大国による戦争の時代

大国による戦争の時代

1 大国による戦争の時代へ

 いま、国際秩序が大きく動揺している。20世紀末、冷戦が終焉を迎えた当時、ポスト冷戦の世界は民主主義が遍く世界を覆い、人類の進歩と発展の歴史的営みは愈々そのゴールに近づきつつあり、これからの世界は退屈なまでに平和の時代が続くことになろうと論ずる識者まで現れた。
 しかし、その予測は見事なまでに外れた。冷戦後、唯一の超大国となった米国は21世紀に入り対テロ戦争の深みに嵌り、国力を消耗する。一方、ソ連の崩壊後、その後継国となったロシアでは経済の衰退と社会の混乱が続いたが、プーチン大統領の登場によって次第に国力の回復が見られた。世界各国がイデオロギーの対立から経済の発展へと軸足を移すなか、天然ガスや石油など豊富なエネルギー資源を輸出することでプーチンはロシアの経済状況を改善させ、やがて旧ソ連時代を目標に集権的な国家体制を築き上げていった。
 また冷戦期の終盤、改革開放政策に取り組んでいた中国は今世紀に入り経済大国へと成長を遂げ、身に着けた経済力を梃子に軍事大国への途を驀進する。そしてパワーダウンを来した米国にとって代わり、新たな覇権国家になる野望を露骨に示すようになる。
 かくて21世紀の世界は、米露中の三大国が鼎立する時代を迎えた。冷戦時代とは異なり、この三国が軍事的に厳しく対峙し、日々核戦争の勃発が懸念されるといったような張り詰めた緊張感はそれほど高くはない。だが覇権を維持しようと苦しむ米国、かってのソ連時代の栄光と勢力圏の回復を悲願とするロシア、そして米露の二国と肩を並べ、さらに両国を凌ぎパクスシニカの実現を目指す中国は、お互いに融和と競争、協力と対立の関係を併存複合させながら、激しい権力闘争を繰り広げている。
 そうしたなか、2020年代に入り、まずロシアが公然とウクライナを侵略、ついで米国もベネズエラ、さらにはイランに対し大規模な軍事力を行使するようになった。ここに世界は“大国による戦争の時代”に突入したのである。

2 大国の戦争と国際秩序の動揺

ロシアによるウクライナ侵略

 2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領はウクライナへの「特別軍事作戦」を開始すると述べ、隣国ウクライナへの全面侵攻に踏み切った。ロシアよりも西欧諸国との関係強化を目指すウクライナは北大西洋条約機構(NATO)への加盟を望んでいる。だが冷戦後、東方拡大を続けるNATOの動きをプーチン大統領は強く警戒しており、さらにウクライナが NATO に加盟し、西欧の軍事同盟がロシア国境まで迫ってくることは到底容認しがたいと考えていた(図表1参照)。

 またロシアはウクライナ東部のドンバス地方でロシア系住民が迫害されていると主張し、ロシア系住民をウクライナ政府から守る必要があると訴えている。さらにプーチン大統領は、ウクライナの「ナチ化」を防ぐという理由も挙げている。ウクライナ国内に極右勢力が台頭し、第二次世界大戦中のナチス・ドイツのような思想が広がっており、ネオナチの勢力を排除する必要があるという主張だ。
 かように様々な理由をプーチン大統領は挙げているが、いずれも他国を侵略したロシアの行為に正統性を付与するものではない。ロシアによるウクライナ攻撃は、旧ソ連当時、あるいは帝政ロシアの時代と同じような勢力圏の回復、確保が目的であり、ロシアの勢力圏を冒すようなNATO諸国の行動は認められず、ロシアの勢力圏からウクライナが離脱することも認めないという考え方が侵略の根底にある。しかし国際法上、武力による威嚇や武力の行使が許されるのは基本的に自衛の場合だけであり、ロシアの行為がそれに該当しないことは明らかだ。
 ロシアによるウクライナ侵略は、第二次世界大戦後の国際社会が築き上げてきた「主権の尊重」や「領土の一体性」といった国際秩序の根本的な原則を揺るがすなど多大な動揺と混乱を世界にもたらした。そもそもロシアは、国連の安全保障理事会の常任理事国である。そのロシアが武力の威嚇や行使を禁じた国連憲章に公然と違反する行動に出たのだ。ロシアは安保理で拒否権を持っているためロシアの侵略行為を認定することができず、平和を維持するための安保理決議も採択できなくなるなど、ロシアの暴挙で国際法の信頼性は失墜し、国連の権威も地に落ちた。
 また日欧米がロシアの侵略を非難し厳格な経済制裁を発動したのに対し、中国、イラン、北朝鮮などは対露支援や支持を強め、陣営間の対立が激化したほか、アジアやアフリカ、中東などの新興国・途上国(グローバル・サウス)の多くは、欧米主導の対露制裁に加わらず中立的な立場をとり、国際社会の足並みの乱れも浮き彫りになった。
 さらにロシアの脅威に直面した欧州諸国が警戒を強め、中立国だったフィンランドやスウェーデンがNATOに加盟した。日本を含む多くの国々が、対露抑止力を強化するために防衛予算を大幅に増額する動きも顕著となった。
 戦争の中で露軍はエネルギー・電力インフラや病院などへの攻撃を繰り返しており、ウクライナ市民(非戦闘員)や捕虜の虐殺、不当な処刑、住民の財産略奪や婦女子に対する性的暴力、さらに占領地に住む多数のウクライナの子供をロシア国内に連れ去りロシア化教育や養子縁組を行うなど国際人道法に違反する行為も数多い。ウクライナ検察当局や国際的な調査機関の調べでは、ロシアによる戦争犯罪の疑いがある事案は数万件以上に上るという。

