第7回 これからの100年を考える 後編 新たな日本の建設

第7回 これからの100年を考える 後編 新たな日本の建設

 これまで6回にわたって昭和100年について考察を続けてきた。その分析、成果を基に、最後となる今回は、これからの100年の日本に向けて汲むべき史訓や進むべき方向性、あるべき国家制度・システムなどについて纏めてみたい。

1 戦前・戦後のアウフヘーベン

 これからの100年を生き抜くには、戦前・戦後それぞれの時代において成功と繁栄をもたらした要因とそれが失敗、挫折の要因に転じた過程を学び取り、将来再び同じ轍を踏まないための教訓や知恵を汲み取らねばならない。
 その際、過去の軌跡を回顧し、ただ歴史の知識として記憶、蓄積するだけでは不十分だ。戦前・戦後それぞれの時代における成功と失敗、繁栄と挫折という相矛盾し対立した営為を止揚(アウフヘーベン)し、それを乗り越えることによって、来たるべき新たな時代を生き抜くための澪標を見出すことが出来るのである。
 止揚し、乗り越えるとは、過去の単純な肯定でもなければ逆に全否定でもなく、様々な矛盾や対立が併存輻輳する過去の営為から将来に向けた新たな認識や指標を見出すということである。
 いまを生きる我々にとって、戦前の安易な美化や戦前への回帰、戦前期日本の復権を目指そうとする発想は受け入れ難い。だが、民族の歩みとしての戦前の80年を全否定する姿勢も正しくはない。
 昭和戦前期における日本の行動を侵略行為とみなすのは既に戦後世界に定着した評価であり、その上に戦後の国際秩序やシステムが成り立っている。その枠組みを徒に覆そうとする試みは国際秩序を揺るがし、将来における日本と諸外国との安定的かつ良好な関係を妨げ、益するものではない。
 しかしながら、かつて日本や日本人が掲げた目標や抱いていた価値観について、当時の時代背景を踏まえて理解することも自らの歴史を知るうえで大切な態度である。なかでも西欧列強の圧力に耐え、短期間のうちに近代化を成し遂げ、世界の主要国に上り詰めていく過程で先人達が発揮した叡智や努力は誇るべきものがあり、今後を考える際の重要なヒントとなり得るはずだ。
 同様に、戦後の80年に対しても、全面肯定でも全否定でもない捉え方や理解の仕方が求められる。戦後、日本は奇跡と呼ばれる程の経済復興を果たし、さらに経済大国にまで成長した。世界に誇るべき歴史である。
 だがその反面、政治や軍事の問題については、敗戦に伴う連合国の圧力の下、応急処置的な措置が次第に固定化し、独立回復の後も国民の思考の停止や忌避によって抜本的な見直しが行われなかった。そのため戦争放棄・軍事否定の平和憲法の下、戦後日本は「反戦力・反軍事」の意識が国を覆い、国力国情が敗戦直後とはすっかり様変わりするようになっても、先に向け進むことが出来なくなってしまった。
 経済白書が「もはや戦後ではない」と書いてから既に70年が経過したが、現代の日本人の意識は未だに「戦後」直後の檻の中に閉じこもったままだ。いつまでも戦力や軍事の否定で思考停止を続けていては、健全正常な安全保障に対する意識や政策は生まれず、厳しさを増す現在の国際情勢への対応も難しくなる。
 次の時代を日本が生き抜いていくには、戦後の経済的繁栄を誇りをもって評価し、成功をもたらした要因を学びとると同時に、その負の側面にも目を向け、相反する過去を直視し、自問することで、「戦後」から脱却するための思惟を見出す必要がある。
 「新しい酒は新しい革袋へ」の格言があるように、新たな時代に必要とされる政策や叡智は、過去を踏まえつつも、同時に過去を乗り越え、克服したものでもなければならない。こうした止揚の視点を基に、以下、これからの100年に向けて我が国がめざすべき政策について眺めていく。

