の相違だけでなく、保守かリベラルか、共和党支持か民主党支持か、さらにアメリカ人の宗教や信仰の在り方とも深く関わっているのだ。
6.強まる多文化主義
中絶や同性婚、学校での宗教的祈祷や反進化論教育の諾否等を巡る保守とリベラル、主流派と宗教右派の対立は、経済的利害ではなく価値観の対立という面が強く、文化戦争(culture wars)とも呼ばれている。公民権運動や対抗文化の潮流が強まった1960年代から70年代を境に、アメリカ社会では多様化推進の名の下に、建国以来この国の中心であったWASP社会の倫理や価値観に自らの意識を収斂させることを拒む傾向が強まっている。
そのため伝統的なアメリカ的価値観を重視する保守派の人々(フライオーバーステイトと呼ばれる内陸部諸州の居住者で、共和党支持者が多い)と、価値観の多様化を肯定するリベラル派の人々(主に都市部や東西海岸地域の居住者で、民主党支持者が多い)が、中絶や同性婚、麻薬売買の是非等の社会問題を巡って激しくぶつかり合う状況が続いているのだ。
アングロコンフォーミティから多文化主義へ
移民は社会を活性化するが、人種や宗教上の相違、それに職場を奪う存在として後から来る移民がアメリカへの移住で先行した移民から差別や迫害を受ける。そのような構図がこの国では繰り返されてきた。もっとも、これまでは対立しながらも移民相互の間に共通の価値観や信条が芽生え、またそれを意識的に育もうと試みられてきた。しかし、ネイションに代わってエスニックの概念が前面に押し出されるようになり、移民間、人種間の共通項、つまりアメリカ国民としての一体感に揺らぎが出始めている。
アメリカはもとより移民社会である。新たな移民は自分たちの伝統、風習、言語、生活様式、文化的価値観をアングロサクソンの基準に同化する必要があった。国民統合や国民意識の同一化のために新しい移民たちに要請されたこのプロセスを、アングロコンフォーミティ(同化ないし順応主義)という。アングロコンフォーミティは、アメリカは建国の当初から政治・経済・社会・文化の諸側面において英国的要素(英語、コモンロー、プロテスタンティズム)が主流で、それらを基準・模範として受け容れ、それに順応する(conform)形で同化がなされたとする理論である。こうした同化のパターンは、英国系の人々が最も早い時期に移住し、彼らの諸制度を基に新しい国家が建設された経緯に由来する。この考え方は、北西ヨーロッパからの移民が優秀であるとのWASP優越主義を生み出し、アメリカ人になること、またアメリカ人になるためには、日常的な生活行為をワスプの価値基準に照らして修正すべきであるとの価値観を定着させていった。
19世紀にはこうした同化論が支配的であったが、その後、19世紀終りから20世紀初頭にかけて東欧や南欧から非プロテスタント系の移民が大量に流入すると、アングロコンフォーミティに代わる新たな同化モデルが提唱されるようになった。それが「るつぼ(メルティングポット)理論である。この名称は、ユダヤ系の劇作家イスラエル・ザングウィルのヒット作『ザ・メルティングポット』(1908年)に由来する。るつぼの中で様々な金属が溶け合って新しい金属として生成するように、様々な出自の人間がアメリカというるつぼの中で溶け合い一つの国民(アメリカ人)として生まれ変わるという融和論の考え方である。フランスの軍人で後にアメリカに帰化し、ニューヨーク市郊外に開拓農民として住んだクレヴクールの『アメリカ人農夫からの手紙』の中でも、「るつぼ」としてのアメリカという概念が述べられている。
「アメリカ人、この新しい人間は・・・他のどの国にも見られない不思議な混血です。祖父がイギリス人で、その妻はオランダ人、その息子はフランス人女性と結婚し、現在その4人の息子たちは4人とも国籍の違う妻を娶っている家族を私は知っています。偏見も生活様式も昔のものは全て捨て去り、自分の受け容れてきた新しい生活様式、自分の従う新しい政府、自らの新しい地位などから受け取ってゆく、そういう人がアメリカ人なのです。・・・この国では、あらゆる国籍をもった個々人が溶け合い一つの新しい国民となっているのです。彼等の労働と子孫は何時の日か、世界に大きな変化をもたらすでしょう。」
しかし、るつぼ理論で想定されていたのはあくまでヨーロッパからの白人移民であり、西洋文化の共通性は自明視されていて、黒人や先住民、アジア系をはじめとする人種的・民族的マイノリティとの共生は想定外であった。そこで、ユダヤ系の哲学者ホレース・カレンはるつぼ理論に代わる新しい理論として、文化的多元主義(cultural pluralism)を唱えた。同化論や融和論に対抗して、エスニック集団の多様性や多元性を積極的に評価しようとするのが文化的多元主義の考えである。カレンはアメリカに多数の人種・民族集団が存在し、互いに影響を及ぼし合う様をオーケストラに喩えたが、文化的多元主義理論の説明は「モザイク」や「サラダボウル」の比喩が後に用いられるようになった。サラダで用いられる種々の素材のように、それぞれのマイノリティ集団がその固有性を失うことなく、アメリカという料理を共同で作り上げるというイメージである。多様な伝統的文化が調和して共存することによりアメリカはより豊かになることを信じるもので、カレンの唱えた文化的多元主義は、各民族間の「協同的調和」(cooperative harmonies)が可能であるという理念に立っていた。それは、政治における連邦制度に似て、一種の文化的連邦主義をめざすものに思われた。るつぼ理論から文化的多元主義への変遷は、WASPの権威に揺らぎが生じ、マイノリティの存在が社会的にも政治的にも目立ち始めたことの反映といえる。