米軍のベネズエラ侵攻 

 ロシアウクライナ戦争が始まって既に4年以上が経過したが、未だに恒久的な停戦の実現や紛争終結のめどは立っていない。そうした厳しい状況の折り、大国主導による新たな武力行使の事態が持ち上がった。米国によるベネズエラ攻撃とイラン戦争である。
 2026年1月2日夜から3日未明にかけて、米国のトランプ政権はステルス機や無人機など150機以上を投入し、精密爆撃によってベネズエラ軍の防空システム、通信施設、基地などを破壊。次いで特殊作戦部隊がヘリコプターで首都カラカス近郊のマドゥロ大統領の邸宅を急襲し、わずか数分の作戦で大統領と妻を拘束。マドゥロ氏は直ちに米軍の航空機でニューヨークへ移送され、連邦拘置所に収容された。このベネズエラに対する大規模な電撃的軍事侵攻で、ベネズエラ側の兵士47人や民間人、支援を行っていたキューバ兵32人など多数の死傷者が出た(図表2参照)。

 ベネズエラを攻撃しマドゥロ大統領の拘束に踏み切った理由として、米国は麻薬密輸(麻薬テロ)の阻止やテロに対する自衛行為、さらに民主主義の回復を挙げている。米国はかねてよりマドゥロ氏を麻薬密輸容疑で起訴し、巨額の懸賞金をかけて逮捕状を出しており、この軍事侵攻は米国へのコカイン流入を阻止するための「法の強制執行」であると主張している。またベネズエラ政府および関連組織をテロ組織とみなし、対米テロの脅威に対する自衛措置としている。さらに不正選挙疑惑(2024年の大統領選など)が指摘され、正当性が認めがたい独裁政権を打倒するためとしている。
 確かに明白な侵略行為であるロシアのウクライナ攻撃とは事情が異なり、トランプ大統領も自国の領土拡大のためではなく、ベネズエラの民主化や、米国への麻薬流入を止める必要があったことを強調する。しかし、国外で法執行を巡る武力行使は異例で、武力の行使を禁じた国連憲章に抵触する恐れがある。また大統領を軍事行動で連行し裁判にかけることは、ベネズエラの主権に対する侵害にあたる。さらにマドゥロ氏とその妻の拘束は、国際人権規約B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)に違反するとの指摘もある。
 しかもトランプ政権によるベネズエラ攻撃には、トランプ氏の説明とは別に真の狙いが込められていた。その一つは中露の影響力排除だ。反米左派のマドゥロ政権は中国やロシア、イランとの関係を深めており、中南米を含む西半球を自国の勢力圏とみなす米国は、これら諸国の影響力排除に動いたと考えられる。
 いまひとつは石油利権の獲得だ。ベネズエラは世界最大の原油埋蔵量を誇っている。マドゥロ政権が中国などに与えていた石油権益を米国主導で管理・運営し、その輸出を阻むとともに、親米政権を樹立することで、ベネズエラの石油利権を米国が握ることに狙いがあったとみられている。
 いずれにせよ、今回の軍事行動は、1989年の米軍によるパナマ侵攻以来、約36年ぶりとなる大規模な中南米への武力介入であり、国際社会に大きな衝撃を与えた。

イラン戦争

 さらにトランプ政権はイスラエルと協同して、イランを攻撃している。2025年6月13日未明、イランはイスラエルに対して先制攻撃を開始、同22日にはイスラエルの要請に基づき米軍がイランの核関連施設3カ所を空爆した。これに対しイランがカタールの 米軍基地に反撃したため、一時は中東全域を巻きこむ大戦争になるかと懸念された。
 しかし報復に際しイランが、外交ルートを通じて攻撃実施を事前に通報するなど事態がエスカレートすることを避けるべく慎重に対処したこともあり、その後、イランとイスラエルはトランプ政権が提示した停戦案に合意し、同月25日に停戦が発効した(12日間戦争)。
 だが翌年再び、米国はイスラエルと共にイランに対する大規模攻撃に出た。 2025年12月から2026年1月にかけて、経済悪化に伴う大規模な反体制デモがイラン全土で発生した。治安当局による過酷な鎮圧で3,000人以上の死傷者が出たとされ、国内が極めて不安定化する事態となった。
 トランプ大統領はデモ隊への支持を表明するとともに、中東周辺に空母2隻など大規模な大艦隊を集結させ圧力を加えたなかで、イランとの核開発をめぐる高官協議を行った。しかし2月26日の最終協議でも双方の溝は埋まらず決裂に終わったことから、合意決裂を「差し迫った脅威」とした米国とイスラエルは、前年と同様、国連安保理の承認を経ずに2月28日、イラン各地の都市や軍事施設への爆撃を開始、 米軍は「エピック・フューリー(壮絶な怒り)作戦」、イスラエル軍は「ライオンズ・ロアー(獅子の雄たけび)作戦」と命名した。米国とイスラエルはこの戦争でイランの体制転換を狙い、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師を殺害した。
 イラン攻撃の目的についてトランプ大統領は、イランは「世界で一番のテロ支援国家」であり、また「核開発の野心を放棄する」ことを拒み、さらに長距離弾道ミサイルの開発も続けており、「イラン政権からの差し迫った脅威を排除し、米国民を守る」必要があったと主張した。米政府高官も、米軍がイランから攻撃を受ける兆候があったとして、「先制的な防御行動で米軍の被害を回避できると判断した」と記者団に説明した(図表3参照)。

