日韓関係の過去、現在、未来

日韓関係の過去、現在、未来

日本と朝鮮・韓国は互いに「内」でもあり「外」でもある

 2025年が、日韓国交正常化60周年にあたることに鑑み、この機会にあらためて、日本と朝鮮半島との関係の長い歴史を、日本人の朝鮮観という観点から回顧し、その現代的意味を考え、未来の展望を描く一助としてみたい。
 歴史的に見ると、日本人の対朝鮮観の特徴の第一とも言えることは、朝鮮が、日本にとって、なかば「内」であり、なかば「外」であったことであろう。
 二十世紀の前半、朝鮮半島は、30余年にわたって日本に「併合」され、いわば日本の一部であった。まさに朝鮮は、日本の「内部」だった。歴史を紐解いても、古代において、日本は、(その正確な位置付けは若干微妙ではあるが)朝鮮半島に、自国のいわば橋頭堡ともいえる地域を確保していた。
 豊臣秀吉のいわゆる朝鮮進攻も、秀吉の天下統一が九州にまで及び、そのいわば延長線上に、朝鮮半島がとらえられていたことと連動していた。
 今日においても、数十万人におよぶ在日韓国人あるいは朝鮮人が存在し、南北の対立が、在日僑胞内の組織的対立にまで及んでいることは、所謂三十八度線ないし軍事警戒線が、見えない形で、日本国内にも存在していることを暗示しているといえる。
 そうした歴史的背景のもとで、多くの日本人にとって、朝鮮半島は、自己にも存在する癖や習俗が、露骨なまでに可視化される場所であり、時として、嫌悪や嫌気の対象となってきたが、同時に、いわゆる韓流ブームに見られたように自己との同一化が行われてきた。
 まさに、朝鮮半島は、多くの日本人にとって「内」でもあり、また「外」でもあったのだった。
 一方、朝鮮半島の人々にとっても、やや次元は異なるとは言え、日本は「内」でもあり「外」でもあった。
 古代においては、百済と日本の関係や任那の「日本府」の存在などに現れているように、日本と朝鮮半島南部地域との関係は、国という次元でみれば「内」でもあり「外」でもあるほど密接であった。
 その後、日朝双方において、国家意識が固まった後においても、中華文明の吸収の程度や対応が、日本と朝鮮との関係に大きな影を落としていたが、このことは、日朝相互がどれほど、また、どのような態様で中華文明の「内」あるいは「外」にいるかが、日朝関係を律する大きな尺度であることを意味していた。
 明治時代以降、西洋化あるいは近代化の道を突き進んだ日本と、依然として中華秩序や儒教思想のしがらみを持ち続けた朝鮮とは、西洋的秩序の内と外縁ともいえる関係となり、ここでも、日本による朝鮮併合までの間、両国はなかば内、なかば外の関係にあった。
 第二次世界大戦後、韓国にとって、正に日本は「内」であり、また「外」であった。日本に併合された歴史から解放され、自ら新しい国家として自らのアイデンティティを確立する過程では、社会、経済、文化各分野に残存する「日本色」を排徐することが必要であった。しかし、経済発展と民主化をすすめ、北朝鮮と対決するためには、日本に学び、連帯することが必要だった。
 加えて、韓国は、北朝鮮との対決の彼方に民族統一という夢なり理想を持ち、そのためには、国際情勢の変化に自らを委ねなければならない宿命にあり、そうしたしがらみからくる苦悩を日本とどこまで共有出来るかは微妙な問題として残ってきた。

