ポスト・コロナの世界と日本

ポスト・コロナの世界と日本

2020年7月1日
1.複合的危機の展開と新たなグローバル文明の黎明

 人類の歴史はほぼ常に疫病との闘い(1)であったが、疫病が歴史に大きな刻印を記したのは極めて限られた場合であった。文明を転換させたり、国際社会の秩序を変革した激変は疫病と紛争及び他の自然現象などとの複合化が起きたケースであった。(2) 具体的にはペロポネソス戦争とギリシャ都市文明の消滅、14世紀ヨーロッパ黒死病と100年戦争によるヨーロッパ中世封建制の崩壊、さらには第一次世界大戦末期のスペイン風邪による、パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナへの後押しである。これらのケースにおいて、一つの文明なり、国際秩序なりが崩壊してから新たな文明または国際秩序が形成されるまでに半世紀から1世紀かかっている。
 コロナ・パンデミックは米中覇権闘争と絡み合い、新冷戦構造を形成させつつあることによって、単に経済・社会的大惨事であるばかりではなく、これまで続いてきた西欧文明中心の世界が新たなグローバル文明をやがて生み出す契機になるものと思える。従来と違い、歴史のプロセスが加速している現実を考えると、これから新たな文明が形成されるのは20〜30年ほどの期間なのかもしれない。それはY.N.ハラリのいう「ホモデウス」の時代に入り始める時期なのであろう。(3) そのような視点からポスト・コロナの世界に関して考察を加えることが一つの重要な課題であろう。その世界の展開における日本の果たすべき役割は、日本の歴史上はじめて世界的に大きな意義をもつものになりそうな気配が濃厚である。

2.ゼロ・ポーラー世界:デコボコ道の歴史展開

 COVID19に関してはその実体に関しても、また世界への展開に関してもいまだ不明な点が多々あるが、現在進行中のウイズ・コロナのニューノーマルの時代(おそらく2,3年)、その影響が色濃く残るアフター・コロナの時代(やはり3,4年は続く)、その後ポスト・コロナの時代、と今後展開していくのであろう。この一連のプロセスは米中の覇権闘争、紛争の多発、世界の接続性の再構築、国家資本主義・開発独裁などによる国家の経済への浸透を前提とした国際経済システム構築への努力、民主制をはじめとした政治制度の劣化、デジタル世界と自由を中心とした価値観の緊張、地球公共財の新たな担い手の台頭などを中心とした諸課題が複雑に絡み合いながら展開するであろう。その間、多様なかつ時には想定外の危機が起こる可能性も同時に考慮に入れておかなくてはならないであろう。