 ここで言う「差し迫った脅威」とは、イランが核兵器を保有してしまうことである。米国と共にイランを攻撃したイスラエルのネタニヤフ首相はFOXニュースで「イランは新たな拠点や施設、そして、地下壕の建設に着手した。もし、いまこの瞬間に行動を起こさなければ、彼らの弾道ミサイル計画と核爆弾開発は数か月以内に手が出せなくなり、将来、いかなる行動を取ることも不可能になっていたはずだ」と述べ、イランへの攻撃の正当性を主張している。
 この問題に関し、米主要紙のニューヨーク・タイムズは26年2月28日付の社説で、革命以来47年間にわたりイランが自国民や周辺国に苦難をもたらし、反体制派の弾圧や女性、LGBTQの人々、宗教的少数派への抑圧を続けてきたと指摘。また核兵器取得を目指す姿勢は重大な脅威であり、それを阻止しようと努めてきた歴代米政権の対応を正しいものと評価し、核開発阻止のための軍事行動が正当化され得る可能性を完全には否定しなかった。だが「責任ある大統領」であれば、①目標を明確に説明すること②なぜ今攻撃するのかを示すこと、それに③議会の承認を求め同盟国と連携することが不可欠だとし、トランプ大統領の対応はそのいずれをも果たしていないと批判した。
 同紙も指摘するように、イラン攻撃の必要性についてトランプ政権は「差し迫った脅威」が実際に存在したという明確な根拠を示せておらず、他方、イランが直ちに核兵器を保有する状況にはないとの分析や評価も専門機関などから示されており、トランプ政権の行った軍事行動の正当性には疑念が伴う。そのうえ攻撃開始の直後にイランの最高指導者ハメネイ師や政権幹部多数を殺害しており、核兵器や長距離ミサイルの脅威を排除するだけに留まらず、イランの現政権そのものを崩壊に追い込むことが攻撃の大きな目的であったと考えられ、そうであれば、自衛の範囲を遙かに超えた違法な軍事作戦と言わざるを得ない。
 一方、攻撃を受けたイランは即座に猛烈な報復へと踏み切り、イスラエル本土や中東地域の米軍基地へのミサイル攻撃を実施した。これにより、隣国レバノンなど周辺国でも大規模な軍事衝突が発生し、数万人以上の国内避難民を生む人道危機へ発展した。さらにイランが原油輸送の要衝であるホルムズ海峡を事実上封鎖したため、世界的なエネルギー危機と原油価格の高騰が引き起こされた。

3 戦争の長期化と苦戦する大国

 世界の平和と国際秩序の維持安定に大きな責任を負うべき立場の大国が相次ぎ正当性に疑義のある武力攻撃に踏み切ったことは、世界に大きな衝撃を与えたばかりか、戦後築かれてきた国際秩序を揺るがす事態となった。
 ベネズエラ侵攻作戦は短期間で終了したが、ロシアウクライナ戦争は既に開戦から4年以上が経過、2年続けて行われたイラン戦争も、未だに停戦実現に漕ぎ着けていない。そしていずれの戦争も、ウクライナよりもロシア、イランよりも米国と、戦争を始めた大国が苦戦の様相を深めている。
 大国が仕掛けた戦争でありながら、戦争は長期化の様相を強め、しかも大国が苦戦する状況がさらなる混乱と動揺、危機感や先を見通せない不安感を世界に与えている。
 ではなぜ、大国、それも軍事大国である米露が、より力の弱い国との戦いにてこずっているのだろうか。まずロシアウクライナ戦争のこれまでの経緯を眺め、ロシアが苦戦することになった背景を見てみたい。

ロシアウクライナ戦争の経緯とロシアの苦戦

 ウクライナへの全面侵攻に踏み切った露軍は、首都キーウ(キエフ)を短期間で制圧し、ウクライナの政権転覆を狙っていたと思われる。しかし、ウクライナ軍の対応は早く、しかも予想以上に激しい抵抗を見せた。その反対に露軍の補給は混乱に陥り、また指揮系統にも乱れが目立った。さらにウクライナが西欧諸国からの迅速な軍事支援を得たことで、ロシアのキーウ攻略は失敗に終わる。2022年春には露軍は北部から撤退し、戦線を東部・南部へ移し、東部のドンバス地域で支配地域を拡大させ、南部の港湾都市マリウポリを占領する。
 22年秋になるとウクライナ軍が大規模な反攻を実施し、ハルキウやヘルソン方面で露軍を後退させた。この頃になると、露軍は開戦前に西側が想定していたよりもかなり弱いのではないかとの評価が広がることになった。
 2023年に入ると戦いは消耗戦の様相を強める。欧米からの戦車やミサイルの供与を受けてウクライナは本格的な反攻作戦に出たが、露軍が構築した大規模な地雷原や防御線を突破することができず、大きな領土奪還には至らなかった。一方の露軍も決定的勝利を得られず、戦線は膠着状態に陥る。
 2024年には露軍が東部で攻勢を強化した。大量の兵員と砲弾を投入し、アウディーイウカやポクロウシク方面などで少しずつ前進した。しかしその代償として非常に大きな人的・物的損失を被った。ロシアはある程度占領地域を広げたものの、戦局を左右するような戦略的な勝利には程遠い状況であった。
 その後、現在に至るまで戦局は一進一退の状況が続いている(図表4参照)。地上戦闘が膠着する中、ウクライナは露軍幹部の暗殺やゲリラ攻撃、さらにドローンなどの無人機を積極的に活用し、モスクワ周辺などの都市部やロシアの製油所などインフラ施設への攻撃を繰り返すようになった。戦術面での停滞を打破すべく、こうしたいわば戦略的な攻撃を加えることによってロシアの生産力に打撃を与えるとともに、ロシア市民に恐怖を与え厭戦ムードを高めようとしている。

 一方のロシアは、戦争の長期化で武器などの生産、調達に支障が出ており、兵員の不足も深刻化している。西側から受けている経済制裁の効果もじわじわと効いており、苦しい戦況を打開するような決定的戦果を挙げることが難しくなっている。開戦当初は軍需の増大でロシア経済は活況を呈したが、その後、戦争の長期化で生活関連物資の慢性的な不足や物価の高騰、さらにウクライナからの攻撃で一般市民の不安や緊張が高まり、その結果、プーチン大統領に対する支持率が低下する事態となっている。
 ウクライナのゼレンスキー政権を倒し、親露的な傀儡政権を樹立するという当初の目論見はもはや達成不可能となったが、今直ちに停戦に応じることは、特別軍事作戦で掲げた目的を断念することになり、プーチン大統領としては取り得ない選択肢だ。
 そこで、ウクライナ東部のドンバス地域で極力占領地域を拡大させ、ロシアの影響圏に取り込むとともに、ウクライナのNATO加盟や同国へのNATO軍の長期駐留を阻むなどロシアに有利な形で講和に持ち込みたいのがプーチン大統領の本音と思われる。しかし現在の戦局では、その実現も容易ではない。

