環太平洋文明の発展と海洋国家日本の構想 ―海洋国家連合と新経済秩序の構築―

環太平洋文明の発展と海洋国家日本の構想 ―海洋国家連合と新経済秩序の構築―

2017年8月23日

Ⅰ.はじめに:人類史と世界文明の変遷

(1)大河と海が育んだ古代文明
 これまでの人類の文明変遷の軌跡を顧みると、そこに一定の法則を読んで取ることができる。まず最初の本格的な文明は、ナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス、それに黄河という四大河の周辺に誕生した。農業革命と人の集住による都市の発達が四大文明を生み出す原動力となったが、ユーラシアの大地を流れる大河のもたらす豊富な水が、文明を生み出したのである。
 約3千年余にわたる四大文明の時代が終わると、ユーラシア大陸の西部に、ヨーロッパ文明の基礎となるギリシャ、ローマ文明が興隆した。ギリシャはペロポネソス半島、ローマはイタリア半島に位置し、いずれも大陸から海に伸びた半島に花開いた文明といえる。ギリシャ文明発展の礎には、海洋文明であったクレタ文明が与っていたが、四大文明の一つであるエジプト文明の影響も強く受けていたことが、近年の研究で明らかとなりつつある。ナイル川に開花したエジプトの文明が、海を媒介としてペロポネソス半島に伝播したのである。大陸国家ペルシャの侵略を退けたギリシャは、アテネを盟主とするデロス海洋同盟の下に空前の繁栄を遂げる。
 その後、ヘレニズムの時代を経て、イタリア半島の一都市国家に過ぎなかったローマが、半島全域のみならずヨーロッパ~小アジア・アフリカをも支配下に収め、世界国家へと発展を遂げていった。ローマの躍進は、地中海の交易権を握っていた海洋都市国家カルタゴとの死闘を制したことが大きな意味を持っていた。土木・建設技術や陸路の整備に長けていたことからも窺えるように、元来、ローマの文明は大陸的な性格を色濃くするものであった。陸戦は得意とするが海戦の経験を持たないローマは、カルタゴ海軍との戦いに苦戦を強いられた。戦局挽回のためローマが独自に開発したのが、敵の船に兵士が乗り移る可動式のタラップであった。“コルウス(鴉)”と呼ばれたこの装置を装備したローマの軍船は、カルタゴの船に接舷、体当たりし、コルウスから重装備の兵士をカルタゴ船に乗り移らせ、近接戦闘に持ち込んでカルタゴ船の戦闘力を奪い取った。不得手な海戦を得意な陸戦へと変化させることで、ローマはカルタゴの海洋支配を打ち破ったのである。さらにハンニバルの猛攻も退け、カルタゴの町を灰燼に帰せしめたローマは、地中海を“我が海”となし、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸に跨る空前の大帝国を築き上げたのである。
 ローマ帝国は、およそ800年の歳月をかけて地中海を内海とする一大帝国を築き上げたが、二世紀末から三世紀にかけてほころびが出始めた。その後、ローマ帝国は絶対専制君主制ローマを強化するうえで、ヘブライズムの伝統を受け継ぐキリスト教の公認と国教化を図り、ヘレニズムとヘブライズムを融合したキリスト教ローマ帝国を築いた。
 ギリシャやローマが、人類史に大きな足跡を残す普遍的価値の高い世界文明を生み、しかも長きにわたる繁栄を続けられたのは、地中海やエーゲ海という海の存在とその支配に成功したことが深く関わっていた。フランス語で海を意味するメール(la mer)は“母(la mère)”に通じるが、海こそがまさに文明の揺籃となったのである。

(2)中世:インナーユーラシアの時代
 やがて、領土拡張の停止や生産性の停滞、さらに繰り返されるゲルマン民族の越境攻撃等が原因となり栄華を極めたローマ帝国も弱体化し、約8世紀にわたって続いたローマ文明は衰亡する。ちなみに、ゲルマン民族がローマ帝国を蚕食する時期とキリスト教がローマにおいて覇権を確立する時期は重なり合っており、ローマ帝国が衰亡した後に中世ヨーロッパ社会が一応の安定を保てたのはキリスト教の故であった。
 一方、“中世”と呼ばれる次の千年の時代をリードしたのは、中央アジアのモンゴルや中東のイスラム世界である。覇権と世界文明の中心が、それまでのユーラシア大陸の西部から中央部(インナーユーラシア)に移ったのである。
 このうち元帝国を築いたモンゴルは、騎馬の機動力を存分に活かし農耕を主体とする定着型社会を武力で席巻し、短期間で覇権を握ることに成功する。だが、急速な膨張は略奪と破壊によるものであり、急速に膨張を遂げたように急速に衰退し、後世に影響を与える普遍的な文明を残すには至らなかった。生産と蓄積が不得手な遊牧移住型社会の限界といえる。これに対し中東のイスラム世界は、医科学などの自然科学のみならず、哲学や文学、思想等各方面で高い文明を誇り、長期にわたって世界をリードした。
 中世ヨーロッパは文明史的には停滞期であると評価されるが、ヘブライズムの伝統を受け継ぐキリスト教と、ローマ文明の遺産としてのヘレニズムを融合させた、一つの安定した文明を形成した時代でもあった。キリスト教神学は古代においてプラトンを受容したが、13世紀以降はアラブ世界からアリストテレスの思想を受容して「スコラ学」を発展させた。このようにキリスト教文明の中に内包されたローマ文明の遺産が、やがてルネサンスを生み出す原動力となっていく。
 一般にイスラムの人々は大陸内部に拠点を置く「遊牧の民」と思われがちだが、彼らは「航海の民」でもあった。地形が千変万化し何の目標もない砂漠を馬やラクダで旅するイスラム商人にとって、陸上の移動は海上の移動と同じであった。太陽や月、星を目印に移動する術に長じたイスラムの人々は、砂漠を移動するのと同じように、季節風を利用して海の道を開き、ペルシャ湾からホルムズ海峡、インド洋を経てアジアとの交易に従事したのである。
 ジンギスカンが終生海を見ることがなかったように、モンゴルは陸路のみの支配に留まった。それに対し交易の民イスラムは海を活かし、異郷世界との共生と相互利益の関係を築くことによって、比類なき繁栄と文明を築くことに成功したのである。

(3)ヨーロッパ文明と海洋国家の覇権
 イスラム商人は香料貿易を独占することで莫大な富を手にしたが、これに不満を抱いたヨーロッパの勢力は、イスラムの手を経ることなく自らが直接アジアに至る海洋ルートの開拓に乗り出していく。この挑戦が、大航海海時代の幕を開く契機となった。ギリシャ、ローマ文明は半島の文明であったが、15世紀、大航海時代の先鞭を切ったのも半島、即ちイベリア半島に位置するポルトガルとスペインであった。新航路の開発や新太陸への到達に成功したことで、ヨーロッパ経済の中心はインナーユーラシアのイスラム圏に近いベニスやミラノなどの北イタリア諸都市から一転アウターユーラシアの大西洋岸へと移ったのである。そして商業革命を先導したポルトガル、スペインに続き、スペインからの独立を果たしたオランダ、そしてイギリスといった海洋国家が世界の経済と覇権を握り、約5世紀にわたりヨーロッパ文明が世界をリードすることになった。
 その間、ヨーロッパ海洋国家の覇権に挑戦する勢力も存在した。オランダやイギリスの支配に挑んだフランス、次いでウィーン体制の下でヨーロッパ世界の一員となったロシアである。大陸の熊ロシアは、19世紀後半、西はバルカン半島から中東、南アジア(グレートゲーム)、さらに東方では東アジア・極東(日露戦争)と世界の多方面に積極的に進出し勢力の拡大を企てた。しかし海洋の鯨イギリスがその前に立ちはだかり、ロシア膨張の野望を砕いた。
 さらにロシアが覇権争いから大きく後退するや、入れ替わるように、世紀末から20世紀にかけて、ドイツ(プロシャ)がイギリスの覇権を脅かすようになった。イギリスとの対立を極力回避し続けた宰相ビスマルクが失脚するや、若き皇帝ウィルヘルム2世は海軍を強化し、イギリスの海洋支配に公然と挑戦した。やがてバルカン問題が火を噴き第一次世界大戦が勃発、4年にわたりヨーロッパ全土を巻き込む大戦争の末、イギリスはドイツを屈服させた。さらにイギリスは第二次世界大戦でヒトラードイツの野望を挫き、二度にわたるドイツの挑戦を退けることに成功する。
 かように、ヨーロッパ文明世界は海洋国家優位の下で発展を遂げ、いずれの大陸国家も挑戦勢力に留まり、覇権国家へと飛躍することはできなかった。もっとも、2世紀にわたりパクスブリタニカの時代を謳歌した大英帝国も相次ぐ露独との戦いの中で自らの国力を疲弊させ、覇権国家の座は大西洋を渡り、イギリスを助けた新興海洋国家アメリカへと移り行く。