そして1960年代に入り、公民権運動によるマイノリティエスニック集団の発言権拡大と平等主義が浸透する中で、白人の優位を否定し全てのエスニック集団の本質的平等が一層強調され、文化的多元主義は多文化主義(multiculturalism)という呼び方に変わった。多文化主義は一国内に異なる複数の人種・民族が共存することを認識し、それぞれの集団が保有する独自の文化を他の集団に属する者も理解・尊重することが望ましいとする考え方である。文化的多元主義はアメリカ社会の「中核」または共通の価値〜独立宣言や憲法に掲げられた自由・平等など〜となる文化の存在を前提としていたが、多文化主義はそれぞれの集団が持つ文化は主流のそれとは異なる「鏡」で見られるべきで、平等に扱われることを求める。
このような考え方に対しては、共通の価値や基盤を認めないならば、アメリカ国民としての絆や一体感が弱まるという批判がある。政治哲学者アラン・ブルームは『アメリカン・マインドの終焉』で、西欧古典の文化遺産が適切に継承されず、多種多様な言語や文化の教育を謳う多文化主義教育が優勢になり普遍的な真理や善に対する憧れを若者が持たなくなったことを嘆いた。アーサー・シュレジンガー・ジュニアは『アメリカの分裂』で、多民族社会のアメリカには複数の文化があるが、それらは「私的領域」に留まるべきもので、「公的領域」においては「共通の理想」「共通の政体」「共通の言語」「共通の文化」「共通の運命」が共和国を纏めるべきだと主張する。エスニック意識を過度に強調し、アイデンティティの基盤を自由・民主主義やプロテスタンティズムというアメリカ的な普遍的価値観に置かず、個人が属すエスニックグループのそれに置くようになれば、アメリカの崩壊を引き起こすという警鐘である。
文化的多元主義の理想像とは異なり、行き過ぎた文化相対主義は文化戦争を激化させ、アイデンティティの衝突や対立を引き起こし、統合ではなく社会の分裂と対立を加速させることになろう。また各エスニック集団の本質的平等の主張が過度に強調されると、それぞれの集団を必要以上に賛美する民族中心主義(ethnocentrism)に転化する危険性もある。アメリカは今も多人種国家であり、多民族国家である。過去、この国は常に分裂の危機を内包してきたが、南北戦争を除いて物理的な分裂は回避されてきた。しかし、移民構成の変化もあって、この国の文化はその多様性をさらに増しつつある。アメリカは国家としての纏まりを維持していくことが決して容易でない時代に入ったのである。こうした価値観多様化の傾向については、国家の伝統的な価値観を否定し、あるいは混乱に陥れることで西側の社会や文化を破壊することを狙った文化マルキシズムによる策謀との指摘もある。
最後に
2012年の大統領選挙を制したオバマ大統領は、勝利演説でアメリカ社会の団結を訴えた。
「私たちはアメリカという家族だ。良い時も悪い時もいつも一緒だ。1つの国家として、1つの人として。……白人も黒人もヒスパニックもアジア人もない。民主党も共和党もない。ゲイもストレートも障害者も健常者もない。私たちはみな同じアメリカ人だ」
これは、ジェファソンが大統領就任に際して行った演説を引用したものだ。連邦派と分権派の対立が激化することは懸念したジェファソンは、両派の融和と統一を訴えたのである。この演説から240年以上の歳月が過ぎた。その間、アメリカは世界最強の覇権国家となった。しかし、いまこの国は第二次南北戦争が起きても可笑しくない程の対立と分裂を国内に抱え、国家としての統一を維持することが難しくなっている。そのような環境の中、しかもWASPからヒスパニック・アジア系の国へと国家属性の根本的な変化の時期を迎えている。
トランプ大統領の登場でアメリカの分断や対立が強まったのではない。逆に、分断や対立の深刻な状況を選挙戦に取り込みトランプ氏が大統領に当選したと見るべきであろう。だが、彼の言動が分断と対立を煽っていることも事実だ。この国に求められているのは分断や対立を助長するのではなく、国を一つに纏める政治家である。一方、そのトランプ氏との相違や対立を選挙戦で強調するのがハリス氏だが、これまでの実績を見ると、リベラル派ではあっても政策を貫く軸や信念は見出し難く、政策実行能力にも不安がある。
次期大統領には、格差の是正や分裂対立の解消、そして国内融和の実現という大きな課題がのしかかり、そしてまた大きな期待が寄せられるが、見通しはどうしても暗くなりがちだ。アメリカという国が根本的に代わりつつある中で、アメリカ社会の再統一(Reunion)を図ることは容易ではない。
(2024年9月20日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)