続・親と子の「心の問題」と向き合うために ―望ましい親子関係とは何か―

続・親と子の「心の問題」と向き合うために ―望ましい親子関係とは何か―

2021年11月26日

 本論は、親子の「心の問題」の領域で起こっていることの理解を深めるための、情報提供である。

「困ったときに親の顔をみると安心する関係性」

 筆者は、「心の問題」で苦しむ親子を援助する臨床家の立場にある。月刊誌『EN-ICH FORUM』(平和政策研究所編集)2019年7月号に「親と子の『心の問題』と向き合うために」というタイトルで執筆した。そこでは、感情制御の脳機能を解説し、子どもの「心の問題」の背景には、大人の「心の苦しみ」が存在すること、そのことに目をむけることの重要性を述べた。本論では、より平易な表現で、親子の関係と心の問題について解説する。
 親子・家族の在り方は多様化しており、さまざまな価値観や生き方が尊重されるべき時代にはいっている。しかし、子どもの心が健やかに育つために、何が必要なのかと聞かれれば、それは一言でこたえられる。子どもが「困ったときに親の顔をみると安心する関係性」の中で育っているかどうかということである。「心の問題」の相談の現場でつくづく感じることは、人間は「無条件に愛される」ことなしには育ちえない種だということだ。

「親が子どもの不快感情をどう扱うのか?」

 以下、なぜこのことが必須なのかということについて、述べる。
 子どもの脳は未熟なので、自分の身体の中からわいてくる不安や恐怖、さまざまな欲求不満を「泣きわめく」という形でしか表現できない。乳幼児は、親に抱かれてよしよしされて、安心を与えられることを通して、不快な感情とその身体の感覚がおさまっていく体験を重ね、発達する。専門的にはこれを「愛着形成による感情制御機能の発達」という。「泣いている子が親の腕の中で泣きやむ」関係性は、脳の中の感情制御の回路の基礎を作るための大事な関わりである。そして年齢が大きくなると、この関係性は「困ったときに親の顔を見ると(想像すると)安心できるかどうか」ということに反映されていく。
 「親が子どもの不快感情(いやいやぐずぐず)をどう扱うのか」ということは、「子どもが不快感情の制御をどう学ぶのか」ということと深く関係する。親が子どもの「泣きぐずり」を「あってはならないもの」と扱えば、子どもは「ありのままの自分には価値がない」と学ぶことになる。だから、泣いたりぐずったりする子どもを、体罰その他の脅威により、恐怖を与えておとなしくさせる関わりは、「しつけ」ではなく「虐待」となる。「不快感情をだしてはいけない」と親に望まれたことにより、出さないことを学んだ子どもは、そのときは「よい子」になるが、封印するという方略を学んだにすぎない。封印された不快感情はのちに「心の問題」の源になっていく。
 「しつけ」とは、子どもの自律(みずからを律する力)を育てるかかわりを意味する。子どもの自律の力の育ちは、年齢相応に、脳の感情制御の回路が発達することとイコールだといえる。つまり「困ったときに親の顔をみると(想像すると)安心する関係性」が構築されていれば、年齢相応の自律の力はおのずと育つ。

「しつけ」の理解

 1人では生きていけない年齢の子どもは、保護がなければ常に不安を抱えることになる。だから子どもは、自分に「安心」を与えてくれる人のことが好きだ。「安心」「保護」とは何を意味しているだろうか?
 もし、ごはんを食べずに「アイスがほしい」と泣く子どもを泣き止ませるために、アイスを与え続けるとしたら、子どもはその親に「安心」を感じるだろうか?子どもは自分をちゃんと保護し導いてくれる存在に「安心」を感じる。つまり、自分のことを心配して「だめ」と言ってくれる存在(=保護)を求めている。子どもの健康を守るために、大人としておちついて「だめ」と制限をかけることができ、そこで泣きわめく子どもが泣き止むまで待ってやること、それが「しつけ」だ。しつけのポイントは、「子どもが言うことを聞かずにごねて泣いた罪」に問わないことである。泣こうがわめこうが「だめ」といったことをしないですんだなら、「えらかったね」とほめることができる。
 親子の関係は、ある意味「特殊」といえる。禁止・制限をかけている人が、その禁止・制限によって泣いている子を受け止めることができるという「特殊な」関係だ。他人に禁止・制限をかけられたなら、その人に受け止めてもらいたいとは誰も思わない。しかし、親子(養育・保護・愛をもって教育している人との関係)は、その矛盾を内包できる特殊な関係であり、その関係ゆえに「しつけ」が可能なのだ。
 「困ったときに親の顔を見ると安心できる関係」とは、適切なしつけがなされている上での関係性と言える。子どもが本能のままに泣いたり怒ったりしても、親がちゃんと保護し導いてくれるという安心感の中で、子どもの感情制御の回路が年齢相応に育つ。子どもは、自分の身体の中から湧き出てくる本能的な不快が、親の腕の中でおさまる体験をすることにより、親に安心を感じるのである。そしてその安心感が、記憶に刻まれることになる。子育てが難しいのは、こういった親子のかかわり方の“テンプレート(ひな形)”が、親自身の記憶(自分と親との関係性の記憶)の中にあるからだ。