2 軍事力の適正化 正しく位置づけ、かつ統制する体制の整備 

 戦前の日本は、軍部や軍事力に引き摺られてしまった。逆に戦後は、戦争と戦力の放棄を謳う日本国憲法の存在により、軍事を政治や社会から遠ざけてきた。軍事力の存在を否定し、あるいは忌避回避することがあたかも平和主義であるかの錯覚に陥ってしまった。そのため、国家における軍事力の正しい位置づけが妨げられ、歪なものとなった。
 また自らの軍事力を国家の影響力行使の手段として活かすことが適切になし得ず、それが安全保障面での対米依存を強めた。その結果、国家の自主性を弱めることになり、国際的な影響力の発揮においても弊害が出ている。
 こうした反省を踏まえ、軍事と政治の乖離断絶をなくし、軍事力を国家の影響力行使の正当かつ重要な手段として正しく位置づけ、適切にその力を行使し得る体制を整備する必要がある。
 そのためには憲法の改正がどうしても必要となる。明治憲法の下、統帥権独立の思想が軍部の特権化と暴走を許した。また戦前の80年には一度も改憲がなされず、政治が軍事を統制する政治システムの確立が求められる国家総力戦の時代に対応することも出来なかった。
 一方、占領下に制定された現行憲法は日本の無力化が目的であり、戦争と戦力の放棄を定める9条の規定は軍事力の位置づけを歪なものとした。国家の保有する正当な力として軍事力を位置付けるためには憲法を改正し、国防や軍事力に関わる根拠規定を設ける必要がある。だが戦後の80年においても戦前と同様、一度の憲法改正も行われていない。
 ようやく最近になって、改憲の論議や改正手続きを巡る検討が本格化し始めているが、その際、憲法9条を改正し、現在の自衛隊の存在を憲法に明記すべしとの立場が有力である。しかし、占領政策と平和憲法の中から生まれ出た自衛隊は通常の軍隊とは異なる特殊な存在と規定され、武力行使に対する様々な制限や軍事司法制度の不在など各国の軍隊が有する機能や制度を欠くなど問題が多い。そのような自衛隊をただ合憲としただけでは、国家が本来保有すべき軍事力へと脱皮したことにはならない。
 「戦後」の日本を克服し、真に「戦後」を乗り越えるには、現在の自衛隊の存在をただ容認するためだけの改憲ではなく、戦後日本の国家システムに伴っていた軍事力に対する特異な自己拘束を断ち切り、各国の軍隊と同一の位置づけとなる国軍を創設し、改正憲法にその根拠規定を設ける必要がある。
 それと同時に、過去の反省に立ち、軍事に対する政治の統制を徹底させることも極めて重要である。国家の影響力行使の重要な手段である軍事力を国の法体系の中で適切に位置づけるということは、安易な軍事力の使用に途を開くための措置では決してない。国家は軍事力や経済力など保有するパワーリソースを総合的に把握し、慎重かつ巧みな手段選択によって目的を達成する必要があり、手段の一つである軍事力が突出したり、政治の指揮統率を逸脱することがあってはならない。
 それゆえに軍事力の適正化と同時に、政治が軍事をしっかりと統制できる枠組み作りが欠かせない。過度に軍事力に傾斜依存したり、軍事力の行使に抑制が効かなくなれば、戦前の二の舞となってしまう。そうならぬためには文民統制原則の重要性を再認識するとともに、軍事組織に対する指揮命令や統率の在り方、所謂統帥に関する規定も文民統制の原則に則り、憲法に明記すべきである。