冷静かつ深く認識すべき朝鮮半島の重要性

 ひるがえって考えれば、日本も、「アジアで唯一の民主主義先進国」という国際的アイデンティティが、他のアジア諸国の政治的、経済的変貌によって、いささか、明白でなくなってきたことから、新たなアイデンティティの模索が始まっており、それだけに、ともに先進民主主義国となったとはいえ、韓国と日本が、どこまで同じ「夢」を共有しうるかは、当面、必ずしも明確ではなく、そのためには、両国、および国民の意識的努力が必要な状況にあるといえる。
 こうした状況下にあって、日本としては、日本と国際社会との関係を考える上で、朝鮮半島の重要性を広く国民一般が冷静かつ深く認識することがとりわけ肝要である。
 この点については、次のようにまとめることができよう。
 第一に、歴史的には、日中、日露戦争は、いずれも朝鮮半島をめぐる抗争ないし外交的、軍事的勢力争いがその源となっていた(白村江の戦い、日清戦争もその例といえる)。第二次大戦ですら満州事変をその発火点とみなすと、そもそも日本の満州進出は、朝鮮半島統治の安定をその一つの理由としており、その意味では、朝鮮が戦争の源であったという側面を持つといえる。
 第二に、朝鮮問題は、歴史的、地理的理由から日本の国内政治と結びつきやすい(阿部仲麻呂の新羅征討の試みも国内政治の絡みが強く、秀吉の朝鮮進出あるいは侵攻も国内の大名統制という政治的理由が一つの背景であった。また、明治の征韓論も不平武士のエネルギーを外に吐き出すという要素があった。さらに、第二次大戦後の左翼民主勢力と韓国民主化運動の結び付きなどにも国内政治的要因が強く働いていた)。
 第三に、朝鮮半島は隣国あるいは隣人であるが、隣人は、いわば自己と他人の境界線上にある人であり、自己の再定義、自己の再構築の際、比較対象となりやすく、相手の良い点も悪い点もすぐ気になる存在である。従って、日本における時代や社会の「転換期」に、日本は隣の相手たる韓国(朝鮮)を突き放し、距離をおく状況を知らず知らずのうちにとりがちである。平安時代、中国文化の吸収が一段落し、「和風化」の傾向が強まり、日本の「アイデンティティ」の再構築が行われようとした時、朝鮮半島との交流を「けがれ」の対象とみる風潮が出たことがある。現在、日本が一つの大きな転換期に立っているとすれば、日本人の潜在意識の中で、朝鮮半島を「遠ざける」心理が知らず知らずのうちに高まったとしても不思議ではないが、そうした心理に影響されて、朝鮮半島の戦略的重要性を軽視することがあってはならないであろう。
 なお、戦略的、歴史的観点から朝鮮半島を見る場合、現在では、アメリカの関与が必然的に問題となる。軍事的側面は別として、文化的側面にしぼると、日韓両国とは異質な文化、歴史的体験を持つアメリカの関与は、日韓両国内で上記のアイデンティティの問題、あるいはナショナリズム的傾向が強く働きすぎることに対する「文化的抑制剤」ともなり得よう。
 また、国際情勢との関連では、軍事的要素もさることながら、朝鮮半島の長期的展望についての米国の関与は、米中関係の政治的安定化の問題とも連動する点に考慮が必要であろう。

新しい時代にふさわしい日韓関係をどう構築するか

 以上を踏まえた場合、今後の展望をいかに開くべきか。
 その鍵は、日韓関係を、狭い二国間関係の次元から解き放ち、広い国際社会全体における日韓両国の役割如何という次元に据えることであろう。いいかえれば、日本と韓国は相対して、テーブルに向かい合っているのではなく、同じテーブルの同じ側に座り、向こう側には世界、あるいは国際社会があるという意識を持つことである。
 具体的には、日韓両国に共通の社会的、経済的課題であり、かつ、地球規模の課題ともいえる問題について、両国の国民同士の対話、交流を深めることであろう。たとえば、地球環境問題、原子力も含むエネルギー問題、人口高齢化にともなう福祉問題、男女や障害者、外国人との共生問題などがあげられよう。
 同時に、単なる対話や交流を越えて、日韓両国が、国際社会に対して、共同のアピールや共同行動がとれる環境を作りだすべきであろう。
 その過程で、北朝鮮への対応、米国のアジアヘの関与のあり方、中国の国際的位置付けなどについての、日韓間の政策対話を深めることが大切であろう。
 そうして初めて、日韓両国は、お互いに「内」すなわち真の仲間であり、同時に、自己それぞれ独自の国際的アイデンティティを持つパートナーとなれるのではなかろうか。
 この点とも関連して、日韓両国が共同で取り組むべき具体的プロジェクトを提案し、今すぐ実現できなくとも、その方向で努力することが重要である。
 たとえば、第三国向け共同観光ルートの開発、石油あるいは特定資源の備蓄および融通についてのプロジェクト、魚類の人工養殖場の建設や、農業における新技術の活用に関する協力、AIやロボット技術関連の協力などをあげることができよう。
 それらの事案を促進するためにも、日韓自由貿易協定や、さらに進んだ経済協定への地ならし(共通農業政策への準備行動なども含むもの)も視野に入れるべきであろう。
 同時に、文化、スポーツ、観光など、若い層を中心に広がっている交流は自然の流れに任せて、政治的介入を極力少なくすることが望ましい。政治、外交関係の緊張がこれらの分野の交流に過度の影響を与えないよう、両国国民が冷静でなければならず、また、政治も介入を控えるべきであろう。そのためには交流の主体の多様化と永続性を重視する姿勢が必要である。
 また、両国間の交流は、その量的拡大のみならず、深化が重要である。たとえば、経済交流にしても、商業的付き合いのみならず、日韓相互とも相手国へ進出した企業の、いわゆるCSR活動の一層の活発化が望ましい。
 文化交流については、現代文化分野での交流は世界的規模で拡大しているが、伝統芸能や文芸面での交流は十分とはいえない現状であり、その促進のために相手国の言語教育の充実、翻訳助成の強化などが望まれるところだ。