イラン戦争の経緯と米国の苦境

 2026年2月末、前年に続きイラン攻撃に踏み切った米国とイスラエルは、イランの最高指導者ハメネイ師を殺害したほか、イランの政治運営に大きな力を持つ政権中枢の幹部多数が死亡し、革命防衛隊上層部も大打撃を受けた。また核関連施設や防空網、ミサイル基地なども破壊し、 トランプ政権内部では「数週間以内にイランの現体制は崩壊するであろう」との楽観的な見通しも出始めた。
 しかし、予想に反し事態対処に向けたイラン側の動きは早く、3月1日には「暫定指導評議会」を立ち上げ、ハメネイ師の後継者としてハメネイ師の次男モジタバ師を選出した。また米軍は「頭を切れば身体は動かなくなる」と考えていたが、実際には地方の革命防衛隊は機能を維持しており、それぞれが独立して戦闘を継続した。それにより短期決戦のシナリオが崩れた。
 3月上〜中旬にかけて、イランは残存ミサイル戦力を使い、イスラエル本土や中東各国に点在する米軍基地や湾岸の石油関連施設などへの攻撃を開始した。 開戦前、米軍は「初撃でミサイル基地の大部分を破壊可能」と見積っていたが、地下のミサイル網が想定以上に生き残っており、次々と新しい発射地点が発見され、米軍を驚かせた。
 3月中旬、戦争は大きな転換点を迎えた。イランは正面での米国との決戦よりも、ホルムズ海峡の封鎖や商船の通航妨害へ重点を移したのだ。 そのため米軍は「イラン軍の撃破」だけではなく、「世界経済の維持」という新たな任務を背負うことになった。この頃から原油価格の急騰や航空燃料の不足、さらに海上輸送の混乱といった緊急事態が相次いで発生する。武力戦に加え経済戦争の側面も加わり、戦争の性格は一変する。
 さらに3月下旬になると、イランはハマスやヒズボラ、フーシ派、イラクの人民動員隊(PMF)など「抵抗の枢軸」との連携を強め、ガザやレバノン、イラク、シリア、紅海など中東各地で親イラン勢力が活動を活発化させた。 そのため米軍はイラン本土への攻撃に集中できず、空母打撃群などを広範囲に分散配置せざるを得なくなった。
 開戦から40日が経過した4月8日、暫定的な停戦が実現したが、米国が核開発の断念と濃縮ウランの引き渡しを求めても、イランは国家としての核開発の権利を主張して応ぜず、またホルムズ海峡の管理問題でも双方の思惑や主張は一致せず、未解決の状況が続いている。
 中間選挙を控え、焦りを強めたトランプ大統領は6月15日、重要な問題を除外し、封鎖状態にあるホルムズ海峡を再開し、停戦を60日間延長する内容でイランと合意した。しかし、イランの核開発や濃縮ウランの扱いなどはすべて今後の協議に先送りされた。協議は難航が予想され、両国の対立が強まる可能性は高い。停戦合意に不満を持つイスラエルが再びイラン攻撃に出る危険性もある。オバマ政権当時に結ばれた核合意を凌ぐ厳しい核開発への制限を課す見通しは立たず、米国が攻撃を開始した際の目標であったイランの体制転覆も果たせず、さらにはヒズボラのイスラエルへの攻撃を中止させることも出来ず、この戦争は仕掛けた側であるトランプ大統領の敗色が色濃いものとなった。

4 大国が戦争に踏み切った理由

  世界の1.2位を占める軍事大国であるロシアや米国が、なぜ相次ぎ大規模な戦争に踏み切ったのか、ところがまた軍事的優位に立つ両国がともに予想に反し苦戦を強いられ、戦争の長期化を招くようになったのだろうか。この点を考えてみたい。
 まず大国が安易に戦端を開いた理由だが、冷戦時代とは異なり、現在では、大国間の直接的な対立が表面化していない。そのため一方の大国がたとえ大規模な紛争を生起させても、ただちにそれが大国間の緊張を高め、さらには核戦争を引き起こす危険や脅威を招く事態に発展する危険性は小さい。そうした国際政治の構造変化が政策決定の背景にあった。つまり核大国間の対立へとエスカレートする蓋然性の低さが緊張感の欠如を招き、それが安易な開戦を決断させることになったものと考えられる。
 またロシアのプーチン大統領と米国のトランプ大統領は、ともに帝国主義時代のような「勢力圏」の概念に固執しており、自国の勢力圏の中にある国に対しては大国の支配が及ぶのは当然であり、さらには大国が支配下に組み込むべきだとの意識を共有している。
 ウクライナは冷戦当時、ロシアと共にソ連を構成していた一員であった。冷戦後、ウクライナは独立国家になったが、もともとは共に中世の欧州の大国「キエフ公国」(キエフ・ルーシ)を源流に持ち、ロシアの「兄弟国」と呼ばれる特別な存在である。プーチン大統領は2021年7月に発表した論文で「真のウクライナの主権は、ロシアとの協力関係の中でのみ可能になる」と書き、また開戦直前、22年2月21日の演説でも「現代のウクライナは完全にロシアがつくった」と発言するなど、プーチン氏にとってウクライナはロシアの一部をなすとともに、帝政時代以来のロシアの勢力圏でもあり、西側諸国の関与や介入を決して認めることが出来ない領域、ロシアの聖域なのである。
 一方、ベネズエラが位置する南米はモンロー主義以来、自らの勢力圏と米国は認識しており、モンロー主義を取り入れると宣言したトランプ大統領も、この地域への他国の介入を許さずとの思いが強い。モンロー主義は、モンロー第5代米大統領が1823年、南北米大陸と欧州大陸の相互不干渉を提唱したものだ。トランプ政権は、2025年12月に発表した「国家安全保障戦略」の中で「西半球(南北アメリカ大陸とその周辺地域)における米国の優位を回復するためモンロー宣言を強化する」方針を打ち出していた。「国家安全保障戦略」発表直後のベネズエラ攻撃は、まさにその方針に沿った行動といえる。
 これに対しイランが位置する中東地域は、米国の勢力圏とは言い得ない。だが米国と強く結びついているイスラエルにとってイランは最大の脅威であり、同盟国ともいえるイスラエルを支援する必要が米国にはある。しかも先述したようにイランに核兵器の保有を許すことは核の拡散に繋がり、歴代の米政権はそれを容認し得ないとの立場を堅持してきた。トランプ政権も同様である。ただ、イランの核保有が未だ差し迫ってはいない段階でトランプ大統領が敢えて武力行使に出た背景については、次のチャプターの中で改めて触れてみたい。