(4)アメリカの世紀と太平洋の時代
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカの国務長官を努めたジョン・ヘイは「地中海は昨日の海、大西洋は今日の海、そして太平洋は明日の海である」と述べたが、西進運動が終わりフロンティアが消滅した19世紀半ば以降、アメリカは積極的に太平洋へと進出していった。アメリカの膨張を理論面で支えたのがシーパワーの重要性を説いたマハン提督であった。時を同じくして太平洋の対岸に位置する日本も、それまでの鎖国政策から開国へと舵を切り替え、急速な近代化に成功し東アジアで勢力を増すようになった。やがて両国は中国の市場やアジア太平洋における覇権をめぐり壮絶な戦いを繰り広げるが、この戦いに勝利したアメリカは、以後太平洋の支配権を完全に掌握することになる。
 第二次世界大戦後、イギリスに代わり覇権国家となったアメリカに挑んだのが、世界初の社会主義革命によって帝政ロシアから国柄を改めたソ連であった。冷戦と呼ばれる覇権闘争がそれである。ソ連が闘争の武器としてコミュニズムというイデオロギーを用いたのに対し、アメリカは、その圧倒的な軍事力や科学技術、経済力、さらに自由と民主主義を基調とする国際システムを諸外国に提供することでソ連を封じ込め、グローバルなイデオロギー闘争としての冷戦の勝者となった。自由と民主主義の守護神であるアメリカは、共産党の独裁体制を退けるとともに、資本主義世界の社会主義世界に対する優越を実現したのである。
 一方、第二次世界大戦後、国際社会に復帰した日本は、旧敵国アメリカと同盟を結ぶ途を選択し、目覚ましい戦後復興を経て経済大国へと成長するとともに、アジア太平洋地域でアメリカにとって最も重要かつ信頼し得る同盟国となった。アメリカが平和と秩序の安定という国際公共財を提供するなか、同盟国である日本が新興アジア諸国の発展モデル及び経済の牽引役となることによって、韓国、台湾、ASEAN等東アジアの国々は次々と目覚ましい経済成長と近代化を成し遂げた。
 その結果、世界貿易の中心は大西洋から太平洋に移り、アメリカの関心地域や主要な貿易相手もヨーロッパから東アジア・太平洋の諸国へとシフトしていった。大西洋と太平洋の両洋に面した海洋国家アメリカがイギリスに代わる新たな覇権国家となったこと、また太平洋が世界経済の中心に成長したことで、大西洋に面したヨーロッパ海洋諸国が世界をリードする15世紀以来の文明圏の構図に変化が生じ、「環太平洋文明」という新たな文明圏が台頭する時代を迎えたのである。
 以上、これまでの覇権国家や文明圏変遷の軌跡を顧みるならば、まず古代においては「大河文明」としての四大文明が花開いた。次いでギリシャ・ローマ世界(エーゲ海・地中海)から中世におけるインナーユーラシアのイスラム世界(ペルシャ湾・インド洋)が栄えた「ユーラシア周辺内海文明」の時代を経て、近世にはアウターユーラシアの西ヨーロッパ(大西洋世界)が繁栄の中心となる。さらに20世紀に入ると、覇権国家はイギリスから大西洋西岸の国アメリカへ移動する。パクスアメリカーナは、キリスト教とヒューマニズム、近代科学を礎とするヨーロッパ文明を継承発展させ、その輝きを頂点へと高めると同時に、20世紀後半には新たな太平洋文明の幕を開く原動力ともなった。近現代、それは、大西洋と太平洋という世界の二大洋地域が人類繁栄の中心域をなす「大洋文明」の時代であり、その中心は大西洋から太平洋へと推移しつつある。21世紀はまさに「環太平洋文明」の時代である。

 

Ⅱ.環太平洋文明と新たな覇権の構造

1.環太平洋文明とは

(1)環太平洋文明の基本的性格
 ジョン・ヘイの演説からおよそ1世紀を隔てた1990年6月、ソ連のゴルバチョフ大統領は、太平洋を目の前にしたアメリカ西海岸のスタンフォード大学で演説し、「太平洋は未来の地中海である」と語った。この言葉は、世界文明の中心がヨ-ロッパ・大西洋地域から東アジアを含む太平洋地域へと確実に移動しつつあることを示唆するものであった。これまで文明圏の領域は、大河の流域からエーゲ海・地中海、ペルシャ湾~インド洋、そして大西洋へと広がりを見せてきたが、遂に太平洋という世界最大の海を母体とする世界最大の文明圏が形成される時代が到来したのである。
 東アジア・太平洋は世界で最も躍動的な地域であり、世界人口の半分を擁し、全世界の貿易額の50%以上を生み出している。アメリカの輸出総額の60%は東アジア・太平洋地域で占められ、それはEUとの貿易額の2倍を超えている。またアメリカの対外貿易の95%は海上輸送に依存しているが、重要なシーレーンの多くがこの地域に張り巡らされているのだ。それでは、世界の成長センターとして国際経済に占めるシェアを急速に伸ばしている東アジア・太平洋の地に生まれた環太平洋文明とは、どのような性格を持つ文明であろうか。
 第一に指摘できるのは、世界最大の太平洋及びそれを取り巻く周辺地域に誕生したものであることから、環太平洋洋文明がこれまでにない広大な地域を擁する極めて海洋的性格の強い文明だということである。第二に、アメリカの圧倒的な覇権と国際秩序を基盤に形成されていることから、環太平洋文明は自由と民主主義を基調とする開放的な文明としての基本属性を有している。
 第三の特徴は、ヨーロッパ文明とアジア文明という二つの文明が融合したハイブリッドな文明だということだ。オリエントからエーゲ海、地中海、そして大西洋を経て太平洋へと地球を西廻りで移動してきた文明ベクトルと、ペルシャ湾、インド洋から東アジアへと地球を東回りで進んできた文明ベクトルが太平洋で合流したことによって、環太平洋文明は誕生した。人類史における文明伝播の波が地球を一周したといえるのだ。西方世界を代表するオリエント・ヨーロッパ文明と中東のイスラム文明、さらにアジアを代表するインド、中国の二大文明それぞれのエッセンスが太平洋地域で接触、互いの思想や哲学、倫理などが相互に影響を及ぼしあい、作用と反作用、そして止揚の過程を経て新たなる文明が産み落とされたのである。そのような出自は、当然にこの文明の基本秩序やルールを規定することにもなる。
 例えば、古代ギリシャに発する自由や民主主義の思想・システムを確実に受け継ぎながらも、環太平洋文明においては個人の存在をあらゆるものに対して優先絶対視する西洋的な思考とは一線を画し、社会との調和や個と全体のバランス、融和への考慮が重視される。また多数決システムを尊重しながらも、ただ数の論理を単純絶対視するものではなく、決定の過程で協議や話し合いに十分な時間をかけ、参加者全員の間に自発的合意が形成されるよう配意される。合意形成のための機関の性格を比べても、西洋のように強力な権限を持ち分掌が明確な堅い組織よりも、柔軟で緩やかな協議体や非公式ネットワークが好まれる点も環太平洋文明の特色をなすものである。
 さらに第四の特徴は、環太平洋文明が多様性を帯びた文明だということだ。それは、環太平洋文明圏がただ広大であるというだけではなく、文明圏を構成する国々の政治体制や経済の水準、発展段階、さらには宗教、文化、風土等がヨ-ロッパ等他の文明圏に比較して遥かに多様性に富むことに起因している。西洋にあっては、アルファベットの使用やキリスト教の流布、また美術、芸術等を見てもわかるように、一つの文明圏としての共通性がそこに存在する。これに対し東アジア・太平洋地域の場合、畳を使う民族もおれば椅子を用いる社会もある。山岳部に暮らす民族も船上生活の民もいる。生活の習慣や環境が極めて多様な地域であり、一つの文明としての共通性を見出すことは必ずしも容易ではない。
 冷戦が激化する過程で、アメリカを中心とする西側陣営は、ヨ-ロッパにおいては共産勢力封じ込めのためにNATOなどの集団安全保障体制を構築したが、SEATO(東南アジア条約機構)の不活発さを思い返してもわかるように、アジアにおいてはそのような集団機構は有効に機能せず、結局は米比、米韓といった個別二国間条約による反共体制を作りあげることしかできなかった。それは、アジア諸国間に見られる不均質さの故である。また東南アジアなどでは、諸民族の生活圏と国境線が一致しないケ-スも多い。それは、近代以前のアジアには西欧国際体系に由来する国境線の観念が存在せず、そこに植民地化が進められ、西欧列強間の勢力分布や軍事的要因等から人工的・便宜的な境界線が一方的に画定されたためである。
 宗教においても、環太平洋文明圏は多様的である。この地域には、世界の三大宗教である仏教、キリスト教、イスラム教を信仰する人々が共存している。そもそも仏教はアジアがその生誕の地であり、日本や台湾、タイ、ミャンマーなど仏教徒が多い。これに対し韓国やフィリピンはキリスト教信仰者が多数を占めており、インドネシアは世界最大のイスラム国家である。
 アジア太平洋の全域を包含する共通単一の価値観や哲学は、見出し難い。多様な価値観や伝統、宗教を併せ持つこの地域で一つの文明圏を育て上げていくためには、異なるもの相互の対立や排斥があってはならず、多様性を活かしつつ新たなものを生み出していくアプローチが重要となる。『文明の衝突』の中でハンチントンは、普遍主義に偏らずそれぞれの文明や宗教の多様性を受け入れ、そのうえであらゆる文明や宗教に共通する基本的な価値観や理念、制度を見出し、それを育み、国際秩序へと昇華させることが世界規模の大戦争や暴力的な覇権闘争を回避する重要なルールであると述べている(共通性のルール)が、こうしたルールを実践し「多様性の中の共存」を実現することが、この地域の平和と環太平洋文明をさらなる発展へと導く鍵となるのだ。
 環太平洋文明が持つ第五の特徴は、この文明がまだ誕生から日が浅く、未だ形成過程にあるという点だ。パクスアメリカーナの存在や冷戦終焉後の目覚ましい情報通信技術の発展、それにグローバル化の進展によって太平洋の沿岸諸国間に緊密なコミュニケーションネットワークが形成されつつあるが、他方、極めて多様性に富み、広大な地域に国々が散在していること、また政治的流動性の高さや地政環境から、コアを持つ一つの纏まった文明圏としてその姿を鮮明化させるには、まだ相当の時間と乗り越えるべき試練が待ち受けている。以下では、その問題点を眺めてみたい。

