政策オピニオン

2019年7月17日

親と子の「心の問題」と向き合うために ―「感情をコントロールできる力」について考える―

東京学芸大学教授 大河原美以
公認心理師・臨床心理士・学校心理士・家族心理士。博士(教育学)。専門は子どもの心理療法・家族療法・トラウマ治療。著書「ちゃんと泣ける子に育てよう(河出書房新社,2006)」「子どもの『いや』に困ったとき読む本(大和書房,2016)」「子どもの感情コントロールと心理臨床(日本評論社,2015)」他。

はじめに

 私は、親子の心の問題の心理治療を行っている立場にある。ここでは「政策オピニオン」という枠組で意見を述べることを求められているが、私は臨床家であり、これまで「政策」というものについて主体的に考えたことはない。しかし、真に国民の幸せのための政策を主体的に考えている方たちにお伝えしたいことはある。それを述べたいと思う。

子どもの「心の問題」の背景にある大人の「心の問題」

 子どもの「心の問題」には、大人の「心の問題」がからみあっている。子どもの「心の問題」は、「不登校」「いじめ」「暴力」などの問題として語られる。しかし、子どもの問題行動というものは、子どもが「無意識的に自分の生命のエネルギーを守ろうとしている防衛反応」であることがきわめて多い。それはたとえ、一日中寝ていたり、外にでることを拒絶したり、誰かをいじめていたり、きれて暴力をふるっていたりしても・・である。その防衛反応の意味を大人がくみとり、「真の意味で適切に子どもを守る」ことができれば、子どもの「心の問題」は改善する。
 むしろ難しいのは、「大人がその意味をくみ取り」「真の意味で適切に子どもを守ること」、そうできるように「大人が変化すること」である。「真の意味で」とは、甘やかしではない適切な枠づけをもった本質的な受容を意味している。
 なぜ難しいのかというところに、大人の「心の問題」が見えてくる。ここでは精神疾患のレベルは除外した「心の問題」を述べる。それは、社会人としての適応を維持している中で抱えている「心の問題」である。大人が抱える依存や嗜癖の問題(ワーカホリックも含む)、自傷行為、抑うつ、職場での不適応感、慢性的な不安や劣等意識、「よい親」にならなければというプレッシャーなどの問題。家族の中の虐待・夫婦間暴力(DV)・体罰の問題や、子どもへの過剰期待(子どもを「よい子」に育てることで大人の不安を埋める傾向)、夫婦が抱えるさまざまな葛藤と葛藤回避の傾向など。
 子どもの「心の問題」を解決するためには、大人が自分の「心の問題」と向き合わざるを得ないことになる。それはとてもつらいことなので、起っていることは「子どもの問題」として切り離しておきたくもなる。
 しかし「心の問題」と向き合うということは、長い人生における自分自身の傷つきを認め、その傷つきから自分を守るために無意識に使ってきた防衛に感謝し、自分をいたわる道のりなのである。それにより、子どもの痛みを受入れることができるようになり、子どもは挫折を乗り越える力を得る。
 大人が自分の痛みと向き合うことなく、子どもだけに変わることを求めてしまうと、子どもの問題は長期化し、いずれ子どもはそのまま大人になってしまう。

感情制御の力とは「いやな気持ちのままでいられる力」

 「心の問題」にはさまざまな状態像があるが、共通しているのは「脳の中の感情制御の自動機能がうまく働かなくなっている状態」ととらえることができる。不安や恐怖や怒りや嫉妬などの不快感情が自動では制御されなくなってしまっているということである。一般的な言葉でいうと、「いやな気持ちになったときに抑えられない状態」ということになるが、感情制御をめぐっては多くの誤解がある。
 いやな気持ちを感じるのが当然の状況下で、いやな気持ちを感じないことは、決して健康な反応ではない。ちゃんと「いやな気持ちを感じたままでいる」ことができるということ、それが健康な反応であり、その状態を「制御できている」という。いやな気持ちを制御できない状態にあると、その不快をすみやかになくすためにアルコールや薬物に依存したり、自傷したり、他者をコントロールすることで自己の安定を得ようとすることになる。脳の感情制御の機能が良好であるということは、「いやな気持ちになったときに、それをちゃんと抱えることができる」状態なのである。
 「強い心」とは「いやな気持ちを感じないように押し込めることができること」ではなく、「いやな気持ちをちゃんと抱えることができること」「いやな気持ちのままでいられること」を意味している。