米中覇権闘争

 長期にわたって高度経済成長と軍拡を続ける中国に対して、エンゲージメント政策を続ければやがて中国は民主的な市場経済国家に変容するであろうと、あまりにも歴史と文化の力に関して理解の浅い対応を米国は取り続けてきた。中国の戦狼外交は米国の覇権にたいする挑戦であることが共和・民主両党の共通認識に2019年春に形成されて以降まだ日が浅い。しかしこのコンセンサスの担い手としてふさわしいのは現職のトランプか、民主党候補者のバイデンかで競り合う状況が今年のはじめあたりから出てきた。そこにコロナ・パンデミックが発生し、米国の群を抜く被害状況から中国責任論が大統領選挙を背景に政治課題化しつつある。中国の人民代表大会における香港国家安全維持法の立法の承認は火に油を注ぐことになりつつある。6月17日のハワイにおけるポンぺオ、楊両国外交トップの会談は新冷戦構造化を確認したのみであったようである。
 他方、中国では習近平のリーダーシップはこれまでにない挑戦を受けつつある。コロナ・パンデミックにより2億9千万の農民工のほとんどが失業状態で、しかも政府の援助もない。ホンコンなどからは農民工の反乱が増えている情報が多く伝えられている。また深刻な経済危機の主たる犠牲者はどこの国においても中産階級であったが、中国においても例外ではないであろう。江沢民や胡錦涛等の長老たちから対米関係の悪化、パンデミック対策、農民工対策などに関し習近平はかなり厳しく叱責された模様、と国民にも漏れる形で伝わってきている。そのような状況では習近平としても対香港政策で強硬突破を目指さざるを得ないと判断したのであろう。
 また、農民工の反乱および中産階級の不安定化は人民解放軍の軍拡圧力を強める。国家の軍ではなく、中国共産党の軍であることから、中国共産党の基盤の弱体化はそれが国内要因であっても人民解放軍としては安全保障事項ととらえざるを得ない。(4) であるがゆえに経済成長率に関して目標値を出せない今年の李克強の全人代への報告においても軍事費は6.6%増加という数字を出さざるをえなかった。一方米国側は、米ソ冷戦の最終段階でレーガンがソ連に軍拡を仕掛けて、ソ連を崩壊に導いたことがワシントンのDNAに染み込んでいる。今年の米軍事予算の738$billionは中国の178$billionに対してたっぷりと挑発効果があり、明らかに軍拡を仕掛け、中国経済の弱体化に追い打ちをかけようとしている様子が見て取れる。
 このようにパンデミックを背景とした米国の大統領選挙と習近平に対する長老の批判および内外の軍拡要因により、悪化する米中関係は新冷戦の様相を強めつつある。これまでの常識では、経済関係がほぼゼロという状況で米ソの冷戦は可能であったが、米中経済関係が深く結びついている状況では冷戦構造は成り立たない、というものであった。しかし経済のデカプリングは強い影響力を持つ、というトランプの“発明”で、ズブズブの米中経済関係があるからこそ、今後米中覇権闘争において米国は貿易・投資諸課題を多用することになるのであろう。結果として米中冷戦構造を形成するという可能性が高くなってきた。現在のこの状況は今年11月の米国大統領選挙の結果いかんにかかわらず、その先も展開し続けてゆくことになるものと思われる。中にはコロナ・パンデミックのもたらす世界の緊張は「適温」危機で多様な課題を改善するいい機会であろう、と楽観する者(5)もいるが、米中覇権闘争の新冷戦構造化への力学の強さを考えると、むしろ米中の消耗戦の様相が色濃くなり始めると見た方が現実的なのであろう。

紛争の多発

 米国が世界の秩序を維持する力をなくして久しい。また米国に代わって世界の秩序を維持する力を持つ国は見当たらない。(6) 中国の朝貢体系に組み込まれてもかまわないという国は主権国家を味わった国家の中にはないに等しいとみていいであろう。秩序維持国のない国際社会の展開で直ちに浮上してくるのが古典的な近隣国同士の軋轢であり、と同時に国際社会にはびこるアイデンティティ・ポリテイックスのもたらす軋みである。
 これらすべてに触れる紙数はないが、アジアではインド・パキスタン、インド・中国、南北朝鮮、日韓の関係は悪化せざるを得ない。さらには東アジアや東南アジア諸国のパンデミックにおける人的被害の少なさが、被害の甚大な欧米における“やはり黄色人種はどこか違うのだ”という人種偏見をあおることにもなりかねない。このような状況まで出てくる可能性がある、というアイデンティティ・ポリテイックスのはびこる国際環境のばからしい現実もある。他の地域でも多様な緊張・紛争が表面化するであろう。それらの諸問題の調整役が強く求められる国際社会が展開することになるものと思われる。