3 外交力の強化 

 外交面では、これまで日本が避けてきた権力主義的な外交も必要に応じて行使できる国へと脱皮する必要がある。戦後の平和主義の下、平和協力や平和構築等「平和」と名の付く外交、例えば経済支援や人道援助などは積極的に取り組んできたが、他国が日々行っているような様々な手段を用いての情報収集や諜報活動、さらに力の均衡や回復をめざしての秘密外交など権力主義政治に依拠する外交活動は回避、忌避してきた。
 モラリズムの影響を受け、道徳主義的な外交を繰り広げるのが米国の外交政策の特徴であるが、正義や民主主義など普遍的な価値観を強調する一方で、ナチスドイツを倒し、第二次世界大戦に勝利するため、ローズベルト大統領は主義思想が相容れないソ連と手を結んだ。
 冷戦期においても、ニクソン大統領はソ連の台頭を抑えるため、やはり主義思想を異にする社会主義国家の中華人民共和国と電撃的な関係改善を実現させた。いわば「毒を以て毒を制する」ような外交も、自由主義世界を守り自国の国益を実現するためには時に必要となり、避けては通れないのが現実の国際政治の世界である。
 しかも、ロシアのウクライナ侵略や中国・北朝鮮の軍事的脅威の高まり、さらにトランプ政権の登場など国際関係の緊張度が高まりを見せ、また権力政治が復活しはじめている近年の世界情勢も考慮すれば、日本だけが権力主義政治に立つ外交活動を自己規制していては、国益の実現は難しくなる。「戦後」を克服するためには、健全な良識に立つリアリズム外交を展開できる国へと成長すべきである。  
 もっとも、権力主義の政治を忌避し続けてはならないが、それに溺れてもならない。目指すべきは「理想を持った現実主義」であり、民主主義の普及拡大や世界平和の実現などの理想実現のための手段として、必要な場合には権力主義外交も行える国に脱皮することが肝要である。
 そのためには、これまで忌避回避してきた激しい国際情報戦に加わり、かつそれに勝たねばならない。よって情報大国を目指し、ヒューミントやオシント、シギント等様々な情報を収集、解析し、政策決定に活かせる体制を強化すること、防諜体制を整えることと、さらにこれまで控えていた諜報活動にも乗り出すなど幅の広い情報大国を目指す必要がある。
 また同盟国との関係を強化する重要な手段として、あるいは国際社会の平和を維持する必要がある場合には、武器の輸出や共同開発、技術協力も躊躇すべきではない。
 さらに、外交交渉に長けた人材の育成も急務だ。各国の外交官と互角以上に渡り合い、重要な交渉案件を日本の有利に進めることが出来る外交官は、現行の国家公務員採用試験に合格しただけの一般的な官僚では務まらない。
 複数の語学を使い分け、また交渉相手国など世界各国の文化や国民性にも精通するとともに、交渉の舞台では譲歩と威圧を巧みに使い分け、目的を達成するまではしぶとく、粘り強く交渉相手との駆け引きを続けることのできるタフネゴシエーターを養成する必要がある。

4 安全保障・同盟政策

 上述した軍事・外交の体制整備を図るとともに、安全保障・同盟政策においては、三層からなる多層的な抑止力の形成に取り組むべきである。コアとなる第一の層には「強い自衛・抑止力」の整備が求められる。自らの国は自らの手で守るという気概が国防や安全保障の根幹である。
 自衛力は「必要最小限度の軍事力」と定義されてきたが、座して死を待つことは出来ない。敵の攻撃をなるべく遠方で排除し、国土が灰燼に帰す事態を防ぐために必要な反撃能力(敵基地攻撃能力)は、当然自衛力に含まれる。
 現在、反撃能力の対象として長射程のミサイル整備が取り上げられているが、それに限定されるものではなく、航続距離の長い作戦用航空機や行動領域の大きい艦艇などの整備も必要だ。多様な反撃能力の保持が敵の先制攻撃を抑止する力になるのだ。それは戦争をするための準備ではなく、あくまでも戦争を防ぐ抑止力を高めるための措置である。
 ただ、強大な中露朝の軍事脅威に近接する日本が「自主国防」の道を選ぶことには無理がある。「自律」の気概は大切だが、国防の「自立」が困難な以上、価値観を共有する米国との同盟は我が国の安全保障にとって必要不可欠である。日米安全保障条約に基づく日米同盟の枠組みが国防の第二層を形成する。
 日米の同盟関係は、従来、日本が米国に守ってもらうという色合いが強かった。日本の自衛隊が盾、米軍が槍の構図だ。しかし、これまで他国に対し圧倒的な力を誇っていた米国の軍事力も、近年では急速に軍備増強を進める中国の追い上げに遭い、その優位は相対的に低下しつつある。
 そのため今後は日本の果たす役割を拡充させるなど「自立」は無理でも「自律」化を進めることで、対米依存から共同運用の同盟へと発展させていかねばならない。つまり「守られる同盟」から「ともに抑止する同盟」へと脱皮する必要がある。
 日米同盟に続く第三の層は、日米豪印戦略連携(クアッド)を形成するインドや豪州、また英国をはじめ北大西洋条約機構(NATO)に加盟する欧州諸国などとの多国間連携の枠組みである。パクスアメリカーナの時代が去り、21世紀半ば以降の世界は米一国の覇権秩序から、米国と中国やロシアなどが互いに激しく覇を競い合う大国鼎立の時代へと変わっていくであろう。
 その様な多極流動化が進む国際環境を生き抜くには、日米同盟だけを頼りとせず、日米同盟を補完するスキームとして、自由や民主主義、開かれた海洋秩序の重視等価値観や利害が合致する諸国との緊密な連携体制を整えておかねばならない。
 海外に多くの資源を依存する日本にとって、シーレーンの維持確保はまさに国家の生命線である。それゆえ多国間連携の中でも、特に英国や豪州、台湾、さらにフィリピンやシンガポールなど海洋国家との安全保障協力を強化する必要がある。
 ポスト米国覇権の時代における安全保障・同盟政策においては、防衛の自律化、日米同盟の緊密化、それに多国間連携と三層からなる多層型の抑止システムの整備が求められる。