(2)三大国が並存する地政環境と複雑な政治構造
 環太平洋文明圏を国際政治の観点から捉えた場合、そこには他の地域にはない大きな特徴が伴っている。それは、世界の三大強国が並立している世界で唯一の場であるというその地政環境である。この文明圏が所在する太平洋には、環太平洋文明創生の基盤となったパクスアメリカーナを提供した覇権国家アメリカのほか、太平洋の対岸には中国が、さらにその北には中国と長大な国境を接する形でロシアという世界政治の行方を左右する大国の全てが所在している。
 第二次世界大戦後の世界は、イデオロギー対立を軸とする冷戦構造が支配した時代であったが、冷戦を“東西”の対立と捉えるのはヨーロッパに根ざした発想である。アジアにあっては、ヨーロッパのように東側陣営対西側陣営といった単純な二極のパワーバランスだけでその動向を論じることはできず、常に米中ソ(露)三極構造からの把握が必要であった。冷戦の終焉後もこの特性は変わらっておらず、例えば北朝鮮の核・ミサイル問題についても、米中露三国の思惑や相互の駆け引きが複雑に絡み合っている。さらに、東アジア諸国の中で、アメリカ、中国、ロシアの三大国のいずれとも隣接関係にあるのが我が日本であるという冷厳な事実も、我々は常に意識しなければならないのである。
 そもそもアジアにおける冷戦を、ヨーロッパのように社会主義と資本主義の対立というイデオロギー問題だけで論じることには限界がある。ヨーロッパでは、冷戦が終焉するやすべての社会主義諸国は体制を変革し、民主化、市場経済への移行が一挙に進んだが、アジアでは中国、北朝鮮、さらにベトナムといった社会主義諸国が今日も健在である。地域協力の進展や非伝統的脅威への対処などポスト冷戦の政治環境が生まれている一方、今もなおアジアでは社会主義勢力と資本主義政治力の対立という冷戦構造が残っている。それは、これら諸国では社会主義思想の基盤に強力なナショナリズムが裏打ちされ、しかも両者が表裏一体化した政治構造になっているためである。その理由は、この地域が戦前ヨーロッパ勢力の植民地であったことと無関係ではない。一般にコミュニズムはナショナリズムと併存し難く、かつ前者は後者の前に敗北したといわれるが、このテーゼもアジアではそのままの形では通用しないのである。そのうえ、これもヨーロッパとの違いだが、アジアでは熱戦を伴う形で国家・民族の分断を経験しており、その和解と再統一のプロセスもヨーロッパ程には容易ではない。
 環太平洋文明圏がさらなる成長と発展、そして成熟を遂げるためには、東アジア・太平洋地域に平和で安定的な国際秩序が確保される必要がある。だが、この地域が世界の三大国が隣接する地政環境にあること、また冷戦構造の残滓とポスト冷戦の世界的潮流が併存する複雑な政治環境にある現実を見落としてはいけない。そしてこうした問題が、環太平洋文明の行く手を流動化させる不安定要因となっているのだ。

2.環太平洋文明と覇権の行方

(1)パクスアメリカーナの揺らぎと中国の台頭
 過去の史例から明らかなように、一つの文明圏が形成される過程においては、関係する大国間の権力闘争が繰り広げられてきた。そして激しい戦いの末に勝者となった国が覇権国家として新たな国際秩序を築くとともに、その枠組みの下で安全保障や貿易などの国際公共財やサービスを傘下の国々に提供するようになる。この覇権国家の庇護の下で諸国間の活発な交流や接触が重ねられ、その中から新たな文明圏が生成されていくのである。環太平洋文明の形成にあたって、その担い手はいうまでもなくアメリカであるが、近年その覇権と国力に対する不安や懸念が強まっている。
 冷戦に勝利し唯一の超大国となったアメリカのブッシュ大統領は、新世界秩序を唱え、アメリカにポスト冷戦期の世界の平和と安定を担う覚悟と責務があることを強調した。ところが冷戦の終焉後、それまでのイデオロギーに代わり宗教が新たな国際政治の因子として浮上した。イスラム原理主義による暴力の挑戦を受けたアメリカは、対テロ戦争として相次ぐ対外戦争に踏み込み、その国力と国民精神は大きく疲弊してしまった。
 アジア・太平洋文明圏形成の中心アクターとなるべきアメリカが躓きを見せた丁度その頃、太平洋の対岸では中国がその影響力を増大させるようになった。改革開放政策の推進により目覚ましい経済発展を遂げた中国は、日本を抜いて世界第二の経済大国となったばかりか、その富を軍事力の近代化と軍備の増強に投入し、軍事大国への途を邁進している。強大な軍事力を背景に、中国は東シナ海や南シナ海など周辺地域への露骨な膨張政策を続け、日本やアセアン諸国との間で緊張が続いている。さらに中国は、核・宇宙戦力やサイバー攻撃能力の増強も続けており、アジアで覇を唱えるにとどまらず、アメリカの覇権に挑戦するのではないかとの懸念が強まっている。
 新興の大国がその勢力圏を拡大させると、それに不安を感じた覇権国家との間に角逐・対立が生じ、やがて両国の間で大規模な紛争が生起し、その結果覇権国家が交代する(“ツキュディディスの罠”)。この史的パターンに倣えば、米中の衝突によって中国が新たな覇権国家となり、アメリカの支配は終焉を迎えるのか、そうであるとすれば、環太平洋文明の担い手もアメリカから中国に移るのであろうか。

(2)中国は21世紀の覇者足り得るか
 この問題を考えるにあたっては、過去における覇権国家興亡の歴史を正しく読みとることが重要だ。それは、覇権と文明の生成変遷に関して、そこに幾つかの歴史法則が存在しているからである。まず法則の第一は、覇権国家となり、世界文明を築くことができるのは海洋国家であるということだ。古代から現代にいたるまで、文明の誕生と発展には大河や海が深く関わってきた。そして海を巧みに利用し、あるいは海に対する親和性の高い民族が覇権国家を形成し、高度の文明を築いてきた。一見大陸的な性格を持つように見えるローマ帝国やイスラム世界の場合も、地中海の制海権を握り、あるいはペルシャ湾からインド洋にかけての海洋交易に長じたことが、躍進の契機となった。さらに、近世~現代における覇権国家は、ポルトガル⇒スペイン⇒オランダ⇒英国⇒アメリカと推移したが、いずれも交易で栄えた海洋国家であった。
 法則の第二は、覇権を握ったこれら海洋国家に挑んだのは、フランス⇒ロシア⇒ドイツ・日本⇒ソ連という大陸国家(日本を除く)であったが、いずれも海洋国家との戦いに最終的には敗北を喫している。覇権を握る海洋国家に大陸国家が挑むが、最終的には海洋国家に退けられるというパターンを近世以降の歴史は繰り返しているのだ。ここで注目すべきは、日本である。日本は本来海洋国家でありながら、ドイツという大陸勢力と組んで英米の海洋勢力に挑戦し滅んだ。昭和前半期の日本は、大陸問題に深入りし、その過程で海洋国家としての属性を忘れた。またその利点を活かさず、逆に大陸国家然とした行動を重ねたことで自ら墓穴を掘ったのである。
 法則の三は、大陸国家の挑戦を退けた海洋国家の中には、英国のように再びの覇権を謳歌し得たケースもあるが、大陸国家との戦いには勝利したものの自らも弱まり、覇権国家の座を新たな海洋国家に譲るのが一般的である。ポルトガルやオランダ、パクスブリタニカ2末期の英国がその例だ。近世以降、世界政治のヘゲモニーは海洋国家が掌握し、それに対して力を得た大陸国家がライバルとして出現、海洋国家に負けぬ海軍を整備して、覇権を奪おうと企てるが、結局は海洋国家に勝利できずに敗退し、世界の覇権は新たな海洋国家に引き継がれていったのである。
 ではなぜ、ヘゲモニー争奪のパワーゲームで、海洋国家は大陸国家に優位し得たのであろうか?その答えの鍵は、海洋国家に挑戦した大陸国家の行動パターンに隠されている。

(3)海洋国家と大陸国家:その戦略論的比較
 国家は,その地理的特徴から海洋国家と大陸国家に大別出来る。両者を比較すると、海洋国家の利点としては、陸地面積に比して長い海岸線を持ち、他国との経済交流が容易であることが挙げられる。「海洋の秩序は海商秩序である」(マイケル・ハワ-ド)と言われるように、海上運送は陸上運送に比べ安価であり、遠距離になる程その差は大きくなる。しかも他国の領域を通過することなく遠国との交易が可能となるので、通商貿易が盛んとなり易い。また遠距離地域との交流を通じて多くの文明や情報に触れる結果、進取の精神や開放的な文化、国民性が生まれ易いのも海洋国家の特性である。
 さらに海洋国家が大陸国家に優位し得た大きな要因として、大陸国家に比べフロンティアや海外植民地の獲得が容易であったこと、周囲を海で囲まれているか、国境を接する国が少ないため、守り易く攻められ難い地政環境にあることが指摘できる。特に後者のおかげで、海洋国家は軍事力をはじめとする“権力装置”への投資が少なく、プロテクテョンレントも安く済んだ。それが投資効率の上昇や経済面での伸長をもたらし、自由主義的で豊かな生活を保障する国作りを可能にした。モンテスキューは『法の精神』において「島の住民は大陸の住民より自由への傾向を持つ。・・・(島は)海によって大帝国から切り離され、暴政の手も及ぶことがない。征服者は海によって阻止され、島民は征服に巻き込まれず、容易にその法律を執行」できると述べているが、大英帝国がナポレオンやヒトラーの侵略を許さなかったのはヨーロッパ大陸との間に横たわるドーバー海峡が存在したためであり、島国ゆえにヨーロッパ大陸内部の権力争奪戦に対しフリーハンドの立場を維持できたことが、パクスブリタニカの実現に大きく寄与したのだ。
 要するに、海洋国家は自らの安全や経済的発展を図るうえで、膨大な陸軍兵力の整備に国力を投入する必要が小さかったのに対し、大陸国家は国境を接する隣国への警戒から強大な陸軍兵力を維持整備する必要に迫られる。そのうえ海洋国家の支配を覆すためにはさらに莫大な国費と人材を投入して海軍力の整備にも取り組まねばならない。大国といえども大陸国家の場合、強大な陸軍と海軍の双方を同時に保有することが、国力の限界を超えた軍事費負担の重圧となり、経済の破たんや政治の不安定化を招き、覇権レースからの脱落を余儀なくされるのである。キューバ危機での後退を契機に、大陸国家のソ連が米海軍に対抗し得る強大な海軍力の整備に乗り出したが、結局は軍事費の重負担に耐え切れずわずか30年で消滅した事実はその典型的な史例といえる。
 結論として、覇権国家となり得る要件は以下の五つに纏めることができる。
  ①海洋国家であること
  ②権力の集中がさほど強くなく、自由で開放的な政治システムを持つこと
  ③世界各地に展開し、コミュニケーションを維持する力を持つこと
  ④武力による威圧的な活動よりも、相互利益の通商交易活動に通じていること
  ⑤諸外国から支持受容される普遍的なシステムを生み出す力を持つこと

