再び軍事政権に戻ったミャンマーについて思うこと

再び軍事政権に戻ったミャンマーについて思うこと

2021年5月22日
対日関係は1950年代から

 ミャンマーの事実上の政権トップ,アウン・サン・スー・チー国家顧問が21日早朝,国軍に拘束されてから4カ月が経つ。各地で国軍に抵抗する一般市民に対して容赦ない惨忍な行為が伝えられている。軍事政権時代,民間人ながら在ミャンマー日本大使館の推薦により2002年から5年間埼玉大学の国費留学生として来日したアウン・ナンダ氏は「国は30年前に戻ってしまった」と嘆く。日本のミャンマーに対する立ち位置は複雑である。太平洋戦争の敗戦から9年後に当時のビルマ軍事政権から水力発電所建設の相談を受け,最初のJICA-ODA事業となり1979年まで続いた。過酷な労働環境にも関わらず日本の高い技術と勤勉で誠実な仕事ぶりは広く世界に認められODA事業の見本となった。今もミャンマー人に日本と言えば“JICA”として言葉が通じる。そのため科学技術を学びに来る留学生が多く,日本からミャンマーに技術支援を行うNPOも増えた。軍事政権下のミャンマー人国費留学生は中央政府の公務員であり,学位取得後は元の職場に戻る。他方でアジア開発銀行や世界銀行はミャンマーの大学を卒業した民間人を支援する。目的は留学後に母国の経済・技術発展に貢献することであった。ミャンマーの大学の授業料は年間2 USDでありまともな学習設備がない。就学後に母国に戻っても知識や技能を活かす場所がなく賃金も低いため海外に移住したり天然鉱物が豊富であるため宝石商に転身する。その中で201111月の民政移管後ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」として世界中から注目され日本の民間企業も多数進出した。初代大統領のティン・セインは積極的に海外資本を取入れ国力向上に努めた。教育面ではヤンゴン工科大学長が来日して学生より教員の質の向上を訴えた。

進まない環境保全の活動

 私が初めてミャンマーを訪れたのは2012525日である。アウン・ナンダ氏は帰国後3人で同国初の環境コンサルタント会社を立上げていた。当時国際論争を呼んだ中国主導のイラワジ川上流域の大型ダム開発の環境アセスメント資料を入手し,メールで「何か一緒にできないか」と持ち掛けられた。私はミャンマーの自然環境に興味があり幸運にも研究費が獲得できたため実現した。彼らは私をヤンゴン空港で待ち受け即座に400km離れた首都ネピドーまで車で5時間かけて連れていき森林保全省大臣と面会を果たした。大臣や中枢の公務員も全て元軍人で私のほうが年下に見られたが環境保全の日本人研究者として紹介され「あなたがここでしたいことがミャンマーにとって良いことならば自由に活動して下さい」と穏やかに言われたのが印象に残っている。森林保全省は民政移管前まで「森林省」でありチーク材輸出のために森林を伐採するのが仕事だったが政策転換して森林を保全する側となった。しかし何をどうしたらよいのか分からないのである。後日面会の様子が政府系新聞に写真入り記事となりヤンゴンのホテル見つけた。政府の変貌ぶりにミャンマー人留学生は驚き,興奮したのである。
 さて森林保全大臣に「自由に活動を」と言われても公式許可はなく,しばらくアウン・ナンダ氏と各地へ巡回が続いた。キリスト教の西部チン州をはじめ,ビルマ族周辺の少数民族は多彩で言語も異なる。山間地で暮らす人々の基盤は焼き畑であるが現金収入を求めてマレーシアへの出稼ぎ者が多かった。南東部の低地カイン州(ミャンマー史上最長の内戦が終わって残ったのは自然とゾウのみ)はタイ国境に程近く,若者は学校を卒業するとタイの方向を指して(=タイ)”に行くという。行く先々で僧侶にも遭遇する。中には棄児を見つけては寺に連れて世話をしている。寺は学校の役割も果たし全土にある。

付き合いやすいのは政府よりも少数民族

 上層部のミャンマー人の考え方を実感したのはシャン州インレー湖の環境問題に触れた時である。浮き畑農業という少数民族の知恵で持続可能な地元のトマト栽培がタイの品種に換わり農薬も大量散布されたが観光の目玉となり商業的に成長した。しかし森林伐採により湖の水質悪化が問題視されアウン・サン・スー・チーも2016年に安部首相に浄化の支援を訴えた。私はこれと関係なく評議員を務めるNPO日本ミャンマー交流協会を通じてミャンマー最大手のカンボウザ銀行の創始者と面会し,インレー湖周辺の農民への環境保全の資金提供を持ち掛けた。自国の環境問題を自国で解決することを手助けするのが私の狙いである。カンボウザとはシャン州を意味しインレー湖はそのシンボルである。しかし私の狙いは大きく外れ,創始者は“JICA”に事業起案することを進言したのである。
 ミャンマーの冗談話で「米国人が2人いると武器を造り中国人が2人いると商売が始まりミャンマー人が2人いると喧嘩が始まる」というのがある。これはビルマ族に良く当てはまる。アウン・ナンダ氏の会社も仲間割れが生じて解散した(彼は後に環境アセスメント協会の初代会長となった)。政権主導部は常にどこと付合うのが得かを考えているようだ。ミャンマーに投資した企業のほとんどは未だに利益を上げていない。他方で自然と暮らす少数民族の村長の考え方は一貫しており信頼関係は築きやすい。現在私が関わるJICA草の根活動のリーダーは「ミャンマーに期待してはいけない,期待しない」と常々言う。それでもリーダーは「ミャンマーでの支援活動は止められない」というのも本音である。この混乱で私の一番の心配は大多数の一般市民とりわけ農民達である。

藤野 毅 埼玉大学教授
著者プロフィール
1996年埼玉大学理工学研究科博士後期課程終了。その後,同大学助教授などを経て,現在は同大学教授。博士(学術)。研究分野は環境学・環境工学(主に水環境)。

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