世界の接続性の再構築

 コロナ・パンデミックは人の往来を断つことによってサプライサイド・ショックをもたらし、経済全般さらには社会全般に大きな破壊をもたらしつつある。それに対し、すべての主要国でかってない規模の財政対応をし、またすべての中央銀行もそれに対応した政策を採用しつつあり、すでに全世界で8兆ドルの財政出動を決めている。もはや経済は自由市場の自律的調整機能を中心とした体制ではなくなった。IMFの調査も今回のパンデミックのインパクトの長期的視点を重視せざるをえない、と指摘している。現状の低金利自体が歴史的に見て異常であるが、この調査においては20年かけて現状より1.5%低い程度の金利に戻り、経済全般が正常に戻るのにはさらに20年ほどかかるであろう、と指摘している。(7)このような状況を背景としつつリジリエンスを強化する形で、従ってコストパフォーマンスを下げつつも、主としてインフラ整備を通じて世界の接続性を強化する努力が新しい世界を築く基礎になっていくものと思われる。(8)
 インフラ建設は国家主導で行われる場合が多く、国際的には19世紀の鉄道敷設活動を英国が、20世紀の米国が、世界の覇権を目指して各地に展開した。それは時に紛争の直接、間接の原因にもなった。21世紀初頭になると鉄道、道路、港湾、航空、通信などの分野で中国が世界覇権の手段としてインフラ展開をしてきた。しかし、中国の一帯一路は米中新冷戦が消耗戦の様相を濃くするにつけ、計画通りに進むはずはない。他方、国家主義化する他の主要国も国際的インフラ開発に力を入れるようになるはずである。結果として、世界的な接続性強化は大きな進展を見せるようになるには違いないが、国家間の調整が極めて重要になる。その調整役として、国家よりも世銀、地域開銀、AIIDなどの国際機関が中心的役割を期待される場合が増えるであろう。これら組織内での発言権の確保が極めて重要な戦略性を持つ時代になる。

国家資本主義、開発独裁と国際経済秩序

 日・米・欧が国家資本主義の色彩を強め、中・印・トルコ・インドネシア・シンガポール・ブラジルなどの開発独裁諸国の発言力が強くなるにつれて、国際経済を成り立たせていた自由競争に基づいた比較優位を確保する、という共通基盤は弱体化せざるを得ない。コロナ・パンデミックがもたらした国家体制の事実上の変革を国際経済体制の再構築にどのようにつなげていくか、が極めて重要な世界的課題になる。自由競争の例外として安全保障上の考慮が共通認識として制度化されてきたが、パンデミックは医薬品・器具、はたまたマスクまで安全保障上の考慮対象になる、という状況を生み出した。国際経済を成り立たせている主要国の経済体制がすでに自由競争・比較優位という共通認識を成り立たせなくしているということであろう。
 この様な新たな現実を前提として国際経済秩序を再構築していかなくてはならない。具体的には貿易・投資に関しては2国間、複数国間での交渉で徐々に積み上げていく、ということにならざるを得ない。実態としてもWTOが機能不全に陥って久しく、グローバルな交渉は行き詰まって十数年になる。パンデミックがもたらした新たな状況は国家体制の事実上の変化に伴い、自由競争・比較優位という共通目標をも喪失させつつあるという新たな現実の下、この十数年来中核的役割を担ってきた2国間、複数国間の交渉を積み上げることになる。むき出しの国益同士のぶつかり合いを調整する共通基盤がないという状況は19世紀の再来という様相を帯びそうである。
 国際金融機関もかってのワシントン・コンセンサスに代わる共通の政策パッケージを練る必要が明確になった、ということでもある。では、何に代わるのか?ここでも共通の理論的ベースのない、暗中模索が展開されることになるのであろう。

