「生まれ変わり」を共有知に

「生まれ変わり」を共有知に

2021年3月20日
「人は生まれ変わる」を信じるか

 さだまさし氏が憤慨している(『本気で言いたいことがある』、 新潮社、 2006)。長崎県の教育委員会が、小・中学生を対象に行ったアンケート調査で、「死んだ人が生き返る(生まれ変わる)と思いますか」という問いに対して、「はい」の回答が、小414.7パーセント、小613.1パーセント、中218.5パーセントだったのが理由である。生まれ変わりなどという「アホらしい」観念をこんなにも多くの小・中学生が信じているのは問題だ、というわけである。人間環境大学の宮田延実氏も、この調査結果に言及して、死んでも生まれ変わるという考え方は「自死を誘引する危うさがある」と危惧している。
 この小論では、「生まれ変わり」という観念がアホらしいものでもなければ、自死を誘引するものでもなく、むしろ平和実現において大きな役割を果たしうる重要なものであることを示したい。

世界の多くの人が信じる「生まれ変わり」

 まず、世界中でかなりの人が「生まれ変わり」を信じているという事実を押さえておきたい。国際社会調査プログラム (International Social Survey ProgrammeISSP)2008年のデータによれば、日本では42.6パーセントの人が「生まれ変わり」を信じていると回答しており、調査対象33カ国の中では7番目に位置している。1位は台湾の59.8パーセント、最下位はキプロスの10.0パーセントである。キリスト教文化圏の数値も決して低くはなく、たとえば11位のアメリカは31.3パーセント、21位のイギリスは21.6パーセントが「生まれ変わり」を肯定している。「生まれ変わり」は世界中で一定数が信じている重要な観念なのである。

宗教とは独立した「生まれ変わり」観念

 日本では「生まれ変わり」の観念は仏教の「輪廻転生」観、すなわち、「生を悪とし、そこからの解脱を生きる目標とする人間観」、と結びつけて考えられがちであるが、これらは互いに独立したものである。
 日本文化の基層となる縄文時代に人々が「生まれ変わり」を信じていたことを示唆する証拠が遺跡から多数見つかっている(渡辺誠『よみがえる縄文の女神』、学研、2013)。この、縄文人が信じていたであろう「生まれ変わり」の観念は、自然の中に命の循環を見出すアニミズム的世界観に基盤を置いたものであり、アイヌ民族や北米の先住民族の持つ「生まれ変わり」観念と多くの共通点を持つものでもある。そこに仏教的な「輪廻」の思想は見られない。
 したがって、「生まれ変わり」の観念を必ずしも宗教の枠組みでとらえる必要はない。

経験科学研究の対象としての「生まれ変わり」現象

 「生まれ変わり」の観念が世界中に広まっており、しかもそれが必ずしも宗教と密接な結びつきを持っていないのは、「生まれ変わり」と解釈する以外合理的に説明できない経験的事実が存在するからであり、その代表的なものが「前世記憶を語る子ども」の事例である。
 米国バージニア大学医学部知覚研究所では、1960年代からこの現象に注目し、50年を超える調査・研究の結果、世界各国から2600を超える事例を収集し、事例間には一定の共通した傾向があることを明らかにしている。
 さらに、成人になっても前世記憶を失わず、自力で前世の人物を特定し家族と再会した事例や、前世の人物と縁のある場所を訪問したのがきっかけで前世を思い出し、人物の特定に至った事例もある。また、いわゆる前世療法によって施術を受けたものの多くが前世の記憶らしきものを想起するが、中には想起された前世の人物の実在が確認された事例もある。
 このように、「生まれ変わり」は単なる観念ではなく、実際の事例・体験を裏付けとした現実的なものである。

来世の肯定が現世を輝かせる

 死んでも生まれ変わる、と信じて今世を精一杯生きた人物に秋田の二宮尊徳と呼ばれた石川理紀之助がいる。老年にもかかわらず午前2時に起床し、勉学を1日も怠らず、世のために力を尽くす勤勉さは、来世に善人として生まれたいという希望が原動力になっている、と記している(石川會編『石川翁農道要典』三省堂、1939)。
 京セラ・第二電電の創業者で経営破綻した日本航空を奇跡の再生に導いた稲盛和夫氏は、心・魂をより美しくする作業が現世を生きる目的だと思っている、と述べているが、それは、来世に持っていけるのが心・魂だけだから、という人間観に基づいたものである(『稲盛和夫の哲学-人は何のために生きるのか-』PHP2001)。
  東京大学の堀江宗正氏の数量的な研究によって「生まれ変わり」の考えが自殺を促すという説は明確に否定されているが、それだけでなく、石川理紀之助や稲盛和夫氏の言説は、この観念がむしろ人生に肯定的な影響を与えることが示唆される。

結語

 現在、世界が抱える諸問題の多くは「死んだら終わり」という物質主義的人間観に根ざしている。死を命の終了と捉える世界観を持つ者の関心の中心は肉体であり、少しでも寿命を伸ばそう、最後の時を迎える前に少しでも生を謳歌しようと必死になる。心・魂に焦点を当てる人間観は、その永続性に焦点を当てるが故に心・魂が成長する生き方を志向する。しかも、現世の男が前世では女だったり、宗教や人種、属する国家が違っていたりする例を見れば、性・宗教・人種・国家の違いを敵愾心の源とすべきでないことは自明である。真の平和思想、しかも経験的事実という根拠のある思想の一つとして、「生まれ変わり」の観念がさらに広く認知されることを願ってやまない。

大門 正幸 中部大学教授/バージニア大学客員教授
著者プロフィール
三重県伊勢市生まれ。大阪外国語大学卒。名古屋大学大学院文学研究科修了。博士(Doctor Liberalium Artium、アムステルダム大学)。人体科学会理事、日本医療催眠学会理事、日本スピリチュアル医学協会顧問。元マサチューセッツ工科大学客員研究員。専門は言語学・意識の研究。主な著書に『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』『スピリチュアリティの研究~異言の分析を通して』『死んだらどうなるのかな? そうだ、死んだ人に訊いてみよう』『まま さみしくないですか? 旅立った娘からの手紙』『人は生まれ変われる』など。

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