EN-ICHI家庭と地域の未来を拓く
現代韓国の若者の「生きる力」と「死」の意識(後編)
前編では、現代の韓国社会では、若者が成功のために限界まで自分を追い詰めてしまうことを述べました。後編では、そのような価値観にとらわれた韓国の若者と死生観の関わりを見ていきます。
「死の文化」と価値観
私が韓国の大学で担当した「死の文化」の授業では、各宗教における天国や地獄の概念、有名な哲学者の死生観、自殺を含め死に至るさまざまな身体的過程や世界における死後の葬儀や埋葬方法などの多様性、さらには供養や憑依の問題なども紹介しました。もちろん、自殺を勧めているわけではなく、「死」の問題を考えることにより、それを自身の問題として受け止め、人生をしっかり生きてほしいという目的からでした。ですから、私は最初の授業で「みんな、生きていてくれてありがとう」と言って、授業を始めました。激しい競争社会の中で諦めて死を選ぶことなく、生きていること、それ自体で十分偉大だと思いました。
振り返ってみると私が韓国に来た頃は、韓国人には生きる力がみなぎっているように感じていました。それが数十年後には自殺大国となってしまったのです。その原因は、前編でもあげたような社会の急激な近代化・産業化や家族文化の変容、個人主義化などでしょう。ITの発達なども生活を便利に変えてくれましたが、楽であること・便利であることが大切な価値であるというふうに人々の価値観を変えてしまったようにも思われます。
「今をどう生きるか」を教える宗教
韓国の大学の「死の文化」の授業で学生たちの死生観を調査する中で「人は死んだ後、どうなると思いますか?」とアンケートしたことがあります。回答のなかで一番多かったのが「死後の世界はなく、無となる」というものでした。この点も以前の韓国と大きく変わってしまった点だと思われます。私が韓国に来た頃は仏教徒にしろキリスト教徒にしろ、非常に信仰心が強いなと感じていました。
宗教はその教義のなかで来世の問題を扱ってはいますが、本質は「今をどう生きるか」を教えているのだと私は考えています。イエスキリストもブッダも死後の世界についてはほとんど言及していないのです。信じる宗教にタイプ分けされる一神教のキリスト教やイスラム教では神や救世主を信じることを強調しますが、それだけでなくどのように生きるべきかも強く教えています。「十戒」などがそうでしょう。またキリスト教で最も尊いのが「愛」ですが、これは対象への無償の愛を意味します。また、悟りの宗教である仏教も人生の真理を悟ることが大切であると言いますが、それを悟って何を行うのかというと、慈悲のこころで布施(奉仕・利他)を行うことを勧めています。そして感じる宗教としての神道もまた「感謝」や「誰かの為に生きる」ことを強調しています。よく考えると宗教はいろいろと個性的ではありますが、すべてが「感謝」と「奉仕」、「誰かの為に生きる」ことを実践するよう教えていることがわかります。
「天国」=楽、「地獄」=苦労なのか?