(4)主権国家システムの変容と新たな覇権の構図 
 上述の史的法則や歴史の公理を現在の米中関係に充てはめれば、覇権闘争の行方も自ずからその方向が見えてくる。海洋国家としての伝統を持たないことや閉鎖独裁的な政治システムの存在、低い普遍的価値システムの供給能力、周辺諸国との摩擦が絶えず、武力による恫喝を多用していることなど先の①~⑤のいずれの要件をも満たしていない現在の共産中国がアメリカを凌ぐ新たな覇権国家になる可能性は極めて小さい。
 とはいえ、今後、アメリカと中国の間で、政治、経済、さらに軍事の各分野で覇権をめぐる熾烈な闘争が繰り広げられていくことは避け難いであろう。東西冷戦という米ソの覇権争奪戦は約半世紀に及んだ。ドイツの英米に対する挑戦もやはり半世紀、二度の世界大戦となって表面化した。精緻な闘争の期間を予測するのは難しいが、過去のケースと同じならば、アメリカと中国の覇権を巡る攻防も、冷戦の終焉から約半世紀後、即ち21世紀半ばあたりまで続くものと予想される。
 だが期間の長短は別にして、中国が自由と民主主義の政治システムを採り入れず、現在のような閉鎖抑圧的な政治体制を今後も堅持する一方、大陸国家として強大な陸上兵力や宇宙・戦略核兵器の整備にとどまらず、海洋国家アメリカの海洋支配を覆そうと潜水艦や空母の建造など海軍力の増強を続けるならば、経済の行き詰まりや自由を求める民衆の不満が飽和に達し、最終的には共産党一党独裁の体制は内部から瓦解する可能性が高い。覇権争いの最終的な勝者となることは到底不可能であろう。共産中国が民主化されない限り、パクスシニカはあり得ず、また環太平洋文明の主役の座に中国が就くこともない。
 では、中国を抑え21~22世紀の覇権国家としてヘゲモニーを握るのは誰か。三通りの解が想起できる。その第一は、アメリカが引き続き覇権を維持し、世界の警察官としての座を保ち続けるケース、第二は、アメリカに代わる新たな海洋国家が覇権大国として登場するケース。だが、現代の国際世界を見渡しても、覇権国家の地位をアメリカにとって代わり得るだけの海洋国家は見当たらない。イギリスの覇権が衰退に向かう頃にはアメリカという新興勢力が台頭し始めていたし、ポルトガルやスペインの後釜にオランダが控えていることもある程度見通せた。しかし21世紀前半の現在、アメリカに代わり次期覇権国家となるに相応しい海洋国家は見当たらない。それ故、例えばシェールガスの活用などを梃子にアメリカがいま一度国力を増勢し、パクスアメリカーナ2を実現するケース1の可能性は2よりも高いともいえる。
 しかし、これら二つのケースとは別に、さらに第三のケースも考えられる。近世以降の覇権闘争のアクターはすべて国家であったが、主権国家を軸とする今日の国際体制は、国際秩序のパラダイムとしては既にその頂点の時期を過ぎたといえる。1648年のウェストファリア条約による誕生以来、5世紀近い年月を経過した主権国家システムには、求心力(統合)と遠心力(分散)という方向が真逆な二つのベクトルが同時に加わり、その枠組みが揺らぎつつあるのだ。求心力とは、主権国家の枠を超えてグローバルにまとまろうとするベクトルを意味する。相互依存の進展や通信情報技術の目覚ましい発展に伴い、いまや主権国家の壁は国際化の障害となりつつあるため、多数の国家を束ね、広域かつ少数のユニットの下に結束しようとする動きである。一方、マイノリティや少数民族としての自覚の高揚、個人の価値観の多様化、アイデンティ重視の社会環境から、主権国家よりも小さい領域で纏まろうとするベクトルが遠心力だ。グローバリズムと反グローバリズムが鬩ぎあい、主権国家システムには求心力と遠心力という180度真逆なベクトルが同時に加わり、股裂き状況に陥っているのである。
 求心力についてみれば、戦後ヨーロッパでは国の枠組みを超えた地域協力、地域統合の取り組みが進んでおり、EUという広域な国家連合体が国際政治の新たな、そして有力なアクターとして育ちつつある。それゆえ新たなヘゲモンの候補も特定の主権国家に限定することなく、自由と民主主義を掲げ、武力よりも交易を重視する、開放的性格を帯びた政治アクターを想起してはどうであろうか。そしてこの第三のケースの主役となり得ると考えられるのが海洋国家の連合体(coalition)、即ち海洋国家同盟あるいは海洋国際協力機構である。アメリカを含む自由で開放的な交易海洋国家の連合体グループが国際秩序の維持を図るために互いに連携協力を図り、同盟関係を構築することによって、海洋帝国アメリカの影響力後退を補うという発想である。
 ドイツやフランスがEUの主導権を握っていることからも明らかなように、ヨーロッパにおける国家統合は大陸国家の統合である。EUの路線を嫌い英国がEUからの離脱を決意したのも、その海洋国家としての属性を考え合わせれば全く故なき選択ともいえない。これに対し、太平洋という海で結ばれた環太平洋圏における統合は、海洋国家の統合こそが相応しい。この海洋国家同盟の構成メンバーとなるのは、自由と民主主義を掲げ、東アジア・太平洋地域の秩序メーカーであるアメリカと深い関係を維持している海洋国家群である。
 これら海洋国家群は開放的な政治体制及び自由貿易体制の擁護者であるとともに、国際公共財としてのシーレーンを共同して守ることで環太平洋文明の守護役を担い、ひいては国際世界の平和と安定にも貢献する。ヨーロッパが大陸の国家協力・国家統合の先鞭を切ったのに対して、アジアは海洋を軸とした国家協力・国家統合の先駆となってはどうか。陸から海に、そして舞台をヨーロッパからアジアに移し、EUが実践し、獲得してきた国家協力の経験とエートスを継承、発展させ、世界初の海洋国家協力機構(海洋同盟)の誕生をめざすのである。歴史に類似の組織を求めれば、古代ギリシャのデロス同盟が比較的これに近いといえる。これからの世界は、短期的にはアメリカ単独覇権のケース1の相を装いながらも、長い時間軸から捉えれば、アメリカと多くの海洋国家が協力して海洋国家連合(maritime coalition)を立ち上げ、自由と開放の世界を構築するケース3の時代へと移り行くことになろう。

 

Ⅲ.環太平洋文明と海洋国家日本の構想

1.環太平洋文明と海洋国家連合の構築

(1)環太平洋文明の担い手日本
 太平洋沿岸の諸国がそれぞれに持つ多様な文化や生活習慣、宗教が相互に尊重され、その共存が図られることによって、環太平洋文明のさらなる発展と成長が可能となる。そのためには、自由と寛容の精神に支えられた平和で安定的な国際秩序が提供されなければならない。そして、そのような秩序やシステム、ルールを供給していくことがこの地域における先進国の責務といえる。その責務を担う一義的な国がアメリカであることは言を待たないが、その力が相対的に低下しつつある現在、アメリカから遠隔な東アジアにおける秩序メーカーとして、わが国が大きな役割を果たすことが期待される。
 そもそも日本は四面を海に囲まれた島国であり、海の文明である環太平洋文明を築くにふさわしい海洋国家である。そして、かつてわが国の「国土」は、陸域と領海3海里を合わせて45万㎢であったが、国連海洋法条約のもとで領海(含内水)が43万㎢に広がった。さらに排他的経済水域405万㎢が加わり、これらを合わせた面積は447万㎢で世界第6位となった。日本は世界有数の海洋国家である。
 第二に、日本は東西文明の双方を受容し、共存させ、それを発展させることで成長を遂げた国である。仏教と道教の一体化、神仏習合、神宮寺の存在など宗教の共存が見事に図られてきたわが国の特徴を見て取ることができる。幕末期に西洋文明の衝撃を受けた日本は、「和魂洋才」をスローガンに、伝統と近代の融合、西洋的価値と伝統的価値の両立を図りつつ外来文明を貪欲に受容したが、西洋の近代思想や科学技術を積極的に導入しつつも、明治維新の指導者の意識の根底には、常に武士道の原理が据えられていた。民主国家であるが、突出した個人主義ではなく全体の調和を重視する日本の国民性も東西融合の精華だ。西洋文明の精華とアジア及び日本的な伝統を巧みに両立・発展させることで育まれた日本文明は、西洋文明とアジア文明のハイブリッドとしての環太平洋文明と相似の間柄にあるといえよう。
 広大なエリアを擁し多様性の高い環太平洋文明を発展、成熟させるためには、異なる価値観や伝統、文化、宗教が相互に対立と排斥に向かうのではなく、並存が許容され、並存から共存、そして新たなエートスが生まれる環境を整えなければならない。多様な価値観を排斥せず並存させ、繁栄に導くという日本人が得意とする手法は、多様性の高い東アジア・太平洋地域において環太平洋文明という大輪の花を開花させるために不可欠な術である。「多様性の中の共存」という難しい課題を実現するのは、多様性の共存によって国を興してきたわが国こそがその適役なのである。
 第三に、平和国家としての途を歩んできた戦後の日本ほど、“平和の文明”である環太平洋文明の担い手に相応しい国はない。かつて日本はアジア太平洋地域の支配と覇権をめぐり、アメリカと4年にわたる壮絶な戦いを経験したが、敗戦後は、平和と民主主義を重んじ、武威に頼らず相互信頼を基調とする通商交易国家として復興と発展を遂げ、いまやアメリカにとって最も重要な同盟国へと成長し、パクスアメリカーナを支えているのだ。わが国は、最高神に天照大神という女神を奉る世界で唯一の国だ。様々な思想や宗教を受け入れる懐の深さは、日本が慈愛に富む母なる文明の国であることを示している。母性を軸とする社会は、平和を愛する社会なのである。