感情制御の脳機能

 いやな気持ちは、脳の中でどのように自動制御されているのだろうか?脳は中心部から外側にむけて三層の構造をなしている。脳幹部・辺縁系・皮質の三層である。脳幹部は、身体の生命維持に関する仕事を行い、辺縁系は感情や記憶を司り、皮質は人間の高度な能力を実現する場所である。(図1~3は説明を補足するためのイメージである。)
 人が危険な状況にあるとき、皮質下(辺縁系・脳幹部)に「恐怖」「不安」「痛み」などの生体防御反応が生じる。これらの不快感情は、命を守るためのサインとしての重大な役割を担っている。身体が恐怖を感じたとき、皮質下で反射的に命を守る行動が選択されると同時に、前頭前野はこの恐怖がどのくらい危険なものであるのかを認知的に判断し、次の指示をだす。
 つまり、図1に示したように、感情制御は、皮質下(辺縁系・脳幹部)と前頭前野との間の情報のやりとりによって行われている。このボトムアップ・トップダウンの回路が機能するためには、皮質下において不快感情が生じたとしても身体の安心・安全が失われない状態が維持できる必要がある。
 この不快感情が生じたときに同時に身体の安心・安全が存在できるという状態は、乳幼児期の親子の愛着の関係を基礎として開発される。乳幼児期から安定した親子関係の中で、身体が欲するままに泣き、抱かれ、安心するという経験を重ねてきた子どもは、「いやな気持ちをちゃんと抱えてもらう」体験を通して、「いやな気持ちのままでいられる」神経回路のネットワークが開発され、感情制御の自動機能が自然にバランスよく育つ。
 大人は日々たくさんのストレスを抱えている。しかし「マインドフルネス」の状態にあると、さまざまな不安や心配を抱えながらも、ストレスに強くタフに生きていくことができると言われている。
 「マインドフルネス」とは、自己のありのままの感覚に評価を加えることなく気づくことができる力と言うことができるのだが、呼吸や瞑想を通してトレーニングするという方法が、欧米ではビジネスマンの間でもブームになっている。そのとき脳の中では図1が実現している。身体が安心を感じているからこそ、トップダウン方向で客観的に自己の内的世界に気づくことが可能になるのである。これが「いやな気持ちのままでいられる力」ということになる。不快感情とその身体感覚は、押さえ込むのではなく、安心・安全に包まれることで制御されるのだということを知ることは、きわめて重要なことなのである。
 もし、危機や脅威を感じている時に、安心・安全が与えられない状況にあれば、脳は自分を守るために、皮質下に備わっている防衛反応(サバイバル反応)を作動させる。これは自動的な生理反応であり無意識下で起る。図2に示した闘争・逃走(Fight/Flight)反応である。
 危機や脅威にさらされると、交感神経が作動してアドレナリンが分泌され、「闘争か逃走」という危機回避行動が生じる。この過覚醒状態における「闘争か逃走」による解決が不可能な状況下にあれば、「凍結(Freeze)」反応に転ずることで、生存が優先されるのである。「凍結」反応(シャットダウン)は、感覚と感情を遮断するので、「つらいと感じない」ことが可能になり、ゆえに人は危機や脅威の中でも生き延びることができるのである(図3)。
 この反応が、副交感神経の背側迷走神経により生じるということを示したポリヴェーガル理論(ポージェス,S)は、近年のトラウマ治療の発展に大きな貢献を与えた生理学研究である。この理論は、人間が育つためにどれほど「安心・安全」という感覚が重要であるのかということを生理学的に教えてくれる。我々の行動は、外界の知覚を通して、意志よりもはるかに早く確実に生理反応によって規定されているのである。「認知」よりも「身体」のほうが、実は賢いということなのだ。

「心の問題」を引き起す「がまん」とは?

 安心・安全な関係性にあれば、副交感神経の腹側迷走神経を作動させて、他者とのつながりを求めて心をひらくという生理的状態を生み出す。しかし反対に脅威を与えられたときには、背側迷走神経が作動して、凍結反応により感情と感覚が遮断される(シャットダウン)。このような緊急時の命を守るための防衛反応が、日常生活の中で毎日使われるような環境にあると、その反応は、解離反応として定着してしまう。日常的に不快な感情と身体感覚を遮断して、適応する防衛を身につけてしまうのである。このことがさまざまな「心の問題」の背景となる。
 虐待や体罰などの環境下にあれば、無意識のうちに自動的にこの凍結反応による防衛が作動する。大人から叩かれている子どもは、この防衛により自分の身体の痛みを実際に感じなくなり、ゆえに、他者の痛みを感じることもできない。そのため、体罰をうけて育った人は、大人になったとき、我が子に体罰を与えるという世代間連鎖の問題が生じる。
 しかし、このことは虐待や体罰のみで起ることではないということに注目しなければならない。皮質下の生理的欲求の否定、これが、背側迷走神経を作動させ、感情と感覚を遮断させる。生理的欲求とは、痛み・不安・恐怖・生理的嫌悪感・のどの乾きや食欲の制限だけでなく、幼児の遊びや探索の欲求なども含まれる。そしてこれらの本能的な生理的欲求を否定されれば、必然的に正当な怒りが生じる。
 皮質下の生理的欲求の否定は、子どもが病気のときにも容易に生じる。病気を治すためには、がまんしなければならないことがたくさんある。泣こうがわめこうが、がまんさせなければならない状況にあるとき、泣きわめきながら処置を受けたことを「よくがんばった」と褒めてもらえる関係性、それが「大人が子どもに安心を与える関わり」である。
 しかし「がまんできずにいやだと言うことはいけないこと」で「いやなことでもすなおに泣かずにがまんするのがよい子」という期待を向けられたなら、子どもは親の期待に応えて愛されるために、感情と感覚を遮断しなければならない必然性を抱えてしまう。その結果、凍結反応による「よい子」となる。
 私の臨床経験からは、乳幼児期の病気や手術のつらい体験を「凍結」反応により封印したことでトラウマとなり、小学校で感情制御の困難による暴力という問題に苦しむことになったケースを多く体験する。大人の「心の問題」を抱える人たちも、子ども時代、がんばって、がんばって生きてきた人たちが多い。