5 大国が戦争に勝てない理由

 次に、軍事大国である米露両国がともに苦戦を強いられている理由を考えてみたい。まずウクライナに対するロシアの戦い方にどのような問題があったのか、これまでの戦闘経過を踏まえ分析する。

ロシアウクライナ戦争

 ロシアはウクライナよりも遙かに強力な軍隊を擁する軍事大国である(図表5参照)。しかし戦争を始めるまでの経過を振り返ると、露軍は大規模な戦争を始めるにしては考え難い動きを見せていた。一般に戦争を仕掛ける場合には、事前に補給体制を整え兵員に休養を与えるなど、十分な態勢準備に務め、また攻撃を敵に察知されないよう準備や部隊行動の秘匿性を保つのが通常である。

 しかるにウクライナ戦争に踏み切る前年、ロシアはウクライナ周辺で大規模な軍事演習や部隊の展開、行動を目に付くような形で、しかも長期間にわたって実施していた。これはウクライナを牽制、威圧する目的で行われたものだが、これによってウクライナだけでなく欧米諸国もいつロシアが戦端を開いてもおかしくないと対露警戒心を強め、その場合の対応策を検討するための時間的余裕を与えることになった。
 またロシアは演習を一旦中止し、兵士の休養や態勢の立て直しに努めることをせず、演習の延長線上でウクライナへの進撃を開始した。秘匿性の点でも、整備補給の面でも極めて粗雑な対応のまま戦端を開いたのだ。
 さらに兵力をキーウ攻略とウクライナの東部、南部攻略に三分し、兵力の一点集中という戦術の大原則に反する行動に出た(図表6参照)。その結果、補給の乱れからキーウ攻略部隊の行動が頓挫した。初戦でのこの躓きがロシアに苦戦を強いる大きな要因となった(図表7参照)。

 こうした戦争のセオリーに反するような行動に出たのは、ウクライナの政治体制や軍事能力を過小評価し、露軍が攻め込めば俳優上がりのゼレンスキー大統領の政権はあっという間に降伏するであろう、またウクライナの戦力もその質も、露軍に対抗し得るほどのものではないという判断の誤りがあった。
 ロシアはウクライナの軍事力を冷戦時代のそれと大差ないものと認識、またクリミア半島を併合した時の体験からも「ウクライナ軍弱し」と見くびるようになっていた。だがクリミア半島をロシアに奪われ、さらにロシアの攻撃が繰り返されることを想定したウクライナはNATOなど西側諸国との関係を強め、兵士の教育訓練や軍事技術・情報の支援などを受け、欧米流の近代的な軍隊づくりに取り組むようになった。その結果、ロシアが想定していたよりも遙かに近代化した軍隊へと成長していたのだ。
 さらに、プーチン大統領はそれまでチェチェンの独立阻止やジョージア戦争、そしてクリミア半島併合といずれも勝利を握ってきた。そうした成功体験や、タレント出身のゼレンスキー大統領の指導力を軽んじ、簡単に政権を転覆させることが出来るという過信、錯覚に陥った。その油断が、敵情に対する詳細な調査や事前の入念な準備を軽んじる愚挙を引き起こしたのである。
 その結果、政権の転覆はならず領地の拡大にもてこずり、戦争は長期化する。その間、欧米各国がウクライナへの武器支援や対露経済制裁に動いた。他方、世界の世論がウクライナの側についたのとは対照的に、ロシアを支援する国はほとんどなく、孤立化を深めていく。
 要するに、初期の想定どおり、短期間にウクライナの政権を倒すか、電撃的な攻撃によってウクライナ東南部を制圧支配できておれば、ロシアは有利な立場を維持し得たろうが、思惑の違いから戦いを長期化させたことが、苦戦を招く大きな原因となったのである。一言で言えば、プーチンロシアの思い上がりや油断、気の緩みが招いた苦戦である。

イラン戦争

 一方、前年に続きイスラエルと共にイランへの攻撃に出た米国も、過去の成功体験に囚われ、安易に戦端を開いたために苦境に陥ったのはロシアと同じである。べネズエラに対する攻撃は事前の計画通り進み、短時間でマドゥロ大統領を拘束、さらに副大統領を立て、米国寄りの政権を立ち上げることにも成功した。これで自信を得たことが、翌月のイラン攻撃に繋がった。
 トランプ大統領は、イラン国内で政府に抗議するデモが頻発する様を見て、最高指導者を殺害すればそれが契機となってイラン各地で大規模な暴動や反政府運動が持ち上がり、政権は早期に転覆、崩壊するであろう、そうなれば米国寄りの政権を新たに樹立し、核開発の放棄を認めさせることも出来るものと考えた(図表8参照)。いわばベネズエラとイランを同一視したのだ。

 だが、独裁者の圧政で体制が揺らいでいた小国のベネズエラと、イスラム教による神政一致の統治体制を固めている大国のイランとでは状況が全く異なる。現にハメネイ師を殺害しても、政権は崩壊しなかった。革命防衛隊が主導するなか、イランではハメネイ氏の次男モジタバ師を新指導者に擁立、反米感情の高まりをバックに米国と徹底抗戦する態勢を早期に整えた。
 指導者を排除したからといって一国の体制転換が簡単に進むものではないことは、イラクやアフガニスタンでの戦争で米国は経験済みである。それどころか、大規模な地上軍を長期間駐留させても、体制の転換が実現し難いという現実も、米国は貴重な歴史の教訓として得たはずだった。それにも拘らず、地上軍は投入せずとも最高指導者を殺害するだけで体制を転覆させることが可能であり、さらに米国の望むような政権を打ち建てられると考えていたとするならば、トランプ大統領は過去の手痛い失敗から何も学ばなかったといわざるを得ない。
 二つ目の判断ミスは、空爆への過信とイランの抗戦能力の過小評価だ。イランには前年も攻撃を加えており、その戦力は大きく低下したものとトランプ大統領らは判断し、米軍が地上進攻に出ずとも空爆だけで十分な打撃を与えることが出来ると考えた。しかし、イランの戦力回復は予想以上に早かった。米軍は空爆によって早々と制空権は掌握したが、イランは前年の戦争体験を活かし、空爆に耐える地下の施設にミサイルや自爆ドローンなどを大量に備蓄しており、断続的に米軍への反撃を実施した。
 またイランは中東にある米軍基地や湾岸諸国のインフラを攻撃、さらに米軍との正面決戦を避け非対称的な戦いを挑んだ。ホルムズ海峡を第二戦線となし、タンカーへの攻撃や通航妨害、海峡封鎖などを実施したのだ。世界の原油輸送の要衝であるホルムズ海峡の不安定化により原油価格が急騰し、世界経済にも影響が拡大した(図表9参照)。米国は軍事作戦だけでなく、海上交通の防衛にも戦力を割かざるを得なくなった。ホルムズ海峡を巻き込んだイランの作戦勝ちであり、それを許した米国の失点となった。