(2)海洋国家連合の構築
①ハブスポークからネットワークの安保構造へ
 かように日本は環太平洋文明発展の軸となる国である。そのため、アメリカと協力し、またアメリカの力を補うとともに、新たな国際秩序の形成にあたっても大きな役割を担う立場にある。地域の統合や協力のための枠組み整備には、メンバー間に歴史、民族、宗教、文化、発展段階の同質性が必要であるが、欧州と異なりアジアは極めて多様性に富み、地政的環境も遥かに複雑で、その作業は容易ではない。しかし、アジア太平洋圏の国々には、自由で開かれた社会を基調とする海洋国家としての大いなる共通性を見出すことができる。そもそも環太平洋文明は海の文明であり、その担い手である海洋国家相互の協力と連携によって文明の生成と発展も可能となる。そこで、価値観や発展方向を共有する海洋諸国間の連携連帯を深め、アジア・太平洋地域の平和と繁栄のルールや秩序を築く取り組みとして、海洋国家連合の構想を提唱するものである。
 現在、アジア太平洋地域の安全保障は、アメリカと東アジア域内諸国との二国間の同盟関係がその基本となっている。これを、海洋国家連合を構築することによって、アメリカとそれぞれ個別の同盟関係に立つ東アジア域内諸国間の協力と連携、つまりスポーク相互の繋がりを強化し、ハブスポークをネットワークの構造へと発展させることは、安全保障スキームを強靭化させパクスアメリカーナを補うだけでなく、東アジアにおける地域協力や地域統合の動きを加速させることにも資する。過去、国際システムが変化する際には世界規模の大戦争が不可避であった。しかし、冷戦構造が崩壊し新たな国際関係が生まれる過程では、幸いにしてそのような大戦争は防がれた。環太平洋文明圏の形成にあたっても、米中が軍事的に衝突する事態を回避し、平和的な国際秩序の形成が成し遂げられねばならない。この重大な課題を実現するための最も効果的な施策が、アジア太平洋に敷く三本の海洋線で構成される海洋国家連合である。

②日米同盟と中部太平洋海洋線
 それでは、環太平洋文明を支える海洋国家連合とは、如何なる形態や構造をとるものであろうか。地政環境や発展段階、諸国家間の関係、相互交流の経緯などを踏まえ、海洋国家連合は、中部太平洋・東アジア・南太平洋という地域別の三つのサブユニットから構成され、各サブユニットは図のようにそれぞれ中部太平洋海洋線、東アジア海洋線、南太平洋海洋線という三つの海洋線を形成するものとする。三つの海洋線の中で連合にとって最も重要な基軸となるのが、日本とアメリカ、それに韓国を加えた日米韓の中部太平洋海洋線である。東アジア・太平洋地域における先進民主国家群で、環太平洋圏の自由と民主主義を守るにふさわしい諸国から形成される海洋線だ。
 そもそも日本の生存と繁栄にとってアメリカとの同盟関係が死活的に重要であることは言うまでもない。四面環海の特性に加え、資源に乏しく海外との交易に生存と発展を託さねばならない国情に鑑みれば、日本の進むべき途は海洋交易国家としての発展にこそあり、それを可能とするには平和で開放的な国際環境と自由貿易体制が維持されねばならない。そのような国際公共財を提供し得る国は、世界の中でアメリカをおいてほかに無い。アメリカの影響力が相対的に低下したとはいえ、アメリカに取って代われる国は存在しないのだ。それらを考え併せれば、アメリカとの協力、即ち日米安保体制を一層強固なものとし、政治軍事経済の各面で日米の緊密な連携を図ることが、海洋国家日本の極めて重要な国策であることは容易に理解できよう。
 しかも今日の日本は自国の発展だけでなく、環太平洋文明を育て発展させる牽引役であらねばならない。冷戦後、日米安保体制は日米二国間にとどまらずアジア太平洋地域の平和と安定のための枠組みとして機能することが期待されている。それゆえ海洋国家連合の構築に際しても、その核となるのは日米安保体制を基本とする日米同盟である。日本はアメリカとの協調の枠組みの下で戦略的なアジア外交を展開し、海洋国家連合を主導し環太平洋文明の発展にイニシアティブを発揮する責務を負っているのだ。

③平和の文明圏形成に必要な日韓の連携
 さらに、北東アジアの平和と安定を確保するには、海洋国家連合の一員として韓国を加え、日米同盟に韓国を含めた日米韓の戦略的枠組みを整備する必要がある。朝鮮半島は北から押し寄せる大陸国家のパワーと海洋国家による南からのパワーが衝突する戦略的ホットスポットである。その南に位置する韓国は海洋勢力の大陸勢力に対する最前線を構成しており、わが国にとって戦略的利益を共有する最も重要な隣国であり、地政学的にもわが国の安全保障にとって極めて重要な国である。また古代における百済船の開発や李舜臣を輩出した伝統を引き継ぐ韓国は、大陸への親和性と同時に高い海洋的性格を併せ持っており、ともにアメリカの同盟国として、その戦略的利害関係の多くも共通している。
 このため、歴史認識をめぐる対立など時に困難な問題が起きるとしても、両国が政治・経済・外交の各分野で緊密に連携することは海洋国家連合の構築にとって不可欠であり、北東アジアにおける平和的発展を実現するうえでも大きな意義がある。さらに、日韓両国が直面している安全保障上の課題は、北朝鮮の核・ミサイル問題のみならず、テロ対策やPKO、大規模自然災害への対応、海賊対処、海洋安全保障など広範にわたる複雑なものとなってきている。こうした諸課題に両国が効果的に対応していくためには、相互理解・信頼醸成の増進のための交流にとどまらず、広範かつ具体的な外交・防衛協力を進めていくことが必要である。
 日本と韓国の間では2016年にようやく防衛情報保護協定(GSOMIA)が締結されたが、今後はミサイル防衛システムの一体化や物品役務相互提供協定の締結(ACSA)、さらに日米韓三国の戦略対話の開始が望まれる。現在、日米韓三国の間では、1994年以降防衛当局の実務レベル協議(DTT)が実施されており、2009年以降は日米韓の防衛相会談も行われている。これを定期的な外務・防衛閣僚協議(2+2)へと発展させる必要がある。日本海、黄海、東シナ海の自由と安全を確保するためには、共同訓練の充実強化にとどまらず、周辺海域の共同監視活動なども検討課題である。三国の中央部に位置する日本は、日米、日韓、米韓相互の戦略的連携を促すことで日米韓同盟を強固なものとなし、中部太平洋線の形成に努めねばならない。
 地球を西周りで進んだ西洋文明のベクトルをその最西端の地で受け止め、大輪の花を咲かせた日本と、東へと伸びたインド・中国の東洋文明の波をユーラシア大陸の東端で昇華させた朝鮮半島の国が手を携えることは、西のヨーロッパ文明と東のアジア文明が融合して生まれた環太平洋文明の一層の発展成熟を可能となすであろう。

