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「甘え」文化とアタッチメント

EN-ICHI編集部

2025年6月15日

幼い子どもと親との関係を表す「アタッチメント」と「甘え」。日本の親子関係が希薄化したと言われる現状において、この二つの関連性についての研究は重要なテーマになります。

子どものアタッチメント(愛着)は、現在では広く知られた言葉であるでしょう。おそらく幼い子どもにおいて養育者との安定的なアタッチメントの形成が重要であるとの認識は、今や多くの人に共有されているものと思います。一方、「甘え」は日本語の中の日常語でありますが、1970年代に精神科医の土居健郎が『「甘え」の構造』という本を出版し、ベストセラーとなって以降、日本人の文化的特徴を表す言葉として知られています。

土居(1971)は、「乳児の精神がある程度発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後に、その母親を求めること」を「甘え」の原型と考えました。そして、この甘えの心理が日本人の中では大人になっても強くあり、それが日本文化に深く浸透していると主張したのです。

アタッチメントも甘えも、幼い子どもと親との関係を表す言葉として両者には強い関連があると推測されるでしょう。そもそもアタッチメントという概念を提唱したのは、英国の精神科医で精神分析家のジョン・ボウルビィですが、一方、「甘え」理論を提起した土居健郎は、わが国の精神科医で精神分析家です。二人はいわば同時代の同業者であり、両概念をめぐる精神医学や心理学の議論が展開されたはずです。その議論がどのようなものであるのかは興味深いテーマではないでしょうか。

例えば、幼い子どもを甘やかすこととアタッチメントの関係は、どう理解されているのでしょうか?安定的なアタッチメントの形成と甘やかすことは同じなのでしょうか?もしそうだとしたら、親は子どもを甘やかすべきなのでしょうか?これは日本人の多くの親(大人)が子育てをしながら感じる典型的な疑問ではないでしょうか?

ところが、意外なことに、この両者の関係はそれほど単純ではないのです。

土居の『甘えの構造』の英訳は、“The Anatomy of Dependence”です。すなわち、「依存の構造」と訳されているのですが、ボウルビィ(1988)はアタッチメントについて次のように言っています。「ある種の状況でアタッチメント行動を示すという傾向は、人間性の本質的な部分と考えられるので、これを『依存性(dependency)』として言及するのは、誤解しやすいだけでなく、『依存的』という語には軽蔑的な含みがあるので、まったく不適切である」。つまり、ボウルビィは生物学的機能として理解すべきアタッチメント行動に対して、心理的な「依存」という観点が持ち込まれることを批判し、それをはっきり否定しているのです。

そして、アタッチメント研究者で心理臨床家の工藤は、アタッチメント行動と甘えの違いについて、次のように指摘しています(工藤,2020)。「…乳児が恐怖事態に直面し、養育者のもとに逃げ込むことを、私たちは甘えと言うだろうか?大きな犬に吠えられて小さい子どもが怖がって母親の足にしがみつくとき、私たちはそれを甘えと呼ぶだろうか?(中略)…それが甘えとアタッチメントの等価性を否定する、最も適切な問いの1つであると私は考えている。」

このようにアタッチメント研究者は行動科学的なアタッチメントの議論と甘えとは違うことを強調しますが、土居自身は甘えがアタッチメントを包摂する概念であると主張していたのです。土居は『続「甘え」の構造』で次のように述べています。「ジョン・ボウルビーによる幼児と母親の結びつき(attachment)についての有名な行動科学的研究はまさに『甘え』現象を扱っていると言うことができる。実際、attachmentを『愛着』と訳すと『甘え』とほとんど見分けがつかない」。その上で、甘えは行動を引きおこす感情や欲求を表してもいるので、人間の心理を考える上では甘えの方がよいと言っています(土居,2001)。

このように、アタッチメントと甘えの関連に関する議論はまだ確定していないのです。それと同時に、この議論にさらにまた新たなテーマが付け加わることになりました。それはこの約20年の間に起きた日本社会における「甘え」文化の変容です。

2007年に土居は『「甘え」の構造』の改訂版に「甘え今昔」という文章を載せました。そして「今や『甘え』といえば人々は一方的な『甘やかし』か、ひとりよがりの『甘ったれ』のことしか考えなくなった」というとても興味深い指摘をしています。しかも、この二つは『甘えの構造』では取り上げていないと言います。なぜならば、それは「甘え」とは違うものだからであると。ところが現代の日本人は甘えというときにむしろこの二つを想起するのだと、土居は驚きながら指摘するのです。

本稿で先に筆者が挙げた子育てにおける甘えの例も「甘やかし」についてでした。その結果、現代の日本人は基本的に「甘え」を否定的なものと捉える傾向があると考えられます。しかし、土居が甘えを論じたとき、それを否定的に扱っていたわけではなく、むしろ甘えは全ての人間に必要なものであると見なされていました。

このように考えると、甘えという観点からは、日本人の最も根本的な母子関係(親子関係)が変容している可能性があるのです。その結果、日本の特に若手臨床家はクライエントの「甘え」における関係性の質を自然に捉えられなくなっている可能性があります。その点で、先に引用した考察の中で30代の工藤が土居の論文の記述を丁寧に紹介しながらも、土居の主張が「よく理解できない」ということを繰り返し述べているのが注目されるのです。

したがって、現時点でアタッチメントと甘えの関係を考えることの臨床的意義は、〈甘え文化の変容の中でのアタッチメント〉ということになるのでしょう。これは、希薄化したと言われる日本人の親子関係(さらには人間関係)の現状分析をめぐる重要な心理学的テーマであると思われます。

(『EN-ICHI FORUM』2024年8月号記事に加筆修正して掲載)

参考文献

  • J・ボウルビィ(1988/1993:二木武監訳)母と子のアタッチメント―心の安全基地.医歯薬出版.
  • 土居健郎(1971/2007)「甘え」の構造.弘文堂.
  • 土居健郎(2001)続「甘え」の構造.弘文堂.
  • 工藤晋平(2020)支援のための臨床的アタッチメント論―「安心感のケア」に向けて.ミネルヴァ書房.
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