5 明確な国家目標(ナショナルゴール)の設定

 外交にせよ軍事にせよ、それらはあくまでも目的や目標を達成するための手段であり、何のために、またどのようにしてそのような手段を強化し行使すべきなのか、それを明らかにするためには、まず国家の目指す方向をはっきりと指し示す必要がある。戦前期においては当初は富国強兵や殖産興業、不平等条約改正などの確たる国家目標が存在した。
 しかし大正から昭和にかけて、列強の一角を占めるようになってからは、大国としての意識を強めつつも、日英同盟を破棄し基軸同盟を失うなど日本が進むべき方向性は曖昧になった。さらに昭和に入っての経済的苦境を切り抜けるため、大陸への安易な軍事進出に傾斜し、徒に諸外国との対立を強めていった。そして事態改善の糸口を掴めぬまま、その時々の状況に押し流され、遂には勝機も見出せぬまま米英との無謀な戦争に突入し、国が滅んだのである。
 戦後は、復興から高度経済成長、そして経済大国という経済を軸にした国家目標が存在したが、経済大国となって以後、それに代わる目標は明瞭に示されなくなった。さらにバブル崩壊後はその処理に追われ、しかもこれまで経験したことのなかった少子高齢化の急速な進展に翻弄されるまま失われた30年、さらに40年が経過し、冷戦後の日本は未だに漂流を続けている。
 国が発展するためには国家の目指す方向、つまり国家目標や目的目標を国が掲げ、国民の理解と支持を得る必要がある。目標が示されなければ国家・国民はその日暮らしのように漂うだけで国家国民の一体感や凝集力は失われ、分裂や対立さえも招きかねない。
 ではこれからの100年を念頭に、新たな国家目標を設定する際、ポイントとなるのはどのような点か。
 まず戦後日本が掲げてきた自由と民主主義、それに国際平和の実現という崇高な理念や理想はいまや日本の国家アイデンティティとして定着しており、今後もそれを掲げ続けねばならない。
 明治維新から太平洋戦争敗戦までの近代前期は、軍事力という力の獲得を最優先した時代であった。逆に敗戦から現在までの近代後期は「力の政治(パワーポリティクス)」から距離を置き、相互利益を生み出す経済中心の国家運営に徹してきた。これからの100年にあっては、力への過度な依存でもなく、逆に力からの逃避でもなく、力も取り込んだうえで、戦後の日本が掲げてきた民主・人権・平和の目的達成を目指す国造りを為すべきである。力に対する正→反→合のアウフヘーベンである。
 次に社会経済活動や国民生活に関わる目標であるが、少子高齢化や人口減少など厳しい国内情勢を考慮すれば、規模の縮小を図らざるを得ない。だが、ただ減らし削減するだけではなく、「縮小化」を進めるスケールダウンと同時に、日本社会の効率化と国民生活の質の向上を目指す内容とすべきである。
 人も予算も拡大し続ける「大きな政府」を抱える余裕は今の日本にはなく、選択肢にはなり得ない。それゆえ徹底したスクラップアンドビルドと既得権益にメスを入れる思い切った行財政措置が求められる。
 その一方、「効率化」では、他の先進国に比べて低い労働生産性を大幅に向上させること、ロボットや無人機を経済活動や日常生活の多くの分野で最大限活用すること、そして先端技術の力を高め、付加価値の高い製品を作り出せる社会経済体制を構築することが求められる。そしてそれを可能とするため、国は研究開発への投資を惜しんではならない。
 国民生活の質の向上を図るためには、一見効率的に見えるが多くのシステムロスを生み出す一極集中を是正すること、そして地方の拠点都市を整備し、また広域連合の活用を図ること、それとともに地域の集住化施策を進める必要もある。
 重要な点は、「質」の追求が経済的な満足度だけでなく、精神的な充実感の獲得を伴うものでなければならないということだ。近代前期には領土の獲得が豊かさの指標とされた。近代後期は経済的な富の拡大を以て豊かな社会と捉えられた。
 それに対し、これからの100年で最も大切なことは、高い経済的レベルを維持しつつも、一人一人の個性や多様性が尊重されるなど国民が充実した日常生活を営むことの出来る社会を築くことであり、精神的な豊かさの拡大を目指すべきである。領土から富、それに精神と、豊かさにおける正→反→合のアウフヘーベンである。

