文明の転換期における日本の課題

3.文明の転換期における日本の役割

①パクスアメリカーナの終焉と新たなグローバル文明時代への移行

日本はこれまで述べてきたような急激な国際環境の変化に適切に対応しつつ、国内における様々な問題を克服してゆかなければならない。そのためには、目前の課題に対処するだけでは不十分であり、より長期の時間軸のなかで未来の方向性を見定めてゆかなければならない。本項では、文明史的な転換期において、これからの日本が果たし得る役割について考察する。

現代は、パクスブリタニカ、パクスアメリカーナと続いた西洋中心のグローバル文明が陰りを見せ、新たなグローバル文明が到来する移行期にあると考えられる。文明発展の歴史的変遷の軌跡をみると、まず古代、旧世界においては大河流域に四大文明が花咲いた。次いで、ギリシャ・ローマ世界(エーゲ海・地中海)から中世におけるインナーユーラシアのイスラム世界(ペルシャ湾・インド洋)が栄えたユーラシア周辺の内海文明の時代があった。近世以降、19世紀から20世紀前半までの期間は、アウターユーラシアの西ヨーロッパ(大西洋世界)が繁栄の中心となる。そして20世紀に入り、二つの世界大戦を通して英国と米国の世界的影響力は逆転した。覇権国家は英国から大西洋西岸の米国へと移動し、パクスアメリカーナの時代が訪れた。

パクスアメリカーナは、キリスト教とヒューマニズム、近代科学を礎とするヨーロッパ文明を継承発展させ、その輝きを頂点へと高めてきた。しかし今日、世界における米国の影響力が相対的に低下しつつあることは明らかである。中国やインドなど新興勢力の存在感が高まり、世界は多極化の時代に向かおうとしている。O.シュペングラーが著した『西洋の没落』は、そうした文明の興隆と衰亡を予言するものであった。

キリスト教を基盤とした中世の崩壊とともに到来した西洋近代文明は、人間中心主義を理想とする個人主義の時代であった。また膨張する資本主義と飽くなきテクノロジーの発展により、効率性と目に見えるものの価値を成果として追及してきた。これまで述べてきた現在の世界や日本が抱える様々な問題は、西洋近代科学技術文明の弊害が露になった文明史的課題や病理ともいえる。それらはもはや対症療法だけでは解決が困難であり、パラダイムの転換を伴う抜本的な変革が求められている。21世紀は、現代文明が抱える様々な問題を収拾する新たなグローバル文明が台頭する時代とならなければならない。

②インド太平洋地域における新たなグローバル文明の萌芽

それでは新たなグローバル文明は、どこを起点に生まれるだろうか。現在、「インド太平洋」が新たな地域概念として注目されている。インド太平洋は、アジア太平洋からインド洋を経て中東・アフリカに跨る広大な地域であり、世界人口の半数を擁する世界の活力の中核になるとみられている。中国はインド太平洋と地理的に重なる領域で「一帯一路」構想を推進し、一大経済圏を構築しようとしている。米国は中国に対抗し、日本が提唱した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想に呼応して「IPEF(インド太平洋経済枠組み)」構想を打ち出すなど、21世紀の世界経済の成長センターとなるこの地域への関与を強めている。

ところで、インド太平洋地域の中でも、アジア太平洋は早くからAPEC(アジア太平洋経済協力)などの経済的枠組みを通じて域内の連携を深めてきた。アジア太平洋は西洋文明と東洋文明との出会いの場であり、様々な民族、言語、宗教、文化で構成され、きわめて多様性に満ちている。そして海洋国家を中心としたこの地域の人々は、古来より広大で自由な海とともに暮らし、豊かさと繁栄を享受してきた。インド太平洋が新たなグローバル文明の揺籃になり得るとすれば、その最初の起点となるのはアジア太平洋であろう。

そこから生まれる文明は異質の文化が融合し、あらゆる思想・文化・宗教が併存する共生共栄の文明、広大な海を擁する海洋性の強い文明となろう。同時に、自由・民主主義・法の支配などの価値観を基調とする開放的な文明であることが望ましい。

過去の史例から明らかなように、一つの文明圏が形成される過程においては、関係する大国間の権力闘争が繰り広げられてきた。そして激しい戦いの末に勝者となった国が覇権国家として新たな国際秩序を築くとともに、その枠組みの下で安全保障や貿易などの国際公共財やサービスを傘下の国々に提供するようになる。この覇権国家を中心とする諸国間の活発な交流や接触が重ねられ、その中から新たな文明圏が生成されていくのである。政治・経済・軍事など、あらゆる分野に及んでいる米中対立は、新たなグローバル文明の覇権争いと見ることもできる。

しかし、中国が現在のままで米国に代わって新たな文明を担う覇権国家になる可能性は低い。過去における覇権国家興亡の歴史を読みとると、そこにいくつかの歴史的法則を指摘することができる(注)。それらを踏まえると、新たな文明を担うことのできる覇権国家には、①世界文明を築くことのできる海洋国家である、②権力の集中がさほど強くなく、自由で開放的な政治システムを持つ、③世界各地に展開してコミュニケーションを維持する力を持つ、④武力による威圧的活動よりも相互利益の通商交易に通じている、⑤諸外国から支持受容される普遍的なシステムを生み出す力を持つ、等の特徴が求められるからである。

それでは、米国の影響力が相対的に低下している中で、新たなグローバル文明の発展過程に対して日本はいかなる役割を果たしうるだろうか。

(注)詳細は、平和政策研究所(2017)「環太平洋文明の発展と海洋国家日本の構想―海洋国家連合と新経済秩序の構築―」を参照。

③新たなグローバル文明の担い手としての日本

近世以降の覇権闘争のアクターはすべて国家であったが、主権国家を軸とする今日の国際体制は、国際秩序のパラダイムとしては既にその頂点の時期を過ぎたといえる。新たな覇権を握るのは単一の主権国家ではなく、自由と民主主義を掲げ、武力よりも公益を重視する開放的性格を帯びた国々の同盟を想定することができる。

米国の影響力は相対的に低下しており、同盟国であり海洋国家でもある日本の果たすべき役割はきわめて大きい。しかし、日本一国で米国の肩代わりをすることは不可能である。それをカバーすると考えられるのが、海洋諸国家との多国間連携である。日米同盟を軸(ハブ)とし、多くの海洋国家との連携協力の枠組みをスポークとして整備し、海洋の自由と海洋秩序の安定を実現する海洋同盟を形成する必要がある。

Quad(クアッド)は、まさにそうした海洋同盟に相当するパートナーシップのひとつといえる。日本は新たなグローバル文明の軸のひとつとして、米国と協力しその力を補うとともに、新たな国際秩序の形成にあたって大きな役割を担う立場にある。

また、朝鮮半島および台湾海峡は、中国・ロシアのランドパワーと海洋国家によるパワーが衝突する戦略的ホットスポットであり、地政学的にも日本の安全保障にとってきわめて重要な地域である。緊張が高まる北東アジアの平和と安定を確保するには、日米同盟を軸として、韓国を含めた日米韓の戦略的枠組みを整備する必要があろう。

日本は東西文明の双方を受容し、共存させ、それを発展させることで成長を遂げた海洋国家である。また、歴史的に様々な思想や文化を受け入れてきた柔軟性をもっている。平和国家としての途を歩んできた戦後の日本ほど、新たなグローバル文明を「平和の文明」として発展させるに相応しい国はない。そうした長期的文明史的な大きなビジョンの中で、日本が抱えている様々な問題を解決する道も見えてくるに違いない。

参考文献