 驚いた米国は自らもホルムズ海峡の封鎖と管理に乗り出し、イランの石油輸出を妨害し外貨獲得源を奪うとともに、ペルシャ湾岸諸国の石油に依存するすべての国を反イラン戦線の当事者に引き入れようとした。だがイランは石油の地上輸送ルートを開拓するなどして対抗、また米国の一方的なイラン攻撃に批判的な各国は一様に対米協力を拒み、トランプ大統領の思惑は外れた。
 ホルムズ海峡封鎖が世界に与える影響は大きく、イラン自身も石油を輸出できなくなる。その様な危険性の高い行動に出ることはないだろうという思い込みが米側にあった。万一破れかぶれでイランが海峡を封鎖した場合、どのようにその事態に対応するか十分な検討や下準備を施したうえで開戦に踏み切ったのではなかったのだ。慎重さの欠如と準備不足の一語に尽きる。
 それを招いた原因は、成功体験に酔っていたこと、それに敵を軽く見る米国の思い上がりや油断に行き着く。ロシアと同じ愚行を犯したのだ。付け加えれば、執拗にイラン攻撃を求めてきたイスラエルのネタニヤフ首相の術中にトランプ氏が嵌ってしまったことも失策であった。
 石油供給の途絶による物価高騰でトランプ大統領の支持率が急落し、秋の中間選挙に暗雲が立ち込めている。一方のイランも、米軍のホルムズ海峡逆封鎖で石油販売が滞り、経済的に苦しんでいるが、反米感情の高まりを背景に、新たな指導者モジタバ師のもと、国家が一体となって対米戦に臨む態勢づくりを整えており、いまや米国が守勢に回る状況にある。
 頑強なイランの抵抗に遭い、戦争の長期化が避けられなくなった一方、国内世論への悪影響を考慮すれば、戦争を長びかせるわけにもいかない。だがイランの要求に応じ、核開発を容認するような安易な条件で和解すれば、オバマ政権当時の核合意を破棄し戦争に踏み切った意義そのものが失われることにもなる。
 トランプ政権は板挟みの状況に陥り、苦境が続いている。しかもロシアと同様、突然一方的にイランへの攻撃にでた米国を積極的に支援する同盟国はなく、場当たり的なトランプ大統領の戦争指導の姿勢には、米国内と同様、国際世論も批判的である。
 米露両大国が自ら仕掛けた戦争で苦しむなか、いま一つの大国である中国は紛争解決や国際秩序安定化に向けて、どのような動きを見せているのだろうか。

6 もう一つの大国中國の動き

停戦実現に汗をかかない中国

 結論から言えば、中国はロシアウクライナ戦争やイラン戦争の早期停戦実現や紛争の解決に積極的に動いておらず、また動こうともしない。その理由は、戦争が続くことが中国の国益に適うと考えているからだ。
 ロシアがウクライナを侵略したことでロシアと欧米など自由主義諸国の関係が悪化し、ロシアは経済制裁を受けている。そのためエネルギー資源の輸出などで打撃を蒙ったロシアは西欧諸国に代わる販路先として中国との関係を強めるようになった。石油だけでなく、経済が悪化するロシアは、精密機器などの調達や外貨獲得などでも中国からの支援が欠かせない状況になっている。
 もともと中露両国は世界の多極化を進め、米国の影響力を削ぐという点で利害を共有しており、密接な関係を維持してきたが、それがさらに強固なものとなった。しかし、石油などの購入を中国に依存するようになった結果、それまでのロシア優位、ロシア主導の中露関係が大きく変質し、いまでは中国が両国の関係を主導し、ロシアがそれに追随する構図になっている。
 また欧米などの強い対露批判の影に隠れ、南シナ海などで繰り返す中国の悪質違法な行為は見逃されがちだ。ストップした対露経済関係の代替先として欧米の中国に対する接近も進むなどロシアウクライナ戦争が継続することは中国にとっては好都合なのである。もし中国がロシアとウクライナの仲介に動いたり、停戦に向けた協議を主導する場合、これまでのロシアとの蜜月関係から、ロシアに不利となる和解案は提示し難い。だが侵略国のロシアに与するか、あるいは与するかのように世界から受けとめられれば、中国の立場に傷がつく恐れが出てこよう。
 さらにロシアとウクライナの戦争が終結すれば、米露関係は一気に改善に向かう可能性がある。かねてよりトランプ大統領はプーチン大統領に対し融和的な姿勢を見せており、両国の接近が進めば、これまでの中国の対露優位が崩れ、場合によっては米露双方から中国が圧力を受けるケースさえ考えられる。ロシアが米国に結び付き中国から離れないようにするためには、ロシアの求めに中国が応じざるを得ず、そうなれば両国の立場が逆転してしまう。
 こういった理由から、表向き中国は公正な仲介者としての立場をアピールし、自国の正当性や権威を高めることはあっても、停戦の実現に真剣に取り組むとは考えられない。
 対米関係に目を転じれば、ロシアウクライナ戦争やイラン戦争がともに長期化し、その解決にトランプ政権が苦慮していることで、中国は米国に対し優位な立場に立つことが出来る。イランとの戦争が長引くことで米国の武器在庫は底をつき、またアジア正面から兵力を中東コンバートさせるため、中国を抑止、牽制する米軍の力が大幅な低下を来たすからだ。
 米国の影響力の後退は中国にフリーハンドを与えるだけでなく、中国が米国と肩を並べ米中の二国で世界を統治するというG2論の実現に道を開くことにもなる。先の米中首脳会談で中国の習近平国家主席は、米中関係の新たな定義として「建設的戦略安定関係」を打ち出した。中国はこの関係を①協力を主とする積極的な安定②適度な競争を伴う健全な安定③相違点を管理する恒常的安定④平和を期待できる持続的な安定と定義し、対立や相違の存在を前提に、米中両国が衝突のリスクを最小化する危機管理に努めるものと説明している。
 米中の対立激化を回避することで習近平政権の外交実績を国内にアピールすることが出来るが、それだけではなく、この関係を米国が受け入れたことで、中国が米国と肩を並ぶ対等な関係にあることを示すことが出来たともいえるのだ。
 2012年に中国の最高指導者になった習近平氏は当時のオバマ大統領に「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と述べ、両国がウィンウィンの共存関係に立つ「新型の大国関係」構築を提唱した。しかし中国の台頭に警戒心を募らせた米国はこれに応じなかった。今回トランプ政権が「建設的戦略安定関係」を受け入れたということは、この10年余の歳月を経て、いまや中国が米国と並ぶだけの大国になったことを物語るものでもある。
 米国と対等の関係に立ち、さらには米国を凌ぎ、今世紀半ばには「中華帝国の偉大な復興」を成し遂げ、米国に代わる新たな覇権国家になるというのが習近平氏の目標である。そのような国家目標を達成するうえで、二つの戦争が長引き、米国の影響力がアジア、さらにグローバルに低下を来すことは中国にとって好都合であり、よって戦争の停止や解決に中国が本腰を入れるとは考え難い。