6 目標を修正できる自己改革力

 国家として明確な目標を掲げるためには、様々な意見や利害を一つの方向へと纏め上げ収斂させるための政治的な指導力が必要であり、また設定された目標を達成、実現するための執行力も問われるが、それと同じ程に重要なものは、一度設定された目標を時代の変化に応じて自ら見直し改める力である。 近代の二つのサイクルから得た教訓が示すように、成功モデルはやがて“足かせ”になり、衰退の要因と化す。「成功体験」は時代や環境が変わると逆機能になるのだ。既得権益の肥大化や国家運営に惰性が強く作用し、時代や環境の変化に対応し難くなることを歴史は教えている。
 生成発展から衰退へという歴史のプロセスを完全に克服することは不可能にしても、極力そのような弊害を排除するためには、政策を常にチェックし、必要に応じ柔軟にそれを修正する必要がある。目標の設定・達成だけではなく、システムの硬直化や既得権層の抵抗を排し、柔軟に目標を変更出来る政治行政システムを実現するため、何よりもまず求められるのが政治家の強いリーダーシップである。
 環境の変化に対応し、それまで掲げてきた目標を自らの手で修正し、政策の変更やシステムの改革を行わねばならぬ時、最も必要なのは組織全体の均質性や平均値の高さなどではなく、創造性に富んだ政治指導者によるリーダーシップの発揮だ。アービング・バビットが述べたように、民主主義はそのリーダーシップの質で持ち堪えもするし、倒れもするのである。
 日本の場合、組織に乗っかっただけの、聖人君子あるいは象徴型の人物が理想的な指導者と見做される傾向が強い。またともすれば対立よりも調和を優先しやすい政治特性の故に、政治家にも利害の調整役としての能力が期待されがちである。しかし、単なるシンボル的な存在やコーディネーターとしての資質だけでは、既存路線の修正が求められる変革期の政治家としては十分とは言えない。
 ウォルフレンは、その著書『日本/権力構造の謎』の中で「日本では何世紀にもわたり、権力を分け合う半自治的な幾つかのグループのバランスを図ることによって国政が行われて(おり)、・・・それらすべてを統率して牛耳るいかなる中央機関も存在しない」とし、いわば先端の無いピラミッドの如く中心を欠いているのが日本の政策決定システムの最大の弱点だと指摘しているが、権力の中空構造の下では、強力なリーダーシップは生まれてこない。こうした特異な権力構造の存在ゆえに、戦前も戦後も一度敷かれた路線の自己修正を困難にしたのである。
 セクト主義が横行し、群化しがちな小集団をインテグレートするとともに、改革に反対し既得権益の維持に固執する抵抗勢力を抑え、システム全体を新たな方向に向けさせるだけの強力なリーダーシップを発揮できる政治指導者を輩出するためには、日本の政治環境そのものを根本から改革する覚悟や努力が求められよう。
 成功要因への埋没と過度の依存を防ぐには、創造的破壊を為し得る政治指導者に加え、行政機構に柔軟性が備わっていなければならない。そのためには①情報の迅速な伝達とその集中管理、それに権限の委譲を図ることによって、組織の肥大化や官僚主義的体質の蔓延防止に取り組むこと②活発な人的交流によりセクショナリズムの是正に努めること、さらにオルソンが指摘したように③組織自身が互助会化あるいは共同体化するなど“組織のための組織”化が進まぬよう点検を怠らぬことも大切だ。

