コロナ禍後の子どもの育ちについての危惧

コロナ禍後の子どもの育ちについての危惧

2020年9月14日
はじめに

 新型コロナウィルス感染症の拡大がなければ、「2020東京オリンピック・パラリンピック」が開催され、56年前の1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックで味わったように躍動する若者の姿に感動している日々が続いていたのかもしれない。同年には、アポロ11号が月面着陸に成功し、N.アームストロング船長が月面を飛び跳ねる姿を現実に起こっていることなのか判断がつかずにテレビを見ていたことを今でも覚えている。前年には、アポロ計画を推進していたJ.F.ケネディ大統領が暗殺されたショッキングな映像を見たことも思い出される。昭和30年代は、私たちの生活にテレビという便利な情報源が家庭や地域社会の中に根付いた時代であった。このことは、子ども達が、社会の様々な状況を入手する情報源が、家族や身の周りの大人との語らいからテレビへと大きく変化したことでもある。

新型コロナウィルス感染症とSNS

 2020(令和2)年は、新型コロナウィルス感染症の拡大により、臨時休校や外出の自粛要請などにより、私たち大人だけでなく、子ども達の生活も一変した。家庭で過ごす時間の増加は、子ども達の学力や体力への影響だけでなく、心理的な側面への影響も懸念されている。その影響に関連していることとして、テレビやパソコン、そしてスマホなどのSNSの利用の仕方が上げられる。
 就業時間の確保や休校になったことによる授業時間の確保として、リモートによる仕事や遠隔授業が採用されている。スマートフォンの普及から10数年しかたってないが、パソコンを始め、SNSを利用してのコミュニケーションはこれからもより利便性や効率化を図りながら活用されていくものと考えられる。ただし、懸念もある。テレビやゲーム機、パソコンやスマホの長時間の利用は、子ども達の脳への影響が大きいことが指摘されている。一部にはゲーム障害の危険性にも言及している研究者もいる。
 子ども達の情報入力の源として、テレビに加えて、パソコンやスマホが普及したことは、子どもたちの心の発達に重要な役割を演じている。それは、入力される情報量が、昔とは比較にならないぐらい多くなったことや受け身的な情報収集による自発性や一人遊びによる満足感などから他と積極的に交わることが少なくなり、直接的な人間関係を築く機会を減少させていることである。以前は、自分自身の体験を通すか、親や家族との語らいなどを通して、ゆっくりといろいろなことを覚えていった。つまり、直接体験による情報の収集が中心であった。言葉を修得することにしたがって、コミュニケーションを通して情報を収集する能力を次第に獲得していた。そして、本を読むことを通して膨大な情報を獲得するにいたるが、これは年齢にすると思春期の前後であった。
 現代の子どもは、テレビやゲーム機、パソコン、スマホを通して、イメージ的な情報を介して、言葉を覚える前から、多くの情報を獲得することができるようになった。この情報入力は言葉の修得によって制限されないから、幼いうちから極めて大量の情報を獲得することになる。そして、テレビ、パソコン、ゲーム機による情報や知識は、鮮明で刺激的、しかも感性に直接訴えかける情緒的な性格のものが多く、擬似体験による情報収集であることに特徴がある。
 このイメージを主な情報源とする知識は、言語を媒介とする知識とは異なり、映像的なものとなることが多い。人間の思考様式が、その情報の主たる性格によって決定されるとすれば、昔の子どもは論理的な思考を得意とし、現代の子どもはイメージ的・コラージュ的な思考を優越させていると考えられる。もちろん懸念されることばかりではない。現代っ子の方が昔の子どもよりも感覚が豊かであったり、考え方が柔軟であったり、環境の変化に対する順応性が高いことも考えられる。現在進行している情報化社会においては、この順応性や創造性は必要不可欠な資質・能力である。
 しかし、テレビやゲーム機、スマホなどの長時間の視聴や遊技は、ただ目を開いて見ていることだけによって、情報や快楽をそこから引き出すことができる。そうしたことで、現実の世界への関心や他との積極的な関わりを持たなくとも、子ども達を退屈させない魅力がある。テレビを含め、SNSは有能な子守たりうることのゆえに、使われ方によっては、子どもを受け身的な姿勢に慣れさせ、ひいては自閉性や自己中心性といった性格傾向にまで及ぶ危険性がある。

おわりに

 現代社会や今後の社会で無くてはならないテレビやパソコン、そしてスマホなどのSNSをはじめとするこの種のメカ二ズムは、「他人」なしにも、ほどほどの満足と快楽を子どもたちに与えてくれることから、活用の仕方により他者への無関心や自己中心性を引き起こす危険性がある。例えば、「いじめ」などが学校などで行われていても、傍観者的な態度を取る子ども達が多いことはこの自己中心性ないし、自己完結性の結果とも考えられる。快感や満足を引き出す便利さが増大すればするほど、人間という他者の必要性は少なくなる。
 そこに、新型コロナ感染症によって、他者との距離を取ることなどによって人間関係を築く機会の減少が拍車をかける。マスク装着とソーシャルディスタンスの保持は感染拡大防止の上で必須である。しかし、医療機関でさえ感染を完全に防ぐことができないにもかわらわらず、感染者に対する誹謗・中傷の事例が後を絶たない。誹謗・中傷などの根底には異質なものを排除する考えがある。感染者を抑制したこと、死亡者数が少ないことに対して、WHOが我が国の対応について一定の評価を示している。それは、互いに助け合うことや地域で子ども達を守り育てることを大切にする我が国の国民性が影響していると考える。それらを大切にしてこの困難を乗り越えていきたいと考えている。

山谷 敬三郎 北翔大学長
著者プロフィール
兵庫教育大学大学院修士課程修了、東北大学大学院後期博士課程修了(教育情報学博士)。北海道教育委員会指導主事、北海道浅井学園大学(現北翔大学)教授等を経て、北翔大学・北翔大学短期大学部学長補佐・副学長を歴任し、現在、北翔大学・北翔大学短期大学部学長。専門は教育心理学、カウンセリング心理学。主な著書に(単)『学習コーチング学序説』、(共)『学校心理学ハンドブック』『学校臨床心理学入門』他。

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