21世紀における日本の道徳教育への提言

21世紀における日本の道徳教育への提言

2021年6月1日

 エリザベス・キスとJ・ピーター・ユーベンの著書『道徳教育を論ずる近代の大学の役割を再考する』(Elizabeth Kiss & J. Peter Euben ed. Debating Moral Education: Rethinking the Role of the Modern University Duke Univ. Press 2010)では、21世紀を迎える頃から、アメリカの学会や教育機関において倫理・道徳研究への回帰が起こっており、その分野を充実するために、100を超えるセンターや教育プログラムがあると述べられている。筆者も、そのようなグローバルな動きに微力ながら対応すべく、麗澤大学の学長時代(20072019年)、海外の大学と道徳・倫理教育に関して様々な学術的コラボレーションを試みたことがある。たとえば、アメリカ合衆国ではボストン大学、ミズーリ大学セントルイス校、イギリスではバーミンガム大学、アジアではフィリピンのパーペチュアル・ヘルプ大学、ベトナムのホーチミン市国家大学などと提携を結び、共同の研究成果を海外において書籍や学術論文の形で発表してきた。国内的には、2018年、道徳教育学の確立と、道徳教育を担う教員養成のため、本学に学校教育研究科道徳教育専攻の大学院が開設された。その間のまことに限られた経験ではあるが、海外の道徳教育から学べることも少なくなかったので、グローバルな視点から、これから新しい時代を担う日本の道徳教育の可能性について管見してみたい。

ソサエティ5.0と道徳教育

新型コロナウィルスのパンデミックが発生する前、日本の内閣府は第五期科学技術基本計画を策定し、「ソサエティ5.0」(Society 5.0)の構想を打ち出していた。「ソサエティ5.0」とは「仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」であると述べられている。このような時代の流れを反映してか、大学では、文理を問わず、データサイエンスやAIなどの教育が積極的に展開されているし、初等教育でも、「科学」(Science)、「技術」(Technology)、「工学」(Engineering)、「芸術・教養」(Art)、「数学」(Mathematics)の5つの要素を盛り込んだSTEAM教育の充実が図られている。この目的を達成するために、学校教育では「文章や情報を正確に読み解き対話する力」、「科学的に思考・吟味し活用する力」、「価値を見つけ出す感性と力・好奇心・探求力」の養成が求められているが、何よりも大切なのは、AIでは代理不可能な「人間の強み」を発揮できる社会の実現であろう。欧米で「人間の強み」の養成といえば、「人格教育」がその中心的な役割を果たすよう期待され、たとえば、アメリカの人格教育の中核には、若者の道徳性の発達を支援するための徳育がある。では、日本の場合はどうだろう。筆者は今こそ道徳教育の出番だと思うのだが、残念ながら、内閣府の計画にも、STEAM教育のカリキュラムにも、道徳教育についての言及は見当たらない。さらに重要なのは、たとえば、アメリカの小中高等学校での人格教育にしろ、大学でのサービスラーニングのようなプログラムにしろ、実生活における道徳習慣の形成や実社会における社会貢献という形での道徳の具体的実践を重視していることである。一方、日本の新しい学習指導要領によると、道徳教育で養成される「道徳性」は、道徳的判断力、道徳的心情、道徳的実践意欲という「内面的資質」の領域に止まり、その枠内を超えて道徳の実践を積極的に推進する段階までには至っていないようである。ここに日本の道徳教育改善の余地がある

SDGsと道徳教育

 その意味で具体的な実践目標を掲げているSDGsには、日本の道徳教育に不足している道徳の実践面を強化する可能性を見出せるかもしれない。
 しかし、その際に問題となるのは、17の目標や細目の具体的目標を持つSDGsがあまりにも広範囲におよび総花的であることである。もちろん、すべての項目を目標に掲げるのはもとより不可能なので、その中でどの具体的目標に焦点を絞るのかは、各学校の裁量範囲にゆだねられているが、その際、実現できそうもない新しい目標を無理に立てるよりも、今までやってきた教育活動の中からSDGsの活動として位置づけけれるものを再評価し、それをさらに進化させるために、SDGs活動に関する認知的シェマを道徳教育で拡大するというアプローチもありえるだろう。
 かつて本学ではISO26000という社会的責任のガイダンス規格導入にチャレンジしたことがある。それをマネジメント態勢に落し込むには、次の10のステップが必要だった。1)トップによるコミットメントの表明、2)組織の活動領域とステークホルダーの特定、3 7 つの中核主題ごとに課題を列挙、4)活動領域と 7 つの中核主題との関連の整理、5)ステークホルダーの視点からの課題の絞り込みと優先順位の決定、6)課題への取り組みを推進する所管部署の設立、7)取り組みの進捗状況を把握するための方法の確立、8)進捗状況に関する記録やデータの信頼性の向上、9)進捗状況を踏まえ問題点を改善し、必要に応じて課題そのものの見直し、10)以上の流れを「ISO26000管理一覧」にまとめる、である。
 今まではSDGsのような開発教育は「総合的な学習の時間」の中で位置づけられる傾向にあったが、これからは道徳教育を中核とし、学校全体で取り組んではどうであろうか。それは、文科省の学習指導要領に書かれている総則、「特別の教科としての道徳」の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うという道徳教育の方向性にも合致するものであろう。

中山 理 麗澤大学大学院特任教授・前学長
著者プロフィール
三重県生まれ。麗澤大学外国語学部卒。上智大学大学院英米文学専攻博士後期課程満期取得退学。文学博士。エディンバラ大学留学。麗澤大学外国語学部教授、言語教育研究科教授、外国語学部長、学長を経て、同大特任教授。フィリピンのパーペチュアル・ヘルプ大学院名誉教授。専門は英文学、比較文化、道徳思想。主な著書に『高校生のための道徳教科書』(共著)『大学生のための道徳教科書』(共著)『日本人の博愛精神』『グローバル時代の幸福と社会的責任』(共著)『子供を開花させるモラル教育』(翻訳)他。道徳・倫理教育を中心に国内外で多数講演。

関連記事