7 問われる政治力 

 軍事力を適切に位置付け、その機能発揮を最大化させると同時に、軍事に対するしっかりとした統制力を保持すること、国際性におけるバーゲニングパワーを高めるため、交渉力や情報力を強める等外交の能力を高めること、また安全保障政策では多層的な抑止体制の構築、そして明確な国家目標を掲げそれを実現すること、さらに時代や環境の変化に応じてその目標や国家の既存システムを柔軟に変更できることなど、新たな時代に求められるこのような様々な課題を達成するためには、政治の力が問われる。
 近代前期の80年は軍事、近代後期の80年は経済が大きな役割を発揮した。それに対しこれからの80〜100年において我が国で最も問われるべきは、政治の質や力である。軍事大国から経済大国の時代を経て、これからは政治大国へと歩を進めていかねばならない。
 戦後、経済大国になった日本を評価しながらも、経済にのみ特化した現状を前に、成功体験は仇になりかねないと危惧したピーター・ドラッカーは「世界中が経済第一主義に向かい出したが、日本だけは政治が初めて重要になる」と日本に警鐘を発していた。
 しかし、それから早や数十年の歳月が経過、いまや経済の衰退や安全保障の揺らぎ、さらに様々な社会問題が深刻化しているにも拘らず、現状に目をやれば、残念ながら未だに日本は政治的な力の涵養があまりにも不十分と言わざるを得ない。上述した様々な課題に取り組み、その未曾有の課題を達成するためにも、これからの日本において最も急がれるのは政治力の強化であり、それを成し遂げ得る政治家の育成である。

8 政治大国への途 王道の政治をめざして

 これまでの考察から、これからの100年に向けて我が国がとるべき政策の要諦を示せば次のように纏められよう。

(1)自らの国防体制を整えるとともに、今後も自由や民主主義および平和国家としての理念を内外に高く掲げ、その実現に向け国際貢献に積極的に取り組むこと

(2)経済的発展を軸としつつ国際国家たるに相応しい政治力の強化に努め、「力の政治」に対しても正面から向き合える国となること

さらに

(3)徒に規模を追い求めず、人間一人一人の個性や多様性を尊重する開放的な社会を築き、精神的な豊かさを国民が享受できる国となること

 これらを一言で言い表すならば、“覇道を否定し、王道をめざす”国作りということができる。古来、“王道政治”論を最も強く展開した人物に孟子がいる。
 「恒産無ければ、因りて恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無し。罪に陥るに及びて、然る後従いて之を刑するは、是れ民を罔するなり。・・・是の故に明君の民の産を制するや、必ず仰いでは以て父母に事うるに足り、俯しては以て妻子を畜うに足り、楽歳には身を終うるまで飽り、凶年にも死亡を免れしめ、然る後駆りて善に之かしむ。故に民の之に従うや易し。」(梁恵王上)
 孟子は、まず政治を行う大前提として経済的安定確保の必要性を論じている。そのうえで、天下をとるには覇道と王道の二つの方法があるとし、 両者の違いを次のように説く。
 「力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有つ。徳を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず。湯は七十里を以てし、文王は百里を以てせり。力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力贍らざればなり。徳を以て人を服せしむる者は、中心より悦びて誠に服せしむるなり・・・」(公孫丑上)
 孟子は「力を以て仁を仮る」やり方、すなわち大国の力による支配(覇道)を強く否定し、徳を備えた仁政(王道)にこそ真の政治のあり方を見出すとともに、元来覇道が大国(領土大国)のみが採りえる政策であるのに対し、王道政治の実現は必ずしも大国である必要はなく、軍事力の劣弱な小国でも実現できる政治理念だと主張したのである。
 軍事的暴力を中心に、支配と抑圧が横行したこれまでの人類史がまさに覇権(道)の時代だったとすれば、日本が将来に向け目指すべきは、孟子が説いたような経済的安定をベースとした「徳による王道の政治」が行きわたる国である。平和と民主主義的世界の創設に尽力、 しかも個々人の経済的なゆとりや内面的豊かさを保障し、他国が見習い、また尊敬を集めるような国となる努力、つまり国家としての徳を日本は身につけねばならないのである。

西川 佳秀 平和政策研究所上席研究員
著者プロフィール
1978年大阪大学法学部卒。防衛庁入庁、防衛研究所研究室長、東洋大学教授等を経て、現在、東洋大学現代社会総合研究所研究員、(一社)平和政策研究所上席研究員。法学博士(大阪大学)、国際関係論修士(英国リーズ大学)。専攻は、国際政治学、戦略論、安全保障政策。主な著書に『ポスト冷戦の国際政治と日本の国家戦略』『ヘゲモニーの国際関係史』『日本の外交政策―現状と課題、展望』『特攻と日本人の戦争』『日本の安全保障政策』他多数。

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