そしてそれらを実践した結果行くところが、天国や浄土なのです。ところが、「死後の世界はなく、無となる」という回答ならば、上記のような「感謝」と「奉仕」、「誰かの為に生きる」という人生観は生まれてきにくくなるだろうと思われます。実際に、韓国の大学の「死の文化」の授業で学生たちへ行ったアンケートの別の問いである「神について普段どう考えていますか?」との問いに対しても、「神は存在しない」(25%)、「神は存在するか分からないが、存在するかどうか明らかにする方法もないと思う」(22%)、という回答が最も多かったのです。
【表1】筆者が実施した「死の文化」の授業受講生の回答

出処:筆者作成
宗教の多くが死後の世界として天国(仏教では浄土)や地獄などの概念を提示していますが、死後の世界についてはイエス・キリストやブッダ以降の宗教指導者たちが、信徒の信仰心を持続させたり、教団という組織を守るためなどの目的で、既存のさまざまな思想を取り込んで体系化して作り上げていったものと考えられます。イエス・キリストやブッダたちは来世ではなく、現世をいかに生きるかを真剣に悩み、見つけた答えを命がけで実践し、弟子たちに伝えたのでした。
ところで、多くの人がもつイメージは、「天国は楽で楽しいところ」であり、「地獄は苦痛に満ちた恐ろしいところ」というものだろうと思われます。そして多くの人は、この「天国と地獄」の概念は「幸福と不幸」の概念とも対応させて考えていると思われます。つまり、苦労しなくて良いところと苦労しないといけないところのように正反対のところを考えているのであり、そしてそのことは、「楽なことが幸福」であり、「苦労や苦痛は不幸」であるという考えへと続くように思われます。
しかし、楽な人生って果たして幸福でしょうか?好きなものを好きなだけ食べ、嫌なことは一切せず、他人を無視して好き勝手ばかりやったり、一日中ゴロゴロしていれば幸福な人生を送れるのでしょうか。そんな生活をしていればすぐに健康を害して病気となったり、犯罪者となるか、または他者との競争に負けて搾取される側へと転落していくことでしょう。ですので、たぶん、天国と地獄というのは正反対のところにあるのではなく、地獄や苦労を越えたところに天国があるのだと思います。だから宗教では、「感謝」や「奉仕」を強調し、「誰かの為に生きる」ことを説いているのであり、それは楽なことではないと思われます。ですが、宗教では明確に言ってはいませんが、たぶん、利他的に奉仕や感謝を行う生活、つまり「誰かの為に生きる」ことを実践していくならば、それ自体が幸せに感じられるようになるのだと説いているのだと思います。
「死」を意識することの意味
他人と比べて優劣を競うばかりで、自分らしさを失ってしまっているように見える韓国の学生たちに、金銭的な成功だけでなく、自分なりの夢をもって頑張ってほしい、人生を挑戦していってほしいと考え、教養科目として「死の文化」を開設させてもらったのです。
私は曹洞宗の僧侶でもありますが、曹洞宗の開祖である道元禅師の弟子との問答の中に次のような言葉があります。弟子が「成功する人としない人との決定的な差」について質問したところ、道元が「努力する人間には志がある。しない人間には志がない。その差だ」と答え、さらに「志のある人は、人間は必ず死ぬということを知っている。志のない人は、人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。その差だ」と答えたといいます。
私は学生たちに「死」を意識してもらいたいと、いくつか方法を考えて授業で提示しました。その一つとして、まず、時計メーカーのセイコーが出している「セイコー時間白書」を授業中に紹介しました。「セイコー時間白書2019」は日本の全国の10∼60代の男女1200名を対象に、2019年4月24~25日にインターネットで実施した調査結果(注)ですが、大切な人と過ごす生涯残り時間を導き出しましたものです。結果は、「大切な人と過ごせる生涯残り時間を算出 35歳の人が離れて暮らす母親と直接会って話をできる時間は、一生涯であと26日間しかない!?」などというものでした。
【表2】「大切な人と会って話せる残された時間(日数)」
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出処:セイコー時間白書2019 図10よりデータを抜粋して編集部作成
https://www.seiko.co.jp/csr/stda/archive/2019/detail.html
親・家族へのインタビュー
そして、この話をした後で、学生に両親・家族に対して「死んだらどうなると思いますか?」という死生観についてと、「死んだら葬儀(遺体の処理)はどのようにしてほしいですか?」とインタビューする宿題を出しました。宿題としては変わったものであり、学生たちも親にそのようなインタビューをするというのは抵抗があるだろうと思いましたので、「変な日本人の教授が出した宿題なんだよ」と言って、インタビューに答えてもらってくださいといいました。
