コロナ禍における学校教育の課題

コロナ禍における学校教育の課題

2020年12月25日
1年生に顕著に現れたコロナ禍の影響

 新型コロナ感染に始まり新型コロナ感染で終わった2020年だったといっても過言ではない。地球全体を一気に覆うような勢いで感染が広がり、1年以上たった現在に至っても勢いは衰えるどころか、我が国でも海外でも感染者や死者が増え続けており、地域によっては医療の崩壊現象も見られる。人々は新しい生活スタイルという名のもとに不自由な日常を余儀なくされ、そればかりか、学校も企業も人との関わり方も否応なく新しいスタイルに変わらざるを得ない状況に至っている。
 さて、本稿では「コロナ禍における学校教育の課題」を考えてみたい。多くの小中高では、3月の春休み前倒しと、新学期の45月の臨時休校が加わり、子ども達は新旧年度をまたいで3カ月の長きにわたって三間(学校空間、仲間、時間)から切り離された生活を余儀なくされた。その間に、週に1-2度の分散登校が組まれたが、人数的時間的な制約の中での登校であり、教職員も相当の苦労があったことは想像に難くない。
 そのような中で私が抱いた個人的な実感をお伝えしたい。教育実習訪問で8月と9月に北海道内の数校の中学校を訪ねたが、生徒の雰囲気に違和感を持ったのである。何かお互いに他人行儀でよそよそしい。中学の新1年生も、クラス替えのあった新2年生も内心はハラハラドキドキで4月を迎えるものである。その時期に十分な時間をかけて共に学び、お互いに声を掛け合いながら信頼の芽を培っていくのだと思うが、今回はその助走が不十分なままに8月の対面授業の再開となったことが大きな要因ではなかっただろうか。
 同様のことは、大学生についても言える。大半の大学では前期の対面授業を取りやめ、オンラインによる遠隔授業とした。入学式もないままに前期がスタートしたところも多かった。新入生にしてみれば、どんな仲間がいるかも分からず、大学に足を踏み入れる経験もないままに、自宅で孤独に大学の講義をオンラインで終日聴き、レポート提出する日々が繰り返されたのである。学生の声を拾うと、「実際に学校で受けるときの空気感(環境)がないために物足りない」「雑談などがほぼないため授業に人間味がない。淡々と授業をこなしているだけのよう」など切実な声が聞かれた。このような大学生活のリアリティなき状況の中で、意欲を失っている学生も少なくない。10月末の時点で新型コロナの影響による退学・休学者は5000人を超えている。特に1年生が多くなっている。主な理由は経済的困窮、学生生活不適応、心身耗弱である。

コロナ時代に求められる教育の方向性

 このような実情を踏まえたうえで、withコロナで求められる教育の方向性について3点指摘したい。
 一つは、教師による対面授業とオンラインとの組み合わせによるハイブリット型の授業展開を進めることである。今回のオンライン授業は、否応なく迫られて導入せざるを得なかったという側面があるが、たとえコロナ禍が収束したとしても、対面授業とオンラインそれぞれのメリットを生かした新しい教育活動には大きな可能性がある。教育のICT化で数年以内には小中高の生徒全員がタブレットを持つ環境になれば、生徒からの主体的な発信や学ぶ意欲が間違いなく培われる。また、これまでのように、遅くまで残業して担任がすべての教材を準備するのではなく、共有できるコンテンツをクラウドなどに上げておけば、他の教員も利用できるようになる。これによって教材準備の効率化や学級王国という文化が変容する契機にもなるだろう。或いは、不登校や障がいを持つ子どもたちにとっては、自宅での教育保障も含めた学びの選択肢が広がるのではないだろうか。
 二つめには、教員意識の改革である。コロナ禍で遠隔教育の重要性が文科省はじめ関係機関から要請されていたが、実際には環境の未整備の学校が多かった。臨時休校すると答えた1213の自治体に対し行った4月時点の調査によると、対象となる約25000校の公立小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校で、オンラインで同時双方向型での指導を取り入れていると回答したのは僅か5%である。電子機器の整備やWi-Fi環境に関して未整備や不十分である地域や学校・家庭もあり教育格差を生んでしまうという懸念からのようだが、低きにつく平等主義ではなく、新しい時代を見据えて果敢に可能性を追求する覇気が必要ではないだろうか。その点、大学などが積極的に遠隔教育に取り組んできた姿勢は評価したい。
 最後は、「子どもたちの実像をしっかりと見据えた教育を」ということである。かつて多くの子ども達は、仲間とともに自然の中で遊びながら、或いは、地域において生活、成長していく過程で自然体験や社会体験を日常的に積み重ねて成長する機会に恵まれていた。しかし、今の子ども達をめぐる環境は、心や体を鍛えるための負荷がかからない、いわば「無重力状態」であり、健全育成にとって深刻な事態に直面していると識者は警鐘を鳴らしてきた(中教審)。
 AIやロボットの飛躍的発展によって、そう遠くないうちに人工知能が人間の知能を超えてしまう時代が来ると言われる。しかし、そのような状況が到来したとしても、人間のみが持ちうる特性があるのではないだろうか。それは創造力であり、異なる他者と協働する能力であり、チャレンジ精神や仲間とのコミュニケーション能力である。そのためには、五感をフルに動員させた自然体験、社会体験、人との喜怒哀楽の交歓を子ども達に十分に保証する環境が何より求められる。その上で、それらを補充や深化させるツールとしてオンライン教育を組み合わせていく。このようなハイブリット型教育が展開されるならば、生きる力に満ちた子ども達が溢れるに違いないと思うのである。

加藤 隆 名寄市立大学副学長
著者プロフィール
1956年北海道生まれ。北海道教育大学大学院修了。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。小学校教諭。光塩学園女子短期大学助教授、北翔大学教授等を経て、現在、名寄市立大学教授・副学長。専門は道徳教育、キリスト教教育。主な著書に『美しい刻』、共著『北海道教育関係質疑応答集』など。

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