政治制度の劣化

 リーマン・ショックに対する財政出動がもたらした国家債務に対する対応として、ほとんどの主要国において社会セクター予算の削減を行ったが、それは結果として広範な抗議運動をもたらし、ひいてはポピュリスト政党を力づけることになった。その傾向は2010年代をとうして議会制民主主義国の多くに伝播し、その状況を背景にコロナ・パンデミックが起こった。危機に於ける政治指導者の力量の決定的な重要さはどの時代にも共通する課題であるが、ポピュリズムを背景とした政治指導者の脆さが如実に表れた。しかし今後の選挙において選挙民がポピュリズムに対して“NO”を突き付ける気配はあまり濃厚ではない。また非ポピュリズムの優れた指導者がどの国にも浮上してきていない。従って、議会制民主主義の劣化傾向は続かざるを得ないのであろう。
 開発独裁諸国からすると議会制民主性というソフトパワーが弱まるということは自国の体制の改善努力の緊張が弱まるということでもある。産業政策の質を高めるテクノクラシーがこれら諸国の努力目標であるが、その目標追求のための緊張のゆるみは汚職を蔓延させざるを得なくさせるのであろう。それでなくても開発には汚職がつきものであるが、開発独裁体制の劣化がこの宿痾ともいえる問題の根深さをあらわにし、体制の劣化が顕著になるに違いない。政治意識を高めてきている中間層・高学歴層の拡充を背景として、開発独裁体制の劣化は当該国の政治体制の不安定化をもたらす可能性が高いだけでなく、その連鎖反応がこれら諸国に起きかねない構造を形成し始めているように見える。
 議会制民主主義体制と開発独裁体制双方の劣化はお互いに高見の見物を決めこむという状況にはならないであろう。双方が政治基盤を揺り動かされるという、リバイアサン以上に根源的な問題を突き付ける状況が国際社会に展開しかねない。新たなグローバル文明の揺籃なのかもしれない。

デジタル革命と自由

 この20年近く進められてきた経済・社会のデジタル化をコロナ・パンデミックは急速に進めることになりつつある。職住接近が一つの流れであったが、職住融合が多くの国で新たな社会の形になるのであろう。それに伴いこれまでの大都市集中社会が地方分散型に移行し始めるであろうし、それは航空システムを変革することにもつながるであろう。国際的連携は「地方」同士の比重が格段に増えるであろうし、それは「国家」資本主義の方向とは逆の方向に社会を向かわせ、新たな市民社会を国際社会にもたらすことになるに違いない。
 また、コロナ・パンデミック対策の感染予防の一環として個々人の行動のチェック体制が強化されつつあるが、その延長線上に監視社会化も、多くの人たちが指摘するように、重要な課題になる可能性は否定できない。緊急時と平時を明確に峻別することは現実的になかなか困難であろう。監視社会化が進み、感染の懸念が弱まった段階で、それをどのように解除するかが政治の質を問うことになる。それはとりも直さず我々国民一人一人の判断が問われるということでもある。
 さらにはデジタル革命への動きの速度が上がると、AIが人間の判断にとって代わる社会がいつの間にか形成される、ということになりかねない。まさにY.N.ハラリの警告の世界である。人間の自由が問われる社会の到来がコロナ・パンデミックによって意外と近い将来にもたらせられるかもしれない。その前に、AI開発のガイドラインなど、必要な処置を行っておかなくてはならないはずである。そのガイドラインは一国の課題にはとどまらず、国際的な広がりをもったものにならざるを得ないであろう。価値観・倫理観の共通ベースを20世紀の最良の知性の21世紀への贈り物として2000年6月に発表された地球憲章に求めることによって、この作業は多少とも始め易くなるかもしれない。

地球公共財の新たな担い手

 地球環境、知識、自由・平等・共生などの価値観、文明、経済・社会システムなどのモノ、価値、制度など多様な地球公共財の一義的な担い手はそれらに関する国際機関の国際公務員である。19世紀以来産業社会化する個々の国家は行政権を拡充し、その延長上に国際機関を作り、その担い手を国際公務員とし、地球公共財の主要な担い手としてきた。そのコストは税金でまかなわれ、世界の最も高額な国家公務員以上の待遇を保証する、という1920年に国際連盟の第一代事務総長が敷いたドラモンド原則がこの100年間前提になってきた。
 しかしこの間民間セクターもしくは官民合同で公共財を担う傾向が国内で顕著になり、特に1990年代に入り多くの国で一般化してきた。国際社会では、国際機関の中でもWIPOのように独自の財政基盤を確立し、国際公共財をしっかりと担う組織が出てきた。また、国際公企業としての世銀グループ、地域開銀、IMFも官民合同の例として、地球公共財の担い手としてユニークな働きをしてきた。21世紀型の地球公共財の担い手として民間の機能を拡大する多様な試みをプロモートする時期であろう。ビル&メリンダ・ゲイツ財団のコロナ・パンデミックに際しての貢献は21世紀の地球公共財の担い手として一つのモデルを提供している。