親子関係のむずかしさ

 「困ったときに親の顔をみると安心できない」関係性には、大きくふたつのパターンがある。体罰や虐待、家庭内の暴力など、明らかにその養育環境が安全ではない場合は、当然のことだが、子どもは親との関係に安心を感じることはできない。
 しかし、もうひとつのパターンがある。家庭内に暴力がなくても、子どもが泣いたりぐずったりすると、親がいつも不安な顔、困惑した顔をする場合には、子どもは親の顔を見ると安心することができなくなってしまう。子どもは保護なしには生きていけない存在なので、保護者の元気がないときには、本能的に、それ以上困らせないように防衛が作動し、「よい子」になる。親や家族が病気や介護を抱えているとき、災害被害をうけたとき、大人自身が生きることに困難を抱えているときには、子どもは自ら「よい子」になって大人を支えるけなげな存在なのだ。

我が子が「いじめ」をしていたら

 ところが、大人のニーズに合わせて、自らの不快感情を封印している「よい子」の状態は、子どもにとって健康な状態ではないので、本能的にバランスをとろうとする。その最も子どもらしい方法として、「いじめ」行為が起こる。いわゆる「ガス抜き」のような衝動で、攻撃性を外部に発揮してしまうのだ。「いじめ」問題は加害する側の子どもの問題でありSOSである。「いじめられる子」が原因で起こる問題ではない。
 一定の年齢以上の子どもは、「いじめをしてはいけない」ということを知っているし、作文を書かせれば「なぜいじめをしてはいけないのか」を論理的に書くことができる。「いじめ」はそういう認知による制御の範囲の問題ではなく、子どもたちの本能的・生理的な不快感情が居場所を失っている問題なのである。封印されてきただけの居場所を失った不快感情は、過激に暴走することになる。
 もし我が子が「いじめ」をしていたということを知ったなら、親としてどうすればいいのだろうか。一般に「いじめ加害」の場合、我が子がいじめをしたことに対して、軽く注意して終わることが多いかもしれない。しかし「いじめ加害」は「我が子のSOS」だと受けとめ、そこで立ち止まらなければならない。親は「この子はどんなところに不安や悲しみや怒りを感じて、毎日生きているのだろう。その気持ちを親として受けとめていただろうか。この子は親の顔をみると安心しているだろうか」と、ふりかえることができると、親子の関係性は変わっていく。小学生の「いじめ加害」は最初の子どものSOSだ。もし親が「我が子がいじめなどをするはずがない」と事実を否認したくなるとしたら、親自身がなんらかの事情で、自らの不快感情に持ちこたえられない状態に陥っているということである。そういうときは、親自身が自分のストレス・苦しみに目をむける必要がある。

不登校という問題

 「不登校」は「学校に行けない」という現象の総称なので、一概には言えない問題である。もし、学校・学級側に、危険な状況・不適切な環境が存在すれば、「行かない」のは正常反応という側面をもつ。「困ったときに親の顔をみると安心する関係性」にあれば、子どもは、社会の中で適切に「自分を守る」ことができる。たとえ、いじめ被害にあったとしても、親の助けを得て「不登校」を選択することで、自分を守り、その傷つきを最低限におさえ、そしてまた環境を変えて学校復帰することが可能になる。もし「子どもが親の顔をみても安心できない関係性」にあれば、いじめられている学級に笑顔で登校し続けてしまい、深刻なトラウマを負い、長期にわたる対人不安という後遺症を抱え、次項に述べる青年期以降の問題につながってしまう可能性がある。
 学校・学級側に大きな問題がない場合でも、子ども本人の不安が高いために不登校になることも当然ある。不安を不安と認識できない場合は、腹痛などの身体症状や自律神経の失調などにより、登校が困難になる。なぜ不安が高い状態になるのか、その理由はケースバイケースでさまざまなので、子どもの思いによりそいながら状況を見立てる必要がある。年齢よりも不安や恐怖に持ちこたえる力が弱い状態は、なんらかの事情により「困ったときに親の顔をみると安心できる関係性」が維持できないでいることにより起こる。その保護者が抱える「なんらかの事情(家族関係・夫婦関係・親が抱えるトラウマなど)」がサポートされ、親の安定が回復することで、子どもの改善がみられることは多いので、子どもが外出できない場合でも、親自身がカウンセリングを受けることは有効である。親がおちついて子どもの不安に目を向けることができるようになると、子どもはもう一度心を開くことができるようになる。