④東アジア海洋線:黒潮ライン
 中部太平洋線が太平洋圏を東西に結ぶ海洋であるのに対し、東アジア太平洋諸国の協力・連携及び海洋安全保障を確保するため、日本から台湾を経てASEAN諸国、そして豪州に至る南北の海洋線に沿った国家連合を構築する必要がある。この海域を流れる潮流から、黒潮ラインとも呼ぶことができよう。柳田国男の『海上の道』や島尾敏雄のヤポネシア論が説くように、古代より日本は黒潮を介して南島と深い関わりを有してきた。紐帯の深さは今日も変わることがない。この南北海洋線によって結成される海洋連合は、ASEANを核とする東南アジアと北東アジアを一体化させ、東アジア共同体の発展を促す重要な役割も帯びている。
 近年、中国海軍の行動が活発化している。西太平洋に第一、第二列島線を設定し、米海軍のアクセスを拒否することで台湾海峡の聖域化(台湾の武力開放)を企図したり、南シナ海における島嶼の不法占領や軍事基地化、さらに空母の運用や大型艦艇の外洋展開など武力を背景としたその行動は周辺諸国にとって大きな脅威となっている。黒潮ラインは大陸沿岸部から西太平洋へと膨張を続けるこうした中国海軍の動きを抑え、海洋の自由と秩序を守る役割を担っており、その構築が急がれるところである。
 黒潮ラインを形成するメンバーのうち、ASEANを軸とする東南アジアは、域内各国の政治・経済・社会体制の違いが大きく、各国の安全保障観も多様である。そのため各国相互の信頼を醸成するとともに、地域共通の安全保障上の課題に対して各国が協調して取り組む基盤を整えるためにも、二国間・多国間で防衛分野の協力・交流をこれまで以上に戦略的かつ効果的に推進していく必要性が高まっている。現在、地域協力機構としてのASEANには、加盟10か国で構成される首脳会議や外相会議のほか、日中韓が加わったASEAN+3の枠組みが存在し、さらに対象範囲を広げた東アジア首脳会議(ASEAN+6)も黒潮ラインに沿った海洋国家連合の紐帯を密にするための重要な協議の場となっている。
 安全保障については、防衛当局間の閣僚会合であるASEAN国防相会議(ADMM :ASEAN Defence Ministers’ Meeting)のほか、わが国を含めASEAN域外国8か国を加えた拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス)が開催されている。ADMMプラスは、ASEAN域外国を含むアジア太平洋地域の国防相が出席する政府主催の唯一の会議であるため、地域の安全保障・防衛協力の発展・深化の促進という観点から、極めて大きな意義がある。またアジア太平洋地域における多国間の安全保障協力の枠組みであるASEAN地域フォーラム(ARF:ASEAN Regional Forum)は、平和維持・平和構築といった非伝統的な安全保障分野の関係強化に貢献している。さらに政府間の国際会議だけではなく、政府関係者、学者、ジャーナリストなどが参加する民間機関主催の国際会議として、IISS(英国国際戦略研究所)が主催するIISSアジア安全保障会議(シャングリラ会合)等も開催され、中長期的な安全保障上の課題の共有や意見交換などが行われている。こうしたトラックⅡの活用も重要な課題である。
 ASEAN諸国に対する日本の取り組みであるが、2011年の日・ASEAN首脳会議で、政治・安全保障協力の強化(特に海洋安全保障の協力拡充、軍縮・核不拡散、防衛軍事協力推進)をめざす「共に繁栄する日本とASEANの戦略的パートナーシップの強化のための共同宣言」(バリ宣言)が採択された。民主主義と自由貿易を掲げる日本は、ともに海洋連合を結成するASEAN諸国との投資や技術、離島開発、人材育成等を通じた包括的な協力を促進させるとともに、海洋の自由使用、領土の不可侵と領有権問題の平和的解決をめざし、定期的な戦略対話の実施やシーレーンの安全確保、海賊対策、対テロ協力、情報の共有、海上警察能力の向上、信頼醸成措置等安全保障分野における幅広い連携を進め、この地域の安定と繁栄に関与すべきである。
 そのためには、海上自衛隊・海上保安庁と各国海軍・沿岸警備隊等との人的交流の拡大や技術協力、情報共有、能力構築支援、共同訓練の実施強化などを推進させる必要がある。さらに人道支援や災害時の救援など非伝統的な安保分野の協力も求められている。海上遭難に対する海難救助や津波地震等の災害への迅速な対処を可能とする海洋ネットワークの整備も重要な施策だ。輸送・治療の機能を備えた艦艇を交互に事前配置することで、災害救助時の初動対処や病人の移送なども可能となる。安倍政権はODAの枠組みや防衛装備品・技術移転協定の締結によって、フィリピンやベトナム、マレーシアなどに巡視船や航空機の供与を実施しているが、これは東南アジア周辺の海洋秩序を維持するうえで重要な施策であり、要請があれば引き続き域内各国への供与を積極的に行うべきである。公海は国際公共財であり、その自由使用が確保されねばならず、そのためにはわが国が先導して、黒潮ラインの諸国間に“法とルールに基づき海洋秩序を保つ”理念の共有を確立させる必要がある。東南アジア周辺海域の安全確保は域内各国だけでなく、中東からの石油輸送をこの海域に依存している日本にとっても死活的に重要な課題なのである。
 黒潮ラインの先端に位置するオ-ストラリア、ニュージーランドは、日本に鉱産資源、農産物を供給する重要な貿易相手国であるだけでなく、民主主義、人権、市場経済と言った基本的価値観を共有する海洋連合の構築にとって極めて重要なパートナーである。なかでもオーストラリアは、同じアメリカの同盟国として普遍的価値のみならず戦略的な利益や関心をわが国と共有しており、07年にはアメリカ以外では初の安全保障に特化した共同宣言である「安全保障協力に関する日豪共同宣言」を発表している。以後、日豪関係は着実に進展しており、外務・防衛閣僚協議(2+2)の開催やACSA(物品役務相互提供協定)及び装備技術協定の締結、共同訓練の実施など海洋連携を深めている。また日豪二国間にアメリカも含めた三国共同訓練も始まっており、07年以降開催されている三か国の局長級会合である日米豪安全保障・防衛協力会合(SDCF:Security and Defense Cooperation Forum)は早い時期に三国の閣僚級会合(2+2)へ格上げする必要があろう。
 近年、地球温暖化による溶氷の影響を踏まえ、北東アジアとヨーロッパを短距離で結ぶ北極海航路の開発が議論されるようになった。この動きが具体化するならば、将来的には黒潮ラインを日本からさらに北に延ばすことも考慮されてよいであろう。日本は、中部太平洋線と南北海洋線という二つの海洋線の交点に位置しており、西太平洋における海洋国家連合のまさに要石(コーナーストーン)として、東太平洋に位置するアメリカとともに海洋連合の整備に最も重い責務を果たさねばならないのである。

⑤南太平洋海洋線:スンダライン
 目をさらに南方に向ければ、ASEAN・豪州・ニュージーランドを挟んで東には広大な太平洋に展開する島嶼国家群が、西に向かえばインド、スリランカといった環インド洋諸国に至る、中部太平洋海洋線とは別のもう一つの東西海洋線を構想することができる。黒潮ラインと直角に交差するこの南太平洋~インド洋にかけての海域はアジア海洋文明の起源となるエリアであり、それにちなみスンダラインと名づけることができよう。スンダライン上に位置するこれら諸国は日本と同様、海を通しての交易活動が活発で外に開かれた国である。
 太平洋島嶼地域のうち、南太平洋にはパプアニューギニア、フィジー等の島嶼国家群(12カ国、2地域)が所在する。南太平洋のこれら島嶼諸国は海面上昇や環境破壊の危機に瀕している。また国際社会からの台湾の追い落としや太平洋への海洋進出を目的に、中国による猛烈な政治活動や資本進出が続いている。南太平洋諸国がこれからも平和の楽園として存続し、またバランスの取れた発展を実現するために日本は政治経済の両面で重要な役割を担っている。
 太平洋島嶼地域のうち、赤道以北に広がるマリアナ諸島、パラオ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島といったミクロネシアは、戦前は内南洋と呼ばれた。かつてはドイツ領であったが、第一次世界大戦後に日本の委任統治領(南洋群島)となった。その後、太平洋戦争勃発に伴い日米両軍が死闘を演じる場となり、多数の日本将兵が散華した。戦後、各諸島はアメリカの信託統治領となるが、順次独立を達成し、地域協力機構として太平洋諸島フォーラム(PIF)を発足させている。日本は敗戦を境に、この地域への関心を急速に失っていった。80年代初頭、大平政権が環太平洋構想を提起した際、一時南洋への関心が高まったが、それも持続せず、慰霊訪問やリゾート、ダイビングの地として取り上げられる程度であった。日本は太平洋島嶼地域への主たるODA提供国ではあるが、専らそれは漁業資源の確保や純然たる開発協力・経済支援の視点に留まり、地政戦略的な観点からこれら諸島との関係を捉える発想に乏しかった。
 しかし近年、中国の急速な海洋進出で太平洋島嶼地域を取り巻く環境は変化している。小笠原からマリアナ、カロリンと連なる島嶼のラインは、海軍力強化が著しい中国が、米海軍による海洋支配の排除をめざす第二列島線に合致している。自由貿易に発展の基礎を置く海洋国家日本は、経済協力や開発援助に留まらず、安全保障上の要請からもこれら島嶼諸国・地域との関係強化に乗り出す時が来ている。現在、グアム島は米軍の東太平洋地域における戦略拠点として整備が進んでおり、テニアンでの日米共同訓練実施の日も近いが、スンダラインと中部太平洋及び東アジア海洋同盟との連接による海洋ネットワーク構築を視野に入れて、海上自衛隊艦艇・要員のマリアナ、さらにはミクロネシア(パラオ、チューク)~マーシャルへの恒常展開等も検討すべきである。日本は、太平洋諸島諸国との友好・協力を目的に太平洋・島サミット(PALM)を主宰してきたが、今後は文化交流や開発協力にとどまらず、安全保障問題なども含む幅広い協議の場として、その戦略的な活用を考慮すべきであろう。
 ところで、環太平洋文明に属す多くの国は、生活や生産活動に必要なエネルギー資源の多くを中東からの石油輸入に依存している。中東の石油を積んだタンカーは、ペルシャ湾からインド洋、マラッカ海峡を経由して東アジア諸国に石油を運んでおり、環太平洋文明が経済的に成長を続けるためには、太平洋のみならずインド洋の自由航行が保証されなければならない。東アジア・太平洋地域の自由民主主義諸国にとって、環インド洋諸国との連携が必要となる所以であり、安倍政権も「自由で開かれたインド太平洋戦略」を掲げ、この地域への関与を強めている。環インド洋地域の中で、最も重要な国がインドである。インドは大陸国家に見えるが、元来は豪州と分離後、南から北に移動しアジア大陸と合体した巨大な島だ。北部に峻険な山岳地帯を配し、外寇の憂いが少なかった点でも島與国家に似た面を持ち併せている。世界最大となることが見込まれる人口と高い経済成長や潜在的経済力を背景に、冷戦後、インドはその存在感を増しつつある。わが国と中東、アフリカを結ぶシーレーン上のほぼ中央に位置するなど、地政学的にも極めて重要な国だ。
 新幹線や原発技術の供与等経済や技術協力、インフラ整備の分野で日本とインドの関わりは強まっているが、それ以上に緊密化しているのが政治・安全保障分野における協力関係である。2008年に日印首脳間で、安全保障に特化した共同宣言としてはアメリカ、オーストラリアに次いで3か国目となる「日印間の安全保障協力に関する共同宣言」が署名され、09年には、同じく首脳間で日印間の安全保障協力を促進するための「行動計画」が策定された。これにより、防衛大臣・幕僚長などの各レベルでの協議や、二国間及び多国間の訓練を含む軍種間交流、海賊対処における協力などの海洋安全保障における協力の推進などの枠組みが整備され、その後の日印間の安全保障分野における指針となった。15年11月の日印防衛相会談では、米印両海軍が定期的に実施している共同訓練「マラバール」への海上自衛隊の恒常的参加を通じた海洋安全保障分野での連携強化やUS-2の防衛装備協力に関する議論を含め、日印間の防衛協力・交流の推進の重要性が確認され、幅広い分野で交流を積み重ね連携強化を図ることで一致した。
 さらに、同年12月の首脳会談では、「政治的、経済的、戦略的目標の広範な収束を反映した深甚(しんじん)かつ広範な行動指向のパートナーシップ」に移行することが合意され、戦略的関係をさらに強化するため、防衛装備品・技術移転協定及び秘密軍事情報保護協定が署名された。日本とインドはアジアの二大民主主義国家であり、日印の2+2会合立ち上げや日印米三国による戦略協議の定例化等海洋国家連合創設に向けて、日本はオーストラリアと並んでインドとの戦略的連携を今後も深めていく必要がある。
 このほか、パキスタン、バングラデシュへの開発協力やアフガン復興問題と並び、環インド洋圏ではスリランカの地政的重要性も見落としてはならない。国際協力の柱の一つに「平和の定着」を掲げる日本は、これまでスリランカ和平の実現に関与してきたが、内戦が終了した現在、日本はスリランカの戦後復興にとどまらず、インド洋の海洋安全保障を確保するための海洋協力を推し進める必要がある。2017年4月、スリランカのウィクラマシンハ首相が来日し、首脳会談で、インフラ整備のための450億円の円借款供与にとどまらず、巡視船2隻の供与及び人材育成を通じてスリランカの海上保安能力を向上させることや防衛当局間会議の新設、さらにスリランカの港湾整備に10億円の無償資金協力を行うことなども決定された。会談後の記者会見で安倍首相は、「自由で開かれたインド太平洋を実現するためには、スリランカがインド洋のハブとして、誰にでも開かれた港湾を発展させていくことが不可欠だ」と強調した。ただし、中国はスリランカを「一帯一路」構想における海上ルートの要衝と位置付けて、港湾建設などを着々と進めている。インド洋海域における自由主義諸国のシーレーン防衛に極めて重要な位置を占めるスリランカの発展に、日本は今後も力強い関与を続けていかなければならない。

