アメリカの朝鮮戦争介入と日本への余波

アメリカの朝鮮戦争介入と日本への余波

2020年10月30日
朝鮮半島の戦略的位置

 日清戦争、日露戦争において日本が清国のちにロシアと朝鮮半島をめぐって熾烈な権力闘争を展開し、最終的に朝鮮および満洲における優越的地位をめぐって干戈を交えるに至ったことはよく知られている。まことに弱肉強食の帝国主義時代の外交の帰結であった。その外交を突き動かした根底にある利益は、朝鮮半島の日本に対する戦略的位置であった。「韓国は恰も利刄の如く大陸より帝国の主要部に向って斗出する半島にしてその尖端は対馬と相距ることわずかに一衣水のみ、もし他の強国にして該半島を奄有するに至らば帝国の安全は常にその脅すところとなり到底無事を保つべからず、此のごときは帝国の決して認容する能わざる所にして随ってこれを予防するは帝国伝来の政策」(明治36623日閣議決定「対露交渉に関する件」)がそれである。
 敗戦後のアメリカ占領下にあっても吉田茂をはじめ政府首脳のなかに、朝鮮半島が非友好的な強国の影響下に入ることを懸念する伝統的認識があった。しかし朝鮮戦争が始まる前には、アメリカの政策決定者の間では、一部の東アジア専門家を除けば、日本の安全保障にとって朝鮮半島が持つ意味は充分に認識されてはいなかった。1947年以降、アメリカは主として財政上の理由から、冷戦政策の地域的優先順位を再編した。朝鮮半島の優先順位は劇的に低下した。こうした事情を懸念した日本は、アメリカが韓国に対する関与を終わらせた場合には、日本の安全保障上重大な事態を招来すると認識し、それは非公式にアメリカ政府に伝達された。19505月初旬のことである。

朝鮮戦争への米国関与の意味

 1950622日に朝鮮戦争が勃発した。従来の方針を一擲し、この戦争にアメリカが参戦したため、日本にとっての伝統的な「朝鮮問題」は一挙に解決した。いまやアメリカは自分自身の問題として「朝鮮問題」を引き受けざるを得なくなった。その反対に日本にとっては自ら対処しなければならない安全保障上の大問題が消滅したのである。それは地政学的には少なくとも明治期以降日本が懸念した、朝鮮半島が非友好的な強国の勢力圏下に入ることの危険が当面回避されたことを意味した。
 故高坂正堯教授は、次のように指摘している。「韓国の安全に米国が関与した結果、日本にとっての最大の頭痛の種がほとんど消えてしまった。日本独力でなし得たであろうよりはるかにたしかな安全が、しかも安上がりに確保できるようになったからである。吉田が日本の再軍備を迫る米国の要求に抵抗したとき、このことを洞察していたかどうかはわからない。いずれにせよ、朝鮮戦争にアメリカが関与したことが日本による軍事力の再建の必要性を低下させ、それがその後の日本の行き方に甚大な影響を及ぼすことになったのは事実である」。
 朝鮮戦争のさなかに、東京で行われたジョン・フォスター・ダレスと吉田との再軍備問題をめぐる駆け引きは、上述の事情のもとで吉田首相が、ダレスが主張する日本の本格的再軍備要求をできるだけ値切るという形で進展した。日本側からみれば再軍備についてはある程度成功したが、駐留米軍の地位協定については逆に高い代償を支払わねばならなかった。ともあれ朝鮮半島に対する安全保障にアメリカを半永久的に関与させることの代償としては、安価なものであると判断されたようである。

「防衛第一線」を変化させうる朝鮮半島情勢

 吉田や多くの日本の外交政策関係者は日本と朝鮮半島を安全保障において一つのまとまりとして捉える伝統的な考え方を有していた。けれどもこの時期を最後に、戦後の日本人一般の思考から日本の安全保障と朝鮮半島の関係という観念は衰弱する。日米安全保障体制の成立は、同時に日本人にとっての「朝鮮問題」の消失を意味することになった。それは日本の東アジアにおける安全保障に関する当事者意識を希薄にさせた。日米安全保障条約の運用と実施に携わる少数の外交・防衛関係者を除き、大多数の日本人にとっては他人事になった。
 しかし、主役の座を降りたとしても、日本が朝鮮半島の平和と安全について重要な関係者であることは変わりない。195198日に署名された「日本国との平和条約」第3章第5条(a)の(iii)において日本は「国際連合が憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え」る、と規定された。同日、吉田茂は旧日米安全保障条約に調印した。同じく調印された「吉田・アチソン交換公文」では朝鮮半島における武力侵略に関して平和条約の規定が将来にわたって適用されるべきことが確認されている。これら条約の基本枠組みはこの後、新安保条約、「吉田・アチソン交換公文等に関する交換公文」、いわゆる「朝鮮議事録」あるいは日米防衛協力の指針などによって今日まで維持されている。国連軍後方司令部は横田にあり、国連軍地位協定(1954年)も生きている。在韓米軍(朝鮮国連軍)の存在、日米安保条約及び自衛隊は、日本の安全保障の根本的三要素である。朝鮮半島の情勢が、在韓米軍撤退のような事態に進む場合には、70年続いた枠組みは終わりを告げ、我々の防衛第一線は日清戦争以前に立ち戻る事を覚悟しなければならないだろう。

赤木 完爾 慶應義塾大学名誉教授
著者プロフィール
1980年慶應義塾大学大学院法学研究科(修士課程)修了。その後、同大学法学部助教授、教授等を経て、現在、慶應義塾大学名誉教授。法学博士。専門は、戦争史、安全保障研究、国際政治。主な著作に、『戦略史としてのアジア冷戦』『アメリカ外交の大戦略―先制・単独行動・覇権』『アメリカと東アジア』『朝鮮戦争―休戦50周年の検証・半島の内と外から』ほか。

関連記事