直面する朝鮮半島情勢への対応

 以上の点は、将来の展望として是認できるとしても、韓国のいささか混乱した眼下の政冶状況では、こうした展望を実行してゆく「政治、外交的」勢いを醸成することは、当面困難であるとの意見も当然出てこよう。
 また、戒厳令をめぐる政治的混乱は、日本人の韓国観に、改めて影響を与えたことも否定できない。すなわち、第一に、韓国においては政治的変動の振幅が激しく、中長期的展望に立った対話が困難であるとの印象を与えたことは否めない。
 また、大統領あるいはその親族、側近をめぐるスキャンダルが絶えず、そのため大統領という職の「権威」が低下し、それが、大統領の権力行使の態様にも影響するという事態が度々生じて来たことから、首脳同士の「個人的信頼関係」の構築にも支障をきたしかねない状況といえる。
 さらに、韓国の民主主義は、革新勢力と民衆運動によって支えられており、かつ、また、軍は北朝鮮との関係もあって、政治的に保守勢力と結び付きやすいという見方をあらためて強めたことは否定しがたい。
 加えて、今回の「騒動」を離れても、そもそも、韓国の社会的体質として、「政治」が社会に占める影響力が大きく、そのため、文化活動、経済活動、社会活動の政治からの「自立化」が希薄になりがちである。従って、政治的混乱が社会全体に与える影響は、日本などと比べると(ネットの影響力、宗教や地域的靭帯の強さなどもあって)極めて大きいと言わざるを得ない。
 以上の点を考慮すると、当面は、実務レベルの交流を強化するとともに、韓国の野党勢力や反権力集団(たとえば労働組合)との関係構築に一層努めるべきである。
 同時に、北朝鮮の動きもあり、防衛当局(とくに制服組)間の連絡、交流を強化すべきであろう。

内政状況を考慮した対応も必要

 今後のことについては、とりわけ両国の内政状況をよく考える必要がある。しばしば、一九九八年の小渕—金大中宣言に戻れとの声を聞くが、日韓両国の内政状況を想起すべきである。金大中政権は、金大中の革新政党と、金鍾泌率いる自民連との連合政権であり、いわば保革和合の政権であった。だからこそ、バランスの取れた対日政策を実行し得たという面がある。日本側も、小渕政権は自民党の保守派と進歩派の連合政権に近く、また、村山内閣以来の政界の流れの余波が未だ生きていた時代である。現在、韓国では保革の対立は激しく、保守陣営内部も分裂症状をきたしている。日本でも、保守リベラル派はやや困難な状況にあり、保守陣営全体がいわゆる「右旋回」しているという見方が強い。これでは、日韓間の政治指導者間の対話をただ強調するだけでは、将来への展望は開けにくいのではあるまいか。
 なお北鮮問題については、日本では、とかく北朝鮮の軍事的動きに関心が集中しがちであるが、中、長期的視点に立つ時、北朝鮮の社会、経済情勢の動向にもっと注意を払うべきである。たとえば、北朝鮮における人口高齢化と軍事力低下の可能性、経済活動の自由化の程度、政治の制度化の態様など、軍事優先体制に中長期的には実質的変化を及ぼしかねない政治・社会、経済情勢にも注意が必要であり、こうした点について各種レベルにおいて日韓対話を促進すべきである。
 その上で、南北朝鮮の統一、あるいはそれに近い連邦制などが実現した際に、日本と朝鮮半島との関係がなかば内であり、なかば外でありながら、安定的かつ建設的なものであるためには、両国と両国民の関係はどうあるべきかが、いろいろなレベルで、いろいろな角度から議論されねばならないのであるまいか。

小倉 和夫 元駐韓国大使
著者プロフィール
東京都生まれ。東京大学法学部卒。英ケンブリッジ大学卒。駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長、青山学院大学特別招聘教授などを歴任。現在、日本財団パラスポーツサポートセンターパラリンピック研究会代表。主な著書に『日本のアジア外交―二千年の系譜―』『日本人の朝鮮観』『駐韓国大使日記 1997~2000』他多数。

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