 中部太平洋ラインとスンダライン、大洋を東西に延びるこの2本の海洋線と、それに垂直に交差する南北の海洋線黒潮ライン、海洋国家連合を繋ぐこの3本の海洋線を結ぶと、そこには巨大な碇ストックアンカーの姿が浮かび上がってくる。海洋国家の連合とは、東アジア・太平洋地域の平和と民主主義を守護し、環太平洋文明を発展させるための巨大なアンカーであり、我が日本はその碇の要に位置しているのである。

2.環太平洋文明と新たな経済秩序の形成

(1)グローバルエコノミーと広域FTAの時代
 環太平洋文明を支える政治・安全保障の枠組みが海洋国家連合であるのに対して、グローバル化の進む世界経済の潮流に対応し、環太平洋圏の一層の経済発展を可能とするため必要となるのが、新たな経済のルールと秩序作りのための取り組みである。
 アジア太平洋地域では、躍進の目覚しい新興諸国を中心に、世界の平均を上回る高い経済成長が続いており、過去20年間でその経済規模は1.7倍、貿易量は 3.0 倍に拡大している。ヨーロッパではEUによる地域統合が進んでいるが、世界経済の成長エンジンとなっているアジアでも冷戦後、効率的な経済活動の実現を求めて地域協力や地域主義の動きが強まっている。その先駆となったのがAPEC(アジア太平洋経済協力会議)であった。自由貿易地域の形成にあたっては、WTOによる多国間の枠組みを基本としつつも、ドーハラウンドの挫折など参加国数の増加や発展段階の相違などから合意形成が難しい現状に鑑み、WTOを補完する形で二国間・多国間のFTAやEPAのネットワーク作りが主流となっている。
 もっとも近年では、外資企業の大量進出によってサプライチェーンやバリューチェーンが多数の国・地域にまたがって形成され、二国間・多国間のFTA、EPAでは適切な対応が難しくなりつつある。そのため、アジア太平洋地域全体を一つの枠組みでカバーする広域FTA構築の機運が高まっている。その代表が、TPP(環太平洋経済協定:Trans Pacific Partnership)やRECP(域内包括的経済連携:Regional Comprehensive Economic Partnership)である。なかでもTPPは、アジア太平洋地域の多くの国が参加し、高いレベルの貿易自由化をめざすもので、この地域の新時代における経済秩序形成の主軸となるものである。TPP交渉は15年10月に参加国が大筋で合意、16年2月には参加12か国が協定に署名した。

(2)アメリカのTPP離脱とその影響
 ところが17年1月にアメリカのトランプ政権がTPPからの離脱を表明したため、一転TPPの発効は絶望的となってしまった。アメリカのTPP離脱決定は、アジア太平洋地域の経済関係を混乱させる危険性が高い。経済のブロック化や貿易競争の誘発が懸念され、地域経済全体の縮小均衡を招く恐れがあるからだ。アメリカにとってもTPPからの離脱は、長期的には製造業の競争力を弱体化させる結果となろう。この事態に対処するため、ニュージーランドなどがアメリカ抜きの11か国だけでTPP発効を目指す動きを見せる一方、チリやペルーは中南米の経済共同体(太平洋同盟)を基礎に新たな協定を作る案を模索している。さらにTPPに代わるものとして、いま一つの広域FTAであるRCEPへの関心も高まるなど自由貿易のための枠組み作りの作業は混迷状態に陥っている。
 この問題を考えるにあたり、これまでの広域FTAをめぐる各国の動きや思惑を整理する必要がある。冷戦後、アジア太平洋国家として東アジアの経済に積極的に関与する意欲を見せたアメリカは、2006年にAPECをFTA化させたFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の構想を打ち出した。FTAAPとは、アジア太平洋地域における関税や貿易の制限措置、規則などを撤廃し幅広い分野での連携強化をうたう構想である。しかし、APECは加盟国数が多く合意形成が容易ではない。中国やASEAN加盟国の一部にはアメリカ主導を嫌い、FTAAPよりも東アジア共同体の実現を優先したいとの考えも根強かった。さらにAPECがFTAAPに移行すれば、「緩やかな協議体」としてのAPECの基本的な性格が変化を強いられ、逆に全会一致を原則とするAPEC式の協議では、FTAAPが骨抜きになる危険があった。
 APECの枠組みでFTAAP実現に向けた合意を短期間で形成するのは困難と判断したアメリカは、その後、方針を変更し、2008年オバマ政権はTPP交渉への参加を決断する。TPPはシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4か国が2006年に発効させた自由貿易協定(FTA)が母体で、アメリカに続きオーストラリア、ペルー、ベトナムも加わり、2013年には日本も参加を表明、加盟国は12か国に拡大した。TPPの域内人口は世界の1割に当たる8億人、12か国の国内総生産(GDP)の合計は28兆ドルで世界全体の4割を占め、発効すれば世界最大の自由貿易圏が誕生する。さらに関税撤廃の割合は9割を超えており、電子商取引など最先端の貿易ルールも設けられている。TPP入りを決めたアメリカには、世界第2位の経済大国となった中国が主導して独自の経済圏をアジアに確立する前に、アメリカ中心の自由貿易秩序を築きたいとの思惑があった。 将来的には中国も含めてTPP参加国を拡大しFTAAPの実現をめざすが、国有企業、政府調達、知的財産権の扱いなどで問題の多い中国に対し、TPP参加の条件として「国家資本主義」からの転換と自由貿易ルールの遵守を迫るというのがアメリカの描くシナリオであった。ところが、「アメリカ第一」を大統領選挙の公約に掲げたトランプは、自国の産業保護と雇用の確保を理由に、TPPからの一方的な離脱を決定したのである。

(3)TPPかRCEPか
 一方、中国にとっても、貿易自由度の高いTPPは受け入れ難い枠組みである。アメリカ主導で中国排除のTPPが進むことを嫌う中国が、逆にアメリカを外した非TPPの枠組み作りを模索するなか、ASEANが提唱したのがRCEPであった。RCEPは、日本が提唱してきたASEAN+6からなる東アジア包括的経済連携(CEPEA)と、中国が提唱してきた+3で構成される東アジア自由貿易圏(EAFTA)という二つの広域経済協定案を収斂させたもので、ASEAN10か国と日中韓、さらに豪州、ニュージーランド、インドの3か国を加えた16か国からなる広域FTA構想で、2011年11月のASEAN首脳会議で正式に採択された。東アジアの経済統合でイニシアティブを発揮したいASEANが、TPP交渉への参加をめぐり加盟国が二分され自らの求心力が低下するのを回避するため打ち出したのがRCEPで、アメリカがメンバーに含まれていないことが大きな特徴である。
 アメリカがアジア太平洋経済への関与を強めるなか、それに対抗するにはASEANを自陣営に繋ぎ留めておくことが不可欠と考えた中国はRCEPを受け入れ、これをアジア太平洋の新たな通商秩序の基盤に据えようと考えている。アメリカがTPPから離脱し、RCEPをTPPに代わる広域FTAの受け皿にすべしとの議論が生まれたことも、中国にとっては好都合である。米議会の諮問機関米中経済安全保障調査委員会が16年11月に公表した年次報告書は、TPPが発効しRCEPが発効しないと、中国は220億ドル(約2.4兆円)の損失を被るが、逆にTPPが失効しRCEPが発効した場合、輸出の増加などで中国に880億ドル(約9.7兆円)の経済効果をもたらすと試算している。
 しかし、アジア太平洋圏が真に自由で開かれた地域になるとともに、域内における南北格差の解消や経済的垂直分業から水平分業への移行、南北の共存共栄などの課題を実現するには、貿易自由度の高いTPPの復活が不可欠である。トランプ大統領は、アメリカがTPPから離脱する代わりに、主要な貿易相手国とは2国間FTA(自由貿易協定)を締結していく考えを示している。しかしそれは世界貿易の潮流に逆らうものであり、周回遅れの発想である。二国間FTAに飽き足らず、メガFTAの締結を強く望んでいる米産業界も、トランプ政権の新たな通商戦略に危うさと不安を感じているのが実情だ。