思春期・青年期に起こる問題−対立する内的な自己

 大人への移行期、思春期・青年期の発達課題は、親から心理的に自立して「自己」を確立することである。冒頭で「親が子どもの不快感情(いやいやぐずぐず)をどう扱うのか」ということが、「子どもが不快感情の制御をどう学ぶのか」と深く関係すると述べた。この親との関係性が、思春期・青年期にはそのまま自己の内面の声として取り込まれていく。「不快感情を抱える自己」と「制御する自己」の内的な関係性が、親との関係性を反映するものとして構築されてしまうのだ。
 「困ったときに親の顔を見ると安心する」関係性にある場合、「不快感情を抱える自己」と「制御する自己」は対立せずに、自分で自分の不快をなだめることができる。その結果、ストレス耐性は高くなり、自己は統合され、肯定的で安定した自己概念を形成することができる。
 一方で「親の顔をみると安心できない」関係性にある場合、それまでの間に、泣いたり弱音をはいたりする自分は愛される対象ではないという経験を重ねてきているので、心の中に「不快感情を抱える自己(不快感情モード)」と「制御する自己(よい子モード)」の対立構造が生まれてしまう。この対立構造により、自分で自分をつねに否定しなければならず、自己嫌悪感、コントロール不全感を抱え、時に不快感情モードは暴走し、対人関係に困難が生じる。専門的には「複雑性トラウマ」を抱えた状態となる1)。さらに、近年のサイバー空間による現実の多層化は、この内的な対立構造を温存する環境として機能してしまう。たとえば、ネットの匿名環境の中で不快感情モードを暴走させる(暴言を吐く)ことにより、適応のバランスをとるというスタイルが常態化すれば、容易にその対立構造は維持されてしまうのである。
 不快感情モードの暴走は、慢性的な抑うつという形をとることもある。アルコールや薬物などが不快感情を消してくれるかのように錯覚してしまうので、嗜癖や依存の問題も生じやすくなり、自己否定は自傷行為にもつながる。そして大人になると、親密な関係、愛する人との関係において、不快感情モードはたやすく暴走し、夫婦間暴力・デートDV・虐待などが生じ、「そんなふうになりたくなかったのに、親と同じことをしている」という苦悩を抱えてしまうことになる。

親になることの難しさ−子ども時代の記憶の作用

 前述したが、自分と親との関係の記憶は、特に、親密な人とのかかわり方の“テンプレート(ひな形)”として記憶されている。記憶は脳の自動的なしくみなので、いつのまにかそのテンプレートに沿った行動しか選択できないところにはまってしまう。自動的な「記憶のしくみ」が、不適切な関わりの世代間連鎖を引き起こすのである。これは、誰の責任でもない。忘れてはならないことは、親もみな、昔は子どもだったということ。親の親も、その親も、みな昔は子どもだった。
 「記憶のしくみ」は、親になる時に、不思議な働きをする。妊娠出産時、母親には自分の乳幼児期の記憶を参照するしくみがそなわっているために、乳幼児期につらい体験をした人は、無意識にその記憶が賦活され、子育て困難に陥るということが起こる。子どもの泣き声が、母親の過去の記憶を開いて不安や恐怖を喚起して、子どもを受け入れられなくなってしまう現象については、その治療方法も含めて、拙著2)に詳細に述べた。ここでは、父親に起こることについて、例をあげて示す。