「よい子」と「強い心」をめぐる誤解

 ここで考えなければならないのは「よい子」とは何だろうという問題である。親はわが子に「いやなことがあっても笑顔で乗り越えることができる子」になってほしいと願う。ところが、「いやなことがあっても笑顔でいる」ということは、実は「凍結反応で適応してほしいと願っている」ことになってしまっているということを述べてきた。「強い心」とは「いやな気持ちを感じないように押し込めることができること」ではないと、前述した。
 しかし、実際には、多くの親や教育関係者が、無意識に凍結反応を引き起させて、つらいと感じないようにさせることが「強い心」を育てることであるかのような誤解をしている現実がある。
 いじめられたら、学校に行きたくないと思うのが当然のことである。「いじめを笑顔で乗り越える」ことをめざすとき、子どもの脳の中には異常な防衛が作動してしまうことになる。そのため、笑顔でいじめを乗り越えようとしている被害者が自殺を企図したり、のちに加害者になってしまったりするという悲劇を生む。
 子どもを「よい子」に育てたいと願いすぎるとき、子どもの「疲れた・眠い・痛い・恐い・なんとなくいやだ」という皮質下の訴え、生理的欲求を否定してしまうということが起る。「あなたなら頑張れる」「いちいち少しくらいのことで弱音は吐かないの」「眠いのは気持ちがたるんでいるから」「他の人は恐いとかいってないんだからあなたも恐くないはず」「いやなら理由をちゃんと言ってくれないとわからない」というような励ましは、皮質下の命を守るための機能を否定してしまうのである。
 能力の高い子どもにとって、親のニーズを満たすために、親の笑顔をみるために、自らの皮質下の欲求を凍結させることは、無意識ながらたやすいことなのである。お受験塾に行きたくないと毎回ごねていた幼児が、突然いやがらなくなったという時、それは成長したのでも心が強くなったのでもなく、親に愛されるために凍結反応が作動したということにほかならない。
 凍結反応により封印された不快感情が圧縮されれば、自爆をさけるためにそのエネルギーを小出しに放出する必然を生み、それが他者への「いじめ加害」となる。小学生の暴力やいじめ問題の増加は、決して公立学校だけの問題ではないのが現状である。

子どもの「心の問題」の予防のために

 大人の「心の問題」に苦しんでいる方の中には、「よい子」の適応をしてがんばって生きてきた方たちが多い。これはきわめて日本的な問題でもある。大事に育てられ、まじめに一生懸命生きてきたにもかかわらず、家庭生活や子育てに困難を抱えてしまう。この問題は、今後もさらに悪化するだろうということを危惧せざるをえない。デジタル化された社会においては、身体性(皮質下)を必要としない有り様が可能である。しかし妊娠・出産・子育ては身体なくしては実現しない。日常的にアクセスしてこなかった皮質下の本能的・動物的な脳を使う仕事である。ゆえにますます子育ては困難なものとなる。
 さまざまなつらい環境の中で「よい子」でまじめに一生懸命生きてきた人が出産して親になったときに、自由に泣きわめく我が子を前にして、子育てがとてつもなくつらいものになってしまうという「子育て困難」の問題は、すでにきわめて深刻な状況にある。しかしこのことが、「虐待の増加」「虐待への支援」という文脈でのみ語られると、さらに援助を受けにくい状況が生まれてしまう。
 我が子を愛しているのに、適切な関わりができないという苦しみの中で、子どもが「心の問題」を抱えてしまうことを予防することは、喫緊の課題であろう。はじめて親になったときから、気軽に専門的な心理支援を受けることが可能な体制があれば、いくらかでもその後の子どもの「心の問題」の予防に役立ちはしないだろうか、そう感じることは多い。しかし、希望の保育園に入ることさえままならない現状では、「ないものねだり」としかいいようがない。
 乳幼児期は脳の基礎ができる重要な時期である。国は、親子を保護し安心安全を与える存在であってほしい。


参考文献

大河原美以(2015)子どもの感情コントロールと心理臨床,日本評論社

ステファン・W・ポージェス著・花丘ちぐさ訳(2018)ポリヴェーガル理論入門:心身に変革をおこす「安全」と「絆」,春秋社.