習近平政権と台湾侵攻の危険性

 習近平氏は2027年後半に開かれる第21回共産党大会を乗り切り、国家主席の4期目続投を果たす考えでいる。そのためにはこれまでの実績を強調するだけではなく、何故続投する必要があるのかを国民に納得させられるだけの大義名分と目的が必要だ。それこそが、中国共産党にとっての悲願である「台湾の統一」だ。
 こうした中国国内の政治情勢や、軍備の拡張を急ピッチで進めていることから、かねてより2027年に中国は台湾への武力侵攻に踏み切るのではないかという2027年危機説が主張されてきた。既に2027年まで1年を切っている。
 イラン戦争の長期化で米軍が武器不足に陥っていることや、兵力の中東への展開でアジアでの米軍のプレゼンスに穴が開いている状況は、台湾侵攻を企図する中国にとっては願っても無い好機だ。また先の米中首脳会談で習近平氏はトランプ氏に対し、米国の台湾問題への関与に強い警告を発した。それは、台湾向け武器売却を慎むだけでなく、台湾防衛に対する米国のコミットメントを発動させてはならないとの警告でもある。果たして習近平氏は武力による台湾併合に踏み切るであろうか。
 ポイントの一つは今回取り上げた米露二つの大国が大規模な戦争に着手しながら、勝利を容易につかむことが出来ず苦境に立たされている姿だ。いま一つ考慮すべきは、長引く経済不振に加え、中国国内で起きている異常な事態だ。人民解放軍の主な幹部が汚職などの容疑で次々に粛清され、しかも欠員の補充も進まず、大部隊の運用に支障が出かねない厳しい状況が続いているのだ。
 軍の主要幹部が不在となり、人民解放軍の指揮統制が乱れているだけでなく、習近平氏が軍を統制できていないのではないか、さらに軍部の習近平氏に対する不満の高まりや造反のムードが出ているのではないかとの報道も出ている。
 最近の国際環境は、台湾侵攻を企図する中国には有利に働くが、他方、国内の環境は大規模な兵力の動員を難しくさせている。相反する内外二つの状況を踏まえ、それでも武力侵攻に出るのか、あるいは断念するか。しかし政権の継続をめざす習近平にとって台湾統一の放棄は取り得ぬ選択肢である。そこで、第三の途、つまり米露の失敗を繰り返すことを回避し、大規模な武力の行使は見合わせ、より刺激の小さいグレーゾーンでの行動に出ることで台湾に圧力をかけ、独立派の動きを抑え屈服させて台湾を中国に引き寄せるアプローチが検討の俎上に上って来る。
 好機を捉えて武力侵攻に踏み切ることも考えられなくはないが、現時点で最も可能性が高いのは、この第三の選択肢ではなかろうか。古くから中国には、戦争によって勝利するよりも、戦わずして勝つことこそ最良の戦略とする考え方がある。
 「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為なり」
 これは『孫子』「謀攻篇」冒頭の一節だが、「百たび戦争して百たび勝利を得るというのは、決して最高ではない。最も優れるのは、戦闘しないで敵を屈服させることである。そして最上の戦争は敵の陰謀を破ることであり、その次は敵と同盟国との外交関係を破ることであり、その次は敵を討つ事であり、最もまずいのは敵の城を攻めることだ」と『孫子』は説いている。 
 台湾への武力侵攻に出れば、当然のことながら台湾軍の激しい抵抗に遭遇し、互いに多数の犠牲者も出る。ロシアや米国が陥ったように、作戦の完結までに長期間を要することが予想され、米軍の介入を招く危険も高い。そもそも世界最高の半導体産業を擁する台湾の地を武力で破壊しては、元も子もなくなってしまう。上策とは言い難い。
 では、戦闘せずに台湾を屈服させる戦法とはどのようなものになるか。それは武力戦を避けるグレーゾーンの戦略、真綿で首を締め付けるような間接的なアプローチが想起される。
 特に警戒を要するのが海底ケーブルの切断や、台湾海峡を含む台湾周辺海域に中国海軍の艦艇を配置し、台湾を封じ込め外部との接触を遮断、その経済活動を締め上げる作戦である。
 武力攻撃を加えるのではなく、機雷敷設や海軍演習、通過船舶への臨検、妨害といった戦術を用いるので、中国は米国に対して明確な開戦の口実を与えずにすむ。また台湾周辺海域を通る商船の動きを阻みシーレーンを途絶させることで、日本や韓国に大きな経済的打撃を加えることもできる(図表10参照)。