父親の子ども時代の記憶

 たとえば、妻が赤ちゃんのお世話に一生懸命になっていると、夫がなんとなく赤ちゃんに妻をとられたような嫉妬を感じて不機嫌になるというような場合がある。このような時、夫の心の中には、自分が2歳のときに「弟が生まれて母をとられていやだった」という感情の記憶が、自動的に賦活してきている。そのことに気づき、夫婦の間で話ができ、妻が2歳のときの夫の気持ちを「かわいそうだったね」と受けとめることができると、夫は我が子に対して、「この子は『昔の弟』ではなく我が子だ」という現実的な感覚を維持できるようになり、父親としてのアイデンティティを育てていくことができる。しかし、このように意識化されることがないままに時を重ねてしまうと、無意識に「過去の記憶(弟への嫉妬)」を我が子に投影し続けてしまうので、子どもは「父親の顔をみると安心できない」ことになる。
 また、日本では子どもが生まれると、子ども目線で配偶者のことを「ママ・パパ」「お母さん・お父さん」と呼び合うことが一般的だ。父親が妻のことを「お母さん(ママ)」と呼ぶ習慣の中で、社会では立派に働いている父親が、家に帰ってくると自動的に、「子どもモード(子どものときの記憶に基づく行動様式でふるまうこと)」になり、家の中では中高生のようなふるまいが定着して、親として機能しないパターンもよくある。「父親不在」が問題になるのは、物理的不在ではなく心理的不在である。心理的不在とは、そこにいるのに「子どもモード」になってしまっていることにより、父親(保護モード)として機能しない状態である。子ども時代の満たされなかった欲求に基づく記憶は、我が子の刺激によって、今という時間の中に無意識に浮上してくる。そのために大人と子どもの関係性が逆転してしまうと、子どもは適切な「保護」を得られずに、「困ったときに親の顔をみると安心できる関係性」を獲得できないのである。

「いやな気持ちは大事な気持ち」と知る

 以上述べてきた世代を超えた悪循環は、子どもが表出する不快感情の扱いをめぐって顕在化する。その背景には、不快感情をよくないものとする「常識」がある。私たちは、不安や恐怖を感じることができるからこそ、命を守ることができる。ちゃんと怒りを抱えることができるからこそ、自分の人権を守ることができる。感情制御の脳の機能がどのように成り立っているのかを知ると、不快感情が脳の中で重要な役割を果たしているということに心を開くことができる。感情制御の脳の機能は、『EN-ICH FORUM』2019年7月号の「親と子の『心の問題』と向き合うために」に図解したので、子どもを育てている人、教育に携わる人には知っておいてもらいたい。「いやな気持ちは大事な気持ち」であるということ、そのことを大人が心から理解することができると、発達途上の子どもたちの不快感情に対して、ゆとりをもった対応が可能になる。
 子どもの問題を「親の責任」に帰す直線的な思考は、親をつらい思いにさせるだけで、何の役にも立たない。親も昔は子どもだったという事実、その連続性に勇気をもって目をむけること、それが連鎖を打開する力になる。親としてのふるまいに、自分の過去の記憶が影響を与えているのかもしれないということを意識化することができると、我が子との距離感が変わってくる。そして、夫婦で互いの子ども時代の気持ちをいたわりあうことは、世代を超えた連鎖を止めることに役立つ。自分の痛みや弱さを抱きしめてもらう経験、それが過去の記憶をほんとうに過去のものにしていく。過去に愛されなかった苦しみは、現在「自分で自分を愛する力」を回復することで変化する。人はそういう力を持っている。
 カウンセラー職には、そういう援助ができる存在として社会に貢献するために、さらなる研鑽が求められるだろう。

 

引用

1)アナベル・ゴンザレス著(2020)『複雑性トラウマ・愛着・解離がわかる本』(日本評論社)

2)大河原美以著(2019)『子育てに苦しむ母との心理臨床−EMDR療法による複雑性トラウマからの解放』(日本評論社)

政策オピニオン
大河原 美以 大河原美以心理療法研究室室長
著者プロフィール
2021年3月まで東京学芸大学教授。臨床心理士・公認心理師。博士(教育学)。専門は子どもの心理療法・家族療法・EMDR療法。著書『子育てに苦しむ母との心理臨床(日本評論社,2019)』『子どもの感情コントロールと心理臨床(日本評論社,2015)』『ちゃんと泣ける子に育てよう(河出書房新社,2006)』他。 大河原美以心理療法研究室 https://mii-sensei.com/
子どもの心が健やかに育つためには、子どもが「困った時に親の顔を見ると安心する関係性」が必要である。親から安心を与えられることを通して、子どもは不安な感情や身体の感覚との向き合い方を発達させていく。

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