(4)より自由度の高い広域FTAをめざして
 TPP とRCEPとは相互排他的ではなく、相互補完的な関係が成り立つとの見方がある。日本はTPPの再構築を目指す一方で、日中韓FTAやRCEPで主導的な役割を担い、重層的な経済連携をめざすべきとの意見もある。しかし、この問題の背景には市場経済対国家資本主義という対立の構図が存在している。中国は、TPPの行方を横目で見ながら、国家資本主義の体制を維持したうえでRCEPの交渉を進めようとするであろう。TPPの枠組みが霧消し、その代替として国家資本主義に固執する中国が実権を握るかたちでRCEPの実現に動けば、低いレベルのFTAにとどまる恐れが高い。知的財産権の保護強化や政府調達の透明性、国営企業と民間企業の対等な競争等TPPが目指すものは、RCEPでは実現が覚束ない。
 その巨大な市場を武器に、国家資本主義の原理の下で独自のルールを作る傾向が中国にはある。またアジア各国との間では二国間貿易協定を追求し、時には貿易を懲罰の武器として使うことも多い。対等な多国間協議の枠組みの下で地域貿易協定を締結した経験の乏しい中国が各国の合意を取り付け、広域FTAを早期に立ち上げる可能性も現実的には低い。事実、RCEP交渉の実態を見ても4年間で合意に達したのは全15分野のうち2分野に過ぎない。逆にRCEP交渉を急げば、アメリカがTPP復帰の機会を失ってしまう懸念もある。
 環太平洋文明建設の推進役を担い、またTPP賛同諸国ではGDPトップ にある日本が、この問題に受動的な様子見の姿勢を取ることは許されない。アジア太平洋に広域自由貿易圏を築くため、日本は主導的な役割を果たす立場にある。日本がとるべき道は、①トランプ政権に対して粘り強く説得を重ね、その翻意を促すことで凍結中のTPPの復活をめざすこと、それがかなわない場合は、②TPPに合意した12か国からアメリカを除いた11か国でTPPを立ち上げる(TPP11)か、③APECの枠組みを活かし、その加盟国におけるFTAのレベル向上を促すことでTPPに代わる自由度の高い新たな広域FTAを締結し、FTAAPを実現させることである。②③の場合、アメリカ抜きでTPPと同等の質の高い多国間協定を纏め上げるには高度の交渉技術が必要となるが、新時代の貿易のルールメーカーを目指す日本にとっては、まさに乗り越えねばならない試練といえる。さらに、経済対話でアメリカとの協議を続け、将来アメリカが多国間の枠組みに加われる余地を残しておく深慮も必要だ。

3.日本の海洋政策:真の海洋国家への脱皮

(1)急がれる海洋力の強化
 環太平洋文明は海の文明である。海洋国家としての属性を持つ日本は、自らの海洋力を高め、東アジア太平洋地域の平和と安全、経済発展に貢献することによって環太平洋文明の一層の進歩と興隆に努めなければならない。海洋力は、海軍力を整備するだけで事足りるものではない。海洋の安全保障や海洋秩序維持のための能力もむろん重要であるが、一国の海洋力とは、造船や海運、水産、海洋資源の開発や海洋環境の保全など海洋を総合的多面的に利活用し得る様々な力の相乗積によって決まるものである。また海に対するその国、国民の関わりの深さや親和性の高さも海洋力を構成する大切な要素となる。
 海洋力を高めるために今日の日本が早急に取り組むべき主な施策としては、次のような項目を挙げることができる。
 1)海洋安全保障体制の整備:領域保全及び管轄海域の管理、海洋秩序の維持
   日本周辺海域の常時警戒監視体制の強化
   海上保安庁の機能・装備の向上、沿岸警備隊への格上げ検討
   尖閣諸島をはじめとする 離島の保全・管理体制の確立
   海上交通の安全確保、災害・防災対策の充実
 2)海洋権益の確保及び海洋産業の振興
   海洋資源に対する主権的権利確保のために必要な法令の整備
   水産資源の保護及び育成
   海洋エネルギー・鉱物資源の開発
   海洋環境の保全・保護
 3)海洋文化の高揚と海洋教育の充実
   海洋文化資源に関する法整備
   国立海事博物館(National Maritime Museum)の設置  
   海洋国家日本の自覚と海への認識を高めるための学校教育の実施
   海洋に携わる人材の育成体制整備
   海洋大学・海洋学部、海洋政策研究所の創設
 海洋権益の確保についていえば、すでに述べたようにわが国は、領土面積では世界第61位だが、排他的経済水域(EEZ)まで含めた面積は世界第6位であり、広大な海洋が抱える豊富な資源を十二分に活用する国家体制を一刻も早く構築しなければならない。メタンハイドレード、石油、天然ガスなどの海洋エネルギー資源の開発が進めば、日本がエネルギーの輸入国から脱却し、自活できる国へと生まれ変わる可能性を海洋は秘めているのである。また次世代の国民が積極的に海事・海運・水産業に従事できるための産業施策の整備推進は、21世紀においても日本が海洋国家として発展し続けるための不可欠の施策である。
 海洋文化については、世界的に海洋資源は①水産資源、②海底鉱物資源、③海洋文化資源の三種類が柱であるとされるが、わが国は他国と比べて海洋文化資源の視点からの法整備や研究体制の充実が遅れている。例えば、日本が未批准の「水中文化遺産保護条約」は2009年の発効から5年以上が経過しており、すでに「慣習法化」しているとの指摘もある。同条約の規定は水中文化遺産の保護のみならず、海底鉱物資源開発や安全保障のあり方にも影響するため、早急な法整備が必要である。また中国や韓国をはじめとするアジア諸国は海洋国家としての命運をかけて海洋文化資源の海洋博物館・研究所の整備を進めている。わが国は早急に「国立海事博物館」を設置し、その情報発信の場としての可能性ついて、政府の総合海洋政策本部などで早急に議論を始める必要がある。
 海洋教育については、国民の祭日として1996年に「海の日」が制定された。しかし、日本国民の海洋国家日本としての自覚や海への認識は必ずしも高くない。海に対する国民の関心を高め、世界に開かれ、世界に伸びる海国、海島日本としての自覚を持たせるとともに、日本にとって海洋の重要性を理解させるための学校教育の実施拡充が必要である。さらに外国人船員や外国船籍船に大きく依存した海上輸送の現状や、青年が漁船に乗らず後継者を見出すことも困難になっている日本漁業の実態を一刻も早く改善するための海洋人材の育成も急がれる。

(2)開かれた国日本をめざせ:真の開国に向けて
 日本は海洋国家であるが、わが国の歴史を振り返ると、過去には海洋国家たることを見失った時代もあった。即ち、日本外交の史流を鳥瞰すると、対外政策や国際社会との関わりにおいて、広く海外に目を向け、海を越えて積極的に他国と交わろうとする外向き(膨張)の時代と一転国際社会への関心を失い、あるいは外の世界を畏怖し、列島の内に籠もる内向き(萎縮)の時代が交互周期的に訪れていることに気づかされる。
 外向きの時代には外国との経済交流が活発化し、やがて海外権益の維持拡大を求め覇権主義的な外交を展開する。しかし対外戦争の敗北で膨張路線が挫折すると、交易主体の平和外交に180度対外政策を転換するとともに、戦勝国のシステムを受容・導入することで国家の再建と国際社会への復帰を図る。その結果、平和と繁栄を手にするが、次第に国際関係への関心は失われ、あるいは体制の正統性確保や内政の安定維持を優先するため海外との関わりを絞り込み、外交活動は縮小あるいは消滅していく。その間、閉鎖的なミクロコスモスが形成され、国民精神の退廃、萎縮も進む。やがて対外情報の不足から国際政治変動の波に乗り遅れ、政体は自壊ないし外圧によって滅ぶのである。古代(縄文・弥生~白村江の敗戦)や近世(室町時代末期~江戸初期)、近代の一時期を除いて、平安・鎌倉・鎖国の続いた江戸期など内向きの時代は長く続き、逆に日本人が自由に外洋を行き来し、異文化との交流が深め、開放的な社会を築いた期間は短かった。
 日本の歴史がかような周期性を伴う背景には、日本人の海に対する意識が関わっているのではなかろうか。我が国の場合、周囲を海に囲まれ、資源の確保や経済発展の基礎を海外との交易に頼らねばならず、地理的環境の面では海洋国家たり得る条件は備わっているが、国民の海洋への親和性には欠ける面がある。確かに日本人は海を利用してきたが、海を外部世界に繋がるルートと肯定的に捉え、積極的に海外に雄飛しようとする気概はさほど強くなかった。むしろ海を外敵の侵略を防ぐ城壁や堀として捉えることが多く、海の存在は専ら自己凝集的、閉鎖的なミクロコスモスを形成する要因として作用してきたといえる。山崎正和氏は「日本人はせいぜい海岸民族だ」と述べているが、日本人は基本的には沿岸航海の民で、歴史上何度か外洋への進出を試みたものの、イギリスのような海洋民族への成長を果たせずに終わった。『オデッセイ』や『白鯨』といった海洋を舞台とする国民的な文学作品に乏しいのはそのためであり、開放性や国際性に乏しく、他国との相互コミュニケーションが不得手なことなども、海洋性に欠ける国民気質が影響してきたのだ。
 かように、日本はともすれば内向き閉鎖的な社会となり易いが、海洋性の高い国になるということは、開放的な国になることでもある。我々が過去の歴史から学びとる教訓は、覇権主義への傾斜を回避するとともに、閉鎖社会の出現を防ぎ常に外の世界に開かれた社会を形成することの重要性である(「開かれた民主主義国家」)。決して国を閉ざしてはならない。意識して国を開き、オープンソサエティを維持せねば、ミクロコスモスの日本社会は必ず世界の潮流から取り残され、孤立化の途に落ちていくことになろう。日本が環太平洋文明の担い手となるには、高い海洋性と開放性を持つ国に脱皮しなければならない。そのためには、思い切った国際化政策(外国語の必修化、観光・留学を含む人的交流の拡大、日本の文化・ソフトの海外発信やクールジャパン政策の強化)や移民政策(単純労働を目的とする移民は一定の数的上限を設けるが、科学技術や芸術等の知的移民は拡大)の導入に加えて、これまで疑われることのなかった「日本人だから日本人から習う」「日本人だから日本の企業に就職する」「日本人だから日本に住み、日本を生活拠点とする」などの社会常識や因襲的思考の打破も必要であろう。

政策レポート

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