3.期待される日本の役割:横井小楠と佐久間象山

 現在進行中のウイズ・コロナの時代からポスト・コロナの時代にかけて国際社会は極めて危険な道のりを進むことになる。同時にそれは新たなグローバル文明の黎明につながるはずである。米国と中国は消耗戦を繰り広げることによって、ともに世界の大国ではあっても、かなり身動きの取れない国になっている可能性が高い。それでいて国際社会には多様な課題が容赦なく降りかかってくる。このような時代には国内が堅固かつダイナミックな社会で、メッセージの発信力が豊かなリーダーに恵まれた主要中堅国家の役割が大きくならざるを得ない。日本の出番である。
 近代日本は二度にわたって自前の国家構想を実現する機会を逸した。明治維新と第二次世界大戦における敗戦後である。明治維新の際には優れた国家構想力を持った何人かの逸材が出たが、彼らはすべて明治への移行期もしくは移行直後に暗殺されてしまった。第二次大戦後は幣原喜重郎、吉田茂、芦田均らが占領軍と渡り合いながら渾身の努力を傾けつつ、極めて不十分な国家構想しか描くことができなかった。(9) 今は1世紀半前にさかのぼり、日本の世界的知性を再発見しつつ、令和日本の国家構想を構築するのが一つの出発点であろう。U.エーコも指摘するように、我々にできることは知的巨人の肩に乗って初めて歴史の前方を見晴るかすことができる。(10)安倍総理も今国会終了直後に7月から「コロナの時代、その先の時代を見据えながら新たな国家像を大胆に構想する」(11)と語った。これから始まる政府の拡大未来投資会議での作業が文明史的視点を持ちつつ現実的な課題の深彫りが出来るように、我々も広く・長い視点を重視した国家構想論を展開しはじめなくてはならない。
 世界屈指の東洋思想研究家の田口佳史氏は明治維新期のリーダー層の役回りを横井小楠と佐久間象山を国家構想係り、実行係を大久保利通、伊藤博文などに充てて整理(12)している。佐久間象山は1864年、横井小楠は1869年に暗殺された。これらの優れた国家構想家を亡くし、彼らの案をなぞらえつつ、優れた実務家が国家を形成し、運営したのが明治維新以来の日本であった。結果として、一定の近代化は成し遂げつつも、10年ごとに内戦、戦争を繰り返し、やがて第二次世界大戦に自爆のごとく突入し、崩壊してしまった。
 明治は「万機公論に決すべし」という民主主義の基本を宣言した5か条の御誓文に始まった。これは横井小楠の弟子たちによるドラフトに基づくものである。しかし20年ほどかけて出来上がった明治国家はこの出発点とは大きな距離のある国家体制になった。優れた国家構想者を失った日本の悲劇である。横井小楠には日本の歴史、そこで育んできた知性・品性に対する確固たる信念があった。中国、インドの数千年に及ぶ宇宙・人間・社会・国家に対する見識を、千数百年にわたる日本の歴史と厳しさと豊かさを兼ね備えた自然で育んできた知性と感性に対する確信を持っていた。(13) 19世紀前半の日本のリテラシー・レイトは世界一であったが、多くの藩校や寺子屋を通じてこの知性・感性が伝えられた国民一般に対する信頼が厚かった。民の力を引き出すことを政府の主要任務と位置付けていた。民力中心国家日本である。
 またこの知性・感性は世界に向けて広げられ、世界を導きうる資質を持つことを確信していた。世界にある多様な価値、 例えば西洋の科学・技術などもその可能性と限界、またその方向性を指し示すことが日本の役割であろう、と認識していた。さらには世界にはもめごとが多いが、それらの問題を解決する手助けをすることも日本がやるべきことであろう、とも考えていた。世界の世話を焼く国家、日本、は日本の防衛策としても重要であるとの認識である。世話焼き国家日本である。
 佐久間象山は海防八策(14)によって、虎視眈々と、隙あらば、と常に他国を攻めようとする国家が多い国際社会に生きる日本にまず重要なことは、周りを海に囲まれた国家として、海防をピシリと決め、一切スキを与えないことである、と強調した。その上で、近代国家にとって重要なのは産業革命であり、それを進めるためには科学・技術立国を明確に打ち出すことである、と主張した。第四次産業革命の真っただ中にある日本にとって、余りにも正鵠を射た指摘である。この面で、失敗を繰り返しつつも、大変な努力を続けた象山の生きざまが多くの示唆を与えてくれる。
 横井小楠と佐久間象山の国家構想とは相補いつつ、すぐれた21世紀の国家構想の土台を提供している。1世紀半前に一流のグローバリスト国家日本を構想していて、志半ばで暗殺されてしまった二人の遺志を受け継ぎ、令和日本を構想することが待ったなしであるように思われる。明治以来の日本は福沢諭吉(脱亜入欧)、岡倉天心(アジア主義)、新渡戸稲造(日米協調)の3人の思想に代表される歴史を歩んできた。今は横井小楠・佐久間象山の日本に深く根ざしたグローバリズムに磨きをかけることを世界が待ち望んでいる(15)ように思われる。