 人的物的な犠牲を抑制したうえで、これまでどおりの日常生活が営めるとの保障を与え台湾に帰順を迫れば、莫大な犠牲が出る徹底抗戦を回避し、台湾が応諾する可能性も高いと中国は考えるのではなかろうか。既に中国は日本とフィリピンが海洋の境界画定交渉入りで合意したことへの対抗措置として公船を派遣し、海底ケーブルの位置を確認するなど台湾東方の海域を常態的に監視する体制を整え始めている。台湾統一を見据えた海上封鎖への布石とみられる。我が国では、中国による武力行使を前提とした台湾有事の論議が盛んだが、こうしたグレーゾーンの事態が生起した際の問題点の検討や対応方針も詰めておく必要がある。

7 教訓

多極化の進展と大国鼎立時代の幕明け 

 最後に、「大国による戦争の時代」から得られる知見や教訓について簡単に纏めておきたい。「大国による戦争の時代」になり、第二次世界大戦後に築かれた国際秩序や普遍的な価値観は大きく揺らぎ、国連をはじめとする国際機関の存在感も低下を来した。国際社会は権力政治がむき出しの粗野な世界へと回帰しつつある。そのような環境の中、日本をはじめとする各国には乱れた国際秩序の回復に取り組む努力が求められるが、それだけではなく、厳しい生存競争を生き抜くための外交の力や確固とした安全保障政策を構築する必要がある。
 しかも、戦争を主導しながら、その戦争に苦しみ容易に勝利できない米露の姿を見ると、国際政治における両大国の影響力の低下が顕著だ。特に米国の衰退が進み、圧倒的な力を持つ米国の覇権の下で世界が動いてきた時代は過ぎ去り、米露中の力が接近し三大国が拮抗、互いに複雑な権力闘争を繰り広げる時代に世界は入っていくであろう。
 世界が多極化し、各大国が鼎立する時代にあっては、これまでのように対米関係だけに特化、注力し、対米関係の枠内で他の国との関わり方も定めるという手法は通じず、日本もロシアや中国、さらに力を付けつつあるインド、欧州連合(EU)など世界の各地域で大きな影響力を持つ大国や国際機構と独自の外交関係や太いパイプを築く必要がある。
 また戦争様相の変化にも目を向ける必要がある。ウクライナでも中東でも、無人機やAIが戦争の主役を担うようになっている。日本はいま年末の安保関連文書の改定に向け、幾度も検討会が開かれ、様々な意見や提言が発表されている。そこでも無人機の導入やAIの活用などが提起されてはいる。
 しかし、新たな安保政策の策定や装備品の導入計画を固めるのに1年余を費やすのはあまりに対応が遅いのではないか。無人機の戦力化で日本はすでに2周以上も遅れを取っている。おっとり刀で導入に向けた線表を引くという悠長な姿勢では、高まる国際情勢の緊迫に迅速に対応できないのではなかろうか。現行の安保政策を部分的に見直してでも無人機やAIの早急な戦力化に取り組むべきである。

対中戦略の構築

 さらに、米露が苦戦する間、フリーハンドを得て唯一影響力を増している大国中国への対処の在り方も重要な課題だ。ここでは幾つかのポイントを指摘しておきたい。第一は、ウクライナや中東での戦争を早期に集結させるため、日本も汗を流す必要があるということだ。
 イラン戦争を停戦に持ち込み、ホルムズ海峡の封鎖を解くことは中東にエネルギー資源の多くを依存している日本にとって死活的な重要な課題だが、それだけではない。戦争の長期化は中国を利することにも通じるからだ。
 米軍のアジアでのプレゼンスを回復するには早期の停戦が不可欠だ。日本はこれまでイランと親密な関係を維持してきた。その貴重な外交資源を活かし、イラン戦争停戦のための仲介努力を試みるなど戦争終結の実現に協力すべきである。
 第二は、防衛力の増強を進め対中抑止力の強化を急ぐ必要があるが、それと同時に、中国との対話の窓口を維持し、日本を含む東アジアの緊張の緩和と日中互恵の関係を維持する努力も重要だ。
 第三に、ウクライナとの戦争長期化のため、中国への依存と追随を強めているロシアの苦境に着目し、対露関係改善のチャンスを掴むべきである。先の中露首脳会談の際、中国を訪れたプーチン大統領は両国の関係が「かつてないほど高いレベル」に達したと述べ、中露の緊密な関係を高く評価、会談後には「良き隣人としての友好協力関係を深化させる」とした共同声明に署名した。しかしこれは表向きの動きに過ぎない。
 ロシアは、悲願であるガスパイプライン「シベリアの力2」に関して合意に漕ぎつけることを期待していたが、今回もまたそれが果たせず大いに落胆した。ロシアのメディアも会談の成果について「中露の戦略的協力関係の継続性を確認した」と低い評価しか与えていない。
 ウクライナとの戦争が始まって以来、中国への依存が常態化し、また両国の力関係が中国優位へと変化したことにロシア側では不満が募っている。中露の足並みの跛行や不協和の兆しを注意深く観察し、日露関係改善の糸口を見落とさぬようにすることが肝要だ。
 第四は、米国のパワーダウンに対処し、また米国の役割を補完するためアジア太平洋の安全保障体制の強靭化に日本が指導力を発揮することだ。
 第五の課題として、安全保障や防衛政策面での連携、協力に限らず、医療・衛生環境の改善や社会インフラの整備、産業振興や経済開発などアジア諸国の成長と発展に寄与するとともに、日本にも益するウィンウィンの関係構築を目指し、総合的、持続的かつ戦略的なアジア外交を展開し、我が国がアジアの諸国から「頼れる国、頼られる国」となるための取り組みが求められる。それは平和国家日本の存在感を高めるというに尽きず、アジアで影響力を増している中国に対抗するための重要な戦略でもある。そのような取り組みが、普遍的な国際秩序の回復にも通じるのである。

(2026年6月30日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)

国際情勢マンスリーレポート
世界の平和と国際秩序の維持安定に大きな責任を負うべき立場の大国が、正当性に疑義のある武力攻撃に踏み切った。背景には、国際政治の構造変化を指摘することができる。一方で、軍事大国である米露両国が共に苦戦を強いられている。世界が多極化し、各大国が鼎立する時代にあって、大国中国への対処の在り方は重要な課題である。

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