学生のインタビュー結果の報告を二つほど紹介しようと思います。
普段家族の死について深く考えてみませんでしたが、いざ両親にインタビューをする過程でまず「死」を一緒に想像して悩んでいる様子を見ると、心が痛くなったり、「生きているうちに孝行をしなさい」という言葉も思い浮かびました。死生観についても両親に様々な話を聞けたので、人生を生きて感じてきた足跡を間接的に知ることができて良い経験だったと思います。母の「人はいつか死ぬ。だからその過程を美しくしたい」 という言葉を聞きながら、本当にいつか母や家族と別れる時間が来るということを改めて考えることとなり、瞬間涙が出そうになりました。母の前ですから涙は流しませんでしたが、今このように家族と幸せな時間を過ごして一生懸命生きていくことが、後日家族と別れの瞬間を一番美しくしてくれるのだろうと思われ、今の一瞬一瞬を大切にしながら一生懸命に生きていかなければならないという考えが浮かんだ課題でした。
学生たちがどういう反応をするだろうかと心配ではありましたが、やってよかったと思いました。このようなインタビューをさせた目的は「死」を意識してほしいというものでしたが、それ以外にもこれを契機に両親の結婚の話や学生が自身が生まれたときの話、両親が人生でやりたかったことや、これからでもやりたいことなどを発展的に聞いてくれればという思いもありました。人はいつ死ぬか分かりませんので、「後悔先に立たず」。聞けるときに聞いておいてもらいたかったのです。
「死」が意識できない現代
ところで、学生に出した宿題のインタビュー項目の一つに「死んだら葬儀(遺体の処理)はどのようにしてほしいですか?」というものがあります。韓国では伝統的には土葬を行ってきましたが、近年急速に火葬が拡大しています。葬式は三日葬が多く、そのあたりは日本と似ているのですが、大きく異なるのは病院の敷地内の一角に葬儀場があり、そこで葬儀が行われるというところです。遺体は病院の霊安室に置かれ、棺桶の中には三日目の出棺のときになって初めて納棺されるのです。ですから通夜のときには棺桶に遺体はなく、写真だけがあるのです。また、日本に比べて家で最後を迎えたいと思う人が少なく、病院で最後を迎える人が多いのも異なる点です。
そのような状況の原因を考えてみると、あまり家や故郷に愛着がない人が多いように思われます。私は韓国で36年間暮らしたのですが、そのあいだに17回も引っ越しをしました。私ほどではありませんが、韓国は不動産システムのせいで比較的引っ越しが多いのです。そうなると家や地域に愛着というのはなかなか生まれることはないでしょう。また現在、韓国では急速な近代化・都市化のため、一人暮らし世帯(単独世帯)の割合が非常に高く、2024年時点では全世帯の約42%を占めるまでに至りました。そうなると親が老衰などで死んでいく姿を見ることも難しくなるでしょう。

左:現代的な釜山海雲台の風景、右:伝統的な建物が立ち並ぶ北村韓屋村
画像素材:photoAC
加えて日本のように町の中にお寺があってお墓がみえるというような状況でもありません。伝統的には土葬でしたから田舎の山の中腹にお墓が作られましたし、都市のなかの納骨堂の姿をみることもほとんどありません。このような現状も、韓国の学生たちが「死」を意識することができない要因となっているのだろうと思います。このように、韓国では「死」が身近でなくなり、意識しづらい社会環境になっているのです。
3年ほど前に日本に戻ってきて、日本の大学でも授業で「死」の問題を扱いながら、韓国での授業と同じようにインタビューの宿題なども実施させてもらっています。日本は神道的な影響などもあり、死後の世界や見えない存在に対する畏敬の思いなどは韓国人より強いものがあるようです。ですが、日本の学生もやはり最近は宗教に対して束縛されるような不安などから避ける傾向があるようです。そのことが神道的なスピリチュアルな世界にだけ若者たちの目を向かわせているように思われたりもします。組織としての宗教はいろいろと問題が多いと思われますが、本来宗教が説いている「いかに生きるか」という人生観や死生観は自らの生きる姿勢を確立していくうえで大切な内容だと分かってもらえたらと思うところです。
人が人生観や死生観を大きく形成するのは身近な大切な人たちを亡くしたときなどが多いと思います。でもその時では遅すぎるかも知れません。夢を持ち、今の一時を大切に、実践し努力していくためにも「死」について考えてもらえたらと思います。
日本の大学では、さらには「納棺体験」なども授業で行いましたが、半分近い学生が積極的に納棺体験に参加してくれ、有意義な体験ができたと言ってくれました。若者が真剣に「死は必ず来る」ことを意識することで、今の一時がとても大切な時間であり、大切な時間を無駄にすることなく、夢や目標をもって、実践し努力して、一生懸命生きて行ってくれたらと思います。