 

1)W.H.マクニール、「疫病と世界史」上、下、中公文庫、2018
2)髙橋一生、“複合化するコロナ・パンデミックと新たなグローバル文明の黎明”、「SRIDジャーナル」19号(電子版)、巻頭エッセイ、2020年7月
3)Y.N.ハラリ、「ホモデウス」、上、下、河出書房新社2018
4)阿南友亮、「中国はなぜ軍拡を続けるのか」新潮選書、2017
5)I.ブレマー、“世界に改革促す「適温」危機”、日本経済新聞、2020年6月18日
6)R,ハース、“パンデミックは歴史の転換点ではない−−国際協調とナショナリズム”Foreign Affairs, 2020年5月号、日本語版、pp.6−9
7)D. Jorda, S. R. Singh, and A. M. Taylor, “Long Economic Hangover of Pandemics”, Finance and Development, IMF, June 2020
8)P.カンナ、「接続性の政治学:グローバリズムの先にある世界」、上、下、原書房、2017
9)細谷雄一、「自主独立とは何か−−敗戦から憲法制定まで」前編、「自主独立とは何か−−冷戦開始から講和条約まで」後編、新潮社、2018
10)U.エーコ、「ウンベルト・エーコの世界文明講義」河出書房新社、2018
11)日本経済新聞、2020年6月19日
12)田口佳史、「佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方」致知出版社、2020、p.61
13)田口佳史、「横井小楠の人と思想」致知出版社、2017
14)田口佳史、「佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方」p.122
15)”If America pulls back from global institutions, other powers must step forward”, Economist, June 19, 2020

政策オピニオン
高橋 一生 アレキサンドリア図書館顧問、元国際基督教大学教授
著者プロフィール
国際基督教大学卒(国際関係学科)、同大学院行政学研究科修了、米国・コロンビア大学大学院博士課程修了(Ph.D. 取得)。その後、経済協力開発機構(OECD)、笹川平和財団、国際開発研究センター長を経て、2001年国際基督教大学教授。東京大学、国連大学および政策研究大学院大学客員教授を歴任。国際開発研究者協会前会長。共生科学会副会長。専攻は国際開発、平和構築論。主な著書に『国際開発の課題』『激動の世界:紛争と開発』、訳書に『地球公共財の政治経済学』など。

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